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記事 31件
  • 【14万字・詰め合わせセット】近藤有己、馳浩、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコ…

    2017-11-30 23:59  
    550pt
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    part46
    ◎不動心のミステリーワールド! 近藤有己「最近ですよ、他団体とけっこう違うんだなってわかったのは…」

    ◎金原弘光、重病で緊急入院!! 「高山くんはもっと大変。またリングに立てるように頑張るよ」
    ◎「10代に格闘技はカッコイイって思わせたい!」 アベマ格闘技対談〜北野雄司×大沢ケンジ〜

    ◎ベラトールヘビー級GP開催に向けて日本の皆さんへ/ベラトール代表スコット・コーカー
    ◎旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ◎現役アイドルが参戦! 仮面女子・川村虹花のMMAデビューの裏側/佐伯繁DEEP代表
    ◎パンクラス24年間のすべてを知る男・坂本靖「ああ、このまま倒産するのか……と思ったときもありますよ」
    ◎「頑張ってる奴を出せ!」問題の処方箋■橋本宗洋
    ◎ファイターに「もう引退したほうがいい」と伝えるべき瞬間…■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク
    ◎仮面女子・川村虹花インタビュー「1回やって終わりじゃないです。総合格闘家としてホントに強くなりたい!!」
    ◎五味隆典vs矢地祐介騒動とは何か?■事情通Zの「プロレス 点と線」
    ◎「MMAファイター、藤田大和です!」…衝撃のRIZIN那須川天心戦を語る
    ◎【KNOCKOUT金原正徳戦】不可思インタビュー「キックボクサーが負けたらシャレにならない」
    ◎日本格闘技よ、世界に追いつけ!――特性を活かすJapan Way確立へ■中井祐樹
    ◎藤田和之…こんなプロレスラーはもう2度、現れないだろう。だからプロレスで燃え尽きて欲しい
    ◎ズンドコ・トラブル興行研究会

    私説・力道山対木村政彦

    ヨン様参戦!? 誰もルールがわからなかったアルティメットロワイヤル

     
    ◎アメプロインディ通信「フリーバーズ」

    アメリカ第3の団体ROHとは何か
    ◎オマスキファイトのMMA Unleashed

    ・ローズ・ナマユナスはかく戦えり:興奮のUFC 217 試合後情報まとめ

    ・デイナ・ホワイト発言集「もしUFCを辞めたら、1つやってみたいことがあるんだ」

    ・コナー・マクレガーなら何をやっても許されるのか! ベラトール乱入

    ・海外メディアに見るクリス・ジェリコ新日本電撃参戦の舞台裏

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    90年代のパンクラス黎明期から活躍、対バーリトゥード路線では切り札的存在感を示し、MMAに完全シフトしたいまなおパンクラス上がり続けるレジェンドパンクラシスト、近藤有己が登場! プロデビュー以来ロングインタビューを受けている印象がない近藤だが、その不動心に迫れば迫るほど……17000字で不動心のミステリーワールドに誘います! <関連記事>
    【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」 
    元パンクラス代表・尾崎允実「前田日明とも仲は良かったんですよ」
    KEI山宮インタビュー――パンクラシストの憧れと死を見つめて
    謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」
    安生洋二の前田日明襲撃事件〜カミプロとFAKE〜
    初代シューターにしてパンクラシスト!山田学の無謀な大冒険
    “あのとき”のパンクラス、プロレス団体の匂いがした時代……伊藤崇文インタビュー
    格闘技という名の青春、完結編―― 「ミノワマン、家族と共に故郷パンクラスに帰る」の巻!!
    ――近藤さんってSNSをやらないですよね。

    近藤 SNSってなんのことかわからないんですよね。

    ――「ネットはあまり好きじゃない」って過去のインタビューで答えてますけど。

    近藤 好きじゃないってわけじゃないですけど、やり方がわからないです。

    ――Facebookには近藤さんのページがありますけど、どなたかにやってもらってるんですか?

    近藤 …………。

    ――あるんですよ!(笑)。

    近藤 よくわからないんですよねぇ。

    ――よくわからないといえば、リングネームを近藤有己から「有己空」に改名されて、また近藤有己に戻したじゃないですか。あれはいったいなんだったんですか?

    近藤 あれはね、ふと思ったんですよ(笑)。ああいいうのって自分の中で盛り上がるけど、寝て起きたら「……バカじゃないの?」って覚めるじゃないですか。でも、「……これはいいんじゃないか。よし、変えよう!」って。

    ――一晩経ってもナイスアイデアだと。あの「空」はどこから来たんですか?

    近藤 空が好きだし……空っぽという発想が好きなんですよ。

    ――あ、なるほど、空っぽと空。

    近藤 そういうイメージが好きなんですよ。「何もない」「何も持っていない」自分が好きだった。

    ――AV女優っぽい名前だなって思ったんですよ。

    近藤 ああ、そうですか。蒼井そらね(笑)。

    ――近藤有己で定着してましたから、改名は周囲に反対されませんでした?

    近藤 反対されなかったですね。皆さん、ボクの性格がわかってるから「そうですか」ってすんなり通って。また戻すときも「そうですか」って感じで。

    ――なるほど(笑)。なぜまた元に戻したんですか?

    近藤 あれはね、「……戻そうかなあ」って。

    ――理由はあるんですか?

    近藤 それが理由はないんですよねぇ。ふと「やっぱり近藤有己だろ!」って。

    ――やっぱり有己だろうと(笑)。近藤さんはひっそり100試合目を突破してるんですよね。

    近藤 100戦いってるらしいんですね。

    ――らしい? 

    近藤 こないだ、なんか聞いたんですよ。100試合を超えてるって。

    ――「こないだなんか聞いた」(笑)。ご自分ではあんまり気にしてないんですか? 100試合目って大きな節目ですけど。

    近藤 うーん、気にしてましたけどね。特別数えてなかったというか……数えてもすぐ忘れちゃうし。

    ――忘れちゃうってどういうことですか?

    近藤 頭がバカなんでしょう。頭は悪いですね。 

    ――そういう問題なんですかね?(笑)。

    近藤 「いま何戦だったけ? そんなにやってんだー!」 ……「で、いま何戦だったけ?」みたいな繰り返しで。

    ――普通はメモリアルマッチをやったりしますよね。

    近藤 うーん、そういうメモリアルマッチみたいなのがあればね、それはそれでやりますし。自分から「メモリアルマッチをやろう!」とは思わないですね。まだ100戦目ぐらいじゃメモリアルにはならないよ。

    ――えっ!?

    近藤 1000でやっとかなって。

    ――MMAだと1000試合は超難しいと思うんですけど(笑)。

    近藤 うーん……でも、やっぱりそこ目指してやっていきたいですね。

    ――いまの話を聞いて思ったのは、近藤さんって昔からブレてないですね。

    近藤 そうですか?

    ――たとえばいまから10数年前、PRIDEミドル級GPに出るか出ないかという時期のインタビューだと、「どんな小さい大会でも出たい」「試合はもちろん勝つためにやるけども負けてもあんまり気にしない」みたいなことをおっしゃってたんですよ。いまの近藤さんって勝っても負けても淡々とリングに上がり続けてますよね。

    近藤 負けたら多少は気にしますけどね(笑)。

    ――あまりにも淡々と試合をこなしてるから「近藤有己は何を考えてるんだろう?」って思っちゃうですよ。

    近藤 たぶん他人よりはあまり気にしないほうなのかもしれないですね。気にしないというか、「負けたなー、残念だなー」で終わってるのかもしれないです。うん。あれですね、あんまり引きずらないほうなんですよ。

    ――すぐリセットできるというか。

    近藤 やっぱり、忘れっぽいんでしょうね。

    ――「あれ?100試合目だっけ?」みたいな(笑)。昔からそんな感じですか?

    近藤 フフフ、けっこう子供のときからそうですね。忘れ物の天才でしたからね。絶対忘れ物する子供いるじゃないですか。

    ――いますね、何度注意されても。

    近藤 気をつけてはいるんですけどね。

    ――それは格闘技ではいい面に作用しているということですか?

    近藤 フフフ、してるのかな……悪い面にも作用していると思いますけどね。

    ――負けてけっこうショックを受けたり、引退を決めたり、試合から遠ざかる選手もいるじゃないですか。

    近藤 いますよね。

    ――そういう選手をご覧になってどう思いますか?

    近藤 「そんなにそんな風に思いつめることないのにな……」って。ダメならダメでやり続けるのもひとつの手なんじゃないかなとは思うんですね。

    ――近藤さんの中で引きずった負けってありますか?

    近藤 まぁ、ないですね(即答)。

    ――早っ! もうちょっと考えてもらえないんですか?(笑)。

    近藤 うーん、ないんですよね、そういえば。ないですね。ないですけど、やっぱりね、それこそ去年3連敗したんですよ。けっこう周りが心配してくれて。

    ――ファンも「どうするんだろう?」と思ったはずなんですよ。

    近藤 けっこう声をかけてくれて、それは凄くうれしかったですね。自分の中にグッとと入ってきて「がんばろう!」と思ったし。それでいまちゃんとがんばれてるんじゃないかなと、格闘技に対して。なんとなく「やれんじゃないかな?」という感じでやってたわけではないですけど、ちゃんとやりたいなっていう風にいまは思ってます。

    ――ここにきて気をまた引き締まったわけですね。

    近藤 うん、引き締めさせてもらえた気がしますね。真剣に格闘技ってやればやるほど面白いんだなっていうか。間違いなく、いままでよりも「格闘技が本当に好きだ」って言えますね。

    ――なんとなく近藤さんの性格がつかめてきました……。あまりしゃべらない方と聞いてたんですけど。

    近藤 そういうわけではないですけどね(笑)。

    ――今日はパンクラスに入った頃の話も伺いたいんですけど、もともとは少林寺拳法ですよね?

    近藤 そうですね。いわゆる総合格闘技的な世界に入りたくて、なんかやっとかなきゃっていう思いで始めたのが少林寺拳法で。当時ボクが一番総合格闘技だな、なんでもありの戦いだなって思えたのがプロレスだったんですね。

    ――プロレスラーになりたかったんですね。

    近藤 そうですね。新日本プロレスが好きだったんです。

    ――誰が好きだったんですか?

    近藤 俺ね、獣神サンダーライガー。佐野(巧真、当時・直樹)選手とのタイトルマッチを見て、俺はプロレスラーになろうと思いました。

    ――当時のプロレスは冬の時代と言われて、あんまり目立ってなかったですよね

    近藤 たしかウチの田舎では土曜4時から放送だったのかなあ。もっと子供の頃、タイガーマスクがいたころも「あー、いいな」とは思ってたんですけど、ちゃんと見て面白いと思うようになったのは、ライガーが出てきたぐらいの頃で。あとジャッキー・チェンが好きだったんですね。でも、ジャッキー・チェンは結局お芝居の中の世界なので、本当に戦う人間になりたいなって。かといって、路上で戦ったら法に触れるしなって。そこで一番なんでもありというか、自分にとって一番MMAだったのはプロレスだったんです。

    ――それでプロレスラーを目指そうと。

    近藤 プロレスラーになりたいと思っていろいろ調べるじゃないですか。たいていのプロレスラーは高校時代にレスリングや柔道をやってるんですよ。自分の高校はレスリング部はなくて、柔道部はあったんですけど、少林寺拳法部もあったんです。

    ――珍しいですね。

    近藤 少林寺拳法部がある高校は県内に4~5校しかないんで、すぐに全国大会に行けるし、毎年のように誰かが全国大会に出るから修学旅行の感じでついていって。

    ――ジャッキー・チェンに憧れていたなら、柔道より少林寺拳法を選びそうですね。

    近藤 ですかね。子供の頃にもやってたんですよ、少林寺拳法。

    ――もともとやってたんですね。ルールってどういったものなんですか?

    近藤 ルールっていうか、試合がないんですよ。演武大会なんですよ。

    ――型なんですか?

    近藤 型というか……型とはまた違うんだけど、戦いを2人1組で作るんですよ。少林寺の技をいろいろ入れて、うまく攻防を見せるというか。

    ――へえー、面白そうですね。

    近藤 話はそれますけど、女の子の部員もいっぱいいるんですよ。いかつい女子じゃないんですよね、本当にかわいい女子というか。練習も一緒にやるんですけど、手首を極める練習も男女同士でやったりするんですけど。ちょうど思春期なんで、その、なんだろな……手を極めながら「この子、手首が柔らかいな……」とか「いい匂いがするな……」とか。

    ――少林寺拳法どころではない(笑)。

    近藤 本当に楽しくてしょうがなかったです。

    ――演舞だと強さを競うって感じではないですね。

    近藤 ないんですけど、体捌きさとか、フットワークとか腰の回転だったりとか、動きが凄く理にかなってるんです。凄くためになりました。

    ――ずっと型を繰り返すことで身につくわけですね。卒業後はパンクラスに入るわけですよね。

    近藤 ですね。

    ――パンクラスは従来のプロレスとは異なってましたけど。

    近藤 プロレスラーになると決めて、いろんな団体を見てくじゃないですか。より妥協のないスタイルでやりたいと思うようになって、新日本からUWFのほうに興味が移って。UWFで船木(誠勝)さんが高田(延彦)さんたちに勝った試合を見て「このスタイルでもこんなにカッコよくなれるんだ! カッコよく試合ができるんだ!!」と感動して。このスタイルを俺はやりたい、UWFに入りたいと思ったんですよね。

    ――でも、新生UWFは解散しちゃいますよね。

    近藤 ボクが中学3年のときに解散したのかな。藤原組に入るつもりだったんですけど、高校3年のときですね、パンクラスができて。卒業するときだからタイミングはよかったんですよ。

    ――同じU系のUインターやリングスには興味はなかったんですか?

    近藤 やっぱり船木さんが好きだったので。とにかくあの人のところでやりたいと。

    ――入門テストのことって覚えてますか?

    近藤 7月23日だったかな。そのときは落ちたんです。2回目のテストが3月29日か30日だったか。そこで受かりました。

    ――そこで受からなかったらどうする気だったんですか?

    近藤 そしたらまた3回目のテストを受けるつもりですね。

    ――親御さんは反対しなかったんですか?

    近藤 反対しました。ずっと反対されてたんですけど、もう言っても聞かないからあきらめてました。中学3年頃から将来の話とかになるじゃないですか。「プロレスラーになりたい」って言ったら「何を言ってるんだコイツ」みたいな感じで。最終的に専門学校に出したつもりで「行ってこい」と。人生勉強になるんじゃないかみたいなふうに思い始めてたみたいですね。

    ――入門テストに受かると思ってましたか?

    近藤 あー、難しいなとは思ってました。厳しいだろうなって。とにかく狭き門だろうし。

    ――練習生の生活はどういうものだったんですか?

    近藤 朝起きて掃除雑用やって練習して、終わるとまた雑用して、また練習して、寝るだけですね。そうするとあっという間なんですよね。さっき寝たと思ったのにもう朝なんですね。

    ――道場の敷地内のスーパーハウスに寝泊まりするんですよね。

    近藤 そうです、そうです。よく工事現場に簡易的に置くやつですね。意外と快適なんですよ、あれ。でも、生活自体は本当につらかったんですよね。

    ――やめようとは思いませんでしたか?

    近藤 ちょっとでも思ったら「俺、やめちゃうだろうな」って。ホームシックもあったし、練習しんどいし、自分の時間もなかったし、本当つらかったですねぇ。ちょっとでもやめたいなって思ったら俺たぶんやめちゃうだろうなって思ったんで、考えないようにしました。「やめる」という単語を頭の中に出さないようにしました。

    ――やっぱり先輩方は怖かったですか?

    近藤 怖かったですね。

    ――誰が一番怖かったですか?

    近藤 みんな怖かったです(笑)。

    ――船木さん、鈴木さん、高橋さんの3人が揃ってるんですもんね(笑)。伊藤(崇文)さんが「道場の雰囲気自体がイヤだ」って言ってましたね。

    近藤 わかります、わかります。

    ――威圧感なんですかね?

    近藤 威圧感ですね。威圧してるわけじゃないんですよ、船木さんにしろ鈴木さんにしろ高橋さんにしろ、威圧したつもりはたぶんないんですよ。ないけど、にじみ出るというか、こっちが勝手に感じてしまうのか。

    ――いまの格闘技ジムって一般人が月謝を払って通ってますから、優しく丁寧に教えるじゃないですか。当時は育てるというより、厳しい練習でふるいにかけるという感覚ですよね。

    近藤 それでもパンクラスを旗揚げして選手を育てなきゃっていう思いはあったと思うんですよ。それこそUWFや藤原組の頃よりも、ちゃんと育てようという思いがあったような気がするんですよね。

    ――パンクラス以前はシゴキやイタズラがハンパじゃなかったみたいですし。

    近藤 自分らのときもあるにはあったんですけど。理不尽に怒られるとか、そういうことはなかったですね。

    ――プロレス道場って理不尽に怒られる、殴られるのはあたりまえの時代で。

    近藤 そういうことも覚悟していったんですけど、ちゃんと怒られて、ちゃんと厳しくされるというか。そこはちゃんとした大人たちだったなと思うんですよ。当時船木さんにしろ鈴木さんにしろ高橋さんにしろ、まだ若かったわけですから。

    ――育成方針もあったからなのか、パンクラスの練習生からプロデビューした選手は多いですよね。

    近藤 そうですね。意外と残ってたんじゃないかな。

    ――あの頃って船木さんや山田(学)さんが映画にハマって自主制作作品を撮ってましたけど、近藤さんも出演されてましたか?

    近藤 出てましたね。

    ――近藤さんの主演作品もあったという話も聞きましたけど。

    近藤 主演は1回ですね。4〜5本撮ったんじゃないですかね。

    ――脚本も用意されてなくて演者もどんな作品を撮っているのかわからなかったとか(笑)。

    近藤 あぁ、そんな感じですね。急に「これ、やって」みたいな感じで。できあがったあとで「おー、なるほど」と。

    ――鑑賞会もやられてたんですね。

    近藤 鑑賞会はありましたよ。船木さんが編集して、映写機みたいなの持ってきて、スーパーハウスの中で見て。

    ――スーパーハウスで鑑賞会(笑)。

    近藤 全員は入れないんで、何人かに分かれて(笑)。出来栄えは悪くなかったです。うまいこと編集するなって思いましたね。

     
  • 金原弘光、重病で緊急入院!! 「高山くんはもっと大変。またリングに立てるように頑張るよ」

    2017-11-25 18:49  
    66pt
    金原弘光、重病で緊急入院!! 入院1ヵ月以上も寝たきりの状態で自力歩行もままならなかったそうですが、痛みがちょっと落ち着いてきたところで金原さん本人を取材してきました。頑張れ金ちゃん!「手術すれば二度と格闘技やプロレスはできないと言われたんだよ」「自分がこうやって病気をするつらさがわかるから、いまの高山くんのことがよけいにね……」――金原さん、入院生活おつかれさまです。
    金原 まいっちゃったよ〜。9月20日から1ヵ月半近くだから。
    ――まだかかるんですか?
    金原 お医者さんによれば、年内に退院できれば……という感じらしいんだけど。
    ――最低でも2ヵ月は入院。思った以上に重症なんですね……。
    金原 最初は「なんだかんだ2週間くらいで退院できるかな〜」なんて考えてたんだよ。でも、そんな簡単な病気じゃないみたいで。
    ――どんな病気なんですか?
    金原 化膿性脊椎炎、感染性心内膜炎。
    ――あまり聞いたことのない病名ですね。
    金原 10万人に1人とかのレベルの病気みたい。歯周病菌が血流に入って、最初は心臓の弁について、そこから全身に周ってね。そのばい菌が原因で脳梗塞を起こしたり、敗血症になって亡くなっちゃうケースがあるんだって。医者から「このまま死んでしまう病気ですよ」って言われてね。
    ――危なかったんですねぇ。
    金原 うん。そのまま死んでしまっていたかもしれないしし、心臓の弁についたばい菌がもっと大きかったら、手術して人工弁に変えないといけなかったみたい。俺の場合はその菌が脊椎に感染したんで、腰に痛みが出たんだよね。最初に腰に症状が出たのが不幸中の幸いだったんだよ。
    ――脳や他の器官に感染する前に。
    金原 とくに具合は悪くなかったんだけど、ある日、突然ぎっくり腰になったかのと思ってさ。もう凄く痛いんだよ。ギックリ腰の経験はあるけど、こんな痛いことはなかった。でも、自分の周りで重いギックリ腰で2週間くらい寝たきりになった人がいたから。
    ――重度のギックリ腰なんじゃないか、と。
    金原 そうそう。あまりにも痛くて寒気もしてきたから「これはヤバイな……」ってことで救急車を呼んだんだよ。そうしたら熱は38度もあったし、「これはギックリ腰じゃないですよ」と。そのときは「まあ薬を飲めばすぐに治るだろう」と思って検査をしたら……。
    ――化膿性脊椎炎、感染性心内膜炎だった。
    金原 ずっと激痛。ばい菌が腰の骨が溶かしてるんだけど、骨膜には神経が集まってるから痛みが発生するんだよね。寝返りも打てないほど痛くて、5週間ずっと天井を見る生活。
    ――天井を見つめたまま痛みをこらえて。
    金原 ホントつらいんだよ。突然発作が起きるように痛みが出てきて、全身が強張ってね。あの痛さはプロレスでも感じたことがない。「うわ〜〜〜!!」って絶叫してベッドの上のパイプを掴みながら堪えるんだけど、痛くて痛くて涙も出てくるんだよ……。――プロレスラーでもガマンできないほどの痛みですか……。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 不動心のミステリーワールド! 近藤有己「最近ですよ、他団体とけっこう違うんだなってわかったのは…」

    2017-11-25 18:48  
    110pt
    90年代のパンクラス黎明期から活躍、対バーリトゥード路線では切り札的存在感を示し、MMAに完全シフトしたいまなおパンクラス上がり続けるレジェンドパンクラシスト、近藤有己が登場! プロデビュー以来ロングインタビューを受けている印象がない近藤だが、その不動心に迫れば迫るほど……17000字で不動心のミステリーワールドに誘います! <関連記事>
    【検証「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」 
    元パンクラス代表・尾崎允実「前田日明とも仲は良かったんですよ」
    KEI山宮インタビュー――パンクラシストの憧れと死を見つめて
    謙吾「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」
    安生洋二の前田日明襲撃事件〜カミプロとFAKE〜
    初代シューターにしてパンクラシスト!山田学の無謀な大冒険
    “あのとき”のパンクラス、プロレス団体の匂いがした時代……伊藤崇文インタビュー
    格闘技という名の青春、完結編―― 「ミノワマン、家族と共に故郷パンクラスに帰る」の巻!!
    ――近藤さんってSNSをやらないですよね。
    近藤 SNSってなんのことかわからないんですよね。
    ――「ネットはあまり好きじゃない」って過去のインタビューで答えてますけど。
    近藤 好きじゃないってわけじゃないですけど、やり方がわからないです。
    ――Facebookには近藤さんのページがありますけど、どなたかにやってもらってるんですか?
    近藤 …………。
    ――あるんですよ!(笑)。
    近藤 よくわからないんですよねぇ。
    ――よくわからないといえば、リングネームを近藤有己から「有己空」に改名されて、また近藤有己に戻したじゃないですか。あれはいったいなんだったんですか?
    近藤 あれはね、ふと思ったんですよ(笑)。ああいいうのって自分の中で盛り上がるけど、寝て起きたら「……バカじゃないの?」って覚めるじゃないですか。でも、「……これはいいんじゃないか。よし、変えよう!」って。
    ――一晩経ってもナイスアイデアだと。あの「空」はどこから来たんですか?
    近藤 空が好きだし……空っぽという発想が好きなんですよ。
    ――あ、なるほど、空っぽと空。
    近藤 そういうイメージが好きなんですよ。「何もない」「何も持っていない」自分が好きだった。
    ――AV女優っぽい名前だなって思ったんですよ。
    近藤 ああ、そうですか。蒼井そらね(笑)。
    ――近藤有己で定着してましたから、改名は周囲に反対されませんでした?
    近藤 反対されなかったですね。皆さん、ボクの性格がわかってるから「そうですか」ってすんなり通って。また戻すときも「そうですか」って感じで。
    ――なるほど(笑)。なぜまた元に戻したんですか?
    近藤 あれはね、「……戻そうかなあ」って。
    ――理由はあるんですか?
    近藤 それが理由はないんですよねぇ。ふと「やっぱり近藤有己だろ!」って。
    ――やっぱり有己だろうと(笑)。近藤さんはひっそり100試合目を突破してるんですよね。
    近藤 100戦いってるらしいんですね。
    ――らしい? 
    近藤 こないだ、なんか聞いたんですよ。100試合を超えてるって。
    ――「こないだなんか聞いた」(笑)。ご自分ではあんまり気にしてないんですか? 100試合目って大きな節目ですけど。
    近藤 うーん、気にしてましたけどね。特別数えてなかったというか……数えてもすぐ忘れちゃうし。
    ――忘れちゃうってどういうことですか?
    近藤 頭がバカなんでしょう。頭は悪いですね。 
    ――そういう問題なんですかね?(笑)。
    近藤 「いま何戦だったけ? そんなにやってんだー!」 ……「で、いま何戦だったけ?」みたいな繰り返しで。
    ――普通はメモリアルマッチをやったりしますよね。
    近藤 うーん、そういうメモリアルマッチみたいなのがあればね、それはそれでやりますし。自分から「メモリアルマッチをやろう!」とは思わないですね。まだ100戦目ぐらいじゃメモリアルにはならないよ。
    ――えっ!?
    近藤 1000でやっとかなって。
    ――MMAだと1000試合は超難しいと思うんですけど(笑)。
    近藤 うーん……でも、やっぱりそこ目指してやっていきたいですね。
    ――いまの話を聞いて思ったのは、近藤さんって昔からブレてないですね。
    近藤 そうですか?
    ――たとえばいまから10数年前、PRIDEミドル級GPに出るか出ないかという時期のインタビューだと、「どんな小さい大会でも出たい」「試合はもちろん勝つためにやるけども負けてもあんまり気にしない」みたいなことをおっしゃってたんですよ。いまの近藤さんって勝っても負けても淡々とリングに上がり続けてますよね。
    近藤 負けたら多少は気にしますけどね(笑)。
    ――あまりにも淡々と試合をこなしてるから「近藤有己は何を考えてるんだろう?」って思っちゃうですよ。
    近藤 たぶん他人よりはあまり気にしないほうなのかもしれないですね。気にしないというか、「負けたなー、残念だなー」で終わってるのかもしれないです。うん。あれですね、あんまり引きずらないほうなんですよ。
    ――すぐリセットできるというか。
    近藤 やっぱり、忘れっぽいんでしょうね。
    ――「あれ?100試合目だっけ?」みたいな(笑)。昔からそんな感じですか?
    近藤 フフフ、けっこう子供のときからそうですね。忘れ物の天才でしたからね。絶対忘れ物する子供いるじゃないですか。
    ――いますね、何度注意されても。
    近藤 気をつけてはいるんですけどね。
    ――それは格闘技ではいい面に作用しているということですか?
    近藤 フフフ、してるのかな……悪い面にも作用していると思いますけどね。
    ――負けてけっこうショックを受けたり、引退を決めたり、試合から遠ざかる選手もいるじゃないですか。
    近藤 いますよね。
    ――そういう選手をご覧になってどう思いますか?
    近藤 「そんなにそんな風に思いつめることないのにな……」って。ダメならダメでやり続けるのもひとつの手なんじゃないかなとは思うんですね。
    ――近藤さんの中で引きずった負けってありますか?
    近藤 まぁ、ないですね(即答)。
    ――早っ! もうちょっと考えてもらえないんですか?(笑)。
    近藤 うーん、ないんですよね、そういえば。ないですね。ないですけど、やっぱりね、それこそ去年3連敗したんですよ。けっこう周りが心配してくれて。
    ――ファンも「どうするんだろう?」と思ったはずなんですよ。
    近藤 けっこう声をかけてくれて、それは凄くうれしかったですね。自分の中にグッとと入ってきて「がんばろう!」と思ったし。それでいまちゃんとがんばれてるんじゃないかなと、格闘技に対して。なんとなく「やれんじゃないかな?」という感じでやってたわけではないですけど、ちゃんとやりたいなっていう風にいまは思ってます。
    ――ここにきて気をまた引き締まったわけですね。
    近藤 うん、引き締めさせてもらえた気がしますね。真剣に格闘技ってやればやるほど面白いんだなっていうか。間違いなく、いままでよりも「格闘技が本当に好きだ」って言えますね。
    ――なんとなく近藤さんの性格がつかめてきました……。あまりしゃべらない方と聞いてたんですけど。
    近藤 そういうわけではないですけどね(笑)。
    ――今日はパンクラスに入った頃の話も伺いたいんですけど、もともとは少林寺拳法ですよね?
    近藤 そうですね。いわゆる総合格闘技的な世界に入りたくて、なんかやっとかなきゃっていう思いで始めたのが少林寺拳法で。当時ボクが一番総合格闘技だな、なんでもありの戦いだなって思えたのがプロレスだったんですね。
    ――プロレスラーになりたかったんですね。
    近藤 そうですね。新日本プロレスが好きだったんです。
    ――誰が好きだったんですか?
    近藤 俺ね、獣神サンダーライガー。佐野(巧真、当時・直樹)選手とのタイトルマッチを見て、俺はプロレスラーになろうと思いました。
    ――当時のプロレスは冬の時代と言われて、あんまり目立ってなかったですよね
    近藤 たしかウチの田舎では土曜4時から放送だったのかなあ。もっと子供の頃、タイガーマスクがいたころも「あー、いいな」とは思ってたんですけど、ちゃんと見て面白いと思うようになったのは、ライガーが出てきたぐらいの頃で。あとジャッキー・チェンが好きだったんですね。でも、ジャッキー・チェンは結局お芝居の中の世界なので、本当に戦う人間になりたいなって。かといって、路上で戦ったら法に触れるしなって。そこで一番なんでもありというか、自分にとって一番MMAだったのはプロレスだったんです。
    ――それでプロレスラーを目指そうと。
    近藤 プロレスラーになりたいと思っていろいろ調べるじゃないですか。たいていのプロレスラーは高校時代にレスリングや柔道をやってるんですよ。自分の高校はレスリング部はなくて、柔道部はあったんですけど、少林寺拳法部もあったんです。
    ――珍しいですね。
    近藤 少林寺拳法部がある高校は県内に4~5校しかないんで、すぐに全国大会に行けるし、毎年のように誰かが全国大会に出るから修学旅行の感じでついていって。
    ――ジャッキー・チェンに憧れていたなら、柔道より少林寺拳法を選びそうですね。
    近藤 ですかね。子供の頃にもやってたんですよ、少林寺拳法。
    ――もともとやってたんですね。ルールってどういったものなんですか?
    近藤 ルールっていうか、試合がないんですよ。演武大会なんですよ。
    ――型なんですか?
    近藤 型というか……型とはまた違うんだけど、戦いを2人1組で作るんですよ。少林寺の技をいろいろ入れて、うまく攻防を見せるというか。
    ――へえー、面白そうですね。
    近藤 話はそれますけど、女の子の部員もいっぱいいるんですよ。いかつい女子じゃないんですよね、本当にかわいい女子というか。練習も一緒にやるんですけど、手首を極める練習も男女同士でやったりするんですけど。ちょうど思春期なんで、その、なんだろな……手を極めながら「この子、手首が柔らかいな……」とか「いい匂いがするな……」とか。
    ――少林寺拳法どころではない(笑)。
    近藤 本当に楽しくてしょうがなかったです。
    ――演舞だと強さを競うって感じではないですね。
    近藤 ないんですけど、体捌きさとか、フットワークとか腰の回転だったりとか、動きが凄く理にかなってるんです。凄くためになりました。
    ――ずっと型を繰り返すことで身につくわけですね。卒業後はパンクラスに入るわけですよね。
    近藤 ですね。
    ――パンクラスは従来のプロレスとは異なってましたけど。
    近藤 プロレスラーになると決めて、いろんな団体を見てくじゃないですか。より妥協のないスタイルでやりたいと思うようになって、新日本からUWFのほうに興味が移って。UWFで船木(誠勝)さんが高田(延彦)さんたちに勝った試合を見て「このスタイルでもこんなにカッコよくなれるんだ! カッコよく試合ができるんだ!!」と感動して。このスタイルを俺はやりたい、UWFに入りたいと思ったんですよね。
    ――でも、新生UWFは解散しちゃいますよね。
    近藤 ボクが中学3年のときに解散したのかな。藤原組に入るつもりだったんですけど、高校3年のときですね、パンクラスができて。卒業するときだからタイミングはよかったんですよ。
    ――同じU系のUインターやリングスには興味はなかったんですか?
    近藤 やっぱり船木さんが好きだったので。とにかくあの人のところでやりたいと。
    ――入門テストのことって覚えてますか?
    近藤 7月23日だったかな。そのときは落ちたんです。2回目のテストが3月29日か30日だったか。そこで受かりました。
    ――そこで受からなかったらどうする気だったんですか?
    近藤 そしたらまた3回目のテストを受けるつもりですね。
    ――親御さんは反対しなかったんですか?
    近藤 反対しました。ずっと反対されてたんですけど、もう言っても聞かないからあきらめてました。中学3年頃から将来の話とかになるじゃないですか。「プロレスラーになりたい」って言ったら「何を言ってるんだコイツ」みたいな感じで。最終的に専門学校に出したつもりで「行ってこい」と。人生勉強になるんじゃないかみたいなふうに思い始めてたみたいですね。
    ――入門テストに受かると思ってましたか?
    近藤 あー、難しいなとは思ってました。厳しいだろうなって。とにかく狭き門だろうし。
    ――練習生の生活はどういうものだったんですか?
    近藤 朝起きて掃除雑用やって練習して、終わるとまた雑用して、また練習して、寝るだけですね。そうするとあっという間なんですよね。さっき寝たと思ったのにもう朝なんですね。
    ――道場の敷地内のスーパーハウスに寝泊まりするんですよね。
    近藤 そうです、そうです。よく工事現場に簡易的に置くやつですね。意外と快適なんですよ、あれ。でも、生活自体は本当につらかったんですよね。
    ――やめようとは思いませんでしたか?
    近藤 ちょっとでも思ったら「俺、やめちゃうだろうな」って。ホームシックもあったし、練習しんどいし、自分の時間もなかったし、本当つらかったですねぇ。ちょっとでもやめたいなって思ったら俺たぶんやめちゃうだろうなって思ったんで、考えないようにしました。「やめる」という単語を頭の中に出さないようにしました。
    ――やっぱり先輩方は怖かったですか?
    近藤 怖かったですね。
    ――誰が一番怖かったですか?
    近藤 みんな怖かったです(笑)。
    ――船木さん、鈴木さん、高橋さんの3人が揃ってるんですもんね(笑)。伊藤(崇文)さんが「道場の雰囲気自体がイヤだ」って言ってましたね。
    近藤 わかります、わかります。
    ――威圧感なんですかね?
    近藤 威圧感ですね。威圧してるわけじゃないんですよ、船木さんにしろ鈴木さんにしろ高橋さんにしろ、威圧したつもりはたぶんないんですよ。ないけど、にじみ出るというか、こっちが勝手に感じてしまうのか。
    ――いまの格闘技ジムって一般人が月謝を払って通ってますから、優しく丁寧に教えるじゃないですか。当時は育てるというより、厳しい練習でふるいにかけるという感覚ですよね。
    近藤 それでもパンクラスを旗揚げして選手を育てなきゃっていう思いはあったと思うんですよ。それこそUWFや藤原組の頃よりも、ちゃんと育てようという思いがあったような気がするんですよね。
    ――パンクラス以前はシゴキやイタズラがハンパじゃなかったみたいですし。
    近藤 自分らのときもあるにはあったんですけど。理不尽に怒られるとか、そういうことはなかったですね。
    ――プロレス道場って理不尽に怒られる、殴られるのはあたりまえの時代で。
    近藤 そういうことも覚悟していったんですけど、ちゃんと怒られて、ちゃんと厳しくされるというか。そこはちゃんとした大人たちだったなと思うんですよ。当時船木さんにしろ鈴木さんにしろ高橋さんにしろ、まだ若かったわけですから。
    ――育成方針もあったからなのか、パンクラスの練習生からプロデビューした選手は多いですよね。
    近藤 そうですね。意外と残ってたんじゃないかな。
    ――あの頃って船木さんや山田(学)さんが映画にハマって自主制作作品を撮ってましたけど、近藤さんも出演されてましたか?
    近藤 出てましたね。
    ――近藤さんの主演作品もあったという話も聞きましたけど。
    近藤 主演は1回ですね。4〜5本撮ったんじゃないですかね。
    ――脚本も用意されてなくて演者もどんな作品を撮っているのかわからなかったとか(笑)。
    近藤 あぁ、そんな感じですね。急に「これ、やって」みたいな感じで。できあがったあとで「おー、なるほど」と。
    ――鑑賞会もやられてたんですね。
    近藤 鑑賞会はありましたよ。船木さんが編集して、映写機みたいなの持ってきて、スーパーハウスの中で見て。
    ――スーパーハウスで鑑賞会(笑)。
    近藤 全員は入れないんで、何人かに分かれて(笑)。出来栄えは悪くなかったです。うまいこと編集するなって思いましたね。近藤有己17000字ロングインタビュー、不動心という名のミステリーワールドはまだまだ続く……この続きと、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-11-25 17:58  
    77pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「馳浩」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE <new!>暴走親方、諏・訪・魔!!嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生
    “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!
    全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信
    鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”
    高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――今回のテーマはプロレスのリングに11年振りに復帰した馳先生です!
    小佐野 復帰したのは「もりかけ問題」の大変なときで。武藤(敬司)は「馳先生が来たらブーイングが飛ぶんじゃないの? 大ヒールだよ」って笑ってたけどね(笑)。
    ――馳先生は議員活動で忙殺されてるとは思えない見事な肉体を披露しましたね
    小佐野 彼は本当にストイックなんですよ。朝3時頃に起きて新聞を読み、トレーニングをしてから事務所に出勤して、午後は新幹線で地元・金沢に行って、夜は東京に帰ってくる。そんな生活を毎日繰り返してるんですから。――心身ともにおかしくなりますよ!(笑)。プロレスラーから議員になった人はたくさんいますけど、雑巾がけから初めて大臣まで昇りつめたのは馳先生だけですよね。
    小佐野 馳は1995年に参議議員で当選した。あのときはタレント候補がけっこう多かったんだけど、政治家としての資質を問う声に対して馳は「タレントとは才能がある人のことを言うんです。もし私に知名度があるというのならば、これまでの肉体的な努力と精神的な努力を見ていただきたいし、知っていただきたい!」と反論したんですから(笑)。
    ――理論立ててくる感じが馳先生っぽいですね(笑)。
    小佐野 あの人は努力する自分が好きなんだろうね。一種のナルシスト的なところがあるんですけど。同い歳なんですよ、私は。
    ――あら(笑)。
    小佐野 1961年生まれの56歳。84年のロスオリンピックに出場して、85年8月に入ってきて。ジャパンの道場は6月にできたんですけど、あの頃は合宿所に個室があったんです。
    ――相部屋じゃなかったんですね。
    小佐野 1階が道場、2階が事務所、3階が合宿所でリビングがあってそれぞれの個室があった。そこに健介や新倉(史祐)くん(新倉記事はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar628895)の部屋もあったんだけど、馳の部屋に初めて入ったら短歌を詠んでいたんですよ。「何をしてるの?」「ちょっと短歌を……」って(笑)。
    ――もともと星稜高校の国語教師でしたもんね。
    小佐野 プロレスラーって試合を終えたら巡業でバスに乗って次の場所に……という生活だから、ちゃんと意識してないと自分がどこの土地にいるかもわからなくなっちゃう。だから新聞や本を読むことで世の中の動きを把握してたんでしょうね。
    ――しかし、なんでそんな人間がプロレスにやってきたんですかね(笑)。
    小佐野 あの人がジャパンに入ったときは契約金はゼロだったんですよ。
    ――えっ、オリンピックレスラーなのに。
    小佐野 「給料も教師時代と同じでいい」ってことで入団したんです。ジャパンもそんなにお金があったわけじゃないんですよね。道場の建物は竹田(勝司)会長のものだから。
    ――ジャパンのオーナーだった竹田会長。
    小佐野 長州力はあの当時イチから教えなきゃいけない新人は欲しくなかった。「結局一人前になるまでに何年かかって、いくら金がかかるんだ?」と。だったら1年2年でモノになる即戦力がいい。団体としてはお金は持ってなかったわけだし、ましてやあの頃は業務提携していた全日本プロレスから完全独立を狙っていたから。
    ――そこまでの余裕はなかったということですね。
    小佐野 新弟子として健介は取ったんですよね。ジャパンの新弟子1号は健介。あと山本(英俊)くんという新弟子がいて、彼もデビューしたんだけども身体を壊しちゃってやめてる。
    ――馳先生はそれなりの待遇を得られそうな全日本や新日本に入るという考えはなかったんですか?
    小佐野 そこは松浪(健四郎)先生の専修大学人脈からのジャパン入りだったんじゃないかな。あと馳はそこまで身体が大きくなかったんだよ。グレコローマンの90キロ級だったし、入門規定に満たなかったんだと思う。あの当時のプロレス界は狭き門で、誰でもなれるような世界じゃなかったから。
    ――オリンピックレスラーでも簡単にはまたげない。
    小佐野 本人もプロレスラーになりたかったから、契約金も求めず、星稜高校の教員時代と変わらない給料という条件だったんでしょう。
    ――エリートに見えますけど、そうではなかったですね。
    小佐野 それでも健介とは扱いが違ったとは言われるけどね。あの2人ではまず年齢が違うでしょ。高校を出たばかりの坊やと、オリンピックに出て高校の先生をやっていた人だから。
    ――違いが出て当然という。
    小佐野 一緒にするのは無理があるよね。健介は2ヵ月先に入ったから「馳!」って呼び捨てにして、「何がオリンピックだ!」って負けたくない気持ちが強かった。そこは馳が大人だったからケンカにならなかったんだけど、馳が健介のことを何も悪く言ってなかった。というのは「彼は何も持っていない」と。馳はいろんなものを持って入ってきたし、大人だから要領もいい。健介は何も持っていないし、要領も悪くてただガムシャラにやってる。その真剣さが馳には刺激になったみたいですね。
    ――大人の馳先生にとって健介は純粋に見えたんですね。
    小佐野 ジャパンに入門した馳は翌86年2月にプエルトリコでデビューするんだけど、海外遠征に出る前に馬場さんにいろいろと教わった。そのときはマスコミはシャットアウト。
    ――全日本所属じゃないのに馬場さんに?
    小佐野 馬場さんは全日本のリングに上がる選手ならば、頼まれれば全員に教えた。馳はジャパンの道場で基礎体力やプロレスの基本は習ったけど、海外でやっていくための所作や、ヒールのやり方を学んでいなかったから。
    ――ジャパンでは教えられる人は……
    小佐野 本質的なところを教えられる人はいなかった。
    ――マサ(斎藤)さんは、あのときはいなかったですもんね。
    小佐野 馬場さんは受けのプロレスなんだけど、この相手には何をやったらお客は喜ぶのかを考えさせるんですよ。馳は「お客の期待に応える馬場さん的なもの、いい意味でお客さんの期待に応えない猪木さん的ものを両方持ってますから」と言っていて。余談だけど、馬場さんは笹崎伸司にも教えたけど、笹崎は馬場さんに反発して大変なことになった。
    ――ファッ!? 馬場さんに反発ですか?
    小佐野 笹崎くんはのちにUインターの渉外をやることになるでしょ。Uインターのときはビリー・スコットやダン・スバーンらの外国人選手をUスタイルに変えて送り込んできた。彼らはもともとUスタイルじゃないんだから。
    ――魔改造したわけですね。そんな笹崎さんが馬場さんと衝突とするのもわからないでもないですけど……。
    小佐野 当時からUWFっぽい思考を持っていたから、アメリカンプロレス的なものは嫌がるよね。笹崎くんが反発したことは大問題になって、長州と永源(遥)さんが馬場さんに詫びを入れた。笹崎は1シリーズ休んだのかな。
    ――1シリーズで済みましたか(笑)。
    小佐野 話を戻すと、海外に出た馳が影響を受けたのは安達さん(ミスター・ヒト)。プエルトリコからカルガリーに移ったときにアメリカンプロレスのやり方を教わった。カルガリーではリッキー・フジと一緒に安達さんの家に住んでいてね。新倉くんは身体を壊して途中帰国したけど、笹崎くん、戸井マサル、途中からライガー、橋本真也もやってきて。
    ――みんな安達さんにお世話になったんですね。
    小佐野 馳は最初ベトコンエキプレスのマスクマンでヒールをやってたけど、途中で素顔になってヒロ・ハセとしてベビーフェイスもやった。彼は英語をしゃべれるからベビーでもトップになれたんです。
    ――さすが語学堪能!
    小佐野 プエルトリコにいたときも「日本の本を送ってください」って手紙が来た。適当にみつくろって送ったけど。
    ――そんな馳先生は長州が新日本にUターンしたこともあって帰国後は新日本参戦しましたが、どうもイマイチでしたよね。
    小佐野 そうなんだよねぇ。なんというか「小さい長州力」だった。長州力の弟子だから、気負ってピリピリしている雰囲気を出すんだけど、まだ線が細かったから長州さんみたいに迫力はない。この続きと、近藤有己、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【近日更新】早すぎた天才・村浜武洋インタビュー

    2017-11-23 23:11  


    村浜武洋インタビュー近日更新! K-1、プロレス、MMAとジャンルを問わず活躍した男は地元の石川県に帰っていた。「那須川天心って誰?」と現在の格闘技から遠ざかっているものの、トレーニングは欠かしてない村浜に怒涛の格闘技人生をたっぷりと語ってもらいました――。
    【10月の好評記事ランキング】
    1位 【和術慧舟會創始2万字語り】西良典インタビュー「総合格闘技がなかった時代の話をしよう」2位 いったい何が起きているのか? パンクラス計量シーンに米MMA記者が猛然と激怒!3位 RENA&天心の黄金コンビが爆発! 福岡決戦舞台裏トーク■笹原圭一RIZIN広報4位 折原昌夫インタビュー後編「天龍さんの引退試合を見に行かなかったのは……」5位 【PRIDE誕生20周年企画】忌まわしき2003年大晦日とPRIDEの終焉――!!
    6位 みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■斎藤文彦INTERVI
  • コナー・マクレガーなら何をやっても許されるのか! ベラトール乱入事件後の関係者の不気味な沈黙■MMA Unleashed

    2017-11-23 18:48  
    51pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「コナー・マクレガーなら何をやっても許されるのか! ベラトール乱入事件後の関係者の不気味な沈黙」です!11月10日(現地時間に)開催されたベラトールのダブリン大会で、コナー・マクレガーが狼藉(ろうぜき)を働いた件はすでに広く報じられているが、その後の顛末(てんまつ)にはさまざまな課題が山積している。
    出来事を簡単に振り返ってみよう。マクレガーのチームメイトのチャーリー・ワードが、第1ラウンド終了直前に、対戦相手のポール・レッドモンドをTKOフィニッシュしたところ、大喜びしたマクレガーがセコンドでもないのに金網を乗り越えてリングイン、ワードに飛びついて祝福した。
    これを見たレフリーのマーク・ゴダードがマクレガーに退場を命じると、逆上したマクレガーがゴダードを小突いたのである。係員がいったんマクレガーをケージ外に連れ出したものの、「止めるのが遅いんだよ!」とレフリーに叫びながらケージの周囲をしばし徘徊(はいかい)していたマクレガーは、すきを見て再びケージに入ろうとし、立ちはだかったベラトールのスタッフに平手打ちを食らわせたのだった。
    マクレガーはさらに、「あいつ(レッドモンド)は1分間も床におねんねしていたというのに、レフリーはオレに向かって試合はまだ終わっていないと抜かしやがった。だからぶち切れたんだ。ファックユー」とTweetで燃えさかってみせた(後に削除)。
    このシーンはスパイクTVがほぼ完全に映像に収め、翌日米国で録画放送した。ベラトールのマイナー大会の視聴者数は通常40万~50万人程度であるところ、今大会の視聴者数はマクレガー出場のクォーターアワー(15分間)については100万人を超えたのだという。
    レフリーに手をかけるというのは、いうまでもなくMMAでは御法度である。通常であれば、ライセンス剥奪や長期の出場停止など、重大な制裁処分に相当する。
    しかしここで問題がある。それは、法的ないし契約上は、誰もマクレガーに直接の懲罰を行う立場にないということだ。まず、いうまでもなくマクレガーはベラトールファイターではないため、ベラトールはマクレガーに制裁処分を課すはできない。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 仮面女子・川村虹花インタビュー「1回やって終わりじゃないです。総合格闘家としてホントに強くなりたい!!」

    2017-11-22 15:05  
    66pt
    リバーサルジム新宿Me,Weで練習直後の川村虹花を取材したアイドルがMMAに挑戦するとなったら驚く。でも、それが仮面女子のメンバーだと聞けば納得する。しかも川村虹花だというのだから、なんなら期待してしまうのである。12月3日のDEEP JEWELSに川村が出場するというニュースに「なんか聞いたことある名前だな」と思った人もいるかもしれない。彼女は今年9月、大家健率いるDDTのグループ団体ガンバレ☆プロレスでレスラーデビューを果たしている。
    ガンプロ女子部・HARUKAZEと組んで我闘雲舞のさくらえみ&里歩と対戦。ギブアップ負けを喫したものの、卍固めやダイビング・クロスボディのフォームは美しく、何より攻められている時でも気合いの表情を崩さないのが素晴らしかった。さくら&里歩と対戦して敗れるというカード、結果も、一発限りの“芸能人枠”ではなく本気で取り組んでいくという姿勢が反映されたものだったはずだ。
    もちろんプロレスとMMAは(隣接ジャンルとは言えるが)別物である。ただ川村には、アイドル活動も含めて「人前に出て何かをする者」としての力があると思える。それはMMAでも間違いなく活きる。
    簡単に言えば舞台度胸であり勝負度胸。四方から見られている中で人と殴り合うという、冷静に考えたら異様なシチュエーションで思い通りに動くことができるかどうかという点で、川村は優れた素質を持っているのではないか。それは苦しい場面でガードの足を一本越えさせるかどうか、ラウンドの終わりにもう1発、2発のパンチをプラスできるかといった場面でも活きるだろう。
    そもそも仮面女子というアイドルグループ自体が、気合いや根性や負けん気、それに体力勝負を前面に打ち出してくるアイドルだ。複数のユニットからなるこのグループのキャッチフレーズは“最強の地下アイドル”。
    何をもって地下アイドルとするかには、様々な定義がある。他にインディーズアイドルやライブアイドルといった言葉もあり、メジャーレーベルからCDを出しているか、活動規模がそれくらい大きいか、地上波テレビなどのメジャーメディアにどれくらい露出しているかが主な基準か。メジャーレーベルからCDを出してはいないけども、その人気からして“地下”とは言えないという場合もある。
    仮面女子は秋葉原と大阪に常設劇場を持ち、さいたまスーパーアリーナでライブを開催したことがある。だから活動の規模はそれなりに大きいのだが、それでもあえて“地下アイドル”を名乗る。「売れてる感」「流行ってる感」を出すよりも「地下」から這い上がっていく姿に感情移入してほしいということだろう。
    常設劇場があるということはライブの本数も多く、年間約1000本(ギネスに申請)。ツイッターでは「仮面女子」でメンバーがエゴサし、すかさずフォローにいく(ことが運営公式の活動になっている)。メンバーには毎回、ライブの“ヲタク満足度調査”投票で順位が付く。他ジャンルとの共演、コラボも凄まじい勢いで行なっており、民主党時代の枝野幸男氏(現・立憲民主党)と共演したことも。
    アイドルへの偏見にケンカを売るような泥臭さを持ち、最大の武器はバイタリティという、そんなグループのメンバーがMMAに挑戦するわけだ。現在、指導しているMe,Weの山崎剛代表によると、川村の運動神経とハートの強さは一級品らしい。
    プロレスデビューに際して、川村は「アイドルがプロレスをやっていると『遊びじゃないの?』って思う人がいるかもしれないですけど、私は本気なので。選手として見てほしい」と語っている。MMAも同じだ。仕事をしながら試合に出ている人間は少なくないわけで、アイドルだけが色眼鏡で見られるいわれはない。
    売名行為? しかし売名行為で毎日、ジムで練習を続けられたら大したもんじゃないか。昼にMMAの練習、夜にライブ、さらにそのあとプロレスの練習と“三刀流”の時期すらあったらしい。そのライブだって、今のアイドルは握手会、チェキ会もつきものなわけで。
    現時点での川村はデビュー前であり、ファイターとしてのすべての評価は試合を見てから、ということになる。ただ1試合目を終えた川村が“女子格闘技界、期待のルーキー”になっている可能性も充分にあると思うのだ(橋本宗洋)<関連企画>現役アイドルが参戦! 仮面女子・川村虹花のMMAデビューの裏側/佐伯繁DEEP代表「顔を殴られる怖さはもちろんあります。でも、その覚悟を決めて始めたので」――MMAデビューのニュースは大反響でしたけど、川村さんのもとにはどんな声が届いてるんですか?
    川村 仮面女子のファンの方々からは心配されてます! 格闘技ってケガする危険性があるので……。
    ――ケガをしたらアイドル活動にも支障をきたす可能性もありますよね。
    川村 だから「あんまり応援できないよ!」とか言われるのかなって思ったんですけど。多くのファンの方が私がやることを応援すると言ってくださってるので、それは凄く嬉しかったですね。
    ――もうちょっと反対意見があると思ったんですね。
    川村 はい。格闘技ファンの方からも「頑張ってね」と言われてることも嬉しかったです。最初はどういう反応があるのか心配だったんですけど……。
    ――批判の声があるんじゃないかと思ったんですね。
    川村 「格闘技をナメてる!」とか言われたりするんじゃないかなって。でも、思ったよりはなかったのでホッとしました。
    ――それはよかったです(笑)。試合まで2週間を切ってますけど、どんなスケジュールで練習されてるんですか?
    川村 朝9時から夕方の16時17時頃まで練習して、そのあと18時から23時まで仮面女子のライブを2本やって、家に帰って寝て、翌朝また朝9時から練習で……。
    ――大変じゃないですか! 
    川村 はい(笑)。
    ――詳しいメニューを教えてください。
    川村 日によるんですけど、今日は9時から10時までは外でダッシュやランニングなんかをやって、10時半から12時半まで筋トレ、お昼を挟んで寝技と打撃ですね。プロ練も参加しますし、一般のクラスでもやってます。
    ――プロ練では杉山しずかさんや村田夏南子さんとも練習されてるんですよね。
    川村 一緒に練習をさせてもらっています。凄くやさしく教えてくださってるのでありがたいです。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-11-22 14:24  
    66pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「旭日双光章受賞!! 白覆面の魔王ザ・デストロイヤー」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!<NEW!>■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」

    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマは、秋の叙勲で旭日双光章(きょくじつ・そうこうしょう)の受賞が発表された「白覆面の魔王」ことデストロイヤーです。ボクは現役時代の印象はほとんどないんですが、10年ほど前、来日していたデストロイヤーを取材したことがあるんですね。
    フミ デストロイヤーは引退後も年に一度、麻布十番のお祭りに参加するために来日していますから、おそらくその時期でしょうね。いまデストロイヤーは87歳になるんです。
    ――もうそんなお歳なんですね。
    フミ 『週刊新潮』から旭日双光章の件でコメントを求められたんですけど、電話で取材してくれた30代のライターの方はデストロイヤーのことをまったく知らなかったんですよ。
    ――30代だとそうかもしれないですね。
    フミ デストロイヤーには1930年生まれと、1931年生まれという2つの説があるんですけど、1930年は昭和5年です。
    ――昭和5年というと、もう遠い昔に感じます……。
    フミ あの力道山と戦ったプロレスラーですからね。ボクの少年時代の記憶でも、日本組として馬場さんとタッグを組む姿ですよ。40代50代にはとっては、なつかしい存在なんですけど、30代以下になると「名前くらいは……」という感じになってしまう。でも、このデストロイヤーを知らなくて、プロレスマニアを名乗ってほしくない大変偉大なレスラーなんです。日本のプロレス史に深く関わっているんですね。
    ――旭日双光章を授与されるべき存在なんですね。
    フミ 旭日双光章というのは、国や公共に対して功績がある者、文化またはスポーツの振興に寄与した者に授与されるんですけど、選定する側にとってはデストロイヤーは与えてしかるべき存在なんでしょう。日本のプロレスでセレブとなった最初の外国人レスラーにして、テレビの歴史に寄与した。ここに全局高世帯視聴率番組50傑の資料があるんですが、この調査が始まったのは1962年、つまり昭和37年です。これはNHKや民放すべてのテレビ局の平均高視聴率番組を記録してるんですが、1位が第14回NHK紅白歌合戦の81.4パーセント、2位が東京オリンピックの女子バレーで66.8パーセント。
    ――平均でその数字って凄いですね!(笑)。
    フミ この50傑にプロレスの試合が2つだけ入ってるんです。4位が63年5月24日WWA世界選手権の力道山vsデストロイヤーで64パーセント、34位に65年2月26日WWA世界選手権の豊登vsデストロイヤーで51.2パーセント。
    ――豊登vsデストロイヤーで50パーセント超え!(笑)。
    フミ 2試合ともデストロイヤーなんです。昭和40年代は、まだ日本中がテレビに熱中していたところはあるんでしょうね。いまのテレビ番組は20パーセントを獲れればウハウハですが、当時は30〜40パーセントの怪物番組がたくさんあった。テレビというジャンルではプロレスは人気のあるソフトだったということですね。
    ――その立役者がデストロイヤーだったからこそ、日本のプロレス史に欠かせないんですね。
    フミ プロレスとテレビには親和性があるし、プロレスとマスク、テレビとマスクという親和性もある。デストロイヤーがスーパースターになれたのは、それらの親和性を見事に体現したからなんですね。
    ――そもそもデストロイヤーというプロレスラーはどういうキャリアを積んできたんですか?
    フミ デストロイヤーの本名はディック・バイヤーといって、シラキュース大学でフットボールやレスリングで活躍したんですが、大学院修士も取っている文武両道の人だったんですね。卒業後は母校のフットボール部のコーチもやりながら、オフシーズンの仕事としてプロレスをやっていたんです。本格的にプロレスをやるとなったときにハワイでフレッド・ブラッシーと運命的な出会いをしてツアー生活が始まり、そこからロサンゼルスのWWAに移ってザ・デストロイヤーに変身したんです。
    ――どうしてマスクマンになったんですか?
    フミ 若ハゲで前歯が折れていたからという定説があります。
    ――ああ、見かけが悪かったんですね。
    フミ ロサンゼルスのジュリアス・ストロンボーというプロモーターから「キミはマスクマンをやるべきだ」って勧められたんです。ディック・バイヤーはプロレス自体はうまかったですから、デストロイヤーに変身するやトップレスラーとなって、フレッド・ブラッシーを破ってWWA世界チャンピオンになるんです。それまでもミスター・アトミックやゼブラキッドとか覆面レスラーは数多く存在したんですが、超一流レスラーの仲間入りをした初めてのマスクマンはデストロイヤー。マスカラス以前から活躍してましたからね。
    ――実力でのし上がったマスクマン、それがデストロイヤー。どうしてマスクマンは不遇だったんですか?
    フミ どうしてもイロモノ扱いだったんでしょうね。「マスクマンなんているからプロレスはショーだと言われるんだ」と。当時は職業としてのマスク屋さんがいなかった時代ですから、マスクマンは自分たちの手で覆面を作るしかなかったんです。デストロイヤーの覆面の材料は女性用下着のガードルでした。それに穴を開けて目出しを作り、奥さんにミシンで改良してもらったりして、試作品を何個も作ったということです。
    ――レスラーとしての実力はそんなに凄かったんですか。
    フミ マスクマンになるまで9年ぐらいはキャリアがあったんですが、ニック・ボックウィンクルさんに話を聞いたときに「私は3人のレスラーをモチーフした」と言ってるんです。その3人のレスラーとは、バディ・ロジャース、フレッド・ブラッシー、そしてデストロイヤーだと。 
    ――あのバディ・ロジャース、フレッド・ブラッシーに肩を並べる実力! この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 現役アイドルが参戦! 仮面女子・川村虹花のMMAデビューの裏側/佐伯繁DEEP代表

    2017-11-21 11:36  
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    最強の地下アイドル仮面女子の川村虹花がMMAデビュー! 12月3日DEEPジュエルス大会の電撃参戦が話題を呼んでいるが、同大会には川村以外にも将来有望な新人選手が続々参加! DEEPの佐伯繁代表にこのサプライズの裏側や、女子格闘技を取り巻く環境について語ってもらいました〜。 ――仮面女子の川村(虹花)さんが12月3日のDEEPジュエルスでMMAデビューすることになりましたね。
    佐伯 ボクはね、アイドルはおニャン子クラブで止まってるんですよ(笑)。だから仮面女子のことはよく知らないんですが、アイドルの子が格闘技の練習を始めたという話は噂で耳にしてたんです。でも、アイドルのことはよくわからないし、自分のところからその情報が漏れてもイヤだから、名前はあえて聞かなかったんですよ。その後もあまり気にしてなかった。
    ――とくに興味がなかったんですね。
    佐伯 そうしたら1ヵ月半前くらいに「ジュエルスに出れないか」という話があって、1週間前に練習を見に行ったんですよ。そのときは杉山(しずか)さんと寝技をやってるところとミット打ちを見たんだけど、「あ、意外と普通にできるじゃん」と。新人であそこまで動けない選手もいるからね。
    ――佐伯さんの目から見ても、デビューさせてもいいレベルだった。
    佐伯 彼女を指導する新宿Me,Weの山崎(剛)さんからは「もう少し時間があれば、来年春のほうがいいんじゃないか?」との意見もあったんだけど、川村さん本人は12月にやりたいと。自分も、試合に優る経験はないと思ったんですよ。女の子だって練習だけより目の前に目標があった方がモチベーションが上がると思います。試合をすることでもっと頑張ろうってなる。佐伯 でも「いきなりプロのイベントでデビューさせるのか?」っていう声もあると思うんですね。
    ――「アマチュアからやれ!」と。
    佐伯 言わんとしてることはわかるんですけど、それはいまのジュエルスというか、女子格闘技の現実があまり知れ渡ってないんだなって。どういうことか説明すると、昨日、KING(レイナ)選手の家族と食事したんですよ。
    ――KINGレイナの家族とメシを食った話……って川村さんの話をしてるんですけど!
    佐伯 焼肉、宮崎牛ですよ。
    ――いや、何を食べたかは聞いてないんですが……しかし、いいもの食ってますね!(笑)。
    佐伯 今後のことも話し合いながらの焼肉。自分はKINGの親父さんと差しで食べる感じだったんですけど、も〜〜う、とにかくたくさん食べるんですよ、お父さん。
    ――……川村さんの話に戻ってくるのかな。
    佐伯 自分もつられちゃって、大盛りご飯を2杯も食べて、肉もしこたま食べて。胃薬を2袋飲んだけど、夜中に気持ち悪くなっちゃってさ。肉はわさびとかで食べたから、そのときはサッパリして食べれるんだけど。良質な肉って脂が多いから、あとになって身体が反応してくるんですよ。前に飛騨牛を食べたときも4時間後になってゲップが止まらなくなってさ。
    ――仮面女子の話題がなぜゲップの話になってるんだ(笑)。
    佐伯 案の定、昨日の夜中3時頃から気持ち悪くなっちゃって。どんだけ胃薬が飲んでも治らない。アカンね、もう肉は食えないね。適当な量にしておかないとダメだわ。
    ――強引に格闘技に話を戻ると、10代の若いファイターを使うとなると、親御さんと接する機会が多くなってますね。
    佐伯 那須川(天心)選手や(浅倉)カンナちゃんもそうだけど、DEEP JEWELSでデビューしたモモちゃんも12歳じゃないですか。当然親が協力しているから今があると思います。
    ――逆に親が出てこないと困りますよね。
    佐伯 親御さんがPRIDE世代ということも大きい。だって15年前に小学生や中学生が総合格闘技をやってるなんて聞いたことないでしょ。いまは昔みたいにレスリングや柔道から始めなくても、そのまま総合をやる子供も増えてるんだよね。
    ――野球やサッカーもそうですけど、どのスポーツも親が送り迎えだなんだでサポートする。親御さんの存在は大きいってことですね。
    佐伯 お金をかけなきゃ無理ってことでもあるよね。よく言われるけど、フィギュアスケートなんか金がなきゃできないんだから。アマチュアスポーツってそういうところもあるし、そこから才能がある奴が出てくるわけだよね。で、川村さんの話。
    ――宮崎牛を食いすぎてゲップが止まらない話は必要だったんですかね……???
    佐伯 川村さんがデビューする今回のジュエルスは新人ラッシュなんだよ。それはたまたま重なったこともあるんだけど、去年くらいからRIZINの影響もあって、総合をやりたいという子が増えてるんですよ。川村さんというアイドルから、渡辺(華奈)さんや青野(ひかる)さんとか、しっかりとしたベースを持った人が増えてきてる。柔道をやっていたKINGレイナ選手を見て「私もやりたい」という。
    ――アスリートが女子格闘技に目をつけ始めてるんですね。
    佐伯 KING選手は去年の年末のRIZINに出てなくて、ウチのブースを手伝っていたんですよ。そんなKING選手が1年経ったらあそこまでの存在感になって、今年のRIZINの全大会に出るのは彼女だけだから。
    ――チャンスがあればやってみようとなりますね。
    佐伯 でも、川村さんもそうだけど、今度の大会に出る選手の中ではまだ1年も練習してない方も何人かいるんですよね。「そんな子たちがプロの大会に出られるの?」って思う人がいるかもしれないけど、女子は増えてるとはいえまだまだ競技人口が薄いから、アマチュア大会が成り立たないんですよ。アマ修斗の全日本選手権だって男子に比べて少ないですからね。
    ――試合機会を補う意味もあってか、ジュエルスは大会の中でアマチュアの試合もやってるんですね。
    佐伯 そういうこと。アウトサイダーで普通に試合をしてた桃子選手だって、こっちではレガースやヘッドギアをつけて、アマチュアルールから始めたりするし、パウンドなしのルールもやってる。12歳のモモちゃんが出るとなったときにアメリカで大問題になったじゃないですか。
    ――12歳の女の子がMMAをやるなんてとんでもない!と。
    佐伯 でも、こっちからすると「アマチュアルールでしょ?」って。アメリカではアマチュアの試合をプロのイベントの中でやることはないんですけど、ボクらはちゃんとルールで整備しているから。アマチュアの大会が頻繁にあればいいんだけど、そうじゃないから。
    ――だったらプロアマ混合でやるしかない。
    佐伯 アマチュアを含め色々なレベルの試合を組まないと試合経験をさせられない現状なんです。また試合で悔しい思いや嬉しい思いすることで、また練習を続ける。それが女子格の現実。韓国のROAD FCなんて初参戦がデビュー戦の選手がいますからね。
    ――世志琥もROAD FCでMMAデビューしてますし、相手もMMAデビュー戦だった。世志琥の2戦目は即再戦でしたから、よっぽど選手が足りてないんですね。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • ヨン様参戦!? 誰もルールがわからなかったアルティメットロワイヤル■ズンドコ・トラブル興行研究会

    2017-11-21 11:00  
    51pt

    ズンドコ・トラブル興行研究会!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「ヨン様参戦!? 誰もルールがわからなかったアルティメットロワイヤル」です!
    【関連企画】消えた棚橋vs中邑戦
    幻の闘魂三銃士興行の顛末小島聡まさかの「四冠王者誕生」ズンドコ模様アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技
    ファン不在から得た教訓……棚橋弘至、伝説のノーピープルマッチ何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」
    アントニオ猪木が「整理」したスポーツ平和党2005年大阪ドーム大会後、新日本プロレス・アントニオ猪木オーナーはこう言った。「一寸先はハプニング。“お祭り”なんだから、いろんなことがあっていい。みんなで格闘バトルロイヤルをやればいい」。
    イッテンヨンを前に、スタッフは当然のごとく困り果てた。総合格闘技ルールでバトルロイヤル。一見おもしろそうだが、明らかにムチャクチャすぎる。複数人で一人の選手をボコボコにする場面も出てくるわけで、誰がどのタイミングで止めるんだ。その瞬間になっただけで橋本vs小川戦における村上一成状態のデンジャラス。優勝賞金1000万という提案だけが独り歩きする中、猪木オーナーは次々、無責任な予告を開始する。さあ、世界一危険な乱舞、アルティメットロワイヤルのはじまりだ!
    12月11日、当初は曙、ボブ・サップを初めとするK-1勢やハッスル勢、さらに鈴木みのるの参加も示唆され、1月1日締め切りのプロアマ問わない参戦公募も行われた。1月1日期限って、どう考えても大晦日参戦選手へのコンタクトを考慮してのものだけど、お前誰やねん的道場破りアマチュア格闘家が参戦してたらどうなってたんだろう的見たさ加減だけが膨らみまくる。ただし実際に手を挙げていたのは「くだらないやつらばかり」と鈴木みのるに指摘されたブルーウルフ、ドルゴルスレン・スミヤバザル、タイガーマスク、さらにベースとなったアルティメットクラッシュルールを制作した成瀬昌由を含む新日本勢のみ。
    鈴木みのるは「募るというなら、見合う選手を集めてくれ、猪木さん」と当然の言葉を残して新たなる戦場を求め去って行った。ああ、誰もやりたがらないアルロワルール。この時点でルールは一切決まってない。
    18日、蝶野がオットー・ワンツ主催ストロングマンコンテスト優勝者ロン・ウォーターマン投入示唆。フライパンを捻じ曲げ、電話帳を真っ二つにすることでおなじみ、みんな大好き闘う牧師のウォーターマンだ。
    12月20日にはアルティメットロワイヤル総合プロデューサーに、当時新日本プロレス所属で療養中のジョシュ・バーネットが就任。『新日本が世界で最もユニークにして実験的なイベントを行おうとしている。どんなスタイルの選手が向いているかわからないが、かつてない過酷なサバイバルになることは間違いない』と記者顔意見では半ば自虐的発言。この続きと、近藤有己、馳浩、金原弘光重病、デストロイヤー、仮面女子、藤田和之、クリス・ジェリコの記事まとめて読める「14万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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