なぜ揺らすのだろうと考えてみると、「風鈴」という言葉が思い浮かんだ。うちには風鈴はない。似たようなところでウインドウチャイムがあるけれど、いろいろ選んで購入したウインドチャイムの音色は「サターン」という、涼しさというよりは厳かな音だった。蝉のじりじり音と土星音(というものがあるのなら)は、まったく相容れない。だからだろうか、まったく風の吹かない壁際にかけている。そしてグラスを鳴らす氷の音が、わたしにとっての「夏の音」なのだろう。
昭和生まれのわたしには、時代的に夏といったらカルピスだけど、あいにくカルピスは持ち合わせていない。だから、アイスコーヒーや炭酸水などでカランコロンをやる。そして、「猛暑、激暑、酷暑」と、この暑さを形容するにぴったりの言葉はなんだろか?と、考え出したら余計に暑くなってきた。
クーラーのスイッチをピッと押せばいいだけのことだのに、それをしないもんだから(自分のなかで点けていい時間帯が決まっている)厄介なものだ。さっさと快適な環境に身を置けば、こんな馬鹿みたいことを考えなくて済むだろうし、わたしの暮らしのなかでささやかな「効率」というものがあるならば、さぞかしエアコンは味方に回ってくれるだろう。「電気代が上がるのがいやなんです」「たまに吹く風の気持ちよさを味わいたいんです」「エアコンありきの環境に慣れたくないんです」「なんとなく足元が冷える気がするんです」「暑いなかで、冷たいものを飲むのが好きなんです」そして昨今に限っては、「ベランダで干している梅や諸々(ちなみに今日はパイン)にカラスがやってきても気がつくように、窓を開け放っておきたいんです」が、最もな理由にあがったため、「従ってエアコンは点けない」に決定した。
梅は、夏の暮らしの生命線である。命綱といってもいいし、沖縄ではそういったものを総称して「命薬(ぬちぐすい)」と呼んだりもする。そんな大事な梅をカラスに持ってかれるなんてミスを二度と起こしたくない。(一度あっただけに用心している)
梅はアルカリ性食品である。陰性食品を食べすぎる傾向にある夏はとくに、身体が酸性に傾きやすい。酸性に傾くと免疫力が落ち、疲れがなかなかとれなくなったり風邪をひきやすくなったりする。「なんとなくダルーい」というときこそ、梅の出番で、そんなときは梅干しをパクリとやったり、梅玄米粥でしみじみしたりする。そんなふうに日常的に梅干しを摂って、少しでもバランスを、と思うようにしている。
そしてうちには、梅干しの他に梅シロップもある。梅シロップは青梅と粗糖を1対1で漬けたもの。グラスに梅干しと梅シロップの梅を入れて、甘さをシロップで調整しながら冷水を注ぎ、各梅をつつきながら飲むのがおいしい。梅干しは赤紫蘇をたっぷり入れたので、ほんのりピンクのジュースになる。酸っぱ&甘な味がヴェトナムで飲んだ梅ジュースに似ているので、思い出してはサイゴンの喧騒に浸る。
梅シロップは砂糖で仕込む酵素と同じ作り方なので、糖分がブドウ糖に転化することで、若干ながらGI値が穏やかになる、というけれど、まぁとにかく甘いので我が家では嗜好品だと捉えている。それにひとつやふたつの嗜好品でもないと、こんな夏い暑、いや暑い夏を過ごせやしないではないか。