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記事 27件
  • 【詰め合わせセット】西村修、和術慧舟會、ラッシャー木村、ヒョードル大晦日、棚橋vsHARASHIMA…

    2015-09-30 23:59  
    550pt
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    悲運の闘将ラッシャー木村物語!耐え抜き続けたその人生、初めての自己主張は「全日本プロレス移籍」だった……◉ブシロードクラブの怪物・岡倫之「プロレスラーが世界最強であることを証明します!」
    プロレスと格闘技がジャンル分けされた現代においてあらゆる格闘技で腕を試し続ける岡――どんなプロレスラー像を抱いているのか?◉ゼロゼロ年代格闘技バブルの秘話続出! 語ろう和術慧舟會!全国に支部を展開、多くのプロ格闘家を送り出し、「ケージフォース」や女子格闘技などのイベントを運営。PRIDEやK−1などメジャー団体にも影響力を与えていた格闘技集団とはなんだったのか? ◉INVICTAアトム級世界王者・浜崎朱加女子MMAイベントの最高峰INVICTAのアトム級タイトルマッチを制して、日本人で初めて北米MMAの王座を獲得した浜崎朱加インタビュー!◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル②90年代ゼロゼロ年代のオモテとウラを知り尽くした金ちゃんが過去を振り返るインタビュー連載!ヴァンダレイ・シウバ戦試合直前に起きた悲劇とは?◉事情通Zの「プロレス 点と線」業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる大好評コーナー。今回は4本立て!「話題騒然!棚橋弘至vsHARASIMAで何が起きたのか?」「ヒョードルのインスタグラムはブラフなのか?」「ヒョードルはなぜ大晦日を選んだのか?」「川尻達也と日刊スポーツ」◉マット界一の読書家笹原圭一の酔いどれ書評! 
    今回取り上げるのは「東天の獅子/夢枕獏」です!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    無我の伝道師、西村修ロングインタビュー。ハイスパートレスリングが主流となっていた現代プロレスに背を向けて、プロレス本来の姿を追求していた男のファンティングロードは、90年代の天下人であった長州力に歯向かい続けた歴史でもあった。現在は文京区議会議員としても活動を続ける西村先生のありがたいお話に耳を傾けてみよう。新日本プロレス新弟子時代のズンドコエピソードも満載の17000字ロングインタビュー!――かつてのプロレス界は「ぶっ潰すぞ!」「コノヤロー!」系の煽りアピールが主流でしたが、西村さんはほかのプロレスラーとは一味違った語彙センスをお持ちでしたね。マイクアピールが聞き逃せなくて(笑)。
    西村 それはみんなが「バカヤロー!」ばっかりだったので、わざわざ変えたんですよ(ニッコリ)。
    ――やっぱりそうだったんですか。
    西村 あの頃はレスリングスタイルからしてみんな“長州力スタイル”を押し付けられていたわけですよね。
    ――当時の新日本のレスラーって髪型も長州さんっぽかったですね(笑)。
    西村 ハハハハハハ! 後ろ髪だけ伸ばすヘアスタイルですね。
    ――まさか髪型も押し付けられていたんですか?
    西村 さすがにそれはないですけど。みーんな長州力のイエスマンでしたから。
    ――西村さんは当時から長州さんを「独裁主義者」として徹底的に批判されてましたね(笑)。今日はそんな西村さんのプロレスラー人生を振り返りたいんですが、もともとは新日本プロレス学校の出身なんですよね。
    西村 そうなんですよ。新日本プロレス学校が88年にオープンしてすぐの入学ですよ。誰でも入れるんですよね、会費を払えば。
    ――会費はおいくらなんですか?
    西村 月15000円。普通のスポーツジムと比べるとちょっと高いですけどね。私は高校時代のときから通っていたんですけど、営業時間は15時から20時までやっていて。平日の18時から20時までは小鉄さんが指導するプロ養成コースがあるんです。会員が全員そこに参加するわけじゃないんですよ。道場の施設を使って自分なりにトレーニングする方もいて。
    ――スポーツジム代わりに利用するわけですね。
    西村 そうです。週末になると名古屋や浜松から通ってる方もいましたし、会員自体は100名くらい。プロ養成コースは多いときは20名くらいですね。
    ――プロ養成コースに参加しなくても、新日本道場の雰囲気には触れたい方がいたんですね。
    西村 プロレス学校に通っていてのちにプロレスラーになったのは、ザ・グレート・サスケ、中嶋半蔵、浅子(覚)、池田大輔、金原(弘光)、新山勝利、三澤(威)トレーナー……。
    ――天山(広吉)さんは?
    西村 天山は最後のほうなんですよ。
    ――サスケさんとは最近でも宇宙大戦争で対決されたりして息の長い付き合いなんですねぇ。
    西村 あれはですね、会場に行ってから何をやるか知ったんですよ(笑)。
    ――ええっ!? さすが宇宙大戦争!(笑)。
    西村 私も貴重な経験をさせていただきましたけど(笑)。まあ、プロレス学校は凄くありがたい場所でしたよね。当時はアニマル浜口さんのジム、栗栖正伸さんのジムがあったくらいですし。プロ養成コースはスクワット、ブリッジや受け身やら、基礎以前の基礎を教えてもらうんです。それは本当にためになりました。それに本物のリングを使って練習ができるし、基本的に小鉄さんが指導するんですけど、いろんな選手が臨時コーチとして指導することもあって。たーまに鈴木みのるがやってきて、スパーリングが好きな連中を集めてグチャグチャにしてましたけど(笑)。
    ――ハハハハハハ! プロレス学校の時間のあいだでも、新日本のレスラーたちが練習したりするんですか?
    西村 新日本の合同練習はプロレス学校が始まる15時までには終わってしまうんですよ。それにあのときジャパン女子も新日本の道場を使ってましてね。
    ――ああ、小鉄さんが教えてましたね。
    西村 ジャパン女子は最初は江戸川橋のほうに道場があって(グラン)浜田さんが教えてたんですけど、そこがなくなったあとは新日本の道場を13時から15時まで借りてたんですよね。だから大変ですよ。新日本の選手はジャパン女子とプロレス学校が終わった20時以降しか個人的な練習ができないから。選手にとっちゃ邪魔な存在ですよね。
    ――そんな雰囲気はあったんですか?
    西村 邪魔者扱いの目線はありました。プロレス学校なんてお構いなしにマサ(斎藤)さんは来てましたけど(笑)。こっちは見て見ぬふりをするしかないですよ。海賊みたいな身体をしてトレーニングしてるわけですから。時には長州さん、小林邦昭さんと一緒に来たり。本当にたまに猪木さんや藤波さんも来たりして。でも、恐れ多くて近寄れないですよねぇ。
    ――プロレス学校に通っていると、新日本の入門テストを通りやすくなったりするんですか?
    西村 いや、全然関係ないです。身長は180センチ、体重は70キロ以上の基準があって、有利なることはないですよ。私が受けたときは150人くらいの応募があったらしくて、そこから書類選考で50人くらいに絞られて。入門テストで50人が20人になって、六本木のテレビ朝日で最終面接があったんです。
    ――そこからまた面接でふるいにかけるんですね。
    西村 「お父さんは何をやってるのか?」とか一般的なことを聞かれるんですよ(笑)。実際に会ってみなきゃわからないところもあるじゃないですか。
    それで20名のうち、私を含む5名が受かったんです。そのうち1人がオヤジが倒れたかなんかで入門できなくなって4人に。天山ともうひとりが3月に入門したんですけど、ついていけなくて3日でやめちゃったんです。私は高校卒業して4月2日から入門、その前日の4月1日には小原(道由)が入って。
    ――5人のはずがもう2人しかいない!(笑)。
    西村 そうなんですよ(笑)。
    ――新弟子生活は相当キツかったんですよね?
    西村 いやあ……大変ですよ。一番キツイのは練習なんですけど、24時間体制で雑用しなくちゃいけないし、身体を大きくするために最低でもラーメンどんぶり大盛2〜3杯は食べないといけない。すべての面で厳しいんです。ホッと一息つけるするのがトイレと風呂、目を閉じて寝るまでのあいだだけ。
    ――寝てるあいだは……。
    西村 いやあ、目が覚めたらシゴキが待ってるわけですからねぇ。
    ――目覚めたくないわけですね(笑)。
    西村 何をされるのかわからないからドキドキするわけですよ。スクワット何千回やらされるのかもわからないですし。逆に何もかもわからないからいけちゃうところもあるんですけどね。
    ――小原さんは国士舘大学柔道部出身でバリバリの体育系ですから、シゴキには慣れたもんだったんですかね?
    西村 たしかに小原の場合は大学でシゴキを経験したかもしれないですけど、4年生から練習生という立場になるじゃないですか。それはそれでキツイかもしれないですよ。
    ――なるほど。神様から奴隷に戻るわけですもんね。
    西村 でも、小原は私より二段階も三段階も大人でしたね。日に日に練習がキツくなっていくんですけど、「ようやく来たな……」ってあらかじめ覚悟が決まってましたから(笑)。
    ――失敗すると先輩に殴られるのは日常茶飯事なんですか?
    西村 それは普段からですよね。殴るといってもプロレスラーが殴るんですよ? そりゃあもう大変なもんですよ。殴られた勢いで、自分の歯が唇を貫通しちゃたり……。
    ――うわあ……一番キツかったことっておぼえてますか?
    西村 それは橋本(真也)さんですよ。往復ビンタ20連発。
    ――破壊王のビンタ20連発!!
    西村 それで意識が飛んじゃって、倒れたところを蛇皮のブーツで顔面を何度も蹴られて大流血。いまでも顔に傷が残ってます。
    ――……原因はなんだったんですか?
    西村 挨拶がきちんとできてなかったんです。
    ――あ、挨拶のミスでそこまで追い込まれるんですか……。
    西村 そういう経験をしたうえで文京区の教育問題に取り組んでいますね(笑)。
    ――ハハハハハハ! 西村さんは後輩には優しかったみたいですね。
    西村 後輩には優しかったですよ。必要のない体罰はしませんでしたし。 
    ――馳(浩)さんも指導は厳しかったそうですけど、後輩には慕われていたんですよね。
    西村 馳さんは理論的に教えますしね。何か間違えたり、練習でできないことがあると怒られますけど、個人的な感情で怒ることはなかったですね。練習が終わったら後輩に冗談を言ったりしてましたし。
    ――厳しさで有名なのは健介さんですよね。
    西村 佐々木さんはプライベートも練習もずっと厳しいんですよね。でも、そこは引き締めるところは引き締めなきゃならないという意味では勉強になりましたよね。
    ――健介さんがそこにいるだけで緊張感が生まれるんですね。
    西村 羽田空港でデレデレしていたら搭乗ゲートの目の前でぶん殴られたこともありますから。
    ――公共の場で!
    西村 それでも耐え抜いた人間だけが残るんですよ。そこは優秀な大学を卒業するより大変ですよね。それに橋本さんや佐々木さんだけが先輩じゃありませんし。
    ――ほかに印象深い先輩はどなたですか?
    西村 後藤(達俊)さんも厳しかったですねぇ。橋本さんクラスですよ……。
    ――後藤さんは寛水流空手出身ですし……。後藤さんは寮に住んでいたんでしたっけ?
    西村 住んでるようなもんですね。多摩川の土手近くのアパートに住んでましたから。ワンルームアパートでそこに寝るだけ。ご飯は道場で食べられますし。
    ――前門の破壊王、後門の後藤達俊というか。中門にも佐々木健介がいるんですけど(笑)。
    西村 あとライガーさんも近くに部屋を借りていたんですよね。
    ――いまでも寮にある“ライガーさん部屋”はあとからできたんですね。
    西村 ライガーさんの部屋はもともと太(ふとり)さんが住んでいたんですね。
    ――道場の名物管理人兼コックだった太さんですね。
    西村 ライガーさんは結婚されてからはアパートを引き払って福岡に住み始めたんですけど、東京にいるときは太さんの部屋に寝泊まりするようになったんですよ。
    ――そのうち太さんがコックを辞められて“ライガーさん部屋”になったというわけですね。
    西村 新弟子生活は厳しいは厳しいんですけど、逃げちゃう人はほかに選択肢を考えちゃうんですよ。「もっと楽な仕事があるんじゃないか……」とか。でも、「これしかない!」と思えばしがみついてでも残るんですよね。息を抜ける瞬間もありますからね。トイレとお風呂でね(笑)。
    ――そこが砂漠のオアシスなんですね(笑)。新弟子は外出禁止なんですよね?
    西村 外出禁止なんですけど、私の場合は車の運転ができたことで外に出られたんですよ。きっかけは蝶野(正洋)さん。「おまえ東京出身なのか? 車は運転するのか?」「はい」「車は持ってるのか?」「はい。スカイラインです」「なんだよ、道場に持ってくればいいだろ」と。
    ――嫌な予感がしますねぇ。
    作/アカツキ西村 「本当に持ってきていいんですか?」「大丈夫だよ、持ってこい。おまえも車に乗りたいだろ?」ということで、翌日スカイラインに乗って道場に横付けしたらミスター高橋さんがカンカンに怒っちゃって。
    ――ハハハハハハ!
    西村 「あれは誰の車だ?西村、持ち主は道場に出頭するように紙を貼っておけ!」と。 もの凄く怒っちゃってるから「私のです……」とは言えなくなっちゃって。しょうがないから自分の車に出頭要請の張り紙をしましたけど(笑)。
    ――蝶野さんもフォローすればいいのに(笑)。
    西村 最終的にバレて「乗って帰れ!」という話になったんですけど、ライガーさんや橋本さんが「車があるんだったら……」といろいろと用事を頼んできたんです。それで私の車があることによって、道場の雑用がスピディー化されることがわかってしまったんですよねぇ〜(笑)。
    ――わかってしまいましたか!(笑)。
    西村 移動範囲が東京都内に広がるわけですからね。私が入る直前まで道場にバスがあったらしいんですけど。そのバスで後楽園ホールや羽田空港までの送り迎えができて、もの凄く便利だったらしいんですよ。
    ――新日本の道場って、駅からも遠くてアクセスが悪いですもんね。
    西村 新幹線移動が多かったですから新横浜まで車で送れる。なので「西村の車があったほうがいいぞ」という話になって、私の車を道場に置くことが認められたんです。
    ――なるほど。運転手として自由に外に出られるようになったんですね。息抜きができたというか。
    西村 いやいや、息抜きなんかにはなりませんよ。練習でスクワット何千回もやって、スパーリングでグチャグチャになったあとで「下北沢のおもちゃ屋でゴジラを買いに行ってこい!」とか命令されるわけですから(笑)。
    ――橋本さんの命令ですか?(笑)。
    西村 いや、ゴジラはライガーさんで、橋本さんはエアガンです(笑)。
    ――ハハハハハハ! よく事故を起こしませんでしたねぇ。
    西村 どこかで車を止めて5分間睡眠をしたり、息を止めるとか。息をしないと人間、目が覚めますからね(笑)。
    ――死ぬ気でオモチャを買いに行ってたんですね(笑)。 
    西村 あるとき橋本さんに車を貸したんですよ。でも、翌朝後藤さんを迎えに行く約束をしてたんです。橋本さんは「朝までには必ず戻ってくる」と言っていたんですけど……。
    ――クククククク。
    西村 当然帰ってこないんですよね(笑)。後藤さんにはメチャクチャ殴られましたよ……。
    ――理不尽な世界ですねぇ……。橋本さんのお付きは大変そうですよね。
    西村 もの凄いなんてもんじゃないですよ、ホントに。一番面倒くさかったのはラーメン作りですよね(笑)。
    ――原価一杯1万円の“真ちゃんラーメン”ですね(笑)。
    西村 「おい西村!知り合いにラーメン屋はいないのか? そいつに連絡して麺の作り方を聞け!」って。麺をイチからこねるんですかって(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    西村 それで道場のキッチンをグチャグチャに汚して作って、ラーメンを食べたら気が済んでそのまま帰っちゃいますから。
    ――怪獣ですね(笑)。
    西村 橋本さんには偏屈な部分があってですね、車に指紋がひとつつくだけでワックスから車内の掃除までやり直しさせるんですよ。凄く神経質。
    ――ズボラなのに(笑)。
    西村 笑っちゃうのは2時間も3時間も丁寧にワックスがけをして「橋本さん、終わりました!」と報告した途端に雨がザーザー降ってきちゃって(笑)。
    ――橋本さんの道場エピソードは事欠かないですねぇ。
    西村 幼稚園生がそのまま大きくなった感じですよね。道場で飼っていた犬にしても、橋本さんのイジメがハンパじゃなかったですからね(笑)。
    ――犬の名前はワカですよね(笑)。
    西村 ワカは私が見つけてきたんですけどね。巡業中の山口県柳井市体育館に子犬が迷い込んじゃって、私に懐いちゃってついてくるんですよ。そうしたら橋本さんが「道場で飼おう!」と言い出して。基本的に新弟子が面倒を見るんですけど、ワカが子犬だったときは橋本さんはかわいがっていて自宅に連れ帰っていたりしてたんですよ。でも、だんだん大きくなると、もう面倒くさくなって、しまいにはイジメたりしてましたからね(笑)。
    ――子犬以外に用はないという(笑)。
    西村 あんまりにもイジメもんだから、犬がですよ、橋本さんが道場にやってくると「困ったなあ……」という顔をするんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    西村 普段はいい子なのに橋本さんが来ると途端に困った顔になる。物陰に隠れて、橋本さんの様子を伺ってるんですよ。犬ってあんなことするんですね(しみじみと)。
    ――そんなに橋本真也が嫌だった(笑)。 
    西村 ワカは最後、身体が動かなくなっちゃって、三澤トレーナーが家で看病してたんですよ。亡くなったときは私と吉江(豊)と三澤トレーナーと一緒に江ノ島に散骨に行きましたよ。次にモモという女の子の犬も飼ったんですよね。モモは草加の体育館で試合をやったときに迷い込んできて。
    ――面倒を見るのは新弟子なんですね。
    西村 新弟子はもう大変ですよ(笑)。でも、あそこにいると精神が鍛えられますよね。
    ――天山さんなんかは1回夜逃げしたくらいですもんね。
    西村 3日で逃げてまた入門して、そしてまた耐えられなくなって逃げるはずだったんですよ(笑)。
    ――天山広吉、2度目の逃亡!(笑)。
    西村 「いままでお世話になりました……」「俺は残るから、またどこかで会おう!」と握手して涙、涙の別れですよ。そのあと天山は深夜2時3時に寮から夜逃げするはずだったのに、朝起きたら天山はまだ寝てるんですよ。「おい、夜逃げするはずじゃなかったのか?」って(笑)。
    ――ハハハハハハ! 寝過ごして夜逃げできないって(笑)。
    西村 天山はそのまま起きて道場の掃除してましたね。寝過ごしたおかげでプロレスラーになれたんですよね。
    ――結果的に寝過ごしてよかったんですね、天山さん(笑)。
    西村 チャンピオンになったときに「あのとき寝過ごしてよかったなあ……」って昔を思い出してましたけど(笑)。厳しいのが当たり前になっていくと、いつのまにか慣れるんですよね。最初は何かあるたびにビクビクするじゃないですか。24時間ビクビクしていたけど、そのうち鈍感になっていくんですね。
    ――プロレスラーって天然の方が多いですけど、最初から天然なんじゃなくて……。
    西村 そうなっちゃうんですよねぇ。ネジが外れちゃうんですよ。やっぱりビクビクするほうが苦痛なんですよ。戦場の兵士じゃないですけど、どこでも寝られるようになるんですよね。
    ――西村さんが寮長になったときはそこまで厳しくなかったそうですよね。
    西村 うーん……1回だけクーデターが起きたことがありましたけど(笑)。
    ――クーデター!(笑)。何が起きたんですか?
    西村 私に彼女ができちゃたんですよ。アメリカに行く直前、93年頃。寮を抜けだして毎晩彼女の家に遊びに行ってたんですよ。そうしたら「寮長なのにいつも寮にいない!許せない!!」とクーデターが起きて。首謀者は天山(笑)。
    ――ハハハハハハ! 涙の別れをするはずだった天山広吉(笑)。
    西村 寮に帰ってきたらみんなが集まって文句を言われたんですよ。さすがに私も「あらためます」と謝ってクーデターは収まったんですけど。
    ――そのあと海外修行に行かれますが、西村さんにとっては海外生活が大きな転機になりますね。
     
  • 急転直下!藤田和之vs諏訪魔実現/コグマ、スターダム退団■「プロレス 点と線」

    2015-09-28 12:37  
    76pt
    プロレス事情通Zが業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回のテーマは「急遽実現する藤田和之vs諏訪魔、その背景」「またもスターダムから退団者が……」の2本立てです(聞き手/ジャン斉藤)――ちょっと前に「IGFの団体運営の雲行きがよろしくないので、藤田和之vs諏訪魔戦が実現するんじゃないか?」なんて話をしましたが、まさかまさか意外なリングで両雄が激突することになりましたねぇ。11月15日、天龍源一郎引退興行で!
    事情通Z 諏訪魔&真霜拳號vs藤田和之&火野裕士。火野も真霜も全日本やIGFとは関係ないKAIENTAI DOJOの選手なんですけど(笑)、この二人が絡むことになれば試合内容は確実に保証できますね。
    ――しかし、ち完全決裂したと思われた藤田vs諏訪魔ですが、いったい何があって“復縁”したんですかね?
    Z このカード発表があった翌日、後楽園ホールで王道トーナメント決勝戦があったんです。そこで諏訪魔選手が藤田戦に関するコメントを出したんですが、諏訪魔選手本人も「まさかできるとは思わなかった。俺が一番ビックリしてるんだよ」って戸惑ってましたね(笑)。
    ――ハハハハハハハハ!
    Z まずそこでわかることは、ひとつ目は諏訪魔選手の頭の中で藤田戦は完全に消えていた。そしてふたつ目、これが驚愕の新事実。
    ――ほほう!
    Z 諏訪魔選手が言うには「向こう(IGF)が言うように“第3のリング”も用意したし、向こうが言うことは全部やってきたんだけど、会社同士の都合でできなかった……」と。
    ――“第3のリング”を用意? 前回の交渉が不発に終わったあと藤田和之が「第3のリングでの決着」をぶち上げていましたけど……。
    Z 要するに諏訪魔選手が藤田戦実現に動いたときにすでに“第3のリング”を提示していたということなんです。諏訪魔選手はその“第3のリング”がどこかは明言しなかったんですけどね。
    ――なるほど。それもあって藤田は“第3のリング”のキーワードを出していたのかも。そもそもIGF側が“第3のリング”に拘ったのはどういう理由なんですかね。
    Z なんなんですかね。どちらかでやると、もう片方のリングで再戦せざるを得ないのが嫌だったというか。
    ――でも、そうやってお互いに興行的に潤うのが対抗戦の一面じゃないですか(笑)。
    Z 本来はそうなんですよね(笑)。
    ――あの当時のIGFは、やるんだったら大晦日のビッグマッチでいますぐ決断を下す必要はなかったんじゃないのかなあと思ってたんです。全日本と違ってスポンサーも強いじゃないですか。Z 慌てて諏訪魔戦に飛びつく理由はなかったということですよね。――でも、ここに来てIGFの今後を不安視する見方が強まっている中で、じつは内部がゴタゴタしてて意見統一ができていなかったんじゃないですかね。
    Z IGFの先行きが不安だという情報はプロレス界を駆け巡ってますね。予定されていたキューバ大会、福岡大会が中止。キューバはともかく福岡大会が延期ではなく中止って異常事態です。
    このインタビューの続きと、西村修、ラッシャー木村、和術慧舟會、岡倫之、浜崎朱加、ヒョードル大晦日、棚橋vsHARASHIMA、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409 
  • INVICTAアトム級世界王者・浜崎朱加インタビュー

    2015-09-25 10:14  
    55pt
    女子MMAイベントの最高峰INVICTAのアトム級タイトルマッチを制して、日本人で初めて北米MMAの王座を獲得した浜崎朱加。最近女子ファイターの躍進著しいUFCではアトム級は開設されていないため、浜崎が事実上の世界最強なのだ。【はまさき・あやか】AACC所属。初代JEWELSライト級女王。高校、大学、実業団で柔道を続け、26歳のときにMMAを始める。国内無敵を誇ったが、INVICTA2戦目で初黒星。階級を変えて再挑戦。世界王者に就いた。――浜崎選手がお勤めしている「武蔵村山さいとうクリニック」って一度取材に行ったことあるんですけど、都心からかなり離れてますよね。
    浜崎 そうなんですよ。駅からも歩いて20分くらいかかりますし、ここからだと片道2時間だから小旅行です(笑)。
    ――往復4時間ですか……。長時間通勤はつらくないですか?
    浜崎 最初はキツかったですけど(笑)、いまは慣れました。都心から離れていくから電車も座れるんですよ。帰りも比較的、座れます。
    ――電車の中ではどうやって時間を潰してるんですか?
    浜崎 帰りは疲れてるので寝てますね。行きはボーッとしてます。携帯をイジったり。
    ――パンクラスのリングドクターも務める齊藤直人先生の病院ということで、格闘技の理解はある職場なんですよね。
    浜崎 働き出したのは去年11月からなんでもうすぐ1年経つんですが、練習を主体に考えられますね。昼練があるときは休みが取れますし。ここで働くまではいろいろとバイトをしていて、海外の試合だとまとめて休みを取らないといけないんですけど。そうなるとその月の収入がなくなっちゃうんですよね。いまは安定してます。
    ――以前はどんなバイトをしてたんですか?
    浜崎 仕出し料理屋ですね。そこには5〜6年務めていたんですけどね。
    ――浜崎さんはAACCに通い始めるまで、女子格闘技の存在を知らなかったそうですね。
    浜崎 知り合いだった富田(里奈、現・竹下里奈)に紹介されてAACCに通うようになったんですけど、全然知らなかったんです。――というと、AACCに藤井恵さんがいることも知らなかった。浜崎 藤井さんのことも知らなくて。藤井さんの身体を見て女子でもこんな身体になれるんだって驚きましたね。
    ――そもそもジムに通うようになったのは、格闘技目的ではなかったんですよね?
    浜崎 運動不足解消ですよね(苦笑)。そのときの仕事はスポーツインストラクターだったので筋トレはやってたんですけど、スポーツという意味で何もやってなくて。ちょうど富田が格闘技をやってると聞いて興味があったんです。「女子もあるの?」って。男子はね、テレビでもやってたから知ってましたけど。
    ――スポーツインストラクターでも運動不足になるんですね。
    浜崎 なりますね。ジワッとした汗はかくんですけど、私は柔道をやっていたんでもっと身体を動かしたくて。
    ――浜崎さんは学生時代から柔道漬けの生活だったそうですけど、戦うスポーツをやってみたかったんですかね。
    浜崎 いやあ……柔道はつらいだけだったんですよねぇ。勝つと楽しくてやってよかったなあって思うんですよ。でも、超キツイんですよね、柔道の練習って。性格的にやらされないとやらないから、怒られながらやっていたので、楽しいという感覚は柔道にはなかったです。
    ――柔道は好きで始めたんじゃないんですか?
    浜崎 友達がやっていたこともきっかけなんですけど。私、中学時代やんちゃだったのです。学校をサボったりとか、かわいい感じでしたけど、
    ――暴れていたわけではないと(笑)。
    浜崎 そういう感じではないです(笑)。それで中学の先生が「面倒を見てくれないか」って感じで高校の柔道部に推薦してくれて。
    ――なるほど。更生としての柔道だったんですね。
    浜崎 そうそう、どうしようもなかったんです。高校のときは寮に入ったんで、だからやめたくてもやめられない状況で。そこは体育系の学校だったので、部活に入ってる子は全員寮住まいで。何人くらいいたんだろ? 30〜40人くらいですかね。
    ――男子の寮生活だと3年生は神様、1年生は奴隷という感じの上下関係がありがちですけど。 
    浜崎 あー、それはなかったですね。上下関係もそんなに厳しくないし、柔道の練習以外は楽しかったです。柔道は練習がキツイことしか記憶にないんですけど。朝練やって、学校へ行って、夜も練習……。遊べなかったですもん。夏休みも合宿、クリスマスも合宿(笑)。夏休みも憂鬱でしたもん。
    ――ああ、夏休みは授業がないからずっと練習なんですね。
    浜崎 そうなんですよねぇ。二部練、三部練の日々ですから。
    ――プロレス格闘技界の柔道出身の方って、そうやって娑婆っ気を抜かれるからか、ちょっとネジが外れてる人が多いような気がするんですけど(笑)。
    浜崎 あー、たしかにおかしい人が多いですよね。
    ――多いですか(笑)。
    浜崎 いや、そういう方ばっかじゃないんですよ。フツーの人もいっぱいいるんですけど。私も至って普通です!(笑)。
    ――そうですか(笑)。好きでやり始めたわけじゃない柔道なのに実業団までやられていたんですよね。
    浜崎 そうなんですよ。高校で柔道を始めてから結果も出して、大学や社会人でも柔道をやって、なんだかんだズルズル23歳までやりましたから。
    ――好きじゃないけど(笑)。
    浜崎 そんなに好きじゃないんですよねぇ。嫌いでもないんですけど、テレビで柔道をやっていても見たいなあとは思わないです(笑)。
    ――興味なし(笑)。
    浜崎 でも、柔道には感謝しています。柔道で人生が変わったので。このインタビューの続きと西村修、ラッシャー木村、和術慧舟會、岡倫之、ヒョードル大晦日、棚橋vsHARASHIMA、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409 
  • 川尻の対戦相手、ミアサド・ベクティックとは何者か…戦火と難民生活を生き延びたボスニアの希望の星■MMA Unleashed

    2015-09-25 10:06  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは12・11UFCラスベガス大会で川尻達也と対戦するミアサド・ベクティックについて。ボスニアの戦火と難民生活をくぐり抜けてきた男の壮絶な半生!
    川尻の対戦相手、ミアサド・ベクティックとは何者か
    戦火と難民生活を生き延びたボスニアの希望の星
    ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなかの1995年に発生したセルビア人によるムスリム系ボスニア人の大量虐殺事件「スレブレニツァの虐殺」―― 民族浄化の名目のもとに行われた、戦後の欧州で最大のこの虐殺では、わずか数日で8,000人以上が計画的かつ容赦なく殺害されたとされる。当時まだ3歳だったミアサド・ベクティックは、母親に抱かれて母国ボスニアを脱出、流浪の難民生活を強いられた。
    母親がどのようにして子どもを守りながらスレブレニツァを脱出したのか、ミアサドは覚えていない。ただ、後で聞かされた話によれば、セルビア人はボスニア人の女性と子どもをトラックに詰め込み、難民を受け入れてくれるいくつかの国に放出したのだった。何千もの難民が、毎日のように海外に運ばれていった。
    ミアサドは3人兄弟の末っ子だ。父親は戦死したと聞かされていた。母方の祖父母はストリートで狙撃手に射殺された。叔父も叔母もいとこもみな、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で殺された。母国を離れたベクティック一家が最初に向かったのはイタリアで、その後ほどなくドイツの難民キャンプに移された。ミアサドの記憶は5年間のドイツの難民キャンプ時代から鮮明となる。
     
  • 世界ナンバー2の団体はいかにして生まれたのか?ベラトールMMAヒストリー③■高橋ターヤンのMMA予備校

    2015-09-25 10:00  
    33pt
    映画ライターにして北米事情通の高橋ターヤンが気になるMMAファイターやニュースを取り上げ、過去と現在を繋げて未来を見据える。今回は『世界ナンバー2の団体はいかにして生まれたのか?ベラトールMMAヒストリー』その3! 日本人選手では所英男、ISAOが契約中のベラトールとはどんなイベントなのか?前回はこちら! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar868789『世界ナンバー2の団体はいかにして生まれたのか?ベラトールMMAヒストリー3』
    アメリカでも有数の巨大メディアコングロマリットのバイアコムに買収されたベラトールは、シカゴにあった本社所在地を、エンターテインメント産業のメッカロサンゼルスにほど近いカリフォルニア州ニューポート・ビーチに移転。2013年に入ると団体名をベラトールMMAと改称した(これまで便宜的にベラトールMMAと表記してきたが、当初の団体名はベラトールFC"Bellator Fighting Championship"だった)。 
  • ヒョードルはなぜ日本を選んだのか?■「プロレス 点と線」

    2015-09-21 12:11  
    55pt
    プロレス事情通Zが業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回は日本の大晦日格闘技イベント出場を明言したヒョードルについて……(聞き手/ジャン斉藤)――今回のテーマは、またもスターダムで起きた選手退団、コグマ選手の件でしたが……元PRIDE代表・榊原信行氏が大晦日格闘技興行の開催と、復帰宣言をしていたエメリヤーエンコ・ヒョードルの獲得を発表したので今回は急遽この話題を。
    事情通Z 格闘技ネタになると私が聞き手役に回っちゃうんですが、コグマからヒョードルってどんなコーナーなんですかね。
    ――小熊と言ったらリングスロシアのミーシャですから、当たらずとも遠からずですよ!
    Z 全然遠いですよ(笑)。以前このコーナーでヒョードルが復帰先を決めるのは、彼がアンバダザーを務める9月20日のベラトール大会以降という話をしてましたが、まさかその大会中に発表されるとは。
    ――しかし、格闘技もヤクザも名古屋が天下を取るんですよねぇ……。
    Z いろいろな意味で物騒すぎる発言(笑)。
    ――山口組は名古屋に本部を置く弘道会系の天下ですけど、このたびヒョードルを獲得した榊原さんの本拠地も名古屋ですよ! でも、古き良き山口組を取り戻すことが目的で離脱した「神戸山口組」のほうがPRIDE残党っぽい感じはするかなあ……(ブツブツ)。
    Z なんの生産性もない話なんでスルーしますけど、ヒョードルが榊原さんのイベントを選んだということは、UFC行きを示唆していたあのインストグラムのコラージュ写真(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar866434)は“駆け引き”だったということですよね。榊原さんに対してのプレッシャー。
    ――日本のほうをチラチラ見ながら「UFCに行こうかな〜?どうしようかな〜?」って雑コラをアップしてたんですよ(笑)。
    Z ところで榊原さんは今回なぜアメリカのベラトールで発表したんですか? 
    ――予定では9月頭に日本で大晦日イベント開催記者会見を行なうはずが、ヒョードルとの交渉も長引き、もろもろの事情で10月に持ち越しになったみたいなんですね。で、最近になってヒョードルとは契約合意に達したけど、10月の記者会見までその情報は漏れるに決まってるじゃないですか。
    Z 漏れる。ヒョードル周辺の関係者は喋るだろうし、アメ公のメディアどもは絶対に書き殴る(笑)。
    ――だったら世界的にも注目されるイベントで「先に発表しちゃえ!」ってことなんじゃないですかね。最近のMMAにしては事前にどこにも漏れず電撃発表されたという珍しいケースですよ。そこはサプライズ好きの榊原さんらしいやり方。ベラトールとの同盟関係もアピールできるし一石二鳥というか。
    Z それにしても潤沢な資金面を誇るUFCが競り負けるとは……。
    ――ベラトールCEOのスコット・コーカーが驚くほど、今回の榊原さんは資金を用意してるらしいですよ。ヒョードルの提示額は一説によると3億円。このインタビューの続きと西村修、ラッシャー木村、和術慧舟會、岡倫之、浜崎朱加、棚橋vsHARASHIMA、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409 
  • ディズニーの楽しみ方!■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-09-21 11:59  
    33pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「ディズニーの楽しみ方」!西村修ロングインタビュー、ラッシャー木村物語、青春の和術慧舟會……いま入会すれば読める!9月更新記事一覧  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201509もうすぐハロウィンですね。そしてハロウィンが終わればクリスマス。そう。今年もやってきました。女子が最もディズニーランドに行きたくなる時期が。しかし私の父もそうなのですが、ディズニーランドが苦手な男性は少なくありません。そこで今回はディズニーが苦手なマッチョボーイでも楽しめる、ディズニーランドとシーのおすすめスポットを紹介します。混むから、並ぶからディズニーが苦手という方が多いので、ここではあまり人気のないスポット、平日に行けばだいたい空いているスポットを中心に紹介致します。 
  • ニック・ディアスに出場停止5年処分……ネバダ州コミッションに非難囂々!■MMA Unleashed

    2015-09-18 09:08  
    72pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは出場停止5年という衝撃の処分が下されたニック・ディアス。兄貴はどうなってしまうんだ!?
    ニック・ディアスに出場停止5年処分
    権力の濫用だ、吊し上げだとネバダ州コミッションに非難囂々!

    9月14日のネバダ州アスレティックコミッション(NSAC)の聴聞会では、今年1月31日開催のUFC183、アンデウソン・シウバ戦後のニック・ディアス(32)の薬物検査でマリファナ代謝物が検出されたことについての処分が話し合われ、出場停止5年という異例の重い処分が下されることが決定した。また、UFC183のファイトマネーの33%にあたる、15万ドルの罰金も科せられた。

    ディアスはネバダ州で2007年と2012年にもマリファナで薬物検査を失格している。ディアスはまた、2009年にはカリフォルニア州で検査から逃げ出したことがある。

    ディアスは1月31日の試合当日、3度の尿検査を受けた。1度目は試合前の午後7時12分、2度目と3度目は試合後の午後10時38分と午後11時55分に行われた。1度目と3度目の検査は、WADA(世界アンチドーピング機構)基準に則って検査が行われ、WADAが認証するユタ州のラボラトリ、SMRTLがサンプルを回収した。ネバダ州のマリファナの許容上限は尿1mgあたり150ng(ナノグラム)であるところ、ディアスの1度目の検査結果は48.37ng、3度目の検査結果は61.04ngで、いずれも陰性だった。2度目の検査は、WADAが認定していないニュージャージー州のQuestというラボラトリが実施した。この検査の結果は、733.23ngで陽性だった。

    ディアスの担当弁護士、ルーカス・ミドルブロック氏は、WADA基準で行われた2度の検査が陰性だった以上、Questが行った検査は「まったくの異常値であり、科学的な信頼性に欠けていて、あまりに不可解」と反論した。

    「2度目の検査だけがこのような高い値を示した。このことにはいかなる医学的説明もつきません。それにもかかわらずコミッションは恣意的かつ気まぐれに、WADA基準で行われた2度の陰性の検査結果を無視して、ディアス氏に懲罰を下そうとしているのです。まるでダチョウが砂に頭を突っ込んでいるかのように、現実を無視しているのです。これは醜くてあからさまな事実のすり替えです」

    ミドルブロック氏はまた、Questが行った検査手順がWADA基準に則したものではなかったことも指摘した。
     
  • 【無我17000字】西村修ロングインタビュー「独裁者・長州力に逆らうってエネルギーが必要なんです」

    2015-09-17 19:29  
    110pt
    無我の伝道師、西村修ロングインタビュー。ハイスパートレスリングが主流となっていた現代プロレスに背を向けて、プロレス本来の姿を追求していた男のファンティングロードは、90年代の天下人であった長州力に歯向かい続けた歴史でもあった。現在は文京区議会議員としても活動を続ける西村先生のありがたいお話に耳を傾けてみよう。新日本プロレス新弟子時代のズンドコエピソードも満載の17000字ロングインタビュー!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できるインタビュー詰め合わせセット par19http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar863994◉みんな大好き!破壊王伝説!

    元・新日本プロレスレフェリー田山正雄が明かす橋本真也笑撃のエピソード乱れ打ち!

    ヘビ取りからコンビニ豪遊まで、読めば橋本真也がますます好きになる!!

    ◉これでわかった合気道・徹底分析! 

    ヤノタクこと矢野卓見が武道の幻想と現実をわかりやすく語る!

    まだ諦めるな、武道の達人はたしかに存在する!

    ◉新連載! 金原弘光のゼロゼロ年代回顧録!

    Uインター、リングス、PRIDEを渡り歩いた金ちゃんがいまだからこそ明かす格闘技黄金時代!

    第一回は「リングス休止後に真っ先にやったこと」……えっ、そんなことなの!?

    ◉好評連載中!小佐野景弘の「プロレス歴史発見」

    今回のテーマは新日本プロレスの「IWGP」……

    歴史を知らないあなたにぜひ読んでもらいたい呪われたIWGP物語!

    ◉デビュー25周年! 正義のヒーローウルトラマンロビンインタビュー

    ネットで叩かれながら地球のために戦い続けたロビンさんのウルトラ物語――

    あの詐欺事件で世間を騒がせたあの女と結婚寸前だった!

    ◉発掘! アントニオ猪木実兄・猪木快守インタビュー

    ホイスが「兄は私の10倍強い」と語るならば、我々は「快守は猪木寛至の10倍ヤバイ」を声高に叫ぶだろう。アントニオ猪木の事業欲は「猪木家の血」であることが伝わってくる。人生は死ぬまでの暇潰しなのか……。

    ◉ベネエズラ生まれ、日本育ち、強い奴はだいたい友達!UFCファイターマキシモ・ブランコ!!

    「日本は最高の国。街を一人で歩いても殺されない」……外国人だからハッキリわかる日本という国の素晴らしさ!

    ◉マット界一の読書家笹原圭一の酔いどれ書評! 

    今回取り上げるのは「沢木耕太郎/凍」と「貴志祐介/黒い家」

    ◉事情通Z「プロレス 点と線」

    業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せる大好評コーナー。今回のテーマは「ヒョードル復帰の舞台」など……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar863994■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
    ――かつてのプロレス界は「ぶっ潰すぞ!」「コノヤロー!」系の煽りアピールが主流でしたが、西村さんはほかのプロレスラーとは一味違った語彙センスをお持ちでしたね。マイクアピールが聞き逃せなくて(笑)。
    西村 それはみんなが「バカヤロー!」ばっかりだったので、わざわざ変えたんですよ(ニッコリ)。
    ――やっぱりそうだったんですか。
    西村 あの頃はレスリングスタイルからしてみんな“長州力スタイル”を押し付けられていたわけですよね。
    ――当時の新日本のレスラーって髪型も長州さんっぽかったですね(笑)。
    西村 ハハハハハハ! 後ろ髪だけ伸ばすヘアスタイルですね。
    ――まさか髪型も押し付けられていたんですか?
    西村 さすがにそれはないですけど。みーんな長州力のイエスマンでしたから。
    ――西村さんは当時から長州さんを「独裁主義者」として徹底的に批判されてましたね(笑)。今日はそんな西村さんのプロレスラー人生を振り返りたいんですが、もともとは新日本プロレス学校の出身なんですよね。
    西村 そうなんですよ。新日本プロレス学校が88年にオープンしてすぐの入学ですよ。誰でも入れるんですよね、会費を払えば。
    ――会費はおいくらなんですか?
    西村 月15000円。普通のスポーツジムと比べるとちょっと高いですけどね。私は高校時代のときから通っていたんですけど、営業時間は15時から20時までやっていて。平日の18時から20時までは小鉄さんが指導するプロ養成コースがあるんです。会員が全員そこに参加するわけじゃないんですよ。道場の施設を使って自分なりにトレーニングする方もいて。
    ――スポーツジム代わりに利用するわけですね。
    西村 そうです。週末になると名古屋や浜松から通ってる方もいましたし、会員自体は100名くらい。プロ養成コースは多いときは20名くらいですね。
    ――プロ養成コースに参加しなくても、新日本道場の雰囲気には触れたい方がいたんですね。
    西村 プロレス学校に通っていてのちにプロレスラーになったのは、ザ・グレート・サスケ、中嶋半蔵、浅子(覚)、池田大輔、金原(弘光)、新山勝利、三澤(威)トレーナー……。
    ――天山(広吉)さんは?
    西村 天山は最後のほうなんですよ。
    ――サスケさんとは最近でも宇宙大戦争で対決されたりして息の長い付き合いなんですねぇ。
    西村 あれはですね、会場に行ってから何をやるか知ったんですよ(笑)。
    ――ええっ!? さすが宇宙大戦争!(笑)。
    西村 私も貴重な経験をさせていただきましたけど(笑)。まあ、プロレス学校は凄くありがたい場所でしたよね。当時はアニマル浜口さんのジム、栗栖正伸さんのジムがあったくらいですし。プロ養成コースはスクワット、ブリッジや受け身やら、基礎以前の基礎を教えてもらうんです。それは本当にためになりました。それに本物のリングを使って練習ができるし、基本的に小鉄さんが指導するんですけど、いろんな選手が臨時コーチとして指導することもあって。たーまに鈴木みのるがやってきて、スパーリングが好きな連中を集めてグチャグチャにしてましたけど(笑)。
    ――ハハハハハハ! プロレス学校の時間のあいだでも、新日本のレスラーたちが練習したりするんですか?
    西村 新日本の合同練習はプロレス学校が始まる15時までには終わってしまうんですよ。それにあのときジャパン女子も新日本の道場を使ってましてね。
    ――ああ、小鉄さんが教えてましたね。
    西村 ジャパン女子は最初は江戸川橋のほうに道場があって(グラン)浜田さんが教えてたんですけど、そこがなくなったあとは新日本の道場を13時から15時まで借りてたんですよね。だから大変ですよ。新日本の選手はジャパン女子とプロレス学校が終わった20時以降しか個人的な練習ができないから。選手にとっちゃ邪魔な存在ですよね。
    ――そんな雰囲気はあったんですか?
    西村 邪魔者扱いの目線はありました。プロレス学校なんてお構いなしにマサ(斎藤)さんは来てましたけど(笑)。こっちは見て見ぬふりをするしかないですよ。海賊みたいな身体をしてトレーニングしてるわけですから。時には長州さん、小林邦昭さんと一緒に来たり。本当にたまに猪木さんや藤波さんも来たりして。でも、恐れ多くて近寄れないですよねぇ。
    ――プロレス学校に通っていると、新日本の入門テストを通りやすくなったりするんですか?
    西村 いや、全然関係ないです。身長は180センチ、体重は70キロ以上の基準があって、有利なることはないですよ。私が受けたときは150人くらいの応募があったらしくて、そこから書類選考で50人くらいに絞られて。入門テストで50人が20人になって、六本木のテレビ朝日で最終面接があったんです。
    ――そこからまた面接でふるいにかけるんですね。
    西村 「お父さんは何をやってるのか?」とか一般的なことを聞かれるんですよ(笑)。実際に会ってみなきゃわからないところもあるじゃないですか。
    それで20名のうち、私を含む5名が受かったんです。そのうち1人がオヤジが倒れたかなんかで入門できなくなって4人に。天山ともうひとりが3月に入門したんですけど、ついていけなくて3日でやめちゃったんです。私は高校卒業して4月2日から入門、その前日の4月1日には小原(道由)が入って。
    ――5人のはずがもう2人しかいない!(笑)。
    西村 そうなんですよ(笑)。
    ――新弟子生活は相当キツかったんですよね?
    西村 いやあ……大変ですよ。一番キツイのは練習なんですけど、24時間体制で雑用しなくちゃいけないし、身体を大きくするために最低でもラーメンどんぶり大盛2〜3杯は食べないといけない。すべての面で厳しいんです。ホッと一息つけるするのがトイレと風呂、目を閉じて寝るまでのあいだだけ。
    ――寝てるあいだは……。
    西村 いやあ、目が覚めたらシゴキが待ってるわけですからねぇ。
    ――目覚めたくないわけですね(笑)。
    西村 何をされるのかわからないからドキドキするわけですよ。スクワット何千回やらされるのかもわからないですし。逆に何もかもわからないからいけちゃうところもあるんですけどね。
    ――小原さんは国士舘大学柔道部出身でバリバリの体育系ですから、シゴキには慣れたもんだったんですかね?
    西村 たしかに小原の場合は大学でシゴキを経験したかもしれないですけど、4年生から練習生という立場になるじゃないですか。それはそれでキツイかもしれないですよ。
    ――なるほど。神様から奴隷に戻るわけですもんね。
    西村 でも、小原は私より二段階も三段階も大人でしたね。日に日に練習がキツくなっていくんですけど、「ようやく来たな……」ってあらかじめ覚悟が決まってましたから(笑)。
    ――失敗すると先輩に殴られるのは日常茶飯事なんですか?
    西村 それは普段からですよね。殴るといってもプロレスラーが殴るんですよ? そりゃあもう大変なもんですよ。殴られた勢いで、自分の歯が唇を貫通しちゃたり……。
    ――うわあ……一番キツかったことっておぼえてますか?
    西村 それは橋本(真也)さんですよ。往復ビンタ20連発。
    ――破壊王のビンタ20連発!!
    西村 それで意識が飛んじゃって、倒れたところを蛇皮のブーツで顔面を何度も蹴られて大流血。いまでも顔に傷が残ってます。
    ――……原因はなんだったんですか?
    西村 挨拶がきちんとできてなかったんです。
    ――あ、挨拶のミスでそこまで追い込まれるんですか……。
    西村 そういう経験をしたうえで文京区の教育問題に取り組んでいますね(笑)。
    ――ハハハハハハ! 西村さんは後輩には優しかったみたいですね。
    西村 後輩には優しかったですよ。必要のない体罰はしませんでしたし。 
    ――馳(浩)さんも指導は厳しかったそうですけど、後輩には慕われていたんですよね。
    西村 馳さんは理論的に教えますしね。何か間違えたり、練習でできないことがあると怒られますけど、個人的な感情で怒ることはなかったですね。練習が終わったら後輩に冗談を言ったりしてましたし。
    ――厳しさで有名なのは健介さんですよね。
    西村 佐々木さんはプライベートも練習もずっと厳しいんですよね。でも、そこは引き締めるところは引き締めなきゃならないという意味では勉強になりましたよね。
    ――健介さんがそこにいるだけで緊張感が生まれるんですね。
    西村 羽田空港でデレデレしていたら搭乗ゲートの目の前でぶん殴られたこともありますから。
    ――公共の場で!
    西村 それでも耐え抜いた人間だけが残るんですよ。そこは優秀な大学を卒業するより大変ですよね。それに橋本さんや佐々木さんだけが先輩じゃありませんし。
    ――ほかに印象深い先輩はどなたですか?
    西村 後藤(達俊)さんも厳しかったですねぇ。橋本さんクラスですよ……。
    ――後藤さんは寛水流空手出身ですし……。後藤さんは寮に住んでいたんでしたっけ?
    西村 住んでるようなもんですね。多摩川の土手近くのアパートに住んでましたから。ワンルームアパートでそこに寝るだけ。ご飯は道場で食べられますし。
    ――前門の破壊王、後門の後藤達俊というか。中門にも佐々木健介がいるんですけど(笑)。
    西村 あとライガーさんも近くに部屋を借りていたんですよね。
    ――いまでも寮にある“ライガーさん部屋”はあとからできたんですね。
    西村 ライガーさんの部屋はもともと太(ふとり)さんが住んでいたんですね。
    ――道場の名物管理人兼コックだった太さんですね。
    西村 ライガーさんは結婚されてからはアパートを引き払って福岡に住み始めたんですけど、東京にいるときは太さんの部屋に寝泊まりするようになったんですよ。
    ――そのうち太さんがコックを辞められて“ライガーさん部屋”になったというわけですね。
    西村 新弟子生活は厳しいは厳しいんですけど、逃げちゃう人はほかに選択肢を考えちゃうんですよ。「もっと楽な仕事があるんじゃないか……」とか。でも、「これしかない!」と思えばしがみついてでも残るんですよね。息を抜ける瞬間もありますからね。トイレとお風呂でね(笑)。
    ――そこが砂漠のオアシスなんですね(笑)。新弟子は外出禁止なんですよね?
    西村 外出禁止なんですけど、私の場合は車の運転ができたことで外に出られたんですよ。きっかけは蝶野(正洋)さん。「おまえ東京出身なのか? 車は運転するのか?」「はい」「車は持ってるのか?」「はい。スカイラインです」「なんだよ、道場に持ってくればいいだろ」と。
    ――嫌な予感がしますねぇ。
    作/アカツキ西村 「本当に持ってきていいんですか?」「大丈夫だよ、持ってこい。おまえも車に乗りたいだろ?」ということで、翌日スカイラインに乗って道場に横付けしたらミスター高橋さんがカンカンに怒っちゃって。
    ――ハハハハハハ!
    西村 「あれは誰の車だ?西村、持ち主は道場に出頭するように紙を貼っておけ!」と。 もの凄く怒っちゃってるから「私のです……」とは言えなくなっちゃって。しょうがないから自分の車に出頭要請の張り紙をしましたけど(笑)。
    ――蝶野さんもフォローすればいいのに(笑)。
    西村 最終的にバレて「乗って帰れ!」という話になったんですけど、ライガーさんや橋本さんが「車があるんだったら……」といろいろと用事を頼んできたんです。それで私の車があることによって、道場の雑用がスピディー化されることがわかってしまったんですよねぇ〜(笑)。
    ――わかってしまいましたか!(笑)。
    西村 移動範囲が東京都内に広がるわけですからね。私が入る直前まで道場にバスがあったらしいんですけど。そのバスで後楽園ホールや羽田空港までの送り迎えができて、もの凄く便利だったらしいんですよ。
    ――新日本の道場って、駅からも遠くてアクセスが悪いですもんね。
    西村 新幹線移動が多かったですから新横浜まで車で送れる。なので「西村の車があったほうがいいぞ」という話になって、私の車を道場に置くことが認められたんです。
    ――なるほど。運転手として自由に外に出られるようになったんですね。息抜きができたというか。
    西村 いやいや、息抜きなんかにはなりませんよ。練習でスクワット何千回もやって、スパーリングでグチャグチャになったあとで「下北沢のおもちゃ屋でゴジラを買いに行ってこい!」とか命令されるわけですから(笑)。
    ――橋本さんの命令ですか?(笑)。
    西村 いや、ゴジラはライガーさんで、橋本さんはエアガンです(笑)。
    ――ハハハハハハ! よく事故を起こしませんでしたねぇ。
    西村 どこかで車を止めて5分間睡眠をしたり、息を止めるとか。息をしないと人間、目が覚めますからね(笑)。
    ――死ぬ気でオモチャを買いに行ってたんですね(笑)。 
    西村 あるとき橋本さんに車を貸したんですよ。でも、翌朝後藤さんを迎えに行く約束をしてたんです。橋本さんは「朝までには必ず戻ってくる」と言っていたんですけど……。
    ――クククククク。
    西村 当然帰ってこないんですよね(笑)。後藤さんにはメチャクチャ殴られましたよ……。
    ――理不尽な世界ですねぇ……。橋本さんのお付きは大変そうですよね。
    西村 もの凄いなんてもんじゃないですよ、ホントに。一番面倒くさかったのはラーメン作りですよね(笑)。
    ――原価一杯1万円の“真ちゃんラーメン”ですね(笑)。
    西村 「おい西村!知り合いにラーメン屋はいないのか? そいつに連絡して麺の作り方を聞け!」って。麺をイチからこねるんですかって(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    西村 それで道場のキッチンをグチャグチャに汚して作って、ラーメンを食べたら気が済んでそのまま帰っちゃいますから。
    ――怪獣ですね(笑)。
    西村 橋本さんには偏屈な部分があってですね、車に指紋がひとつつくだけでワックスから車内の掃除までやり直しさせるんですよ。凄く神経質。
    ――ズボラなのに(笑)。
    西村 笑っちゃうのは2時間も3時間も丁寧にワックスがけをして「橋本さん、終わりました!」と報告した途端に雨がザーザー降ってきちゃって(笑)。
    ――橋本さんの道場エピソードは事欠かないですねぇ。
    西村 幼稚園生がそのまま大きくなった感じですよね。道場で飼っていた犬にしても、橋本さんのイジメがハンパじゃなかったですからね(笑)。
    ――犬の名前はワカですよね(笑)。
    西村 ワカは私が見つけてきたんですけどね。巡業中の山口県柳井市体育館に子犬が迷い込んじゃって、私に懐いちゃってついてくるんですよ。そうしたら橋本さんが「道場で飼おう!」と言い出して。基本的に新弟子が面倒を見るんですけど、ワカが子犬だったときは橋本さんはかわいがっていて自宅に連れ帰っていたりしてたんですよ。でも、だんだん大きくなると、もう面倒くさくなって、しまいにはイジメたりしてましたからね(笑)。
    ――子犬以外に用はないという(笑)。
    西村 あんまりにもイジメもんだから、犬がですよ、橋本さんが道場にやってくると「困ったなあ……」という顔をするんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    西村 普段はいい子なのに橋本さんが来ると途端に困った顔になる。物陰に隠れて、橋本さんの様子を伺ってるんですよ。犬ってあんなことするんですね(しみじみと)。
    ――そんなに橋本真也が嫌だった(笑)。 
    西村 ワカは最後、身体が動かなくなっちゃって、三澤トレーナーが家で看病してたんですよ。亡くなったときは私と吉江(豊)と三澤トレーナーと一緒に江ノ島に散骨に行きましたよ。次にモモという女の子の犬も飼ったんですよね。モモは草加の体育館で試合をやったときに迷い込んできて。
    ――面倒を見るのは新弟子なんですね。
    西村 新弟子はもう大変ですよ(笑)。でも、あそこにいると精神が鍛えられますよね。
    ――天山さんなんかは1回夜逃げしたくらいですもんね。
    西村 3日で逃げてまた入門して、そしてまた耐えられなくなって逃げるはずだったんですよ(笑)。
    ――天山広吉、2度目の逃亡!(笑)。
    西村 「いままでお世話になりました……」「俺は残るから、またどこかで会おう!」と握手して涙、涙の別れですよ。そのあと天山は深夜2時3時に寮から夜逃げするはずだったのに、朝起きたら天山はまだ寝てるんですよ。「おい、夜逃げするはずじゃなかったのか?」って(笑)。
    ――ハハハハハハ! 寝過ごして夜逃げできないって(笑)。
    西村 天山はそのまま起きて道場の掃除してましたね。寝過ごしたおかげでプロレスラーになれたんですよね。
    ――結果的に寝過ごしてよかったんですね、天山さん(笑)。
    西村 チャンピオンになったときに「あのとき寝過ごしてよかったなあ……」って昔を思い出してましたけど(笑)。厳しいのが当たり前になっていくと、いつのまにか慣れるんですよね。最初は何かあるたびにビクビクするじゃないですか。24時間ビクビクしていたけど、そのうち鈍感になっていくんですね。
    ――プロレスラーって天然の方が多いですけど、最初から天然なんじゃなくて……。
    西村 そうなっちゃうんですよねぇ。ネジが外れちゃうんですよ。やっぱりビクビクするほうが苦痛なんですよ。戦場の兵士じゃないですけど、どこでも寝られるようになるんですよね。
    ――西村さんが寮長になったときはそこまで厳しくなかったそうですよね。
    西村 うーん……1回だけクーデターが起きたことがありましたけど(笑)。
    ――クーデター!(笑)。何が起きたんですか?
    西村 私に彼女ができちゃたんですよ。アメリカに行く直前、93年頃。寮を抜けだして毎晩彼女の家に遊びに行ってたんですよ。そうしたら「寮長なのにいつも寮にいない!許せない!!」とクーデターが起きて。首謀者は天山(笑)。
    ――ハハハハハハ! 涙の別れをするはずだった天山広吉(笑)。
    西村 寮に帰ってきたらみんなが集まって文句を言われたんですよ。さすがに私も「あらためます」と謝ってクーデターは収まったんですけど。
    ――そのあと海外修行に行かれますが、西村さんにとっては海外生活が大きな転機になりますね。このインタビューの続きと、ラッシャー木村、和術慧舟會、岡倫之、浜崎朱加、ヒョードル大晦日、棚橋vsHARASHIMA、笹原圭一書評などの記事がまとめて読める「詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar883409
     
  • 産地直送 VTJ7th観戦記■「MMAオレンジ色の手帖」

    2015-09-17 18:29  
    33pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは……気がつけば9月は何故か総合格闘技興行ラッシュ。勝村周一朗がプロデュースするケージイベント「GRANDSLAM」で幕を開けると、翌13日(日)には「VTJ 7th」。シルバーウィークに突入すると、「GRACHAN19×BOM IX.5」、「SHOOT BOXING」  、「プロ修斗 闘裸男16」、「TTF CHALLENGE 05」が連日開催され、極めつけは月末27日の「UFC FIGHT NIGHT JAPAN 2015」。大きなものから小さいものまで怒涛の絨毯爆撃。マニアにとってはたまらない毎日ですが、さすがにここまで集中する体力も財布の中身もしんどくなってくるのが実情。チケット代を節約しても9月だけで4万円出費してますからね。相変わらず高いエンゲル係数ならぬMMA係数。しばらくの間はダイエットがてら野菜スティックだけで節約生活を送りたいと思います。どなたか野菜をバリバリ食べる事が出来る強烈なドレッシングやディップをご存知でしたら教えていただけると幸いです。そんな嬉しい悲鳴の9月。先週末は早速「GRANDSLAM」と「VTJ 7th」を観戦してきました。今回で3回目を迎えた「GRANDSLAM」は既に安定感抜群。アマチュアからプロまでの3部構成。全25試合という長丁場にも関わらず、大きなトラブルもなくつつがなく終了したのはプロデューサー勝村のらつ腕の賜物でしょう。イベントの催しとして定着しつつあったポールダンスがなくなったのは少し寂しかったですが、その代わりに来春の次回大会が地上波で放送予定という爆弾が投下されサプライズ感も満載。おまけにreversal製のGRANDSLAMオリジナルTシャツのクオリティも高く、ご満悦のまま帰宅の途につきました。