生まれ持った境遇こそ違うものの、私たちはみな地球という星に住まい、同じ世界に存在しています。それなのに、ある人にとってはここがが"居心地の良い世界"であり、またある人にとっては"居心地の悪い世界"でありもります。
自分の心によって見える世界が変化する
その違いとはいったい何でしょうか。欧米にはじめてインド哲学を広めたインドの宗教家、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ師が語った、こんな言葉があります。
『一つの木の切り株がありました。やみの中で、どろぼうがやってきて、「警官だ」と言いました。こいびとをまつ若者がそれを見て、「彼女だ」と思いました。おばけの話をきかされていた子供はそれを見て、「幽霊」と思い、さけびはじめました。しかしはじめからおわりまで、それは木の切り株だったのです。(中略)われわれは、この世界を自分がある通りに見ます。自分がうちに持っているものを外に見るのです』
「ギヤーナヨガ(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ 著)」から引用。
私たちの心は、過去の経験に影響されながら、心の癖や思考パターンが決めるといわれています。それは良くも悪くも、自分が見ている世界は自分自身の心の投影であり、世界は心のあわせ鏡。いいかえれば、自分の心根が変われば、見える世界にも変化が訪れるということ。
幸せに生きるための知恵の探求「ギヤーナヨガ」
ヨガはポーズや呼吸法、瞑想を行いながら心身の鍛錬と浄化を行いますが、その道のりで自分自身をセルフモニタリング(客観視)しながら、ネガティブなパターンに陥りそうな気分や行動を、望ましい方向に変化させる自己制御も同時に行います。その"どうやって幸せに生きていくか?"を考える行為を、知恵の探求「ギヤーナヨガ」といいます。
私たちは、食欲・物欲など......ついつい、求めてもキリが無く、移ろいやすい外側の世界に幸福を求めがちですが、ギヤーナヨガが説く幸福論は、物質ではなく何物にも惑わされない"静かな心"を持つことを指します。みなさんご存じ、チルチルとミチルという兄弟が、幸せの青い鳥を探すという童話のストーリーは、まさに「本当の幸福は自分の内側にある」という、ギヤーナヨガのよい喩えといえます。
今回ご紹介したギヤーナヨガの他にも、「バクティヨガ(献身のヨガ)」「カルマヨガ(行為のヨガ)」「ラージャヨガ(瞑想のヨガ)」という、"ヨガのポーズを行わないヨガ"があります。ヨガ発祥の地インドでは、これらを総合的に行うのが一般的です。
みなさんも、様々なヨガのアプローチで心身を整えながら、どこで何をしていても、自分の在る場所が"心地の良い世界"に変えていきましょう!
(村上華子)