新しい春がきたら、新しく何かをはじめてみようか......。寒くて縮こまっていた背筋も伸びてきて、なにかしゃんとした和の道を学んでみたい......。
和の道の極意とはわ(和)
一、穏やかなこと
二、仲良くすること
三、ほど良く整うこと
(『しばわんこの和のおけいこ』P63より引用)
穏やかに、なごやかに気持ちを整える。それが和の道の極意かもしれません。絵本『しばわんこの和のおけいこ』では、茶道、華道、和の料理など、和の道の「さわり」が紹介されています。
茶室への入りかた、ふすまの開け方、畳での歩き方など、基本の所作にはじまり、もてなすときの「手」の表情にもさまざまなものがあることに気づかされます。
わたしが茶道に触れていちばんこころに響いたことは、ふくさのさばきかたひとつ、柄杓の扱いの流れなど、その動きに無駄がなく、かつ、美しいことでした。美しい所作というものは、けっして張りつめたものではなくなめらかで、音楽のように鑑賞できるものだということを感じたときは、茶道がなぜ今日まで「道」として伝えられ続けたのかという理由がわかった気がしました。
マニュアル本を読んで身につくものではけしてない、お稽古を重ねてしか身につかないからこそ道なのですね。
亭主側、客側の両方の稽古を行い、「和敬清寂」の心を学びます。
(『しばわんこの和のおけいこ』P9より引用)
茶道は、お茶室での湯気や、釜の沸く音、日差しのさしこみかたなど、味わうのみならず視覚や聴覚など五感全てをとぎすまして学んでいくものです。
同じく華道、香道なども、日ごろスイッチをオフにしている感覚をすべてオンに切りかえて感じていくことが学びにつながります。
そう考えると、お稽古事というものは、お茶のいただき方や草花の活け方を学ぶだけではなく、感じるこころを学ぶということが大きいのかもしれません。
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