感情を体感覚として受け止める。感情そのものを受け止めようとするとどうしても思考に走ってしまい、結局のところ感情に蓋をするということになってしまいがちです。でも、感情=体感覚ということが体でわかると、それをただそこにあるものとして受け止めやすくなります。
たとえば指を切って痛いとき。それについてあれこれ詮索せず、ただ「痛い」とおもうでしょう。そして、あのときああしていれば、切らなかったかも、ああなんて不注意だったんだろう。そんな考えも出てくるかもしれません。そうしてその考えによって、だんだんイライラしてきたりする、ということが起きるかもしれません。でも、考え始めなければ、指を切った痛みというただそれがあるだけです。
感情も同じで、悲しいとき、怒りを感じているとき。ただそれがあるだけです。良いも悪いもなく、ただその感情がある。感情を体感覚としてとらえるとき、そんなふうに感情をみることが楽になります。感情についてあれこれ考え始めると、たとえば、ああしていればこんなことにならなかったかも、ああ、なんて不注意だったんだろう―どんどん思考にとりこまれて感情から離れてしまいます。でも、ああ、悲しみがある。そんなふうにその感情を体験すること、認知することでこそ、その体験が完了します。いつまでも悲しい、苦しい、そんなときはたいてい、その感情の火に思考が油を注いでいるときです。
アーユルヴェーダでは食べたものがきちんと消化されないと、それが毒素となり病気になると言っていますが、未消化物とは、消化できなかった食べ物だけでなく、なかったことにされた感情も含まれます。つまり、感情をきちんと完了させることは心身ともに健康でいるためにも大切なことなのです。
今日の1枚:自然に触れることでも五感に耳を澄ましやすくなります。砂浜を裸足で歩いたり、海の水に触れたり、山歩きにいってみたり、川に行ってみたり。ピクニック気分で気軽におでかけしてみてはいかがでしょう。