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記事 33件
  • 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-10-09 18:10  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「大森隆男」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

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    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――小佐野さんは入門当初の大森さんのことはおぼえていますか?
    小佐野 それが知らないんだよね。大森が全日本に入門したのは秋山準と同じ92年だけど、当時は全日本を取材できない立場だったから。
    ――あー、SWSと全日本のゴタゴタに巻き込まれたかたちで。
    小佐野 数年後に取材できるようになっていろいろと話は聞いてるんだけどね。
    ――秋山準と大森隆男。同年にデビューした新人が2人とも大成したんですね。
    小佐野 これは全日本としては珍しいことなんですよ。どういうことかというと、全日本の場合ってデビュー前に新人がやめちゃうから。レスラーとしてある程度できるようにならないとデビューさせてもらえなかったんですよ。
    ――簡単にはデビューさせてもらえない。
    小佐野 多くの人間が受け身をおぼえられなくて途中でやめちゃう。それに新日本の場合は新弟子が何人かいて、つらくても励まし合ったり、協力して休めたりできたけど、全日本の場合は毎年取ってもひとりだから。
    ――ひとりで雑用をこなすって地獄ですよね……。
    小佐野 大森が入団した頃から方針が変わっていったんだけど、それは小橋建太の存在が大きかった。それまでの全日本ってエリートを育成する方法だったでしょ。ジャンボ鶴田、天龍源一郎、スカウトされた秋山もそうだったけど。
    ――ほかの格闘競技で実績がある人間をメインイベンター候補として育てるという。
    小佐野 小橋の場合は一度書類選考で落とされて、そこから這い上がってトップグループで活躍するようになった。小橋の成功を受けてノンキャリアでも磨けば使えるという発想になったんだろうね。練習の厳しさは以前と変わりはないんだけど、大森のこともじっくり育てようということになった。
    ――それだけの素質を大森さんに感じたところもあったんですか?
    小佐野 そこは馬場さんのお眼鏡にかなったんだと思うよ。大森は大学3年生のときに一般公募に応募したら、後楽園ホールに呼び出された。そこには50人近くレスラー志望者が集められていて「どんな試験をやらされるんだろう……?」と思っていたら、テストはなし。馬場さんは「テストに受かろうが、やめる奴はやめるだろ」と。
    ――馬場さんって合理的ですよね(笑)。たしかに続くかどうかはテストは無関係。
    小佐野 その場で大森を含む数人が合格になった。大森はアメフトをやっていて身体も大きいし、ルックスもいい。鍛えればなんとかなると思ったんだろうね。ただ、問題がひとつあってまだ3年生だった。大森は「やめて全日本に入ります」と言ったんだけど、馬場さんは「あと1年なんだから卒業しなさい」と。
    ――馬場さん、優しい!
    小佐野 それで1年の猶予をもらったんだけど、大森はちょっと柔道をやったことがあるだけで、格闘技経験がない。これはマズイということでアニマル浜口ジムのプロ養成コースに通うことにしたんだよね。
    ――全日本入団ありきだったんですか。
    小佐野 アマレスのマットしかないから受け身の練習はできなかったんだけど、関節技の練習ができたみたいで。
    ――全日本の入団が内定してるなら、どうにかして受け身の練習もさせてもらえたんじゃないですか?
    小佐野 それが大森は全日本に入ることは内緒にしてたんだよね。
    ――えっ、どうして内緒に。
    小佐野 わからない。入団間際に「じつは……」と浜さんに明かしたら「なんで先に言わないんだ!」って怒られてね。
    ――そりゃ怒られますよ!(笑)。
    小佐野 そのときには秋山が大々的に入門したことが発表されていたから、浜さんに「同期の秋山には負けるな!」と送り出してもらったんだけどね。
    ――1年の猶予をもらって入門して、その年にはデビューしちゃうんですから凄いですね。
    小佐野 その時期の全日本って道場がなかったんだよ。砧にあった道場を壊して、いまの道場を作ってるときだったんです。合宿所も道場もなかった。大森は秋山と泉田純と一緒にアパートの部屋に住んで、一つ上の先輩の浅子(覚)と井上雅央は違うアパートの部屋を借りて住んでいた。なぜ先輩・後輩の部屋を分けたかと言えば、先輩からイジメられないようにと元子さんが一緒に住まわせなかった。イジメられたらやめちゃうと思ったんでしょう。この続きと、西良典、折原昌夫、サベージ&エリザベス、PRIDE終焉、RIZIN福岡裏話、パンクラス計量炎上…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     

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  • 暴走親方、諏・訪・魔!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-09-18 14:21  
    80pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「諏訪魔」です!

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    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――高山善廣選手の事故が大きなニュースになっていますが、今年に入ってからリング上の事故が多発したこともあり、「何かしら規制すべきではないか」という声も挙がっています。
    小佐野 うーん、規制といっても難しいのは、たとえば高山の件は自分から仕掛けた技でしょう。酷い投げ方をされたというものでもないから「何を規制するの?」となるよね。プロレスって使い手がちゃんとその技を調節ができるかどうかというとこともあるんですよ。相手のレベルに合わせて変えられるかどうか。
    ――ジャンボ鶴田は相手に合わせてバックドロップの角度を変えてましたね。
    小佐野 ジャンボは相手の受け身の技術に応じた投げ方をしていた。だから「この技をNG」という話でもないと思うんですよ。
    ――現実に即したかたちで何か施行するのは大変なんですね。
    小佐野 格闘技はルールによって守ってるわけでしょ。脊髄攻撃はダメとか、ヒールホールドが禁止されたことがあったり。
    ――90年代のパンクラスが一時期そうでしたね。
    小佐野 人間同士がやってることだから、最終的にはマナーや良心に依られるとは思うんだけど。仮に危険だから規制したら、ほとんどのプロレス技が禁止になっちゃうよ。まず垂直落下のブレーンバスターは首にダメージを与えるからダメ。バックドロップも頭から落とすものは禁止。
    ――頭から落下系は全面禁止になりますね。
    小佐野 雪崩式ブレーンバスターも背中から落とすのはいいけど、垂直落下はダメとかね。トペは避けたら危険だから必ず受けましょうとか相手の動きも制限しかねない話になってくる。
    ――飛び技は大ケガのイメージが強いですねぇ。
    小佐野 飛び技でケガをするケースもかなり減ったよね。いまはそこまでムチャはしないから。ルチャもみんな凄い飛び方をしてるけど、ちゃんとリカバリーしてるし、イチかバチかで飛んでないんですよ。余裕を持って失敗しても事故が起こりづらいように飛んでいる。
    ――じつは見た目の問題ではなかったりするんですね。
    小佐野 以前、世志琥が安川惡斗をボコボコにしたときにスターダムでは顔面パンチが禁止になったけど、じゃあエルボーはいいの?と。エルボーのほうが危険だという話があるし、ハイキックはどうなるんだ?って。
    ――ハイキックのほうがダメージはありますね。
    小佐野 だから一概に技を規制すればいいという話はないとは思いますね。
    ――最近の事故はダメージの蓄積によって……というケースですね。
    小佐野 やっぱりダメージの蓄積になるんですよ。レスラーの身体が正常かどうか、WWEはメディカルチェックが厳しいですよね。スカウトしても検査結果によっては契約しないこともあるから。
    ――新日本もメディカルチェックはしっかりやってますね。それでも事故が起きてしまうんですが……。
    小佐野 新日本にはトレーナーがついていて、誰がどんな治療を受けているかも記録しているからね。
    ――リングドクターも帯同して、シリーズのたびにチェックするとなると、必要になってくるのはお金ですね。
    小佐野 お金だよね。何かあったときのために保険にも入らなきゃいけないし。それこそ健介オフィスは試合前に血圧の検査をやってたからね。血圧が高いと試合をさせてくれないんだから。
    ――そこまで徹底してる団体は聞いたことがないですね。
    小佐野 そこは北斗晶の方針だった。彼女は全女時代に首をケガしてるから、そのへんはしっかりしてるんだよ。健介オフィスはフリー選手を集めて興行をやってたんだけど、全選手に保険をかけてたんです。だからお金がかかりすぎて、何回も試合ができなかったんですよね。
    ――経済面から保険をかけられない団体もあるでしょうね……。
    小佐野 坂口(征二)さんが社長時代の新日本も、スーパーJカップで他団体から選手を集めたときは、みんな派手に飛ぶから全員に保険をかけていたしね。
    ――その団体がどうやって取り組むかですね。
    小佐野 技に関して言えば、団体内次第になっちゃうんだよね。何か規制した場合、そのことを発表するか、しないのか。発表したら見てる方だって興醒めしちゃうから。事故が起きたら団体内で何かしら話し合いを絶対にしているはずなんですよ。「こういうことはマズイね」とか「こういう技はやめようね」とか。それはあくまで暗黙の了解であって、何かをルールを作って規制することは「はたしてそれはプロレスなのか?」ってことになっちゃうと思うんだよね。難しい問題だと思います。
    ――大きな事故がないように取り組んでもらいたいですね。

    ――今月のテーマは全日本プロレスの諏訪魔選手なんですが、先日の小島聡戦にかぎらず、外部の選手と絡むとどうにもおかしなことになるという。
    小佐野 そういう試合が多いですよね(笑)。あの試合は解説を私がやったんですが、悲しい試合でしたねぇ……。
    ――小佐野さんは諏訪魔選手のことをデビュー当時から見てますよね。
    小佐野 「就職します!」と言った入団会見から見ていますね。あのコメントは言わされたんです。諏訪魔本人はどんな意味があるのか知らなくて。
    ――あ、そうなんですか。ジャンボ鶴田オマージュを本人は知らなかった。
    小佐野 全日本としてはジャンボ鶴田のイメージで売りたかった。諏訪魔も中央大学レスリング部出身だし、出場ではできなかったけどオリンピックを目指していたわけだから。あとから本人は「そういうことだったのね」と(笑)。
    ――ということは、プロレス自体は詳しくなかったんですか?
    小佐野 いや、そんなこともないんだけど。子供の頃からプロレスは大好きで。とくに全日本が好きだった。スタン・ハンセンや天龍さんがいた頃の全日本。
    ――諏訪魔選手の年齢的に天龍同盟の頃ですかね。
    小佐野 プロレスラーになるためにまずは受け身だろうということで、中学のときに柔道を始めたんです。ところが柔道に熱中していくと段々とテレビでプロレスが見られなくなってくる。四天王プロレスの初めの頃までしか見れてなかったのかな。
    ――四天王プロレスの洗礼を受けてないんですね。
    小佐野 そうして大学からレスリングを始めて。
    ――そこも鶴田さんと同じ!
    小佐野 中央大レスリング部OBに旧UWFの社長だった浦田(昇)さんがいるから「プロレスに行けますかね?」って相談したら「オリンピックに出るとか、箔をつけてからのほうがいいんじゃないの?」と。ますますレスリングに邁進することになって。
    ――プロレスのためにレスリングだったんですね。
    小佐野 馳浩からプロレスの勧誘を受けていたみたいなんだけど、目の前にはオリンピックという目標があったんでしょうね。アテネオリンピックを断念した段階で全日本プロレスにお世話になりますということで。本人は訳も分からず「ネクストジャンボ」として売り出されてね。
    ――そこまでジャンボな条件が揃っていたら仕方ないですね(笑)。
    小佐野 諏訪魔がハミ出したレスラーという捉え方をするならば、彼はデビュー以降前座で試合せずにセミファイナル、メインで試合をしてたんですよ。
    ――それだけ期待されてたんですね。
    小佐野 凄かったのはデビューしたばかりで、あのベイダーの巨体をもの凄い角度のジャーマンで軽々と投げちゃうし。あのジャーマンで首をケガしたレスラーもいたんですよ。それでジャーマンを使わないようになる。
    ――封印しちゃったんですね、危なすぎて!
    小佐野 基本的に強いんですよ。でも、デビューしたばかりの新人だから、プロの厳しさを教えるためにどこかで叩かなきゃならない。そのときに彼を痛めつけたレスラーが3人いたんですよ。佐々木健介、川田利明、鈴木みのる(笑)。
    ――ひえっ、名前を聞いただけで吐きそう(笑)。
    この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-08-20 12:48  
    75pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「グレート小鹿」です!
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    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!――今回のテーマは大日本プロレスのグレート小鹿会長です!
    小佐野 わかりました。いまのファンからしてみれば、メジャーリーガーといえばWWEの中邑真輔になると思うんだけど。私の時代のメジャーリーガーは、このグレート小鹿さんなんですよ(笑)。
    ――おおっと! 「中邑真輔=グレート小鹿」説(笑)。
    小佐野 これは私がプロレスファン時代に初めて買った『ゴング』なんです。昭和45年6月号。巻頭グラビアがロザンゼルスで試合をする小鹿さんで、しかも金網デスマッチ。
    小佐野 「こんな日本人レスラーがアメリカで大暴れてしているんだ!」ってかなりのインパクトがあったんですよ。それから雑誌を定期的に買うようになって詳しくなると、小鹿さんは当時まだ見ぬ強豪だったミル・マスカラスを破ってアメリカス・ヘビー級チャンピオンになっていたこともわかって。
    ――ロスではマスカラスのライバルだったんですよね。
    小佐野 それ以外にもTVチャンピオン、アメリカス・タッグチャンピオンと、3つのベルトを獲ってるんです。プロレスの本場アメリカで活躍するグレート小鹿は、かなり凄いプロレスラーだとインプットされたんですね。
    ――帰国したときのことはおぼえてますか?
    小佐野 70年秋に開催された日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦に、吉村(道明)さんとタッグを組んで参加したんですけど。帰国第1戦はフランキー・レイン相手にリングアウト勝ち。それが姑息な勝ち方だったので「あ、やっぱり向こうの悪党はこういう戦い方なんだ」って。でも、コスチュームは田吾作じゃなくて、黄色のラインが入った紫のショートタイツに紫のリングシューズ。かなり垢抜けていたんですね。そういう意味ではかなり毛色が変わった日本人レスラーだったんです。
    ――ビジュアルインパクトがあったんですね。さすが昭和の中邑真輔(笑)。
    小佐野 日本プロレスが潰れたあとは全日本プロレスに合流するんですけど、アマリロ武者修行を終えたジャンボ鶴田と入れ替わるようにアマリロに送られるんです。そのときは中国人キャラのカン・フー・リーになるんですけど、ちょうどブルース・リーのブームが起きてる頃で、それをヒントにしたんでしょうね。それまでのアマリロは大熊元司、マシオ駒、ジャンボ鶴田と日本人レスラーが連続してたから、そのまま日本人としてやってもウケないと考えたんだろうね。
    ――ちゃんと計算してるんですね。
    小佐野 そのキャラでテリー・ファンクと抗争してトップになるんだから先見の明がありますよ。そのアマリロから1年で帰ってきたのかな。そのときの凱旋帰国もインパクトがあってね。小鹿さんは放送席でゲスト解説をやっていて、私服のままブッチャーと乱闘して大流血。そこからブッチャーとの抗争が始まるんですよ。
    ――話を聞くかぎり、当時からアイデアマンですね。
    小佐野 そのときはカン・フー・リーの格好じゃなくて、ジャンパースタイルのガウンにサイケ調のタイツ。髪の毛はパーマじゃないけどウェーブがかかって、当時のアメリカ帰りの雰囲気を醸し出していたんです。「カッコイイ!」と思っちゃったもん(笑)。
    ――ハイセンスだった。顔だけ見ると昭和の頑固親父ですけど(笑)。
    小佐野 流行りに敏感なんだよね。ブログもかなり早い時期からやってるし、スマホもかなり駆使していたよ。天龍さん、カブキさんと鼎談をやったときも「写真を撮ってブログにアップしていいよね」って(笑)。
    ――日プロ出身でスマホを使いこなす(笑)。試合ぶりはどうだったんですか?この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-07-20 12:26  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「アントニオ猪木」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

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    「プロレス取材の難しさ」――今回はIGF整理問題で渦中の猪木さんについてうかがいます。
    小佐野 この連載で何度も触れていますが、私は高校時代に『炎のファイター』という新日本プロレスのファンクラブをやってましたので、猪木さんの大ファンだったんですよ。
    ――小佐野さんといえば「全日本プロレス!」というイメージが強いですけど(笑)。
    小佐野 新日本だけじゃなくて、もちろん全日本や国際プロレスも見ていたけど、やっぱり子供のプロレスファンは猪木さんのことが大好きだったんですよ。小学生卒業式の日に、猪木vsストロング小林のテレビ放映があったとか、そういうこともいまだにしっかり覚えてますから(笑)。
    ――それくらい印象深いんですね。
    小佐野 あの頃ってプロレスラーの自伝はあまりなかったけど、『燃えよ闘魂 アントニオ・猪木自伝』が東京スポーツから出ていて。最初の表紙は猪木さんの顔のイラスト、増刷したらタイガー・ジェット・シンに卍固めをかけている試合写真、増補改訂版はビル・ロビンソンに逆エビ固めをかけている写真。私は全部買いましたよ(笑)。
    ――猪木ファン!(笑)。
    小佐野 私が通っていた小学校は、猪木さんと同じ鶴見の東台小学校。転校しなければ、中学校も猪木さんと同じ寺尾中学に進んでいた。そういう猪木さんの経歴も自伝を読んで知ってるんです。
    ――ファンクラブ時代はレスラー取材もしていたそうですけど、猪木さんをインタビューしたことはあったんですか?
    小佐野 ファンクラブ時代に猪木さんと喋ったことは一度もなかったかな。新間さんにかわいがってもらっていたから、レセプションとかには行けたんですよ。でも、そこで猪木さんにサインや記念撮影をお願いできなかったです。ほかのレスラーはともかく、猪木さんには近寄れなかった。恐れ多くて声をかけちゃいけんじゃないかなって。小・中学生の会員は無邪気に「猪木さん、お願いします」とか平気で頼んでるから羨ましかったですよ(笑)。
    ――プロレスファンとして馬場さんのことはどう見てたんですか?
    小佐野 大人のプロレスファンは馬場さんが好きだったと思う。外国人より身体の大きな日本人が大暴れする。戦争を経験した世代からすれば痛快なことでしょうし、高度成長期の頃だから、世界に羽ばたく日本を馬場さんに重ねたと思うんですよね。
    ――力道山だけではなく、馬場さんも戦後復興の象徴だったんですね。
    小佐野 でも、子供からすると、そんなことは関係ないし、ジャイアント馬場はかけ離れた存在でしたね。猪木さんのほうが若いし、カッコよく見えるでしょ。それにちょっと暴走するところがある。
    ――アンチヒーローとしての輝きですね。
    小佐野 馬場さんは優等生で反則はしない。でも、猪木さんは感情をむき出しにして、ナックルパートで相手のことを殴る。子供からすれば刺激的。あとマネしたくなる技を持っていますよね。「卍固めはどうやるんだろう」とかね。
    ――コブラツイストからの卍固めへの発展はマネしたくなりますよね(笑)。
    小佐野 馬場さんの技ってマネのしようがないんですよ。チョップなんてなんの工夫もないし、16文キックに足が大きいから成立するんであって。ボクくらいの年代はやっぱりアントニオ猪木なんです。
    ――そんな小佐野さんが猪木さんの一番好きな試合はどれですか?
    小佐野 やっぱり1回目の猪木vsドリー・ファンク・ジュニアの60分フルタイムドローなんですけど、その試合は会場でもテレビでも見ていないんですよ。なぜかというとあの試合は昭和44年12月3日にやってるんですが、大晦日に録画放送してるから。NET(現テレビ朝日)がNHK紅白歌合戦にぶつけたんですよ。ウチの家族は当然紅白を見るから、猪木vsドリーは見られなかった。
    ――当時はビデオもなかったですし、大晦日は紅白一強の時代ですもんねぇ。
    小佐野 日本テレビの日プロ中継は馬場さんがメイン、NETの日プロ中継は猪木さんがエースだったでしょ。ドリー戦があったのはNETの放映が始まった年だったと思うんだけど、12月の頭にやった猪木vsドリーをわざわざ大晦日に放映したんですよね。
    ――その頃から猪木さんと大晦日の因縁はあったということですね。
    小佐野 翌45年8月の福岡でやった猪木vsドリーはテレビで見ました。新日本になってからは猪木vs小林、猪木vs大木金太郎の実力日本一決定戦が始まって、そのあとはルー・テーズ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンとのプロレスルネッサンスシリーズがあって、異種格闘技戦シリーズが始まるんだけど。異種格闘技戦はあまり好きじゃなかった。だってプロレスとしては面白くないだもん。私はプロレスラーのアントニオ猪木が大好きだったから。
    ――日プロでのドリー戦や、実力日本一決定戦で日本人対決をやりあう猪木さんが好きだった。
    小佐野 国際プロレスのエースだった小林さんとの試合なんて、力道山vs木村政彦以来の超大物日本人対決でしたからね。国際も見てたし、猪木一辺倒のプロレスファンじゃなかったから「どういう試合になるのかな」っていう興味が凄くあったんです。大木さんとの試合になると、2人の日プロ入門当時からのストーリーを知っていますから。昔は馬場さんを含めて三羽烏と呼ばれた2人が喧嘩腰でやりあい、猪木さんが初めてリングで涙を見せてね。
    ――猪木さんの“キラー”と呼ばれる部分はどう見えてたんですか?
    小佐野 全日本は豪華外国人レスラーがたくさん来るんだけど、不透明決着が多かったんですよ。まあ、出落ちみたいなもんですよね(笑)。
    ――それもまた昭和プロレスというか(笑)。
    小佐野 全日本にも試合内容を期待してるんだけど、「……やっぱりな」っていう展開が多い。たとえば全日本で馬場さんと小林さんがやっても完全決着はつかなかったんじゃないかって思うし、ファンからすれば「まあ、そうだよね」って変に納得してしまう。でも、新日本の場合は違うんですよ。新日本の場合は「こうなるだろうな」って考える裏を突いてくる。全日本と比べて新日本はハミ出してくるし、「こんなことをしちゃっていいの?」ということを猪木さんは平気でやっちゃうんですよ。
    ――その頃からファンの一歩先を行くプロレスだったんですね。
    小佐野 地上波のゴールデンタイム中継でアナウンサーが「放送時間いっぱいです、さようなら!」って猪木さんの試合が終わらないまま番組が終わってしまう。コマーシャルがいくつか流れて、再び試合会場が映って提供クレジットが映される中、「ダーッ!」と雄叫びを上げている猪木さんの姿がチラッと見える。視聴者には何が起きてるのかはわからない。絶対にテレビの尺に収めないアントニオ猪木がいたはずだし、会場で見たくなりますよね。
    この続きと、桜庭和志殿堂入り、朱里UFC、破壊王伝説、大矢剛功、メイウェザーvsマクレガー特集…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-07-01 00:00  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスマスコミの御大が語るプロレス取材の難しさ」です! 
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    ――今回は「プロレスラー取材の難しさ」についてお伺いします。小佐野さんはGスピリッツなどでオールドレスラーや関係者にインタビューされていますが……たとえば定説とは異なる話を相手がしてくるケースはありますか?
    小佐野 事実じゃないというか、思い違いや、記憶が前後しているケースはけっこうあるよね。だからGスピで大変なのは事前調査なんですよ。相手に昔のことを思い出してもらうために、その材料をいっぱい提供してあげないといけない。
    ――そうすると相手も思い出してくるんですね。
    小佐野 あと重要なのは、その時間を共有していることですね。たとえばどんなに資料で調べたり、俯瞰して振り返っても、その時代のことを知らないと当時の熱はわからないと思う。それは実際に見ていないから。
    ――そういえば以前このコーナーで「大木金太郎」をテーマにお願いしたら断られましたね(笑)。
    小佐野 大木さんのことは知らないわけじゃないですけど、取材をしたことないですし(苦笑)。それは力道山時代も同じです。なぜあのとき日本国民が力道山に熱狂したのかは、知識はあっても理解はできていないんです。でも、それは仕方のないことなんだけどね。そんなことを言い出したら何も物を書けなくなってしまうから。
    ――最近は業界外の方がプロレスをテーマに扱うケースが多いんですが、ファンのあいだで議論になるんですね。
    小佐野 業界外の方が書くと賛否両論になるはずなんですよ。業界外の人間が書いたから「これが真実だ!」と褒める人もいれば、古くからのマニアは「何も知らないじゃないか」と批判する。プロレスラーって業界外の取材には良くも悪くも構えるところがあるんですよ。カッコつけて大袈裟に言ったり、丁寧になったり。
    ――逆に業界内の人間じゃないと取材を受けないケースもありますよね。たとえば馬場さんの側近で、WWEのエージェントも務めた佐藤昭雄さんとか。
    小佐野 昭雄さんは業界内の人間の取材すら受けないです。基本的にプロレス業界の人と付き合わないから。あの人がプロレス界から足を洗ったのは97年1月。最後はFFFという団体に関わってたんですね。
    ――バイク便会社にオーナーとなった幻のインディ統一機構ですね。
    小佐野 旗揚げ前に潰れちゃってね。そのときに昭雄さんは「こんな素人に騙されたんじゃ焼きが回ったな」ってことで身を引いたんです。「鏡を見たときに普通に歩いてる自分がいたから、身体が壊れる前にやめよう」と。プロレスをやっていると、みんな腰やヒザが悪くなるでしょ。いい区切りだということで業界と縁を切って全然連絡が取れなくなったんです。
    ――小佐野さんとも連絡は取れなくなったんですか?
    小佐野 取れない時期がありました。アメリカの昭雄さんの自宅に『週刊ゴング』を送っていたんだけど、編集部に連絡があって「もう送ってこなくていい。じゃあ小佐野くん元気でね」と電話を切られたきり10年くらい連絡が途絶えたんです。
    ――徹底してますねぇ。
    小佐野 手紙を送っても返事はなし。そうしたら「カリフラワー・アレイ・クラブ」というアメリカのレスラー親睦会があるでしょ。そこに出席していた昭雄さんとNOAHの仲田龍氏が会ったんです。昭雄さんはJ・J・ディロンから「ひさしぶりに顔を出さないか」って誘われて「昔の仲間の前ならいいか」って出席したみたいで。そこで仲田龍氏は昭雄さんの現在の連絡先を聞いて。
    ――そこで消息が掴めたんですね。
    小佐野 「個人的に話がしたい」と仲田龍氏を通したらオッケーの返事が来て。まずプライベートの近況を交換して「じつは取材をしたいんです」とお願いしたら「日本語のリハビリを兼ねて小佐野くんならいいか」ってことで。アメリカでは全然日本語をしゃべってないから。
    ――旧知の小佐野さんだから取材はオッケーだったんですか?
    小佐野 ちゃんと馬場さんと昭雄さんの関係がわかってる人ならということだよね。でも、みんなリタイアしちゃってるから現役のマスコミではもういないんですよ。馬場さんと昭雄さんの関係を知っていないと、冗談めかしに言ったものをそのまま書かれたら悪口に読めてしまう場合もある。そうなったら昭雄さんとしても困るんですよ。もともと2人は師弟関係だったけど、昭雄さんが全日本のブッカーになって、立場的に対等とは言わないけども、付き人の昭雄から佐藤昭雄となった。そして昭雄さんがWWF(現WWE)の窓口になってからはまた関係も変わったわけだから。
    ――いままでの上司と部下の関係ではなくなってきますね。
    小佐野 「馬場さんが俺にどういう感情を持っていたか、俺が馬場さんにどういう感情を持っていたか。俺と馬場さんの関係を知っていれば、言わんとしてることはわかると思うけど」と。けっこうシニカルな表現をする人なので、そこで誤解されたくないんですね。それほどあの人にとって馬場さんは大切な人だし、ジャイアント馬場のことを知り尽くしている。正しいニュアンスで伝えてくれないと困るというわけですね。
    ――プロレスの場合は、リング上の表現も難しいですよね。
    小佐野 昭雄さんは「世界チャンピオンになるレスラーは相手の腕を取って、いかに暇つぶしができるかだ」と言うんです。その意味をちゃんとわからないと難しいでしょ。それはただ時間をやり過ごしてるわけじゃなくて、そのやり過ごし方が重要なのであって。
    ――プロレスというジャンルをよく知ってないと誤解を招きますね。 
  • プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-06-29 19:24  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスマスコミの御大が語るプロレス取材の難しさ」です! 
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    ――今回は「プロレスラー取材の難しさ」についてお伺いします。小佐野さんはGスピリッツなどでオールドレスラーや関係者にインタビューされていますが……たとえば定説とは異なる話を相手がしてくるケースはありますか?
    小佐野 事実じゃないというか、思い違いや、記憶が前後しているケースはけっこうあるよね。だからGスピで大変なのは事前調査なんですよ。相手に昔のことを思い出してもらうために、その材料をいっぱい提供してあげないといけない。
    ――そうすると相手も思い出してくるんですね。
    小佐野 あと重要なのは、その時間を共有していることですね。たとえばどんなに資料で調べたり、俯瞰して振り返っても、その時代のことを知らないと当時の熱はわからないと思う。それは実際に見ていないから。
    ――そういえば以前このコーナーで「大木金太郎」をテーマにお願いしたら断られましたね(笑)。
    小佐野 大木さんのことは知らないわけじゃないですけど、取材をしたことないですし(苦笑)。それは力道山時代も同じです。なぜあのとき日本国民が力道山に熱狂したのかは、知識はあっても理解はできていないんです。でも、それは仕方のないことなんだけどね。そんなことを言い出したら何も物を書けなくなってしまうから。
    ――最近は業界外の方がプロレスをテーマに扱うケースが多いんですが、ファンのあいだで議論になるんですね。
    小佐野 業界外の方が書くと賛否両論になるはずなんですよ。業界外の人間が書いたから「これが真実だ!」と褒める人もいれば、古くからのマニアは「何も知らないじゃないか」と批判する。プロレスラーって業界外の取材には良くも悪くも構えるところがあるんですよ。カッコつけて大袈裟に言ったり、丁寧になったり。
    ――逆に業界内の人間じゃないと取材を受けないケースもありますよね。たとえば馬場さんの側近で、WWEのエージェントも務めた佐藤昭雄さんとか。
    小佐野 昭雄さんは業界内の人間の取材すら受けないです。基本的にプロレス業界の人と付き合わないから。あの人がプロレス界から足を洗ったのは97年1月。最後はFFFという団体に関わってたんですね。
    ――バイク便会社にオーナーとなった幻のインディ統一機構ですね。
    小佐野 旗揚げ前に潰れちゃってね。そのときに昭雄さんは「こんな素人に騙されたんじゃ焼きが回ったな」ってことで身を引いたんです。「鏡を見たときに普通に歩いてる自分がいたから、身体が壊れる前にやめよう」と。プロレスをやっていると、みんな腰やヒザが悪くなるでしょ。いい区切りだということで業界と縁を切って全然連絡が取れなくなったんです。
    ――小佐野さんとも連絡は取れなくなったんですか?
    小佐野 取れない時期がありました。アメリカの昭雄さんの自宅に『週刊ゴング』を送っていたんだけど、編集部に連絡があって「もう送ってこなくていい。じゃあ小佐野くん元気でね」と電話を切られたきり10年くらい連絡が途絶えたんです。
    ――徹底してますねぇ。
    小佐野 手紙を送っても返事はなし。そうしたら「カリフラワー・アレイ・クラブ」というアメリカのレスラー親睦会があるでしょ。そこに出席していた昭雄さんとNOAHの仲田龍氏が会ったんです。昭雄さんはJ・J・ディロンから「ひさしぶりに顔を出さないか」って誘われて「昔の仲間の前ならいいか」って出席したみたいで。そこで仲田龍氏は昭雄さんの現在の連絡先を聞いて。
    ――そこで消息が掴めたんですね。
    小佐野 「個人的に話がしたい」と仲田龍氏を通したらオッケーの返事が来て。まずプライベートの近況を交換して「じつは取材をしたいんです」とお願いしたら「日本語のリハビリを兼ねて小佐野くんならいいか」ってことで。アメリカでは全然日本語をしゃべってないから。
    ――旧知の小佐野さんだから取材はオッケーだったんですか?
    小佐野 ちゃんと馬場さんと昭雄さんの関係がわかってる人ならということだよね。でも、みんなリタイアしちゃってるから現役のマスコミではもういないんですよ。馬場さんと昭雄さんの関係を知っていないと、冗談めかしに言ったものをそのまま書かれたら悪口に読めてしまう場合もある。そうなったら昭雄さんとしても困るんですよ。もともと2人は師弟関係だったけど、昭雄さんが全日本のブッカーになって、立場的に対等とは言わないけども、付き人の昭雄から佐藤昭雄となった。そして昭雄さんがWWF(現WWE)の窓口になってからはまた関係も変わったわけだから。
    ――いままでの上司と部下の関係ではなくなってきますね。
    小佐野 「馬場さんが俺にどういう感情を持っていたか、俺が馬場さんにどういう感情を持っていたか。俺と馬場さんの関係を知っていれば、言わんとしてることはわかると思うけど」と。けっこうシニカルな表現をする人なので、そこで誤解されたくないんですね。それほどあの人にとって馬場さんは大切な人だし、ジャイアント馬場のことを知り尽くしている。正しいニュアンスで伝えてくれないと困るというわけですね。
    ――プロレスの場合は、リング上の表現も難しいですよね。
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    ――プロレスというジャンルをよく知ってないと誤解を招きますね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! 
  • 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-05-01 00:00  
    70pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは高山善廣です!  イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”――今月のテーマは「帝王」こと高山善廣選手についてお伺いします!
    小佐野 彼の試合をよく見るようになったのはゴールデン・カップスからですね。
    ――Uインター時代の高山さんが安生洋二や山本喧一と組んでいたユニットですね。
    小佐野 Uインターの経営が大変だったから外貨を稼いでいたんだろうけど、ゴールデン・カップスは天龍(源一郎)さんのWARや、石川(孝志)さんの東京プロレスに上がるようになったでしょ。初めはUインターの選手だからUWF志向だと思ってたんですよ。そうしたら頭が凄く柔らかい人で。だって冬木軍との抗争は生卵や生ダコなんかまで使ってるわけだからね(笑)。
    ――ハハハハハハ! 
    小佐野 アレはくだらなかったなあ(笑)。本人は当時を振り返って「イヤなときもあったけど、勉強だと思っていた」と言っていたけど、「U系の選手なのにこういうことができる人なんだ」という感想はあったよね。
    ――高山さんはゴールデン・カップスでUスタイル以外のプロレスに触れることができたんですね。
    小佐野 彼らはイス攻撃なんかやったことないでしょ。ヤマケンが「イス大王」の栗栖(正伸)さんのことをイスでぶっ叩いたら、栗栖さんがもの凄くキレるというね(笑)。
    ――「イス大王」にイス攻撃って怖いもの知らずですよ(笑)。
    小佐野 やったことないからイスの使い方がしょっぱかったんだと思う。「テメエ、ナメるなよ!!(怒)」って非常にマズイ状況になって。
    ――ひえ〜。
    小佐野 東京プロレスって銀座のスコッチバンクというお店で打ち上げをやってたんですけど、その場でヤマケンが栗栖さんに「すいませんでした!」って謝ったんです。栗栖さんも「いいのいいの。しょうがないね。俺も大人気なかったよ」ってのことでノーサイド。
    ――いい話ですね(笑)。
    小佐野 そうやっていろんなことをおぼえていくわけだけど、リーダーの安生の存在も大きかったよね。安生は新人の頃は新日本プロレスにいたし、プロレス的センスを持っていたから。高山やヤマケンは安生の姿を見て勉強したところもあったと思う。「こうすればお客が喜ぶ、ここまでやってありなんだ」とか。それで冬木軍と絡むわけでしょ?
    ――これも勉強のしがいがありますねぇ。
    小佐野 冬木軍はもの凄く考えて試合をやってたから。ちょっと上から目線な言い方になっちゃうけど、冬木軍と絡んだら「プロレスとはこういうものなんだ」と理解できるんじゃないかなって気がした。先々どうなるかはわからないけど、この人たちがプロレスラーとしてやっていくのであればゴールデン・カップスはありなんだろうなと。頭の中身を広げるというか、幅を広げる訓練の場所だったんじゃないかな。あのときの経験があったから「帝王・高山善廣」があるような気がする。
    ――UWFインター消滅後はキングダムに移籍しますが、そのキングダムもなくなります。その後の判断がプロレスラーとしての運命を大きく変えていきますね。
    小佐野 新たな主戦場に全日本プロレスを選んだのは彼のセンスですよね。あそこでもし新日本を選んでいたら、その後の人生は大きく違っていたよ。
    ――高山さんは新日本も選べたんですか?
    小佐野 本人に聞いたら「新日本に行きたいと言えば行けたと思う」と。そこは鈴木健さん(元UWFインター取締役)と永島さん(勝司、元新日本プロレス取締役)の関係があったから。
    ――対抗戦のときから繋がりがありましたもんね。
    小佐野 「あのときの新日本に行ったらnWoに入れられたんじゃないか。そうしたら蝶野さんの子分で終わっていた」と。高山はUインターの神宮球場大会で全日本の川田(利明)と試合をしたでしょ。
    ――「鎖国主義」だった当時の全日本がU系団体に選手を派遣したことはビッグニュースでしたね。試合も凄かったですし。
    小佐野 だったら川田のいる全日本に行ったほうがインパクトがあるんじゃないか、存在価値があるんじゃないかと考えたそうです。新日本のnWoだと蝶野、天山(広吉)の次に据えられるし。あの頃の蝶野人気はダントツだったから追い抜くのはなかなか難しい。
    ――それに新日本には対抗戦のときに上がってますから、そこまでの新鮮さはないですよね。
    小佐野 全日本の場合は初参戦だし、全日本ファンなら川田との試合を知ってるから「あの高山がリベンジで殴り込んできた!」となる。フリー参戦だから大物外国人のような雰囲気で乗り込んでいけるんですよ。
     
  • 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-04-06 11:50  
    65pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは鈴木みのるです!  イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信――小佐野さんは鈴木みのるがプロレスのリングに戻ってくると思ってました?
    小佐野 まったく思ってなかった。
    ――断言(笑)。
    小佐野 いやあ、ホントに思ってなかったですよ(笑)。そもそも鈴木みのるとはそんなに接点がなかったんです。彼が新日本プロレスに入門したのは87年頃でしょ。その頃の私は全日本プロレス担当だから若手時代の鈴木みのるのことは知らない。個人的に話しかけられたのはパンクラスの頃かな。
    ――それまでは接触はなかったんですね。
    小佐野 それまでは試合後の囲みなんかを「ああ、イヤな奴だな……」と思いながら見てたんですよ(笑)。
    ――本当に世界一性格が悪かった!!
    小佐野 新生UWFや藤原組時代は最悪だったんじゃない。最悪だったよ、本当に(苦笑)。
    ――ハハハハハハ! 二度繰り返した(笑)。
    小佐野 囲みで「今日の試合わかりましたぁ?」とか上から目線で言ったり、トンチンカンな質問をする記者には明らかに小馬鹿にした態度を取るわけですよ。
    ――まだ20代でイケイケだったわけですもんねぇ。
    小佐野 本人も「あの時代が一番生意気だった」といまになって振り返るけども、当時はお金も良かったでしょ。「べつに客なんか、マスコミなんか……」という態度で「わかる奴だけが見ればいい」という感じだったんでしょうね。だから「……好かないな」とは思ってて、こっちから話を聞こうとはしなかった。
    ――それがパンクラスのときに向こうから話しかけられたんですね。
    小佐野 あれはパンクラスの3周年か5周年パーティーだったと思うんだけども。そのときに「これからも頑張りますのでよろしくお願いします」と挨拶されたんですよ。「えっ、“あの”鈴木みのるから挨拶された」って驚きました。 
    ――何があったんですかね?
    小佐野 パンクラスでもトップを取ったけども、勝てない時期があったじゃないですか。落ち目になってるときで弱気になってたこともあったのかなあ。鈴木みのると違って船木とは普通に喋ったりしたんですよ。
    ――船木さんも当時はかなりギラギラしてたと思うんですけども。
    小佐野 それでもやっぱり団体のトップだから、マスコミの接し方が大人なんですよ。鈴木みのるとちゃんと喋るようになったのはプロレスに戻ってきてから。フリーとして新日本に復帰した鈴木みのるがNOAHに参戦したでしょ。佐野(巧真)と一騎打ちをすることになったんだけど、2人は藤原組時代にNKホールで素晴らしい試合をしたことがある。もうそのことを覚えてる記者もいないこともあって、そんな話を振ったら「今度ゆっくり話しましょうよ」なんて声をかけられて。
    ――それは取材抜きですか。
    小佐野 取材抜きで雑談。「小橋健太は本当に凄い」とかそういう話をするんですよ。「あそこまでベビーフェイスに徹することはなかなかできない。例えば俺が誰かを挑発すると普通は汚い言葉で返してくるけど、汚い言葉は俺のほうが得意だから相手は勝てない。でも、小橋建太は絶対に汚い言葉で返してこない。どんなに挑発しても“ファンのみんなのため……”を繰り返す。これはなかなかできない」と。
    ――相手を冷静に分析してるんですね。
    小佐野 そういうプロレスのウンチクの話を鈴木みのるとするのが楽しくなりましたね。鈴木みのるが好きになりました(笑)。彼はもともとプロレスファンでしょ。一番最初にハマったのはテリー・ファンク。横浜文体でテリーvsリック・フレアーのNWA世界タイトルマッチがあったときも見に行ったそうですし、ファンクスvsブッチャー&シークからハマった世代。ブルーザー・ブロディのことも好きだったし、その次がアントニオ猪木。猪木さんがホーガンに失神KO負けしたとき中学3年生だったんだけど、「猪木の敵を討つのは俺だ!」って決意したという。
    ――高校でレスリングを始めて新日本プロレスに入って。
    小佐野 根っからのプロレス少年が新日本プロレスに入って、強さに目覚め、UWF、藤原組、パンクラスと極限の方向に向かっていった。当時あれだけプロレスを否定するような言動していたのに、プロレス界に戻ってくることは凄く勇気がいったと思うんですよ。「なんでプロレスをやってるの?」と突っ込まれるのは明らか。それを乗り越えてプロレスのリングに戻ってきたのは、やっぱり根っこがプロレス好きなんだろうと思うし、鈴木みのるにとっては格闘技からプロレスを俯瞰することができたんじゃないかと思うんですよね。
    ――プロレスから離れたことで何か見えたものがあったかもしれない。パンクラス時代も完全競技の世界なのに、船木と鈴木の2人は自分の個性を魅せようという試合をしてたんですよね。
    小佐野 ですよね。船木と鈴木は明らかに他の選手とは違ってた。やっぱりプロレスの世界から入った人なんだという華があったし、元はプロレスラーなんですよね。鈴木みのるは新人の頃、目立とうという計算から、みんな黒パンツをなのに一人だけ青パンツを履いて星野(勘太郎)さんに怒られたそうなんだけど(笑)。
    ――中邑真輔にも似たようなエピソードがありましたね(笑)。
    小佐野 鈴木みのるは猪木さんの付き人のとき、エプロンでガウンを受け取る自分の姿がテレビにどう映るかも研究していたらしいですよ。そして「猪木さんからいろんな細かいことを自然に教わった。何を教わったかは他人には言えない」と自分の財産にしてるんですね。 
    ――だからパンクラスでも本能的にプロレスラーっぽい振る舞いをしてしまう。
    小佐野 身に付いちゃってるんでしょう。パンクラスのときも、いかにも意地悪そうな表情だったじゃないですか。“世界一性格の悪い男”はあの時代から引き継いでるものですよね。
    ――プロレス復帰以降の鈴木みのるはどう見えましたか?
    小佐野 「アンタにわかるの? わからないのに来るなよ」という姿勢が「わからせなきゃダメ」に変わってましたね。わかってもらえないことはやる意味がないと。結局お金を払ってるお客さんを満足させなきゃいけない。自己満足したって自分自身はお客じゃないわけだから意味がない。わからない人間が見ても面白くないといけないという方向に変わっていった。わかる・わからないかは関係ない。面白いか面白くないかだと。
    ――それはかつての自分の生き方を反省して。
    小佐野 それもあるんだろうけど、根っこが猪木さんで藤原さんやゴッチさんの教えを受けたわけでしょ。プロレスに戻ってから天龍さんや全日本プロレスの考えが吸収できたことも大きい。初めはNOAHであまりいい試合にならなくて、やっぱり噛み合わない。新日本と全日本、根本的に異なる文化のプロレスだから噛み合うわけないですよね。それが新日本のリングで天龍さんと戦ったり、タッグを組んだり、話をしたりすることによってだんだんと理解していった。
    ――新日本と全日本のプロレスはそこまで違うものだったんですね。
    小佐野 新日本のプロレスラーは基本的に「アレをやりたい、コレをやりたい」なんですよ。全日本の場合はよく「受けのプロレス」と言われがちですが、それは相手の技を受けてるから「受けのプロレス」なんじゃなくて、相手に何をさせたら面白くなるかだから「受けのプロレス」なんです。
    ――相手の力を引き出すというか。
    小佐野 パンクラスの頃の鈴木みのるは相手の光を消す。それは格闘技ではあたりまえですよね。そうじゃないと勝てないわけですから。でも、プロレスでそういうやり方をしても、お客さんが望んでいないときも当然出てくる。全日本の場合は相手を光らせることによって、自分も光って最終的においしい思いをするのが「受けのプロレス」なんです。その考えを鈴木みのるは理解できたんだと思う。この続きと、フミ斎藤や金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-03-20 22:45  
    76pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは全日本プロレス一筋、渕正信です!
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!――今回のテーマは全日本プロレス一筋、渕正信選手です!
    小佐野 私が渕さんを初めて取材したのは、渕さんの海外武者修行先だったテネシー州ナッシュビルなんですよ。私は大学生のときから『ゴング』で仕事をしていたんですけど、1981年の夏にアメリカのテリトリーを3週間回っていて。ナッシュビルに行く前はダラスにいたんです。
    ――フリッツ・フォン・エリックの鉄の爪王国ですね。
    小佐野 そのときはカブキさんがメインイベンターで、上田馬之助さんも「テングー」というリングネームで試合に出ていて。興行が終わったあと上田さんに車でダラスのバス停まで送ってもらって。そこからバスの中で一晩過ごしてナッシュビルに着いたんです。
    ――旅慣れてる感じがしますね(笑)。
    小佐野 アメリカのプロレスが好きだったからどこにどの州があるのかはだいたいは知っていたけど、距離感はまったくわからないですけどね。『地球の歩き方』を一冊持っていただけで、目的地に着いたらイエローページで現地のホテルを調べて電話するか、飛び込みで部屋があるか聞いて。ナッシュビルに着いてからは渕さんと大仁田さんが移動からメシからすべて面倒を見てくれたんです。泊まるところも彼らのアパートだったし。
    ――初めて会った渕さんにはどんな印象が抱きました?
    小佐野 私は『ゴング』に入る前は新日本プロレスのファンクラブをやっていたから、全日本より新日本のレスラーのほうが詳しかったんですけど。渕さんは新日本のレスラーっぽかった。
    ――どういうことですか?
    小佐野 思考が新日本のレスラーに近いんですよ。会話してみると「ギャラが貯まったら、そのうちバーン・ガニアのレスリングキャンプか、フロリダのゴッチさんのところで練習をしたいんだよね」って言うですね。
    ――大仁田さんとは違ったんですか?
    小佐野 大仁田さんはパフォーマーとしての自分を磨いていったから。アメリカンプロレスを研究したのが大仁田厚、レスリングを学んでいたのが渕正信。当時の2人はマサ・フチとミスター・オオニタを名乗っていて、ヒールとしてAWA南部タッグチャンピオンだったんですけど、試合のときは必ず渕さんが先発。なぜかといえば、どんなヒールでも先発で出たら必ずレスリングをやるでしょ。渕さんはレスリングをやりたいから先発だったんです。
    ――そんな渕さんが全日本に入団したのはどういう理由だったんですか?
    小佐野 それは馬場さんの大ファンだったから。渕さんはもの凄いプロレスファンで、当時のプロレス雑誌『プロレス&ボクシング』や『ゴング』なんかも当然読んでいて。八幡大学付属高校では陸上部だったんだけど、3年のときにレスリング部に駆り出されて県大会に出たらいきなり優勝しちゃったそうなんですよね。
    ――キャリア1年で優勝ですか(笑)。
    小佐野 そのまま大学に進んだ年の10月に馬場さんが全日本プロレスを旗揚げしたんです。渕さんからすると、大学のレスリング部はそんなに強くないし、これが運命だと勝手に感じて、馬場さんが全日本を旗揚げする以前…8月に日本プロレスを退団した時点で大学をやめてプロレスラーになることを決めたんですよ。
    ――おもいきりましたねぇ。
    小佐野 あの年代は加山雄三ファンが多いでしょ。福岡から上京した渕さんは湘南のほうに家を借りてね(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    小佐野 アルバイトしながら自己流で身体を鍛えてチャンスを伺って。クリスマスは女の子とデートしたいし、もうちょっと遊びたいから入門するのはあとに伸ばして(笑)。結局73年3月に入門したんです。
    ――簡単に入門できたんですか?
    小佐野 アポなしで全日本の事務所に行ったら事務所の人間に「道場へ行ってください」と言われて。当時の全日本はまだ道場がなくて、恵比寿の山田ジムというキックボクシングジムが練習場。そこへ行ったら、アメリカ修行直前のジャンボ鶴田さんが道場の掃除をしていたんですよ。キックの人たちは夕方から練習するから、昼間は全日本が使っていい。夕方までに掃除をしないといけなかったんですね。
    ――鶴田さんの掃除姿はレアですね(笑)。
    小佐野 2人は同世代だし、渕さんがレスリングをやっていたことを知ると「いまからレスリングをやろう」と誘われて。鶴田さんはオリンピックレスラーだから渕さんはとても相手にはならないんだけど、当時はアマレスやってる人はそんなにいなかったから、鶴田さんは大喜びで。帰り道にラーメンをおごってくれて「これからボクはアメリカに行ってしまうけど、日本に戻ってくるまで必ずいてね」と。それで入門です。
    ――入門できたのは鶴田さんなんですね(笑)。
    小佐野 そこは鶴田さんが口添えしてくれたんだと思う。当時はまだ寮もなかったから、全日本が目白のマンションを借りていたのかな。佐藤昭雄さん、鶴田さんが住んでいたところに渕さんも加わって。だから全日本入門第1号は鶴田さん、2号は渕さん。でも、公式的には入門第2号は大仁田厚ということになってるんでしょ
    ――そういえば!
    小佐野 渕さんは大仁田さんより先に入門してるんですよ。でも、どうして大仁田さんが第2号の扱いになってるかというと、渕さんは一度全日本をやめてるんです。
    ――出戻りなんですか。
    小佐野 渕さんは入門してすぐ巡業に連れて行かれて、バトルロイヤルにも出てるんです。タイツはまだ作ってなかったから百田光雄さんのものを借りたのかな。その巡業の途中に渕さんのお父さんが脳溢血で倒れたという連絡が入り、実家の福岡に帰ることになった。馬場さんも「父親の容態が良くなったら戻ってこい」ということで、それでいったんやめたんです。ところが実家に戻ってみたら、お父さんの容態はそんなに大したことはなくて。お父さんとしては渕さんを大学に戻したかったみたいですね。
    ――方便だったんですね(笑)。
    小佐野 そうそう(笑)。渕さんは2〜3ヵ月かけてお父さんを説得して、また上京したんです。いきなり全日本に戻るのはバツが悪いから、再び湘南に住んでアルバイト生活。前に入門した同じ時期の74年3月にもう一度全日本に入ったんですよね。
    ――再入門は許されたんですか?
    小佐野 そのときはテストを受けたそうですね。その頃はマシオ駒さんが道場のコーチをやっていて。「何時に道場に来い」と言われたんですけど、春闘のストに巻き込まれて遅刻しちゃったんですよ。
    ――それはマズイですね……。
    小佐野 マシオ駒さんから「何をやってたんだ!?」といきなりブン殴られて。そのあとスクワット500回やらされて、100回ブン投げられて受け身を取らされて、それで再入門オッケー。
    ――テスト前に殴られるって凄いですね(笑)。
    小佐野 100回投げられるのも大変ですよ。その模様を見ていた大仁田さんは「……死ぬんじゃないか」って震えていたそうですし(笑)。正式デビューは大仁田さんのほうが早くて、その数日後に渕さんが大仁田さん相手にデビュー。その年に夏にハル薗田さんが入門して、3人が三羽烏と呼ばれるようになったんです。渕さんにとって幸せだったのは一流外国人レスラーが全日本にたくさん来ていたこと。ビル・ロビンソンや、レスリングが強かったアイアン・シークたちに教えてもらえたんですね。
    ――素晴らしい環境だったんですね。
    小佐野 ロビンソンは鶴田さんにも教えていて、興行開始のリング上でガチンコの練習もやっていたんですよ。
    ――鶴田さんとロビンソンのスパー! 
    小佐野 たまに渕さんもその中に入ってサブミッションの教わってたそうですけど。かなり大変だったと言ってましたね。
    ――全日本にもそういう場があったんですねぇ。
    小佐野 だから渕さんも自信があったんでしょうね。渕さんは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』にも出てきた岩釣(兼生)さんともスパーリングをやってましたから。
    ――木村政彦の弟子ですね。
    小佐野 岩釣さんは馬場さんに挑戦にしてきたけど、「全日本に入門する、しない」というの話になったでしょ。山田ジムで渕さんと岩釣さんがスパーすることになって、馬場さんは「おまえが負けたら俺がやらないといけなくなっちゃいんだよなあ……」と言っていたから、渕さんは「絶対に負けちゃいけない」と意気込んで。それで5分間やって引き分け。
    ――岩釣さん相手に。
    小佐野 やっぱり柔道家は裸のレスリングは慣れていないし、プロレスラーはスタミナが凄いでしょ。頑張れちゃうんですよ。岩釣さんは「プロレスって大変なんですね」って言って帰ったみたいで。
    ――渕さん、やりますねぇ。
    小佐野 馬場さんはもしかしたら岩釣さんと渕さんのスパーに血が騒いだのか、珍しく「おい、やるか」ってことで渕さんとスパーリングをやったそうなんです。馬場さんに首根っこを掴まれた渕さんはキャンバスに寝かされ、顔面に肘打ちを食らって鼻血を出して、腕を極められて……。
    ――キラー馬場!
    小佐野 馬場さんは「悪かった悪かった」と。そんなことが1回だけあったそうですよ。やっぱり馬場さんは身体が大きいから、いったん押さえつけられるともう動くことはできないって。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-02-21 12:18  
    108pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは輪島、北尾、曙……「プロレスラーになった横綱たち」です!
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    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    ――輪島、北尾光司、曙……今回のテーマは「横綱のプロレス転向」ですが、相撲出身のプロレスラーはあまりいいイメージを持たれていないんですね。日本のプロレスの始まりは元関脇の力道山で、いまでもプロレスと相撲は密接な関係なんですけど。
    小佐野 そういうイメージがついちゃってるよね。それは安田忠夫を筆頭にみんなナマクラというかね(笑)。
    ――愛すべきグウタラさんが多いですね(笑)。
    小佐野 田上明も全然練習しないからデビューが遅れちゃって、馬場さんが「誰かアイツのケツを叩いてくれ……」ってボヤいていたくらいですから(笑)。
    ――デビュー前から“大物”ですねぇ。
    小佐野 いつのまにか(アビドーラ・ザ・)ブッチャーのパシリになっていて「あの黒い人がコーヒーを買ってこいって言うんですよ〜」って(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 相撲出身で言えば当時は高木功さんもいましたよね。
    小佐野 嵐こと高木功ね。絶対に三冠王者になれる才能はあったんですけどねぇ。あの巨体であんなにドロップキックがうまい選手は見たことなかったから。デビューして1ヵ月足らずでニューオリンズの世界タッグ五輪に馬場さんのパートーナーとして抜擢されたくらいですし。
    ――横綱のプロレス転向でいえば最初は東富士ですよね?
    小佐野 あの人の場合は、力道山の抑止力としてプロレス界にやってきたみたいなところはあるからね。
    ――抑止力ですか?
    小佐野 力道山のブレーンで相撲界に顔が利く人がいて、力道山にわがまま放題させないために横綱の東富士を入れたという。力道山は関脇だったから、さすがに横綱のことは立てなきゃいけないでしょう。……という記事を読んだことがある。
    ――輪島さんは東富士以来の横綱プロレス転向なんですね。
    小佐野 輪島さんの全日本プロレス入りはビッグニュースで、ニッカンスポーツが一面でスクープしたんです。あの当時プロレスを扱っていたのは朝刊はデイリースポーツ、夕刊で東スポ。ニッカンスポーツは地方版ではプロレスを扱ってたんです。
    ――地方版だけですか。
    小佐野 その理由はわからないけど、輪島さんのプロレス入りを一面にしてからは正式に全国版でもプロレスを扱うことになって、ほかのスポーツ紙もニッカンに続いたんですよね。
    ――輪島プロレス転向にはそれくらいのインパクトがあったということですね。
    小佐野 だいたい横綱自体が今回の稀勢の里で72人しかいない。その中でも輪島さんは別格の存在でしたから。私は子供の頃に輪島さん、貴乃花、北の湖の取り組みをテレビで見ていたから「あの輪島さんがプロレスに来るんだ!」という感覚ですよ。
    ――輪島さんは型破りな横綱だったんですよね。
    小佐野 リンカーンで国技館に乗り付けたりね(笑)。金色のまわしという時点で異色だし、単なる横綱ではなかったんですね。野球で言えば王さん長嶋さんが別格だったように、相撲ファンじゃなくても日本人なら誰でも知ってる存在、それが輪島さんだったんですよ。
    ――輪島さんは引退後は親方になりましたが、借金問題等で廃業。プロレスに転向します。
    小佐野 借金で相撲界を追われてプロレス界にやってくる。しかも38歳という年齢。マスコミ的には“堕ちた英雄”というスキャンダルとして取り上げたところもありましたね。
    ――どうしてもお金に困ってのプロレス参戦……というように見えちゃいますね。
    小佐野 でも、実際は借金が理由じゃないんですよ。お金なんか二の次だったと思う。
    ――あ、そうなんですか。
    小佐野 輪島さんがプロレス界に転向したのは、演歌歌手の五木ひろしのお兄さんが薦めたんですよ。お兄さんは五木プロモーションの代表で、輪島さんの支援者のひとり。「もう一度、男になるにはプロレスがいいんじゃないか」ってことで輪島さんに話をしたんですよね。
    ――プロレス転向はメンツの問題だったんですね。
    小佐野 ダーティーなイメージを覆したい、もう一旗揚げたい……という気持ちが強かったんだと思います。借金は借金であったけど、輪島さんには後援者がいっぱいいるから。天下の横綱ですし、日大相撲部の人脈はやっぱり凄いんですからね。
    ――なんとか生活はできちゃうもんなんですね。さすが横綱!
    小佐野 それで輪島さんは花籠部屋の後輩で全日本プロレスにいた石川(孝志)さんに相談したんです。「孝志、どうだプロレスは?」「横綱なら大丈夫ですよ」ということで、石川さんは馬場さんに話を持っていった。あいだに誰も入ってなかったから話は早いですよね。
    ――馬場さんからすると急転直下ですねぇ。
    小佐野 世間的にはダーティーなイメージがありましたから、「さあ、どうしよう?」とは考えたんでしょうけど。それに年齢的なこともあるし、現役から時間が経っててかなり痩せちゃっている。当時のお相撲さんはいまのようにそこまで身体は大きくないんですけど、それでも輪島さんは現役時代130キロくらいあった。入団発表記者会見のときは100キロと言ってたんだけど、じつは80キロ後半しかなかったんです。
    ――ジュニアヘビー級!(笑)。
    小佐野 4月に入団発表して1週間後にアメリカに渡ったんですが、雑音を避けて練習ができるようにしたことは大正解でしたね。私は5月にはハワイでトレーニングしているところを取材したんですが、輪島さんがどこに住んでるかは教えてくれない。取材できるのは練習してるときだけ。それに上半身は絶対に裸にはならない。
    ――まだ身体ができてなかったんですね。しかしガードが固いですねぇ。
    小佐野 脱いだのは5月の終わりか6月。それまでは一切裸にならなかったです。裸にならないからビーチを走ってる姿を撮ったりするしかなかったんですけど、一度だけビーチで相撲を取ってる写真をお願いしたんです。そうしたら仕切るときの輪島さんの目つきが凄かった。「ああ、これが輪島なんだ!!この目つきがプロレスで出せればいけるかも……」って思いました。
    ――さすが只者じゃない。
    小佐野 ハワイでは石川さんが輪島さんに付きっきりで練習してたんですよ。そこが輪島さんにとって大きかったと思う。というのは、相撲からプロレスに来た人がどこで壁にぶつかるのか、何が難しいのかを石川さんは体験してるから。
    ――石川さんも相撲から転向してるわけですもんね。
    小佐野 だから輪島さんにプロレスを教えることができるんですよね。輪島さんにはいろんなコーチがついたけど、最初に石川さんに教わったことは大きいです。ハワイではボクシングジムで練習してたんですけど、ボクシングのリングは硬いでしょ。受け身の練習をするとかなり痛い。受け身を取ることが怖くなってしまうんですよ。そこで石川さんがどうしかたといえば、そのとき住んでいたコンドミニアムのベッドの上で受け身の練習をやらせたんです。恐怖心で力が抜けない輪島さんに、柔らかいベッドの上で受け身を取らせて。
    ――石川さん、優秀なコーチだったんですね。
    小佐野 あの年齢からすべてをおぼえるのは無理だから最低限のことはできるようにしたそうです。プロレスってロープを使えると戦いの幅が広がる。ロープワークと受け身だけは重点的に練習したんですね。あとウエイトトレーニングもしっかりやって、1ヶ月半で20キロ増やして、最終的には127キロまで戻しましたからね。
    ――凄い!!(笑)。
    小佐野 輪島さんは筋肉質でお相撲さん体型じゃないので、ただ太ったわけじゃない。しっかり練習して、たくさん食べて、本人も「いやあ、内臓が強くて良かったわ」って。
    ――真面目に取り組んでいたからこそですね。
    小佐野 秋にタイガー・ジェット・シンとデビュー戦をやって、すぐアメリカに戻ってまたトレーニング。87年秋から全日本に定期参戦するようになったんですけど、どこの会場に行っても超満員ですよ。みんな輪島さんのことを知ってるから、やっぱり見たいですよね。全日本のテレビ中継も輪島さんのデビュー戦に合わせてゴールデンタイムに復帰。だから輪島さんはプレッシャーだったはずですよ。秋までには、なんとかかたちになってないといけないんだから。
    ――一大プロジェクトだったんですね。
    小佐野 ハワイで石川さんと2ヵ月トレーニングして、そのあとはカンザスのパット・オコナーのところに預けられて、バッファローのデストロイヤー、最後はノースカロライナのネルソン・ロイヤルのレスリングスクール。そこでは若者たちと一緒に通ってたんですね。
    ――たくましいですねぇ(笑)。
    小佐野 ノースカロライナには私も取材に行ったんですけど、英語がまったく喋れない中、一生懸命やってましたよ。そこでは地元のモーテルに泊まってたんです。高級ホテルに住んでいてもいいんだけど、そのモーテルには「東京レストラン」という日本食レストランがあって。輪島さんは日本食しか食べられないですから、その隣の部屋を借りて毎日レストランでご飯を済ませていたんですよね(笑)。
    ――ハハハハハ。
    小佐野 あと輪島さんはベッドで寝られないんですよ。マットを下ろして布団風にして寝る。ベッドの上には演歌のカセットテープが置いてあって、いつも演歌を聞いてるんですけど、日本に電話するときはカントリーミュージックを流し始めるという(笑)。
    ――アメリカに来てるアピールですね(笑)。
    小佐野 あと輪島さんは日本のデビュー戦のビデオを持ちこんでいて、日本人の商社マンなんかがレストランに来るでしょ。部屋に連れ込んで「どうこれ?」ってデビュー戦を見せたがるという。凄く気さくな人なんですよ(笑)。
    ――横綱だからって偉ぶってないんですね。
    小佐野 私は2階に泊まってたんですけど、電話で「おい、おにぎりを握ったから食べに来いよ!」って呼び出されたりもしましたね。
    ――おにぎり?
    小佐野 相撲時代は横綱として何十人と付き人がいたから、ひとりでいるのがさみしい。だから私のことをおにぎりで釣るんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    小佐野 輪島さんは馬場元子さんに炊飯器を買ってもらって、それを修行地に持ち歩いて、自分でお米を炊いておにぎりを作ってたんです。おにぎりを一緒に食べながら時代劇のビデオを見て、輪島さんが眠くなるまでやりすごすという(笑)。
    ――横綱が握るおにぎりは食べてみたい(笑)。
    小佐野 ネルソン・ロイヤルのジムにも自分で握ったおにぎりをお昼ごはんにしてましたから。みんなハンバーガーを食べてる脇でおにぎりを食べてるんですよ(笑)。
    ――借金で泣く泣くプロレスをやってる感じじゃないですね、それは。エンジョイしてる(笑)。
    小佐野 借金のことも聞いたんですよ。「横綱、借金ってどれくらいあるんですか?」って。そうしたら「3億4億でガタガタするなって話なんだよ!」って言われて(笑)。
    ――ハハハハハハ! 
    小佐野 「横綱、3億と4億だと1億も違いますよ!」って返したら「俺もよくわからないっ!」って(笑)。
    ――お金に無頓着な昭和のスターですね。最高です!(笑)。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493