物語は、芝生にかこまれた家にくらす家族の物語としてはじまります。家から少し離れた場所には、ニレやトネリコの木々の林があって、ちいさな緑の花のかぐわしい香りを届けて、種を飛ばして芝生に芽を出すけれど、庭としての敷地内には1本も木がなくて、その家の父親は芝生を完璧にしないと気が済まない、という人物。
夕方外に出て、芽を引き抜くか、芝刈り機で刈るかした。けれども木々も、そう簡単にはあきらめない。夏が来るたびに、また種を家のほうに飛ばすのだった。
(『木に持ちあげられた家』より引用)
風にのせて種をとばす木々。しかし父親は、芝刈り機でその種からでた芽を刈りとってしまう。そんな穏やかで「敵意のない」戦いは、何年も繰りかえされるのです。
人と自然の関わりこの絵本の素晴らしさは、「木々の気持ち」を書くことなく、また、「父親の気持ち」も書くこともなく、ただ両者のありようをたんたんと描きだしているところ。やがて人間は年をとり、子どもたちは家を離れ、芝生の管理は難しくなっていくことで、それまで繰りかえされてきた戦いに変化が現れるのです。
それは、ありきたりの自然保護の訴えのように「結局、自然が人間より偉い」というニュアンスではなくて、人の時間と植物の時間が交わっていくようすと、文字通り大地に根ざして生きる木々のチカラの圧倒的なスケールが描かれる。
カナダの画家、ジョン・クラッセンの絵がここで、威力を発揮します。淡いグラデーションはともすれば「優しい」印象で終りがちだけれど、ここでは力強さとして使われていて目を見張ります。
今日か明日あなたも、ツリーハウスのように宙に浮かぶ家の前を車で通りかかるかもしれない。
(『木に持ちあげられた家』より引用)
大地と、時と、植物と、人と、そのつながりを再発見できる素敵な絵本です。
著:テッド・クーザー 絵:ジョン・クラッセン 訳:柴田元幸
出版社:スイッチパブリッシング