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  • 【詰め合わせセット】榊原信行、石川雄規、魔裟斗復帰、アニマル浜口、中井祐樹、巨乳は不利か…【9万字】

    2015-10-31 23:59  
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    90年代ゼロゼロ年代のオモテとウラを知り尽くした金ちゃんが過去を振り返るインタビュー連載!今回はPRIDEのミルコ・クロコップ戦!
    ◉中井祐樹の東奔西走日記日本格闘技界の礎を築いたレジェンドが日常を綴る! 中井先生の東奔西走ぶりをお届けします!◉笹原圭一の書評の日が昇る「真説・長州力 1951-2015/田崎健太」「私が殺した少女/原尞」◉ROAD TO UFC JAPAN決勝戦まさかのドロー決着を斬る!大沢ケンジ「ジャッジは逃げるな!」 ◉Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――「MMAに巨乳は有利、不利?」
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■アントニオ猪木に憧れプロレスラーを目指し、佐山サトルのシューティングで腕を磨き、アメリカで“プロレスの神様”カール・ゴッチに教えを請い、帰国後は藤原喜明を師事。まさにストロングスタイルの王道を歩み続けたプロレスラー、石川雄規。彼とその仲間が興したプロレス団体バトラーツは、殴る、蹴る、極めるの原始的な戦い、いわゆるバチバチのスタイルで熱狂的な人気を博していく。しかし、経営不振で2001年に一度幕を下ろし、その後は形を変えての活動を続けていたが、2010年に解散。石川は現在はカナダでプロレスの指導しているが、石川が同地に導かれたプロレスの奇跡と絶望とは? イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!

    ――石川さんが「バトル・アーツ・アカデミー」のコーチとしてカナダに渡られてからだいぶ経ってますよね。
    石川 もう2年と3ヵ月ですか。月日が経つのは早いですねぇ。
    ――向こうでの生活はもう慣れましたか。
    石川 比較的ノンビリですよ。昼過ぎくらいにジムに行って。ジムにはいろんなクラスがあるんですけど、デイタイムはMMAクラス、夕方からは子供たちのクラス、夜にはプロレスを教えたりしてね。
    ――ジムはどんな場所にあるんですか?
    石川 トロントの隣町。トロント空港から車で10分くらいの住宅街。とにかくジムは広いんですよ。オクタゴンがあって、キックボクシングのスペースがあって、アマレスのマットがあって、リングもある。ウエイトトレーニングの設備もありますし。会員は軽く300人以上はいるんじゃないですかね。正確な数字は聞いてないですけど。
    ――プロレスコースはどういう指導内容なんですか?
    石川 結局やることはレスリングなんですよ。とかく北アメリカだとプロレスはエンターテイメントとして見られてるでしょう。がっちりとロックアップしてロープに振って……というのがプロレスだと思われてますからね。それはプロレスのメインロード。WWEのプロレスはそのメインロードのダイジェストを見せてるだけなんです。
    ――プロレスをやるからには緻密なロードマップを知っておかないとマズイわけですね。
    石川 そうそう。いまはメインロードしか知らないでやってるプロモーションやレスラーが多すぎるんですよ。本来のプロレスリングにはMMAのスキルがあって、その周りにエンターテイメントの要素が混じってる。その外側だとマネすれば、なんとなくそれらしくは見える。でも、それじゃエンプティ(からっぽ)なんですね。WWEはエンプティじゃないですよ。素晴らしく完成されたエンターテイメントです。ファンもどきの“プロレスラー”は、外側の華やかなわかりやすい部分だけ見て「あの技、あの動きなら、自分もできるかも」と思うわけですよ。
    ――では、石川さんの指導に「プロレスはこんなことから習わないといけないの?」って驚く生徒もいるんじゃないんですか。
    石川 そういう人も少しはいましたよ。ボクがキャッチレスリングからみっちりと教えて「そういうものがなければエンプティだ。エンターテイメントにはならない。ただのフェイクだ」という思想を叩き込んでいますよ。
    ――いまは日本でもそういった指導をする団体は少なくなってますね。
    石川 かもしれないですね。いまは素人がプロレス団体を立ち上げるようになっちゃってるんで。でも、本来のプロというものは、道を外れても走り続けないといけないんですよ。素人でも見たことがあるメインロード以外の細かい道でも高速でカーチェイスできなきゃダメなんです。素人だったらすぐにクラッシュしちゃうような道をね。それがプロフェッショナルレスリング。
    ――つまりフリースタイルの対応力が求められるわけですね。
    石川 いくらいい身体をしていても、かっこいいハイスパートをやるだけじゃダメなんですよ。第1試合も第2試合も第3試合も、おんなじよーな奴が出てきて、おんなじのよーな試合をやって、プロレスの表面だけのモノマネをして自己満足してるんですよ。「どうだい、俺はプロレスができるだろ?」って、いやいや全然できていない。偽物ですよ。
    ――そこで石川さんはカナダで真のプロレスを伝えてる、と。
    石川 これからはバック・トゥ・ザ・レスリングの時代になっていくはずなんですよ。そこは繰り返していくと思うんですよね。レスリングの時代、ルチャっぽい動きの時代、マッチョマンの時代……そしてまたレスリングの時代が戻ってくる。本物のレスリングが求められたとき、誰も指導者がいなかったらどうします?
    ――いまは絶滅危惧種的なところはあるかもしれませんね。
    石川 WWEのプロレスは、言ってみればディズニーランド。完成されたエンターテイメントの世界ですが、そのプロレスも世の中には絶対に必要なんですよ。だけど、プロレスってそれだけじゃないんですよ。猪木さんが築き上げてきた文学的な世界もあるんです。挑戦すること、戦い続けること、信じ続けること……俺たちは猪木さんのプロレスを通して人生を考えてきたじゃないですか。
    ――考えてきましたねぇ(笑)。
    石川 テレビの前に正座して、猪木さんの戦う姿を見て「俺の人生はどうなんだろう? こんなんでいいのだろうか……?」って自問自答していたわけですよ。ディズニーランドに遊びに行ってそんなことは考えないじゃないですか。「あー、楽しい、面白い!」の世界ですから(笑)。
    ――ディズニーランドで自分の人生は考えないですね(笑)。
    石川 いまのプロレスはそうやってみんなディズニーランド化しちゃってるんですよ。なぜ文学的なプロレスをやらないかといえば、面倒くさいから。アントニオ猪木のプロレスは、“行間を読ませる”文学的要素がものすごく含まれていて、とても深い。でも、表現する側にとってはこんなに面倒くさく、難しいものはない(笑)。
    ――その面倒臭さが癖になるわけですね。
    石川 いまは体育会系のプロレスばっかでしょ。「俺はプロレスが好きなんだ、こんなに好きなんだあ!」というプロレス。でも、猪木さんはそんなことは言ったことがないし、そんなプロレスをやったことがない。「俺はなんでレスラーになっちゃったんだろう? 俺はレスラーになってよかったんだろうか……?」っていう、まるで禅問答のような哲学的なことをこちらは勝手に感じ、勝手に考え、勝手に思いを巡らせていたわけです。そうして心を揺さぶられたんですね。いや、もしかしたら“勝手に心を揺さぶっていた”だけのかもしれないけど。うん。
    ――猪木さんの対極にディズニーランドとして、当時は馬場さんのプロレスがあったわけですよね。
    石川 猪木さんが馬場さんのプロレスを嫌いだったとか、好きだったとかということでなく、自らの立ち位置を確立するためには、舶来のエンターテイメントプロレスを凌駕する、日本文化に則した“日本のプロレス”が必要であると、本能的に感じたのではないでしょうか。まさに、未来の日本のために天から与えられた使命というか。馬場さんのプロレスが対極にあったからこそ俺たち猪木信者も、意地になって“考えるプロレス”をしていたんでしょうね。
    ――そう考えると猪木さんのプロレスは特殊だったんですね。
    石川 私の世代の前後、プロレスラーを目指し、プロレスラーになった人間は、ほとんどがアントニオ猪木のプロレスに影響され、狂ったクチじゃないですかね(笑)。そこは馬場さんのプロレスがいい悪いじゃなくて。猪木さんは狂い人として、他人を狂わせるプロレスをやっていた。ヒールだベビーフェイスだでプロレスをやっていなかったんですよね。
    ――昔WWEのレッスルマニアでロックvsホーガンをやったときに、ヒールのはずのホーガンがファンから大声援を送られて試合中に立ち位置がチェンジしたことがありましたけど。
    石川 それなんですよ! 本来はそのレスラーから滲み出るものによって、ヒールやベビーフェイスって分けられていくものじゃないですか。なのに、この試合はどっちがベビーをやるのか、ヒールなのか。見る方も緊張感もなく「こっちが悪役だから」ってブーイング、ベビーフェイスだからって声援。そうじゃないんですよ、プロレスは!
    ――石川さんのプロレスへの思いは、両親にプロレスラーになることを大反対されたことで深まっていったところもあるんですよね。
    石川 俺が「プロレスラーになる」と言い出したことで、進路問題は揉めに揉めて母親は具合悪くなって寝込んだりしましたしね。でも、迷いはありませんでした。“闘い続けよ。夢は叶う”というアントニオ猪木の言葉か正しいということを自分の人生をもって証明してやると心に決めてましたから。
    ――お母さんに「猪木と私、どっちを取るの!?」まで言われたんですよね。
    石川 でも、あのときの俺は「猪木!」と言えなかったんです。口をつぐんでしまった自分を十数年、責め続けましたねぇ。「俺はダメな奴だ、ダメな奴だ、ダメな奴だ……」って。それで行動で示すしかなかった。
    ――そんな親御さんの反対もあって、とりあえず大学には進まれて。
    石川 日大のレスリング部に入りました。周囲は特待生というんでしょうか。高校生のときにインターハイチャンピオンとか、活躍してきた選手ばかり。中にはオリンピックに出る選手もいますしね。そんな中に、アマレス未経験の生徒がわざわざ厳しくて有名な体育会レスリング部に飛び込んできたわけですから、変人だと思われましたね。
    ――そこに飛び込んだのはもちろんプロレスラーになるためですね。
    石川 とりあえずやれることをやろう、と。高校ではスポーツに全然、力を入れていない進学校のコーチもいない柔道部でしたから。それでも高校のときはスクワット1000回2000回やってましたからね。「打倒・新日本プロレス!」とわけのわからないことを言いながら。もうリアル「1、2の三四郎」ですよ(笑)。
    ――日大のレスリング部も相当厳しそうですね。
    石川 高校を出たばかりの青年にとっては地獄のようでしまよ。あの頃、日大のレスリング部員は合宿所に住んでいて、もう、一年生は奴隷のよう。電話のコールはその日の当番が3回以内で出なければならないルールで、遅れるととぶっとばされましたしね、まあ、この緊張感を持つ癖は、社会に出て役にたちましたけど(笑)。
    ――バリバリの体育会系(笑)。
    石川 寝てるときも油断はできないんですよ。先輩が何か用があるときは壁を叩くんです。夜中に「ドンドンドンドン!」って。バッと起き上がって走って先輩に部屋に行くと「ちょっとカーテン閉めて」
    「水を持ってきて」とか。インスタントラーメン買ってきて作ったりすると、他の先輩が「あっ、俺も食べたいな」と、またコンビ二走ったり。
    ――完全に奴隷扱いなんですねぇ。
    石川 1年間は完全に奴隷。で、2年生になったときに佐山サトル先生が三軒茶屋でスーパータイガージムを開いたことを知ったんですよ。即座に「これだ!」と。レスリング部はちょうど1年の区切りでやめさせてもらいました。奴隷扱いは1年生までだから、下働きがつらくてやめるわけじゃないですよってことで。
    ――では、ほぼ立ち上げ初期のスーパータイガージムに通われたんですね。
    石川 比較的そうですね。北原(光騎)さんがコーチのときで。北原さんとは1年くらい経ってから全日本プロレスに行かれましたから。あの伝説の合宿も参加しましたよ。
    ――あの伝説の!!(笑)。佐山さんがスパルタ指導する動画は衝撃的ですが……。 ――合宿ではいつもあのテンションなんですか?
    石川 そうです。
    ――そうです(笑)。
    石川 先生もムキになる性格だから、体育館のスペースを借りて練習するときは、ほかのアマチュアの競技の人間に見せつけるかのように厳しくやるんですよ。
    ――見られることでハードになっていくわけですね(笑)。
    石川 でも、ボクは先生に引っ叩かれたことはなかったですね。なんかね、俺には優しかった。そこは本能でわかるのかな、「コイツはリミットまでやってない」とか「石川はキチガイだから放っておこう」とか(笑)。だってジムでも「先生、今日はスクワット4000回やりました」とか報告してましたから。
    ――4000回……!!
    石川 「えっ、4000回~!?」「雑誌にスクワットやると背が伸びる、て書いてあったので!」「バカ、あれは嘘だ。背なんかのびないぞ!」なんてやりとりもあったなぁ(笑)。合宿でも、まず板の間でフットワーク1時間。最初の10分で足の裏が水ぶくれになって。
    ――うわあ……。
    石川 それでも知らんぷりして、足がグチャグチャになってるのに続けて。あとで先生から「お前、早く言えよ〜」って呆れられました。あの鬼の佐山先生にそんなことを言わせたのは俺だけですよ(笑)。
    ――佐山さんも呆れる根性(笑)。
    石川 根性があるとかそういう話じゃないんですよ。だってプロレスラーになるために、猪木を否定した大人たちを土下座させるためにも、死んでもプロレスラーになろうと決めたんですから。
    ――シューティングは何年やられていたんですか?
    石川 大学の3年間ですね。
    ――そのときはまだ競技化されてなかったんですよね。
    石川 ちょうどボクが大学を卒業するときにその動きがあったんです。その候補選手に12名が選ばれて、10名が承諾して、1名が「自信がない」ということで辞退して。もう1名は何も名前が書かれてなかったんですけど、たぶん俺だったんですよね。あのときの俺は、佐山先生には言えなかったんだけど、ゴッチさんのところに行きたかったから。あの頃の佐山先生はプロレスが大嫌いだったから言えなかった。プロレスラーになりたいからシューティングをやめてゴッチさんのところに行くなんて言えなかったんですよ。
    ――当時の佐山さんはシューティングを形にすることが使命でしたし、新日本やUWFでいろいろとあったことで、プロレスと距離を置いてましたね。
    石川 でも、ボクは強くなるためにシューティングをやりましたから。だって強くないとプロレスラーになれないし、セミプロの延長線上がプロなんですよ、本来は。いまは「アマチュアプロレス」とか言ってるバカがいるわけでしょ? 「アマチュアプロ野球」なんて言わない。アマチュアを超越してるのがプロなんだから。そのためにもシューティングをやったし、ゴッチさんのところにも行きたかったんですよ。
    ――それまでゴッチさんとはお会いしたことはあったんですか?
    石川 ゴッチさんが佐山先生のジムに指導に来たことがあったんです。そのときにゴッチさんに習いたいな、と。あの頃、俺は身体も小さいし、年齢も22歳。当時の入り口にしては、若くない。山本小鉄さんに会っていただいて直談判したけれど、門前払い。プロレス団体に入るのはほんとうに難しかった。入門テストをクリアしても「おまえ小さいから、ダメ」と落とされたなんて話もよく聞きましたね。そんな時代。
    ――当時は団体も少なかったし、プロレスラーは狭き門でしたね。
    石川 ゴッチさんに「大学を卒業したらゴッチさんのところに行きたいんです」って伝えたんですけど、ゴッチさんからすれば単なる少年。目を丸くして驚いてるんですよ。「まあ、いいけど……」という軽い感じのリアクションで。で、実際に行くにあたって、佐山さんにゴッチさんの家の住所を聞けないでしょ。『週刊プロレス』編集部を訪ねてターザン山本さんに相談したんです。そうしたら「行けばわかるよ!」と。
    ――さすがターザン、適当だなあ(笑)。
    石川 『ゴング格闘技』の雑誌かなんかにゴッチさんが家の前でいる写真が載っていて。その写真には湖が写ってたんですよ。そこがオデッサという街であることはわかってた。オデッサはフロリダのタンパから車で30分くらい。そこに行って湖を探せばゴッチさんに会えるんじゃないかと思ったんですよね。
    ――湖だけを手がかりに。
    石川 それでお金を貯めてアメリカに渡ったんですけど……オデッサに行ってみたら、数百の湖や沼があるんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハハハ!
    石川 現地に着いて「なんだよ、これ!?」って絶望ですよ! 湖、湖、湖だらけで。(スマホを取り出して)いまグーグルマップで見てみます? ほら、湖ばっかり(笑)。
    ――いまだったら行かないですか?(笑)。
    石川 行ってないですよ(笑)。だから運が良かったんです。知らなかったら行けたんですから。
    ――なるほど(笑)。
    石川 そのときに乗ったタクシーの運ちゃんがいい人でね、「写真一枚を頼りに日本から来たのか?なんのために?」と聞くから事情を話したら「Oh my God!  Crazy !」と驚かれて。「俺は昔、日本に一度だけ行ったことがあるんだ。京都だったかな。道に迷って途方に暮れていたんだが、そのときに通りすがりの人に親切にしてもらった。でも、その人は通りすがりの人だからお礼もできない。ジャパニーズボーイ、おまえにお礼をする」って一緒に探してくれたんですよ。
    ――いい運ちゃんですね(笑)。
    石川 それで湖の周辺をタクシーで走ってくれたけど、探しても探しても見つからない。俺も心の中で「こんだけ探したんだから夢を追いかけたと言えるよな……」って一瞬挫けたんですよ。そのとき運ちゃんが「コーヒーでも飲もう」とコンビニみたいなところに寄ったんです。そこでゴッチさんの写真をコンビニの客に見せたら、お婆さんが「私の家の隣のおじいさんよ、この人!!」って(笑)。すぐにその場所までタクシーですっ飛んでいって。たしかにゴッチさんはいた。
    ――神様に会えた!
    石川 でも、ゴッチさんは俺の顔を見て戸惑ってるんですよ。「誰だっけ?」って感じで。
    ――うわあ(笑)。
    石川 そりゃそうですよね、日本で一度会った名もない少年ですから。でも、あのときにゴッチさんが「ヘイ、ボーイ。おまえはいい身体してるけど、ウエイトトレーニングの偽物だろう? こういう腕立て伏せできるか、ああいう腕立て伏せできるか? こんなオールドマンでもできるぞ」ってかまってくれたんです。ゴッチさんは、なんか気になる人はイジるんですよ、からかうんですよ。ホントに嫌いだったら声もかけない。ゴッチさんが俺のことを「ヘーイ、偽物、偽物」ってからかってくれたことを思い出して、「ゴッチさん、本物の筋肉に変身してきました!」と言ったら、ゴッチさんは驚いた顔をして「……あのときのボーイか!」って。
    ――まるで筋書きがあるかのような展開ですね。
    石川 一個一個の宿題というか、やれることをやっていくと次の出会いが生まれるんですよ。あの頃の自分は、プロレスラーになるという夢を、大人たちによってたかって否定されても、やれることを全力でやった。ただひたすらスクワットを何千回も繰り返すだけだとしても。それが何につながるかわからなくても、ただひたすら、そのときに“やれる事”を最大限にやった。
    ――そのままゴッチさんのところでトレーニングすることになったんですか?
    石川 いや、そのときのゴッチさんは誰かに教えるってことはしてなかったです。自分のトレーニングはやっていたんですけど。「友人のマレンコ(ボリス・ラリー・マレンコ)がプロレススクールをやっている。そこに行け。わたしも教えにいくことにしよう」と、言ってくれたわけです。
    ――マレンコスクールでゴッチ教室が開催されたんですね。
    石川 マレンコスクールではアメリカンプロレスとシュートレスリングを教えていて。ボクはいられるのは3ヶ月間だけだったんですけど、ゴッチさんがしょっちゅう道場に来てくれて教えてくれて。デビー・マレンコもゴッチさんに習っていましたね。
    ――全女に参戦していたデビー・マレンコですね。
    石川 彼女もゴッチさんに興味を持って、ゴッチさんの教室に参加するようになって。ゴッチさんの弟子の中では唯一の女性なんじゃないですかね。
    ――普段のゴッチさんはどんな人柄だったんですか?
    石川 マレンコさんの家で、ゴッチさんと一緒にビールをしょっちゅう飲みましたねぇ。ラリーさんはゴッチさんとは仲良しなんだけど、ゴッチさんのおしゃべりにつかまるのをおそれて「ちょっと買い物に行ってくる」って姿を消しちゃうんです。ゴッチさんは平気で3〜4時間しゃべり続けますから。
    ――逃げ出すほどのおしゃべり好きですか(笑)。
    石川 電話で2〜3時間しゃべったあとに「ところで電話でもなんだから、話に来い!」というくらいの話好きですから(笑)。
    ――ゴッチさんはどんな話をしてくれるんですか?
    石川 哲学的な話もするし、昔のプロレスの話もしてくれます。いろんな話ですよ。一番印象に残ってる言葉は「技術は人が教えてくれるけども、ガッツは誰も教えてくれない」ですね。それで3ヵ月経って帰国しようとしたときに、ちょうど日本で(新生)UWFが分派したんですよ。前田(日明)さんのリングス、高田(延彦)さんのUインター、藤原(喜明)さんの藤原組。空中さんは藤原組についていくことになって「石川、今度藤原さんが団体を立ち上げるから新弟子として入らないか?」と誘われたんです。
    ――ゴッチさん訪問からプロレス界への道が開かれたんですね。
    石川 何かに導かれたんですねぇ。藤原さんに初めて会ったのは安行の植木屋でした。空中さんに連れて行ってもらったら、盆栽を見てる藤原さんの後ろ姿が見えて。UWFのジャージを着てるんですけど、背中のUWFの文字がマジックで塗りつぶされてるんですよ。藤原さんらしい(笑)。
    ――UWFが塗りつぶされてた(笑)。そうして藤原組の立ち上げから参加されたんですね。
    石川 藤原組の同期は高橋義生、柳澤龍志。義生はもともとアマレスのチャンピオンで実力もあってボクよりデビューは早かった。入門は数ヶ月、ボクのほうが早かったんです。だからいまでも向こうが「石川さん」と呼んでくれて。
    ――藤原組はメガネスーパーがメインスポンサーでしたよね。
    石川 あの頃はメガネスーパーがバックについていたので、金銭面では恵まれてましたね。若手なのに充分に給料をいただいてました。その代わり地獄のようなトレーニングを朝から晩までやってましたよ。だってみんな生命を危機を感じてみんなやめていくんだもん。
    ――生命の危機ですか……。
    石川 「このままだと殺される……」って。赤子みたいな何もできない新弟子を相手に船木さん、鈴木さんがガチガチのレスリングでいたぶるわけですよ。上に乗っかられて動けない恐怖感ってわかります? 
    ――実験台の状態が延々と続くわけですね……。
    石川 毎日1時間以上やられて、口の中は切れてグチャグチャ。練習が終わったあともイジられるわけですよ。先輩にとっては単なるイタズラかもしれないけど、新弟子にとっては恐怖ですよねぇ。 
  • 「真説・長州力 1951-2015/田崎健太」■笹原圭一の書評の日が昇る

    2015-10-26 11:11  
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    格闘技界一の読書家として知られる笹原圭一氏が 書評をライジングするこのコーナー。今回取り上げる本は「真説・長州力 1951-2015/田崎健太」です!10月もいよいよ後半を迎え、今年も残すところ二ヶ月あまり。
    普通に生活をしていれば、この時期に年の瀬を実感するようなことは少ないと思いますが、マット界で10月後半といえば12月中旬くらいのイメージでしょうか。砂時計が落ちていくように、じりじりと焦る気持ちが堆積していくわけです。
     
    というわけで、追い詰められるような日々を送っておりますが、それでも私にとって読書は息抜きとして必要な時間。休みの日に腰を据えて大書に取り組むというよりも、通勤の電車のなかで活字を追って現実逃避をしています。
    このままのペースで行けば、おそらく2015年の読書冊数は、ざっと150冊くらいでしょうか。普段本を読まない方からすると多いと感じられるかもしれませんが、世の「本読み」と呼ばれる方からすれば、序二段くらいのレベルです。1日1冊のペース、つまり通年で365冊くらい読む方で、ようやく幕内くらいでしょうか。私の知り合いのなかには、その倍くらい読む、横綱クラスの方が数人います。
    それでも、全出版物のなかのほんのごく一部を読んでいるにすぎません(今年、どれほどの書籍が出版されたのか分かりませんが)。
    かつて芥川龍之介が生涯に読むことのできる本の冊数を数え、そのあまりの少なさに絶望した、なんて話を聞いたことがありますが、ここまでくると未読恐怖症みたいなものなのかもしれません。
     
    総合格闘家やプロレスラーで言えば、どのくらいの試合数をこなせば、「一人前」と呼ばれるようになるのでしょうか。
    総合の公式なレコードで最多試合を保持している選手は、間違いなくダン・スバーンでしょう。格闘技サイトのシャードッグによると101勝19敗7引き分けなので、計127試合(!)。次点が91勝22敗5引き分けで、118試合を記録しているジェレミー・ホーンでしょうか。ホーンは現在40歳で、今年に入っても試合をしていますので、いずれスバーンの記録を塗り替えるかもしれません。すげぇ。
    90年後半に勃興した総合は、たかだか20年程度の歴史しかありませんから、戦歴や過去を探ることは比較的容易です。映像も残っていることも多く、その一戦がどんな意味合いで行われたのか、という付随した話を探ることも難しくはないでしょう。
    一方で、プロレスに目を転じてみるとどうでしょうか。丹念に追えば試合数や結果を探ることはできますが、その試合にまつわるエピソード、というか真実を探ることは容易ではありません。
    例えば、99年の小川vs.橋本の1.4事変。試合結果はご存知の通りですが、あの試合の真相は、諸説入り乱れて、何が本当のことなのか誰も分かりません。もっと言えば、当事者たちすら分かっていないと言っていいかもしれません。
    というわけで今週は、プロレスの「そこが丸見えの底なし沼」感を存分に感じられる一冊を紹介しましょう。
    「真説・長州力 1951-2015/田崎健太」ですこのインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262
     
  • 魔裟斗復帰か〜2005年のような2015年大晦日〜■「プロレス 点と線」

    2015-10-26 10:28  
    55pt
    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回のテーマは「魔裟斗復帰?」「棚橋vsHARASHIMA」「スターダムまたッスキャンダル」です(聞き手/ジャン斉藤)

    事情通Z この「プロレス点と線」のコーナーで、RIZINとは違う場でビックリするような試合が大晦日に行われる……という話をしていましたが、とうとう報道され始めましたね。
    ――魔裟斗復帰の噂ですね。大晦日の某地上波の某番組内で放送されるんじゃないかという。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262 
  • YOUは何しに日本へ?年末のRIZIN参戦ヘビー級選手を占う!ベラトールMMA篇

    2015-10-26 09:49  
    33pt
    映画ライターにして北米事情通の高橋ターヤンが気になるMMAファイターやニュースを取り上げ、過去と現在を繋げて未来を見据える。今回は年末のRIZIN参戦ヘビー級選手を占う、ベラトールMMA篇!ついに発表された、日本の新団体RIZIN FIGHTING FEDERATION(以下、RIZIN)。
    その第一弾イベントは、12月29日と31日の2日間(イベントとしては30日も含む3日間)という前代未聞のスケール感溢れるものであり、かつてのPRIDE黄金期を支えた榊原信行氏、高田延彦統括本部長、フジテレビという鉄壁の運営スタッフでの復活、さらに引退していたPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルが復活するとあっては、もうすでにお祭りモードに突入状態というファンも多いと思われる。
    さらに決定した試合として、桜庭和志対青木真也という階級を超えた異次元対決が発表され、また元大関の把瑠都がMMA初参戦とあって、PRIDEから継承したある面の「らしさ」がフルスロットルな団体であることがよく分かる発表が続いている。
    しかしPRIDEによって育てられ、今では“主食UFC”になってしまったMMAファンにとしては、これではまるで某モンスター路線の復活ではないかと捉えてしまっても致し方ない状態。だがRIZINが現在進行形のリアルなMMAと真摯に向き合っていることは、世界各国のMMA団体と強固なアライアンスを締結し、その団体から派遣される選手たちによるヘビー級トーナメントを開催することを発表している点からも感じられるのではないだろうか。
    今回はそのアライアンスを締結した団体の中でも最大の団体であるベラトールMMAから、どのような選手が大晦日に派遣される可能性があるのかを検討してみたい。 
  • MMAに巨乳は有利?不利?まじめに考える格闘技とおっぱい■MMA Unleashed

    2015-10-22 22:00  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは「MMAに巨乳は有利、不利?」
    10月3日、ニューヨーク市クイーンズ地区で行われた「Aggressive Combat Championships 12」大会(米国ムエタイ連盟管轄)では、ブライ・アン・ルシロ(Brye Anne Russillo)(29)選手がペイジ・リアン選手の保持する女子150パウンドのベルトに挑戦するタイトルマッチが行われ、チャンピオンが判定3-0でタイトルを防衛した。奮闘空しく敗戦した挑戦者のルシロ選手は、MMAのかたわらパン職人として働くシングルマザーで、戦績はこれで1勝2敗となった。
    この一見なんということもないインディ大会での無名選手の試合に、英デイリーメール、米CNN、米ニューヨークポストといった大手メディアの注目がいきなり注がれることとなったのは、挑戦者のルシロ選手がFカップの巨乳の持ち主で、試合前に、胸が大きすぎて減量できない、キャッチウエイトにしてくれと主催者側と交渉していることを明かしたからである。ルシロは試合前インタビューでこう語ったのだった。「おっぱいを切り取って、脇に置いておくわけにもいかないでしょう。でもおっぱいだけで12パウンド(5.4キロ)もある」。
    どんなおっぱいであるのかは各自の検索にお任せするとしても、言われてみればこのルシロ選手の主張には一部の理もあるようにも聞こえる。胸はほとんど脂肪のかたまりであり、胸が大きいからといって、格闘技の試合で有利に働くことは考えにくい。それどころか、グラップリングの邪魔になったり、パンチが届きやすいために打撃の標的になることもしばしばだ。このように格闘技的には無用の長物ともいえる胸も、12パウンドもあると階級が1つ違ってくるのである。12パウンドの胸と、全身にバランスよくついた12パウンドの筋肉とが、同じ扱いというのは果たして公正なことなのだろうか?このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262
     
  • 【RIZIN降臨】榊原信行、大晦日を語る――「僕のことは嫌いになっても、格闘技のことは嫌いにならないでください!」

    2015-10-20 20:14  
    110pt
    あの男が格闘技界に帰ってきた――!!  RIZIN実行委員長榊原信行である。PRIDE代表としてゼロゼロ年代の格闘技ブームの一翼を担った榊原氏は、同イベントの営業権をロレンゾ・フェティータに譲渡した2007年の春以降、格闘技界から姿を消した。近年その際に交わした競業禁止の契約が解けたことから、業界への復帰が噂されていたが、新しい格闘技イベントRIZINを12月29、30日、31日の3日連続という驚きのスケジュールで開催。イベントのアイコンとしてあのエメリヤーエンコ・ヒョードルに復帰を決意させ、そしてPRIDEをあっけなく切り捨てたフジテレビとの“復縁”……カムバック早々、雷音轟かせている榊原氏の生の声を12000字でお届けしよう。――六本木で行なわれた記者会見では、ヒョードルや高田延彦の登場、桜庭和志vs青木真也実現、フジテレビ中継の決定など、スタートダッシュに相応しい発表内容になりました。
    榊原 伝えきれていないことのほうがまだ多いんじゃないですかね。まだ大晦日まで2ヵ月近くありますから、いろいろと発表していきたいです。なんの実績もないですし、多くの選手と契約しているわけではない新しいイベントなので本当に大変ですけど(笑)。
    ――各詳細についていろいろとお聞きしたいんですが……まず現役復帰を果たしたエメリヤーエンコ・ヒョードルの獲得です。交渉を始めたのはどのタイミングなんですか?
    榊原 今年の2月末ですね。アメリカ・コネチカット州で行なわれたベラトールを見に行ったときです。そこで約10年ぶりくらいにヒョードルに会ったんです。泊まったホテルがヒョードルと一緒で、そのホテルで朝飯を一緒に食べたりしながら、いろんな話をしました。
    ――その時点でヒョードルは復帰の決意は固まっていたんですか?
    榊原 いや、そのときはまだ復帰の考えはなかったと思います。ヒョードルが「榊原さんは格闘技界に復帰しないんですか?」って聞いてきたから「ヒョードルが復帰するなら考えるよ」と答えたんですけど(笑)。それがすべての始まりですね。
    ――そのとき榊原さんの中ではRIZIN構想はあったんですよね?
    榊原 ありました。ただ何かひとつでも欠けるものがあれば難しいだろうという考えもあって。戻るための準備をひとつひとつしていって、やっと踏ん切りがついたのが10月8日の会見です。必要とするピースが集まらないのであれば、白紙にするつもりでしたから。
    ――ヒョードルはそのピースの一つだったわけですね。
    榊原 はい。イベントのアイコンとして存在できるファイターが必要だった。それがミルコ(・クロコップ)なのか、ヴァンダレイ・シウバなのか……往年のPRIDEを支えてくれたトップファイターが賛同してくれるのかどうかはとても大きかったんです。たまたま期せずしてヒョードルと再会を果たして、そこから彼の復帰に向けていろいろと話を始めたんですけど。
    ――復帰を決めたヒョードルですが、途中でUFCと交渉していることも明らかになりましたね。
    榊原 選手側からすれば至極当然なんじゃないですか。せっかく復帰するなら、他からの提案を聞いてみたくなるのは世の常ですし。僕らが提示した条件と比較検討することがあっておかしくないと思いますから。
    ――ヒョードルとの交渉過程で何か要求や条件は求められたんですか?
    榊原 ヒョードルのいまの仕事は、ロシアのプーチン大統領の命を受けて、若手の総合格闘家に教えることだったんです。いずれにせよ復帰することを決めたときに、プーチン大統領の命を受けた仕事をやめることになる。それには許可が必要なんだということは繰り返し言っていましたね。
    ――となると、ヒョードルの復帰は、大袈裟に言うと国家の威信をかけたものにもなる(笑)。
    榊原 だからヒョードルも相当な覚悟はあったと思いますよ。じつはプーチン大統領の肝いりで、ロシアでは11月1日から国営のスポーツチャンネルがスタートするんですけど、そこでRIZINの生放送がほぼ決まっています。先日六本木の会見後にもそのテレビ局から取材を受けました。
    ――ロシアのメディアから榊原さんの取材オファーが殺到してるみたいですね。
    榊原 ヒョードル復帰はロシアでも大きなニュースになっていて、僕は2日前にもロシアのラジオ局の電話インタビューを受けました。ヒョードルはそんなに口数が多くないですから、彼が言い切れないことを僕が代わって受け答えしていたりして。彼の復帰は一般ニュースで流れるくらいの反響がある。それくらいロシアでは国民的スターなんですね。
    ――RIZIN参戦は、ヒョードルにとってロシアという国にどう向き合うかも問われての選択だったのかもしれませんね。
    榊原 そこはヒョードル本人とも話をしているんです。ただ単にファイトマネーを稼ぐというだけではなく、ロシアの若手選手の道を開くことは彼のミッションだし、日本とロシアという近くて遠い両国を近づけるために我々ができることはもっとあるはずだよねって。 (C)RIZINFF 
    ――ヒョードル獲得はRIJINというイベントにとってかなり大きい出来事なんですね。
    榊原 ヒョードルの決断は嬉しかったですけど、そのぶん責任を感じるというか。
    ――“責任”ですか?
    榊原 ボクらはほかに契約選手がいるわけではないじゃないですか。UFCと契約したほうが……というか、いまの格闘技界の現状では、UFCにしかヒョードルにマッチアップできる選手がいないというか。
    ――たしかに有力ファイターはUFCがほぼ独占してますね。
    榊原 ファンの中には「ヒョードルとUFCと契約したほうがあの選手ともこの選手との試合が見られる」という意見もあるじゃないですか。ただまあ、これは悪口ではなくて、UFCの中でもそこまでして見たいカードってないと思うんですよね。一巡しちゃったところはあるし、ファブリシオ・ヴェウドゥムやビッグフットとの再戦で感情移入できるかといえば、そこまででもないだろうし。たとえばヒョードルvsブロック・レスナーをやるというのなら話は別ですよ。
    ――それは見たいですね(笑)。
    榊原 僕も見たいですよ(笑)。そういうスケール感でマッチアップするならUFCでもヒョードルの良さも活きると思うんですけどね。
    ――RIZINとしてもどんなカードを組むのかという責任があるわけですね。
    榊原 我々としては新しい未来に向けて新しくスタートが切れるカードを組みたいと考えています。それはヒョードルにとっても、その対戦相手にとっても新しいスタートになるような。
    ――今回の会見ではサラリと発表されましたが、フジテレビの放送決定はこれまでの経緯を振り返ると信じがたいサプライズでした。フジテレビとはいつ頃から交渉はされていたんでしょうか?
    榊原 年明けの早いタイミングですね。フジテレビさんの中で格闘技中継にまた携わるということは、社内的には大きな決断であり、部署を超えて調整が必要になることだと思ったんです。そうなると時間は必要だし、長期戦になると考えたので、かなり早いタイミングからお話はしていましたね。
    ――榊原さんが代表を務めていたPRIDEとフジテレビの“過去”からすれば、放送どころか交渉することすら厳しいと思うんですが……。
    榊原 そうですよね。あのとき僕らが失ったものはとてつもなく大きかったわけじゃないですか。PRIDEがフジテレビさんの放送を失うことによって、国内での格闘技人気はもちろんのこと、我々の会社の信用力も失いました。でも失ったものは再び取り戻すしかない。そこで、心あるフジテレビの関係者の方々に「なんとか大晦日の枠を開けてもらうことはできないか」というお願いを何度もしたのが今年の春先ですね。
    ――お話はまとまるもんなんですね。いや、もちろん契約成立までには相当大変だったと思いますが……。
    榊原 よくまとまったなあと思って。
    ――榊原さん自身もびっくりですか(笑)。
    榊原 交渉してみなきゃわからないとは思っていたけど。いずれにせよテレビがなきゃ格闘技界に戻る意味がないなあと思ってはいましたね。それは先程も言ったピースのひとつですよね。
    ――フジテレビ社内からは反対の意見もあったと思うんです。
    榊原 あったでしょうね。最初から満場一致で歓迎しているわけではなかったでしょう。
    ――榊原さんとしては、こうしてフジテレビと再び手を組むことで、PRIDEの無念を晴らしたという思いはあったりしますか?
    榊原 いやあ、無念を晴らしたというほどはスカッとはしてないですよ(苦笑)。戻れたことはありがたいけど、戻った責任も当然あります。フジテレビさんがこうして大英断をしてくれたことに対して、僕らが結果をもって応えないといけない。ここで満足はしてられないですよね。大晦日に格闘技を取り上げようと推進してくれた方々が、フジテレビの社内で評価されるような結果を残さないといけない。それは数字や中身でしかないので、全力でやるしかないですね。
    ――記者会見ではコンプライアンス担当の弁護士が登場されましたが、そこは前回の騒動を踏まえてのことなんですね。
    榊原 そこは重要になってきますよね。8年前のPRIDEのことを考えると、あの当時はコンプライアンスという言葉も耳馴染みのない言葉でした。僕自身、まさか放送中止に追い込まれるとは思ってなかったんですよね。とにかく前に向かっていいものを作ってファンに喜んでもらう、それがイコール、テレビ局やスポンサーさんに喜んでもらうことにつながる。だからとにかくファンの目線、興味をつないでいくことに注視していたので、企業としてマスコミ対策や風評被害などのディフェンスをしていくという意識はなかったんです。コンプライアンスもそうだし、何かトラブルがあったときの対応策のマニュアルもなかった。こうして新体制のイベントが始まるにあたり、「反社会的勢力と関わりあいがあるんじゃないか」「榊原信行は反社会的勢力なんじゃないか」とか面白おかしく書かれるに決まっていると思ったので、新体制の中ではコンプライアンスのプロとしての対応をしてもらおう、と。そういう体制を取っておかないと結局何かあったときに、テレビ局、ファン、選手、関係者に迷惑をかけてしまうことになりますから。
    ――今回フジテレビと契約できたことは、PRIDEのときも含めてコンプライアンスに問題はないという判断をしてもらえたということなんですか?
    榊原 コンプライアンスに何か問題があれば、こうしてまた放送することにもならないだろうし。それに今回は政府のプロジェクト、JLOPの支援も受けることが決まっているんです。
    ――ジェイロップ?
    榊原 海外の100カ国近くへの放送することがほぼ決まっています。日本のコンテンツを世界に広める事を後押しする政府のプロジェクト、JLOPのご支援で、各国言語で放送・配信する事へのサポートをいただいているんです。コンテンツを売り込むためには、その国に合わせて翻訳をしたりとローカライズしなきゃいけない。そこのサポートをしてもらえるんですよ。つまりクールジャパンの一環として格闘技イベントを世界中に配信できるんです。
    ――フジテレビに政府のプロジェクト。なんだか凄いことになってきましたね(笑)。そういえば以前、榊原さんはクールジャパン関連で何か講演をされていましたが……それもRIZINの布石だったんですか?
    榊原 そうです。
    ――そうだったんですか(笑)。
    榊原 かつて韓国が日本やアジアにコンテンツをどんどん売り込んで、日本の放送局がこぞって韓流ドラマを買っていたわけじゃないですか。あのときDVDがどれだけ売れたことか。韓国のアーティストも外貨獲得という使命を持って日本市場に乗り込んできたわけです。日本も韓国から遅れること10年、年間何百億という予算をかけていろんなコンテンツを支援しているんですよ。アニメやアイドルもそうですが、日本は“武道の国”というリスペクトが世界中からありますから、メイド・イン・ジャパンに格闘技はフィットすると思うんです。日本に武道や武術のルーツがあるという点では一応に理解してくれるところはありますからね。
    ――そうやって着実にイベントの地固めしてきたわけですね。
    榊原 僕らが過去にかけられたネガティブなイメージを払拭するためには、社会的に信用のある取り組みに貢献していくしかないですよね。プーチン大統領に対しても「大晦日のヒョードルの試合を見に来てください」というレターをヒョードルを通じて出しているんですよ。
    ――大晦日にプーチン参戦ですか(笑)。
    榊原 実現不可能と思われることを大真面目にやっています(笑)。絵空事に聞こえるかもしれないけど、可能性はゼロじゃないというか。プーチン大統領は柔道をやられていましたし、ロシアで行われたヒョードルの引退試合も見に来られていましたから、可能性がゼロとは言い切れないじゃないですか。大晦日さいたまスーパーアリーナのリングサイドで、安倍首相とプーチン大統領に並んで観戦してもらいたいですよ(笑)。
    ――国家規模の話で言えば、中東のオイルマネーがRIZINに投資しているという噂もありますが……。
    榊原 ああ、8月にバーレーンの王子と会っていろいろと話をしたのは事実ですよ。王子が大の格闘技好きということもあって、国策としてアマチュアの選手をプロ格闘家として育てるカリキュラムをスタートしたんです。それがKHKというチームなんですけど、今回の大晦日にも選手が出てくる可能性はありますね。オイルマネー云々は、この業界らしい噂話ですよね(笑)。――日本の大晦日イベントに中東の石油王が投資する意味がないので不思議な噂だなって思ってたんです(笑)。このインタビューの続きと、石川雄規、アニマル浜口物語、スコット・コーカー、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262
     
  • 燃える男、アニマル浜口――!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2015-10-19 21:26  
    76pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回取り上げるプロレスラーはアニマル浜口! 長州力の盟友、浜口京子の父親、「気合いだ!」の叫び声でのおなじみの名バイブレイヤーを振り返る!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■お得な詰め合わせセット par20記事内容 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409◉無我の伝道師西村修ロングインタビュー真のプロレスを追求すべく、現代のプロレス、そして長州力に逆らい続けた歴史を17000字でタップリと! 癌の告白もプロレスの肥やしにしてしまう生き様を読め!◉好評連載中!小佐野景弘の「プロレス歴史発見」
    悲運の闘将ラッシャー木村物語!耐え抜き続けたその人生、初めての自己主張は「全日本プロレス移籍」だった……◉ブシロードクラブの怪物・岡倫之「プロレスラーが世界最強であることを証明します!」
    プロレスと格闘技がジャンル分けされた現代においてあらゆる格闘技で腕を試し続ける岡――どんなプロレスラー像を抱いているのか?◉ゼロゼロ年代格闘技バブルの秘話続出! 語ろう和術慧舟會!全国に支部を展開、多くのプロ格闘家を送り出し、「ケージフォース」や女子格闘技などのイベントを運営。PRIDEやK−1などメジャー団体にも影響力を与えていた格闘技集団とはなんだったのか? ◉INVICTAアトム級世界王者・浜崎朱加女子MMAイベントの最高峰INVICTAのアトム級タイトルマッチを制して、日本人で初めて北米MMAの王座を獲得した浜崎朱加インタビュー!◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル②90年代ゼロゼロ年代のオモテとウラを知り尽くした金ちゃんが過去を振り返るインタビュー連載!ヴァンダレイ・シウバ戦試合直前に起きた悲劇とは?◉事情通Zの「プロレス 点と線」業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる大好評コーナー。今回は4本立て!「話題騒然!棚橋弘至vsHARASIMAで何が起きたのか?」「ヒョードルのインスタグラムはブラフなのか?」「ヒョードルはなぜ大晦日を選んだのか?」「川尻達也と日刊スポーツ」◉マット界一の読書家笹原圭一の酔いどれ書評! 
    今回取り上げるのは「東天の獅子/夢枕獏」です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    ――今回はアニマル浜口さんをテーマにいろいろとおうかがいいたします。
    小佐野 前回のラッシャー木村さんのときにも話しましたが、国際軍団の合宿取材で浜口さんとは初めて出会ったんですよ。当時の『ゴング』はまだ月刊の頃で私は編集者という立場だから、普段はそんなに密な取材をすることはなかったですけど、その合宿以来、浜口さんとはよく話すようになりました。そして実際によく取材するようになったのは、浜口さんがジャパン・プロレスの一員として全日本プロレスに参戦したときですね。
    ――浜口さんは新日本プロレスで国際軍団の一員としてラッシャー木村さんを盛り立てていたじゃないですか。それがどうして長州さんと共闘する流れになったんですか?
    小佐野 まず第1回IWGPリーグ戦の最中に長州さんと浜口さんの2人が失踪したんです。長州さんが猪木さんか新間さんのどちらに電話をして「今日の試合は出られません」と。地方の大会だったんだけど、試合を急にボイコットして姿をくらました。浜口さんの家族ですら本人と連絡が取れないもんだから、奥さんの初枝さんが『東スポ』まで出向いて訴えるほどの騒動になったんですよ。「どこに行ったんですか? うちの旦那は……」と(笑)。
    ――徹底してますねぇ(笑)。
    小佐野 あの当時の新日本は本当にドタバタしていて。アントニオ猪木がIWGP決勝戦で舌出し失神KO負けした時には藤波さんは「新日本に捨てられた」と思い込んで勝手に海外を放浪していた最中だし。
    ――勝手にですか?(笑)。
    小佐野 だって藤波さんの奥さんも一緒にアメリカに渡って、各地の安いモーテルを泊まり歩きながら試合をしていたんですよ。あのときの記録を見ると、初めはメキシコに入って、そこからニューヨークに渡って3週間サーキットして、またメキシコに戻ってるんです。
    ――新日本マターじゃないかたちで転戦してたんですね。
    小佐野 藤波さんは長州さんに負けたときに自分の存在を全否定されたと思っちゃったんですよ。そんなときに新間さんから「気晴らしに海外でも行ってみる?」と言われて。いま振り返ればリフレッシュを勧められたんだけど、「藤波辰爾は新日本にいらない」と言われたと判断してしまい「じゃあ、行きますよ!(怒)」と売り言葉に買い言葉になってしまって。
    ――疑心暗鬼になるような環境だったんですね。
    小佐野 それまで藤波さんは海外に行くつもりはなかったから、日本で子犬を飼ったばかりだったんですよ。それが帰国した時には成犬になっていたという(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 藤波さんって犬エピソードが多いですね。腰痛が治ったときも犬が身代わりになって死んだと言っていたり。
    小佐野 失踪していた浜口さんは長州さんと記者会見をやったんですよ。浜口さんは秩父の山奥で滝に打たれてる写真を取り出して「おいっ、ここにアントニオ猪木が写ってるだろ!?」と言い出してね(笑)。
    ――ど、どういうことですか?(笑)。
    小佐野 滝の水の流れが猪木さんの横顔に見えるってことなんだけど。見えないこともない(笑)。
    ――浜口さん、当時からそんなテンションなんですね(笑)。
    小佐野 長州さんと一緒に浜口さんが新日本事務所に退職願を出しに行くときも取材した記憶があるなあ。要は「俺たちはフリーになる」と。そこから維新コンビが誕生して、巡業中も2人だけで移動するようになって。後楽園ホールでフリー第一戦をやったんだけど、試合が終わったら裏口からバーっと帰っちゃう。
    ――そこは天龍同盟と一緒なんですね。
    小佐野 そこは天龍同盟も踏襲してたし、小橋と秋山がバーニングを結成したときも巡業バスではなく2人で行動していた。そこまでやらないといけないのは、レスラーの人間関係があるからでしょうね。やっぱり同じ控室、同じバス、同じ電車に乗っていたら情が移っちゃって激しい試合はできないから。天龍さんが言っていたのは「輪島さんのつらそうな顔を見たら試合ができないから、リングだけで顔を合わせる環境にした」と。あと勝手に行動してるのに「アイツらだけバスでぬくぬく移動しやがって!」って反骨心を燃やすためだったりするんですよね(笑)。
    ――ハングリーな自分を作り上げるわけですね(笑)。
    小佐野 あの維新コンビの結成は、いまとなっちゃアントニオ猪木の仕掛けなのかなって思うんだけど。だって辞表を提出したあとも新日本にリングに上がってるわけだから、本当のフリーなわけないよね。
    ――猪木さんの仕掛けって、昔から全員が全体像を把握してないケースが多いですよね。
    小佐野 あのときの真相を浜口さんはいまだに口にしない。長州、浜口あるいは猪木さんの3人だけしか知らない。そうやって突然に維新コンビが生まれたわけだから相当インパクトがあったんですよ。
    ――コンビ結成以前に長州さんと浜口さんの接点はあったんですよね?
    小佐野 接点は……覚えてるのは83年の正月の後楽園ホールで一騎打ちをやったこと。あと2人がまだ新日本、国際所属のときにオールスター戦でタッグを組んでいるのか。それが最初。結局この人と組んだらうまくいくという嗅覚はみんな持っているんでしょう。
    ――維新コンビ以前に長州さんはマサ斎藤さんと共闘してましたが、そこに浜口さんが加入したかたちではないんですか?
    小佐野 最初はマサ斉藤、小林邦昭の3人。藤波さんを狙う長州、タイガーマスクを狙う小林さんが組んで、精神的支柱のマサさんがアメリカにいる。最初は名前はなかった。維新軍団と呼ばれるようになったのは浜口さんが入ってから。マサさんは以外にも、キラー・カン、タイガー戸口さんもいたんだけど、彼らは常時日本にいたわけじゃない。長州さんには正式なタッグパートナーはいなかったんですよ。
    ――フリー日本人の寄せ集め的なところはあったんですね。
    小佐野 そこに浜口さんがやってきて維新コンビ、維新軍団と呼ばれるようになった。
    ――浜口さんの加入で軍団に魂、思想が注入されたというか。
    小佐野 なによりも衝撃的だったのは、試合運びですよ。それまでの日本人タッグチームってのは連携技はなかったじゃない。
    ――あー、維新軍団は斬新でしたね。
    小佐野 あの頃の日本人はナンバーワンとナンバー2がタッグを組んでいたし、お互いの強さがあるから合体技なんて使わないんですよ。やってもせいぜいダブルパンチ。馬場&坂口征二の東京タワーズにしてもダブルキック程度。タッグ屋の日本人って当時はいなくて、グレート小鹿さんと大熊元司さんの極道コンビはいたけど、彼らは悪役だし、とくに合体技がなかった。維新コンビが初めて合体技を使うようになったんです。ある意味で長州&浜口のモデルになったのは、ディック・マードック&アドリアン・アドニス、あるいはアドニス&ボブ・オートン・ジュニア。彼らの連携技を日本流にやり始めた。バックドロップとネックブリーカーの合体技、合体パイルドライバー、太鼓の乱れ打ちとか(笑)。
    ――太鼓の乱れ打ち! あったなあ(笑)。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、プロレス点と線、スコット・コーカー、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262 
  • 2015年10月、平成維震軍にフォーリンラブ♡■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-10-19 21:06  
    34pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回はなぜか平成維震軍にドハマリ中なんだって!新日本プロレスのDVDをよく観ます。最近の試合だけでなく国際軍団が活躍した時代など昔の試合もよく見るのですが、プロレスファンになってまだ6年程の私にはこれがとーーーっても面白い。昔の選手はみんなでかいなあ、この選手昔はかっこよかったんだなあ、あの選手は歳とってからのがかっこいいなあ、ラグビー出身の選手よりレスリング出身の選手の方がタックルが重そうだなあ、みんな襟足だけ伸ばしすぎだなあ、ヤングライオンって昔の試合をしてるんだなあ……と、昔の試合を見るたびに新しい発見があるのですが、最近とあるDVDを観て、グレートムタ対新崎”白使”人生の動画を観たとき以来のものすごい衝撃を受けました。
    それが3枚組DVD『俺たちの新日本プロレス 下剋上・裏切り・抗争 全面対抗戦』のDISK2「維震に燃えた!七人のサムライ」です。
     
  • 【ベラトール総帥】スコット・コーカー「日本には日本のMMAリーグがあるべきだと思うんだ」

    2015-10-17 21:14  
    55pt

    「RIZIN」記者会見の翌日、ベラトール総帥のスコット・コーカーにインタビューを行った。K-1に学び、UFCとはひと味違う日本流格闘技プロモーションをアメリカで展開、テレビ格闘技の世界で大輪の花を咲かせつつあるスコット・コーカーに、RIZINへの期待、J-MMAへの思い、ベラトールの現状と将来についてなど、いろいろ聞いちゃいました!
    ――コーカーさん!今日はお忙しいところ、インタビューを受けて頂きありがとうございます。コーカーさんはもう何度も来日をなさっているのですよね?
    コーカー 私が初めて日本に来たのは1999年のことだ。私はかつて、ラスベガスでK-1の運営をしていたから、日本とのつながりが強くて、8年間くらい、年に4~5回は来日していたよ。私は韓国のソウル生まれなんだけど、ソウルに帰るより日本に来ることの方がずっと多いんだ。親戚からは、もっと帰ってくるようにと文句を言われているよ。
    ――コーカーさんはソウルのお生まれなんですね。
    コーカー そうなんだ。米国人の父は朝鮮戦争の軍人で、母が韓国人だ。私の格闘技との出会いは、子ども時代に韓国でテコンドーを学んだことなんだよ。テコンドーはサンフランシスコに移り住んだ後も続けて、黒帯を取った。
    ――さて、コーカーさんも記者会見に出席されたRIZINに対してはどんな期待感をもたれていますか。
    コーカー 3日間の日程が組まれているところが興味深い。普通はビッグイベントは1日でやるからね。それと、ヘビー級トーナメントが2日間にわたって行われるようだけれど、優勝するには初日に2試合、2日目に1試合しないといけない。これは選手にとってはきついトーナメントになるだろうね。
    サカキバラさんについていえば、彼はMMAについての明確なビジョンを持っている人で、何事もビッグにやろうとする。私が最初にPRIDEを見たのは2000年頃だったかな、本当にすごいイベントだった。サカキバラはあれを再現しようとしているんだと思うよ。
    ――ベラトールは具体的にはどんなかたちでRIZINに参加してくれるのですか?
    コーカー まず、バイアコム傘下のスパイクTVでRIZINの放送を実現させる。それから、選手の派遣もする。誰れが出場するかはまだ決めていない。サカキバラさんとも話し合いをしながら決めていきたいが、ベラトールも結構たくさんイベントを開催しているのでね。
    ――RIZINへのビッグネームの参戦を期待してもいいですか?
    コーカー そうなるといいなと思っているよ。
    ――長期的にはどんな関わり方をしていくおつもりですか。RIZINは将来的にも継続するイベントなのですよね?
    コーカー そういう計画だと聞いているよ。でもまずは、今年の大晦日によい視聴率を取ることが大きな試金石になるんだろうね。ただ私の見ている範囲では、RIZINの旗揚げにエキサイトしている人はたくさんいる。これは私の持論なんだが、日本には日本のMMAリーグがあるべきだと思うんだ。UFCは年に1回、ポツリポツリとやって来るだけだし、それを見るために観客はさいたまスーパーアリーナに朝の8時に行かないといけない。そんなアホらしい話があるかい? あれは、アメリカのファンに向けて作られたイベントが、たまたま日本で行われていると言うだけなんだよ。サカキバラさんは日本のためのMMA大会を作ってくれるはずだ。入場・音楽・照明などのプロダクションがすばらしいものになることは間違いないし、それからこれは約束してもいいけど、短期間のうちに新しいスター選手が出てくることになる。
    ――本当ですか!日本人のスター選手なのでしょうか。
    コーカー 日本人かもしれないし、オランダ人かもしれないし、アメリカ人かもしれない。PRIDEがどれほどたくさんのスター選手を輩出したかを考えてみればわかるだろう? ストライクフォースだってずいぶんたくさんのスター選手を輩出したんだぞ。ロンダ・ラウジー、ルーク・ロックホールド、ダニエル・コーミエ、タイロン・ウッドリー、ニック・ディアス、ロビー・ローラーなど、みんなストライクフォース出身だ。サカキバラさんも私も、ネクストスターが誰になるのか見極める眼力と、そういう選手を育てていく術を知っているんだよ。
    ――それにしても現状では、具体的なスター選手の候補者があまり思い浮かばないので、不安なのですが……。
    コーカー 私が昨年ベラトールを任されたとき、ベラトールは団体としての方向性を失っていた。前任のCEOはファイトビジネスを理解しているとは言いがたかった。1年2か月経って、いまアメリカではベラトールへのイメージは大きく変わっている。ポール・デイリー、メルビン・マヌーフ、ジョシュ・トムソン、ジョシュ・コスチェック、フィル・デイビスといった人気選手を獲得する一方で、オリンピックレスラーと契約するなど育成にも力を入れて基礎固めを行ってきた。結果、視聴率は前年比で33%アップ、観客動員は78%もアップしたんだ。1年くらいはかかるかもしれないが、ファンの認識を変えることはできるんだよ。日本のファンも、まずはサカキバラさんに乗ってみることだ。彼はやり方を知っている。プロモーションと言うことを理解している人は、世界中に一握りしかいない。サカキバラさんはその1人だよ。
    しかも、RIZINには世界中のプロモーターが提携を表明している。今回の記者会見には参加していなかったが、One Championshipも参加している。この提携を通じて、全部で10か国の6,000人のファイターにアクセスできるんだ。これは強力な選手層だよ。
    ――ところで、日本でUFCが苦戦しているのはどういう点に原因があると思いますか。
    コーカー マッチメークの考え方に問題があるんじゃないのかな。むかし、カンチョウー・イシイ(石井和義)から教わったことで、いまだにプロモーターとしての私の財産になっている考え方があって、それは「ランキング1位の選手とランキング2位の選手の試合は必ずしもおもしろくない」ということだ。見に来てくれるのはハードコアファンだけなんだ。日本でも「ボブ・サップ対曙」の試合は視聴率50%をとっただろう?。「Cast a bigger net」(大きな網を投げないといけない)、「Think out of the box」(形にとらわれず考える)ということを常に考えないといけない。
    ――いまベラトールはアメリカでまさに「大きな網」を投げているんですよね。このインタビューの続きと、榊原信行、石川雄規、アニマル浜口物語、プロレス点と線、金原弘光、中井祐樹日記、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar901262
     
  • 「心配するな、スター選手は必ず出てくるさ」 スコット・コーカーは自信満々にこう語った■MMA Unleashed

    2015-10-15 22:21  
    33pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは
    「心配するな、スター選手は必ず出てくるさ」
    RIZIN旗揚げ記者会見の翌日、スコット・コーカーは自信満々にこう語った
    先週末、筆者は3年の沈黙を破って昨年ベラトール総帥として表舞台に復帰したスコット・コーカーにインタビューする機会に恵まれた。元PRIDEプロデューサーの榊原信行氏が7年の沈黙を破ったRIZIN旗揚げ記者会見の翌日のことである。そこで今回はいつもと趣向を変えて、取材雑感をお届けしたい(編集部注/スコット・コーカーのインタビュー記事は近日中に公開予定です)。
    RIZIN記者会見で榊原氏はイベントのコンセプトについて、次のように述べた。
    (RIZINでは)ここ数年間は、トーナメントを軸にしながら、過去と現在と未来がシンクロする競技会を作りたい。格闘技界に放つ3本の矢、1本目が「完結」です。過去のレジェンドファイターたちも、そろそろ選手としての終焉を迎えています。アメリカでマウリシオ・ショーグンやヴァンダレイ・シウバに会いましたが、もう1回日本の熱狂の中に立ちたい、その場で引退したいという選手がいます。2本目は次の舞台を作り出していく「息吹」。新しい選手のデビュー、チャレンジの場を作りたい。3本目が「未来」。ここが世界最強を決める場となり、いつかRIZINの世界大会に出たいと、選手たちが思うようなイベントを発信します。
    日本の格闘技シーンに再び熱を取り戻して欲しい――そう待望している格闘技ファンは少なくないだろう。しかし、今の日本のどこかに、現代版の桜庭和志や、若き日の山本KID、化ける前の五味隆典が潜んでいるようにはなかなか思いにくい。そしてここ数年、国内で格闘技のビッグイベントが行われれば、登場してくるのは、正直言ってPRIDEやDREAM、戦極の時代と変わらない顔ぶればかり。若い力もオールドネームをしのぐには至らず、それが実力主義の世界の厳しさではあるとはいえ、それだけではJ-MMA10年の計はどうしても感じにくく、さらに外国人選手についても、主要選手はほぼUFCに抑えられている……そんな状況が続いていたのがここしばらくであった。