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記事 25件
  • 【12万字・詰め合わせセット】ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、船木誠勝の真実…

    2017-06-30 23:59  
    540pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part41は大好評インタビュー10本、コラム9本、12万字オーバーで540円!!(税込み) 

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    part41
    ◎大槻ケンヂインタビュー
    鬱と宗教とUWF……プロレスの信仰心はどこに向かうのか
    ◎2万字超えの激白!! 山本喧一ロングインタビュー
    「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」
    ◎格闘技という名の青春、完結編――
    「ミノワマン、家族と共に故郷パンクラスに帰る」の巻!!
    ◎RIZIN矢地祐介戦決定!北岡悟のギラギラインタビュー「俺のことをわかってるつもりでいるなよ?」
    ◎底が丸見えの底なし沼! 『船木誠勝の真実』が真実ではなかった件についての雑談/橋本宗洋
    ◎30代最後の大勝負!!
    所英男「戦いたくても夢叶わなかった人たちもいる。だから挑戦します!」
    ◎馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」
    斎藤文彦INTERVIEWS⑮
    ◎サイモン捨て身の攻撃!? 泥沼化する猪木vsIGFバトル■事情通Zのプロレス点と線
    ◎プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ◎ポーランドMMA人気爆発から見る国内興行のあり方/石井史彦
    ■オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・「近頃の若い選手はプロレスができていない!」インディシーン活況下の米国でも勃発、プロレス観世代抗争!
    ・僕はとても高いところまで翔び、太陽に翼を焼かれて落ちた:ミゲル・トーレス引退
    ・ソネン対シウバ、5年間の因縁総まとめ! 「ヴァンダレイが本当に出場するのか、まだ確信が持てない(ソネン)」
    ・“結局UFCに行かなかった男”――ヒョードルとUFCの10年愛憎劇総まとめ
    ・マクレガー対メイウェザーの最近の動向まとめ:UFCがコー・プロモーションに踏み出すことの意味
    ■ズンドコ・トラブル興行研究会
    ・「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー金網逃亡事件」
    ・何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」
    ■二階堂綾乃
    ・彼氏をぶっ倒す方法!?
    ・減量をやめたのに痩せた? 減量に挑戦その後
    ◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻ケンヂインタビュー! 宗教を軸にプロレスの世界を語ってもらいました!<関連企画>・【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」・『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光――『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻さんの「プロレスに宗教ネタを持ってきちゃダメですよ」というシメの言葉に惹かれて取材に伺いました!
    大槻 出ちゃったんですよ、「崖のふちプロレス」。ボクはね、客席から女子プロレスを見ていたかったんですけど。
    ――『崖のふちプロレス』に引き寄せられていったんですね。
    大槻 仕掛け人は松本都選手ですけどね。あれはちょうど清水富美加騒動があったときで、都ちゃんがそこに乗ったわけですよ。彼女が天才すぎたからなのか、宗教戦争はあっという間に終わってしまったんですけども(笑)。
    ――もうちょっと続くのかなと思ってたんですけど。
    大槻 もっと引っ張ったら何かとてつもない何かが生まれたかもしれないですけど、彼女は天才すぎるので次はラップに移っちゃいましたから。宗教からラップですよ?(笑)。
    ――ハハハハハハハ。大槻さんがおっしゃるように「プロレスと宗教」の組み合わせは危険なんですが、最近ではUWFを巡る議論が宗教戦争の様相を呈していたり。
    大槻 ああ、『1984年のUWF』ね。
    ――『1984年のUWF』はお読みになったんですか?
    大槻 もちろん読みましたよ! この本の表紙のイラストを描いた寺田克也さんから「本をあげる」と言われたんですけど、先に買っちゃいました。いろんな意見を聞きましたけど、これは宗教的熱狂についての本ですよね。著者の柳澤健さんに一度だけお会いしたことがあるんですが、著作から想像できない物腰の柔らかい方で。『パックインミュージック』について書かれた本(『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』)も面白く読んだんですけども。今回のUWF本に関して言えば、これは同じ意見の方も多いと思うんですが、前田日明、藤原喜明、佐山サトル……といった選手たちの話を聞かず、ターザン山本、堀辺正史の言葉をチョイスしたのがいかがなものかなと(笑)。
    ――ターザンや堀辺さんはとっても面白い2人ですけど、あの本の中では誰よりも信用できないですよね(笑)。
    大槻 まあ柳澤さんが前田さんに話を聞いてもね、「おまえはUWFのことを何もわかっとらん!!」って怒られるだけだからね(笑)。前田さんを取材しなかったことは仕方ないと思うんですけどね。
    ――それは凄く想像できる光景ですねぇ。
    大槻 もうひとつ。中井祐樹で締めくくるのは、いかんせん作為的ではなかろうか? ということは思いましたよね。本としてはメチャクチャ面白かったんですけど! やっぱりドキュメントやルポタージュと称されるものは、作ろうとした人の意図によって物語が流れていくものなんですよ。それは森達也さんもそう言ってますよね。
    ――ドキュメンタリーは嘘をつくってやつですね。森さんが撮った、佐村河内守さんを題材にした『FAKE』にも通底しているテーマでもあります。
    大槻 ちょっと話が外れるんですけど、マンガ家・田中圭一さんの『うつヌケ』という本がありまして。内田樹さんとか鬱病を経験した人の話が載っていて、そこにはボクも出てくるんですよ。
    ――『うつヌケ』はかなり売れてますね。
    大槻 かなり売れてます。そこからボクにも鬱に関する取材が来るようになりまして、じつは世の中には妙な『うつヌケ』プチバブルが訪れてるんですよ(笑)。
    ――『1984年のUWF』をきっかけに、どこもUWFを取り扱う状況と似てますね(笑)。
    大槻 ただ、ひとつふたつだけ受けてその手の取材を断ってるんです。というのはね、たしかに『うつヌケ』は良書だし、興味深いテーマではあるんだけど。UWF本と同じで、あれは田中さんが考えた鬱の抜け方のレクチャー本なんです。「こういうふうに鬱が抜けられるんだ!!」っていう田中さんの信念が描かれてて、きっとご本人がそれを自己確認したかったんだと思う。ボクをはじめとする登場人物をその信念……いや、信仰にハメ込もうとしている部分が少なからずある。たとえば代々木忠監督。
    ――AV監督ですね。
    大槻 代々木監督はスピリチュアルな方で、なんとお経を読み上げることで鬱を抜け出したと言ってるんです。でも、田中さんのマンガにはその言葉は出てくるんだけど、あまり話を広げないんです。代々木監督にはそこが一番重要だと思うんだけどね。
    ――田中さんの考えにはハマってないってことなんでしょうね。
    大槻 おそらく田中さんには自分の『うつヌケ』信仰があるから、そこに誘導したいんですよ。『ううつヌケ』はとっても面白い本だし、UWF本も面白いんだけど、やはりそこにディレクターの思いが入っちゃってるということなんですよね。ある意味UWF本の中井さんは、ボクであり代々木監督なんでしょうね。
    ――大槻さんの考える鬱も違うわけですね。
    大槻 ボクの『うつヌケ』の信念……信仰は田中さんとは違うから。なので『うつヌケ』プチバブルが起きているけど、鬱に関する取材を受けるのはやめておこうと。田中理論をボクは語れないから、ニーズに応えることはできない。でも、田中さんの本によって実際に鬱を抜ける人も多いと思いますけどね。柳沢さんのUWF本もすべて間違った歴史が書かれてるわけじゃないんですけど。
    ――だからこそ論争になるんでしょうね。
    大槻 これからUWF史は柳澤健史観が優勢になるかもしれない。最近のプロレス格闘技界には増田俊也史観も気になるところですが。
    ――『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田先生。
    大槻 歴史は改竄されるとは言わないけど、書く人によって歴史は違って見えますから。これもずっと言ってることなんだけど、ロックの歴史も「はっぴいえんど」史観が支配していると思うんですよ。「はっぴいえんど」から音楽の歴史が語られることが多い。なぜかというと「はっぴいえんど」のリスナーにはテーマで書ける人や語れるといった識者が多いから。
    ――ファンからしても耳触りもいいんでしょうね。 
    大槻 その「はっぴいえんど」原理主義者(笑)は、ほかの歴史を消そうとする傾向があるように感じる。「はっぴいえんど」以外を聞いていた奴に対して、なんて言うんだろう、知的優越を感じる。その中で「そうじゃないんだ!」と戦う人もたまにいるんだけどね。伊藤政則さんとか。
    ――メタルゴッドの伊藤さん。
    大槻 伊藤政則さんは「はっぴいえんど」史観の勢力強大な日本ロック界の中で、いかにメタルがロックを築き上げてきたかを熱く熱く語っていますよね。ただ、伊藤政則史観が主流になってもロック正史というわけではないだろうけど。
    ――かつてのプロレスでいえば、ヤオガチ論も含んだ原理主義者同士の争いが日常的でしたよね。
    大槻 いまのファンには言ってもピンとこないだろうなあ。だってボクはリングスのヴォルク・ハンvsディック・フライもガチだと思ってましたよ! FMWの異種格闘技戦でさえガチが入り込んでるんじゃないか?と。大仁田厚vsベリチェフとかね。
    ――まさかの!
    大槻 いやいや、信じてましたよ!「大仁田さんがなんでこんなに強いんだろう?」と不思議だったんですけど(笑)。
    ――大槻さんは物事を俯瞰して見ているイメージがありましたから、そんなガチ信仰は意外ですね。
    大槻 いやいや、そんななもんでしたよ。強い信仰心がゆえにきちんと調べなかったんでしょうね。言われるがままに受け入れてしまっていた。みんなそうだったんですよ!
    ――ガチじゃないと発覚したときその信仰心はどうなったんですか?
     
  • 【2万字超えの激白】山本喧一インタビュー「高田延彦、田村潔司…真剣勝負とUインターの愛憎物語」

    2017-06-29 21:38  
    150pt
    UWFが知りたいからこそヤマケンの話が聞きたい! 現在北海道・札幌で格闘技ジムを運営する山本喧一ロングインタビュー。真剣勝負の大波がU系に押し寄せてきた90年代中盤から末期、UWFインターやリングスでは何が行なわれていたのか。「田村潔司は偽善者」発言が生み落とされた「真剣勝負とUインターの愛憎物語」を2万7000字のボリュームでお届けします!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!<関連企画>【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光中野巽耀「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」 山本宜久「ヒクソンと戦ってるとき、放送禁止用語が聞こえてきたんですよ…」 謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」 滑川康仁地獄のリングス前田道場卒業生 横井宏考リングスの怪物くん「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」 中村大介2014年のUWF――「それでもボクはUスタイルで戦い続けます」 入江秀忠修斗とUを漂流した男「俺は自称UWFじゃないんですよ」 ――いまUWFが再注目されてまして。『1984年のUWF』という本がきっかけなんですけど。
    ヤマケン 全然読んでないです。高田さんの『泣き虫』も読んでいないです。周りからいろいろと聞いて「ああ、そういう本なんだ」って。
    ――UWFというムーブメントを考えるうえで、ヤマケンさんがUFC-Jトーナメントで優勝したときのマイクアピールって凄く重要だと思って、こうして札幌まで伺ったんです。
    ヤマケン  いまはなきNKホールで田村さんに「オラァ!!」って噛み付いたやつですね(笑)。
    「最後に一言だけ。これだけは、新しい時代を築くためには
    言っとかなきゃいけないことなんで言わせてもらいます。
    ファンのみんな並びに、Uインターの選手全員に大ウソをついた、
    田村潔司! コイツだけは大の偽善者です!
    俺がリングスをやめた本当の真意はこれです。
    さぁ〜、結果出したんで、田村さん、俺と真剣勝負やる根性あったら、いつでもUFC来てください!
    真剣勝負って、カッコ悪いっすね。なんとか勝てました。みんな強かったです。今日はどうもありがとうございました!」
    ――あのときは自分はまだファンの立場だったんですが、控室のコメントを読んだりしていろいろとスッキリしたところがあって。
    ヤマケン なるほど、なるほど。
    ――あの件については何度もインタビューを受けていて「またかよ!」って思われるかもしれませんけど。
    ヤマケン いま言われたように、この件については昔からけっこうしゃべってるんですけど、記事になるとマイルドな内容になってるんですよね(笑)。
    ――それはヤマケンさんが原稿チェックなんかで修正したわけではないんですよね?
    ヤマケン いや、こっちはガンガンしゃべってるんですよ。でも、時代によって書きづらいところはあるんじゃないですか。ボクはあの当時から正直にしゃべってるんですけどね。
    ――なるほど。今日はかなり楽しみです!(笑)。
    ヤマケン いやあ、どうですかね。いまは大人になってますからね(笑)。
    ――ハハハハハハ。大人になった立場から、あの「田村潔司は偽善者」マイクを振り返ってみていかがですか?
    ヤマケン あの当時『SRS-DX』という雑誌がありまして、控室の談話がそのまま長文で載ったんですよ。それはいまでも手元にあるので、たまに読み返したりするんですけど。
    ――試合後の激白も凄く面白いですね。
    ヤマケン いま落ち着いた自分から振り返ってみても、実直な気持ちで、そこに嘘や偽りはないですね。でも、あの当時は早すぎましたよね。周りに理解してもらえなかったんですよ。
    ――突っ込んで聞くわけにいけないですし……。
    ヤマケン だからインタビューしてもらっても、マイルドな内容になっちゃうんでしょうね。
    ――あの「偽善者」マイクもそうですが、ストロングスタイル系の歴史って常に下からの突き上げをくらうというか。猪木さんは馬場さんを挑発しましたけど、その猪木さんが前田さんに脅かされ、その前田さんは船木誠勝・鈴木みのるに、そしてそのUWF自体も修斗に……。
    ヤマケン もともとは猪木さんだったと思うんですよ。もしくは力道山先生にあったイデオロギーで、「やるか、やられるのか」のキラーな部分を引き継いたのが猪木さんで。それが前田さん、高田さん、そしてPRIDEにまで及んでいったんだと思うんですね。だからボクらは猪木さんの系統なんだと思います。
    ――ヤマケンさんはそのUWFどころか、プロレスにすらまったく興味はなかったんですよね。 
    ヤマケン 全然なかったんですよね。Uインターに入る前は正道会館の内弟子だったんですけど。正道会館がK−1だなんだって全国区になる前の話ですよ。
    ――正道会館が東京でも格闘技イベントを開催して上昇していく頃ですね。
    ヤマケン 正道会館に入るときは卍ヘアスタイルで乗り込んだんですよ。当番らしき人に「空手を習いたいんじゃ!!」ってもの凄く態度が悪くて(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! それって何歳の頃ですか?
    ヤマケン 15歳ですね。
    ――どんな15歳なんですか!?(笑)。
    ヤマケン そんな態度ですから当然スッタモンダありまして。「帰れ帰れ!だいたい履歴書を持ってきたんかい?」「履歴書ってなんじゃない!?」と。
    ――酷いやり取り(笑)。
    ヤマケン 当時のボクは勘違してたんですよ。格闘技の道場って気合いが入ってないとダメだと思ってて。
    ――ケンカ腰のほうが認めてくれるんじゃないか、と。
    ヤマケン 住み込みを希望していたんですけど、当時のボクはいろいろとあって住むところがなかったので必死だったんですよね。
    ――住むところがなかった。
    ヤマケン はい。ボクは幼少期から家庭環境が複雑で、義務教育もろくに受けてなかったんです。それくらい家庭がグジャグジャだから中学を卒業したら家を出ますよね。でも、住むところがないと。
    ――そこで正道会館の内弟子を目指したのはなぜですか?
    ヤマケン すさんでいた中学時代に読んだ本が2冊あって。前田さんの自伝『パワー・オブ・ドリーム』と、矢沢永吉さんの『なりあがり』で。その2冊の本は人生を前向きに生きようとするきっかけを作ってくれたんです。前田さんも幼少期は荒れていて、ケンカばかりしていたけど、いまは立派に生きていることに勇気をもらったんです。それでボクも格闘技を習おう!と。でも、それはケンカのためにという不純な動機だったんですけどね。
    ――前田さんが通った道をなぞろうとしたんですね。
    ヤマケン 前田さんの空手の師匠だった田中正吾さんが大阪でやっているという、無想館拳心道という空手道場を探したんですけど、見つからなくて。その頃はリングスが始まってて、そこに正道会館勢が出ていたじゃないですか。これは前田さんが認めている空手なんだろうと。地元の大阪に道場があるし、ちょうどいいやってことで。
    ――そうて卍ヘアーで乗り込んでいったんですね(笑)。
    ヤマケン その日は日曜日なので石井館長は道場に来ない日だったんです。でも、たまたま道場に来て「なんやなんや、なんの騒ぎや?」と。周囲の反応からこの人がボスだってことはわかったので、石井館長に近づいてメンチを切ったんですよ。
    ――ハハハハハハハハ! 怖いもの知らずの15歳ですね(笑)。
    ヤマケン それくらいやらないと認めてくれないと勘違いしてて(笑)。そうしたら石井館長は面白がってくれたんでしょうね。スッと無視して館長室に入っていったんですけど、部屋に来るように呼ばれて。これは最終面接だと思って部屋に入ったら、財布から1万円札をピッと出して「この金で商店街に行って布団を買ってこい!」と。その日から内弟子ですよ。
    ――粋な計らいですね(笑)。
    ヤマケン 普通だったらアウトですよ。そこは石井館長の懐の深さですよね。
    ――それから正道会館で住み込みで空手をやることになって。
    ヤマケン 寮は普通のマンションですよね。佐竹(雅昭)さんは一人部屋で、ボクはアダム・ワットと同じ部屋でしたね。あと内弟子が2人住んでました。 
    ――アダム・ワットと相部屋(笑)。内弟子ってどんな生活なんですか?
    ヤマケン 普段はビギンスポーツという正道会館がやってたスポーツ用品店で働くんですよ。正道はもうひとつトップスターというメーカーもやってたんですけど。
    ――ほかの空手道場が買わなくなるから、正道会館がやってることは伏せていたそうですね(笑)。
    ヤマケン そうですそうです、こっそりやってたんです。電話はちゃんと分かれてたんですけど、最初の頃はトップスターもあったからややこくして。
    ――佐竹さんも間違えて「はい、正道会館です!」って出ちゃったとか。
    ヤマケン 格闘技雑誌にはビギンスポーツとトップスターの広告を出してたんですけど、周りは正道会館がやってることは知らなかったですね。ボクは最終的にビギンスポーツの本部長をやってましたから(笑)。
    ――出世してたんですねぇ(笑)。
    ヤマケン サンドバックの具の詰め込みや、レガースのバンドをボンドで貼り付けたりとかの作業なんかをやってたんです。あと、ちゃんこ屋と焼肉屋をやってたので、そこにもローテーションで働きに行ってましたね。
    ――スポーツ用品だけじゃなくて飲食店も手がけてたんですね。さすが石井館長やり手ですね。
    ヤマケン ボクが入ったあとに内弟子の第2期生を募集して、最終的に15人くらいまで増えたんですよ。だけど、ほとんどやめました。やっぱりキツかったと思うし、正道会館がリングスに出始めた頃だったんで、プロレスラー志望の人間が多かったんですね。
    ――空手とプロレスでは路線はだいぶ違いますよね。
    ヤマケン 空手の世界ってギラギラしてますからね。ケンカ根性のある指導員を育てたかったですけど、内弟子になるのはプロレスファンでしたから。
    ――「プロレスラーになりたいけど、空手の指導員には……」っていう。
    ヤマケン 練習の時間はかなりありましたから最高の環境でしたけどね。昼くらいから練習して、夕方から一般の道場生が来るから指導兼練習。仕事のないときも練習ばっかしてましたし。
    ――充実の空手ライフだったんですね。
    ヤマケン あのままやっていたら正道会館史上最年少の黒帯&指導員になってたんですよ。ところがボクは空手がそんなに好きじゃなかったので。あくまでケンカが強くなりたかったわけですから。夜になると寮を抜け出してケンカばっかやってたんですよね。
    ――スポーツ用品店の責任者で空手道場の内弟子が、ケンカ三昧。
    ヤマケン そっちが本道ですから(笑)。前田さんの本に梅田の十八番商店街でケンカをしてたと書いてあったから、自分も十八番商店街でケンカしたり。空手で習った技術や、中学時代は柔道もやってましたから、そのへんを総称して暴れてたんですよ。ただ、凶器の使い方はわからなかったので、寮長のTさんという方に教えてもらって。たとえば傘の使い方とか。
    ――傘の使い方ってとんでもないレッスンですね(笑)。
    ヤマケン Tさんは凄い人物で知る人ぞ知る人だったんですよ。正道会館の表の顔が石井館長なら、裏の顔はTさん。あの当時の正道会館の人間は、ケンカ根性や精神論をTさんから教わってるんです。正道会館は創成期だからケンカ根性がないとナメられるじゃないですか。支部長がケツをまくったり、情けないことをするとTさんが飛んでってしごくし、何かトラブルがあるとTさんが出ていくんです。
    ――まさしく裏の顔!
    ヤマケン ジュラルド・ゴルドーが正道会館のイベントに出たとき判定にムカついてバックステージに殴り込んできて、Tさんに食ってかかったんですよ。そのときにTさんが●●●●●●●したら、あのゴルドーが「oh、Sorry……」って離れていったくらいですから。
    ――あのゴルドーが謝った! というか、ゴルドーにそんなムチャなことができますね……。
    ヤマケン そういう伝説がある人がボクの師匠であり、正道会館の精神的支柱だったんですよ。もう心酔しちゃいますよね。「この人はホンモノや!」って。あと石井館長とTさんのあいだに挟まれて中山猛夫師範という恐ろしい人もいたんですよ。
    ――初期正道会館のエースですね。本当に強かったみたいで。
    ヤマケン 中山さん、凄いですよ。毎週水曜日だったかな。夜遅くに中山さんが道場に来て、顔面ありのスパーリングを始めるんですよ。我々はヘッドギアをつけるんですけど、中山さんは何もなし。でも、みんなボッコボコにやられます(笑)。あのスパーリングでみんな根性が付いたんですよね。
    ――顔面ありを想定したスパーリングをやってたんですね。
    ヤマケン それは来るべきK−1に繋がってるんでしょうね。トーワ杯や格闘技オリンピックがあって顔面ありにシフトしていった時代でしたし。佐竹さんがドン・中矢・ニールセンと戦ったときのセコンドはTさんと中山さんなんですよ。
    ――あのとき佐竹さんの反則の頭突きが勝負の決め手になりましたけど、ケンカ根性がそうさせたのかもしれませんねぇ。
    ヤマケン ボクはこの業界の裏の裏の裏を知ってからUインターに入ったんで、何が起こっても動じないんですよ。ほかの人たちはアタフタするんですけど。
    ――正道会館からUインターはどういう流れがあったんですか?
    ヤマケン Tさんがボクの今後のことを心配してくれたんですよ。「このままケンカばっかりやっていたら、ヤクザになるしかなくなる」と。Tさんは田中正吾さんのこともしごいていたことがあったから「前田のところにいつでも行けるぞ」って言われたんですけど、ボクはプロレスラーに興味がなかったし、ケンカさえできればよかったんです。「このままだと正道会館に迷惑をかけることになるし、身動きが取りづらくなるぞ」「じゃあやめますわ」って。
    ――やめちゃうんですか。
    ヤマケン 正道には半年いましたね。そのあとはケンカの腕を磨くために、キックでアジア太平洋チャンピオンになったスパーク山本さんという人をストーキングしたりしてたんですけど。
    ――どういうことですか?
    ヤマケン Tさんに「顔面をやっておいたほうがいい。こういう奴がいるから探してこい」ってことで山本さんの存在を教えてもらって。山本さんはコックをやってて家に帰るのが深夜12時過ぎなんですよ。帰宅した頃を見計らってドアをトントン叩いて「キックを教えてくれ!」って。
    ――ハハハハハハ! 深夜におっかないですよ!
    ヤマケン その人も面白がってくれて、公園の木にサンドバックを吊るして教えてくれました。
    ――そんなストーカーをするくらいケンカしか頭になかったんですね(笑)。
    ヤマケン Uインターに入ることになったのは、そのケンカで負けたからなんですね。相手は10人くらいいたんですけど。
    ――どうやったら10人とケンカになるんですか(笑)。
    ヤマケン ケンカをふっかける方法があって。相手の肩にわざとドンとぶつかって、こちらから因縁をつけて路地裏に連れ込んでボコボコにするんです。
    ――はあ(笑)。
    ヤマケン ところがそのときは相手に仲間がいたんですよ。路地裏に連れ込んだのがバレちゃって「なにやっとんねん!」と逆に追い詰められて。初めての完膚なきまでの敗戦。だけど、パワーがあったら勝てたんじゃないかなって。当時はまだ細かったですからね。
    ――そんなに目も遭ってもケンカの敗因分析を。
    ヤマケン それでボロボロのまま歩いていたら大阪府立の前を通りかかって、ダフ屋のおっちゃんが「プロレス見いひんか?」って声をかけてきたのがUインターだったんです。そういえばTさんも「プロレスに行け」とかよく言ってたな、ちょっと見てみるかと。身体中が痛かったので2階席で寝てたんですよ。そうしたらメインになったら大歓声。「なんだ?」と思ってリングを見たら、高田さんと山崎さんの身体のでかい2人が凄い試合をしてて「これや!!」と。俺のクソ根性と、あの身体があったら無敵やないけと。
    ――そこもケンカが強くなりたい!という発想なんですね。
    ヤマケン ケンカ日本一になれるんちゃうか?と。隣の席のおっちゃんが持ってたパンフレットに練習生募集という文字が見えたので「それ、よこせ!」って奪って。後日Uインターに電話したんですよ。
    ――ホント行動力ありますね(笑)。
    ヤマケン 電話に出たのは鈴木健さん。「大阪の山本といいます。プロレスをやらせてほしいんですけど」って。でも、パンフレットに載っていた練習生の規定は18歳以上、180センチ75キロ以上。その当時ボクは痩せてたし、タッパも180なかったし、歳も15歳だったし。
    ――あ、まだ15歳なんですか?(笑)。
    ヤマケン 16歳になる前ですね。何か売りがないと入れてくれないと思って「足が大きい奴は背が伸びる」って聞いたことがあったから「足は29センチあります。足29センチ、足29センチ!」って繰り返して(笑)。
    ――「足29センチ!!」を連呼する怪しい電話(笑)。
    ヤマケン 鈴木さんも「そうなんだ、高田さんと一緒だね!高山くんなんて31センチあるよ」なんて会話が弾んじゃって。それで「じゃあテストを受けなさい」ってことになったんです。上京してテストを受けたときは地獄の坂道ダッシュもやりましたし、スクワットも500回やりましたね。
    ――ヤマケンさんはプロレスファンじゃなかったですよね。スクワットはやったことあったんですか?
    ヤマケン ないです。正道会館にプロレスラーになりたい奴らが集まってて、そいつらがスクワットをやっていたから、なんとなくこんな感じかなって。よくわからないまま無心でやってたんですけど、あとから聞くにはジャンピングスクワットという、もっとしんどいことをやってたみたいなんですね(笑)。
    ――よりハードなほうをやってたんですか!(笑)。
    ヤマケン 先輩方も「こいつは面白いな!」って笑ってたみたいですよ。あのときは4人テストを受けたんですけど、合格したボクともう一人以外は殴られ蹴飛ばされ……。
    ――えっ、テスト中なのに?(笑)。
    ヤマケン チンタラやってるからです。厳しいんですよ、Uインターのテストは。「テメエ、そんな体力でプロレスラーになろうと思ってたのか?」って怒鳴られるし、殴られるし。
    ――誰が怒鳴るんですか?
    ヤマケン 宮戸(優光)さんです(笑)。
    ――ハハハハハハ! あの甲高い声で!
    ヤマケン もう鬼軍曹ですよ。高山さんも「チンタラやってるんじゃねえよぉ!」ってドスを効かせて。ヘバッて休んでると蹴っ飛ばされるんですよ。「おい、ナニ休んでるんだ?いまなんの時間だ、おい?」って。
    ――合格しても入門したくない(笑)。
    ヤマケン 「けったいところに来たなあ……」と思いながらも、必死にやりましたよ。俺がUインターのテストを受けると聞いてTさんが一番喜んでくれたんですよ。だからなんとか頑張って合格しようと。気合いが入っていればなんとかなるって勘違いしてる人間だったからできたんですよ。全体的に見たら体力も全然なかったんですけど、根性と気合いで最後までやりきった。あと若かったことも大きかったんじゃないですか。多目に見てもらったんですよ。
    ――まだ十代で伸びしろがある、と。
    ヤマケン 垣原さんも16歳でこの世界に入ったので、16歳だったボクのことをプッシュしてくれたみたいですね。「こいつは根性もあるし、伸びると思うんですよ」って宮戸さんに言ってくれて。それで仮入門することになったんです。
    ――ヤマケンさん以外にもうひとり受かったんですよね。
    ヤマケン Aって奴が受かったんですよ。面白いのはAはボクのあとに正道会館の内弟子になった奴なんです。190センチくらいあって、プロレスラー志望だったから途中でやめたんですけど。Uインターも入門1週間で逃げちゃいましたね。
    ――1週間で!
    ヤマケン いやあ、もうキツかったですから。Uインターの寮は3LDKのマンションで。デビューしていた先輩は一人部屋。ボクと桜庭さんと、ボーウィー・チョーワイクンともうひとりのタイ人、SWSから移籍してきた中原(敏之)さんはキッチンでせんべい布団を並べて雑魚寝ですよ。ゴキブリがカサカサ動くような場所で。
    ――当時の寮長は垣原さんだったんですよね。前・寮長の田村さんは相当厳しかったと聞きますけど……。
    ヤマケン 垣原さんもそれなりに厳しかったですよね。先輩後輩の上下関係はあるわけですから。
    ――練習生はどんな1日なんですか?
    ヤマケン 朝7時に起きてチャリンコで道場に向かって、炊事洗濯、ちゃんこの準備、先輩の服をきちんと畳みます。10時になったら大声で数を数えながらスクワット。ちゃんこ番があるときは13時に練習を上がって、15時までにちゃんこを作る。ちゃんこ番がないときは15時まで先輩のスパーリングでこねくり回されたり、地獄のトレーニングを無限大にやらされて。
    ――正道会館でいろいろ経験してきたヤマケンさんでもキツイんですか?
    ヤマケン キツイです。正道のときは自由な時間があったんですけど、Uインターは24時間監視されてるんですよ。刑務所ですよ、刑務所。逃げることができる塀のない刑務所。
    ――刑務所って塀がなかったら逃げますよね(笑)。
    ヤマケン みんな逃げちゃうんですよ。3年後に上山(龍紀)と松井(大二郎)が残るまで、3年間ずっとボクが下っ端ですよ。
    ――いつまで経っても最下層。
    ヤマケン いままでは1年に1人は絶対に残ってるんですよ。でも、ボクのあとは全然下が育てないので大変でしたよねぇ。
    ――ずっとスパーリングの実験台になるって地獄ですよね。
    ヤマケン 中野(巽耀)さんの場合は夜中に練習するんですね。中野さんは安生さんや宮戸さんと仲が悪かったから、夜ひとりで練習するようになったんですよ。だいたい7時から9時に。
    ――昼の練習が終わっても、夜まで中野さんのことを待ってないといけないんですね。中野さんの夜練は毎日なんですか?
    ヤマケン 電話で中野さんに連絡をしなきゃいけないんですよ。「おつかれさまです」「今日は高田さんのお付きはないのか?」「はい、ないです」「じゃあ待ってろ」と。あと中野さんの家に出張するときもあるんですよ。
    ――出張夜練!
    ヤマケン 中野さんの家の前に貯水場があるんですけど。街灯がある路地裏で練習するんですよね。
    ――屋外練習ですか!(笑)。
    ヤマケン バンテージとミットを持って中野さんを待ってるんです。中野さんは早く来るときもあれば、遅く来るときもあるんですけど、待たせちゃいけないので早めに待っていて。出張練習が終わったら道場に戻って、冷えたちゃんこを温め直して食べて。道場の後片付けなんかをして、寮に戻って寝るのが深夜3時くらいですかね。
    ――そりゃあ誰も残らなくなりますねぇ。
    ヤマケン 一番大事な仕事としては、入って半年後に高田さんの付き人をやることになりました。付き人デビューはジュリアナ東京のVIPルームだったんですよ。社員と選手が集められた飲み会。まだデビュー前の高山さんが高田さんの付き人をやっていて、付き人指南を受けながらだったんですけど。1軒目、2軒目、3軒目になるにつれて、人が減っていくんですよ。最終的に5〜6軒回ったと思うんですけど、パッと意識が戻ったときは高山さんの腰をしがみついたんです。
    ――えっ、どういうことですか?
    ヤマケン 場所はミスタードーナッツで、もうお昼。高田さんが「ドーナツ、10個!!」って頼んでるときに意識が戻ったんですよね(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 高田さんもタフですねぇ。
    ヤマケン 「バ、バケモノや……!」ってまた記憶を失って、気がついたら寮のせんべい布団の中。身体中を覆うくらいの血ゲロが固まって張り付いていて。
    ――ひどい!(笑)。
    ヤマケン 初めて付き人だから気合いを入れてついていったんですけどね。スタートのジュリアナ東京のときからイッキ飲みの繰り返しでしょ。ジュリアナ東京のお立ち台で真っ裸になって踊ってたみたいですから(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 1軒目で記憶が飛んでいて。
    ヤマケン おぼえてないんですけどね。あとで聞く話によれば「俺が高田さんを守るんじゃあ!」と叫びながら高田さんに付いていったみたいだけど、最後は高山さんの腰をしがみつきながら立っていたという(笑)。
    ――お付きでもお酒をガンガン飲まないといけないんですね。
    ヤマケン 付き人だから高田さんを家まで送り届けることが仕事なんですけど、プロレスラーはガンガン飲まないといけないんですよ。いっぱい飲むけど、トイレで吐いて1分以内に戻って、また普通に飲みながら、高田さんや周りに気遣いしながら楽しくしていないといけない。最後は高田さんを家まで送り届けて、向井(亜紀)さんのネグリジェ姿を見て、帰り道で力尽きて、砧公園の水路にハマり込んで寝るという(笑)。
    ――寮まで辿り着かない(笑)。
    ヤマケン 辿り着かないです(笑)。高田さんを無事に送り届けたことで緊張の糸がプツリと切れますよね。
    ――大変ですねぇ……。
    ヤマケン 楽しいですよ、基本楽しいです。だって道場ではもっとピリピリしてるわけですから。先輩方も普段は厳しいけど、飲みのときはちょっとフレンドリーになるので、多少の息抜きにはなるんですよ。 
    ――飲み会はどれくらいのペースであったんですか?
    ヤマケン だいたい飲み会は土曜日ですね。試合後の1週間は道場が休みなんで、そのあいだはずっと高田さんの飲みに付き合うんですよ。
    ――1週間飲みっぱなしですか!!(笑)。
    ヤマケン 高田さんの凄いところは、その当時のトレンディな場所に顔を出して、飲んで暴れて話題を作るんですよ。試合も酒も凄いし、カッコイイ。みんな高田さんの虜になっちゃうんですよね。
    ――夜の帝王、高田延彦。
    ヤマケン 高田さんは5升は軽く飲んでましたからね。ボクが知るかぎり飲みで相撲取り3人をやっつけましたから。琴ヶ梅、益荒男、寺尾関。プロレスラー代表が高田さん。その対決が終わりかけのときに合宿所に「誰がいるんだ?」って電話があったんですよ。先輩方はみんな「いないことにしてくれ……」と(笑)。
    ――修羅場に出向きたくない(笑)。
    ヤマケン 試合後以外の飲み会はみんなあまり行きたがらないんですよ。あのときは自分ひとりだけ六本木の店に行ったんですけど、VIPルームにはあらゆる酒の瓶が散乱してて。まずは駆けつけ1杯。1杯といってもビールの大ジョッキ。高田さんが焼酎、ウイスキーをドボドボ注ぎ込んで「よし、行け!」と。グワーと一気してそこからスタートなんです。
    ――みんな行きたがらないですね、そんな飲みが毎日だと(笑)。
    ヤマケン 3人の相撲取りが千鳥足でフラフラしながら帰っていく姿をご満悦で見た高田さんが「……よし、次に行くぞ!」って5〜6軒回りましたね(笑)。
    ――相撲取りとたらふく飲んだあとに! カッコイイなあ。
    ・高田延彦に惚れた六本木の夜――・Uインターが揺れた「宮戸クーデター未遂」と「田村の乱」・試合開始1時間前、前田日明、田村潔司に真剣勝負を直訴した結果は……?・リングスジャパン勢は練習していなかったこの続きと、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553
     
     
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  • 鬱と宗教とUWF……プロレスの信仰心はどこに向かうのか■大槻ケンヂインタビュー

    2017-06-29 21:38  
    85pt
    『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻ケンヂインタビュー! 宗教を軸にプロレスの世界を語ってもらいました!<関連企画>・【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」・『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光――『崖のふちプロレス』の宗教戦争に登場した大槻さんの「プロレスに宗教ネタを持ってきちゃダメですよ」というシメの言葉に惹かれて取材に伺いました!
    大槻 出ちゃったんですよ、「崖のふちプロレス」。ボクはね、客席から女子プロレスを見ていたかったんですけど。
    ――『崖のふちプロレス』に引き寄せられていったんですね。
    大槻 仕掛け人は松本都選手ですけどね。あれはちょうど清水富美加騒動があったときで、都ちゃんがそこに乗ったわけですよ。彼女が天才すぎたからなのか、宗教戦争はあっという間に終わってしまったんですけども(笑)。
    ――もうちょっと続くのかなと思ってたんですけど。
    大槻 もっと引っ張ったら何かとてつもない何かが生まれたかもしれないですけど、彼女は天才すぎるので次はラップに移っちゃいましたから。宗教からラップですよ?(笑)。
    ――ハハハハハハハ。大槻さんがおっしゃるように「プロレスと宗教」の組み合わせは危険なんですが、最近ではUWFを巡る議論が宗教戦争の様相を呈していたり。
    大槻 ああ、『1984年のUWF』ね。
    ――『1984年のUWF』はお読みになったんですか?
    大槻 もちろん読みましたよ! この本の表紙のイラストを描いた寺田克也さんから「本をあげる」と言われたんですけど、先に買っちゃいました。いろんな意見を聞きましたけど、これは宗教的熱狂についての本ですよね。著者の柳澤健さんに一度だけお会いしたことがあるんですが、著作から想像できない物腰の柔らかい方で。『パックインミュージック』について書かれた本(『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』)も面白く読んだんですけども。今回のUWF本に関して言えば、これは同じ意見の方も多いと思うんですが、前田日明、藤原喜明、佐山サトル……といった選手たちの話を聞かず、ターザン山本、堀辺正史の言葉をチョイスしたのがいかがなものかなと(笑)。
    ――ターザンや堀辺さんはとっても面白い2人ですけど、あの本の中では誰よりも信用できないですよね(笑)。
    大槻 まあ柳澤さんが前田さんに話を聞いてもね、「おまえはUWFのことを何もわかっとらん!!」って怒られるだけだからね(笑)。前田さんを取材しなかったことは仕方ないと思うんですけどね。
    ――それは凄く想像できる光景ですねぇ。
    大槻 もうひとつ。中井祐樹で締めくくるのは、いかんせん作為的ではなかろうか? ということは思いましたよね。本としてはメチャクチャ面白かったんですけど! やっぱりドキュメントやルポタージュと称されるものは、作ろうとした人の意図によって物語が流れていくものなんですよ。それは森達也さんもそう言ってますよね。
    ――ドキュメンタリーは嘘をつくってやつですね。森さんが撮った、佐村河内守さんを題材にした『FAKE』にも通底しているテーマでもあります。
    大槻 ちょっと話が外れるんですけど、マンガ家・田中圭一さんの『うつヌケ』という本がありまして。内田樹さんとか鬱病を経験した人の話が載っていて、そこにはボクも出てくるんですよ。
    ――『うつヌケ』はかなり売れてますね。
    大槻 かなり売れてます。そこからボクにも鬱に関する取材が来るようになりまして、じつは世の中には妙な『うつヌケ』プチバブルが訪れてるんですよ(笑)。
    ――『1984年のUWF』をきっかけに、どこもUWFを取り扱う状況と似てますね(笑)。
    大槻 ただ、ひとつふたつだけ受けてその手の取材を断ってるんです。というのはね、たしかに『うつヌケ』は良書だし、興味深いテーマではあるんだけど。UWF本と同じで、あれは田中さんが考えた鬱の抜け方のレクチャー本なんです。「こういうふうに鬱が抜けられるんだ!!」っていう田中さんの信念が描かれてて、きっとご本人がそれを自己確認したかったんだと思う。ボクをはじめとする登場人物をその信念……いや、信仰にハメ込もうとしている部分が少なからずある。たとえば代々木忠監督。
    ――AV監督ですね。
    大槻 代々木監督はスピリチュアルな方で、なんとお経を読み上げることで鬱を抜け出したと言ってるんです。でも、田中さんのマンガにはその言葉は出てくるんだけど、あまり話を広げないんです。代々木監督にはそこが一番重要だと思うんだけどね。
    ――田中さんの考えにはハマってないってことなんでしょうね。
    大槻 おそらく田中さんには自分の『うつヌケ』信仰があるから、そこに誘導したいんですよ。『ううつヌケ』はとっても面白い本だし、UWF本も面白いんだけど、やはりそこにディレクターの思いが入っちゃってるということなんですよね。ある意味UWF本の中井さんは、ボクであり代々木監督なんでしょうね。
    ――大槻さんの考える鬱も違うわけですね。
    大槻 ボクの『うつヌケ』の信念……信仰は田中さんとは違うから。なので『うつヌケ』プチバブルが起きているけど、鬱に関する取材を受けるのはやめておこうと。田中理論をボクは語れないから、ニーズに応えることはできない。でも、田中さんの本によって実際に鬱を抜ける人も多いと思いますけどね。柳沢さんのUWF本もすべて間違った歴史が書かれてるわけじゃないんですけど。
    ――だからこそ論争になるんでしょうね。
    大槻 これからUWF史は柳澤健史観が優勢になるかもしれない。最近のプロレス格闘技界には増田俊也史観も気になるところですが。
    ――『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田先生。
    大槻 歴史は改竄されるとは言わないけど、書く人によって歴史は違って見えますから。これもずっと言ってることなんだけど、ロックの歴史も「はっぴいえんど」史観が支配していると思うんですよ。「はっぴいえんど」から音楽の歴史が語られることが多い。なぜかというと「はっぴいえんど」のリスナーにはテーマで書ける人や語れるといった識者が多いから。
    ――ファンからしても耳触りもいいんでしょうね。 
    大槻 その「はっぴいえんど」原理主義者(笑)は、ほかの歴史を消そうとする傾向があるように感じる。「はっぴいえんど」以外を聞いていた奴に対して、なんて言うんだろう、知的優越を感じる。その中で「そうじゃないんだ!」と戦う人もたまにいるんだけどね。伊藤政則さんとか。
    ――メタルゴッドの伊藤さん。
    大槻 伊藤政則さんは「はっぴいえんど」史観の勢力強大な日本ロック界の中で、いかにメタルがロックを築き上げてきたかを熱く熱く語っていますよね。ただ、伊藤政則史観が主流になってもロック正史というわけではないだろうけど。
    ――かつてのプロレスでいえば、ヤオガチ論も含んだ原理主義者同士の争いが日常的でしたよね。
    大槻 いまのファンには言ってもピンとこないだろうなあ。だってボクはリングスのヴォルク・ハンvsディック・フライもガチだと思ってましたよ! FMWの異種格闘技戦でさえガチが入り込んでるんじゃないか?と。大仁田厚vsベリチェフとかね。
    ――まさかの!
    大槻 いやいや、信じてましたよ!「大仁田さんがなんでこんなに強いんだろう?」と不思議だったんですけど(笑)。
    ――大槻さんは物事を俯瞰して見ているイメージがありましたから、そんなガチ信仰は意外ですね。
    大槻 いやいや、そんななもんでしたよ。強い信仰心がゆえにきちんと調べなかったんでしょうね。言われるがままに受け入れてしまっていた。みんなそうだったんですよ!
    ――ガチじゃないと発覚したときその信仰心はどうなったんですか?この続きと、ヤマケン激白、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • 「近頃の若い選手はプロレスができていない!」インディシーン活況下の米国でも勃発、プロレス観世代抗争!

    2017-06-29 20:01  
    50pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……「近頃の若い選手はプロレスができていない!」インディシーン活況下の米国でも勃発、プロレス観世代抗争!新日本プロレスが復権してきた数年前、日本では新しいプロレスファンと古いプロレスファンとの間で、プロレス観の違いを巡る論争が巻き起こったことは記憶に新しい。
    同じような議論は海外にもある。その代表的な事例は、昨年の新日本プロレス、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで行われたウィル・オスプレイ(24)対リコシェ(28)の一戦であった。斬新でアクロバティックな動きのGifがインターネットを駆け巡ると、これが一気に世界的な注目を集めたのだ。今のプロレスはここまで進化しているのか!という驚きの声と同時に、元プロレスラーやオールドスクールなファンからは、この動きのどこに戦いがあるのかといった批判も生じた。そこから、批判派の急先鋒(せんぽう)だったベイダー(62)がオスプレイとロンドンで因縁決着戦を行うというアングルが発生、しかしベイダーが当初合意していたはずの“仕事”をしなかったために展開はグダグダに。試合後にオスプレイ自らがマイクを取って、ベイダーがジョブをしなかったからこうなったという裏話を暴露するという、後味の悪い結末が残ったのだった。
    この種の議論が最近再び燃え上がったきっかけとなったのは、現在オハイオ・バレー・レスリングのコーチを担当しているリップ・ロジャーズ(63)(80年代から90年代にかけて全日本プロレスに参戦歴もある、ピンクのコスチュームが印象的なオカマキャラクターのレスラーだ)のSNSでの投稿だった。それはこのような内容だった。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! 
  • プロレスマスコミの御大が語る「プロレス取材の難しさ」■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-06-29 19:24  
    75pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「プロレスマスコミの御大が語るプロレス取材の難しさ」です! 
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    ――今回は「プロレスラー取材の難しさ」についてお伺いします。小佐野さんはGスピリッツなどでオールドレスラーや関係者にインタビューされていますが……たとえば定説とは異なる話を相手がしてくるケースはありますか?
    小佐野 事実じゃないというか、思い違いや、記憶が前後しているケースはけっこうあるよね。だからGスピで大変なのは事前調査なんですよ。相手に昔のことを思い出してもらうために、その材料をいっぱい提供してあげないといけない。
    ――そうすると相手も思い出してくるんですね。
    小佐野 あと重要なのは、その時間を共有していることですね。たとえばどんなに資料で調べたり、俯瞰して振り返っても、その時代のことを知らないと当時の熱はわからないと思う。それは実際に見ていないから。
    ――そういえば以前このコーナーで「大木金太郎」をテーマにお願いしたら断られましたね(笑)。
    小佐野 大木さんのことは知らないわけじゃないですけど、取材をしたことないですし(苦笑)。それは力道山時代も同じです。なぜあのとき日本国民が力道山に熱狂したのかは、知識はあっても理解はできていないんです。でも、それは仕方のないことなんだけどね。そんなことを言い出したら何も物を書けなくなってしまうから。
    ――最近は業界外の方がプロレスをテーマに扱うケースが多いんですが、ファンのあいだで議論になるんですね。
    小佐野 業界外の方が書くと賛否両論になるはずなんですよ。業界外の人間が書いたから「これが真実だ!」と褒める人もいれば、古くからのマニアは「何も知らないじゃないか」と批判する。プロレスラーって業界外の取材には良くも悪くも構えるところがあるんですよ。カッコつけて大袈裟に言ったり、丁寧になったり。
    ――逆に業界内の人間じゃないと取材を受けないケースもありますよね。たとえば馬場さんの側近で、WWEのエージェントも務めた佐藤昭雄さんとか。
    小佐野 昭雄さんは業界内の人間の取材すら受けないです。基本的にプロレス業界の人と付き合わないから。あの人がプロレス界から足を洗ったのは97年1月。最後はFFFという団体に関わってたんですね。
    ――バイク便会社にオーナーとなった幻のインディ統一機構ですね。
    小佐野 旗揚げ前に潰れちゃってね。そのときに昭雄さんは「こんな素人に騙されたんじゃ焼きが回ったな」ってことで身を引いたんです。「鏡を見たときに普通に歩いてる自分がいたから、身体が壊れる前にやめよう」と。プロレスをやっていると、みんな腰やヒザが悪くなるでしょ。いい区切りだということで業界と縁を切って全然連絡が取れなくなったんです。
    ――小佐野さんとも連絡は取れなくなったんですか?
    小佐野 取れない時期がありました。アメリカの昭雄さんの自宅に『週刊ゴング』を送っていたんだけど、編集部に連絡があって「もう送ってこなくていい。じゃあ小佐野くん元気でね」と電話を切られたきり10年くらい連絡が途絶えたんです。
    ――徹底してますねぇ。
    小佐野 手紙を送っても返事はなし。そうしたら「カリフラワー・アレイ・クラブ」というアメリカのレスラー親睦会があるでしょ。そこに出席していた昭雄さんとNOAHの仲田龍氏が会ったんです。昭雄さんはJ・J・ディロンから「ひさしぶりに顔を出さないか」って誘われて「昔の仲間の前ならいいか」って出席したみたいで。そこで仲田龍氏は昭雄さんの現在の連絡先を聞いて。
    ――そこで消息が掴めたんですね。
    小佐野 「個人的に話がしたい」と仲田龍氏を通したらオッケーの返事が来て。まずプライベートの近況を交換して「じつは取材をしたいんです」とお願いしたら「日本語のリハビリを兼ねて小佐野くんならいいか」ってことで。アメリカでは全然日本語をしゃべってないから。
    ――旧知の小佐野さんだから取材はオッケーだったんですか?
    小佐野 ちゃんと馬場さんと昭雄さんの関係がわかってる人ならということだよね。でも、みんなリタイアしちゃってるから現役のマスコミではもういないんですよ。馬場さんと昭雄さんの関係を知っていないと、冗談めかしに言ったものをそのまま書かれたら悪口に読めてしまう場合もある。そうなったら昭雄さんとしても困るんですよ。もともと2人は師弟関係だったけど、昭雄さんが全日本のブッカーになって、立場的に対等とは言わないけども、付き人の昭雄から佐藤昭雄となった。そして昭雄さんがWWF(現WWE)の窓口になってからはまた関係も変わったわけだから。
    ――いままでの上司と部下の関係ではなくなってきますね。
    小佐野 「馬場さんが俺にどういう感情を持っていたか、俺が馬場さんにどういう感情を持っていたか。俺と馬場さんの関係を知っていれば、言わんとしてることはわかると思うけど」と。けっこうシニカルな表現をする人なので、そこで誤解されたくないんですね。それほどあの人にとって馬場さんは大切な人だし、ジャイアント馬場のことを知り尽くしている。正しいニュアンスで伝えてくれないと困るというわけですね。
    ――プロレスの場合は、リング上の表現も難しいですよね。
    小佐野 昭雄さんは「世界チャンピオンになるレスラーは相手の腕を取って、いかに暇つぶしができるかだ」と言うんです。その意味をちゃんとわからないと難しいでしょ。それはただ時間をやり過ごしてるわけじゃなくて、そのやり過ごし方が重要なのであって。
    ――プロレスというジャンルをよく知ってないと誤解を招きますね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! 
  • 馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■斎藤文彦INTERVIEWS⑮

    2017-06-27 22:00  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726
    ――現在多くの日本人プロレスラーがWWEに上がっていますが、今回はWWEと日本人プロレスラーの歴史についてお伺いいたします。
    フミ WWEは歴史の長い団体です。契約形態もその時代によって異なっています。WWWF時代はニューヨークを中心とした東海岸地域の団体だったのが、 1983年にいまのビンス・マクマホンが引き継いでからは全米に展開するようになり、いまや世界一のプロレス団体ですから。
    ――80年代に入るまではスポット参戦がけっこうありましたね。
    フミ 男子だけではなく、女子レスラーでもクラッシュギャルズ、ダンプ松本がマディソン・スクウェア・ガーデン(以下MSG)の定期戦には上がったことがありましたね。あとJBエンゼルス(立野記代&山崎五紀)が6ヵ月契約で上がっています。90年代になるとブル中野さんも参戦します。アランドラ・ブレイズことメドューサとの試合は定番カードとなって、1ヵ月で28回戦ったこともあります。
    ――毎日ブル中野vsメドゥーサ!
    フミ ありとあらゆる街でそのカードで戦ったんです。その街のお客さんとしては初めて生で見るわけですから、見せるべき動きはすべて出さないといけない。でも、アスリートとしては同じことを繰り返すのはプライドが許さないところがあるので、煮詰まらないようにちょっとずつ内容を変えていく。技の順番を変えたり、新しい技にトライするわけですね。
    ――そうでもしないとモチベーションが保てないでしょうね。
    フミ WWEというプロレス団体の歴史をさかのぼると、あのリングで初めて活躍した日本人はジャイアント馬場さんなんです。当時はWWE発足前でビンス・マクマホンのお父さんがプロモーターをやっていた時代でした。
    ――ビンス・マクマホン・シニアですね。
    フミ 馬場さんは1961年、つまり昭和36年の秋に初めてアメリカ遠征に出るんですけど、単身ではなくて芳の里、鈴木幸雄(マンモス鈴木)の3人でツアーを行なったんです。そのときに馬場さんはMSGデビューしたんです。記録によれば、61年9月から62年12月まで16大会連続でMSG定期戦に出場してますね。ちなみにWWEが誕生したのは翌63年3月です。
    ――WWE誕生以前のニューヨークを馬場さんは知っているんですね。
    フミ 馬場さんは1963年のワールドリーグ戦に出るために帰国して、その秋から再びアメリカ長期遠征に出たんですが、力道山が突然死んでしまうんです。馬場さんは遠征中なので力道山の死に目に会えていないけれど、帰国もしていない。馬場さんはNWA世界チャンピオン候補だったこともあり、マネジャーのグレート東郷が「アメリカに残っていたほうがいい」とアドバイスしたんです。そして力道山死去の3ヵ月後の1964年2月17日、MSG定期戦でブルーノ・サンマルチノvsジャイアント馬場のWWWF世界戦(WWEのルーツ)という大メインイベントが行なわれます
    ――日本に緊急帰国していたら実現していない。
    フミ その後、馬場さんはグレート東郷の誘いを断って帰国するんですが、力道山が死んだことで日本ではもうプロレスというビジネスがなくなってしまうではないかという憶測も流れていたんです。馬場さんは海の向こうから日本の状況を眺めていたんでしょうね。
    ――あのままアメリカに残っていたらプロレスの歴史は変わっていたんでしょうね。
    フミ NWAのチャンピオンになって全米をサーキットしても1〜2年、長期政権でも3〜4年ですから、馬場さんはいずれせよ日本に帰ってくることになっていたと思いますね。
    ――昭和のプロレス界だとNWA幻想が凄かったですが、WWEはどういうものだったんですか?
    フミ 70年代終わりから80年代前半だと「MSGシリーズ」といえば、新日本プロレス春の本場所のイメージが強いですよね。でも、日本プロレスでもMSGシリーズ(1967年2月)をやっていて、全日本プロレスでも一度だけ開催されたんです(1974年5月)。
    ――MSG自体がブランドだったんですね。
    フミ いまのWWEはメジャーだとわかっていても、日本のファンからすればちょっと遠いような感じがしますよね。70年代80年代のプロレスファンからすれば、日本で「MSGシリーズ」が開催されて、ニューヨークのスターがアメリカからやってきていたので、いまとは違った意味で近い存在ではあったんですね。
    ――新日本プロレスはWWEと業務提携もしていましたね。
    フミ 猪木さんの新日本とWWEが業務提携を発表したのが1974年5月。当時ボクは少年ファンだったからMSGに出ているレスラーが続々と来日するんだという期待感が大きく膨らみました。新日本とWWEの業務提携に全日本の馬場さんはどういう反応を示したかといえば、1974年6月にひとりでニューヨークに出かけて、10年ぶりにMSG定期戦に出場したんです。馬場さんは新日本とWWEの提携が本当かどうか探りに行ったわけですね。
    ――馬場さんにとって、それほど寝耳の水な発表だったんですね。
    フミ 当時の新日本は外国人レスラーが弱点だったんです。トップがタイガー・ジェット・シンで、第1回ワールドリーグ戦決勝戦の猪木さんの相手はキラー・カール・クラップでした。
    ――NWAのトップレスラーが来日していた全日本と比べると華やかさに欠けますねぇ。
    フミ ワールドリーグ戦も猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎と日本人レスラー主体の争い。日本人対決は見ごたえはあったのですが、その後のWWEとの提携によって新日本の外国人レスラーがガラッと変わることになるんですね。
    ――馬場さんも焦るわけですね。
    フミ 馬場さんと親友だったWWE世界王者のサンマルチノだけは新日本のリングには上がらなかったんです。そこは馬場さんとの友情を選んだサンマルチノに対して、シニアも無理強いはしなかったということでしょう。サンマルチノは全日本でWWEのタイトルマッチをやったり(75年5月)、10周年記念シリーズでは馬場さんとタッグを組んで、ジェットシン&上田馬之助組と対戦しています(81年10月)。
    ――業務提携したことで新日本のレスラーがWWEのリングに上がることにもなるんですよね。
    フミ 猪木さんが初めてWWEのリングに上がるのは、業務提携を結んだ翌年の75年12月。MSG定期戦でフランク・モンティーというレスラー相手にニューヨークデビューするんです。テレビ朝日のカメラクルーも連れて行ったので『ワールドプロレスリング』で中継されました。
    ――ゴールデンタイムで中継されたら、WWEとの距離はますます縮まりますね。
    フミ 1978年1月には藤波辰爾がMSGでWWEジュニアヘビー級チャンピオンのタイトルを奪取してスターになります。そのときのメインイベントは王者スーパースター・ビリー・グラハムに、ミル・マスラカスが挑戦するタイトルマッチ。翌月(78年2月)にチャンピオンになるボブ・バックランドも前座に登場してるんです。バックランドは8人タッグイリミネーションマッチに出たんですが、ベビーフェイスの3人が早々に負けてしまいバックランド一人残りになるんです。そこからバックランドがヒール4人を全員やっつけちゃったんですね。
    ――スター誕生前夜のMSGだったんですね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • 減量をやめたのに痩せた? 減量に挑戦その後……/二階堂綾乃

    2017-06-27 21:53  
    35pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは「減量をやめたのに痩せた? 減量に挑戦その後……」ちょっと前に訳あって減量に挑戦した私ですが、2キロほど落ちたところで満足して、その後は減量をやめ普通に暮らしていました。しかし減量をやめて3週間ほど経って体重を測ったところ、減量をやめたときの体重から1キロ減っていたのです。普通に1日3食、いつもどおり週3回ほどジムに通い、外食で食べ放題のお店にちょくちょく行っていたのに、痩せる心当たりなんてないのに私は何かしらの病で死ぬんじゃないかしら……と、都民共済の資料を請求しようとしたりラジバンダリしました。
    でもよくよく考えてみると、ありました。体重が減った心当たり。私は減量をきっかけに、いままでの食生活を見直していたのです。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • ソネン対シウバ、5年間の因縁総まとめ! 「ヴァンダレイが本当に出場するのか、まだ確信が持てない(ソネン)」

    2017-06-22 18:09  
    54pt

    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……
    ベラトールNYCいよいよ今週末! ソネン対シウバ、5年間の因縁総まとめ!
    「ヴァンダレイが本当に出場するのか、まだ確信が持てない(ソネン)」
    <関連企画>“結局UFCに行かなかった男”――ヒョードルとUFCの10年愛憎劇総まとめスコット・コーカーCEOのもとでベラトールが初めてぶっぱなすPPV大会、『ベラトールNYC』がいよいよ今週末に迫った。前回の本稿ではセミファイナルに登場するエミリャーエンコ・ヒョードルについて触れたが、今回はメインイベントを飾る2人、チェール・ソネンとヴァンダレイ・シウバとの間に横たわる5年にわたる因縁の蓄積をおさらいしておこう。
    ♪♪
    ソネンとシウバの因縁は今から5年前の2012年、テキサス州オースティンをクルマで移動していた時の出来事にさかのぼる。その日2人はUFCのプロモーションのためのツアーで丸1日を一緒に過ごしていた。バンの中でソネンはミドルシートに、シウバはバックシートに座っていた。当時ソネンはシウバのファンであることを公言しており、その日も2人は和気あいあいと過ごしていたのだ。ところが事態は急変する。
    ソネンの説明によると、車中でシウバが突然、カメラマンにカメラを回すように指示すると、ソネンに説教を始めたのだという。
    当時ソネンは、ミドル級王者アンデウソン・シウバとの再戦が迫っていた。初戦の試合前、ソネンはトラッシュトークの才能を爆発させ、アンデウソンのみならず、ノゲイラ兄弟のこと、ヴァンダレイのこと、ブラジルの国のことをさんざんこき下ろしていた。ヴァンダレイはそれが気に食わず。貴様はリスペクトという概念を知っているのかとソネンを問い詰めたのである。
    「ブラジルには、『リスペクトさえあれば、歯を失うことはない』ということわざがあるんだぞ」(『MMA Fighting』より)とシウバは凄(すご)んでいる。
    その時の映像をYouTubeで確認すると、ソネンはほとんど反論をせず、混乱した表情を浮かべて「オーケー」などと受け流すばかりであったことが分かる。ソネンが振り返る。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! 
  • サイモン捨て身の攻撃!? 泥沼化する猪木vsIGFバトル■事情通Zのプロレス点と線

    2017-06-22 17:30  
    40pt
    プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは告発の応酬となっているアントニオ猪木vsIGFバトルの続報(聞き手/IGFウオッチャー・ジャン斉藤)――Zさん、大変です!猪木さんとIGF側の骨肉のバトルがとんでもないことになっています!!
    事情通Z 告発の応酬でもう訳がわからない。
    ――日頃から「IGFがナンバーワン!」と賞賛していてやまなかったあのshow大谷氏が「もう関わってない」と早足で避難してるくらいですからね。
    Z ヒャッ!!(笑)。
    ――IGFはオフィシャルサイトで猪木さんに対する反論記事を21日と22日にアップしていますね。23日の告知もされています。Z 毎日やってる!!(笑)。――これまでDropkickユーザーだけが楽しんでいたIGFのズンドコがメジャーデビューしたことは嬉しいやら悲しいやら……ああ、俺だけのIGFじゃないんだなって。Z 我が子を嫁に出す父親気分かよ(笑)。――日によって状況が刻一刻と変化しているので説明が面倒くさいんですが、まずIGF側のサイモン猪木氏が猪木さんのことを『週刊ポスト』で告発しましたけど、ビックリするくらい内容がありませんでした(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170622-00000013-pseven-spo&p=2) 
    Z あれは内容が薄かった。俺たちはともかくプロレス事情に疎い人間からすれば、猪木さんとサイモン氏が何が原因で揉めてるのかがイマイチよくわからなかった。
    ――アントニオ猪木で商売できなくなった人間の恨みつらみだけは感じるというか……。
    Z いつか見た光景(笑)。
    ――『週刊ポスト』はこの件を熟年結婚による家族関係問題として取り扱ってますけど、サイモン氏と猪木さんの娘さんが離婚しているという報道もあるじゃないですか。Z もし離婚が事実なら、サイモン氏は元・娘婿になるんだね。
    ――ちなみに猪木さんの娘とは、ミュージカル『アニー』でアニー役を演じた猪木寛子さんのことですよ。モハメド・アリ氏の実娘で女子ボクシング世界王者レイラ・アリとの対戦計画が浮上した寛子さん。まあ、寛子vsレイラは「なソ東」なんですが……(なお・ソースは・東スポ)。
    Z 余計な豆知識はいらないよ! だとしたら猪木さんとサイモン氏の関係が冷え切ったのもわからないでもない。
    ――でも、サイモン氏は『週刊ポスト』で「実の娘である妻にさえも結婚の連絡がないですから。寂しい限りですよ」とコメントしてるんですね。
    Z まだ夫婦ということなのかな。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック! 
  • 【底が丸見えの底なし沼】『船木誠勝の真実』が真実ではなかった件についての雑談/橋本宗洋

    2017-06-21 17:42  
    60pt
    先月アクセスナンバーワン記事だった船木誠勝ロングインタビュー。なんと自伝における自らの証言を否定するという驚愕の内容となり、これまで語られてきたUWFやパンクラスの歴史の前提が覆ってしまったのだ。

    ――なぜ『1984年のUWF』で船木さんが「(新生UWFが)格闘技じゃないことに失望した」というように書かれているのかと言えば、先ほどお話した『船木誠勝の真実』からの引用でもあるんですね。『船木誠勝の真実』には「UWFの試合は自分が思っていたほど格闘技ではなかった」「UWFの試合はセメントをやってるのだと勘違いをしていた」と書かれてるんです。
    船木 えっ、ホントですか?――はい。『海人』にもそのように受け止められる記述がありますね。これは船木さんがしゃべられたんですよね?
    船木 いや、それは絶対にないですね。UWFが思った以上に格闘技ぽかったので戸惑っていたんです。その本に書いてあることは間違いですね。

    【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1258245


    いったいどういうことなのか――。

    プロレス格闘技の取材の難しさをフリーライターの橋本宗洋氏に語ってもらいました。
    <関連企画>・【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」・『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光――『1984年のUWF』絡みで船木誠勝選手を取材したんですけど、自分の自伝(『船木誠勝の真実』)について「こんなことは言ってない」と否定するという凄い展開になりまして。橋本 松本伊代が『オールナイトフジ』で自分の本を「初めて見た」と発言して以来の衝撃だね(笑)。でも、タレント本ではありがちなんだろうね。「取材は受けましたが、あとはどうなってるのか知りません……」という。
    ――じつはDropkickでは2014年にも船木選手は取材してるんですけど、そのときも自伝の内容と合ってないことがわかってたんですよ。
    橋本 そのときはどうしたの?
    ――大きな声では言えないですが……まあ、よくあることなのでスルーしました。
    橋本 ククククク。
    ――今回は取材テーマだった『1984年のUWF』が船木選手の自伝から引用していたので、確認しなきゃいけなかったんですけど。
    橋本 まあ、そのときどきの選手の立ち位置や団体の事情によって言動もいろいろ変わってくるだろうしね。
    ――決して嘘をついてるわけじゃないんですよね。でも、自伝じゃないですか。お金を出して本を買った方は「こんなことでいいのか?」って怒っていたり。
    橋本 まあそりゃそうなんだけど……。「嘘がまったくない、完全なノンフィクション」ってありえるのかって話にもなってくるしねぇ。今回の件は極端だけど。あとプロレスラー、格闘家の本ってどっかしら“盛ってる”ところはあると思うよ。記憶違いも含めて。
    ――そんな特殊なジャンルの取材経験が豊富な橋本さんとこの件についていろいろと話をしたいんですが、船木選手の否定発言はどう思われます?
    橋本 こうなると、10年後にこの発言ですら覆る可能性もあるのかなって(笑)。
    ――10年後に取材します!(笑)。
    橋本 でも、今回の「新生UWFはプロレスだと思って参加した」という証言は自然なのかなって感じはする。ボブ・バックランド戦でミサイルキックをやったりしたのは「プロレスであるならば……」ってことなんだろうし。
    ――プロレスラーがいきなり格闘技をやるって凄くハードルが高い時代ですし、新生UWFが格闘技をやるなら、前田日明も船木選手もお互いに確認しますよね。ところがしていない。
    橋本 そういえば、UWF入りする際の話し合いで船木が前田に「じゃあ、俺はちゃんこ番をやらなくていいんですね?」と言ったって話を読んだことがあるよ。つまり一人前扱いしてくれることに惹かれたっていう。
    ――レスラーとしての扱いがどうだったか。
    橋本 あと、これは新生UWFが分裂した後の『週刊プレイボーイ』で読んだのかな。U系3派の展望で、リングスにはプロレスの経験のないオランダ勢ファイターが多いし、格闘技的な方向に向かうだろうと。Uインターに関してはどんな記述かはおぼえていないんだけど、藤原組はプロレスのカラーが濃くなるだろうという予想が立てられていたはず。なんてったって職人・藤原喜明がボスだから。
    ――藤原組はメガネスーパーのプロレス団体SWSとも繋がっていましたしね。
    橋本 でも、U系で一番早く全面的に格闘競技をやったのは、藤原組から派生したパンクラスだったわけでしょ。そのパンクラスの旗揚げ戦を見て「とんでもないことをやってくれたな!」と怒って現場で関係者に詰め寄った人がプロレス雑誌の編集長だったらしいけど(笑)。
    ――ええと、ターザン山本さんという方ですかね(笑)。元パンクラス代表・尾崎允実インタビューあのターザン山本が近寄ってきて「おまえ、何をやったのかわかってるのか!?(怒)」って絡んできたんですよ……。http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar613256
    橋本 その人の記事を読んで育った俺みたいなファンが「ついにパンクラスがやった!」と喜んでたんだから不思議な話ですよ。
    ――「UWFは真剣勝負をやれ!」とか煽っていたのに、実際にやったら怒るって意味不明ですよね(笑)。思ったんですが、それってターザンは自分たちの手でやりたかったんじゃないですかね。堀辺師範や更科(四郎)さんが新生UWFにやけに冷たいのは、すでに自分たちの影響下ではないからという印象がありますし。
    橋本 あー、なるほどね。以前はUWFのブレーンだったわけだもんね。
    ――ターザンの話はともかく! この船木自伝の制作経緯を調べてみたんです。まずこの本はエンターブレイン(現KADOKAWA)から出版されていて、杉本喜公さんという元『週刊ゴング』の方がメインライター。本には「執筆協力」というかたちでクレジットが入っています。
    橋本 要するに船木がしゃべったものを杉本さんがまとめたということか。
    ――エンターブレインにパンクラスのほうから「まだ書いていないことがある」と売り込みがあったそうですが、エンターブレインの担当者にどんな取材が行われていたのかを聞いてみたんですね。そうしたら「取材には同行していない」と。
    橋本 じゃあエンターブレイン側は杉本さんもしくはパンクラスから送られてきた原稿をチェックするだけだったと。
    ――この杉本さんにも話を聞こうとしたんですけど、あくまで執筆協力ですから「書いたのは船木」って話になりますよね。杉本さんが書いたノンフィクションでもないですし。
    橋本 ライターまで団体が用意したとすれば、船木ひとりだけの考えじゃない可能性もあるよね。パンクラスのオフィシャル本というか。
    ――「UWFに失望してパンクラスで格闘競技を……」というのは、選手やマスコミ、ファンみんなが共有していた船木誠勝のストーリーですよね。
    橋本 それが定説でしょ。でね、『1984年のUWF』はもの凄く時間をかけて作られてるけど、タレント本の類は2、3回メシでも食いながら話を聞いて、それをもとに作っちゃうケースもけっこうあるんだよね。で、取材時間が限られてるから、定説とされているものについてはイチイチ聞かない。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!