医療が発展していない昔。私たちが病院にかかったり薬を飲むかわりに、人びとは重い荷物を背負い、足元が悪い道を何時間も歩いて山を越え、湯治のため温泉地を目指しました。いまは観光の一環で温泉地を訪れる人がほとんどだけれど、娯楽目的で温泉地が利用されるようになったのはごく最近のこと。みな繰り返しお湯につかり、病(やまい)の回復を願ったといいます。

橋を渡って「積善館」へ。宿泊客でなくても、有料で一部見学や「元禄の湯」の立ち寄り湯もできます。

4万もの病を治癒すると伝わる群馬の「四万温泉」は「日本三大胃腸病の名湯」に数えられ、胃腸や皮膚の病をしずめるため多くの人が湯治に訪れました。そしてそこには、元禄7年に開業した、日本最古の木造湯宿建築が残されています。

本館と山荘をつなぐトンネル。「千と千尋の神隠し」の冒頭に登場するトンネルと重ね合わせる人もいます。

 映画「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルのひとつといわれる、四万温泉「積善館」は、本館、山荘、佳松亭と、山の斜面上に3つのことなる建物がつらなる温泉宿。江戸時代から増改築を繰りかえしてきたため、館内は迷路のよう。上階へとすすむには、壁の向こうから水が滴る音が聞こえる不思議なトンネルを通るのですが、そのトンネルを「千と千尋の神隠し」の冒頭シーンと重ねあわせ「千尋のトンネル」と呼ぶ人もいるとか。

大正ロマネスク様式の「元禄の湯」(写真は「積善館」ホームページより)。

日本最古の木造湯宿建築と伝えられるのは、元禄4年に建てられた本館。外の柱には、何百年前から馬の綱を結んでいたためできたへこみが見られたり、そこかしこに時の重なりが佇む重厚な建物。

山荘の一室。山荘には、宮崎駿監督や柳原白蓮など、数々の著名人も宿泊しているそう。

湯治とは本来、自炊しながら長期滞在して病の治癒をめざすこと。食事の準備も、布団のあげさげも、客自らがおこなっていました。本館では、そんな昔ながらの湯治の様式を体験できるよう、部屋のつくりもサービスも最低限に留めています。そのぶん、値段も手頃な設定。食事は胃腸によいとされる温泉の湯で炊いた粥が提供されたり、滋味深くカラダにもいい献立です。

山荘客室の格子。別世界へ誘う名工の技。

今回、私が宿泊したのは、昭和11年に桃山様式造りを取り入れて建てられた山荘。客室の、格子模様や木組みが繊細で美しく、部屋にいながら名工の技によるさまざまな風景を楽しむことができます(食事は会席料理)。

岩風呂(混浴)に続く階段も、異世界への入口のよう。

さらに山荘より奥の高台に建つのが、松林に囲まれた佳松亭。露天風呂付きの貴賓室や特別室があり、お祝いごとや記念日、ゆったり落ち着いてすごしたい両親との旅行に誂え向き。

温泉街の老舗の蕎麦屋。江戸時代創業の「小松屋」で昼食を。 

館内の温泉は趣の異なるタイプが全部で5箇所。なかでも有名なのが、昭和5年に建てられた、洋風でモダンなホール風の「元禄の湯」。タイル張りの床に、5つの石造りの浴槽が並び、アーチ型の窓からは光が美しく差し込みます。まるで「テルマエ・ロマエ」の世界のようなロマンスを感じながら湯船につかれば、日頃の疲れもどこへやら。町のなかには、無料の公衆浴場もあるので、宿と町を行ききしながら、ゆっくりカラダを休めました。

「小松屋」の蕎麦。まいたけの天ぷら、わらびもち、名物の高原まめのセット。

四万温泉へは、東京駅から直通バスが出ているのでとても便利。友だち同士でも、ひとりでも、都合に合わせた使い方ができる温泉です。 

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