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記事 37件
  • 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2018-02-14 12:10  
    80pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「世界の荒鷲・坂口征二」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。


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    小佐野 坂口さんといえば、プロレス大賞授賞式の乾杯の音頭はずっと坂口さんだったけど、小橋(建太)に代わってね。坂口さんは33年間やってましたからね。
    ――33年もやってましたか(笑)。
    小佐野 坂口さんが日本プロレスで売り出されたとき私は小学3年か4年生だったんですよ。
    ――小学生時代の小佐野さん!! 時の刻みがねじれてる感があります(笑)。
    小佐野 声を大にして言いたいのは、坂口さんはアイドルレスラーの元祖だったんです(笑)。
    ――えっ、あのビッグサカがアイドルレスラー? 
    小佐野 というのは、あの頃の坂口さんは“黄金の若鷲”と呼ばれてまして。馬場さんに継ぐ身体の大きさに加えて、均整の取れた肉体を誇ってて、顔も昔風の美男子。だから“昭和の桃太郎”とも呼ばれてて(笑)。
    ――“昭和の桃太郎”!(笑)。息子さんが人気俳優(坂口憲二)になるのもわかるというか。
    小佐野 日プロ入りした坂口さんは修行先のロサンゼルスでデビューしてて。こんがりと日焼けした日本人プロレスラーの第1号だったんだよね。かつて日本人の憧れだったカルフォルニアのムードもあって。
    ――だからアイドルレスラーの元祖だったんですね。言われてみれば、石原裕次郎の青春映画に出てきそうな雰囲気がありますよね。
    小佐野 そうそう。それにあの頃は馬場さんも猪木さんもコスチュームはガウンだったけど、当時の坂口さんは金のスパンコールのジャンパーがコスチュームだったんです。
    ――へえー、坂口さんはガウンのイメージが強いですけど。
    小佐野 アメリカ武者修行中は、仲の良かった竹内(宏介)さんにしょっちゅう手紙を送ってたみたいで。それがそのまま雑誌の企画になるくらい筆まめだったみたい。
    ――大物柔道家のプロレス転向はインパクトはあったんですよね。
    小佐野 その頃の私は子供だったからよくわからなかったけど、売りは「柔道日本一」だったよね。ジャイアント馬場の後継者になれるかもしれない逸材。いままでの日本人レスラーが使ってなかった技を使って。例えばネックハンギングツリーとか。アトミックドロップも馬場さんを使ってたけども、坂口さんは決め技として使ってね。ショルダーバスターやアルゼンチンバックブリーカーも坂口さんが日本人として初めて使ったんだよね。
    ――超期待の大型新人だったわけですね。
    小佐野 外国人のパワーに負けなくて、ビジュアルもかっこいい。それが坂口征二というプロレスラーのイメージ。猪木さんが日プロから東京プロレスに移籍したときに、日プロが対抗するために坂口さんを獲得したんです。ただ、坂口さんが入った2ヵ月後には猪木さんは日プロに戻ってきちゃったから。
    ――坂口さんは馬場さん、猪木さんに次ぐ三番手の位置づけになったんですね。
    小佐野 坂口さんは年齢的には猪木さんよりひとつ上なんだけど、猪木さんには“力道山の弟子”という血筋があるでしょ。坂口さんは柔道界からスカウトされたプロレスラーだし、猪木さんのほうが格上に見えちゃうよね。やっぱり馬場さん、猪木さんとは7年もキャリアが違うから。
    ――やっぱり力道山直系の肩書きは強いんですねぇ。
    小佐野 そのぶん坂口さんにはフレッシュさがあったんだけどね。力道山の流れじゃないところから生まれたスターだったから。
    ――プロレスラーとしての評価は低くなかったんですよね?
    小佐野 そのうち馬場さんも日プロを抜けて坂口さんがエースになるんだけども、形的には大先輩の大木さんがトップということにしなきゃならない。だから伝統のインターナショナルのベルトは大木さんが巻いた。だけど、大木さんがトップでは日プロはやっていけないから、坂口さんが実質的なエースなんですよ。
    ――それくらいのレスラーだった。 
    小佐野 ちょっと話は前後するけど、猪木さんがクーデター未遂を理由に日プロを解雇されたあとは、猪木さんが持っていたベルトを坂口さんがすべて獲得するんです。UN、アジアタッグ、インタータッグ。馬場さんと東京タワーズを結成してね。あのままにいけば馬場・猪木クラスのトップレスラーなっても全然おかしくなかったけど、新日本では一歩引いた立場で。
    ――坂口さんはナンバー2のイメージが強いですね。
    小佐野 坂口さんは二番手に収まる気はなかったんだよ。有名な「片手で3分事件」もあったでしょ。
    ――新日本を旗揚げした猪木さんとは派手な挑発合戦をやっていて。小佐野 新日本に合流したときも坂口さんはギラギラしていた。ただ途中から会社のためを考えたら〝両雄並び立たず〟だろうと悟って、坂口さんは一歩引いたかたちになったんだよね。猪木vsウィレム・ルスカの異種格闘技戦があったときも、最初は坂口さんに話があって。ほら、坂口さんは柔道日本一だから。
    ――ルスカは柔道五輪の金メダリストですから、柔道対決を考えちゃいますよね。
    小佐野 でも、当時の営業本部長だった新間(寿)さんは猪木さんにやってほしかった。そこを坂口さんが理解したってことだよね。「自分よりは猪木さんがやったほうが世間的にも話題になる」と。そこで初めて猪木さんをエースにしてやっていくことを自覚したと言ってたね。
    ――猪木さんの坂口さんへの信頼感も厚かったですよね。
    小佐野 そりゃ信頼するでしょ。坂口さんはあれだけ気配りができるし、細かい実務的なこともやってくれるんだもん。昭和の新日本が好調だった時代のマッチメーカーは坂口さんだったしね。
    ――いわゆる現場監督的立場だったんですね。
    小佐野 金曜夜8時のテレビ生中継のことも考えて、8時になればタイガーマスクの試合が始まり、長州さんと藤波さんの試合があって、最後は猪木さんが締めるという。団体の窓口も猪木さんより坂口さんのほうが都合がよかった。NWAも坂口さんが会員として加盟できたんですよ。
    ――ああ、そうでしたね。
    小佐野 結局何かトラブルがあると坂口さんが表に出ていった。全日本プロレスと揉めたときも坂口さんが馬場さんと話をしてね。
    ――馬場さんも坂口さんなら信頼できるということだったんですね。
    小佐野 馬場さんとの関係性を考えたら、坂口さんはむしろ日プロから全日本に移らなかったほうが不思議なくらいだよね。
    ――そこで全日本に移っていたら新日本の歴史はかなり……。
    小佐野 日プロを放映していたNET(テレビ朝日)の方針は、来年には日プロの中継を打ち切ると。日プロには新日本と合併するなるなら面倒を見るという条件を出していて。そこで猪木さんと坂口さんが話し合って、新日本も日プロも解体して、新しい団体を作るということで合意したんだよね。五分のかたちで合体しようと。
    ――坂口さんは新日本に移りますけど、日プロと新日本はは合併はしませんでしたね。
    小佐野 大木(金太郎)さんが反対して合併案が却下されちゃったんだよ。最初は選手全員が納得していたんだけども、オフで韓国に帰国していた大木さんが戻ってきたら「そんな話は聞いてない。猪木が日プロを乗っ取ろうとしたときと同じじゃないか!?」と怒ってね。結局大木さん側につく選手も現れて、新日本に移ることになったのは坂口さん、キラーカーン、木村健吾、大城大五郎、田中米太郎、その5人だけだった。
    ――そこで大木さんが話を飲んでいたら、プロレス史は変わっていたでしょうねぇ。
    小佐野 結局日プロは崩壊して、あとになって大木さんが新日本に参戦したときに坂口さんと壮絶なケンカマッチをやってね。坂口さんは普段は温厚なんだけど、柔道で日本一になった人だから。怒らせたら本当に怖かった。感情むき出し。仲の悪かった前田日明との試合もそんな感じだったよね。
    ――坂口さんがマジでやったら強いでしょうねぇ。
    小佐野 坂口さんは大木さんと「試合もしたくない!!」と拒んでたんだから。大木さんが絡んだ新日本の韓国遠征には一度も行ってないし。
    ――カテエ!
    小佐野 そういうところは坂口さんは頑固。大木さんとの試合は2回やって2回ともに無効試合になったのかな。もうグチャグチャの試合になってね。新間さんがどこかの巡業先で2人に握手させたとか言ってたかな。「このままじゃ困るから」っていうことで。
    ――坂口さんが日プロから出ていく最後の日も修羅場だったとか。因縁は根深いんでしょうねぇ。
    小佐野 坂口さんと一緒に新日本に移る大城さんが桜田(一男)さんに試合でボコボコにされたってやつだよね。あの日、坂口さんは会場近くのビジネスホテルにチェックインして、そこで着替えて車に乗って会場入り。そうしたら試合で大城さんがボコボコにされて、坂口さんはセミファイナルで大木さんと組んでのタッグマッチだったんですよ。
    ――うわっ〜!! 痺れますねぇ。
    小佐野 大木さんのほうはセコンドで周囲を固めていて臨戦態勢ですよ。どうやら「坂口が試合で変なことをするんじゃないか」と囁かれていたから。坂口さんにはそんなつもりまるでなかったんだけどね。
    ――大木さんたちも疑心暗鬼だったんですね。
    小佐野 坂口さんは試合が終わっても控室に戻らないで、メインも見ずにそのまま車に乗ってビジネスホテルに帰ったんです。日プロ側も坂口さんたちが控室に戻ってこないことに気がついて「あっ、逃げやがった!!」と追っかけてきて。
    ――やるか、やられるかですねぇ。
    小佐野 そのビジネスホテルにも留まってると危険ということで、着替え終えたらそのまま新日本道場に向かったんですね。道場には藤波さんと小鉄さんが「よく来てれました」と出迎えてくれて。シリーズ中も新間さんが坂口さんに電話を入れて「試合に出ないで休んだほうがいいんじゃないか」と心配したんですよ。やっぱり無事に新日本に合流してほしいから。
    ――坂口さんもよく最後までやりきりましたねぇ。
    小佐野 そのシリーズ中に坂口さんとジョニー・バレンタインとのUN選手権が横浜であったときも、日プロから頼まれたバレンタインがセメントを仕掛けるんじゃないかという噂が流れて。そこで猪木さんが極秘にバレンタインと会って「変なことはしないでくれないか」と頼んだという話もあったり。
    ――場外乱闘のクセが凄い!(笑)。
    いま入会すれば読める2月更新記事
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    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201802

     
  • 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-12-16 13:48  
    85pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「佐々木健介」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!


    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE 暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
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    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今月のテーマは佐々木健介さんです! ヴァー!!
    小佐野 健介とはこないだ久しぶりに会ったんだよ、天龍プロジェクトの島田紋奈代表の披露宴で。その前に会ったのは2015年3月のサイパン。レストランで奥さんとメシを食っていたら健介ファミリーと偶然会って。
    ――健介さんとはいつからの付き合いなんですか?
    小佐野 ジャパンプロレスで彼がデビューする前から知ってるんだけど。新弟子時代から引退まで見届けた選手ってそんなにいないんですよ。あの時代でデビュー前から知ってるのは小橋建太、菊地毅、小川良成とかになっちゃうんですよね。
    ――小佐野さんにとって健介さんも思い出深いレスラーのひとりになるんですね。
    小佐野 ジャパンプロレスの歴史自体は短かったけど、健介と私を結びつけたのは、あの団体なんです。ジャパンが崩壊して、彼が長州さんたちと一緒に新日本プロレスに移ったあとも、私個人に連絡はあってね。海外遠征先のハノーバーから電話をくれたんだけど、当時の健介の気持ちはジャパンプロレスのままなんですよ。「いまの新日本は、いまの長州さんは……」って批判をしてて。彼は新日本に移籍したわけじゃなくて「長州軍団として殴り込んでる!」という意識が強かったから。
    ――でも、ボスの長州さんは新日本の現場を仕切ってますよね。
    小佐野 長州力は新日本の中枢に入っていった。でも、健介は「なんで同じ控室で新日本の奴らと仲良くなきゃいけないんだ!?」っていう感情があったんです。だから本人は新日本に移ってからもジャパンのジャージを着ていたし、新日本の控室に入らない。通路や階段のところにいたんです。
    ――反骨精神ですねぇ。
    小佐野 話は前後するけど、健介は馳浩より2ヵ月先にジャパンに入門したんだけど、そのときはデブだったんですよ。身体を大きくしないと入門できないと思ってかなり太ってた。
    ――健介さんは背丈はないですから、厚みを増そうとしたんですね。
    小佐野 でも、馳が入門した頃には20キロ近く痩せていてね。なぜそんなに激ヤセしたかというと、もちろん練習も厳しかったんだけど、雑用がもの凄く大変だった。当時ジャパンの新弟子は健介ひとりだったから。
    ――すべての雑用を健介さんがこなしていた。
    小佐野 練習が終わりそうになると、買い出しに出かけて、1時間以内にひとりでちゃんこを作る。巡業のときはひとりでセコンドについて、その合間に先輩たちがホテルに戻るためのタクシーを呼んで、控室では先輩レスラーの汗を拭いたりする。ホテルに帰ったらみんなの洗濯。
    ――休むヒマもない!(笑)。
    小佐野 ホテルの近くにコインランドリーがない場合は、自分の部屋の風呂場で洗濯。洗濯ヒモを持ち歩いていたから、ホテルのボイラー室で洗濯物を乾かして。やっと雑用が終わっても、当時は24時間のコンビニなんかないから、メシもろくに食べられない。早起きして先輩たちを起こさないといけないから、寝る時間もない。そうやって20キロも痩せたところに馳がさっそうと入団したので「この2ヵ月はなんだったんだ!?」と(笑)。
    ――心がボルケーノと化したんですね(笑)。
    小佐野 しかも馳は年上だから「さん付けで呼べ」と命令されて。馳は長州さんの付き人だけが仕事。長州さんの面倒を見ればいいけど、健介は全員の面倒を見る。
    ――もしかして健介さんは新弟子というよりは、雑用係として採用されたいうか……。
    小佐野 たぶんそうだろうね。前回の馳でも言ったけど、長州さんは「育てるのに時間のかかる選手は獲らない」と即戦力以外は欲しくなかったんだから。健介は一番下っ端でつらい思いをしたからなのか、全日本で同じ境遇だった小川良成と仲が良かった。全日本もずっと新弟子が入ってこなかったから、小川良成がひとりで雑用をやっててね。晩年健介がNOAHに上がっていた頃も凄く仲が良くてね。「小川」「佐々木」と呼び合う仲。
    ――苦楽を共にしたんでしょうねぇ。
    小佐野 健介は新日本に移ったあとも全日本の会場に来てたからね。試合を見たり、小川に会うために。それが許されていた。入り口には元子さんがいるから、新日本に移ったレスラーたちは出入り禁止なんだけど、健介はオッケーだった。元子さんからすれば「この子は何も事情がわからないまま、先輩についていくしかなかったのね」ということで。
    ――小佐野さんは前座時代のプロレスラー佐々木健介には、どんな印象があったんですか?
    小佐野 試合はね、正直モノにならないと思った。不器用だし、身体は小さいし。回転エビ固めをやってもきれいに回れない。新日本の前座時代は見てないんだけど、藤原(喜明)さんに教わったりしてたみたい。あとはマサ(斎藤)さんのマンションに住んだことが大きかったらしいね。マサさんは「おまえは身長がないんだから、身体を大きくしろ!!」と。マサさんも背は低いけど、身体をブ厚く鍛えることでアメリカで生き抜いてきたでしょ。
    ――「パンプアップしろ!」ってことですね。
    小佐野 マサさんの影響で健介もああいう頑丈な身体になった。マサさんには凄く感謝しているから、健介オフィスを法人化したときにアドバイザーとして迎え入れたんだよ。
    ――WJ崩壊後行き場を失っていたマサさんに恩返しをしたんですね。
    小佐野 健介はいろいろと言われがちだけど、情は深いんですよ。涙もろいところもあってね。海外遠征は最初プエルトリコ。「ササキサン」というリングネームを勝手につけられて、ミスター・ポーゴと組んでたんだけど。そのときにジャパン女子からイーグル沢井とムーン章子も遠征に来てて。彼女たちが先に日本に帰るとき、空港に見送りに来ていた健介が涙を流すという(笑)。
    ――なぜだ(笑)。
    小佐野 さびしかったのかな。イーグル沢井は健介のことをなぜか「クジラくん」と呼んでいたんだけどね(笑)。そのあとはカルガリーで北原(光騎)とタッグを組んで、そのあとハノーバー。90年春に凱旋帰国した。
    ――同時期に華々しくし帰国した武藤(敬司)さんとは、扱いに差がありましたよね。
    小佐野 健介本人は「……またか!」と憤ったんだって。ジャパンのときは馳がポンと入ってきて、凱旋帰国のときは武藤だけがスポットライトを浴びる。だから新生UWFに行く可能性があったんだよ。
    ――“選ばれし者”佐々木健介誕生の可能性!
    小佐野 新日本の前座でやりあっていた鈴木みのるから誘われたんだと思う。健介に「なぜ行かなかったの?」って聞いたことがあるんだけど、本人は「情」と言っていた。自分ひとりの力ではなく、みんなのおかげでプロレスラーになれたからUWFには行けなかった。新日本のほうがUWFより団体として魅力があるとかじゃなくてね。
    ――自分を育ててくれた長州さんやマサさんのもとでやっていきたいという。
    小佐野 それまではジャパンプロレスの意識が強かったけど、「自分の根っこは新日本だ」って折り合いをつけたみたいだね。そこから新日本に順応するのは早かった。だって馳と一緒に道場のコーチをやってたくらいだし。
    ――外様の2人があのキャリアで道場を仕切るって凄いですよね。
    小佐野 当時の新日本って専属のコーチはいなかったんじゃないかな。昔は山本小鉄さんが教えてんだろうけど、その時々道場に熱心にくるレスラーが自然に……。
    ――一番練習熱心だったのは馳と健介だったそうですし。
    小佐野 橋本は道場にいる時間だけは長かったんだろうけど。エアガンでスズメを撃ったりとか遊んでいたからね(笑)。
    ――道場滞在時間は同じでも内容が違う(笑)。
    小佐野 健介は橋本真也のことを凄く意識してたよね。2人は感情をガンガン出していくタイプだったし、年齢も近い。でも、健介は橋本のように身体が大きくないから練習するしかない。馳が「なぜ三銃士と互角に試合ができたかといえば、あの人たちはナマクラだから」って(笑)。
    ――そこまで三銃士って練習してなかったんですか(笑)。
    小佐野 彼らが新日本に入った頃のコーチは荒川さんでしょ?(笑)。
    ――ハハハハハハ! 荒川さん、亡くなってしまいましたねぇ。ご冥福をお祈りいたします!
    小佐野 荒川さんにはダンスを踊らされたとか、ソープランドに連れて行かれたとか、そんな話ばっかだから(笑)。練習に耐えられなくなった武藤が小鉄さんに「やめます」と言ったら、「やめるな!」と引き止められた世代だし。
    ――早すぎた“ゆとり世代”だったんですかね(笑)。
    小佐野 試合会場に置いたあった祝杯用のビールを橋本と武藤が「これはいいや」って試合前に飲んじゃったとか(笑)。
    ――とてもコーチを任せられない!!(笑)。
    小佐野 そうじゃなかったら、あの3人がいるのに馳と健介がコーチをやってるのは変だもん(笑)。そこから健介の“鬼コーチ伝説”が始まるわけだけど……
    ――健介さんの鬼指導はいろいろと伝説になってますね。
    小佐野 みんな言うよね。小島聡は「石鹸の匂いを嗅ぐと、新弟子の頃と思い出す……」と。風呂場の掃除がダメだと殴られるから。真壁刀義は包丁で野菜を切るときに健介を刺すことを想像しながら、ちゃんこを作ってたとか(笑)。
    ――ど、ど、ど、どんな目に遭ってたんですか!!(笑)。この続きと、村浜武洋、日馬富士、ヤマモ騒動、ジェリコvsケニー、『プライド』解説の記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-12-01 00:00  
    76pt
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    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
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    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今回のテーマはプロレスのリングに11年振りに復帰した馳先生です!
    小佐野 復帰したのは「もりかけ問題」の大変なときで。武藤(敬司)は「馳先生が来たらブーイングが飛ぶんじゃないの? 大ヒールだよ」って笑ってたけどね(笑)。
    ――馳先生は議員活動で忙殺されてるとは思えない見事な肉体を披露しましたね
    小佐野 彼は本当にストイックなんですよ。朝3時頃に起きて新聞を読み、トレーニングをしてから事務所に出勤して、午後は新幹線で地元・金沢に行って、夜は東京に帰ってくる。そんな生活を毎日繰り返してるんですから。――心身ともにおかしくなりますよ!(笑)。プロレスラーから議員になった人はたくさんいますけど、雑巾がけから初めて大臣まで昇りつめたのは馳先生だけですよね。
    小佐野 馳は1995年に参議議員で当選した。あのときはタレント候補がけっこう多かったんだけど、政治家としての資質を問う声に対して馳は「タレントとは才能がある人のことを言うんです。もし私に知名度があるというのならば、これまでの肉体的な努力と精神的な努力を見ていただきたいし、知っていただきたい!」と反論したんですから(笑)。
    ――理論立ててくる感じが馳先生っぽいですね(笑)。
    小佐野 あの人は努力する自分が好きなんだろうね。一種のナルシスト的なところがあるんですけど。同い歳なんですよ、私は。
    ――あら(笑)。
    小佐野 1961年生まれの56歳。84年のロスオリンピックに出場して、85年8月に入ってきて。ジャパンの道場は6月にできたんですけど、あの頃は合宿所に個室があったんです。
    ――相部屋じゃなかったんですね。
    小佐野 1階が道場、2階が事務所、3階が合宿所でリビングがあってそれぞれの個室があった。そこに健介や新倉(史祐)くん(新倉記事はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar628895)の部屋もあったんだけど、馳の部屋に初めて入ったら短歌を詠んでいたんですよ。「何をしてるの?」「ちょっと短歌を……」って(笑)。
    ――もともと星稜高校の国語教師でしたもんね。
    小佐野 プロレスラーって試合を終えたら巡業でバスに乗って次の場所に……という生活だから、ちゃんと意識してないと自分がどこの土地にいるかもわからなくなっちゃう。だから新聞や本を読むことで世の中の動きを把握してたんでしょうね。
    ――しかし、なんでそんな人間がプロレスにやってきたんですかね(笑)。
    小佐野 あの人がジャパンに入ったときは契約金はゼロだったんですよ。
    ――えっ、オリンピックレスラーなのに。
    小佐野 「給料も教師時代と同じでいい」ってことで入団したんです。ジャパンもそんなにお金があったわけじゃないんですよね。道場の建物は竹田(勝司)会長のものだから。
    ――ジャパンのオーナーだった竹田会長。
    小佐野 長州力はあの当時イチから教えなきゃいけない新人は欲しくなかった。「結局一人前になるまでに何年かかって、いくら金がかかるんだ?」と。だったら1年2年でモノになる即戦力がいい。団体としてはお金は持ってなかったわけだし、ましてやあの頃は業務提携していた全日本プロレスから完全独立を狙っていたから。
    ――そこまでの余裕はなかったということですね。
    小佐野 新弟子として健介は取ったんですよね。ジャパンの新弟子1号は健介。あと山本(英俊)くんという新弟子がいて、彼もデビューしたんだけども身体を壊しちゃってやめてる。
    ――馳先生はそれなりの待遇を得られそうな全日本や新日本に入るという考えはなかったんですか?
    小佐野 そこは松浪(健四郎)先生の専修大学人脈からのジャパン入りだったんじゃないかな。あと馳はそこまで身体が大きくなかったんだよ。グレコローマンの90キロ級だったし、入門規定に満たなかったんだと思う。あの当時のプロレス界は狭き門で、誰でもなれるような世界じゃなかったから。
    ――オリンピックレスラーでも簡単にはまたげない。
    小佐野 本人もプロレスラーになりたかったから、契約金も求めず、星稜高校の教員時代と変わらない給料という条件だったんでしょう。
    ――エリートに見えますけど、そうではなかったですね。
    小佐野 それでも健介とは扱いが違ったとは言われるけどね。あの2人ではまず年齢が違うでしょ。高校を出たばかりの坊やと、オリンピックに出て高校の先生をやっていた人だから。
    ――違いが出て当然という。
    小佐野 一緒にするのは無理があるよね。健介は2ヵ月先に入ったから「馳!」って呼び捨てにして、「何がオリンピックだ!」って負けたくない気持ちが強かった。そこは馳が大人だったからケンカにならなかったんだけど、馳が健介のことを何も悪く言ってなかった。というのは「彼は何も持っていない」と。馳はいろんなものを持って入ってきたし、大人だから要領もいい。健介は何も持っていないし、要領も悪くてただガムシャラにやってる。その真剣さが馳には刺激になったみたいですね。
    ――大人の馳先生にとって健介は純粋に見えたんですね。
    小佐野 ジャパンに入門した馳は翌86年2月にプエルトリコでデビューするんだけど、海外遠征に出る前に馬場さんにいろいろと教わった。そのときはマスコミはシャットアウト。
    ――全日本所属じゃないのに馬場さんに?
    小佐野 馬場さんは全日本のリングに上がる選手ならば、頼まれれば全員に教えた。馳はジャパンの道場で基礎体力やプロレスの基本は習ったけど、海外でやっていくための所作や、ヒールのやり方を学んでいなかったから。
    ――ジャパンでは教えられる人は……
    小佐野 本質的なところを教えられる人はいなかった。
    ――マサ(斎藤)さんは、あのときはいなかったですもんね。
    小佐野 馬場さんは受けのプロレスなんだけど、この相手には何をやったらお客は喜ぶのかを考えさせるんですよ。馳は「お客の期待に応える馬場さん的なもの、いい意味でお客さんの期待に応えない猪木さん的ものを両方持ってますから」と言っていて。余談だけど、馬場さんは笹崎伸司にも教えたけど、笹崎は馬場さんに反発して大変なことになった。
    ――ファッ!? 馬場さんに反発ですか?
    小佐野 笹崎くんはのちにUインターの渉外をやることになるでしょ。Uインターのときはビリー・スコットやダン・スバーンらの外国人選手をUスタイルに変えて送り込んできた。彼らはもともとUスタイルじゃないんだから。
    ――魔改造したわけですね。そんな笹崎さんが馬場さんと衝突とするのもわからないでもないですけど……。
    小佐野 当時からUWFっぽい思考を持っていたから、アメリカンプロレス的なものは嫌がるよね。笹崎くんが反発したことは大問題になって、長州と永源(遥)さんが馬場さんに詫びを入れた。笹崎は1シリーズ休んだのかな。
    ――1シリーズで済みましたか(笑)。
    小佐野 話を戻すと、海外に出た馳が影響を受けたのは安達さん(ミスター・ヒト)。プエルトリコからカルガリーに移ったときにアメリカンプロレスのやり方を教わった。カルガリーではリッキー・フジと一緒に安達さんの家に住んでいてね。新倉くんは身体を壊して途中帰国したけど、笹崎くん、戸井マサル、途中からライガー、橋本真也もやってきて。
    ――みんな安達さんにお世話になったんですね。
    小佐野 馳は最初ベトコンエキプレスのマスクマンでヒールをやってたけど、途中で素顔になってヒロ・ハセとしてベビーフェイスもやった。彼は英語をしゃべれるからベビーでもトップになれたんです。
    ――さすが語学堪能!
    小佐野 プエルトリコにいたときも「日本の本を送ってください」って手紙が来た。適当にみつくろって送ったけど。
    ――そんな馳先生は長州が新日本にUターンしたこともあって帰国後は新日本参戦しましたが、どうもイマイチでしたよね。
    小佐野 そうなんだよねぇ。なんというか「小さい長州力」だった。長州力の弟子だから、気負ってピリピリしている雰囲気を出すんだけど、まだ線が細かったから長州さんみたいに迫力はない。
     
  • プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-11-25 17:58  
    76pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「馳浩」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE <new!>暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
    “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今回のテーマはプロレスのリングに11年振りに復帰した馳先生です!
    小佐野 復帰したのは「もりかけ問題」の大変なときで。武藤(敬司)は「馳先生が来たらブーイングが飛ぶんじゃないの? 大ヒールだよ」って笑ってたけどね(笑)。
    ――馳先生は議員活動で忙殺されてるとは思えない見事な肉体を披露しましたね
    小佐野 彼は本当にストイックなんですよ。朝3時頃に起きて新聞を読み、トレーニングをしてから事務所に出勤して、午後は新幹線で地元・金沢に行って、夜は東京に帰ってくる。そんな生活を毎日繰り返してるんですから。――心身ともにおかしくなりますよ!(笑)。プロレスラーから議員になった人はたくさんいますけど、雑巾がけから初めて大臣まで昇りつめたのは馳先生だけですよね。
    小佐野 馳は1995年に参議議員で当選した。あのときはタレント候補がけっこう多かったんだけど、政治家としての資質を問う声に対して馳は「タレントとは才能がある人のことを言うんです。もし私に知名度があるというのならば、これまでの肉体的な努力と精神的な努力を見ていただきたいし、知っていただきたい!」と反論したんですから(笑)。
    ――理論立ててくる感じが馳先生っぽいですね(笑)。
    小佐野 あの人は努力する自分が好きなんだろうね。一種のナルシスト的なところがあるんですけど。同い歳なんですよ、私は。
    ――あら(笑)。
    小佐野 1961年生まれの56歳。84年のロスオリンピックに出場して、85年8月に入ってきて。ジャパンの道場は6月にできたんですけど、あの頃は合宿所に個室があったんです。
    ――相部屋じゃなかったんですね。
    小佐野 1階が道場、2階が事務所、3階が合宿所でリビングがあってそれぞれの個室があった。そこに健介や新倉(史祐)くん(新倉記事はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar628895)の部屋もあったんだけど、馳の部屋に初めて入ったら短歌を詠んでいたんですよ。「何をしてるの?」「ちょっと短歌を……」って(笑)。
    ――もともと星稜高校の国語教師でしたもんね。
    小佐野 プロレスラーって試合を終えたら巡業でバスに乗って次の場所に……という生活だから、ちゃんと意識してないと自分がどこの土地にいるかもわからなくなっちゃう。だから新聞や本を読むことで世の中の動きを把握してたんでしょうね。
    ――しかし、なんでそんな人間がプロレスにやってきたんですかね(笑)。
    小佐野 あの人がジャパンに入ったときは契約金はゼロだったんですよ。
    ――えっ、オリンピックレスラーなのに。
    小佐野 「給料も教師時代と同じでいい」ってことで入団したんです。ジャパンもそんなにお金があったわけじゃないんですよね。道場の建物は竹田(勝司)会長のものだから。
    ――ジャパンのオーナーだった竹田会長。
    小佐野 長州力はあの当時イチから教えなきゃいけない新人は欲しくなかった。「結局一人前になるまでに何年かかって、いくら金がかかるんだ?」と。だったら1年2年でモノになる即戦力がいい。団体としてはお金は持ってなかったわけだし、ましてやあの頃は業務提携していた全日本プロレスから完全独立を狙っていたから。
    ――そこまでの余裕はなかったということですね。
    小佐野 新弟子として健介は取ったんですよね。ジャパンの新弟子1号は健介。あと山本(英俊)くんという新弟子がいて、彼もデビューしたんだけども身体を壊しちゃってやめてる。
    ――馳先生はそれなりの待遇を得られそうな全日本や新日本に入るという考えはなかったんですか?
    小佐野 そこは松浪(健四郎)先生の専修大学人脈からのジャパン入りだったんじゃないかな。あと馳はそこまで身体が大きくなかったんだよ。グレコローマンの90キロ級だったし、入門規定に満たなかったんだと思う。あの当時のプロレス界は狭き門で、誰でもなれるような世界じゃなかったから。
    ――オリンピックレスラーでも簡単にはまたげない。
    小佐野 本人もプロレスラーになりたかったから、契約金も求めず、星稜高校の教員時代と変わらない給料という条件だったんでしょう。
    ――エリートに見えますけど、そうではなかったですね。
    小佐野 それでも健介とは扱いが違ったとは言われるけどね。あの2人ではまず年齢が違うでしょ。高校を出たばかりの坊やと、オリンピックに出て高校の先生をやっていた人だから。
    ――違いが出て当然という。
    小佐野 一緒にするのは無理があるよね。健介は2ヵ月先に入ったから「馳!」って呼び捨てにして、「何がオリンピックだ!」って負けたくない気持ちが強かった。そこは馳が大人だったからケンカにならなかったんだけど、馳が健介のことを何も悪く言ってなかった。というのは「彼は何も持っていない」と。馳はいろんなものを持って入ってきたし、大人だから要領もいい。健介は何も持っていないし、要領も悪くてただガムシャラにやってる。その真剣さが馳には刺激になったみたいですね。
    ――大人の馳先生にとって健介は純粋に見えたんですね。
    小佐野 ジャパンに入門した馳は翌86年2月にプエルトリコでデビューするんだけど、海外遠征に出る前に馬場さんにいろいろと教わった。そのときはマスコミはシャットアウト。
    ――全日本所属じゃないのに馬場さんに?
    小佐野 馬場さんは全日本のリングに上がる選手ならば、頼まれれば全員に教えた。馳はジャパンの道場で基礎体力やプロレスの基本は習ったけど、海外でやっていくための所作や、ヒールのやり方を学んでいなかったから。
    ――ジャパンでは教えられる人は……
    小佐野 本質的なところを教えられる人はいなかった。
    ――マサ(斎藤)さんは、あのときはいなかったですもんね。
    小佐野 馬場さんは受けのプロレスなんだけど、この相手には何をやったらお客は喜ぶのかを考えさせるんですよ。馳は「お客の期待に応える馬場さん的なもの、いい意味でお客さんの期待に応えない猪木さん的ものを両方持ってますから」と言っていて。余談だけど、馬場さんは笹崎伸司にも教えたけど、笹崎は馬場さんに反発して大変なことになった。
    ――ファッ!? 馬場さんに反発ですか?
    小佐野 笹崎くんはのちにUインターの渉外をやることになるでしょ。Uインターのときはビリー・スコットやダン・スバーンらの外国人選手をUスタイルに変えて送り込んできた。彼らはもともとUスタイルじゃないんだから。
    ――魔改造したわけですね。そんな笹崎さんが馬場さんと衝突とするのもわからないでもないですけど……。
    小佐野 当時からUWFっぽい思考を持っていたから、アメリカンプロレス的なものは嫌がるよね。笹崎くんが反発したことは大問題になって、長州と永源(遥)さんが馬場さんに詫びを入れた。笹崎は1シリーズ休んだのかな。
    ――1シリーズで済みましたか(笑)。
    小佐野 話を戻すと、海外に出た馳が影響を受けたのは安達さん(ミスター・ヒト)。プエルトリコからカルガリーに移ったときにアメリカンプロレスのやり方を教わった。カルガリーではリッキー・フジと一緒に安達さんの家に住んでいてね。新倉くんは身体を壊して途中帰国したけど、笹崎くん、戸井マサル、途中からライガー、橋本真也もやってきて。
    ――みんな安達さんにお世話になったんですね。
    小佐野 馳は最初ベトコンエキプレスのマスクマンでヒールをやってたけど、途中で素顔になってヒロ・ハセとしてベビーフェイスもやった。彼は英語をしゃべれるからベビーでもトップになれたんです。
    ――さすが語学堪能!
    小佐野 プエルトリコにいたときも「日本の本を送ってください」って手紙が来た。適当にみつくろって送ったけど。
    ――そんな馳先生は長州が新日本にUターンしたこともあって帰国後は新日本参戦しましたが、どうもイマイチでしたよね。
    小佐野 そうなんだよねぇ。なんというか「小さい長州力」だった。長州力の弟子だから、気負ってピリピリしている雰囲気を出すんだけど、まだ線が細かったから長州さんみたいに迫力はない。この続きと、近藤有己、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1374344
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  • 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-10-09 18:10  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「大森隆男」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――小佐野さんは入門当初の大森さんのことはおぼえていますか?
    小佐野 それが知らないんだよね。大森が全日本に入門したのは秋山準と同じ92年だけど、当時は全日本を取材できない立場だったから。
    ――あー、SWSと全日本のゴタゴタに巻き込まれたかたちで。
    小佐野 数年後に取材できるようになっていろいろと話は聞いてるんだけどね。
    ――秋山準と大森隆男。同年にデビューした新人が2人とも大成したんですね。
    小佐野 これは全日本としては珍しいことなんですよ。どういうことかというと、全日本の場合ってデビュー前に新人がやめちゃうから。レスラーとしてある程度できるようにならないとデビューさせてもらえなかったんですよ。
    ――簡単にはデビューさせてもらえない。
    小佐野 多くの人間が受け身をおぼえられなくて途中でやめちゃう。それに新日本の場合は新弟子が何人かいて、つらくても励まし合ったり、協力して休めたりできたけど、全日本の場合は毎年取ってもひとりだから。
    ――ひとりで雑用をこなすって地獄ですよね……。
    小佐野 大森が入団した頃から方針が変わっていったんだけど、それは小橋建太の存在が大きかった。それまでの全日本ってエリートを育成する方法だったでしょ。ジャンボ鶴田、天龍源一郎、スカウトされた秋山もそうだったけど。
    ――ほかの格闘競技で実績がある人間をメインイベンター候補として育てるという。
    小佐野 小橋の場合は一度書類選考で落とされて、そこから這い上がってトップグループで活躍するようになった。小橋の成功を受けてノンキャリアでも磨けば使えるという発想になったんだろうね。練習の厳しさは以前と変わりはないんだけど、大森のこともじっくり育てようということになった。
    ――それだけの素質を大森さんに感じたところもあったんですか?
    小佐野 そこは馬場さんのお眼鏡にかなったんだと思うよ。大森は大学3年生のときに一般公募に応募したら、後楽園ホールに呼び出された。そこには50人近くレスラー志望者が集められていて「どんな試験をやらされるんだろう……?」と思っていたら、テストはなし。馬場さんは「テストに受かろうが、やめる奴はやめるだろ」と。
    ――馬場さんって合理的ですよね(笑)。たしかに続くかどうかはテストは無関係。
    小佐野 その場で大森を含む数人が合格になった。大森はアメフトをやっていて身体も大きいし、ルックスもいい。鍛えればなんとかなると思ったんだろうね。ただ、問題がひとつあってまだ3年生だった。大森は「やめて全日本に入ります」と言ったんだけど、馬場さんは「あと1年なんだから卒業しなさい」と。
    ――馬場さん、優しい!
    小佐野 それで1年の猶予をもらったんだけど、大森はちょっと柔道をやったことがあるだけで、格闘技経験がない。これはマズイということでアニマル浜口ジムのプロ養成コースに通うことにしたんだよね。
    ――全日本入団ありきだったんですか。
    小佐野 アマレスのマットしかないから受け身の練習はできなかったんだけど、関節技の練習ができたみたいで。
    ――全日本の入団が内定してるなら、どうにかして受け身の練習もさせてもらえたんじゃないですか?
    小佐野 それが大森は全日本に入ることは内緒にしてたんだよね。
    ――えっ、どうして内緒に。
    小佐野 わからない。入団間際に「じつは……」と浜さんに明かしたら「なんで先に言わないんだ!」って怒られてね。
    ――そりゃ怒られますよ!(笑)。
    小佐野 そのときには秋山が大々的に入門したことが発表されていたから、浜さんに「同期の秋山には負けるな!」と送り出してもらったんだけどね。
    ――1年の猶予をもらって入門して、その年にはデビューしちゃうんですから凄いですね。
    小佐野 その時期の全日本って道場がなかったんだよ。砧にあった道場を壊して、いまの道場を作ってるときだったんです。合宿所も道場もなかった。大森は秋山と泉田純と一緒にアパートの部屋に住んで、一つ上の先輩の浅子(覚)と井上雅央は違うアパートの部屋を借りて住んでいた。なぜ先輩・後輩の部屋を分けたかと言えば、先輩からイジメられないようにと元子さんが一緒に住まわせなかった。イジメられたらやめちゃうと思ったんでしょう。この続きと、西良典、折原昌夫、サベージ&エリザベス、PRIDE終焉、RIZIN福岡裏話、パンクラス計量炎上…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     

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  • 暴走親方、諏・訪・魔!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-09-18 14:21  
    80pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「諏訪魔」です!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――高山善廣選手の事故が大きなニュースになっていますが、今年に入ってからリング上の事故が多発したこともあり、「何かしら規制すべきではないか」という声も挙がっています。
    小佐野 うーん、規制といっても難しいのは、たとえば高山の件は自分から仕掛けた技でしょう。酷い投げ方をされたというものでもないから「何を規制するの?」となるよね。プロレスって使い手がちゃんとその技を調節ができるかどうかというとこともあるんですよ。相手のレベルに合わせて変えられるかどうか。
    ――ジャンボ鶴田は相手に合わせてバックドロップの角度を変えてましたね。
    小佐野 ジャンボは相手の受け身の技術に応じた投げ方をしていた。だから「この技をNG」という話でもないと思うんですよ。
    ――現実に即したかたちで何か施行するのは大変なんですね。
    小佐野 格闘技はルールによって守ってるわけでしょ。脊髄攻撃はダメとか、ヒールホールドが禁止されたことがあったり。
    ――90年代のパンクラスが一時期そうでしたね。
    小佐野 人間同士がやってることだから、最終的にはマナーや良心に依られるとは思うんだけど。仮に危険だから規制したら、ほとんどのプロレス技が禁止になっちゃうよ。まず垂直落下のブレーンバスターは首にダメージを与えるからダメ。バックドロップも頭から落とすものは禁止。
    ――頭から落下系は全面禁止になりますね。
    小佐野 雪崩式ブレーンバスターも背中から落とすのはいいけど、垂直落下はダメとかね。トペは避けたら危険だから必ず受けましょうとか相手の動きも制限しかねない話になってくる。
    ――飛び技は大ケガのイメージが強いですねぇ。
    小佐野 飛び技でケガをするケースもかなり減ったよね。いまはそこまでムチャはしないから。ルチャもみんな凄い飛び方をしてるけど、ちゃんとリカバリーしてるし、イチかバチかで飛んでないんですよ。余裕を持って失敗しても事故が起こりづらいように飛んでいる。
    ――じつは見た目の問題ではなかったりするんですね。
    小佐野 以前、世志琥が安川惡斗をボコボコにしたときにスターダムでは顔面パンチが禁止になったけど、じゃあエルボーはいいの?と。エルボーのほうが危険だという話があるし、ハイキックはどうなるんだ?って。
    ――ハイキックのほうがダメージはありますね。
    小佐野 だから一概に技を規制すればいいという話はないとは思いますね。
    ――最近の事故はダメージの蓄積によって……というケースですね。
    小佐野 やっぱりダメージの蓄積になるんですよ。レスラーの身体が正常かどうか、WWEはメディカルチェックが厳しいですよね。スカウトしても検査結果によっては契約しないこともあるから。
    ――新日本もメディカルチェックはしっかりやってますね。それでも事故が起きてしまうんですが……。
    小佐野 新日本にはトレーナーがついていて、誰がどんな治療を受けているかも記録しているからね。
    ――リングドクターも帯同して、シリーズのたびにチェックするとなると、必要になってくるのはお金ですね。
    小佐野 お金だよね。何かあったときのために保険にも入らなきゃいけないし。それこそ健介オフィスは試合前に血圧の検査をやってたからね。血圧が高いと試合をさせてくれないんだから。
    ――そこまで徹底してる団体は聞いたことがないですね。
    小佐野 そこは北斗晶の方針だった。彼女は全女時代に首をケガしてるから、そのへんはしっかりしてるんだよ。健介オフィスはフリー選手を集めて興行をやってたんだけど、全選手に保険をかけてたんです。だからお金がかかりすぎて、何回も試合ができなかったんですよね。
    ――経済面から保険をかけられない団体もあるでしょうね……。
    小佐野 坂口(征二)さんが社長時代の新日本も、スーパーJカップで他団体から選手を集めたときは、みんな派手に飛ぶから全員に保険をかけていたしね。
    ――その団体がどうやって取り組むかですね。
    小佐野 技に関して言えば、団体内次第になっちゃうんだよね。何か規制した場合、そのことを発表するか、しないのか。発表したら見てる方だって興醒めしちゃうから。事故が起きたら団体内で何かしら話し合いを絶対にしているはずなんですよ。「こういうことはマズイね」とか「こういう技はやめようね」とか。それはあくまで暗黙の了解であって、何かをルールを作って規制することは「はたしてそれはプロレスなのか?」ってことになっちゃうと思うんだよね。難しい問題だと思います。
    ――大きな事故がないように取り組んでもらいたいですね。

    ――今月のテーマは全日本プロレスの諏訪魔選手なんですが、先日の小島聡戦にかぎらず、外部の選手と絡むとどうにもおかしなことになるという。
    小佐野 そういう試合が多いですよね(笑)。あの試合は解説を私がやったんですが、悲しい試合でしたねぇ……。
    ――小佐野さんは諏訪魔選手のことをデビュー当時から見てますよね。
    小佐野 「就職します!」と言った入団会見から見ていますね。あのコメントは言わされたんです。諏訪魔本人はどんな意味があるのか知らなくて。
    ――あ、そうなんですか。ジャンボ鶴田オマージュを本人は知らなかった。
    小佐野 全日本としてはジャンボ鶴田のイメージで売りたかった。諏訪魔も中央大学レスリング部出身だし、出場ではできなかったけどオリンピックを目指していたわけだから。あとから本人は「そういうことだったのね」と(笑)。
    ――ということは、プロレス自体は詳しくなかったんですか?
    小佐野 いや、そんなこともないんだけど。子供の頃からプロレスは大好きで。とくに全日本が好きだった。スタン・ハンセンや天龍さんがいた頃の全日本。
    ――諏訪魔選手の年齢的に天龍同盟の頃ですかね。
    小佐野 プロレスラーになるためにまずは受け身だろうということで、中学のときに柔道を始めたんです。ところが柔道に熱中していくと段々とテレビでプロレスが見られなくなってくる。四天王プロレスの初めの頃までしか見れてなかったのかな。
    ――四天王プロレスの洗礼を受けてないんですね。
    小佐野 そうして大学からレスリングを始めて。
    ――そこも鶴田さんと同じ!
    小佐野 中央大レスリング部OBに旧UWFの社長だった浦田(昇)さんがいるから「プロレスに行けますかね?」って相談したら「オリンピックに出るとか、箔をつけてからのほうがいいんじゃないの?」と。ますますレスリングに邁進することになって。
    ――プロレスのためにレスリングだったんですね。
    小佐野 馳浩からプロレスの勧誘を受けていたみたいなんだけど、目の前にはオリンピックという目標があったんでしょうね。アテネオリンピックを断念した段階で全日本プロレスにお世話になりますということで。本人は訳も分からず「ネクストジャンボ」として売り出されてね。
    ――そこまでジャンボな条件が揃っていたら仕方ないですね(笑)。
    小佐野 諏訪魔がハミ出したレスラーという捉え方をするならば、彼はデビュー以降前座で試合せずにセミファイナル、メインで試合をしてたんですよ。
    ――それだけ期待されてたんですね。
    小佐野 凄かったのはデビューしたばかりで、あのベイダーの巨体をもの凄い角度のジャーマンで軽々と投げちゃうし。あのジャーマンで首をケガしたレスラーもいたんですよ。それでジャーマンを使わないようになる。
    ――封印しちゃったんですね、危なすぎて!
    小佐野 基本的に強いんですよ。でも、デビューしたばかりの新人だから、プロの厳しさを教えるためにどこかで叩かなきゃならない。そのときに彼を痛めつけたレスラーが3人いたんですよ。佐々木健介、川田利明、鈴木みのる(笑)。
    ――ひえっ、名前を聞いただけで吐きそう(笑)。
    この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-08-20 12:48  
    75pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「グレート小鹿」です!
     イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!――今回のテーマは大日本プロレスのグレート小鹿会長です!
    小佐野 わかりました。いまのファンからしてみれば、メジャーリーガーといえばWWEの中邑真輔になると思うんだけど。私の時代のメジャーリーガーは、このグレート小鹿さんなんですよ(笑)。
    ――おおっと! 「中邑真輔=グレート小鹿」説(笑)。
    小佐野 これは私がプロレスファン時代に初めて買った『ゴング』なんです。昭和45年6月号。巻頭グラビアがロザンゼルスで試合をする小鹿さんで、しかも金網デスマッチ。
    小佐野 「こんな日本人レスラーがアメリカで大暴れてしているんだ!」ってかなりのインパクトがあったんですよ。それから雑誌を定期的に買うようになって詳しくなると、小鹿さんは当時まだ見ぬ強豪だったミル・マスカラスを破ってアメリカス・ヘビー級チャンピオンになっていたこともわかって。
    ――ロスではマスカラスのライバルだったんですよね。
    小佐野 それ以外にもTVチャンピオン、アメリカス・タッグチャンピオンと、3つのベルトを獲ってるんです。プロレスの本場アメリカで活躍するグレート小鹿は、かなり凄いプロレスラーだとインプットされたんですね。
    ――帰国したときのことはおぼえてますか?
    小佐野 70年秋に開催された日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦に、吉村(道明)さんとタッグを組んで参加したんですけど。帰国第1戦はフランキー・レイン相手にリングアウト勝ち。それが姑息な勝ち方だったので「あ、やっぱり向こうの悪党はこういう戦い方なんだ」って。でも、コスチュームは田吾作じゃなくて、黄色のラインが入った紫のショートタイツに紫のリングシューズ。かなり垢抜けていたんですね。そういう意味ではかなり毛色が変わった日本人レスラーだったんです。
    ――ビジュアルインパクトがあったんですね。さすが昭和の中邑真輔(笑)。
    小佐野 日本プロレスが潰れたあとは全日本プロレスに合流するんですけど、アマリロ武者修行を終えたジャンボ鶴田と入れ替わるようにアマリロに送られるんです。そのときは中国人キャラのカン・フー・リーになるんですけど、ちょうどブルース・リーのブームが起きてる頃で、それをヒントにしたんでしょうね。それまでのアマリロは大熊元司、マシオ駒、ジャンボ鶴田と日本人レスラーが連続してたから、そのまま日本人としてやってもウケないと考えたんだろうね。
    ――ちゃんと計算してるんですね。
    小佐野 そのキャラでテリー・ファンクと抗争してトップになるんだから先見の明がありますよ。そのアマリロから1年で帰ってきたのかな。そのときの凱旋帰国もインパクトがあってね。小鹿さんは放送席でゲスト解説をやっていて、私服のままブッチャーと乱闘して大流血。そこからブッチャーとの抗争が始まるんですよ。
    ――話を聞くかぎり、当時からアイデアマンですね。
    小佐野 そのときはカン・フー・リーの格好じゃなくて、ジャンパースタイルのガウンにサイケ調のタイツ。髪の毛はパーマじゃないけどウェーブがかかって、当時のアメリカ帰りの雰囲気を醸し出していたんです。「カッコイイ!」と思っちゃったもん(笑)。
    ――ハイセンスだった。顔だけ見ると昭和の頑固親父ですけど(笑)。
    小佐野 流行りに敏感なんだよね。ブログもかなり早い時期からやってるし、スマホもかなり駆使していたよ。天龍さん、カブキさんと鼎談をやったときも「写真を撮ってブログにアップしていいよね」って(笑)。
    ――日プロ出身でスマホを使いこなす(笑)。試合ぶりはどうだったんですか?この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-07-20 12:26  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「アントニオ猪木」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」――今回はIGF整理問題で渦中の猪木さんについてうかがいます。
    小佐野 この連載で何度も触れていますが、私は高校時代に『炎のファイター』という新日本プロレスのファンクラブをやってましたので、猪木さんの大ファンだったんですよ。
    ――小佐野さんといえば「全日本プロレス!」というイメージが強いですけど(笑)。
    小佐野 新日本だけじゃなくて、もちろん全日本や国際プロレスも見ていたけど、やっぱり子供のプロレスファンは猪木さんのことが大好きだったんですよ。小学生卒業式の日に、猪木vsストロング小林のテレビ放映があったとか、そういうこともいまだにしっかり覚えてますから(笑)。
    ――それくらい印象深いんですね。
    小佐野 あの頃ってプロレスラーの自伝はあまりなかったけど、『燃えよ闘魂 アントニオ・猪木自伝』が東京スポーツから出ていて。最初の表紙は猪木さんの顔のイラスト、増刷したらタイガー・ジェット・シンに卍固めをかけている試合写真、増補改訂版はビル・ロビンソンに逆エビ固めをかけている写真。私は全部買いましたよ(笑)。
    ――猪木ファン!(笑)。
    小佐野 私が通っていた小学校は、猪木さんと同じ鶴見の東台小学校。転校しなければ、中学校も猪木さんと同じ寺尾中学に進んでいた。そういう猪木さんの経歴も自伝を読んで知ってるんです。
    ――ファンクラブ時代はレスラー取材もしていたそうですけど、猪木さんをインタビューしたことはあったんですか?
    小佐野 ファンクラブ時代に猪木さんと喋ったことは一度もなかったかな。新間さんにかわいがってもらっていたから、レセプションとかには行けたんですよ。でも、そこで猪木さんにサインや記念撮影をお願いできなかったです。ほかのレスラーはともかく、猪木さんには近寄れなかった。恐れ多くて声をかけちゃいけんじゃないかなって。小・中学生の会員は無邪気に「猪木さん、お願いします」とか平気で頼んでるから羨ましかったですよ(笑)。
    ――プロレスファンとして馬場さんのことはどう見てたんですか?
    小佐野 大人のプロレスファンは馬場さんが好きだったと思う。外国人より身体の大きな日本人が大暴れする。戦争を経験した世代からすれば痛快なことでしょうし、高度成長期の頃だから、世界に羽ばたく日本を馬場さんに重ねたと思うんですよね。
    ――力道山だけではなく、馬場さんも戦後復興の象徴だったんですね。
    小佐野 でも、子供からすると、そんなことは関係ないし、ジャイアント馬場はかけ離れた存在でしたね。猪木さんのほうが若いし、カッコよく見えるでしょ。それにちょっと暴走するところがある。
    ――アンチヒーローとしての輝きですね。
    小佐野 馬場さんは優等生で反則はしない。でも、猪木さんは感情をむき出しにして、ナックルパートで相手のことを殴る。子供からすれば刺激的。あとマネしたくなる技を持っていますよね。「卍固めはどうやるんだろう」とかね。
    ――コブラツイストからの卍固めへの発展はマネしたくなりますよね(笑)。
    小佐野 馬場さんの技ってマネのしようがないんですよ。チョップなんてなんの工夫もないし、16文キックに足が大きいから成立するんであって。ボクくらいの年代はやっぱりアントニオ猪木なんです。
    ――そんな小佐野さんが猪木さんの一番好きな試合はどれですか?
    小佐野 やっぱり1回目の猪木vsドリー・ファンク・ジュニアの60分フルタイムドローなんですけど、その試合は会場でもテレビでも見ていないんですよ。なぜかというとあの試合は昭和44年12月3日にやってるんですが、大晦日に録画放送してるから。NET(現テレビ朝日)がNHK紅白歌合戦にぶつけたんですよ。ウチの家族は当然紅白を見るから、猪木vsドリーは見られなかった。
    ――当時はビデオもなかったですし、大晦日は紅白一強の時代ですもんねぇ。
    小佐野 日本テレビの日プロ中継は馬場さんがメイン、NETの日プロ中継は猪木さんがエースだったでしょ。ドリー戦があったのはNETの放映が始まった年だったと思うんだけど、12月の頭にやった猪木vsドリーをわざわざ大晦日に放映したんですよね。
    ――その頃から猪木さんと大晦日の因縁はあったということですね。
    小佐野 翌45年8月の福岡でやった猪木vsドリーはテレビで見ました。新日本になってからは猪木vs小林、猪木vs大木金太郎の実力日本一決定戦が始まって、そのあとはルー・テーズ、カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンとのプロレスルネッサンスシリーズがあって、異種格闘技戦シリーズが始まるんだけど。異種格闘技戦はあまり好きじゃなかった。だってプロレスとしては面白くないだもん。私はプロレスラーのアントニオ猪木が大好きだったから。
    ――日プロでのドリー戦や、実力日本一決定戦で日本人対決をやりあう猪木さんが好きだった。
    小佐野 国際プロレスのエースだった小林さんとの試合なんて、力道山vs木村政彦以来の超大物日本人対決でしたからね。国際も見てたし、猪木一辺倒のプロレスファンじゃなかったから「どういう試合になるのかな」っていう興味が凄くあったんです。大木さんとの試合になると、2人の日プロ入門当時からのストーリーを知っていますから。昔は馬場さんを含めて三羽烏と呼ばれた2人が喧嘩腰でやりあい、猪木さんが初めてリングで涙を見せてね。
    ――猪木さんの“キラー”と呼ばれる部分はどう見えてたんですか?
    小佐野 全日本は豪華外国人レスラーがたくさん来るんだけど、不透明決着が多かったんですよ。まあ、出落ちみたいなもんですよね(笑)。
    ――それもまた昭和プロレスというか(笑)。
    小佐野 全日本にも試合内容を期待してるんだけど、「……やっぱりな」っていう展開が多い。たとえば全日本で馬場さんと小林さんがやっても完全決着はつかなかったんじゃないかって思うし、ファンからすれば「まあ、そうだよね」って変に納得してしまう。でも、新日本の場合は違うんですよ。新日本の場合は「こうなるだろうな」って考える裏を突いてくる。全日本と比べて新日本はハミ出してくるし、「こんなことをしちゃっていいの?」ということを猪木さんは平気でやっちゃうんですよ。
    ――その頃からファンの一歩先を行くプロレスだったんですね。
    小佐野 地上波のゴールデンタイム中継でアナウンサーが「放送時間いっぱいです、さようなら!」って猪木さんの試合が終わらないまま番組が終わってしまう。コマーシャルがいくつか流れて、再び試合会場が映って提供クレジットが映される中、「ダーッ!」と雄叫びを上げている猪木さんの姿がチラッと見える。視聴者には何が起きてるのかはわからない。絶対にテレビの尺に収めないアントニオ猪木がいたはずだし、会場で見たくなりますよね。
    この続きと、桜庭和志殿堂入り、朱里UFC、破壊王伝説、大矢剛功、メイウェザーvsマクレガー特集…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-07-01 00:00  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスマスコミの御大が語るプロレス取材の難しさ」です! 
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    ――今回は「プロレスラー取材の難しさ」についてお伺いします。小佐野さんはGスピリッツなどでオールドレスラーや関係者にインタビューされていますが……たとえば定説とは異なる話を相手がしてくるケースはありますか?
    小佐野 事実じゃないというか、思い違いや、記憶が前後しているケースはけっこうあるよね。だからGスピで大変なのは事前調査なんですよ。相手に昔のことを思い出してもらうために、その材料をいっぱい提供してあげないといけない。
    ――そうすると相手も思い出してくるんですね。
    小佐野 あと重要なのは、その時間を共有していることですね。たとえばどんなに資料で調べたり、俯瞰して振り返っても、その時代のことを知らないと当時の熱はわからないと思う。それは実際に見ていないから。
    ――そういえば以前このコーナーで「大木金太郎」をテーマにお願いしたら断られましたね(笑)。
    小佐野 大木さんのことは知らないわけじゃないですけど、取材をしたことないですし(苦笑)。それは力道山時代も同じです。なぜあのとき日本国民が力道山に熱狂したのかは、知識はあっても理解はできていないんです。でも、それは仕方のないことなんだけどね。そんなことを言い出したら何も物を書けなくなってしまうから。
    ――最近は業界外の方がプロレスをテーマに扱うケースが多いんですが、ファンのあいだで議論になるんですね。
    小佐野 業界外の方が書くと賛否両論になるはずなんですよ。業界外の人間が書いたから「これが真実だ!」と褒める人もいれば、古くからのマニアは「何も知らないじゃないか」と批判する。プロレスラーって業界外の取材には良くも悪くも構えるところがあるんですよ。カッコつけて大袈裟に言ったり、丁寧になったり。
    ――逆に業界内の人間じゃないと取材を受けないケースもありますよね。たとえば馬場さんの側近で、WWEのエージェントも務めた佐藤昭雄さんとか。
    小佐野 昭雄さんは業界内の人間の取材すら受けないです。基本的にプロレス業界の人と付き合わないから。あの人がプロレス界から足を洗ったのは97年1月。最後はFFFという団体に関わってたんですね。
    ――バイク便会社にオーナーとなった幻のインディ統一機構ですね。
    小佐野 旗揚げ前に潰れちゃってね。そのときに昭雄さんは「こんな素人に騙されたんじゃ焼きが回ったな」ってことで身を引いたんです。「鏡を見たときに普通に歩いてる自分がいたから、身体が壊れる前にやめよう」と。プロレスをやっていると、みんな腰やヒザが悪くなるでしょ。いい区切りだということで業界と縁を切って全然連絡が取れなくなったんです。
    ――小佐野さんとも連絡は取れなくなったんですか?
    小佐野 取れない時期がありました。アメリカの昭雄さんの自宅に『週刊ゴング』を送っていたんだけど、編集部に連絡があって「もう送ってこなくていい。じゃあ小佐野くん元気でね」と電話を切られたきり10年くらい連絡が途絶えたんです。
    ――徹底してますねぇ。
    小佐野 手紙を送っても返事はなし。そうしたら「カリフラワー・アレイ・クラブ」というアメリカのレスラー親睦会があるでしょ。そこに出席していた昭雄さんとNOAHの仲田龍氏が会ったんです。昭雄さんはJ・J・ディロンから「ひさしぶりに顔を出さないか」って誘われて「昔の仲間の前ならいいか」って出席したみたいで。そこで仲田龍氏は昭雄さんの現在の連絡先を聞いて。
    ――そこで消息が掴めたんですね。
    小佐野 「個人的に話がしたい」と仲田龍氏を通したらオッケーの返事が来て。まずプライベートの近況を交換して「じつは取材をしたいんです」とお願いしたら「日本語のリハビリを兼ねて小佐野くんならいいか」ってことで。アメリカでは全然日本語をしゃべってないから。
    ――旧知の小佐野さんだから取材はオッケーだったんですか?
    小佐野 ちゃんと馬場さんと昭雄さんの関係がわかってる人ならということだよね。でも、みんなリタイアしちゃってるから現役のマスコミではもういないんですよ。馬場さんと昭雄さんの関係を知っていないと、冗談めかしに言ったものをそのまま書かれたら悪口に読めてしまう場合もある。そうなったら昭雄さんとしても困るんですよ。もともと2人は師弟関係だったけど、昭雄さんが全日本のブッカーになって、立場的に対等とは言わないけども、付き人の昭雄から佐藤昭雄となった。そして昭雄さんがWWF(現WWE)の窓口になってからはまた関係も変わったわけだから。
    ――いままでの上司と部下の関係ではなくなってきますね。
    小佐野 「馬場さんが俺にどういう感情を持っていたか、俺が馬場さんにどういう感情を持っていたか。俺と馬場さんの関係を知っていれば、言わんとしてることはわかると思うけど」と。けっこうシニカルな表現をする人なので、そこで誤解されたくないんですね。それほどあの人にとって馬場さんは大切な人だし、ジャイアント馬場のことを知り尽くしている。正しいニュアンスで伝えてくれないと困るというわけですね。
    ――プロレスの場合は、リング上の表現も難しいですよね。
    小佐野 昭雄さんは「世界チャンピオンになるレスラーは相手の腕を取って、いかに暇つぶしができるかだ」と言うんです。その意味をちゃんとわからないと難しいでしょ。それはただ時間をやり過ごしてるわけじゃなくて、そのやり過ごし方が重要なのであって。
    ――プロレスというジャンルをよく知ってないと誤解を招きますね。 
  • プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-06-29 19:24  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスマスコミの御大が語るプロレス取材の難しさ」です! 
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    ――今回は「プロレスラー取材の難しさ」についてお伺いします。小佐野さんはGスピリッツなどでオールドレスラーや関係者にインタビューされていますが……たとえば定説とは異なる話を相手がしてくるケースはありますか?
    小佐野 事実じゃないというか、思い違いや、記憶が前後しているケースはけっこうあるよね。だからGスピで大変なのは事前調査なんですよ。相手に昔のことを思い出してもらうために、その材料をいっぱい提供してあげないといけない。
    ――そうすると相手も思い出してくるんですね。
    小佐野 あと重要なのは、その時間を共有していることですね。たとえばどんなに資料で調べたり、俯瞰して振り返っても、その時代のことを知らないと当時の熱はわからないと思う。それは実際に見ていないから。
    ――そういえば以前このコーナーで「大木金太郎」をテーマにお願いしたら断られましたね(笑)。
    小佐野 大木さんのことは知らないわけじゃないですけど、取材をしたことないですし(苦笑)。それは力道山時代も同じです。なぜあのとき日本国民が力道山に熱狂したのかは、知識はあっても理解はできていないんです。でも、それは仕方のないことなんだけどね。そんなことを言い出したら何も物を書けなくなってしまうから。
    ――最近は業界外の方がプロレスをテーマに扱うケースが多いんですが、ファンのあいだで議論になるんですね。
    小佐野 業界外の方が書くと賛否両論になるはずなんですよ。業界外の人間が書いたから「これが真実だ!」と褒める人もいれば、古くからのマニアは「何も知らないじゃないか」と批判する。プロレスラーって業界外の取材には良くも悪くも構えるところがあるんですよ。カッコつけて大袈裟に言ったり、丁寧になったり。
    ――逆に業界内の人間じゃないと取材を受けないケースもありますよね。たとえば馬場さんの側近で、WWEのエージェントも務めた佐藤昭雄さんとか。
    小佐野 昭雄さんは業界内の人間の取材すら受けないです。基本的にプロレス業界の人と付き合わないから。あの人がプロレス界から足を洗ったのは97年1月。最後はFFFという団体に関わってたんですね。
    ――バイク便会社にオーナーとなった幻のインディ統一機構ですね。
    小佐野 旗揚げ前に潰れちゃってね。そのときに昭雄さんは「こんな素人に騙されたんじゃ焼きが回ったな」ってことで身を引いたんです。「鏡を見たときに普通に歩いてる自分がいたから、身体が壊れる前にやめよう」と。プロレスをやっていると、みんな腰やヒザが悪くなるでしょ。いい区切りだということで業界と縁を切って全然連絡が取れなくなったんです。
    ――小佐野さんとも連絡は取れなくなったんですか?
    小佐野 取れない時期がありました。アメリカの昭雄さんの自宅に『週刊ゴング』を送っていたんだけど、編集部に連絡があって「もう送ってこなくていい。じゃあ小佐野くん元気でね」と電話を切られたきり10年くらい連絡が途絶えたんです。
    ――徹底してますねぇ。
    小佐野 手紙を送っても返事はなし。そうしたら「カリフラワー・アレイ・クラブ」というアメリカのレスラー親睦会があるでしょ。そこに出席していた昭雄さんとNOAHの仲田龍氏が会ったんです。昭雄さんはJ・J・ディロンから「ひさしぶりに顔を出さないか」って誘われて「昔の仲間の前ならいいか」って出席したみたいで。そこで仲田龍氏は昭雄さんの現在の連絡先を聞いて。
    ――そこで消息が掴めたんですね。
    小佐野 「個人的に話がしたい」と仲田龍氏を通したらオッケーの返事が来て。まずプライベートの近況を交換して「じつは取材をしたいんです」とお願いしたら「日本語のリハビリを兼ねて小佐野くんならいいか」ってことで。アメリカでは全然日本語をしゃべってないから。
    ――旧知の小佐野さんだから取材はオッケーだったんですか?
    小佐野 ちゃんと馬場さんと昭雄さんの関係がわかってる人ならということだよね。でも、みんなリタイアしちゃってるから現役のマスコミではもういないんですよ。馬場さんと昭雄さんの関係を知っていないと、冗談めかしに言ったものをそのまま書かれたら悪口に読めてしまう場合もある。そうなったら昭雄さんとしても困るんですよ。もともと2人は師弟関係だったけど、昭雄さんが全日本のブッカーになって、立場的に対等とは言わないけども、付き人の昭雄から佐藤昭雄となった。そして昭雄さんがWWF(現WWE)の窓口になってからはまた関係も変わったわけだから。
    ――いままでの上司と部下の関係ではなくなってきますね。
    小佐野 「馬場さんが俺にどういう感情を持っていたか、俺が馬場さんにどういう感情を持っていたか。俺と馬場さんの関係を知っていれば、言わんとしてることはわかると思うけど」と。けっこうシニカルな表現をする人なので、そこで誤解されたくないんですね。それほどあの人にとって馬場さんは大切な人だし、ジャイアント馬場のことを知り尽くしている。正しいニュアンスで伝えてくれないと困るというわけですね。
    ――プロレスの場合は、リング上の表現も難しいですよね。
    小佐野 昭雄さんは「世界チャンピオンになるレスラーは相手の腕を取って、いかに暇つぶしができるかだ」と言うんです。その意味をちゃんとわからないと難しいでしょ。それはただ時間をやり過ごしてるわけじゃなくて、そのやり過ごし方が重要なのであって。
    ――プロレスというジャンルをよく知ってないと誤解を招きますね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!