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記事 23件
  • 【記事詰め合わせセット】謙吾、夢ファク、高岩竜一×田山レフェリー、天龍引退、武尊vs那須川天心…

    2015-12-31 23:59  
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    ◯1990年代新日本プロレス居酒屋トーク! 高岩竜一×田山レフェリーの理不尽とは何か?

    「先輩レスラーに呼びだされて飛んでいったら、『なんでもねえよ』ってぶん殴られるんですよ!」◯なぜ横綱は大晦日に再び挑むのか? そこには13年間にわたる怨念があった――曙インタビュー「プロレスファンの皆さん、俺と一緒に入場してください!」◯大沢ケンジ師匠の格闘技談義はUFCの女王ロンダ・ラウジーの敗戦を検証!なんとロンダはホーリー・ホルムにもう勝てない!?


    ◯業界楽屋トーク! 事情通Zの「プロレス 点と線」ヒョードルvsクートゥアは本当に動いていたのか/「東スポ」プロレス大賞/みんなが救われたNOAH最終決戦!!/潮崎豪NOAH登場/フジテレビの夢よもう一度
    ◯MMA Unleashed・ミルコ・クロコップ、13歳の息子を特訓中「私と同じサウスポーでね、クレイジーなハイキックを放つんだ」
    ・神秘のマクレガー〜引き寄せの法則とムーブメント・ドリル・コナー・マクレガーが仕掛ける同時多発的メンタルゲーム
    ・2015~2016年 UFCタイトル戦線総まくり!
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    謙吾 へえ。生きてるんですか?(笑)。
    ――生きてます!(笑)。いまはイベント関係のお仕事をされてるようですけど。
    謙吾 怪しい仕事をしてるとは聞いてますね(笑)。何が怪しいかはよくわからないですけど。
    ――謙吾さんはいまはどんなお仕事をされてるんですか?
    謙吾 イングラムという会社で仕事をしてるんですけど。そこの社長さんはボクの現役時代から応援してくださっていて。格闘技をやめたあとは何も考えてなくて、半年間くらいプラプラしてたんですよ。
    ――何もあてはなく引退されたんですね。
    謙吾 とくになかったすね。先輩が飲食をやってたからそこでバイトをしようかな〜くらいのノリでいたんですけど。イングラムはブランドやキャラクターの版権管理、ライセンスビジネスをやってる会社で。その頃にWWEジャパンと仕事する話があって。で、ボクはプロレスには詳しいというか、業界にいたから(笑)。
    ――立派な業界人ですよね(笑)。
    謙吾 ガキの頃からプロレスは好きだったし、「担当でちょっとやってみる?」という話になって。WWEのライセンスの営業すよね。アパレルメーカーやブランドのコラボ、そういう仕事をやり始めた。たとえばリバサールのロード・ウォリアーズTシャツとか。
    ――あのTシャツは謙吾さんの仕事だったんですか!
    謙吾 そうっすよ。
    ――購入させていただきました(笑)。今回謙吾さんのことはMMAマネジメントをやってる石井文彦さんから紹介してもらったんですけど、石井さんとはどういうご関係なんですか?
    謙吾 KIDやクレイジービーの連中と仲が良くて、家がジムに近いからよく使わせてもらっていて。石井さんはクレイジービーの選手たちのマネジメントをやってるじゃないですか。で、自分の会社も若い選手のマネジメントもやってるんですよ。それで石井さんと情報交換じゃないですけど、いろいろと話す機会があって。
    ――現役のときはいまの仕事に就いてることは想像してました?
    謙吾 うーん。仕事を始めるにあたって、最後はアメリカにいたから、向こうの選手を日本に呼んだりとか、そういうことができる環境にいたから。まあ、格闘技をやめてから、社会の仕組みというものをおぼえましたね(笑)。
    ――現役中に社会を学べなかった(笑)。
    謙吾 そうっすねぇ(笑)。お金の稼ぎ方や使い方も知らなかったですから。どんどん貧乏になっていた。最初が景気良かったから、俺は。ハッハッハッハッ!
    ――謙吾さんのデビュー戦のバス・ルッテン戦、チケットを買って武道館に見に行きました(笑)。
    謙吾 ホントっすか。あれで10年食えましたからね(笑)。ムチャクチャなマッチメイクだったけど。あの当時だからできたという感じじゃないですかね。プロレスと格闘技が一緒だったというか、プロ格時代。いまはベツモノじゃないですか。
    ――いまはデビュー戦でチャンピオンをやることは考えられないですよね。
    謙吾 デタラメっすよ(笑)。
    ――デタラメなデビュー戦(笑)。
    謙吾 冷静に考えたらデタラメですよ。でも、本人は喜んでやってましたからね。勝ったらそのまま引退しようかとか考えてましたよ。ナメてますよね(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 
    謙吾 最初は海外のケージの大会に出るって話もあったんです。それがなくなって日本武道館で相手がバス・ルッテン。「マジっすか?」って。イヤな「マジっすか……?」じゃなくて、テンションの上がる「マジっすか!?」(笑)。
    ――ノリノリだったんですね(笑)。
    謙吾 試合前日かちょっと前に船木さんに呼ばれて。リングの上でスーパーセーフをつけて「いまからおもいきり掌底で殴るから全身に力を入れろ」って。
    ――試合間近なのに!(笑)。
    謙吾 何発か殴られて「まあ、衝撃はこれくらいだな」って。それはおぼえてるなあ。試合のことはおぼえていない。3回倒されてKO負け。1回目に倒されたときが一番効いてるんですよ。倒れたときにちょうどレフェリーの梅木さんが割って入ったんですけど、自分の頭に梅木さんの足が当たって目が覚めて(笑)。
    ――ホントはそこでKOだった。
    謙吾 あれで終わってたかもしれない。それはそれで目が覚めたからよかったですよね。そのあと2回倒されて盛り上がったから(笑)。
    ――それで謙吾さんといえば、ラクビー出身ですけど。大東文化大学ラグビー部のキャプテンまで務めて。
    謙吾 ラグビーブーム、きましたねぇ。
    ――ラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカに勝利したことは謙吾さんにとっても衝撃だったんですか?
    謙吾 考えられないですよ、日本代表が南アフリカに勝つなんて。自分がデビュー戦でバス・ルッテンにKOして勝つくらい考えられない(笑)。
    ――あれまー(笑)。
    謙吾 日本ラグビー協会の人たちも誰も予想してなかったんじゃないですかね。エディ(・ジョーンズ)や選手たちはその意識はあったんでしょうけど。現場の選手たちも最初は思ってなかったけど、エディがその意識を変えたんじゃないですか。
    ――高阪(剛)さんが総合格闘技の見地からタックルの指導してたそうですね。
    謙吾 そうみたいですね。そこはラクビーに通じる部分はあるんじゃないですかね。トップリーグなどのチームにレスリングのコーチも来てる話も聞くので。あとはやっぱり意識的なところもあるんじゃないですかね。戦うスピリッツじゃないですけど。
    ――キモは戦うスピリッツですか。
    謙吾 そこが一番じゃないですかね。格闘技ってそういう部分がないとダメじゃないですか。実際ラグビーって格闘技ですからね。軽トラがいきなり突っ込んでくるようなもんだから。俺なんて二度とラグビーはやりたくないですよ(笑)。
    ――軽トラが突っ込んでくるスポーツ(笑)。
    謙吾 むしろ格闘技のほうがまだいいですよ。ラグビーはケガをするのが日常的というか、ヒザの靭帯を切るのがあたりまえ。チームで年に1〜2人は靭帯を切りますよね。両ヒザの靭帯を切る奴もいますよ。
    ――しかもケガはヒザだけじゃなんですよね。
    謙吾 どこをケガするかわかんない。ラグビーは事故的なんですよ。格闘技は向き合って戦うじゃないですか。苦しくなったらタップできるし、まあKOの場合は仕方ないけど。
    ――ラグビーはすべてカウンターというか。
    謙吾 そうそう。意識していない方向から100キロ以上の人間が突っ込んでくるから。それはアレっすよね。ヤバイですよね。
    ――ラガーマンは格闘技に転向しても強そうですよね。
    謙吾 それはありますね。身体がでかくて、スピードがあって、スタミナもあって。身体能力は凄いっすよね。
    ――謙吾さんも身体はでかいし、運動神経は抜群だったんですか?
    謙吾 いいほうだったんじゃないですかね。
    ――ラグビーは自分からやり出したんですか?
    謙吾 そうっすね。小学生・中学生のとき夕方に『スクール☆ウォーズ』の再放送があったんで。それを見て洗脳されちゃいました(笑)。
    ――『スクール☆ウォーズ』は強いですよね(笑)。
    謙吾 頑張ったのか、センスがあったのか、いい感じで県の選抜から高校の日本代表にも選ばれちゃって。高校も大学も推薦入学。そんなにお金もかからないから親には感謝されて。
    ――大学の頃は何キロくらいあったんですか?
    謙吾 一番でかいときは105キロくらい。格闘技のときでも100キロくらいだから。
    ――やっぱりでかいですねぇ。
    謙吾 でも、大学1年のときにヒザの靭帯を切っちゃって。リハビリして2年の秋に復帰したんですけど、3年の夏か秋にまたヒザの靭帯を切っちゃって。そこで手術しちゃうと4年のシーズンに出られるかどうかわからないから、手術しないでやってましたね。
    ――なんとかなるもんなんですね。
    謙吾 なんとかするしかないですよね。日常生活もなんとかなったし、不安定な感じですけど、ラグビーもやってましたよね。切れたまんま格闘技にも行って。どんだけバカなんだよって(笑)。
    ――靭帯切れたままデビューですか!(笑)。
    謙吾 いま思えば「なんでその状態で格闘技をできると思ってるんだ?」って話ですよ。若さって素晴らしいですよね〜(笑)。
    ――ラグビーもなんとかなったんだから格闘技もできるだろうって(笑)。
    謙吾 だからルッテン戦のときは蹴れなかったんですよね。デビューして半年後には手術したんですけど。
    ――あのときの手術は格闘技のケガじゃなくてラクビー時代のものだったんですね。
    謙吾 「デタラメじゃねーか!」って話ですよね(笑)。まあ、いい思い出だなあ。あと憧れのほうが強いからけっこうムチャしてやったんじゃないですかね。格闘技をやってみたかったから。
    ――でも、ラグビーの社会人チームからの勧誘も当然あったんですよね?
    謙吾 はい。けっこう誘われましたからね。そうそうたる企業から。
    ――それは企業に就職してラクビーをするというかたちになるんですよね。
    謙吾 いまはプロ契約の選手もいたり、契約のパターンにもいろいろあるみたいですけど。当時は15時、16時くらいまでは仕事をして、夕方からラクビーの練習するみたいな。普通のサラリーマンの給料に何万円かのラクビー手当がつく。チームの成績によってはボーナスも出たり。
    ――契約金はあるんですか?
    謙吾 就職ですから、ないですね。プロ契約じゃないから。いまはあるのかなあ?
    ――ラグビーをやめたあとも会社には残れるんですよね。
    謙吾 そうっすね。仕事ができなくても一生窓際にはいられるんじゃないですか。でも、仕事ができなくて精神的にやられちゃう奴もいますよ。先輩や後輩にもそんな奴はいた。大学卒業するのが22歳で、30歳くらいまではラグビーができますよね。仕事をちゃんとやっていれば会社でも出世できるけど、やってないとラグビーをやめたあとがつらいんじゃないですかね。
    ――出世も仕事もできないまま定年まで過ごすのは精神的にキツそうですねぇ。
    謙吾 その代わり安定は手にできますよね。潰れるような会社じゃないですから、ラグビーチームを持ってる企業は。
    ――謙吾さんはその安定を選ぼうとは思わなかったですね。
    謙吾 まったく。当時プロがあったらそっちに行ってたかもしれない。仕事をしたくなかったから。
    ――要はサラリーマンにはなりたくなかったということなんですかね。
    謙吾 そういうことなんですかね。10代後半から、なりたい願望がパンクラスだったから。
    ――謙吾さんが大学生だったときに高橋(義生)さんと出会ったことでパンクラス入りすることになったんですよね。
    謙吾 そうっす。“人喰い義生”が自分の人生を変えましたね。大東のラクビー部が打ち上げだ合コンだで使う焼肉屋が池袋にあって。そこの常務さんがラグビー大好きで、よくしてくれて。その店に高橋さんも日大のレスリング部の頃から来てたことで、たまたま紹介してもらって。そのあとも偶然会ったりしたんですけど、こっちは格闘技好きじゃないですか。パンクラスも見てるし。高橋さんがUFCに出る前かな。一緒に酒を飲みながら話をしてるうちに「俺もやりたいすね!」って。
    ――格闘技経験はなかったんですよね?
    謙吾 ないない。
    ――ケンカは強かったんですか?
    謙吾 どうっすかね。でも、身体はでかいしね。やられないから。
    ――ヘビー級のラガーマンにケンカを売ってるくる奴もいないでしょうし(笑)。
    謙吾 そうなんですよ(笑)。「俺もやりたいっすね」「やるんだったら面倒を見てやるよ」「マジっすか?」って。20歳の頃からやる気でいましたから。
    ――両親やラクビー部の監督には話ずらいんじゃないですか?
    謙吾 かあちゃんは反対してたかなあ。親父は諦めてたから。親父は学校の先生だったんですけど、放任主義で。ラグビー部の監督は、3年の終わりごろに「就職どうする?」って話になったときに「パンクラスという格闘技にやるのでラグビーは考えていないです」って。先生は「とりあえずいろんな企業から話が来てるから、一通り話を聞け」と。最初から全部断るつもりだったんですけど、さんざん接待受けて。うまいものも食べて、もう◯◯◯な接待も受けて(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! さすが90年代、バブルですねぇ。
    謙吾 いまはそんな接待はないみたいですけど。サプリメントをもらえるくらいじゃないですかね(笑)。
    ――サプリメントと◯◯◯じゃ天と地の差がありますよ!
    謙吾 フフフフフ。凄いっすよね。
    ――パンクラスの条件は聞いてたんですか?
    謙吾 高橋さんは「普通のサラリーマンより給料はちょっといいくらいじゃないか」って。実際はそこまでよくはなかったんですけど(笑)。
    ――パンクラスはそこまで待遇はよくなかったと聞きますよね(笑)。謙吾さんはパンクラスに入りたかったんですか? それとも格闘技をやりたかったんですか?
    謙吾 強い男へのの憧れじゃないですかね、ただシンプルに。ガキの頃からプロレスが好きだったし。小学生の頃は猪木にホーガン。中学生の頃は三銃士、ジャンボ鶴田が史上最強の40代と呼ばれて。そこからU系のほうに流れていったんだけど。Uインターも見てましたし。
    ――パンクラスに入れるんだったら入っちゃおう!と。
    謙吾 そうだったんじゃないですかね。入門テストもなかったし。自分が入ったことでパンクラスも話題になりましたよんr。
    ――謙吾さん、デビュー前に『週プロ』の表紙になりましたよね(笑)。
    謙吾 ホントっすよ(笑)。どんだけ持ち上げられてるんだって。
    ――持ち上げられてることは意識されてました?
    謙吾 チヤホヤされてるから嬉しかった……いや、調子に乗ってたなあ(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ!
    謙吾 どうなんですかね。浮かれてる感じっすよね。
    ――入団前に船木(誠勝)さんに会われたんですか?
    謙吾 パンクラスでNKホールでやったときに見に行って。試合後の控室で高橋さんから船木さんを紹介してもらって。船木さんが「そんな身体でサラリーマンをやるのはもったないよ。一緒にやろう!」と言われて「はい、考えます」とか言ったのかな。そのあとに「考えますじゃねえな」って思い直して、高橋さんに電話して「さっき考えますって言いましたけど、俺、やりますから」って。
    ――当時のパンクラスは東京道場と横浜道場に分かれてましたよね。
    謙吾 分かれたばっかです。俺は船木会系高橋組なんで東京道場です。高橋さんの付き人枠。頭を丸めて、ちゃんこ番だ掃除だってやってましたね。
    ――同期は誰だったんですか?
    謙吾 俺より前は石井(大輔)さんで、その前に超人がいて。
    ――ミノワマンですね(笑)。
    謙吾 その上に渡辺大介さん、山宮(恵一郎)さん、國奥(麒樹真)さん。
    ――一番下が謙吾さん。
    謙吾 まだ渡辺さんや石井さんは練習生で、美濃輪さんはデビューしてたけど、この4人で雑用を回してましたね。俺、ミノワマンにちゃんこを教わったんですよ(笑)。
    ――当時からミノワマンはヘブンな感じだったんですか?
    謙吾 あの頃はパンク時代だから。赤い髪のときだから。
    ――あー、そうだった(笑)。
    謙吾 練習生は半年間は外出禁止とかあったなあ。
    ――練習生時代はきつかったですか?
    謙吾 いや、なんか楽しくやってましたよ。格闘技の技術をおぼえられるし、プロレスの新弟子生活できるじゃないですか。楽しくやってたのかな。あんまりつらい思いではないです。練習はきつかったですけどね。朝起きてメシ食って、9時10時くらいから練習生は補強トレーニングを1時間くらいやって。12時に先輩が来てスパーリングとか全体の練習。ちゃんこ番のときは補強だけやって買い出しに行って。練習が終わった14時頃にちゃんこを食うから。夕方は筋トレ、夜はP's LABの手伝いがあって。
    ――当時の練習はどんな内容だったんですか?
    謙吾 スパーリングが多いですよね。極めあい、打撃の殴り合い。いまなら格闘技のジムで柔術とか習ってイチからおぼえていくけど。パンクラスはプロレスの流れだから、先輩たちに極められて極められておぼえていくみたいな。まず逃げ方をおぼえる。
    ――まだ昭和の新日本スタイルだったんですね。後輩は実験台というか。
    謙吾 そうそう。そういった感じすよね。技術をイチから覚えていく感じではなくて、そういうもんだと思ってたし。で、ちょうどノールールが始まる頃でパンクラスもパンクラチオンマッチとかやってたじゃないですか。
    ――頭突きりの“なんでもあり”ですね。
    謙吾 練習でグローブとスーパーセーフをつけて実践形式でやってたんですけど。おもいきり殴るからスーパーセーフが割れるんですよ(笑)。
    ――新弟子でも先輩を殴れるんですか?
    謙吾 船木さん相手でもおもいきりぶん殴れるんですよ。でも、おもいきり絞め落とされる(笑)。それはそれで面白かったですね。
    ――当時の業界の噂で、入団したばかりの謙吾さんが船木さんをぶっ飛ばした……というのがあったんですけど。
    謙吾 いや、それはないなあ。
    ――新弟子でも先輩を殴れるシチュエーションがあったから、そういう噂が流れてたんですね。
    謙吾 都市伝説ですね(笑)。そのスパーのときはグラウンドで下になるのはダメってことで。下になったら殴られるじゃないですか。
    ――頭突きもあると断然、上のポジションが有利ですよね。
    謙吾 だから下になると、船木さんと高橋さんがスタンガンでやってくるから。
    ――下になる罰がスタンガン!(笑)。
    謙吾 スタンガンがイヤだから立ち上がれるというか。痛いんですよ、スタンガン(笑)。
    ――そりゃそうですよ!(笑)。でも、U系にも「下になるな」という考えが定着してきた頃だったということですね。
    謙吾 じゃないですかね。船木さん高橋さんが中心になっていろいろと試行錯誤して。オリジナルといえばオリジナルですよね。
    ――しかし、なんでスタンガンなんてそんな物騒なものを持ってるんですか?(笑)。
    謙吾 当時リングスと抗争してたから。
    ――あー、なるほど(笑)。
    謙吾 街で前田(日明)さんと会ったときのためにというか。高橋さん、スタンガンのほかに鉄ヌンチャクも持ってたかなあ?
    ――橋本(真也)さんもそうでしたけど、男の子は武器を持ちたがるんですかね(笑)。
    謙吾 なんか武器に憧れるんですかね(笑)。そうしたら尾崎社長も高橋さんの何倍の威力もあるスタンガンを買って(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ! 尾崎さんは実害があったからセーフということで(笑)。 
  • みんなが救われたNOAH最終決戦!!■「プロレス 点と線」

    2015-12-29 10:47  
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    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回はのテーマは「NOAH大田区体育館」「曙の新団体・王道」です(聞き手/ジャン斉藤)。
    ――全日本プロレスを離脱した曙選手が馬場元子さんを後見人にしてプロレス団体『王道』を設立しました。元子さんは全日本も支援してることもあって、この新団体の動きは波紋を呼んでいますね。
    事情通Z いろんな選手が口にしてますけど、全日本プロレスがこの1年間のあいだで契約のやり方が変わっていった。それまで年間契約を結んでいたのが、数ヵ月契約に変わり、それがまたワンマッチ契約になり……と。
    ――団体運営がだんだんと苦しくなっていったんですね。
    Z スポンサーも離れていく中、各選手も危機感を持ち始めて、潮崎(豪)選手は全日本離脱を選択した。金丸(義信)選手や(鈴木)鼓太郎選手もそう。曙選手はやめたくないというか、全日本プロレスを捨てる気はなかったけど、このままじゃ共倒れるとして元子さんに相談したそうなんですよ。そこで出た結論は全日本に籍を置くよりかは自分の事務所を作る、と。元子さんはこのまま全日本も支援するし、曙選手は外から全日本を支援するということで。
    ――保険のリングを作るというか。
    Z そういう単純な話ですね。『王道』側には全日本の契約が切れたスタッフが入っているようだし。早くも全日本の受け皿的にはなっている。
    ――全日本プロレスという大きい括りがある中で、秋山さんがプロモートする大会もあれば、曙さんがやる大会もあるってことですかね。
    Z そういう認識でいいとは思うんだよね。12月15日にあった全日本プロレスのファン感謝デーに曙選手が出ていたことを見ると、関係は悪くなかった。やっぱり地方に行けば曙選手の名前は大きいし、全日本にとっては大きな柱なんですよ。
    ――元子さんも両方を支援するってことですか?
    Z 元子さんは全日本に三冠のベルトやジャイアントシリーズ、世界最強タッグのシリーズ名の使用許可してるから。
    ――きな臭い動きはない、と。
    Z 最初はそのはずだったんですよ。
    ――というと、きな臭いことになってるんですか(笑)。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ 
     
  • 2015年振り返り…「徳川yeah!ass!」■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO

    2015-12-29 10:25  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は2015年を振り返ります!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■【次回更新記事】新日本プロレス、ZERO-ONE、ハッスルを作ってきた男中村祥之ロングインタビュー
    1・4事変、負けたら即引退スペシャルから見えたものは何か――?
    中村 新日本には武藤さんや蝶野さんがいて、若い選手でも出てきて、小川さんらUFO勢という外敵もいて、橋本さんがいなくてもやっていけると踏んだんでしょうね。
    ――このまま引退してもかまわないと。なんか……冷たいですね。
    中村 冷たいですよね。というかビジネスライクに徹してたんで すよ。橋本さんが内部的にそこまで大きな評価ではなかったこともあるんでしょうけど……
    ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■おかしい…つい最近イッテンヨンをドームで観た気がするのにもう次のイッテンヨンが迫ってきている。毎年言っている気がしますが、今年も1年が早かったですね。当コラムも今年最後の更新となりました。というわけで私の2015年を思い出せる限り振り返ってみたいと思います。
    ■1月
    ・1.4を一人で観戦する。
    ・ファンタスティカマニアでバルバロ・カベルナリオというスター爆誕。
    ■2月
    ・パンクラス264を観戦。名前が好きだった亮AKBが才賀紀左衛門に負ける。Me,We所属だし私より名前が豪華だし一発で漢字変換できないため紀左衛門に恨みがつのる。
    ・2.14新日仙台大会で永田さんがインターコンチに挑戦するも敗れとても悲しくなる。
    ・2.26初めて学プロサミットを観戦。「アレクサインダー大塚」「お尻TAJIRI蟲」「ちんことみつき」等ハイセンスなリングネームが並ぶ中、「徳川yeah!ass!」が一番のお気に入りに。
     
  • 2015~2016年 UFCタイトル戦線総まくり!■MMA Unleashed

    2015-12-24 19:17  
    41pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回は2015年のUFCタイトル戦線を振り返ります!
    2014年のUFCは業績を落とし、「UFCはすでにピークを過ぎた」とか、「PPVビジネスは死んでいる」などと評価する向きもあった。しかし、2015年のUFCは、ロンダ・ラウジー、コナー・マクレガーの2大スターの活躍で、業績を大きく回復させた。
    UFCにとって2015年は王座の変動が激しい1年となった。ロンダ・ラウジーがホーリー・ホルムに敗れたり、コナー・マクレガーがアルドを秒殺して世界を驚かせた一戦は記憶に新しいが、王座変動はこれだけではない。2015年のスタート時点でのチャンピオンの顔ぶれは、ケイン・ベラスケス、ジョン・ジョーンズ、クリス・ワイドマン、アンソニー・ペティス、ジョセ・アルド、TJディラショー、デミトリアス・ジョンソン、ロンダ・ラウジーというもので、いかにもどっしりと長期政権を築きそうな顔ぶれが各階級に揃っていたのだ。しかし年末になって、今もチャンピオンなのは、ディラショーとジョンソンだけである。
    こうした刺激的な王座交代劇もあり、一時は「すでにピークを越えた」とか、「PPVビジネスは死んでいる」などと言われていたUFCは、2015年に業績を大きく回復させた。2016年のUFCも、ビッグマッチが待ち構えている。「ラウジー vs. ホルム」の再戦は記録破りのPPV件数を売り上げることだろうし、戦線復帰のジョーンズとコーミエのリマッチも話題を呼ぶだろう。マクレガーは誰と戦ってもビッグイベントになるだろうし、GSPの復帰戦も大いに盛り上がることだろう。もっとも、ラウジー、マクレガー、ジョーンズを除くと、チャンピオンにそれほどの観客動員力、PPV販売力がないことは、不安の種ではある。
    年の終わりにあたり、今回と次回の2回にわたって、UFC各階級のタイトル戦線の動向を取りまとめておきたい。今後の観戦のお供にどうぞ。
    【フェザー級】
    コナー・マクレガーの台頭により、フェザー級はこれまでにないほど、UFCの台風の目になっている。トップコンテンダーは間違いなく、フランキー・エドガーだ。かつては小さな身体でライト級のベルトを守り続け、フェザー級転向後はアルドに僅差の判定負けを喫した後は、チャールス・オリベイラ、BJペン、カブ・スワンソン、ユライア・フェイバー、そしてチャド・メンデスというそうそうたる顔ぶれを下して現在5連勝中。ダナ・ホワイトも、「エドガーの好きなようにやらせてやらないといけない」として、タイトル挑戦の資格が十分すぎることを認めている。
    長期政権の功績をふまえ、アルドにマクレガーとのダイレクトリマッチの資格があるのではないかとの議論もある。たしかに、ベラスケスとラウジーはダイレクトリマッチのチャンスを得ている。もっとも、ヘビー級にはエドガーのような強力なコンテンダーがほかにいないし、ラウジーにはアルドにはない特別な動員力があるため、横並びで考えるには無理もありそうだ。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ 
     
  • 【理不尽とは何か?】高岩竜一×田山レフェリーの90年代新日本プロレス居酒屋トーク

    2015-12-24 08:52  
    110pt
    Dropkickチャンネルに掲載されたインタビュー記事が大好評だった高岩竜一と田山正雄レフェリー。90年代・新日本プロレスをよく知る2人の対談をヴァーとお読みください! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!高岩竜一「90年代ハチャメチャ新日本プロレスと俺が愛した橋本真也」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar810120
    レフェリー田山正雄インタビュー「みんな大好き破壊王・橋本真也伝説!」
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar851730いま入会すれば、謙吾が語るパンクラス×リングス、回想「レッスル夢ファクトリー」などのインタビューが読める! 12月度更新記事はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201512――お会いになるのはひさしぶりなんですか?
    高岩 いや、そうでもないですよ。
    田山 近所にジムがあってそこでよく会うんですよ。
    ――溝の口周辺にはプロレスラーがいっぱい住んでますよね。パチンコ屋を覗けば誰かしら打ってるんじゃないかってくらい(笑)。
    田山 新日本の道場も近いし、昔は全日本の道場もあったから。みんな道場の近くに住みたがるじゃないですか。
    ――それで今日は90年代の新日本プロレスについて語っていただきたいんですけど。当時道場のコーチを務めていた馳(浩)さんが文部科学大臣になりましたね。
    高岩 プロレスラーから大臣になるって凄いですよね。ニュースを見てたら、馳さんが高校教師時代の暴力を含めて謝ってましたけど(笑)。
    田山 大臣になったらそのへんのことはマスコミがいやらしく突くわけでしょ?
    高岩 馳さんは新日本時代、そんなには殴らなかったですけどね。
    ――プロレス道場は特殊な世界だからある程度は仕方ないところはありますけど……。
    田山 でも、道場から一歩外に出たら傷害事件として通るわけでしょ。普通の会社として考えたらね。まあ誰も訴えなかったけど(笑)。
    高岩 馳さんは殴らない人でしたけど、ボクは馳さんのことが苦手でしたねぇ。というか、コーチは誰でも苦手なんですよ。佐々木(健介)さんや飯塚(高史)さんのことも苦手でしたから。やっぱりコーチということで一線を引いちゃうんです。友達でもなければ先輩でもない。コーチなんですよ、ボクの中ではね。その3人はお酒を飲まなかったんで、酒を飲んで和気あいあいになるってこともなかったし。
    田山 馳さん、2〜3年前に会ったんですけど。いまだにスクワットを1000回やってるって言ってましたからね。
    ――スクワット1000回できる大臣(笑)。
    田山 国会の裏に議員専用のジムがあるんですよ。そこでいまだにスクワットやってるって。
    ――田山さんと高岩さんでは、田山さんのほうが先輩になるんですよね。 

    高岩 先輩です。
    田山 自分が1年先輩かな。歳も学年で2個上なのかな。
    高岩 田山さんのちょっと前に小島(聡)さんが入ったんですよね。そのときからコーチが馳さん、健介さん、あとネコさん(ブラックキャット)がサブで。
    田山 寮長が小原(道由)さん。小原さん、かなりヤバかったけどね(笑)。
    高岩 あ、そうなんですか。ボクが入門して2週間で小原さんは海外に行っちゃいましたよ。
    田山 あんな性格の荒い人はいなかったけどね(笑)。蝶野さんが「おい田山、小原って身体のどこがヤバイんだっけ?」って聞くから「ヒザと性格です」って言ったら死ぬほど笑ってたけどね(笑)。
    高岩 ワハハハハハ!
    ――どんなふうにヤバイんですか?
    田山 「おい!」と呼ばれて飛んで行くと「なんでもねえよ!」って殴られるんですよ。
    ――なんじゃそりゃ!(笑)。
    田山 小原さんとはいまでは普通に会話できるんだけどね。
    高岩 新弟子の頃は理不尽なことが多かったですよねぇ。
    ――一番理不尽だったことはなんですか?
    高岩 なんですかねぇ。
    田山 いっぱいありすぎてね(笑)。
    高岩 ボクは巡業のときはタクシー係をやってたんですよ。何をやるかというと、宿泊してるホテルのロビーで、15時くらいから選手をタクシーを乗せて試合がある体育館に向かわせるんです。体育館では16時くらいから合同練習が始まってるんですけど。ロビーに遅れてくる選手もいるから、タクシー係やってると合同練習に間に合わないんですよね。そうすると佐々木さんに「おい、なんで練習に遅れてくるんだっ!(怒)」って殴られて。
    ――タクシー係だからなのに! 理不尽だなあ(笑)。
    田山 そんなの当たり前。俺は飲料水係をやっていて、会場で飲み物を冷やすじゃないですか。その作業で練習に遅れると「テメエ!」って殴られる。そんなこと1日に25回くらいありますよ!(笑)。
    高岩 そうでしたね(笑)。
    田山 「おい、これ洗濯しとけ!」って言われて10分後に「おい、乾いたか?」って聞かれるし。もちろん乾いてるわけがないんだけど、「乾いてません!」と答えるとおもいきり殴られるんですよ。
    ――地獄にもほどがある!(笑)。
    田山 新弟子がやめていくのはわかりますよ。息をしてるだけで殴られる世界だから(笑)。でも、馳さんの場合は、その人間が何か間違ったことをしたときだけ注意するんですよ。ちゃんと、しかってくれるんです。ただストレスを発散するために怒るわけじゃない。「怒る」と「しかる」はえらい違いがありますよね。
    高岩 馳さんは自分を誇示してるわけじゃないですから。
    ――ちなみに現場監督だった長州さんも怒るときがあるんですか?
    田山 長州さんに怒られた◯◯さんが、新弟子に当たり散らしてましたよ(笑)。
    高岩 フフフフフ。
    田山 小原さんはいやらしい怒り方はしないんですよ。いやらしかったのは◯◯さん。小原さんは怒っても自分のところで完結してた。◯◯さんは周囲の状況をひっくるめていやらしいんですよ。うまく説明できないけど(笑)。
    高岩 なんとなくわかります(笑)。
    田山 あと◯◯さんは、1日ひとりぶん殴ることを日課してたんだから。
    ――どんな日課ですか!(笑)。
    田山 道場で誰かを殴ってそのまま帰って行くんだから。
    高岩 ホントそんな感じでしたよね(笑)。
    ――そんな◯◯さんに対してほかの先輩はどう思ってたんですかね?
    高岩 「ああ、またかあ」って感じですよね。
    田山 「しょうがねえか……」って。
    ――先輩同士がぶつかることはあったんですか?
    田山 どうだろうなあ。
    高岩 ミスター高橋さんと橋本さんくらいですかね、ケンカをしてたのは(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ!
    田山 そんなケンカあったなあ。道場に置いてあった橋本さんの私物を高橋さんが捨てた、捨てないで揉めたんだよね(笑)。だって道場の3分の1くらいは橋本さんの私物だったもん。
    高岩 そうそう(笑)。
    田山 自分の家に置いておくと面倒なものは道場に置いてあった。それに怒った高橋さんがいろいろと捨てちゃったんだよね。だってチャイルドシートとかもあったし(笑)。
    高岩 ケンカはそれくらいですよね(笑)。
    ――優しかった先輩は誰になるんですか?
    田山 俺は野上(彰、現AKIRA)さん。暴力は振るわなかった。
    高岩 野上さんも殴ってたときがありましたよ?
    田山 え、殴ってた? 
    高岩 ええ。意外だったんでビックリしましたよ。野上さんは凄く優しい方でしたけどね。
    田山 ボクがおぼえてるのは、新日本に入ったときに道場で全員に挨拶に行くじゃないですか。野上さんだけですよ。「野上と言います。よろしくお願いします」って返してくれたのは。
    高岩 ああ、わかりますね、それは。
    田山 ◯◯さんなんて、こっちが挨拶したら「ああん!? ……フン!」ですよ(笑)。
    ――「フン!」なんて漫画だけのリアクションですよ(笑)。
    高岩 日常の挨拶するだけで睨まれますからね(笑)。
    田山 飯塚さんはコーチだったらから、あえて厳しくしてたんだと思う。
    高岩 そうですね。そういえば飯塚さんがコーチのときはスパーリングばっかでしたよね。以前にも増して。
    ――コーチによって練習メニューが違ってくるんですね。
    田山 馳さんや健介さんのときはボクらが入ったばっかりだったこともあって受け身中心でしたよね。ネコさんはトランプ練習。
    高岩 飯塚さんがコーチのときはPRIDEが流行ったこともあってスパーが多かったんだと思うんですけど。でも、プロレスってシュートだけが強くても意味がないところがあるじゃないですか。
    ――プロレスの要素の一つとしては重要だけど、メインになることはないということですか。 
    高岩 「なんでこんな練習ばっかやるんだろう」って思ってましたよ。
    田山 山崎(一夫)さんがコーチになったときは打撃ばっかになってたよね。みんなグローブを付けてね。
    高岩 そうそう(笑)。
    田山 「これ、意味があるのかな」って思ってたけど。教えるほうも自分の得意分野しか教えられないんだろうけど。
    ――山崎さんって外様なのにコーチまで昇進するって凄いですよね。
    高岩 山崎さんは人当たりもいいし、八方美人じゃないですけど、どこの派閥にも入ってなくて誰とでもうまくやれたというか。
    田山 新日本のテレビ解説までやってるもんね。
    ――コーチの練習には先輩レスラーも参加するんですか?
    高岩 いや、先輩方は基本的に合同練習に参加しないですよ。最初の頃は松田(納、エル・サムライ)さんが参加してましたけど。
    ――松田さんって練習嫌いで有名だったと聞いてますけど。
    高岩 全然練習しなかったですね(笑)。
    田山 ウエイトなんかやってるのを見たことない。「なんでプロレスラーになったんですか?」って感じで(笑)。
    高岩 でも、スパーリングは強かったですよね。レスリングやってたこともあって。
    田山 あと受け身が凄かった。まさしくドリー・ファンク・ジュニア(笑)。
    高岩 練習でいえば、一番キツかったのは長州さんの練習ですよ。
    田山 長州さんは技術より気合いだよね。
    高岩 精神的にキツかったですよね。殴られても根性があればなんとかなるじゃないですか。長州さんの場合は根性も効かないですよ。精根尽き果てるまでやらされるので。
    ――どういう練習なんですか?
    高岩 「試合練習」を延々とやらされるんですよ。長州さんが「はい」と言うまで試合形式の練習をやる。それがなかなか「はい」と言ってくれないんですよね。30分やるだけで地獄で。
    ――それはキツイですねぇ。「はい」の基準はあるんですか?
    高岩 それは長州さんの感覚。5分くらいで「はい」っておしまいにになるときもあるですけど。よく中西(学)さんがずっとやらされてましたよねぇ。
    田山 あの試合練習は終わりが見えなかったよね。そのあいだ長州さんは「おい、マッサージしてくれ」ってそのまま寝ちゃうときもあるから(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ!
    田山 長州さんに「おまえ、マッサージの心得があるだろ?」って言われたんだけど。そこで「ありません」というと長州さんに恥をかかせるから「はい!」って答えて(笑)。
    高岩 長州さんは竹刀で殴るんですけど。竹刀はボロボロになっててテープで補強してるから、しならないんですよ。単なる棒なんですよ(笑)。
    ――竹刀でもなんでもない(笑)。
    高岩 聞くところによると、いまの新日本の新弟子は凄く楽みたいですね。選手がいっぱいいるから練習時間がいろいろと分かれていて。新弟子は早い時間に練習を済ませて合同練習もないみたいですし。
    ――猪木さんは道場に来てたんですか?
    高岩 たまーにですね。
    田山 猪木さんの練習補助を誰もやりたくないから、回ってきたときは凄いプレッシャーだった。だって猪木さんですよ?
    高岩 あと坂口さんと小鉄さんにだけは「おつかれさまでございます」って言わないとダメだったんです。
    田山 あったなあ。
    高岩 猪木さん、坂口さん、小鉄さんの3人は別格。そう挨拶しないとダメ。昔の小鉄さんの指導はわかんないですけど、優しかったですよね。長州さんや健介さんと比べると楽でした。
    田山 小鉄さんで印象に残ってるのは「レフェリー全員集まれ!おまえらカウントの取り方が早過ぎる。時計に合わせろ!」って言われたことかなあ(笑)。
    ――そのリズムだと違和感がありますけど(笑)。
    田山 言葉は悪いですけど、さすがに「これで大丈夫かな……」って思いました(笑)。
    高岩 小鉄さん、たまにレフェリーやってましたけど、そんなにうまくなかったですよね(笑)。レフェリングの技術も時代とともに進歩したってことかもしれないですけど。
    田山 レフェリーってネームバリューで務まるところがあるから。小鉄さんがレフェリーをやるとなればファンも「おー!」って沸くんですよ。
    ――田山さんも新弟子と同じ練習してたそうですけど、レフェリーも試合に巻き込まれそうになるから鍛えておかないと危ないですよね。
    田山 壊れそうなレフェリーには選手は手を出さないんですよ。危ないから。俺、小原さんの喉輪落としを食らって死にそうになったもん。あの小原さんが「だ、大丈夫か!?」って心配してましたからね(笑)。
    高岩 フフフフフフ。
    田山 身体が軽いから上がっちゃって。あと後藤(達俊)さんが裁定に不服でレフェリーにラリアットやって一回転させるって動きを気に入っちゃって(笑)。
    高岩 ワッハッハッハッハッ!
    田山 俺があまりにもキレイに1回転するもんだから毎晩のように飛んでたよ。
    高岩 後藤さん、気持ちよかったんでしょうね(笑)。
    ――後藤さんもおっかなかったんですよね? 
    田山 後藤さんは子供。本能で生きている。お腹が減ると機嫌が悪くなる(笑)。
    高岩 あと酒を呑むとメチャクチャ機嫌が悪くなりますよね。近寄りたくない(笑)。
    田山 あるとき後藤さんに「サポーター買ってこい」って言われて買ってきたんですよ。で、「お金をお願いします」って言ったらいきなり殴られて「おまえが会社に請求しろ!」って(笑)。
    ――ええええええ?
    高岩 ハッハッハッハッ。
    田山 ありがちでしょ?(笑)。
    高岩 よくある光景ですね(笑)。後藤さんは競馬好きでしょ。俺も競馬好きだったんで、よく連れ回されるんですよ。それはいい息抜きになりましたよね。新弟子はちゃんこ番じゃなくても道場にいなくちゃいけないから。ただ競馬が終わってパチンコ行くじゃないですか。俺だけ大当たりで後藤さんがダメだとヤバイんですよね(笑)。
    田山 後藤さんがやってたパチンコ台を掘ったら本気で怒られますよ(笑)。
    高岩 それだったら負けたほういい(笑)。
    ――ギャンブルといえば、やっぱり安田(忠夫)さんに尽きると思うんですけど。
    高岩 安田さん、引退相撲やってるのに借金が残ったみたいですからね。相撲時代の人間が道場に取り立てに来たこともあって。
    田山 安田さんからすれば、ギャンブルは息をするようなもんだから。安田さんって5万円負けたら次に10万張ればチャラだという考えだからね(笑)。
    高岩 ハハハハハハハハハハ。いまは千葉のほうにいるんでしたっけ? とび職やってるとか。安田さん、高いところに登れないのに(笑)。
    田山 プロレスでもトップロープに昇ったことないのにね(笑)。安田さんってどんな目に遭っても、最終的に誰かが助けてくれるんだよなあ。どこかに逃げると誰かが助けてくれる。あの人、超だらしないけど、基本いい人だから。
    高岩 そうですね。だから誰かが助けてくれるんでしょうね。
    田山 他人を騙すような人じゃないから。いま安田さんに電話してみます? 
    ――ぜひお願いします(笑)。
    田山 (電話をかける)……もしもし、安田さん? 誰だかわかりますか? 
    高岩 あ、出た(笑)。
    田山 最近は元気にやってます? え? 仕事をクビになった?(笑)。 
  • 2015年日本格闘技界ヒット番付■「MMAオレンジ色の手帖」

    2015-12-24 08:37  
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    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは2015年の格闘技界を振り返る!いま入会すれば、謙吾が語るパンクラス×リングス、回想「レッスル夢ファクトリー」などのインタビューが読める! 12月度更新記事はコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201512DEEPの大晦日興行や青木真也のグランドコブラツイストで騒いでいたのがまるで昨日の事のようですが2015年も残すところあと10日。毎年言ってますが時の経つのは本当に早いものです。毎年恒例の流行語大賞は「爆買い」と「トリプルスリー」、今年の漢字は「安」、日経トレンディのヒット商品第1位は「北陸新幹線」で無難に着地。世間一般には浸透しているのかもしれませんが、つつがないというか、守りに入っているというか、冒険してないというか…。もう少し毒っ気がほしかったというのが率直な感想です。意表を突いて大尊伸光の名言「ソーリーごめん」がランクインするようなアグレッシブな選考があれば狂喜乱舞するのですが世の中はそう簡単にはいかないようです。しかし、いざ総合格闘技界に目を向けて見ると、昨年に比べて世間を巻き込むような大きな動きやうねりがあった年だったのもまた事実。うまくいけば2016年の流行語大賞には格闘技関連のワードが飛び込んでくるかもしれません。そこで今回の「MMAオレンジ色の手帖」は再ブレイク前夜ともいうべき2015年の日本総合格闘技シーンをプレイバック。MMA界隈のヒット商品や人気企画を振り返っていきたいと思います。題して「2015年日本格闘技界ヒット番付」。今宵も電波と充電の続く限りよろしくお願い致します。 
  • ヒョードルvsクートゥアは本当に動いていたのか/「東スポ」プロレス大賞■「プロレス 点と線」

    2015-12-21 11:03  
    55pt
    事情通Zがプロレス業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー「プロレス 点と線」。今回のテーマは、ようやく発表された「RIZINヒョードルの対戦相手」「東京スポーツプロレス大賞2105」についてです!(聞き手/ジャン斉藤)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■記事詰め合わせセットpar22 記事内容 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826◉真実か妄想か……永島勝司が今頃になって告白! 1・4事変衝撃の事実が浮かび上がる!!「負けたら引退SPの結末は、橋本真也と小川直也の2人が話し合って決めたんだよ俺も猪木も長州も知らなかった――」◉ビル・ロビンソン最後の弟子鈴木秀樹が語る藤田和之vs諏訪魔はなぜ迷走したのか?「全日本やIGFより大日本のほうがお客さんは入ってる。その差が出たんじゃないですか」◉地獄のリングス前田道場卒業生、滑川康仁ロングインタビュープロレス道場、リングス、格闘家の生き様が詰まった15000字インタビュー!◉日菜太はなぜRIZINに直訴したのか?「このままだと知る人ぞ知る選手で終わってしまう。だから大晦日なんです」◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル「一晩100万円!?これがプロレスラーの飲み方だ!」◉大晦日を巡る男たちの物語がドキュメンタリー映画化!/監督・佐伯繁インタビュー
    ◉事情通Zの「プロレス 点と線」・シュートで始まり、シュートで終わった棚橋弘至vsHARASHIMAの衝撃……煽りパワポではなくシュートパワポだった!・藤田和之vs諏訪魔の地獄はまだ続く!?・大晦日TBS魔裟斗vsKIDはガチで戦うのか?◉格闘技界のレジェンドが東に西へ!中井祐樹の「東奔西走日記」11月1日〜31日編◉OMASUKI FIGHTのMMA Unleashed・マーク・ハントの壮絶人生「BORN TO FIGHT」・ロンダ・ラウジーKO負けの衝撃波・進化するUFCのスター選手製造ノウハウ…明日のスターは誰だ!?・UFC独占禁止法違反集団訴訟が本格的に審議入りhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826
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    ――今回は『東京スポーツ』が主催するプロレス大賞の結果発表についておうかがいしますが、その前に年末のRIZINで現役復帰するヒョードルの対戦相手がようやく発表されましたが、これが大荒れで。
    事情通Z 格闘技方面には疎い私は、ジャディブ・心・シングという選手のことはよく知らないんですよね。心は「こころ」、「しん」のどちらで読むの?
    ――もちろん「ハート」ですよ!
    Z もちろんな読みなのか(笑)。私もこのカードにはピンときていないけど、格闘技ファンは凄く不満なんでしょ?
    ――キックボクサーでMMAでの実績は皆無ですからね。ヒョードルvsシングはそれこそRIZIN旗揚げ会見前に内定していたそうなんですけど。Z ヒョードルとは合意していた。――ところがDEEPで行なわれた査定的な試合でシングの内容があまりよくなかったんですよね。それで白紙になって、ハレック・グレイシーやジェロム・レ・バンナ、日本人ヘビー級選手など、いろんな候補が上がる中、ヒョードルが最終的にシングを選んだという。聞くとろによれば、キックボクサーのシングが相手ということで、ヒョードルはキックボクシング中心の練習メニューだったらしいんですよね。ファイター心理としても試合1ヵ月前になって「はい、対戦相手変更〜!」というふうには切り替えづらいでしょうね。
    Z なるほど。最初にシングでやるということで内定していたんなら、ヒョードルもシングを選ぶよね。私がヒョードルでもそうしますよ(笑)。――ヒョードルは今年39歳で4年ぶりの復帰戦ですし、プーチン大統領の許可を得てリングに戻ってくるわけだから慎重にはなりますよね。ただ、発表をここまで引っ張ってしまったことで悪い印象がね……。ヒョードル側は今回の決定を受けて「RIZINはランディ・クートゥアとも交渉してた」「ランディはトレーニングも開始していた」と言ってるんですけど、たしかにRIZIN側はランディに接触したようなんです。
    Z へえー!交渉がうまくいかなかったのはファイトマネー?この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ  
  • 格闘家は占い師に頼りたくなる!?■金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル⑤

    2015-12-21 09:39  
    55pt
    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光がゼロゼロ年代を振り返る連載インタビュー。今回はPRIDEを離れたあとのお話――絶対に戻りたくないという6年間勝ち星なし不運続きの暗黒期を振り返ります……。――金原さんはPRIDEで4試合戦ってますね。
    金原 ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、アリスター・オーフレイム、マウリシオ・ショーグン。凄い相手ばっかだよね(笑)。
    ――4試合契約だったんですか?
    金原 いや、シウバ戦のときに3試合契約を結んだんだけど。シウバ戦直前にヒザをケガしちゃって、試合後に手術をしたんで1年間試合もできないからその契約はなくなったの。契約期間満了というか。3試合契約なのに1試合しかこなせなかったという。
    ――契約期間は1年間だったということですね。契約書はあったんですか?
    金原 契約書はあったよ。それはリングスのときもだけど。リングスは年間12試合契約、KOKのときは6試合契約だったけど。リングスのときはトーナメントがあったでしょ。勝ち上がるとプラス何試合かやらなきゃいけないんだよね。
    ――そのぶんファイトマネーは加算されるんですか?
    金原 変わんない。KOKのときは勝ったらウィンボーナスが出るだけ。1回勝ったら20万、次に勝ったら30万、50万……どんどん増えていくんだけど。
    ――主催者からすれば、加算方式だったら試合単価が高い選手に勝ち上がってほしくないですよね(笑)。PRIDEのファイトマネーはよかったんですか?
    金原 当時は「格闘技バブル」とか言われて景気がよかった頃だけど、自分ではよくわかんないところはあったよね。
    ――相場と比べて自分のファイトマネーが適正なのかどうか、と。
    金原 そうそう。これが普通なのかどうなのかもわからないし。あと試合1週間前に突然オファーが来たりするでしょ。リングスがなくなってフリーになったばっかだから、どう対応していいかわからなかったよね。いま振り返ると、断ったオファーのファイトマネーだけで相当な額になるよ(笑)。
    ――死んだ子の歳を数えちゃいますか(笑)。やっぱり当時は景気がよかったんですね。
    金原 1試合の単価はいいけど、リングスの頃と違って保証はないから。リングスのときは団体所属だから、ケガで試合を休んでも給料は保証されるし、会社が治療費や入院費も出してくれる。シウバ戦のあとは1年間リハビリで試合ができなかったから年収が30万だったんだよ。
    ――フリーの厳しい現実ですねぇ。金原さんはPRIDEと再契約はしませんでしたよね?
    金原 PRIDEで4連敗したことで自己嫌悪に陥ったというか、環境を変えたかったんだよね。負けたのは強い相手ばっかだったこともあるんだけど、自分のパフォーマンスができなかったでしょ? 当時は33歳だったのかな。当時の格闘技界では高齢のほうだから「もう歳なのかな……」って考えちゃったんだよね。だって当時は前例がないじゃない。
    ――金原さんより年齢が上の選手ってそんなにいませんでしたね。
    金原 何人かいたんだけど、真剣勝負をやってる数は俺のほうが上だから。そこは消耗度が高いんだよね。
    ――いわゆる勤続疲労というやつですね。
    金原 KOKのときに燃え尽きたってこともあるけど、フリーになったあとは思うような試合ができないし、ネガティブなことばっか考えちゃったんだよね。
    ――そういうこともあったのか、金原さんって改名しませんでしたっけ?
    【こんな字です】
    https://www.google.co.jp/search?q=%E9%87%91%E5%8E%9F%E5%BC%98%E5%85%89+%E6%94%B9%E5%90%8D&biw=1215&bih=903&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiVoeiq2OvJAhUnFqYKHTvRBP8Q_AUIBigB#imgrc=jPKGBfXYsKZOiM%3A
    金原 いや、あれはシウバ戦のときだよ。フリーになって飛躍するために名前を変えようかなって。Uインターの若手の頃からお世話になっていた寿司屋の大将が「ワシが考えたるわ!」って。
    ――あのリングネームは寿司屋の大将が考えたんですか!
    金原 でも、存在しない字でしょ? マスコミの人から「この字はないんですよ」って言われてさ。雑誌でも名前を載せられない(笑)。
    ――雑誌等に載せる場合はデザイナーが作字しないといけないんですよね。
    金原 大将は「いまはなくても、おまえがスターになればおのずとついてくるんや」って。グリーンボーイの頃から知ってる人なので断れなかったんだよね(笑)。
    ――ヤマヨシさん(山本宜久)なんかも占い師に勧めらててリングネームを変えてましたけど。
    金原 でも、そういうものに頼りたくなる気持ちはわかるよ。勝負事をやってると目に見えない力があるんじゃないかって考えちゃうんだよねぇ。練習では100%負けない相手でも、試合になると負ける可能性がある。それが相手の運なのかもしれないし。
    ――古くは双葉山の璽光尊事件がありましたし、◯◯◯さんが引退するときも占い師からの助言があったと聞きますね。
    金原 連敗中で暗くなってるときはそういう人に相談したこともあったんだよ。友達の友達に「私、ちょっと霊が見えるのよ」という人がいてさ。「あなた、悪いものが憑いてるから」って言われると、人間ってそっちのせいにしたくなる。ホントは「自分の力不足で負けたんだよ」と言ってくれればスッキリするんだけど、「俺は悪くないんだ、周りに悪霊がいるんだ……」って凄く悩んだ時期があったよね。
     
  • 神秘のマクレガー〜引き寄せの法則とムーブメント・ドリル■MMA Unleashed

    2015-12-18 09:22  
    44pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……
    UFC 194でジョセ・アルドをわずか13秒でKOしたコナー・マクレガーは、UFC194の大会後記者会見に姿を見せなかった。集まった記者たちが怪訝に思っていたところ、公式記者会見が終了した後に1人で登場、演壇に立って記者からの質問を受けつけた。マクレガーはリーボックのジャージではなく、自前のスーツ姿で、「成功イメージを思い描くこと」「自分の力を信じること」の重要性をとうとうと語った。
    「人はいろいろなことを信じるが、そのことを他人に言わないことが多い。そうではなくて、成功をイメージして、そのことを勇気を出して口に出せば、『引き寄せの法則』が働いて、実際に信じたとおりのことが起きるんだ」
    コナー・マクレガーのニックネームは「ノトリアス」(悪名高き人)であるが、もう1つ、とみによく使われるようになってきているニックネームがある。「ミスティック・マック」(神秘のマクレガー)がそれだ。試合がどのような展開を経て、どんな風に終わるのか、正確に予言をしてみせるからだ。
    UFC178でのダスティン・ポワリエ戦の前、マクレガーは「しっかり覚えておいてくれ。試合結果は1R、KO決着だ」と予言した。試合は実際に1分46秒、マクレガーのKO勝ちに終わった。
    UFC189大会前のマクレガーは、まずジョセ・アルドの欠場を予言した。それが現実のものになり、代役にチャド・メンデスが起用されると、今度はこう予言したのだった。「メンデスの身体が酸素を求めて悲鳴を上げはじめたら、ピンポイントの打撃をたたき込んでやる」
    そしてUFC194大会前の記者会見でマクレガーは、またしても今回の試合展開を、アルド本人と記者がいる前で次のように語っていたのだ。
    「さっきのステアダウンの時、ヤツの右腕がピクッと動いた。オレには見えた。ヤツは右をぶち込んでくるつもりなんだ。でもそれはヤツの終わりを意味する。右をぶち込んで来ても、オレはそこにはいない。オレはワナを張り、デッドスペースを作る。ヤツをそのデッドスペースに誘い込む。ヤツはいきなり危機に陥る」この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ 
     
  • 【90年代インディの夢と地獄】レッスル夢ファクトリーとは何だったのか?髙田龍インタビュー

    2015-12-16 08:54  
    107pt
    90年代中盤から00年代初頭まで、北関東を中心に活動していたプロレス団体「レッスル夢ファクトリー」。代表の髙田龍氏は、谷津嘉章が主宰した社会人プロレスSPWFの旗揚げから関わり、のちには伝説のプロレス団体WJにも深く関与。SPWF、夢ファクという多団体時代や地方プロレスの先駆けから、プロレス界のど真ん中を歩みそこねたWJの混乱に身を置くなど、メジャーとインディの夢と地獄をそれぞれ目撃したわけである。前編となる今回はレッスル夢ファクトリーについて。夢はマグマに連鎖する!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■記事詰め合わせセットpar22 記事内容 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar920826◉真実か妄想か……永島勝司が今頃になって告白! 1・4事変衝撃の事実が浮かび上がる!!「負けたら引退SPの結末は、橋本真也と小川直也の2人が話し合って決めたんだよ俺も猪木も長州も知らなかった――」◉ビル・ロビンソン最後の弟子鈴木秀樹が語る藤田和之vs諏訪魔はなぜ迷走したのか?「全日本やIGFより大日本のほうがお客さんは入ってる。その差が出たんじゃないですか」◉地獄のリングス前田道場卒業生、滑川康仁ロングインタビュープロレス道場、リングス、格闘家の生き様が詰まった15000字インタビュー!◉日菜太はなぜRIZINに直訴したのか?「このままだと知る人ぞ知る選手で終わってしまう。だから大晦日なんです」◉金原弘光のゼロゼロ年代クロニクル「一晩100万円!?これがプロレスラーの飲み方だ!」◉大晦日を巡る男たちの物語がドキュメンタリー映画化!/監督・佐伯繁インタビュー
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    髙田 レッスル夢ファクトリーのことはじつはしゃべったことないんですよね。
    ――高田さんがのちに深く関わったWJもブログ(http://blog.livedoor.jp/dreamdragon716/)に書く程度ですよね。あちらも凄く興味深い内容ですけど(髙田氏の現在のブログはコチラ→http://ameblo.jp/ryu716/)。
    髙田 ただ、夢ファクトリーのほうは……私は団体の代表だったんですけど、もう思い出したくもないというか。前に夢ファクトリーの同窓会みたいな興行があったそうなんですけど、私も呼ばれたんですよ。行かなかったんですけどね。夢ファクトリーであんなにつらい思いをして、あげくのはてに犯罪者のレッテルを貼られそうになったから。
    ――そのへんのお話はおいおい伺いますが、高田さんがプロレス界に関わることになったのは、谷津嘉章さんの社会人プロレスSPWFなんですよね。
    髙田 私は昔、群馬の会社で働きながら舞台演出の仕事もしていたんですよ。私の人となりを説明してもつまらないかもしれないけど、本当は舞台仕事に専念したかったんだ、食わせていかなきゃいけない家族もいたから勇気がなくて。ほかで勤めながらやろうと。そうこうしてるうちにSWS末期の谷津嘉章が群馬で中古車販売業をやっていた関係で知り合うようになって。そのとき彼が群馬を中心としたプロレスの団体を興すという話になったんです。
    ――それがSPWFなんですね。
    髙田 1993年の話ですね。そのとき仲野信市も連れられてきてたんですけど。谷津に旗揚げ前の準備を頼まれて手伝ったんだよね。SPWFのロゴマークの「人」という字、あれは私の字ですから(笑)。
    ――へえー!高田さんは達筆なんですね(笑)。
    髙田 旗揚げ記者会見はプリンスホテルでやったんだけど、横幕も作りましたし。旗揚げ記者会見までは手伝おうと思ったけど。そのうち「高田さんも一緒にやってくれないことには……」みたいな話になっちゃって。結局、事務局長という立場になったんです。いざ始まってみると営業もやんなきゃいけないですし、団体のコンセプトも私が書いたんですよ。
    ――社会人プロレスという構想も高田さんの発案なんですか?
    髙田 あれは谷津嘉章。私としては「社会人プロレス?なんだ、それ?」とは思っていたんです。力道山時代からプロレスを見てたけど、やっぱりプロレスラーは特別な人間がやるもんだと思ってたから。
    ――いまは誰でもリングに上がれる時代ですけど、当時は違和感がある試みでしたよね。
    髙田 でも、手伝う以上は社会人プロレスを正当化しないといけない。しっかりとした原稿を書きましたよ(笑)。素人にもチャンスを与えたことで結果的にいまのプロレス界の流れを作っちゃったところはありますよね。あるレスラーに言われたことがありますよ。「こんなに団体が増えたのは高田さんの責任だ」って(笑)。
    ――多団体時代の先駆けですもんね。
    髙田 SPWFは1部リーグ、2部リーグ、3部リーグまであって。入門テストもいちおうあったんですけど、基本的に「会員」という扱いで。
    ――会費を払わせるんですか?
    髙田 払ってましたね、いくらでもないけど。そのかわり葛飾橋の精神病院が所有している体育館を開放してたんです。
    ――それも凄いネットワークですね(笑)。
    髙田 谷津の人脈は凄いですよ。レスリング界の先輩が警察方面や実業界にいましたし。SPWFの会員は、みんなお金目当てでやってるわけじゃないし、試合に出られるだけで嬉しいですから。小遣い程度のギャラは渡してましたけど、切符は家族や知り合いに売るんですね。
    ――いまの格闘技界も同じようなシステムを導入してますね。
    髙田 ただ、旗揚げ前に強化合宿もやったんですけど、当時43歳の私に1500メートル走で私に勝てる人間がいなかったですからね(笑)。「こんなんでプロレスができるのかなあ?」って不安はあったんですけど。
    ――ホントに素人の集まりだったという(笑)。SPWFには大きなスポンサーがついてたんですよね。
    髙田 のちに夢ファクトリーのスポンサーになるところがついてましたね。
    ――飲食業などを展開していた北関東グループですね。
    髙田 ちゃんと知ってますね(笑)。店舗数は40店舗くらいあったんじゃないですかねえ。北関東がついていなかったらSPWFも続いてなかったですよ。たとえばチケットが1500枚あったとする。半分くらいは谷津が担当するんですけど、そんなに売れるわけないんです。最後の最後まで残った700枚くらいを北関東の会長に引き取ってもらう。その役目を仰せつかってたんです。
    ――イヤな役目ですねぇ(笑)。
    髙田 北関東の会長は「わかりました」って何も言わず余った切符を毎回全部引き取ってくれるんですよ。
    ――毎回全部!
    髙田 2〜3ヵ月かけて売れなかったチケットを「大会1週間前にどうやってさばくの? いいのかな?」って申し訳ない気持ちになってたんですけど。私も谷津に頼まれた以上は仕事としてやらなきゃいけないから。
    ――北関東はそれほど太かったんですねぇ。
    髙田 谷津の新日本参戦が決まったときにグアムで合宿するとなったら「美味しいもんでも食べて英気を養ってください」って100万円をポンと渡してくれるし。
    ――バブルですねぇ。
    髙田 北関東グループのほかにも、もうひとりスポンサーがいたんですよ。船橋に水道工事さんをやりながら、外車屋、不動産もやってる社長さん。
    ――それって太刀光さんが働いていた水道工事会社ですか?
    髙田 よく知ってますねぇ(笑)。私はいまでも付き合いがあるんですけど、谷津は学生の頃からその社長に面倒を見てもらってて。
    ――谷津さんが学生の頃から!(笑)。
    髙田 北関東グループは足利や群馬で切符がさばけるんですけど、東京ではできないじゃないですか。船橋の社長が銀座でどんちゃん騒ぎをして一生懸命切符を売るわけですよ。だけど、一晩で50万円分の切符が売れたけど、飲み代は100万かかってる(笑)。
    ――ハハハハハハハハハハ!
    髙田 「飲みに行かないで社長がそのぶん切符を買ったほうがいいんじゃないですか?」って言ったことがあるけど(笑)。
    ――90年代って太いスポンサーがゴロゴロしてましたよね。
    髙田 あの頃は金持ちがいっぱいいましたよ。プロレスに金を出すという金持ちはいた。
    ――北関東グループはどれくらい出してたんですか?
    髙田 谷津が直接もらっていたのがいくらあったのかは知らないけど、チケットだけのやりとりだけで……軽く4桁はいってるんじゃないですか。
    ――はっはー(笑)。
    髙田 だって300万円分くらいをまとめて買ってもらったことが2〜3回はありましたしね。あんまり急にお願いしたもんだから1000円札や5000円札がごちゃ混ぜになって渡されたときもありましたよ。北関東の会長は本当は大変だったと思います。
    ――ところで高田さんから見て谷津さんはどんな方でした?
    髙田 谷津は「私は強いんだ」って胸を張らないんですよ。レスリングでは連戦連勝、日本では敵がいなかったし、日本がモスクワ五輪を棄権しなければ、間違いなくメダルを獲れたと言われてましたけど、谷津本人は「いやあ、やってみないとわからないですよ。巡りが良かっただけだ」って強がらない。ただ、社会人としての感性が一般人と違うから(笑)。
    ――社会人プロレスをやってるのに(笑)。
    髙田 金銭感覚も違うというか。よく打ち合わせでメシを食いにいったんですけど。谷津は支払いをまったく気にとめない人でしたね。
    ――清々しいごっつあん体質というか(笑)。
    髙田 当時の谷津嘉章のイメージって、SWSの一流レスラーですよ。いくらやめたとはいえお金を持ってると思ってたんだけど……余談だけど、WJのときに仲良くなった長州力はそういうことが1回もなかったですよ。リキちゃんは他人にご馳走になるのが嫌いだから。しがらみで飲ませ食わせしてもらって義理を作るのがイヤだったんじゃないのかなあ。リキちゃんは自分の金で自分の行きたい場所で自分のペースで飲みたい人間。
    ――そうやってだんだん谷津さんと溝ができてきたんですね。
    髙田 そもそも私はだSPWFからは給料をもらってなかったんですから
    ――え? そうだったんですか。
    髙田 でも、事務局長という立場をしっかりやるために勤め先をやめたんです。そうしたら谷津は「働きながらやるのが社会人プロレスなのに勝手に会社をやめちゃって」とか文句を言っていたみたいで。
    ――ちょっと酷いですね(笑)。
    髙田 朝9時にタイムカードを押して夜6時まで働いて、それからどうやって営業をやるの?っていう話なんですけど。
    ――それで髙田さんはSPWFをやめるんですね。
    髙田 というか、谷津自身がSPWFと距離を取り始めましたからね。社会人プロレスという新しいシステムの団体をやり始めたのに、自分は新日本に出ることになったでしょ。そうなると、やる気のある人間からすれば、続ける意味がない。選手たちもやめだしたんです。
    ――谷津さんは新日本の平成維震軍vs昭和維新軍の対抗戦に駆りだされましたね。
    髙田 そのときの細かい話は私が新日本と交渉したんだけど。倍賞鉄男さんと永島(勝司)と会ったんだけど、永島の態度がでかくてね。
    ――偉そうな永島さんの姿が目の浮かびますね(笑)。
    髙田 永島は「社会人プロレスなんてややこしい物をつくりやがって。働きながらプロレスなんかできるか」とか言うんだよね。私もカチンときちゃって「働きながらとおっしゃいますけど、みんな働きながらやりたいわけじゃないんです。ボクシングだって日本チャンピオンクラスでも仕事を持ってます。仕事を一生懸命しながらプロレスをやってることは大したもんです」って言ってやったんだよね。永島は黙っちゃった。
    ――押し黙っちゃう姿も目に浮かびますね(笑)。
    髙田 「ウチの団体じゃないけど、アマレス出身で茂木正淑という男がW☆INGにいるんですが、彼はサンヨー電機の管理職です。有休をうまくつかって巡業に参加して月曜日には何事もなかったように出勤するんです。そこまで自分をマネジメントしてできる選手はメジャーにはいるんですか?」と。永島は茂木という名前にピンときたのかな。当時ライガーがジュニアのベルトを持ってる選手を集めてトーナメントをやろうとしてたでしょ。
    ――「J−cap」ですね。
    髙田 茂木もチャンピオンだったんですけど、新日本はW☆INGとは絡まないという決まりがあったらしくて。そこで私は「茂木がW☆INGをやめたら新日本で使ってもらえるんですか?」と聞いたらOKだと。それでW☆ING代表の茨木さんに会って「はなはだ失礼な話だけど、茂木という選手の将来を考えたらW☆INGを退団させて……」という話をしたんです。当然「ふざけんな、バカヤロー!」と怒鳴られる覚悟だったんだけど、茨木さんはあっさりと「はい、わかりました」と言ってくれてね。それで茂木はSPに移籍して新日本に出ることになったんです。だから茂木は「私を新日本に上げてくれたのは谷津さんじゃなくて高田さん」という気持ちが強かったみたいで。私に続いて茂木もSPもやめちゃったんだよね。それで「ほかのみんなもSPをやめたがってる。高田さん、ちょっと苦労してくださいよ」と。
    ――新しい団体をやってくれ、と。
    髙田 でも、お金もかかるし、無理だって話じゃないですか。それでSPをやめるにあたって挨拶しないといけない人もいますよね。一番知らんぷりしちゃまずいのは北関東グループの会長。私はいつもお金をもらいに行ってから「やめることになりました」って電話したんです。会いに行けば私も人間だから「谷津のやり方が……」とか口にしちゃいそうだからさ。そうしたら「いったいどうしたんですか?電話はなんだから一度出てきてください」と。そう言われたら断れないですよね。いつもお金を引っ張ってるのは私だから(笑)。
    ――会いに行くしかないと。
    髙田 団体の内部事情はグジュグジュ言わなかったんだけど、いろんな話をしたときに会長はこう言ったんですよ。「高田さん、やり残した夢はないんですか」と。最初は谷津に言われてSPに関わったけど、2部リーグ、3部リーグのみんなに夢を与えてしまったのは私だし。やり残したことがあるかと言われればありますよ、と。会長は「私は事業家の端くれとして、高田さんのような右腕がやめるというのは大抵トップに問題があるんですよ。私は谷津さんと高田さんだったら高田さんのほうが好きなんですよ。高田さんは団体を作ることはできないんですか?いくらかかるんですか?」と聞くから、道場やリングの初期経費、月々のランニングコストをざっと伝えたら「私、出しますよ」と。
    ――凄いなあ。
    髙田 ハンパな金額じゃないよ。家賃、電気ガス水道、ちゃんこ代、これだけで月100万。北関東グループには不動産部もあるから、数日後には熊谷で物件を見つけてきてくれたんです。80坪の道場。
    ――のちにWJにも関わりますし、そこまでお金を出すって会長はプロレスが大好きだったんですかね。
    髙田 好きだった。でも、口出しはしなかったです。ニコニコしながら試合を見て、選手たちにメシを食わせて。会長は「夢にかける」ことが好きなんですよ。
    ――だから団体名にも夢が入ってるんですか?
    髙田 あれは私が勝手に考えただけですけど(笑)。この続きと、謙吾、夢ファクの真実、天龍引退、高岩×田山、金原弘光インタビュー、中井祐樹日記などが読めるお得な「9万字詰め合わせセット」はコチラ