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  • リングス伝説の佐竹雅昭戦とは何だったのか■長井満也

    2023-12-07 11:29  
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    UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第5弾!  今回は「リングス伝説の佐竹雅昭戦とは何だったのか?」です (聞き手/ジャン斉藤)



    長井満也インタビューシリーズ

     


    ①「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」②地獄の新生UWF新弟子③いつのまにか解散してしまった新生UWF④恐るべきプロレス団体リングスの真実

    ――毎回大好評の長井選手インタビューの第5弾です!
    長井 こんな話で喜んでくれるのか不安なんですよ(笑)。
    ――いつも最高ですよ!(笑)。今回はリングス編の続きですが、前回はリングスにはいろんなタイプの試合があると。ハードなストロングスタイルだったり、競技的なものだったり……。ボクが聞いているのは、リングスの日本人対決で初めて競技的な試合となったのが、長井さんと木村浩一郎さんの試合だったと。
    長井 そうだと思います。他の試合のことはわからないんですけど、たぶんそうです。
    ――当時の長井さんからすると、そういう試合をすることに何か特別な思いはあったんですか?
    長井 ……うーん、あまりにも昔の話だから、何がどうだったかは思い出せないんだけど、木村選手との試合はボクが(ジュラルド・)ゴルドーに負けて、次の試合だったと思うんですよね。
    ――前回のインタビューで振り返っていただきましたが、リングスでプロデビューした長井さんは3戦目にゴルドーと戦います。ゴルドー戦は長井さんにとって初の競技だったわけですよね。
    長井 やられちゃったんですけどねぇ。でも、ゴルドーとの試合でプロとしてやっていく自信というか覚悟が固まりました。木村選手との試合は前田(日明)さんから「どうする?」と聞かれたわけじゃなくて「これで行くから」と決定事項を連絡された感じでしたね。それはそうですよね、ボクはまだデビューしたばかりのペーペーだったわけですからね。
    ――木村選手との試合は競技でやるとあらかじめて決まっていたんですか?
    長井 そうですね。ボクとしては変な言い方だけど、ゴルドーに負けるのと、木村選手に負けるのでは、同じ負けでも全然意味が違ってくると思っていたから。変な話、公開道場破りみたいなもんじゃないですか。
    ――木村選手はサブミッションアーツレスリングの王者で、FMWでプロレスデビューしてました。リングスには“外の人間”という立場での参戦です。
    長井 ボクにとってはリスクしかなかったし、この試合で負けちゃったら自分の居場所はないから引退しようと思ってました(キッパリ)。この試合にどういう意図
    があって組んだかは知らないですけど、自分が負けたらリングスもそうだけど、プロレスの世界に居場所はないなと。
    ――長井さんにとっては、思うところがあるマッチメイクだったんですね。
    長井 まあでも、ファンの人って、そういう残酷なものを見たいじゃないですか。会社としてもそういう狙いがあったのかもしれませんですけど。ボクとしては、この試合に負けたらやめるという覚悟を持って用意をしてましたね。
    ――リングスって競技の試合で勝った選手を上で使っていくところはあったんですか?
    長井 うーん……「リングスはどうだったんだろう?」といま振り返ると、たとえば自分が競技としての試合に勝っても、それによって自分のリングス内の待遇が変わったような感じは何もしなかったですね。それはプロレスとしてお客様を喜ばせる試合が仮にできたとしても同じです。競技の試合で負けてしまっても、それによって何か変わったのか、どう評価されたのかもわからないですね。どっちも“リングスの試合”ですし、それによってどう評価されるのか考えて戦ったことはなかったかもしれないです。リングスの最初の頃は日本人選手も少なかったし、山本(宜久)も成瀬(昌由)もデビューしてなかったから、日本人は自分しかいなかったところもありますけどね。
    ――それもあって、いろいろとハードなことをやらされたわけですね。
    長井 この試合に勝ったことによって次はどうなるのかっていうことは、前田さんの頭の中にあったかどうかは、話をしたこともないからわからないですね。
    ――競技で勝ったとしても試合内容がいまいちだったら、もしかしたらダメかもしれない。「プロとは何か?」という話ですね。
    長井 だからリングスの試合ってすごい難しかったと思いますね。もちろんプロとしてお客さんに満足してもらって、次の大会もまた見に来ようと思わせる試合を見せなきゃいけないし、それとは別に競技としての強さを見せつけなきゃいけなかったから。
    ――どう評価されるかは考えていなかったですけど、木村戦に負けたら場所がないと。
    長井 いやあ、そこは思いましたね。木村選手にもリスクがあったと思います。向こうも向こうでサブミッションアーツを背負ってくれてきたわけですから。もちろんいまの総合(MMA)のほうが技術も高いし、レベルも高い。でも、あのときの木村選手とボクがいまできるものをぶつけ合って、意地の張り合いもできた試合だったのかなと思ってますね。
    ――すごく熱い試合だったと思います! いまでは考えられないというか、この試合はラウンド制ではなかったですよね。
    長井 30分1本勝負です(笑)。決着ついたのは28分とかそれくらいですね。
    ――長井さんのKO勝ち。ラウンドインターバルなしでここまで長い時間を動けるってすごいですよね。
    長井 ボクが生まれ育ったところがラウンド制じゃなかったから、それがあたりまえだと思ってましたね。この試合の途中、15分くらいで足の靭帯をやっちゃったんですよね。もう動けないし、俺が一本取れるって感じでもないなと。でも、自分のほうが絶対にスタミナはあると思っていたから、25分経過まで粘って最後の5分でラッシュかけようと考えていたんです。見合っちゃうと相手を休ませちゃうから、とりあえず倒しに行かなくてもいいから、ボクが手を出せば向こうはタックルで返しにくる。タックルに入ってまた立ち上がるって、めちゃくちゃ疲れるんですよ。それを木村選手に繰り返させようと。
    ――現代MMAでもタックルの出しどころはポイントのひとつですけど、木村選手はタックルをやりすぎてガスアウトしてしまったと。
    長井 それがよかったかどうかはわからないですけど、うまくハマったから自分が勝てたところはありましたね。
    ――ボクはだいぶ前に木村選手にインタビューしてるんです。木村選手からすると当時は大学生であまり練習してなかったけど、それなりに粘れたから変に自信がついてしまったと振り返っていて。でも、長井さんは戦術として試合を引き延ばしたところもあったと。
    長井 その木村選手の記事を読んだことがあったんですけど、あれは木村選手がプロとしての木村浩一郎を守るためにコメントをしてたのかなと思いますね。それは試合後にボクと話したこととは全然違うから、木村浩一郎というキャラクターを守るためにああ言ってたのかなって。ボクとしては「どうぞどうぞ、そう言ってください」という感じでしたね。
    ――大人ですね(笑)。
    長井 いえいえ(笑)。仮に大学生で練習できなかったとか、プロのリングではぶっちゃけ関係のないことじゃないですか。「本日、木村選手は大学生のテスト期間中のために練習ができてません!」なんて言えないし、負けた自分を守るための言い訳だからボクは全然何も気にしていないです。ボクはリングスでいろんな試合をいっぱいやって、いっぱい負けてきたけど、ルールがこうだったからとは言いたくないですよね。ぶっちゃけコンディションがどんなに悪くても強ければ勝てるじゃないですか。だから言い訳はしたくないですよね、勝っても負けても。
    ――木村選手をはじめとするフリーの日本人選手は、基本的に全員、競技の試合だったんですか? 正直、外部の選手がストロングスタイルタイプの試合に関わると面倒なこともあるじゃないですか。・前田日明になんとなくリクエストしていたこととは?
    ・リングスジャパン同士の「競技」試合の難しさ
    ・逃げ出す新弟子たち
    ・リングス「プロテスト」の過酷さ
    ・佐竹雅昭戦とリング外の政治
    ・異常なプロレス団体リングスの恐ろしさ……1万字インタビューはまだまだ続く

    この続きとUFC訴訟、高田延彦、ジョビン、長井満也、平本丈…などの12月バックナンバー記事が600円(税込み)でまとめて読める「12万字・記事13本」の詰め合わせセットはコチラ 
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  • 恐るべきプロレス団体リングスの真実■長井満也インタビュー

    2023-11-12 22:36  
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    UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第4弾!  今回はリングス入団編です (聞き手/ジャン斉藤)



    長井満也インタビューシリーズ


    ①「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」②地獄の新生UWF新弟子③いつのまにか解散してしまった新生UWF

    ――大怪我のリハビリ中に新生UWFは解散しちゃって、練習生だった長井さんは流れるままにUWFインターに参加することになりますが、旗揚げ前に離脱しちゃいますよね。その理由はなんだったんですか?
    長井 もう若かったんです(苦笑)。前回のインタビューで話したとおり、Uインターに入ったというより、そのままUWFに残ったというイメージだったんですよね。
    ――Uインターの取締役だった鈴木健さんに誘われて。
    長井 いまになったらですよ、リングス、藤原組、Uインターの3派に分かれるわけだから、それぞれの団体がカラーを出さなければいけないということもわかるし、「立ち技やダブルバウト(タッグマッチ)もいいんじゃない?なんだったら6人タッグもやっちゃおうよ!」という頭の柔らかさはあるんですけど。
    ――Uインターが取り入れたスタディングバウトやダブルバウトがイヤだったと。
    長井 あのUWFがUインターでもそのまま続くもんだと思っちゃったんですよね。だから、ボクがあまりにもガキンチョだったから「ちょっとそれは違うな……」と思っちゃって。
    ――スタンディングバウトやダブルバウトをやることはどんなかたちで知らされてたんですか?
    長井 あのとき自分はデビューすらしてなかった新弟子だし、会社がどういう方向に行くのか、どういう色合いを出していこうって決める場所にはいるわけじゃないし。「こういう風に行くからな」って一方的に報告を受ける立場でしたから。
    ――まあ、そうですよね。長井さんがいた頃ってUインターの道場はもうあったんですか?
    長井 いや、まだ道場はまだなくて。ちょっとうる覚えなんですけど、たしか高田さんが神奈川の綾瀬市だったかに一軒家をお持ちになってて。そこをUインターの寮にしたんですよね。田村(潔司)さん、垣原(賢人)くんと自分、すぐに新弟子を応募したと思うんですけど。1回目の入門テストで合格したのが、のちにリングスにも来る金原(弘光)ですね。
    ――長井さんもその寮には住まわれたんですね。
    長井 田村さんと垣原くんが一部屋ずつで、あとから入った若い子は1階のリビングを相撲部屋の大部屋みたいな感じで使って。
    ――道場がなかったから練習は近所の公園だったんですよね?
    長井 そうです。最終的に以前UWF道場だったところをお借りするじゃないですか。自分たちのときはまだそれも決まっていなくて。10時になったら近くの公園で練習でしたね。青空道場ですけど、夢があってよかったですねぇ。何もないところから作ってスタートしていくんだみたいな感じで。ボクはまだ週に何回かは首のリハビリとチェックも兼ねて東京の飯田橋にあった警察病院に通っているぐらいの体調で。まだハードな練習もできなかったと思うので、自分にとってもいいスタートだったのかもしれないし、いい思い出ですよねぇ。田村さん、垣原くん、自分と新弟子が公園でガンガン練習してるんですからね。
    ――3派に分かれたことで人間関係もだいぶ変わって、過度なイジメやしごきはなくなった感じですかね。
    長井 そうですねぇ(苦笑)。ボクが以前のインタビューで話してたようなああいうことは、なくなったんじゃないかなと思いますね。
    ――そうして道場を使える頃にはUインターをやめてしまうと。
    長井 そうです。旗揚げ戦に向けていろいろ動き出している最中ですよね。変な言い方ですけど、新弟子が夜逃げげしたみたいなもんですよ……。「こういう風にやっていく」って話をいろいろと聞いて、ちょっと俺の中では違うなって。これも言っていいのかな。リングスの公式記録員をもやっていた田代(徳一)さんとはずっと連絡を取り合ってたんですよ。田代さんには「Uインターはこういう風にやっていくみたいなんだよね」「自分はこう思ってる」みたいな考えも伝えてたんです。
    ――田代さんは新生UWFではトレーナー的な立場でしたね。そこからリングス入団に繋がっていくと。
    長井 前田さんは外国人を集めてやろうとしているという話を聞いて。いまでこそデビューしてから30年以上やれてるけど、当時のボクとしては長くやれるかどうかもわかんないし、どうせやるんだったら自分のやりたいようなスタイルをやってみたいなと思ったんですよね。それでUインターをやめようと。
    ――Uインターの誰かに相談はしたんですか?
    長井 いや、Uインターでそんな相談できるような人もいなかったし、あまりにも皆さん先輩だから。同期の垣原くんを巻き込んでも迷惑がかかるなって思ったんですよ。でも、何も言わないでやめるのもイヤだから、事務所にだけは挨拶に行ったんですよ。事務所に鈴木健さんがいたのかな。やめることを話したら「ちょっと待ってろ」と言われて。ある先輩が事務所に来て「長井の思っていることを全部聞いてやるから話してみろ」と。だから自分の思ったことを全部言ったんです。プロレスのリングでなぜ立ち技をなんでやるのか。UWFの試合をしたいから、つらいこともガマンしていたし、耐えてきた。「思っていたよりもプロレスの方向に行くのは違うと思います」と言ったら、その先輩から「黙って聞いてりゃいい気になりやがって」と怒られました(苦笑)。
    ――うわー!! 言われたとおりに吐き出したら怒られる理不尽さ(笑)。
    長井 ボクはもう黙るしかなかったですよね……。それで話は終わりました。
    ――長井さんとしては競技に近いスタイルをやりたかったんですか?
    長井 ボクはバリバリのプロレスファンなんですよ。背がちょっと高いからこの世界に入れただけだし、シューティングジムに入ったのも、前のインタビューで話したように全日本に入ろうとして(ジャイアント)馬場さんと面談したときに「何かやったほうがいい」と言われたからで。ただ、シューティングジムに通ったり、シュートボクシングで試合をするようになったから、格闘技路線寄りだったかもしれないですね。
    ――新生UWFでデビューできていれば、また考えが違ったのかもしれないですね。・前田日明とマンツーマントレーニング
    ・プロレスと格闘技の狭間をいったリングス
    ・ゴルドー戦は“完全競技”だった
    ・試合後の揉め事は日常茶飯事
    ・リングス最大の貢献者はヴォルク・ハン
    ・リングスオランダのヤバさ……まだまだ続く
    この続きと鈴木千裕、斎藤裕、北岡悟、長井満也、朝倉未来KO…などの11月バックナンバー記事が600円(税込み)でまとめて読める「12万字・記事13本」の詰め合わせセットはコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202311 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!

     
  • 長井満也インタビュー「いつのまにか解散してしまった新生UWF」

    2023-10-15 10:08  
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    UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第3弾!  今回は新生UWF解散編です (聞き手/ジャン斉藤)



    長井満也インタビューシリーズ
    ①「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」②地獄の新生UWF新弟子

    ――いろいろと衝撃的だった前回に引き続き、新生UWFの新弟子時代のお話をうかがいます!
    長井 今回は楽しい話をしたいですね(苦笑)。
    ――ハハハハハハハ! 前回聞けなかった先輩レスラーとの関係なんですが、高田(延彦)さんとはどうだったんですか?
    長井 飲みに連れてってもらったのは高田さんが一番多かったですね。
    ――高田さんってどの時代もお酒でコミュニケーションを取っていますよね。
    長井 ただ、私は基本的にお酒は飲めないんですよね。見てくれは、すごい飲めそうなんですけど(苦笑)。高田さんって交友関係がものすごい広いじゃないですか。「今日はこの知り合い」「明日はこのレスラー仲間」って飲む機会が多かったんでしょうね。高田さんは当時は力士の寺尾さんや益荒男さんと交友があって、寺尾さんたちは同じ部屋の若い衆を連れて来られるから、高田さんも道場の新弟子を連れていってくれたんですよ。
    ――下戸の長井さんは無理やり飲むんですか?
    長井 はい。いまの若い子たちは「飲めません」って言えるらしいんですよね。私の時代は拒否することはできなかったので、もう無理して飲んでました。あるとき高田さんと寺尾さんがそれぞれ若い子を連れて六本木で飲んでたんですよ。私は案の定、潰れて寝てたんですね。パッと目を覚ましたら高田さんと寺尾さんの2人に両脇を支えられながら、六本木の街を歩いてるんですよね(笑)。
    ――すごい絵!(笑)。
    長井 潰れたまま次のお店に連れて行かれたんです。次のお店でもずっと寝てたんですけど、目を覚ましたら目の前にアニマル浜口さんがいたことがありますね。慌てて起き上がって挨拶したんですけど(笑)。
    ――高田さんって酔っ払うと面白いですよね。そのときの姿が引退後の芸能活動に活かされてるんだなって。
    長井 面白いですけど、酔っ払ってても私たち新弟子から喋りかけれないような存在だったので。のちに結婚をなさる向井亜紀さんも飲みの席に来られてたこともあったんですけど。あるとき新弟子が逃げたことがあったら、私と冨宅(飛駈)くん、垣原(賢人)くん が落ち込んでいるだろうからってことで、向井さんが「今日は高田さん抜きで3人を六本木で接待してあげる」と。
    ――向井亜紀の会が!
    長井 六本木の高級なお店に連れていってくださって、さすが芸能人はすごいなって。そのあとクラブというか、ディスコみたいなところにも行ったんですよ。でも、ボクらは新弟子だから坊主頭だし、服装もオシャレではないですよね。お店のドレスコードで「坊主はちょっと……」って断られたら、向井さんが持ってたバッグを床に叩きつけて「差別だ!」と怒りだしたんです。
    ――すごくいい話です!
    長井 「今日は高田さんを呼ばない」と言ってたんですけど、怒った向井さんは高田さんに電話しちゃって、結局高田さんもやってきたことがありましたね。いい思い出ですよ。ボクら3人はべつにディスコに入りたいわけでもないんですけど、向井さんに「怒らないでください」とも言えないですし。できることといえば、向井さんが叩きつけたカバンを拾うくらいで(笑)。向井さんもは相撲部屋の女将さんじゃないけど、そういうような感じで私たちに接してくれてましたね。
    ――長井さんが付き人をやっていたこともある前田さんとは飲みに行かれたことはあったんですか?
    長井 いま思えば前田さんから電話がかかってきて「長井、飲みに行くぞ」と誘われたことはなかったような気がしますね。前田さん、山崎(一夫)さんはなかったです。船木(誠勝)さん、鈴木(みのる)さんも飲みに行く感じはなかったですね。行くのは高田さん、あと安生(洋二)さんかな。
    ――新生UWFの中でも一匹狼だった中野(龍雄)さんはどうだったんですか?
    長井 あー、中野さんは後輩思いの方ですね。前回も言ったんですけど、私が入った寮が宮戸(優光)さんチームで、中野さんがいらした寮は冨宅くんや垣原くんだったんですよね。私と中野さんの接点は道場ぐらいで、中野さんのエピソードは冨宅くんや垣原くんのほうがめちゃくちゃあると思いますけど。中野さんって見た感じは武骨で不器用そうじゃないですか。その反面と言ったらすごい失礼ですけど、すごく優しいところがあって、いま思えば面倒見がすごくよかったと思うんですよね。
    ――道場外でもお世話になったんですか?
    長井 そうですね。中野さんが治療院に行くから「長井、オマエも一緒に行こう」って連れてってくれたことがあったり。「治療してもらうんだから失礼がないように、ちゃんとシャワーを浴びてこいよ」とマナーを教えてくれて、当時の中野さんの愛車フェラーリZで連れて行ってもらったんです。で、中野さんは「長井! オマエ、いまはどういう歌が流行ってるのか知ってるか?そのカセットを入れてみろ」と。男っぽい歌かと思ったらプリプリ(プリンセス プリンセス)の曲が流れてきました(笑)。
    ――♪ダイヤモンドだねーと(笑)。☆愛すべき漢・中野龍雄さん
    ☆藤原喜明の取り合い
    ☆首の骨を折った瞬間…
    ☆壮絶な手術&リハビリ
    ☆山本宜久がいなかったら潰されていた
    ☆いつのまにか解散していた新生UWF
    ☆前田日明と一緒に藤原喜明の家に行ったが…1万字インタビューは会員ページへ続く
     
  • 地獄の新生UWF新弟子編■長井満也インタビュー

    2023-09-14 11:45  
    200pt
    UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第2弾! 地獄の新生UWF新弟子編です (聞き手/ジャン斉藤)前回はこちら
    長井満也「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」
    ――長井さんはシュートボクシングをやめて、当時人気絶頂だった新生UWFの入団テストを受けることになるんですよね。
    長井 入門テストを受けましたね。シュートボクシングで最後に試合をしたのは89年の2月くらいで、入門テストは6月だったんですよ。
    ――けっこう空いてますね。
    長井 そのときのUWFって履歴書を送ったら「じゃあテストしましょう」というわけではなく、定期的に入門テストをやってたんですよね。
    ――よく『週刊ゴング』や『週刊プロレス』に告知されてましたね。
    長井 私は第3回目の入門テストですね。そのとき受けたのが同期の垣原(賢人)くんと冨宅(飛駈)くんで。第1回目のテストの合格者は田村(潔司)さんです。
    ――テスト場所は世田谷区大蔵の道場だったんですよね。
    長井 世田谷の運送会社さんに間借りしていた道場で入門テストをやりました。参加者はすごい人数でしたよ。大げさかもしれないけど、20人30人はいたと思います。それこそ本気でプロレスラーになるために来ている子もいれば、ちょっと冷やかしっぽい子もいて。
    ――試験官は誰だったんですか?
    長井 おぼえてるのは前田(日明)さん、高田(延彦)さん、船木(誠勝)さん、あのへんがオールスターで揃っていましたから、けっこうすごい入門テストでしたね。緊張したし、ボク的にはシュートボクシングをやめてきているから、もう後がない。「テストに落ちたからシュートボクシングに戻ります」とも言えないし、受かるために準備はしてきましたけど、不安はありましたね。
    ――どんなテストメニューだったんですか?
    長井 なんとなくしか覚えていないけど、最初にスクワット500回。それを何分でできるのか。それが終わったら腹筋と背筋。UWFの道場の近くに有名な坂があって、そこでダッシュもやらされたような記憶があるんですよね。めちゃくちゃキツかったですねぇ。
    ――基礎体力的なメニューが中心で、ミットやスパーはなかったんですか?
    長井 それはなかったです。テストも道場の中じゃなくて、道場の前の車を置くような砂利のところでやってたんですよ。腕立て伏せにスクワットも腹筋もそこで。腹筋なんてケツのところが破れて血を流してやってる子もいましたよね。
    ――途中で脱落した人もいたんでしょうね。
    長井 いっぱいいましたね。たしか入門テストを受けに来た中で、垣原くんが一番若かったんですよ。15か16歳。もうそのときから船木さんに目つけられてて、腕立て伏せがきつくなって止まりそうになったら、船木さんが前に来て声をかけてましたね。
    ――船木さんも新日本の入門が15歳だったから、自分と重なり合わせてるところがあったんでしょうね。長井さんはシュートボクシングで鍛えられたことで、突破する自信はあったんじゃないですか?
    長井 体力はあったと思いますけど、シュートボクシングの中で腕立てやスクワットを500回やるみたいな経験がなかったんで。だからちゃんと用意してきましたね。そこで体力がなくて落ちたとなったら、「何しに来たんだ」って話じゃないですか。それまで自分のやってきたものを捨ててまで来たのに。
    ――昔のプロレスの道場ってまず体力ですよね。
    長井 たとえば月謝を取って練習生として教えるんだったら体力はなくてもいいけど、プロレスの団体にしたら将来スターになるかもしれない選手をお金をかけて育てるわけじゃないですか。やっぱり最低限の練習に耐えられるものを持った人が来てくれないと、会社も困りますよね。
    ――その体力テストを長井さんは最後までやりきったんですよね?
    長井 はい。合否は後日、郵便か何かで送られてきたような気がしますね。合格だったんですけど、嬉しかったというよりは、自分のやってきたものを捨てて挑戦したから、ホッとしましたねぇ。
    ――長井さんがシュートボクシング経験者だってことも合格にプラスに働いたんですかね。
    長井 シュートボクシングをやっていた奴が受けに来るってことは選手の皆さんは知ってたみたいです。だから試験前に前田さんや高田さんから声をかけられたりもしました。他の試験を受けに来た子からは「選手から喋りかけられてた奴がいたな。なんだよ、アイツ」みたいに言われてたのが聞こえてきましたね(笑)。
    ――注目のテスト生だったから、UWF側からすれば、テストをクリアすれば取ろうという考えはあったのかもしれないですね。
    長井 まあちょっとはあったかもしれないですね。
    ――そこから寮生活が始まるんですね。
    長井 そうですね。当時、寮が2つあったんですよ。中野(龍雄)さんと田村さんがいた寮と、もう片方に安生(洋二)さんと宮戸(優光)さん、鈴木(みのる)さんがいたのかな。
    ――中野さんのほうが狛江で、安生さんのほうが喜多見ですよね。
    長井 そうそう。ボクと垣原くんは宮戸さんのほうの寮で、冨宅くんは中野さんのほうだったんですよ。
    ――寮ってどんな感じなんですか?
    長井 いま思えば本当に汚いアパートというか(苦笑)。1階が6~8畳のキッチンがある部屋で、2階が6畳と4畳半の部屋。上に宮戸さんと安生さんがいたんだけど、ボクらが入る前に安生さんは寮を出られたんですよ。鈴木さんは下の1部屋だったような気がするな。
    ――当時の鈴木さんが寮に入っているのは意外ですね。
    長井 でも、ほとんどいなかったですね。彼女の家にいて(笑)。中野さんのほう2LDKのアパートで。中野さん1部屋で、田村さん、冨宅くんが同じ部屋みたいな感じで。そのあと中野さんは寮を出られたはずですね。
    ――そこから大蔵の道場に通う生活が始まるということですね。
    長井 そこから道場までけっこう距離があるんですよね。あまりに昔のことで思い出せないですけど、私と垣原くんは自転車で通っていたのかなあ。そういえば寮に入ってから鈴木さんに「マックで買ってきてくれ」って言われて。鈴木さんの原付を借りて、用賀のインターの乗り口にあったマックまで行ったら、帰り道エンストで動かなくなっちゃって。1時間かけて原付を押して帰ってきたことがありましたよ。鈴木さんから「遅せえじゃねえか!」と怒られましたけど、汗だくで「すいません!」って謝ったら許してくれました(笑)。
    ――あの頃の鈴木さんって正直、下の人たちからは恐怖の象徴的な存在ですよね。
    長井 新日時代の鈴木さんのことはわかんないですけど、寮に入って宮戸さんに道場に連れて行ってもらったんですよ。本当の初日ですよ。道場にいた鈴木さんに挨拶したら、鈴木さんが宮戸さんに「宮戸さん、コイツやっちゃっていいんでしょ?」って言われましたから(苦笑)。
    ――うわー、初日からイヤですねぇ。
    長井 それが初対面ですよ。そっからマウント取りたかったんじゃないですか。
    ――そこは長井さんはシュートボクシング出身だから「やれる選手」という意識もあったんじゃないですか?
    長井 そこもあったのかもしれないですね。あるときも「背がデカいからって、期待されやがって」みたいなこと言われましたから。まあ初日から「俺に地獄が待ってるんだな」って思いましたよ(笑)。
    ――実際に地獄でした?
    長井 地獄でしたねぇ(しみじみと)。あんまり細かくいうと、UWFファンから批判されそうですけど……。
    ――Dropkickメルマガの読者は大人のプロレスファンしかいないので大丈夫です!(笑)。
    長井 プロとして食べていくんだから練習がキツイのは仕方ないと思ってたんですよ。でも、それ以外がキツかったですねぇ。同期で入った子もあっという間にやめていったし。
    ――同期は何人くらい入ったんですか?
    長井 ボクがおぼえてるのが冨宅くん、垣原くん含めて5人か6人だったんですけど、ボクら以外は2~3日であっという間にいなくなりました。なので今度は補欠が入ったんですけど、それもあっという間にいなくなりました。朝起きたらいないこともあるし、ちゃんこ番のときに「大根、買ってきます!」と出たきり、いまだに帰ってこない奴もいるし(笑)。
    ――大根を探してさまよってますか(笑)。相撲社会から受け継いでる縦社会の人間関係、かわいがりが厳しいってことですね。
    長井 もちろん入ってきて体力がなくて練習についていけなくてやめてしまうのは仕方ないと思うんですよね。厳しい練習は当然ですから。でも、そうじゃない理由でやめるのは……いまだったら逮捕者が出るようなかわりがりですよ(キッパリ)。
    ――最近のプロレスインタビューの難しいところは、過去の細かい話を聞きづらいってところがあるんですよね。昔の話だとしても活字化できない内容もあって。
    長井 そうですよね。どこの団体とは言わないけど、会社からそういう話は絶対に禁止って言われてるみたいですよ。でも、そうあるべきだと思います。運動能力に優れてる子たちがそういう理不尽ないじめや暴力でやめていく。業界的にはすごいマイナスだと思います。それは本当にプロレスだけじゃなくて、他のスポーツも悪い習慣をなくしていくべきだと思いますね。たぶんですけど、ボクらの世代がそういうめちゃめちゃな時代の最後ぐらいだったと思いますね。
    ――長井さんは地獄を生き残った、と……。・あれ以上やらてたら死んでいた
    ・地獄のかわいがりエピソード
    ・安生さんを悪く言う後輩はいない
    ・幻のリングネーム「長井優樹」
    ・救われた前田さんのポルシェのエンジン音……などなど1万字インタビューはまだまだ続く

    この続きと金原正徳、ドーピング、太田忍、長井満也、高木三四郎…などの9月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「15万字・記事16本」の詰め合わせセットはコチラ 
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  • 長井満也「我が青春のスーパータイガージム、シュートボクシング」

    2023-08-08 22:01  
    200pt
    UWFやリングス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井満也インタビューシリーズ第1弾(聞き手/ジャン斉藤)【1記事から購入できるバックナンバー】・佐山聡に鉄拳指導された当事者が語る「地獄のシューティング合宿の真実」
    ・朝日昇インタビュー最終回……修斗分裂騒動の裏側、着せられたクーデターの汚名
    ・「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永<シューティング黎明編>
    ・運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>
    ――今回からUWFやリングス、プロレス、K-1まで、様々なリングで戦ってきた長井さんのインタビューシリーズ第1回目です。長井さん、よろしくお願いします!
    長井 よろしくお願いします。私の話が面白いかどうかもわからないですけど(苦笑)。
    ――いやいや、初期スーパータイガージムに関わってる時点で相当すごいですよ!
    長井 懐かしいですねぇ。いまでこそ佐山(聡)さんって総合格闘技を作った人というイメージがありますけど、ボクを含めてほとんどの人が何も理解せずにスーパータイガージムに通ってたと思いますね。
    ――佐山さんも試行錯誤していた時期ですよね。
    長井 そうだと思います。あのときのジム生のほとんどは「タイガーマスクに会えるんだ!教えてもらえるんだ!」っていうノリの子が多かったと思いますね。私もそうですから。
    ――長井さんの通われていた頃のインストラクターはどなただったんですか?
    長井 グラップラー刃牙のモデルになった平直行さん、全日本プロレスに入団された北原(光騎)さん、あとジークンドーの中村頼永さん。
    ――錚々たるメンツですねぇ。
    長井 また3人とも個性があって。平さんは明るくてひょうひょうがした感じで、北原さんはもうホントに怖い兄貴っていう感じで、中村さんには何か怒られたりした記憶はなかったですね。この歳になってもお付き合いがあったり繋がりがあるので、いいところから格闘技をスタートできたなと。
    ――どちらからスーパータイガージムのある三軒茶屋まで通われていたんですか?
    長井 私はそのとき親の転勤で北海道から神奈川県の大船に移ってまして。そこから週3回くらい通ってましたね。
    ――大船から三軒茶屋ってけっこうありますよ(笑)。佐山さんはいつもジムにいたんですか?
    長井 私が行き始めた頃は、あまりいらっしゃらなかったんですよ。本当にたまに来られて、初めて見たときは「うわー、佐山聡じゃん!」って興奮しました。あれはいつからだろう? 平さんがシュートボクシング(以下SB)に行かれてから、佐山さんがよく来られるようになりましたね。めちゃめちゃ怖かったです。YouTubeに上がっている合宿の動画、あれを私も経験してますから。
    ――「それがオマエの本気か?」をジムの中で?
    長井 そうです。月謝を払っている一般会員なんですけど、「死ぬ気で蹴れ!」ってぶっ叩かれました(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 
    長井 合宿の動画と同じで「このキックミット、死に気で蹴ってみようか?」って言われて、本気で蹴るじゃないですか。すると「……オマエ、なめてんの?」と。
    ――その頃から芸風は完成されてるんですね(笑)。
    長井 「死ぬ気で蹴れ!」って怒鳴られて、自分の中では目一杯やってるんだけど、ぶっ叩かれるからわけがわかんなくて。それが延々と続くんですけど、急に「そう、いまのだよ!」って言われるんです。
    ――長井さんの中では違いはわからないんですか?(笑)。
    長井 いやあ、わかんないです(笑)。いまとなってはいい経験をしましたねぇ。
    ――佐山先生は他の会員にもそういう指導をされてるんですか?
    長井 いやー、毎回じゃないし、全員が食らうわけじゃないんですよ。佐山さんがロックオンするんですかね。私はなぜか何回かロックオンされて食らいましたね(笑)。
    ――長井さんは見どころがあったってことですかね。
    長井 どうなんですかね。ボクは17、18歳くらいのときで、佐山さんは途中から「満也」って呼んでくれるようになったんですよ。で、私がリングスでデビューして、K-1に上がったりしたあとプロレスに挑戦することになったんですけど。その当時お世話になっている方が佐山さんとお知り合いだったんです。そこで佐山さんにプロレスを教えてもらおうということになったんですが、佐山さんは当時北海道の旭川で掣圏道の道場を開いてて。
    ――あー、懐かしいです! 長井さん、掣圏道にまで関わっていたとか幅広すぎます(笑)。
    長井 そのとき久しぶりに佐山さんとお会いさせていただいたんですが、「私はスーパータイガージムに通ってまして、佐山さんに稽古をつけていただいたんです」と言ったら、「あのときの満也か!」って思い出してくれたんですよ。あれは嬉しかったですねぇ。
    ――しかし、スーパータイガージムと掣圏道が繋がるってなかなかないですよ! 
    長井 掣圏道には渡部(優一)さんも関わってましたけど……。
    ――渡部修斗の父親ですね。三沢光晴さんと高校時代のレスリング部の同級生で。
    長井 入会した時期でいえば渡部さんより私のほうが先なんですけど。渡部さんは「レスリングのすごい強い奴が来る」って話題になってました。実際にめちゃめちゃ強かったですけどね。
    ――平さんがSBをやるためにインストラクターをやめちゃうじゃないですか? のちにSBでデビューする長井さんは事前に聞かされていたんですか?
    長井 いや、それは聞いてなかったですね。「最近、平さんがいないな」と思っていたら、「じつはやめてSBに行ったんだ」って話を聞きました。やっぱり一般会員だったので、そこまで内部事情には詳しくなくて。
    ――そもそも長井さんはプロレスラーに憧れてスーパータイガージムに通われたわけですよね。
    長井 そうです。でも、格闘技の経験がなかったんですよ。これも遡っちゃうんだけど、私が北海道に住んでいた高校1年のときに、新日本プロレスに履歴書を送ったんですよ。返事はもらえなくなったんですけどね。当時はプロレス団体といえば、新日本か全日本しかなくて、ちょっと悪い言い方だけど、いまみたいに誰でもなれる時代じゃなかったから。
    ――プロレスラーは狭き門でしたよね。
    長井 だからボクの中で「やっぱり俺なんて返事をもらえなくて仕方ないよな」みたいな感じだったんですけど、全日本にも履歴書を送ったんですよ。そうしたら全日本さんからは返事がもらえたんです。シリーズで札幌中島体育センターに行くから、そのときに佐藤昭雄さんを訪ねてくれ、と。
    ――当時全日本の現場を仕切っていた佐藤昭雄さんですね。
    長井 実際に会いに行ったら、佐藤昭雄さんが「オマエちょっと来い」と控室に連れて行ってくれて。そこにはソファに座った馬場さんがいたんです。馬場さんが最初に言ったのは「オマエ、家出してきたんじゃねえだろうな」で。そして「格闘技やってんのか?」って聞かれて、当時は陸上しかやってなかったので「レスリングか柔道をやって高校を卒業してから来い」って言われたんですよ。当時のボクからしたら「オマエなんかじゃダメだから、学校に戻って、柔道かレスリングをやっとけよ」みたいな感じに聞こえたんですね。でも、のちに00年代になってからは全日本プロレスに出たときに、レフェリーの和田京平さんに「昔、馬場さんにこういうことを言われたんですよ」と言ったら「バカ。馬場さんに会ってくれたってことは、OKってことだよ。高校卒業してきたら入門できたよ」と。
    ――たしかに馬場さんがわざわざ会ってくれたってすごいことですね。
    長井 でも、当時はわかんないですよねぇ。ボクの中では、スポーツで輝かしい経験があったり、本当に選ばれた人間しかプロレスラーになれないと思ってたんで。それから親の転勤で神奈川に来て、プロレスラーになるためには格闘技をやらなきゃと通い始めたのがスーパータイガージムでした。

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