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タグ “選挙” を含む記事 5件

Vol.303 選挙取材密着ドキュメンタリー

Vol.303 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━            そこそこ週刊・畠山理仁           選挙取材密着ドキュメンタリー ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●なぜだか密着取材の依頼が増えている ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 昨年から今年にかけて、新聞やテレビなど、さまざまなメディアの記者から密着取材を複数回受けた。私自身は「取材する側」の人間だが、その私が取材する様子を密着取材したいとのことだった。 最初は「なぜ私に?」と思った。 普通に考えれば、これまで通り自分一人で取材をするほうが楽だ。誰かと一緒に選挙取材をした経験は、大川興業の大川豊総裁やマネージャーさん、担当編集者ぐらいしかない。どなたも長年現場で一緒だったから、阿吽の呼吸で取材できる。決まった時間にご飯が食べられないことがあると知っているし、トイレ休憩のタイミングもわかっている。こちらが一緒にいてストレスを感じたことはない(相手はあるかもしれない)。 私は選挙の現場で取材場所を次から次へと移動する。基本的に一人で取材するため、取材先を誰かと分担することはできない。そのため選挙中にあちこち車で移動している候補者と本当に遭遇できるかどうか、毎回、ヒリヒリしながら瞬時の判断で動いている。そこに初めて同行する他者がいれば判断が鈍ることは確実だ。 密着取材の依頼は本当にありがたい。一部の人しか興味を持っていない「選挙」というジャンルに注目してもらえるのもありがたい。しかし、密着取材の依頼を受けるたび、「本当に大丈夫だろうか」という迷いがあった。密着してもらっても、結果的に「最悪だ。もうこりごりだ」と嫌われてしまうのではないかと心配した。そのため、依頼があっても即答はできなかった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●私のことは嫌いになっても選挙漫遊のことは嫌いにならないで ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  

Vol.303 選挙取材密着ドキュメンタリー

Vol.166 ハイパーメディア無職リターンズ(2)

Vol.166 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━           『そこそこ週刊・畠山理仁』         ハイパーメディア無職リターンズ(2) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●人生の恥を書き捨て ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  思えば今年は初めからツイていなかった。厄年がようやく終わったと思ったら、まだあと一年も「後厄」が続くことに気がついた。それが正月早々のことだ。  その後、知り合いが立て続けに亡くなった。年長者も年少者もいた。みな尊敬できる人たちだ。去年のうちに亡くなっていたことを、今年になってから知ることもあった。毎回ショックを受けていたら体が持たないが、やはり落ち込む。お世話になった人たちが自分より先に亡くなってしまったのだから当然だ。  そうこうしているうちに仕事の発注依頼と自分の仕事のタイミングがうまく合わず、泣く泣く断らざるを得ない状況も続いた。すべてが悪い方、悪い方に回っているように思えた。あまりの間の悪さに自分としては笑うしかなかったが、なかなか周囲から笑いは取れない。救いようのない泥沼にどんどんハマっていっている気持ちが募った。そんな中、お米を車内の床にぶちまけて、情けない気持ちで一粒残らず拾い集めたのが前回までの話だ。  

Vol.166 ハイパーメディア無職リターンズ(2)

Vol.162 追悼・羽柴秀吉さん(1)/「青森の大バカ者で終るか 天下を取るか」

Vol.162 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━           『そこそこ週刊・畠山理仁』  追悼・羽柴秀吉さん(1)/「青森の大バカ者で終るか 天下を取るか」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●サービス精神旺盛すぎる小田川帝国の国王 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  偉大なるインディーズ候補、羽柴秀吉さんが亡くなった。  享年65歳。秀吉さんは2011年に肺がんであることを告白し、その後は闘病生活を送って入退院を繰り返していたが、2015年4月11日に肝硬変のため亡くなった。秀吉さんを15年以上取材してきた者としては、ただただ残念だ。今は「秀吉さん、お疲れ様でした」とご冥福をお祈りすることしかできない。  秀吉さんの本名は三上誠三という。青森県の五所川原市(旧北津軽郡金木町の出身で、若い頃から「自分は羽柴秀吉の生まれ変わりだ」と言って羽柴秀吉を名乗り、全国各地の選挙に立候補してきた。残念ながら一度も当選することはなかったが、それでも選挙に立候補し続けて、筆者に「こういう生き方もある」と教えてくれた。  筆者は2007年に秀吉さんの地元・青森県まで行き、広大な敷地にある秀吉さんの「小田川帝国」を秀吉さんに案内してもらったこともある。同敷地内にある秀吉さんのホテル(小田川温泉観光ホテル)の温泉に入ったこともある。なぜホテルに泊まらなかったのかというと、ちょうどホテルが改装中で宿泊ができなかったからだ。ちなみに宿泊料金は、まわりの相場よりもかなり高かった。ホテルの中を隅々まで案内してもらい、泊まる気満々だったので「今日は泊まれません」と言われた時はとても残念だった。  ちなみにこのホテル。以前はあちこちに秀吉さんの写真が貼ってあったという。筆者が訪ねた時はホテルの支配人は秀吉さんとは別の人で、 「お客様のことを考えて、社長(秀吉さん)の写真は一部を除いて全部外しました」  と言っていた。「帝国」なんだけど支配人の意見もちゃんと通る。たしかに社長の写真だらけのホテルはあまり儲からないだろう。支配人の人は、 「おかげさまでホテルは大繁盛です」  と言っていた。  このホテルは国会議事堂を模したホテルで、客室の上には「郵政省」「通産省」「法務省」などというプレートが取り付けられていた。「参議院小会議室(建設省)」という謎の看板もある。大宴会場は「衆議院本会議室」。食堂は「食糧庁」と徹底していた。しかし、なぜかホテル内にあるスナックの名前は「チャングム」。ここだけ治外法権。出島のようなものなのか。  

Vol.162 追悼・羽柴秀吉さん(1)/「青森の大バカ者で終るか 天下を取るか」
『そこそこ週刊・畠山理仁』

フリーランスライターの畠山理仁です。私が取材現場で見聞きしたことなどを報告していきます。そこそこ週刊です。ときどきダジャレが入るかもしれません。

著者イメージ

畠山理仁

はたけやま・みちよし▼1973年愛知県生まれ▼早稲田大学在学中の1993年より週刊誌を中心に取材活動開始▼1998年、フリーランスライターとして独立▼興味テーマは政治家と選挙▼米国大統領選、ロシア大統領選、台湾総統選、カリフォルニア州知事選など世界の選挙も取材▼大手メディアが取り上げない独立系候補の活動を紹介した『日本インディーズ候補列伝』(大川豊著・扶桑社刊)では取材・構成を担当▼Twitter IDはhatakezo▼『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)著者▼最新刊は『領土問題、私はこう考える!』(集英社)

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