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記事 24件
  • 【13万字・記事詰め合わせ】高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金……

    2016-09-30 23:59  
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    ■高杉正彦インタビュー〜剛竜馬とウルトラセブンに愛をこめて〜
    現役最後の国際プロレス戦士が語る伝説のインディ団体パイオニア戦志、ウルトラセブン、そして盟友・剛竜馬の知られざる驚愕エピソード!
    ■“ゼロワンを作った男”中村祥之インタビュー⑤
    中村氏に降り掛かったスキャンダル報道を語る!
    「仲田龍さんが気力体力尽き果てたのはわかりますよ。ボクもやられましたから……」
    ■日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」
    あきらかになるMMA、そして柔術界のドーピングの実態! 子供に魔法の薬を勧める親が……!
    ■小佐野景浩のプロレス歴史発見
    『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!
    老舗プロレス雑誌の誕生と終焉を見届けた男の胸によぎるものとは……?
    ■「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」
    『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜
    ■二階堂綾乃さんに聞く「プ女子はお金を使わず冷めやすいのか?」
    スーパーササダンゴマシンの問題発言で再びクローズアップされた“プ女子”という存在。女性プロレスファンの視点と、マット界の歴史から考察します!
    ■中井祐樹先生の直言インタビュー 
    日本MMAが日本柔道から学ぶべきもの「もっとミックスドマーシャルアーツしろ!」 
    なぜ日本から足関の達人は消えてしまったのか? 格闘技界を見続けてきた中井先生だからこその解説!■新生K−1の独走に待った? 新日本をV字回復させたブシロードがキック界に電撃参入! 『KNOCK OUT』とは何か?
    ■金原弘光の好評連載インタビュー
    「リングスオランダとドーピング、どっちが怖い?」
    ■「JKプロレス技本」発売記念!  エロマンガの巨匠・師走の翁先生インタビュー
    JK風俗事件、エロ落書きから一冊の本ができるまで!■世紀の再戦マクレガーvsネイト大爆発! 競技化してどんどん面白くなる総合格闘技を大沢ケンジ師匠が目からウロコの徹底分析!
    ■オマスキの北米コラム「MMA Unleashed」
    ・シュートマッチ勃発で全世界震撼!? レスナーvsオートンWWEサマースラムの舞台裏!
    ・「かつての薬漬けの自分のことは好きではない」チェール・ソネン、ベラトールで電撃現役復帰
    ・UFCマッチメイカー勇退! ゲームセンターで働いていたオタクがMMAの歴史を変えた
    ・CMパンク狂騒曲終幕!  次戦はベラトールか、RIZIN桜庭戦か
    ■MMAオレンジ色の手帳
    ・インド王族武術の使い手! 謎の格闘集団「 TEAM DATE」とは何か? 
    ・RIZIN包囲網? 強力裏番組を徹底解剖〜9.25視聴率大戦争〜
    ■二階堂綾乃コラム
    ・体調管理のスペシャリスト、それは格闘家!
    ・格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?
    ■中井祐樹の「東奔西走日記」
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    国際プロレスの崩壊を見届け、全日本プロレスではウルトラセブンに変身して、伝説のインディ団体パイオニア戦志やオリエンタルプロレスでは剛竜馬の片腕だった男高杉正彦が登場! プロレス界の歴史から封印されかかっているセブンや剛竜馬の秘話についてたっぷり語っていただきました! 剛竜馬とSWS田中八郎のタッグの金銭感覚が尋常じゃないんです……!! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!<関連記事>
    SWS田中八郎と剛竜馬、その極太な関係――!! ターザン山本インタビューhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1087710
    ――高杉さんは前田日明さんに新生UWF入団を掛けあったり、インディの先駆けとなったパイオニア戦志をパンクラスのようなシュートスタイルでやろうとしたりと、ガチンコ方面の意識が強いのはやっぱり腕に自信があったからなんですか? 
    高杉 まあ、昔はコレばっかやらされたからね(シュートサインで)。前田には歳を取ってるということで断られたけど。そのあと藤原喜明が入ってるんだよなあ。ハッハッハッハッ!
    ――Dropkickメルマガの読者はガチンコ系の話が大好きなんです!
    高杉 俺が入った国際プロレスの吉原(功)社長は力道山時代の日本プロレス道場の師範代だったでしょ。力道山先生は忙しくて道場にあまり来られなかったから、吉原社長が現場を任せられたんだよ。あの人は早稲田のレスリング部の出身だからね。
    ――競技志向だったんですね。
    高杉 プロレスの創成期は柔道や相撲からの転向が多かったから、みんなレスリングのブリッジができなかったんだよね。社会人だった吉原さんが力道山道場へ練習に行ったときに「レスリングを教えてやってくれ」ということで。それだから吉原さんはガチンコにはうるさかった。
    ――プロレスラー志望だった高杉さんは、大学でアメリカンフットボールをやられてたんですよね。
    高杉 そうですね。あの頃が大学に行く・行かないじゃ給料や役職も違ったでしょ。だから親が「大学だけは行ってくれ」ということでね。俺は勉強もできたから(笑)。
    ――学業優秀だったんですね(笑)。
    高杉 日大のアメリカンフットボールか、東海大のレスリング部。どちらかを推薦で入れることになったんですよ。ボクは神奈川県の秦野高校という田舎の学校に通ってて、東海大だとまた4年間田舎で過ごさないといけないのがイヤだったんですよね。だから日大で(笑)。
    ――でも、プロレス志望だったらレスリング部を選ぶじゃないんですか?
    高杉 レスリングもやりたかったんだけど、あの当時ってフットボール上がりで有名なプロレスラーがいっぱいいたでしょ。デストロイヤーとか。
    ――アメフトもプロレスへの道のひとつではあったんですね。大学在籍中に元日プロの金子武雄さんのボディビルジムに通いだしたんですよね。
    高杉 アメリカのフットボーラーは冬場に身体を鍛えて、夏場にプレイするって感じなんだけど。日本の場合はあまりウエイトトレーニングをやらないから。フットボール部は1年でやめて、身体を鍛えるために金子さんのところに行ったんですよ。あそこにはボディビルダーやキックボクサーとか力自慢がいっぱい来てて。マットやバーベルもあっていろんな練習をさせられましたよ。シュートの練習もやりましたし。
    ――プロレス団体ならどこでもよかったんですか?
    高杉 ホントは新日本プロレスに入りたかったんですよ。
    ――高杉さんは山本小鉄さんの私設ファンクラブ『豆タンク』を作るくらいですもんね。
    高杉 あれは高校生のときですよ。その縁もあって山本さんもかわいがってくれてね。
    ――どうして小鉄さんのファンクラブなんですか?
    高杉 自分がプロレスラーになったときに山本さんや星野勘太郎さんのような選手になりたいと憧れてたんです。
    ――かなり渋い高校生ですね(笑)。
    高杉 普通だったら猪木さんや坂口(征二)さんでしょ? ボクの場合はヤマハブラザースが好きだったんです(笑)。前座や中堅レスラーの試合が好きだったんですよ。それでファンクラブの会報を作ってたりしてね、山本さんが「新日本の事務所に遊びに来なさい」ってことで会員みんなで押しかけたこともあったし。山本さんは凄くいい人でしたよ。
    ――新日本に入るために何かアクションは起こしたんですか?
    高杉 新日本の事務所にお願いしに行ったこともありますよ。「入門させてくれ」と頼んだんだけど、応対してくれた新間(寿)さんが「ダメだ」と。
    ――ダメな理由は聞きました?
    高杉 とくに言ってくれなかったし、よくわかんなかったね(苦笑)。ガッカリしたままジムに戻ったら先輩方が「高杉、今日は元気がないな」って声をかけられて、事情を説明したら「会長に話を通したのか?」と。断られた話が会長の耳に入ったら「馬鹿野郎! ホントにプロレス団体に入りたいなら話をつけてやるから、ちゃんと練習してろ!」と。
    ――金子さんは業界に顔が利くわけですもんね。
    高杉 それで吉原社長に紹介してくれたんですよ。あの当時の金子ジムの人間はだいたい国際。吉原さんと金子さんは力道山道場のときに仲が良かったから。
    ――高杉さんは国際でもよかったんですか?
    高杉 こうなったらどこでもいいなって(笑)。
    ――当時は簡単に入門できないですもんね。
    高杉 なれない、なれない。あの当時は東大に入るより難しいんだから。東大なんか試験があるんだからさ、勉強すれば入れるでしょ。プロレスは試験がないんだもん。何かしらツテがないと合宿所に入れないから。
    ――金子さんの紹介で国際には簡単に入れたんですか?
    高杉 横浜文化体育館で国際の興行があったときに会長と一緒に行ったんですよ。会長が吉原さんに話をしてくれたんだけど、「もう選手がいっぱい。大学の柔道部やレスリングからも入れてくれって頼まれてる」ってことで断られたんだよね。当時は就職先がないからプロレスに入りたい奴がいっぱいたんですよ。
    ――相撲や柔道に成り手はたくさんいて。
    高杉 日プロの若手も凄かったでしょ。東京五輪のマサ斉藤、ラクビーからグレート草津さん、大相撲のラッシャー木村さん。まあ凄いのばっかだよ。
    そうしたら会長が「いいから入れろ! コノヤロー!!」って怒ってね(笑)。最終的に合宿所に入れてもらえたんだよね。
    ――無理やりだったんですね(笑)。当時の合宿所には誰がいたんですか?
    高杉 あんときは田中(忠治)さん、デビル紫さん、鶴見五郎に剛竜馬、若松(市松)さん。5人くらいかな。
    ――合宿所はどんな建物なんですか?
    高杉 プレハブだったね。渋谷にあったときはビルだったんだけど。ボクが入ったのは昭和52年だから、ちょうど国際の経営が傾いてきたときで大宮にあったんですよ。都落ちだよね。プレハブの1階が道場で2階が寮。
    ――練習は厳しかったですか?
    高杉 新人は基礎トレーニングをとにかくやらされるんだよ。足の運動1000回やったあとにリングで受け身。首投げ50回、腰投げ50回、ボディスラム50回。そしてリングでシュートの練習ですよ。「かかってこい!」と言われてもヘロヘロで力なんか出ないですよ(笑)。
    ――まず体力の壁があるんですね(笑)。
    高杉 ほとんどの奴はすぐに逃げちゃうね。1日2日は耐えられるけど、「これがずっと続くのか……」って考えたらね。
    ――絶望的になりますよねぇ。シュートの練習では誰が強かったんですか?
    高杉 鶴見さんが強かったですね。レスリングをやっていたし、動きが柔らかくてふわっと真綿みたいに極めてくるんだよね。剛とか力任せだから「あ、これは1年もすれば勝てるな」って思ったよ(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 新人ながら見切ってましたか(笑)。
    高杉 感覚でわかるんですよ。あと鶴見さんは汚い極め方をやらないから。
    ――汚い極め方ですか?
    高杉 カール・ゴッチがやるようなやつ。普通にやって極まらないと、目に指を入れたりとか汚い手を使うんだよ。
    ――ああ、尻の穴に指を突っ込むってやつですね。
    高杉 吉原さんもそういうのは嫌ってたから。日プロはみんなそういう汚いことばっかやってたから(笑)。
    ――日プロって前座の試合からメチャクチャだったんですよね。
    高杉 だってケンカだもん、ケンカ。平気で腕を折ってくるからね。
    ――力道山vs木村政彦のセメントマッチじゃないですけど、「やれるときはやっちまえ!」という。
    高杉 でも、吉原さんはそんなのは嫌ったね。そこは大卒の方だから。
    ――あ、学歴の問題ですか(笑)。
    高杉 そういうもんですよ(笑)。国際の前座もケンカみたいな試合になったよ。無法地帯。
    ――油断はできないんですね。
    高杉 もうメチャクチャですよ。若いと血気盛んだからそういう試合になっちゃうんだけど、後味が悪いんだよねぇ。だから頭のいい人はやらなくなるんだよ。
    ――そこは学歴があるかどうかなんですね(笑)。
    高杉 負けたほうは頭に来るから仕返しを考えるでしょ。力道山先生が木村政彦のことをやっちゃったときなんて、木村政彦の地元・九州を巡業するときは力道山先生のことを●●●が取り囲んでボディガードとして守っていたというからね。
    ――命懸けだったんですねぇ……。
    高杉 あの頃は戦争あがりで「いつ死んでもいい」という連中がいっぱいいたかたね。
    ――だからこそリング上でもいつ仕掛けられてもいいように腕を磨いて。
    高杉 国際は今日はボクシング、次の日はレスリング、3日目は相撲ってやらされるんだから。それに試合もコレで決めていたからね(シュートサイン)。
    ――えっ、どういうことですか? 凄く興味があります!(笑)。
    高杉 道場のコレの強さで決めてたんだよ。吉原さんが「この子は強くなってきたから上で使おう!」と。
    ――セメントが強くないと上にはいけない。ロマンがありますね!
    高杉 国際はね、そういう部分があったよ。だからみんなコレのやる気があったんだよ。いまのプロレスとは違いますよ。
    ――形は違いますけど、全日本女子プロレスの前座も「押さえこみルール」の完全実力主義で。
    高杉 そうだったみたいね。
    ――男子レスラーのあいだでも、あの「押さえこみルール」は知れ渡っていたんですか?
    高杉 知ってたよ。冬木や阿修羅がしょっちゅう女子プロを見に行ってたんだよ。「なんでそんなの見に行くんだよ」って聞いたら「面白いんですよ。時間は決めてるんですけど、それを過ぎたらコレなんですよ」って。ビックリしちゃってさ。話によると、やっぱり女は最後をどうするかで揉めるんだって。だったら全女の社長が「ある程度やったらあとは好きにしろ!」と。
    ――実力で決めろ!という。
    高杉 だから押さえこみのブリッジのやりとりは凄かったじゃない。見てて面白いもんね。
    ――道場の強さが反映されていた国際も凄いですね。
    高杉 上の人間はそうでもないけど、下の人間はそうですよ。メインの人間でも最近は不甲斐ないと感じたら、社長は「道場で稽古しろ!」って命令してね。
    新日本も猪木さんにそういう考えはあったんじゃない。でも、新日本に強いのはいないからね。
    ――いないですか?
    高杉 木戸(修)さんくらいじゃない。あと長州(力)か。
    ――藤原(喜明)さんは?
    高杉 藤原は強くないでしょ。藤原は若手やぺーぺーには強いけど、上の人間には勝てないでしょ。長州が新日本に入ったとき藤原に勝てなかったそうだけど、長州がいろいろとおぼえたら全然みたいだし。
    ――長州さんはオリンピックレスラーですもんね。
    高杉 藤原と浜さん(アニマル浜口)の試合も見たけど、藤原はまったく通用しなかった。藤原は身体が細いし、地力がある選手には勝てないんだよ。木戸さんなんて太ももが凄いじゃん。
    ――フィジカルは強そうですよね。ラッシャー木村もやったら凄かったという話ですよね。
    高杉 木村さんは……強くなかったんじゃないかあって。相撲は強かったのかもしれないけど。やっぱりリングでやらせたら草津さんが一番だったよ。運動神経もよかったし、コレは草津さんも凄かった。息子もK−1をやったでしょ。
    ――草津さんはラクビー日本代表ですから身体能力をハンパじゃなかったんですね。原さんもラクビー日本代表でしたけど。
    高杉 阿修羅は力があったね。でも、闘争心がない。優しすぎたねぇ。逆に草津さんは闘争心が凄かった。日プロのときに生意気だってことで試合中に腕を折られたことがありますからね。
    ――ところで、高杉さんが入門した頃の国際の客入りはどうだったんですか?
    高杉 いや、入ってたよ。健闘はしてたね。年間で7〜8シリーズで150試合くらいやって、外国人も呼んでいたでしょ。そりゃあ新日本・全日本のほうが強かったけど、国際もけっこう入ってたんですよ。
    ――給料も遅れることはなく。
    高杉 俺は入ったときはもう遅れてたね。まともに出たのは1回だけ。
    ――1回だけですか!?
    高杉 まともに全額もらったことはない。それでもサラリーマンの倍くらいはもらえるんですよ。
    ――当時のプロレスは稼げるんですねぇ。
    高杉 ボクが入った頃はそれでもお客はいたけど、全日本と対抗戦をやってから本当にダメになったね。木村さんや草津さんが全日本のレスラーに負けるでしょ。ファンは負けた選手の団体を見に来ないでしょ。そこは顕著だよね。ガクッと入らなくなる。
    ――潰れるんじゃないかと思いました?
    高杉 潰れるとは思わなかったけどね。12チャンネル(テレビ東京)もついてたし、試合内容も良かったからいけると思ってたよ。
    ――のちにパイオニア戦志を一緒に立ち上げる剛さんも、斜陽の国際を離脱して新日本に移りますよね。
    高杉 剛はギャラに不満があったんですよ。彼は俺と同い歳だから22歳。ほかの先輩は30歳を越えてて所帯を持ってたでしょ。国際って所帯持ちを優遇するんだけど、剛からすればメインでもやってるのにギャラがなんで少ないんだって不満があるわけですよ。そこでちょっとでもギャラを上げてやればいいのに、そこは吉原さんってヘタだったね。俺なんかも全然上がらなかったから。
    ――それだと、やりがいは出てこないですよね。
    高杉 1年間やったら査定してあげないと。プロなんだから。だって5000円10000円のギャラを上げたってたいしたことないでしょ。外国人には俺たちの3倍くらいのギャラを出してるんですから。
    ――国際を離れる剛さんが人情なしの悪者になった風潮はありましたよね。
    高杉 うーん、そこは半々だね。先輩方は怒ってたけどね。「八木(剛竜馬の本名)、みんな苦労してきたんだぞ。おまえだけじゃねえんだ!」って説教されてましたよ。
    ――というと、剛さんは先輩の前でも不満を漏らしてたんですか?
    高杉 剛はよくグチるから。酒を飲むとグチばっかだから(笑)。それに阿修羅が国際に入ってきたでしょ。阿修羅のほうが素材はいいから、剛は次期IWAチャンピオン候補だったけど、阿修羅にその座を取られちゃった。その焦りも剛にはあったんですよ。
    ――それだったら、ほかの団体で……という。
    高杉 そうそう。
    ――高杉さんは、経営が苦しくなっていった国際プロレスの最期を見届けますね。
    高杉 潰れる年の3月に12チャンネルとの契約が切れたでしょ。そのあとフジテレビと交渉してたんですよ。あの当時のプロレス団体ってテレビ中継がないとやっていけないから。国際は最初に放映していたTBSとの契約が切れたけど、12チャンがついたからやっていけたんだよね。
    ――多くの所属選手に給料払って、外国人レスラーを呼ぶにはテレビ局からの放映権料がないと無理ってことですね。
    高杉 フジテレビは女子プロ(全日本女子プロレス)を放送してたし、社長が「決まりそうだから頑張ってくれ」と期待をもたせてたんだけど、7月の頃にはダメだとわかって。その頃、草津さんはケガが理由で営業に回ってたけど、巡業コースも切れないという状態になってね。もうこれで国際も終わりだなって。
    ――北海道シリーズの羅臼町大会を最後に幕を閉じたんですね。最終興行は感慨深いものがありました?
    高杉 いやあ、あんまり……。
    ――感慨なし(笑)。
    高杉 俺は前々からメキシコから呼ばれてたから。内心「早く潰れてくれ」って思ってたんだよね(苦笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 
    高杉 早くメキシコに行きたくてね(笑)。国際の最後ねぇ……羅臼もお客さんは入ってましたよ。地方だと新日本も全日本も変わらないんだよね。みんなプロレスが見たいから、ポスターを張って宣伝カーを回してちゃんと営業をやれば、田舎の人は見に来る。国際には金網デスマッチという看板があるから、金網をやれば客は来るから。
    ――当時のメキシコに日本人レスラーはいたんですか?
    高杉 俺が呼ばれたエンプレッサ(EMLL)には日本人はいなかった。UWAには小林邦昭、グラン浜田、ヒロ斉藤、栗栖正伸の4人かな。会場に行ったらUWAとエンプレッサの対抗戦をやってたんだよね。控室に行ったらグラン浜田と小林邦昭がいて、邦昭が「なんでいるんですか?」ってビックリしちゃって。
    ――面識はあったんですか?
    高杉 うん。邦昭から「どこに泊まってるんですか?」と聞かれたから「ホテルに泊まってる」って言ったら、邦昭が住んでる日本人のアパートが一室空いてるからってことで誘われて。邦昭にはいろいろとケアをしてもらいましたよね。
    ――小林さんはメキシコでかなり稼いでいたけど、ペソが暴落したことで国外退去したんですよね。
    高杉 そうそう。向こうは変動相場でね、日本円が半分になっちゃうんだもん。邦昭も最初の半年間で1000万円貯めたというんだけど、それが半分になっちゃったということで。メキシコに住んでるぶんには問題ないんだけどね。
    ――それくらい稼げるということは現地のプロレス人気は高かったんですね。
    高杉 凄かった。トップは年間で3000万くらい稼いでたから。
    ――そのメキシコ遠征の途中に全日本プロレスでのウルトラセブン変身計画が浮上したんですよね。
    高杉 全日本の人間から連絡があって「馬場さんが会いたがってる」と。あのときタイガーマスクが新日本で凄い人気だったけど、全日本のジュニアはそうでもなかったでしょ。大仁田はまだまだだったし、そこで俺に白羽の矢が立ったんじゃない。山田隆さんっていたでしょ。
    ――全日本中継の解説をやってた東スポのデスク。
    高杉 山田さんが俺のことを馬場さんに言ってくれたみたい。「元・国際でこういう選手がいるから、馬場ちゃん取ったほうがいいよ」と。
    ――ウルトラセブンのマスクマンに変身するアイデアは誰が出したんですか?
    高杉 それは俺が売り込んだの。新日本でタイガーマスクの人気が凄かったじゃん。それに対抗するにはマスクマンのほうがいいんじゃないかなって。それに俺は身体が小さいから、トップを取るにはマスクマンしかないから。
    ――当時は身体が大きくないとトップは張れなかったですね。ウルトラセブンのほかに候補はあったんですか?
    高杉 いろいろと考えたんだよ。ライオン丸とかさ(笑)。メキシコにいたヒロ斉藤が言うにはさ、ウルトラマンが新日本に来日したとき凄い人気だったんだって。
    ――円谷プロの許可を取らずに勝手にウルトラマンを名乗ったルチャドールですね(笑)。
    高杉 試合はしょっぱかったけど、地方に行くと子供たちはウルトラマンに群がるんだって。その話を聞いて「これだ!」と思ってね。でも、ウルトラマンは先にやられてるでしょ。だったら「ウルトラセブンだ!」ってそういう話ですよ(笑)。
    ――ウルトラマンの後追いだったんですね(笑)。
    高杉 それで日本の弟に「ウルトラセブンの本を送ってくれ」って連絡したんだよ。写真がないとマスクが作れないから。でも、あの当時は昭和57年頃か、世間的にはウルトラシリーズの人気がまるでなかったんだよね。人気がないから本も売ってないんだって(笑)。
    ――ちょうどテレビ番組のウルトラシリーズが打ち切られた年なんですよね。
    高杉 本屋を3〜4軒歩いてようやく「ウルトラシリーズ入門」という小さい本を見つけて、それを送ってもらったんですよね。その本をマスク屋に持ちこんでセブンのマスクを作ってもらったんだよね。
    ――メキシコではセブンのマスクを被って試合はしたんですか?
    高杉 メキシコでは被ってないです。とりあえず帰国したけど、秋頃のシリーズから出ようかなって考えていたら、全日本から「夏のシリーズから出てくれ」って。そのシリーズにはマスカラスやチャボ・ゲレロが来るんだよ。そんなところに出たら、せっかくのセブンが死んじゃうのに。
    ――マスカラスと一緒だとセブンは埋もれちゃいますねぇ。
    高杉 でも、馬場さんは「出てくれ」って。
    ――馬場さんにセブンのマスクは見せたんですか?
    高杉 見せてないね。
    ――ということはセブンの動きも見てない。ウルトラセブンというコンセプトだけで馬場さんはGOサインを出したということですね。
    高杉 そうそう。それで大宮スケートセンターで興行があったときに「明日、大仁田への挑戦状を持って来てくれ」って言われてね。こっちは青森で知り合いと飲んでたのに大宮まで行くのが大変だったよ。
    ――けっこう行き当たりばったりですね(笑)。
    高杉 そのあと全日本の道場で練習をさせられたんだよ。佐藤昭雄さんから「高杉、若い選手とやってくれないか」ってことで。あの頃の若手は三沢光晴、越中(詩郎)、(ターザン)後藤あたりか。冬木はもともと国際にいたから知ってたけど。5分一本勝負で4人とやったのかな。夏の暑いときでさ。
    ――どうして馬場さんはそんなに慌ててたんですかね。
    高杉 そこはわからない。こっちもどういうファイトスタイルにするか固まってなかったし、もうちょっと準備期間がほしかったよね。大仁田とジュニア選手権をやるという計画だったんだけど、こっちは大仁田と手を合わせたことないんだから。佐山は邦昭と前座の頃から何度もやってるでしょ。だから相手の動きもわかるし、タイガーマスクと邦昭はいい試合になったんでしょ。
    ――ところでウルトラセブンは円谷プロに許可を取ったんですか?
    高杉 取ったんですよ。最初は円谷プロからクレームが来たんですけど。
    ――「最初は」って勝手にやったんですね(笑)
    高杉 日本テレビか全日本のどちらかにクレームが来たんですよ。そんときの全日本は馬場さんが会長で、日本テレビの松根(光雄)さんが出向社長。その松根さんが何度も円谷プロと交渉したらしいですよ。ウルトラマンとか勝手にやられてイメージを壊されたけど、松根さんは「今度は大丈夫だから」と。それで後楽園ホールに見に来たんですよ、円谷プロの人間が7人くらいで。
    ――もうデビューしてるのに確認するって、昭和のいい加減さが出てますね(笑)。
    高杉 そんときはチャボ・ゲレロと組んで大仁田&佐藤昭雄とタッグマッチだったんだけど。それがいい試合でねぇ、後楽園ホールがひっくり返るような盛り上がりで。これは自分の中でも最高の試合だったよ。客が沸いて沸いて!
    ――査定試合としては最高の出来。
    高杉 円谷プロの人間が松根さんに「今回はいいですよ!」ということで。だから許可はもらってるんですよ。
    ――でも、円谷プロの歴史上、公認したプロレスラーはウルトラマンロビンだけということなんですよ。
    高杉 ウルトラマンロビンなんてレスラーじゃねえべ(笑)。
    ――高杉正彦非認定レスラー、ウルトラマンロビン(笑)。いや、円谷プロが公認したレスラーという話で。
    高杉 そうなの?
    ――円谷プロとのあいだに契約書はあったんですか?
    高杉 どうなんだろうね?
    ――全日本から円谷プロに使用料などのお金は払っていたんですか?
    高杉 払ってないでしょうね。
    ――払ってない!
    高杉 そこは俺と全日本のあいだにも契約書はなかったから。口約束だけ。あんときさ、ウルトラセブンのTシャツを売ったりしたらかなり儲かったと思うよ。元子さん、やればよかったのに。
    ――そういうサイドビジネスがあってもいいはずですよね。
    高杉 だってファンが押し寄せて「セブンのマスクを売ってください!」って凄かったんだもん。でも、こっちはメキシコで10枚しか作ってないから売るわけにはいかないでしょ。あの頃は客が入ってたから、Tシャツやマスクを作ったら凄く売れたと思うよ。
    ――お話を聞くかぎり、全日本の戦略性をまるで感じないですね。もっとうまくプロデュースすればいいのに!(笑)。
    高杉 だって第5戦で若手だった越中詩郎にピンフォール負けしたんだよ。来週熊本で大仁田とのジュニアヘビー級選手権が決まってるのにさ。
    ――そんなバカな!!(笑)。藤波辰爾vs剛竜馬「敗者追放マッチ」の真相、SWS選手全員反対でご破算になったパイオニア軍団のSWS入り、メガネスーパー田中八郎と剛竜馬の狂った金銭感覚コンビ、剛竜馬の最期……インタビューはまだまだ続く! 
  • 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!■小佐野景浩のプロレス歴史発見

    2016-09-26 17:48  
    76pt
    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……。 イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!<参考記事>汚れたハンカチ王子騒動……ベースボール・マガジン社の黒歴史/ターザン山本インタビュー『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜■「斎藤文彦INTERVIEWS⑥」
    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
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    小佐野 『週プロ』の週刊化が83年の7月ですよね。翌年の5月に『月刊ゴング』も週刊化するんですけど。あの当時のプロレス雑誌って『月刊ゴング』と『月刊プロレス』の2強時代だったんです。
    ――月刊時代の売り上げは『月刊ゴング』が上回っていたそうですが、『月刊プロレス』の週刊化が脅威となったんですか?
    小佐野 いや、週刊と月刊だと読者層やパイが違うじゃないですか。売り上げ云々は関係なかった。ただ、81年から『ビッグレスラー』や『エキサイティングプロレス』といった雑誌が相次いで創刊されましたよね。その雑誌も『週プロ』に続いて週刊化されたら、さすがにマズイんじゃないかという会社の判断があったんですよ。
    ――『ゴング』だけ取り残されてしまうんじゃないかと。
    小佐野 ちなみに当時の『月刊ゴング』の編集長は竹内(宏介)さんじゃないんですよね。竹内さんは編集顧問という立場で日本スポーツ出版の社員ではなかった。竹内さんが日本スポーツ出版を退社したのは1980年12月。
    ――かなり早い時期に辞められてるんですねぇ。退社の理由はなんだったんですか?
    小佐野 ひとつには『月刊ゴング』創刊から携わってるから自由にやりたいという気持ちや、会社への不満もたぶんあったんでしょうね。
    ――竹内さんはもともと『月刊プロレス』の編集長でしたけど、ベースボールマガジン時代から反骨精神が強い方ですよね。作/アカツキ
    小佐野 その頃のボクは大学1年生で『月刊ゴング』のアルバイトという立場だから裏側のことは何も知らない。竹内さんが退社後は。ボクシングとキックの担当だった舟木(昭太郎)さんが編集長になったんです。
    ――のちに『ゴング格闘技』創刊に携わる舟木さんですね。
    小佐野 『ゴング』編集部の正式な社員は竹内さんと舟木さんだけだったんです。アルバイトで宍倉(清則、のちに『週刊プロレス』次長)さんとボクがいて、嘱託でウォーリー山口さん、ボクシング担当のアルバイトで原(功)さん。
    ――『ゴング』には巨大帝国のイメージがありますけど、少数精鋭での制作だったんですね。
    小佐野 月刊誌ということもあったし、基本は外部への依頼原稿ですからね。舟木さんはプロレスのことはよく知らないので、実質竹内さんひとりで作っていたんですよ。その竹内さんが離れることになったので、それまでバイトだったボクが編集者にならざるをえなくなったんです。立場はアルバイトだけど、ひとりの編集部員。それまで一般の会社勤めをしてた清水(勉)さんが入社し、ボクが新日本プロレスの私設ファンクラブをやっていたときの仲間だった小林(和朋)くんも加わって、編集部のかたちができてきたんですね。
    ――当時の日本スポーツ出版にはどれくらいの人間がいたんですか?
    小佐野 あの頃は『イレブン』というサッカーの雑誌もあったけど、20名いるかいないかの小さな会社ですよ。
    ――『月刊プロレス』のベースボールマガジン社よりは会社規模は小さいですが、売り上げは『月刊ゴング』のほうが上だったんですよね。
    小佐野 だって面白さが全然違いましたから。ファン時代から『月刊プロレス』と『月刊ゴング』を読んでいたけど、『ゴング』のほうが圧倒的に面白かった。
    ――何が決定的に違ったんですか?
    小佐野 『ゴング』には遊び心があったんですけど、一番はビジュアルですね。創刊してすぐに『ゴング』は2ページのカラーグラビアを導入したんですけど、それがもう衝撃的で。それだけで売り上げが違ったといいますね。
    ――カラーグラビア2ページだけで?
    小佐野 ボクが『月刊ゴング』を初めて買ったのは昭和45年本誌6月号なんです。表紙をパッとめくるとドン・レオ・ジョナサンのハイジャックバックブリーカーのカラー写真が掲載されていて、裏面がアントニオ猪木のコーナーからのキック。モノクロ特集ページでは囚人男コンビクトに密着していて、コンビクトが洗面所で顔を洗ってる姿を後ろから隠し撮りしてるような写真が載ってる。子供心にはもう大興奮ですよ(笑)。
    ――試合写真を画一的に載せる編集ではなかった。
    小佐野 竹内さんは美術部出身だし、映画も大好きだから。映画のポスターみたいにビジュアルを大切にしてたんですよね。たとえばスカル・マーフィーが来日したら、ゴムの骸骨のおもちゃをかじらせて写真を撮ったり、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックにはビール瓶の横で手を広げさせて、その手の大きさを見せつけたりとか。読者の視覚に訴える編集をやってたんですよね。
    ――いまだに小佐野さんの記憶に刻まれてるわけですもんね(笑)。
    小佐野 『ゴング』は昭和43年3月創刊(本誌5月号)なんですけど、最初グラビアページがディック・ザ・ブルーザーのアップの顔に馬場さんの16文キックの足がのめり込んでる写真。記事の見出しは「16文キックの正体」。馬場さんは足しか見えない。写真をそんなトリミングをする編集者、当時はいなかったんですよ。
    ――記事内容にも違いはあったんですか?
    小佐野 あの頃の『ゴング』は『東スポ』の桜井康雄さんが主筆だったのかな。実際に海外取材していたわけではなく、写真からイメージを含まらせて書いていたと思うんだけど(笑)。
    ――想像だけで「マスカラス、ドロップキック22連発!」と書いたファンタジー活字ですね(笑)。
    小佐野 『ゴング』は海外情報が強かったし、「私のプライバシー」という企画ではプロレスラーたちが衣食住を語っていたりして、読者の質問でインタビューをする企画もありましたね。その一方で門茂男さんの連載があったりして……。
    ――門さんって暴露系の色が強くて当時からすれば異色の存在ですね。
    小佐野 いま読むとけっこう踏み込んだ内容なんですよ。馬場と猪木のライバル物語「獅子と龍」という連載なんだけど、まあこれが生々しい……。「え、馬場と猪木は心の中でこんなドロドロしたことを考えてるのか……」って。子供として読むと幻滅する内容。というように、硬軟織り交ざっていて『ゴング』はプロレスのおもちゃ箱みたいな本だったんです。
    ――読者時代の『月刊プロレス』で印象に残る企画はありましたか?
    小佐野 ないですねぇ。
    ――ない(笑)。
    小佐野 『月刊プロレス』は内容が地味だった。向こうは鈴木庄一さんが主筆だと思うんですけど、鈴木さんの記事は文体が古かったんですよね。インタビュー記事にしても、どう読んでもその選手のしゃべり口調じゃなかったする。選手が「~~あろう」なんて言わないでしょ。
    ――キャラクターができてないんですね。
    小佐野 なので『月刊ゴング』との差は開く一方だったと思いますよ。
    ――巻き返し策として『月刊プロレス』は週刊化することになるんですね。
    小佐野 さっきも言いましたが、舟木さんは『ビッグレスラー』や『エキサイティングプロレス』があとを追って週刊化したら大変だという考えがあったんだと思うんですよ。
    ――早めに手を打って『月刊ゴング』も週刊化するべきだと。
    小佐野 ただ、竹内さんは週刊化に反対だったんです。その理由は、週刊化するとスキャンダルを扱わないといけなくなるから。
    ――『週プロ』の週刊化がうまくいったのは、毎週のように事件が起きて刺激的な誌面が作れたからという話ですね。
    小佐野 あの夏に新日本内部でクーデターが起きたことは『月刊ゴング』も記事にはしましたけど。それまでは外国レスラーが来日するとかがメイン記事であって、スキャンダル系はせいぜい“引き抜き”くらいですよ。それも月刊時代の『ゴング』がスクープしちゃってましたし。
    ――『月刊ゴング』がスクープに強かった。
    小佐野 そこは他の雑誌とは信頼度が違いましたよ。竹内さんと馬場夫妻、竹内さんと新間さんの絆は深いから太刀打ちできなかった。だって新聞相手にも負けなかったですから。
    ――月刊誌が新聞に負けないって凄いですよ!(笑)。
    小佐野 でも、レスラーの引き抜きはまだしも、リング外のゴタゴタやスキャンダルを竹内さんが追いたくなかったんですよ。『週プロ』と我々のやりたいことは違ったというか……あの当時の山本さんは“プロレス界の梨元勝”みたいなイメージがあったんですよね(笑)。
    ――ワイドショー型マスコミだった。でも、竹内さんはそこで勝負はしたくなかったんですね。
    小佐野 竹内さんは週刊化するなら関わらないと。実際に最初は『週刊ゴング』には関わらなかったんですよ。週刊化された以降も『月刊ゴング』は2年ほど出続けて、竹内さんはそこで自分の好きな本を作り続けていたんですよね。なんだかんだ週刊化にはアドバイスをしながら、竹内さんは自分のやりたことを貫いていた。『月刊ゴング』がなくなったあとは『週刊ゴング』でも記事を書いてましたけど、時流を追うことはしない。ある意味で贅沢な編集者生活ですよね(笑)。
    ――ベーマガが『週プロ』と月刊誌の『デラックスプロレス』を出していたように、『週刊ゴング』と『月刊ゴング』の2誌体制だったんですね。
    小佐野 月刊のほうには竹内さんと清水さん、週刊にはボクと小林くん、海外担当のウォーリーさん、あとファンクラブ仲間でもあった田中(幸彦)くんが新入社員として入ってきた。自分の意志ではなく否応なしに週刊に回されたんです。竹内さんも清水さんもいない。編集長の舟木さんはプロレスを知らないから、柱は経験の浅いボクと小林くんなんですよ(笑)。
    ――相当厳しい船出だったんですねぇ。
    小佐野 もう大変でしたよ。週刊化3号目でUWF分裂問題を取り扱ったんですけど。竹内さんと仲のいい新間さんの取り計らいで、ボクはハワイに飛んで、当時UWF所属だったラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田のフリー宣言をスクープしてるんですよ。
    ――旧UWFから離脱する、と。
    小佐野 でも、選手たちは帰国すると「あの記事は捏造だ」ってひっくり返した。ボクは捏造記者になってしまったんですよ(苦笑)。
    ――いったい何があったんですか?
    小佐野 団体を続けたいUWFの反・新間派が「そういう事実はない」としたかったんでしょうね。帰国したレスラーたちと話をしてフリー宣言を撤回させて、記者会見で捏造と発言させた。ボクのスクープは作り話ではあるとされてしまったんですよ。あのときの新間さんの計画では、UWFの選手全員にフリー宣言させて、「UWF軍団」として全日本に上がる、と。馬場さんもOKを出していたんですよ。その流れに沿ってボクは動いてたんですけど……。
    ――UWFの反・新間派の巻き返しにあってしまったんですね。
    小佐野 こうして捏造記事を載せたということで、週刊化したばかりの『ゴング』の評判はガタ落ちになってしまったんですよねぇ。
    ――UWFとの関係も悪くなりますよね。
    小佐野 当時佐山さんの個人マネージャーだったショージ・コンチャがUWFとくっついて、佐山さんがザ・タイガーとして復活するんですけど。ショージ・コンチャは新間さんと仲が悪いので『ゴング』を取材拒否してたんですよ。
    ――佐山タイガー復活を『ゴング』は扱いづらくなりますね。
    小佐野 そこでの救世主は三沢タイガーだったんです。佐山さんが復帰した無限大記念日の前日に三沢はメキシコから帰国。『週プロ』は無限大記念日の模様が表紙、こっちは虎のマスクを被った三沢の2代目タイガーマスクが表紙だった。
    ――虎対虎の報道合戦(笑)。
    小佐野 そのあと『週プロ』はUWF路線を突き進むんですけど、9月に新日本から選手大量離脱劇が起きて、長州たちがジャパンプロレスとして全日本プロレスに参戦するじゃないですか。そこは『ゴング』の独壇場ですよ(笑)。仕掛け人の大塚(直樹)さんのことはファンクラブの頃から知ってるし、ボクは高校時代に大宮スケートセンターで長州さんの取材もしたことあるんです(笑)。ボクは週刊化に伴って全日本担当になったんですけど、その頃になると馬場さんも担当記者として認めてくれて、いろいろと話せる間柄になりましたし。
    ――最初は戸惑いがあった週刊記者の生活が楽しくなってきたんじゃないですか? 
    小佐野 楽しかったですねぇ。取材で走り回ってる時間が楽しくて楽しくて。それにボクはおもちゃ箱のような雑誌を作りたくても、竹内さんのようなデザインセンスに優れてなかったので(笑)。週刊誌は自分でレイアウトしてる時間がないから社内デザイナーにすべて任せますから。
    ――ライバル誌の『週プロ』も動きは気になりました?
    小佐野 あの当時『週プロ』から誰が全日本に取材を来ていたのかもおぼえていない。それくらい気になってなかった。印象に残ってるのは、UWFが潰れるか・潰れないという時期に福島でUWFの興行があって。「これが最後の興行かもしれない」ということでなぜかボクが取材に行かされたんですよ。興行終わりの帰りの電車の中で原稿を書いていたんですけど、違う席で山本さんも何か書いてたんです。「山本さん、何を書いてるんですか?」って覗いたら、たぶん佐山さんの連載手記なんですよ。ちなみにボクは大塚さんの連載手記を書いていて(笑)。
    ――お互いの色が出てますね(笑)。『週プロ』と取材姿勢の違いは感じましたか?
    小佐野 ボクはプロレスラーに対して同じ業界の人間という接し方でしたね。マスコミとしては間違ってるかもしれないけど、みんな同じ仲間。レスラーもそういうふうにボクらのことを迎えてくれたんですね。逆に『週プロ』はレスラーと一緒に飲んだりしてバカやったりはしない。
    ――距離を取っていたんですね。
    小佐野 かといって、『ゴング』が記事に手心を加えるかといえば、決してそんなことはなかった。ボクとしてはその選手にとってイヤな記事を書くとするじゃないですか。「アイツに書かれるなら仕方ない」と思われるくらいの関係になろうと。
    ――それは難しい作業ですね。
    小佐野 それでも結局、全日本担当記者時代には、個人として取材拒否を2回受けてますからね。この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1112535
     
  • 「かつての薬漬けの自分のことは好きではない」チェール・ソネン、ベラトールで電撃現役復帰■MMA Unleashed

    2016-09-23 13:35  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……
    かつてのオレのジュース濃度はトロピカーナより高かった
    チェール・ソネン、ベラトールで電撃現役復帰

    元UFCタイトルコンテンダー、”アメリカン・ギャングスター”、トラッシュトークの鬼、チェール・ソネン(39)(29勝14敗1分)とベラトールと複数年契約(3年間、6試合とみられる)を交わし、現役に復帰することが明らかになった。
    ベラトールはここにきて、ベンソン・ヘンダーソン、マット・ミトリオン、ローリー・マクドナルドら、UFCファイターを相次いで獲得、シェーン・カーウィンとの契約も確実視されているとされ、選手層は着実に厚くなりつつある。
    ソネンは2014年のヴァンダレイ・シウバ戦に先立つ抜き打ち薬物検査で、HGH(ヒト成長ホルモン)、EPO(エリスロポエチン)を含む複数の禁止物質が検出され、ネバダ州アスレティック・コミッションから2年間の出場停止処分を受けていた。今年7月に出場停止が明けたソネンは、UFCアンチドーピング・プログラムに従い、USADAによる薬物検査の対象者に登録、すでに4回の抜き打ち検査を受けていたというから、本人はUFCでの復帰を念頭に置いていたものと思われるが、一転してベラトールでの再出発となった。なお、4回の抜き打ち検査の結果は全て陰性(合格)であった。
    ソネンのベラトールでのプロモーショナルデビューは米国時間11月19日に開催されるサンホセ大会、対戦相手はティト・オーティスが濃厚だとみられる。今回は復帰を果たすソネンの発言をまとめてみたい。
    現役に復帰することについて
    現役復帰は少し前から備えていた。ここしばらく、ダイエットをして体調を整えたり、スパーリングもゆっくりと再開していた。準備はできている。
    (復帰しないと明言していた時期もあった)別段、けむに巻いてやろうと思っていたわけではない。ある時オレは、「どの程度MMAをやりたいのか」を考えてみたんだ。しばらく考えてみて出た結論が、「まだしばらくはやりたい」ということだった。それで練習に戻っていたら、なんだ、結構身体が覚えているじゃないか、と思った。みんなそういうことを言うんだが、自分で実感したのは初めてだった。
    (そもそもなぜ復帰)オレにはこれしかできないからだよ。MMAはオレ自身であり、オレにとっての社会でもある。もともと友だちつきあいも多い方ではないし、最近は自由時間が多すぎた。オレは自由時間が嫌いなんだ。
    ”試合後うつ”という言葉があるが、それって勝ったか負けたかは関係ないんだ。華やかな舞台であらゆる注目を浴びる。勝てば大きな達成感が味わえる。でも次の日の朝、目が覚めて自問自答するんだ。「で、どうするっていうんだ?」。そうすると一段と大きなうつがやって来る。
    なぜUFCではなくベラトールで復帰することになったのか
    最初は、現役復帰といえばUFC以外にはないだろうと思っていた。UFCで復帰することが前提だと思っていたんだ。
    裏話は今は伏せておきたい。そのうちお話ししよう。今はまだ話す準備ができていない。まあ、デイナはシャークだよ。これは褒め言葉だぞ。それ以外には言葉が見つからないよ。
    1つ言えることは、UFCはペイ・パー・ビューのビジネスモデル、ベラトールは視聴率のビジネスモデルだ。自分はそのどちらで働きたいのか、という選択ではあったんだ。

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  • 格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?■二階堂綾乃

    2016-09-21 17:22  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「格闘家の汗の匂い問題! おすすめの洗剤と柔軟剤は?」「嫁が貴方の靴が臭いので捨ててよいかと涙目で聞いて肩を揉むように頼んだら屁をしてしまいなんでこんなに臭い思いしないといけないんだと本当に泣いている。」
    去年青木真也選手がTwitterでこうつぶやいていましたが、青木選手の奥さんの気持ち痛いほどわかります。私のパレハも毎日大量の練習着や靴を汗びっしょりで臭くして帰ってくるのですが、特に夏は泣きたくなるほど臭いです。まあウチの場合、私がパレハに臭い臭いと言いまくって「俺だって好きで臭くなってるわけじゃないよおぉ!」と逆にパレハを本当に泣かせてしまったのですが。そうですよね。パレハも野原ひろしも好きで臭くなっているわけじゃないですよね。頑張れば頑張るだけ臭くなるんですよね。
    今回はそんな格闘家の汗のにおい問題について、私がいつも工夫していることをご紹介したいと思います。

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  • リングスオランダとドーピング、どっちが怖い?/金原弘光

    2016-09-21 15:12  
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    伝説のプロレス団体UWFインターナショナルでデビューして、キングダム、リングス、PRIDEと渡り歩いた日本格闘技の生き証人金原弘光がゼロゼロ年代を振り返ったり、振り返らなかったりする連載インタビュー。今回のテーマは「ドーピング」です!<関連記事>日本人柔術家が衝撃提言!? 「日本人格闘家はどんどんドーピングしたほうがいい!」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1100371<無料記事>金原弘光、整骨院をオープン! 格闘家のセカンドライフとは何か?http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1074715――いままで相手にされた反則で印象に残ってるものってなんですか?
    金原 リングスの頃はね、もう大変だったよ!(苦笑)。
    ――ハハハハハハハハ! とくに“飾り窓”の用心棒たちが集まっていたリングスオランダは大変そうですね(笑)。
    金原 リングスオランダの連中は身体にオイルを塗っていてヌルヌルしてたし。
    ――エスケープありのルールでオイルを塗られたら、グラップラーには地獄ですよねぇ。
    金原 (ハンス・)ナイマンなんかレフェリーにわからないようにヒジを入れてきたよ。UFCはオッケーだけど当時は反則だったから。あと何気なく目や口に指を入れてきたりとかさ。オランダの連中は何をやってくるかわからない怖さがあったよね。
    ――リングを降りても彼らは物騒な連中だったんですか?
    金原 リングスの頃ってリング以外で外国人選手と会う機会がそんなにないんだよね。対戦相手とはまったく会わないし、しゃべることがない。いつ来日してるのかもわからないし、リングスロシアの場合は新宿のスポーツ会館で練習しててリングス道場には来ないしね。
    ――KOKルールなら対戦相手と接しないのはまだわかるんですけど、旧リングスルールでそんな感じだと緊張感ありますね。
    金原 何をやってくるかわからないから本当に怖いよ。とくにリングスオランダは本当に危険だった。試合中も気も抜けないし、それでいていい試合を意識しないといけないでしょ。まだKOKルールのほうがやりやすかったよね。
    ――たしかにKOKルールのほうが覚悟は決めやすいですね。
    金原 橋本真也vs小川直也戦だってさ、普通なら暴走した小川さんが責められて終わりなんだけど。前田(日明)さん的には「橋本が悪い」となるんだよね。
    ――当時の新日本の選手やフロントもそういう認識だったようですね。
    金原 前田さんがそういう考えだから、リングスオランダがやってきても、こっちが受けて立たなきゃいけない。リングスロシアの選手はそんなことはなかったけどね。
    ――リングスロシアはプロフェッショナルだったんですね。
    金原 リングスに上がるときに説明されたもん。「オランダとロシアは違うよ」って。リングスロシアはUインターの姿勢に近いよね。
    この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ!
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  • 日本MMAが日本柔道から学ぶべきもの…「もっとミックスドマーシャルアーツしろ!」/中井祐樹インタビュー

    2016-09-21 14:01  
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    Dropkickチャンネルで日記を連載中の中井祐樹先生がリオ五輪の日本柔道大躍進からジャパニーズMMAの今後を占う! シューティング創成期、佐山サトルに地獄の合宿をリクエストするほど、強さに拘った男の直言に耳を傾けろ!◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part31は大好評インタビュー9本、コラム11本、13万字オーバーで540円!!(税込み)  試し読みも可能です!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857■「久しぶりにターザンが面白い!」と大絶賛!
    ターザン山本インタビュー
    汚れた「ハンカチ王子」斎藤佑樹騒動……ベースボール・マガジン社の黒歴史/SWS田中八郎と剛竜馬、その極太な関係――!! 
     
     
    ■アジャ・コング デビュー30周年記念インタビュー①
    「あの頃の全日本女子プロレスは、AKB48やジャニーズだった」
    勝たないと稼げない! 衝撃の「押さえこみルール」の実態にも迫る!
     
     
     
     
    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチ特集
    斎藤文彦INTERVIEWS⑤「ゴッチさんの自伝がないのはなぜだと思います?」
     
    神様最後の話し相手・西村修「ゴッチさんはもう一度、日本に来たがってたんです。でも……」
     
     
    ■事情通Zのプロレス点と線
    G1優勝! ケニー・オメガの「DDT発言」とはなんだったのか?/G1決勝進出決定! そのとき後藤洋央紀は……
     
    ■小佐野景浩のプロレス歴史発見
    ガチンコすぎる真夏の祭典!
    プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス
     
    ■UFC、新生K−1、ベラトール、DEEPが無料で見られるAbema大革命!
    AbemaTV格闘技チャンネル担当者インタビュー「格闘技ファンの力で大きくなりました!」
     
     
    ■あびる優、絶叫再び!
    才賀紀左衛門「奥さんが格闘技やることに基本反対。連敗したらやめるとか約束付きです」
     
    ■RIZIN親子参戦! 山本アーセン「話題が絶えない家族ですよ。いつも何かありますよ(笑)」
     
     
    ■オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・大反響! 塾長ドン・フライ、堂々のUFC殿堂入り! 万感のスピーチを読め!
    ・ドナルド・トランプとUFCの奇妙な関係
    ・マーク・ハント大激怒!  労働組合委員長として腐敗の巣窟UFCと戦ってやる!
    ・暴力柔術 is back! ニック・ディアスは開口一番に何を語ったのか
    ・UFCオーナーチェンジ完了!! GSPは復帰するのか、そしてニックは薬物検査を切り抜けられるのか
     
     
    ■MMAジムにも通いだしたプ女子・二階堂綾乃
    柔道、レスリング……わいた耳の話/プ女子がプロレスを好きになったきっかけ
     
     
    ■MMAオレンジ色の手帳
    数字で見る格闘技〜MMAで成功する日本人五輪選手とは!?/田村潔司にぶつけたい若手MMAファイター
     
    ■総合格闘技界のレジェンドが綴る格闘技の日々
    中井祐樹の「東奔西走日記」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1095857◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉

    ――中井先生は『本当の強さとは何か』刊行記念トークショーの際に「柔道日本代表はけっこうメダルを獲ると思う」と予想していたそうですね。前回のロンドン五輪では金メダルは1個で終わりましたけど、今回は金3個を含む計12個。中井先生はどこに日本柔道復活の可能性を感じていたんですか?
    中井 日大の金野潤先生(取材後に柔道強化委員長就任が発表)と柔道と柔術の合同練習会で動いていたときに、率直な話をする機会があったんですが、トップ選手たちはいまのルールに対応した独自の柔道をうまくやっているってポロって言われてたんです。日本柔道って、相手の足を触ることが禁止になった新ルールで苦戦してるという印象が強いじゃないですか。柔道の国際化により「柔道が柔道じゃなくなった」という論調も多いですし。
    ――「柔道がJUDOになってしまった」という嘆きもありますね。
    中井 新ルールだと実力が上の相手に対抗することがなかなか難しくなってきたんですよ。個人的には「柔道が柔道でなくなってしまった」とまでは言わないですけども、工夫して勝つことが難しくなってきてるなあとは思っていて。でも、金野先生の話を聞くかぎり、日本の選手たちはいまのルールの中で自分たちの柔道をクリエイトしてると思ったんです。
    ――だからメダルラッシュを予想できたんですね。金野先生は中井先生とも交流を図ったり、柔道以外の格闘技にも研究熱心なんですよね。
    中井 金野先生は「柔道がブラジリアン柔術(以下BJJ)と交流することで何かを掴んでほしい」と言ってましたね。何かを掴んでほしいというのは幅の面です。ボクが思うに、BJJを習ったから柔道が強くなるというのは基本的に幻想だと思ってるんです。
    ――柔術を習っても柔道が強くならないと?
    中井 はい。BJJも想像以上に柔道に影響を与えたとは思うんですけど、それでもメインにはなりえないです。むしろ補完するものだと思ってます。
    ――補完することが「幅を広げる」ということなんですね。
    中井 これは常に言ってることなんですけど、柔道の強い抑え込みに繋がるものはBJJのメインではないですから。BJJは上下を入れ替える技術や、バックを取る技術が特徴的ですけど、それって柔道ではあまり価値がないんですよ。だから、そのまま柔術の技術を取り入れてもうまくはいかないってことは事実としてある。それは柔道からボクに指導の依頼がきたときに必ず伝えてるんです。
    ――柔道方面から指導の依頼は頻繁にあるんですか?
    中井 来ますね。来週は高校の柔道部に行ってきますし、中学や大学の柔道部にもチョコチョコと指導してます。強いところから、そうでもないところまで(笑)。ただし、呼ばれるのはボクと青木真也くらいじゃないですかね。あと植松直哉や大賀幹夫。
    ――リオ五輪の柔道では寝技の時間が長くなってましたけど、以前より寝技が重要視されてるところもあるんですね。
    中井 ここ数年、寝技の時間は長くなってるんですよね。それにはいろんな説があります。本当のことはわかりませんけど、BJJを取り込もうとしてる……とか。BJJの人気が柔道を食わんばかりになってるという意識も多少あるから、こっちに取り込んでしまおうという。「柔道でこんなに寝技ができるなら柔道でいいじゃん」ってことですよね。あるいは寝技に視聴者のニーズがあるとか言われてますが……本当のところはわかりません。 
    ――以前よりBJJが柔道の視界に入ってることはたしかなんですね。
    中井 漏れ伝わってくる話によれば、警戒ではないですけど、相当視野に入ってるらしいとは聞いてるんです。だから私のところにもオファーがあるんでしょうし。あ、勘違いしないでほしいのは、指導の依頼は全柔連からは来てないんですよ。今回のオリンピックに向けて、全柔連が積極的に組んでいたのはサンボ連盟のほうなので。
    ――中井先生の日記でもそう書かれてましたね。
    中井 全柔連がサンボの合宿に行ったり、サンボの松本秀彦先生が全柔連の強化合宿に呼ばれたと聞いてますね。よく柔道がBJJの影響を……という書き方をされますけど、ぶっちゃけサンボのほうなんですよね。でも、あまり記事にならないからFacebookのサンボ人脈たちが「BJJというよりサンボなんだけどなあ……」ってボヤいてますし(笑)。
    ――ボヤくサンボ人脈(笑)。
    中井 どうしても書き手によって「BJJと柔道が……」というストーリーができちゃってるかな、と。たしかに局所で柔道とBJJの交流はありますよ。ウチにも柔道のトップ選手が練習に来たりしますから。
    ――以前の交流はどうだったんですか?
    中井 なかったわけではないですね。私も現役のときには大学の柔道部に練習に行ったりしてましたし。でも、それもあくまで局所なんです。たしかに柔道家が柔術をやるケースは増えてるかもしれないですけど、ごく僅かな数で。とはいっても、世界的には各国の柔道のトップ選手がMMAファイターたちと一緒に練習してるのも事実なんですよ。ニュージーランドのオリンピック候補選手がある人の紹介でウチにも来たことがあります。その選手がオリンピックに出たかどうかは確認できてないですけど、柔術は青帯。やった感じは柔道家らしいガッチリとした柔術。日本に住んでいたら紫か茶くらいかもな……って実力で。普段は「UFCファイターと練習してる」って言ってましたね。
    ――UFCファイターと!
    中井 それがあたりまえの光景になってるんですよ。そういうところからも、柔道側の格闘技の見方が変わってきてることを感じますよね。
    ――いろいろと取り組んでいこう!と。柔道日本代表は沖縄角力(おきなわ・すもう)から学んでいたそうが、中井先生のジムからも沖縄角力の大会に選手を派遣してるそうですね。
    中井 沖縄角力自体に詳しいわけではないんですけど、サンボ人脈からその存在を聞いていたんです。サンボって総合格闘技的なところがあるので、モンゴル相撲や沖縄角力などのアプローチが盛んだったんですよ。そういう繋がりから、パレストラ東京は2000年前後から沖縄角力に選手を出していて。
    ――年に一度、鶴見で沖縄角力の大会が開催されてるそうですね。
    中井 鶴見の大会は大正時代からやってるみたいです。今年で第72回と銘打たれてますけど、それも適当らしいんですよね。おじいちゃんたちが運営してるのでちゃんとカウントしてないし、ウェブにも情報が出てないんですね。
    ――神秘の格闘技ですね(笑)。
    中井 総合のジムで沖縄角力に出てるのはウチくらいなんですけど、それも「なんだかなあ……」って首を傾げてるんですよ。「そんなことで大丈夫ですか、格闘技界の皆さん?」って。こういうことを言うと「中井さんはああいうエスニックなものが好きなんでしょ」という認識だと思うんですけどね。
    ――マニアックな格闘技が好きなだけじゃないか、と。
    中井 だから冷たい反応しかないんでしょうけど。ボクが沖縄角力に選手を出しているのは、レスリングや柔道に選手を出すことと変わらないんです。
    ――他競技から何かを学ぶというの一環なんですね。
    中井 ボクはその前提なんですけど、総合のジムで柔道やレスリングにすら選手を出さないところもある。柔道の大会に選手を出してるのはウチくらいですよ。レスリングは最近は他のジムからちょこちょこ出るようになったんですけど、興味を持たないのはなんとなくわかります。たとえばBJJをやっちゃうと、そこはオアシスですから。BJJは弱者を守るルールだし、ガードポジション保護法案だし(笑)。 
    ――ガードポジション保護法案(笑)。
    中井 BJJって立技を1秒でもやりたくない人たちにとってはオアシスなんですよね。オアシスなんでBJJしかできなくなる。BJJは素晴らしいスポーツだし、ボクも推進者ではあるから間違いないんだけど……。格闘技で本当に強くなろうとか、世界に勝とうと思ってる人たちもみーんなBJJの世界に入ってきちゃうんですよねぇ。
    ――そこだけに留まってはいけないということですか。
    中井 BJJ自体はこのまま進めば間違いないんですけど、あまりの他競技への関心のなさにビックリしてるんです。それはBJJだけじゃなくて総合格闘技も同じですよね。口では「レスリングが大事だ」とは言うんですよ。だけど、ジムの生徒にレスリングの大会に出ることを薦めてもないでしょ。柔道をやることに総合とのつながりがあることさえ気づいてないんですよ。
    ――沖縄角力にも気づきはあるということですね。この続きと、高杉正彦と剛竜馬、中村祥之と仲田龍、ドーピングの闇、プ女子とお金などの記事が読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ!
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  • 【無料記事】RIZIN包囲網? 強力裏番組を徹底解剖〜9.25視聴率大戦争〜

    2016-09-16 14:57  
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは「9月25日RIZIN視聴率戦争の行方」! もういくつ寝ると「RIZIN FIGHTING WORLD GP 2016 無差別級トーナメント 開幕戦」。今大会は大会当日(9月25日)にフジテレビのゴールデンタイムに放送される事が早々と決定したためか、大晦日以上にお茶の間に響きそうな大ネタのオンパレード。山本美憂×RENAの新旧女王対決にリオ五輪のアマレス勢躍進の勢いに乗って吉田沙保里のライバル村田夏南子が連続参戦。さらには才賀紀左衛門×山本アーセンのポテンシャル対決はあびる優×山本ファミリーの大絶叫声援対決も込みで瞬間最大視聴率の有力候補。その他にも所英男のグレイシー狩りに今やタレントと呼んだ方がよいくらいバラエティー番組でよく見かけるバルトに知名度の高
  • CMパンク狂騒曲終幕!  次戦はベラトールか、RIZIN桜庭戦か■MMA Unleashed

    2016-09-16 14:45  
    76pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……CMパンク狂騒曲終幕
    あとに残されたものは何か、そしてパンクの今後はどうなっていくのか


    PPV中継の解説を担当していたジョー・ローガンが「場違い」「白帯と茶帯がロールするとこういうことになるんです」と評したUFC 203でのCMパンクのMMAデビュー戦。会場となったクリーブランド州オハイオのクイックン・ローンズ・アリーナは、くしくも2年前にパンクがWWE総帥ビンス・マクマホンに最後通牒(つうちょう)をつきつけ、プロレスから足を洗ったその場所だった。2年前にUFCと8試合契約を締結していたパンクはただの一発のパンチも出すことができぬまま、134秒の厳しい現実に沈んだ。今回はCMパンクデビュー戦の反響やその後の情報をまとめておきたい。
    ●試合直後、ジョー・ローガンにマイクを向けられた敗者パンクは次のように語った

    人生では、ビッグになれなければ家に帰るしかない。僕はチャレンジをすることが好きだ。確かにUFCはすごく高い山だし、今回は登れなかった。でもだからといって、これで諦めるつもりはないし、辞めるつもりもない。
    僕は必ず戻ってくる。今日は僕の人生で、ワイフとの結婚式に次ぐ、2番目に楽しい時間だった。多くの人が、あいつにできるわけがないだろうと思っていることは知っている。でも人生は、倒れては立ち上がる、その連続なんだ。何回倒れたかは関係ない。立ち上がることが肝心なんだ。子どもたちに言っておきたい。親やコーチや先生や、君たちの背中を押してくれるはずの人から、もう辞めろと言われたら、その人の言うことを聞いてはいけない。
    それより、自分を信じなさい。思うような結果が出ないこともある。でも本当の失敗とは、挑戦しないことなんだ。今負けたばかりの男からこんな説教は聞かされるのはおかしな話かもしれないが、僕にとっては今日はすばらしい時間だった。


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  • 不良先輩、UFC TIME、 アジア柔術選手権…/中井祐樹の「東奔西走日記」9月1日〜14日編

    2016-09-16 10:01  
    76pt

    日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は9月1日〜14日編です!9月1日 木曜日 晴れ 私のベーシック 朝、今日はUFC放送の収録が午後からとなったため若干の時間ができた。札幌北高校の先輩にして世界的ベーシスト、ベースニンジャこと今沢カゲロウさんの新作をいち早く聴く。ウーン良いなあ。 調子に乗って映画をDVDで。『ゲッタウェイ』、スティーヴ・マックイーンの傑作である。高校ん時以来かな、30年ぶり位に見たくなって借りたのだ。カッケー。 昼前に家を出て、UFC収録へ。デミアン・マイア、ジム・ミラー、渋いな~。いい味出してます。 戻って一件ミーティング。法務省所管の機関で、刑務所や拘置所・少年院などに勤務する矯正職員さんが学ぶ「矯正研修所」の9月20日(火)の授業に外部講師として中井が登壇する運びになった。「人材育成」などをテーマに話す予定です。職員さんの中には柔術やってる方や格闘技が好きな方も居られるみたいです。よろしくお願いします。 私、中井はニーズに応じた講演・実技指導等も承っています。お気軽に問い合わせ下さいね。 夜は柔術クラスで締め! ベーシックをしっかりと。9月2日 金曜日 晴れ マーシャルアーツ・コミュニケーション アジア柔術選手権が近くなり、国際色豊かな昼柔術。みんなに良いコミュニケーション手段となるな格闘技は。とにかく皆、何かしらやるべきだよ。9月3日 土曜日 晴れ 指導ざんまい セントラルウェルネスクラブ新浦安・キッズレスリングスクール~リリオセントラルフィットネスクラブ・亀有キッズレスリングスクール~町田支部指導。各スクール、ちらほら体験や新たな方が見えてきた。まずは楽しくやれるように配慮していきます。ぜひ皆さん仲間になりましょう!9月4日 日曜日 晴れ ぐったりday 朝から目覚めてはぐったり。寝直したりを繰り返すもグロッギー状態。こんなはずじゃ…。メンバーの応援に行くつもりだったD-NETグラップリングもあえなく欠席。みんなすみません。 何度目かの寝落ちから這い上がったら次男しか居なく、昼夜微妙に重なった時間ながらうどんを食べに行った。いろいろ話した。全体的には低調な日だったがかえって良かったかもしれないな。9月5日 月曜日 晴れ 俺の本音を聞いておけ 昨日、池田聡さんと角松敏生さんが吉祥寺で共演したことをTwitterで知る。ご両人のファンである自分にとってこれは事件だ。見たかった…。まあ、D-NETグラップリングにも行けないほどだったからどっちみち無理だったのだが。不仲説もあり密かに心を痛めてたんだが、それも吹き飛んだ。良かった。 自分は格闘技でこういうことやりたいんだよね。試合/大会/練習/講習などでいろいろなコラボレーションを。ファンや愛好者に夢を。混ざりまくるさこれからも。 メンバーより練馬区民柔道に申し込んだとの知らせが入った。柔術やMMA人にとって他の武道との交わりは試金石といえる。礼儀や流儀、人間的にも様々に試されるのだ。 郷に入ったら郷に従え。それができるか?出稽古にも礼儀があり、私は絶対に最初から参加する。途中参加はしない。挨拶は欠かさない。 ウチのジムではうるさくはしない。ウチでだけやるならばひたすら楽しんでほしいからだ。しかし外部と接触するならば話は別。かなり厳しい話もするが俺の本音を聞いておけ。

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  • 【キックボクシング関ヶ原】あのブシロードが電撃参入! 『KNOCK OUT』とはなんだ?

    2016-09-15 11:58  
    76pt
    新日本プロレス親会社ブシロードがなんとキックボクシング界に参入! キックイベント『KNOCK OUT』を旗揚げすることになった。現在の立ち技系は新生K−1/Krushの躍進が著しいが、新日本をV字回復させたブシロードの手腕でキックボクシング界隈はどう変わっていくのか? ライターの高崎計三氏に話を伺った。<関連記事?>【無料公開】BABYMETALが「WWE/NXT」の大会テーマ曲に!  プロレスとヘビーメタルの相性とは? http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1056523──げ、げ、げ、原理主義者だあ!……ということで「キック原理主義者」の高崎さん! ブシロードが新イベント『KNOCK OUT』を立ち上げるそうですが、いまキック界で起こっていることを「キックぼんやり層」のボクにもわかるように解説してください!
    高崎 というか、俺は「キック原理主義者」じゃないよ! これじゃあ前回やったBABYMETAL記事の続きでしょ。
    ――ああ、キック原理主義者じゃなくてBABYMETALを認めないメタル原理主義者でしたね。すいません。
    高崎 いや、だから俺はメタル保守派なんだよ!
    ――そんな話は置いとくとして、ブシロードは新日本プロレスのオーナー会社なのでプロレス方面から『KNOCK OUT』の情報は入ってきてるんですが、なにせ「キックぼんやり層」だからわからないことだらけで。
    高崎 『KNOCK OUT』発足にあたって、キック界内の関係者からも「これ、どうなってるの?」と聞かれることはけっこう多いんですよね。みんないろいろと探りを入れているところなんでしょうね。
    ――ざっくり言うと、キック方面ってこうなる前から「新生K-1 vs 非K-1」という対立構図があって、選手移籍だなんだでもの凄い緊張関係にあったじゃないですか。
    高崎 ノーコメントです(笑)。
    ――『KNOCK OUT』には非K-1勢が集結するようですし、NHK大河ドラマ「真田丸」じゃないですけど、天下分け目の“キック関ヶ原の戦い”が始まるんじゃないかというドキドキ感があるんですよね。
    高崎 うーん、さすが「キックぼんやり層」。完全に野次馬だ(笑)。
    ――いやいや、これはプロレス格闘技方面にも大きな影響を与えかねない一大事ですよぉ! 新生K-1を運営しているGENスポーツエンターテインメントは、プロレスではWRESTLE-1もやっていて、そのCEOはDDTの高木三四郎大社長。一方、ブシロードのほうでは新日本プロレス、そして今回の『KNOCK OUT』。プロレス団体ではNOAHをコントロールできる立場にもありますね。
    高崎 両方ともプロレスとキックを抱えたわけですよね。
    ――RIZINは新生K-1とシュートボクシングと付き合いがあるけれど、そのシュートボクシングは非K-1の位置にいたり……もの凄く複雑な状況なんですが、まずおうかがいしたいのは、この『KNOCK OUT』の始まりはどういうものだったんですか?
    高崎 元キックボクサーの小野寺力氏がプロデュースしていた『NO KICK NO LIFE』というイベントが今年7月に終了したんですけど。これがなんの前触れもなく突然終了を告げたんです。要は『NO KICK NO LIFE』がブシロード新イベント『KNOCK OUT』にリニューアルされるからで。
    ――あの終了発表のとき「ブシロードのキック進出の噂は本当だったんだ!」ってことでちょっとした騒ぎになりましたね。
    高崎 そして9月1日にあらためて、小野寺力とともにブシロードが『KNOCK OUT』というイベントを開催することが正式発表されました。そのときに「え? ブシロードがキックをやるんだ!」と驚いた方がけっこういたと思うんですけど。じつは『NO KICK NO LIFE』のスポンサーには、2年前からブシロードがついていたんです。その関係を知っていると、この発表の理解は早かったと思うんですね。
    ――ブシロードは『KNOCK OUT』の運営会社として株式会社キックスロードを立ち上げましたね。
    高崎 それでもブシロードが全面に立ってやるということが意外だった人は多かったと思いますけどね。
    ――この原稿が掲載される頃には9月14日の旗揚げ会見が行われ、その全貌があきらかになるわけですが、噂の段階ではどういうふうに伝わっていたんですか?
    高崎 一言で言えば、『NO KICK NO LIFE』が地上波をつけて大きな大会になると。『NO KICK NO LIFE』というイベントは、もともとは小野寺力の引退興行から始まったもので、渋谷のライブハウスでのイベントも何回かあったにせよ、基本的には1年に1回、大田区体育館で行なわれる単発イベントだったんですよ。年1回だから、いろんな団体から選手を借りれて、注目カードが組めていたというのがキック界の認識だったんです。それが今度からは年1回というわけにもいかなくなる。
    ──単発イベントではなくなるわけですね。
    高崎 6月ぐらいの噂では「新会社ができるけど、代表取締役は小野寺さんじゃないらしい」と聞いたんですよ。じゃあ、小野寺氏はどのぐらい主導権を握れるのかなと言ってる関係者も業界内にいたんですよね。
    ──ブシロード、キックスロード、小野寺氏はどういう関係性になるのか?と。
    高崎 小野寺氏はイベントプロデューサー的な立ち位置ですよね。キックスロードが立ち上がるにせよ、ブシロード界隈にはキック界に明るい人はいないわけじゃないですか。強いて言えば、木谷オーナーが以前から長島☆自演乙☆雄一郎を応援していたぐらいで。だから、マッチメイクなどの実務面は小野寺氏が担当。大会周りや広報面はキックスロードが担当するんだと思います。キックスロードの社長になる花澤(勇佑)さんという方は、そもそもブシロードの社員で、新日本プロレスに出向していた方だと聞いてますけど。
    ──プロレス界隈から聞いた話だと、花澤さんはカードゲームの『キング オブ プロレスリング』の担当だったけど、キックイベントに対してもの凄く情熱があった。会社を辞めてでも立ち上げるつもりだったのを、格闘技大好きの木谷さんが引き止めてブシロードとして関わることになったとか。
    高崎 そうなんだ。俺がうっすら聞いたのは、木谷さんがキックイベントにやる気満々で、新日本に出向していた花澤さんが引き戻されたという話だったんだけど、どっちが本当なんだろう(笑)。
    ──どっちに転んでもブシロードはやる気いっぱいということですね(笑)。試合中継はどうなるんですかね。
    高崎 そこなんですよね。

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