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記事 27件
  • 【12万字・詰め合わせセット】中村頼永、呪われた鉄の爪、RIZIN議論、グレート小鹿、那須川天心…

    2017-08-31 23:59  
    540pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part43は大好評インタビュー12本、コラム7本、12万字オーバーで540円!!(税込み) 
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    part42
    ◎これを読めば総合格闘技の成り立ちがわかる――!!「ヒクソンを日本に呼んだ男」中村頼永ロングインタビュー前後編!
    ・「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」……<シューティング黎明編>
    ・運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相……<ヒクソン来襲編>
    ◎斎藤文彦INTERVIEWS怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇◎「頑張った先にRIZINがあるとは、いまのところ思えない」…RIZINのモヤモヤは何なのか?■大沢ケンジ
    ◎「UFC日本大会に選手を貸してもいいくらいです!」/笹原圭一の「理想と現実の間のRIZINトーク」◎小佐野景浩の「プロレス歴史発見」オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿◎佐伯繁DEEP代表インタビュー「何度もやめようと思ったけど、DEEPジュエルスを続けて本当によかった……」◎事情通Zの「プロレス 点と線」好調・新日本と全日本の交流/アイスリボン逮捕事件◎格闘技は世間とどう向きあえばいいのか■中井祐樹
    ◎堀口恭司「UFCに残留していたら、まだ1試合もしてなかったかもしれない……」
    ◎天才が敗北!? 那須川天心「車の免許を取ったんですが、仮免で2回も落ちてしまって……」
    ◎【RIZINバンタム級GP】石渡伸太郎「堀口選手がいなければ、出る価値はなかったかもしれない」
    ■オマスキファイトのMMA Unleashed・あの人はいま……姿を消したMMAファイターの第2の人生・「ONEにはコナー・マクレガーはいらない」 UFC中国大会発表に先立ち、UFCとONEの広報戦争勃発!
    ・メイウェザー対マクレガー直前情報総まとめ
    ■ズンドコ・トラブル興行研究会・小島聡まさかの「四冠王者誕生」ズンドコ模様<漁師JJ・編>・あの伝統芸能が!? 史上最低の馬場vsブッチャー<小泉悦次・編>・どうにもできない肩書「格闘家」の犯罪報道について/高崎計三
    ・二階堂綾乃2人でできる! 楽しく疲れる運動!!/「プールに浮かぶようじゃ、まだ甘い。さあ、沈め!」…トレーニーが放つパワーワード!◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「怪死、自殺、大事故! 呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!――今回のテーマは「鉄の爪エリック一家」についてお聞きします。鉄の爪5兄弟が長男(実際は次男)を除いて怪死しているというエピソードは、プロレスファンの心の引っかかってるんですね。
    フミ 鉄の爪一家を語るなら、まずその父親であるフリッツ・フォン・エリックの説明から始めないといけないですね。フリッツは第2次世界大戦後、1950年代のアメリカマットに登場したんですが、最初は“ナチスの亡霊”キャラクターだったんです。
    ――現代の倫理観からすれば、とてもできないギミックというか……。
    フミ 現在はナチスのことを肯定的に取り上げることはもちろんのこと、ナチスのシンボルマークだった鉤十字いわゆるハーケンクロイツはアメリカやヨーロッパではその使用が違法になっていますから。当時、グレート東郷ら日系人レスラーが敵国ジャパンの“悪い日本人”を演じていたのと同じように、観客はその“ナチの亡霊”にブーイングを送ってたんです。
    ――娯楽として成立してたんですね。
    フミ 戦争は1945年に終わって、50年代から70年代くらいまで“ナチの亡霊”がリング上を闊歩してたんですが、そのキャラはフリッツのオリジナルではないんです。オリジナルがカール・フォン・ヘスという人物で、“地獄の料理人”ハンス・シュミットを筆頭に、もうたくさんいたんです。カールとクルトのスタイガー兄弟、ストロハイム兄弟、バロン・フォン・ラシク、新日本プロレス創成期に猪木さんのライバルだったキラー・カール・クラップもそう。
    ――昔のプロレスでは定番キャラだった。
    フミ 正体はアメリカ人やカナダ人なんですが、ドイツ人をそれらしく演じていて、フリッツも本当はテキサス生まれのアメリカ人。本名はジャック・アドキッセン。194センチ125キロの巨体で、単なるナチキャラではなく、鉄の爪アイアンクローという必殺技で一世を風靡した超大型ヒールだったんです。
    ――実力派だったんですね。
    フミ フリッツはカナダのフットボールリーグでプレイしていたんですが、引退後はのちに自分のライバルとなる荒法師ジン・キニスキーと共にスチュ・ハートさんにプロレスを教わったんです。
    ――師匠はハート一家の名伯楽。カナダの地でプロレスに巡り合ったと。
    フミ デビューしたフリッツはドイツ人という設定で活躍し始めます。鉤十字のマークが付いたマントを羽織って、頭は軍人カット、ナチス親衛隊のようなアヒル歩きをする。お客さんからすれば「本当にドイツからやってきたんじゃないの……?」と思わせる迫力があったんです。
    ――あのアイアンクローという必殺技もフリッツのキャラにぴったりでしたね。
    フミ フリッツは手を広げると、親指と小指のあいだが30センチもあったと言われています。それくらい手が大きかったから、相手の顔を掴むと画的に強烈だったんんでしょうね。有名なパブリシティの写真では、エリックが相手の顔を掴んだ指と指のあいだから血が吹き出しているものがあって。
    ――ああ、鉄の爪の象徴的なシーン!
    フミ 1950年代当時はまだテレビはモノクロだったんですが、テレビの力によって第一次プロレスブームが起きるんです。そこでフリッツはギミックというよりは実力でスターになっていきます。バーン・ガニアを倒してAWA世界王者にもなってます。
    ――フリッツは日本プロレス時代に来日していますね。
    フミ 初来日は1967年。どういう年かというと、初来日したビートルズが日本武道館でコンサートをやったんです。外国人のミュージシャンとして初めてビートルズが武道館を使用しましたが、プロレスの武道館初進出はジャイアント馬場vsエリックなんです。
    ――鉄の爪はビートルズだった(笑)。
    フミ プロレスはそれまでも蔵前国技館などで興行はやってましたけど、当時の武道館進出は90年代でいえば東京ドームで初めて興行をやるくらいの大ニュース。大興行に見合う超大物を連れてこよう。それが鉄の爪エリックだったんです。その強敵を当時インターナショナル絶対王者、ジャイアント馬場が迎え撃つ。
    ――超大一番だったわけですね。
    フミ 当時は事前に映像でどんな選手かを確認する術はなかったですから、東スポやプロレス誌に載ったモノクロ写真数点だけでイマジネーションを膨らませていたんですね。フリッツの主な技はアイアンクローにストマッククロー(胃袋掴み)、そして馬のような足での蹴り。
    ――フリッツのビッグフットは強烈だったそうで。
    フミ 馬場さんとの試合でもやってみせたんですが、場外にいた馬場さんの顔をアイアンクローで掴んでトップロープをまたがせてリング中央まで引きずり込んだ、と。
    ――凄い!!(笑)。
    フミ トップレスラーに昇りつめたフリッツは、60年代前半には生まれ故郷テキサスに帰って、エド・マクレモアというNWA系のプロモーターから興行地盤を引き継ぎます。フリッツ自身がダラスのプロモーターになるんです。団体名はNWAビッグタイム・レスリング。
    ――フリッツはナチキャラのヒールでしたけど、地元ではどういう扱いだったんですか?
    フミ テキサスではアメリカ人であることをカミングアウトしてるんです。というのは、ジャック・アドキッセンはカレッジフットボールで地元ダラスでは有名な選手でしたから。ダラスに腰を落ち着かせたフリッツはプロモーターとしても成功して、1975年にはサム・マソニックのあとを受けてNWAの会長にも就任してるです。馬場さんとも仲が良くて、全日本プロレスのレスラーがダラスで試合をしてましたね。
    ――ここまでは順風満帆な人生ですが……。
    フミ 鉄の爪一家の悲劇のプロローグは1959年、昭和39年に起こります。フリッツがニューヨーク遠征中に長男ジャッキーくん6歳が、雨の日に家のそばで遊んでいたところ、高圧電流に触れて感電死してしまうんです。プロレス史では「鉄の爪5兄弟」と言われていますが、じつは6兄弟だったんですね。
     
  • 運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>

    2017-08-31 10:19  
    108pt
    大反響だったUSA修斗・中村頼永師父インタビュー前編! シューティング黎明期の知られざるエピソードが続々と披露されたが、後編となる今回はヒクソン来襲編! 渡米した中村師父がグレイシー一族と出会ったことが日本の格闘技界を大きく変えることになる……13000字のロングインタビューでお届けします!<前回はコチラ>「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編> http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1307583
    ――中村さんはアメリカではジークンドーの学校に通ったんですね。中村 89年1月にアメリカに渡ったときに私がシューティングの人だと知った向こうの格闘技関係者から「グレイシー柔術という連中は誰にでも挑戦してくるから気をつけろ」と注意されたんですよ。
    ――喧嘩上等のヤバイ奴らだったんですね(笑)。
    中村 「クレイジー柔術?」「そうなんだよ。クレイジーなんだよ」と(笑)。アルティメットの4年前のことですよ。
    ――まだバーリトゥードが知られてない時期ですね。
    中村 佐山先生とは「バリツーズ」について話はしたことがあるんですけど。佐山先生が新日本プロレスにいた頃、イワン・ゴメスというブラジル人のバーリトゥードファイターが留学してたじゃないですか。ボクらは「バリツーズ」とはブラジルの格闘技という認識で「なんでもあり」を意味するとは思ってなかった。
    ――グレイシー柔術とはどういう出会いをしたんですか?
    中村 ボクは2つの学校でジークンドーを習ってたんですけど、89年のある日、1つの学校のオーナーが「俺の知り合いにシュートレスリングを教えてくれないか?」って頼まれたんです。向こうではシューティングは射撃を意味するのでボクは普段「シュートレスリング」と呼んで説明していたんですね。その知り合いの人に2〜3時間丁寧にシューティングのグラウンド技術だけを教えていたら、最後にオーナーが「じゃあ2人でスパーリングをやってみて」って言われて。スパーしてみたら寝技がとにかくしつこかったんです。シューティングは当時寝技30秒ルールだったり、膠着したらブレイクで、積極的に速攻で極めないといけないからポジショニングの考えがなかったんですね。
    ――ポジションの概念が広まるのはUFC以降ですね。
    中村 ポジションを取ってバランスを取って、ちょっとずつ崩して極めるのは30秒じゃとても足りないですから。でも、その人はいまで言うガードポジションを取ってジワジワと攻めてくる。「変わったペースで攻めてくるなあ……」と思いながら、ボクは相手の攻めをすべてブロックしてたんですよ。ボクたちも下から極める関節技のトレーニングをたくさんしてたので防御は知ってて。あのスパーはギじゃなくてTシャツでやったので、Tシャツを着た汗まみれのドロドロした戦いはボクのほうがうまかったので、最後は横四方固めをとってから手で肩を掴んで前腕で首を絞めたんですね。それで相手はタップ。
    ――そして、その相手の正体は……。
    中村 じつはその人はホリオンの道場の黒帯のちょい前の人間で。当時のホリオンのところにはヒクソンもホイスもいますからね。
    ――知らないあいだにグレイシーの使い手とやらされていたんですね。
    中村 そのオーナーは「誰と誰をやらせたら面白いか」みたいなことをやらせる人なんですよ。でも、やらせる前にボクのほうの種明かしをさせるのはね(笑)。こっちは相手が何をやるか知らないですから。
    アメリカでUSA修斗を立ち上げ、一時帰国した中村氏。佐山先生の顔もほころんでいる。――グレイシーは当時は未知の格闘技ですもんね。それでよく勝ちましたねぇ。
    中村 一本取ったことで何が起きたかというと、オーナーとダン・イノサント先生(ジークンドー最高師範)が評価してくれまして。アメリカの格闘技界隈でも話題になって、ボクが格闘技雑誌の表紙になっちゃったんですよね(笑)。
    ――日本から凄い格闘技がやってきた!と。
    中村 巻頭特集もされて、アイドルみたいにピンナップになったり、シュートレスリングという技術本も出すことになったんです。向こうは実証すると認めてくれる人種なんですね。そこからボクのシュートレスリングのクラスにいろんな人が来るようになって、アルティメット出場前のホイスも見学に来たんですよ。
    ――メジャーデビューする前のホイス!
    中村 当時はホイス・グレイシーと言われてもピンとこないですから「ああ、この人がグレイシー柔術の人なんだな」って感じで。向こうは「いつか戦うんじゃないか……」って青白い炎を燃やしてたんですよ。フレンドリーじゃないというか、あきらかにバリアを張ってるんです(笑)。
    ――ギラギラしてたんですね(笑)。
    中村 そうこうしてるうちにヒクソンもやってきたんです。
    ――おお!
    中村 ヒクソンはボクと同じ89年にブラジルからアメリカに渡っていて。アメリカの永住権を取るには何人かのサインが必要だったんですね。ボクのクラスに来てる生徒の中にはヒクソンの道場に通ってる子もいて、共通の知人がいたこともあって、イノサント先生がヒクソンの身元引受人の一人になってくれることになったんですよ。ダン・イノサント先生には確固たる地位がありますから。
    ――ヒクソンの身元引受人がイノサント先生。
    中村 その御挨拶でヒクソンがイノサントアカデミーを訪れて、一緒にご飯を食べに行ったんですね。ヒクソンとはそこからの付き合いなんです。当時はまだチョンマゲ頭の冴えない兄ちゃんって感じですよ(笑)。強いんでしょうけど。
    日本来襲直前のヒクソン。名前を上げたいヒクソンはこの席で「第2回シューティング・オープントーナメント」(バーリトゥードジャパンに改称)参戦を持ちかけたという。――その出会いがヒクソンの日本登場に繋がっていくわけですね。
    中村 そうなんです。93年に織田無道さんがシューティングのスポンサーになって賞金を出してくれて第1回オープントーナメントをやるんですけど。それまでシューティングのリングは8角形だったのに6角形になったんです。なぜかというと、織田無道さんのマークが6角形なんですね。
    ――そんな理由が!(笑)。・シューティングの賭けだったヒクソン招聘・安生洋二道場破り映像公開の裏側・幻のヒクソンvs長州力、笑撃の交渉決裂理由――13000字インタビューはまだま続く!

    この続きと、中村頼永・前編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1322625
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  • 「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編>

    2017-08-31 10:19  
    108pt
    シューティング、佐山サトル、ヒクソン・グレイシー……日本格闘技界を変えた超重要人物中村頼永がすべてを語り尽くすロングインタビューが実現!! 中村氏がUSA修斗代表などを務める詳しい経歴はコチラをご覧になっていただきたいが、どのようにして総合格闘技がつくられていったのか――プロ格者は必読の「シューティング黎明編」2万字インタビュー!<関連企画>【男が男に惚れる天龍劇場】北原光騎インタビュー「俺にとって天龍さんは“神様”だよ」“奇人”朝日昇の「本当に恐ろしい昭和格闘技」初代シューターにしてパンクラシスト!山田学の無謀な大冒険――シューティング(修斗)やヒクソン・グレイシーを語るうえで中村さんは絶対に欠かせない存在ですが、ロングインタビューを受けられてる機会があまりなかったので、こういった取材がお嫌いなのかと思ってました。
    中村 いや、そんなことはないんですよ。いろいろとオファーはあるんですけど、たとえばプロレスだけしか取り扱ってないところだと、ボクがしゃべったことすべてを書いてくれない可能性があるじゃないですか。
    ――ああ、なるほど。修斗の成り立ちを説明する場合、どうしてもプロレスの仕組みに触れないと伝わらないですね。
    中村 誤解しないでほしいのはボクはプロレスが嫌いなわけじゃないですよ。弟(中村ユキヒロ)はマスク職人として佐山先生をはじめとして、プロレスラーのマスクを作っていますし。
    ――今回の取材場所となる「佐山サトル館」もタイガーマスクの覆面や、佐山先生の幼少期の資料が置かれてますね。

    プロレスマスクミュージアム/佐山サトル館

    東京都千代田区三崎町2-9-5
    中村 ボクは本当のシューティングの歴史や、佐山先生の偉大さを伝えたい思いはずっと心の中にあったんですね。今日発売された『Gスピリッツ』では佐山先生と、スーパータイガージムで一緒にインストラクターをやっていた北原(光騎)が、いままでずっと秘密にしていたことを明かしてるんですよ。だからボクもしゃべっていいのかなあと。
    ――いまだに明かされていない事実があるとは驚きですし、かなり楽しみです!(笑)。伝えたい思いはあるということは、現在の佐山先生の扱いに引っかかるところがあったということですか?
    中村 ずーーーーっとありました! 修斗の創始者である佐山先生のことを軽視してる風潮があるというか、柔道だったら嘉納治五郎、合氣道だったら植芝盛平の写真を道場に飾りますよね。でも、修斗を稽古している道場はたくさんあっても佐山先生の写真を飾ってるところはいくつかしかない。創始者として佐山先生の存在にもっと敬意を表さないといけないし、いま総合格闘技が隆盛を誇っているのは佐山先生の犠牲の上に成り立ってるんです。いまの若い人たちにはそこをわかってもらいたいという気持ちは強いんですね。
    ――では、本日はたっぷりと伺います! まず中村さんが格闘技に関わるきっかけはブルース・リーなんですよね。
    中村 ブルース・リー先生ですね。中学生のときですけど、香港から関連書籍を取り寄せて……。
    【中村氏のiPhoneからブルース・リーの怪鳥音が鳴りだす】
    中村 あ、電話ですね。あとでかけ直します(笑)。
    ――怪鳥音が着信音ってさすがですね!(笑)。
    中村 ボクの人生は「ブルース・リー」に命を懸けるって中学生のときに決まっちゃったんですよ。でも、職業はアニメーターになろうと思ってたんですね。「ブルース・リー」以前に永井豪先生の洗礼を受けてるんで。
    ――ブルース・リー&永井豪! 男の子の憧れですね(笑)。
    中村 『デビルマン』と『キューティーハニー』。この2作品がボクの人生の血となり肉となってて。いま永井豪先生とは家族ぐるみの付き合いをさせてもらってるんですね。職業はアニメーターだけど、「ブルース・リー」で生きていく。ブルース・リー先生が始めたジークンドーをやりたかったので、香港から本を取り寄せて。それを見ながら自己流で練習したんです。
    ――最初は自己流だったんですね。
    中村 高校生になったら近所の空手道場に通いました。『空手バカ一代』を読んでましたから、当てる空手と当てない空手があることは知っていて。近所の道場は当てる空手だったんですけど、その道場は寛水流だったんです。
    ――まさかの寛水流!!(笑)。水谷征夫氏と猪木さんが創設した空手団体ですね。
    中村 はい。私がいた頃の寛水流はギャング顔負けの戦闘集団でしたから、香港から映画俳優のチャーリー・チャンというホンモノのギャングが挑戦してきたりね。そして、猪木先生が「誰の挑戦でも受ける」ということで、水谷先生も猪木先生に挑戦状を送って。
    ――野原で決闘する計画があったんですよね。 
    中村 水谷先生は「俺は鎖鎌を使う。おまえもなんでも使え!」という。新間(寿)先生があいだを取り持って、猪木寛至の「寛」と、水谷征夫の「水」の字を取って「寛水流」を作ることになって。
    ――水谷先生って猪木さんに決闘を申し込むくらいですから、かなり怖かったんですよね。
    中村 怖いですよ。合宿では、普段ボクらが「……怖いな」って思ってる各道場の先生たちを円状に全員立たせて、その中心に水谷先生が立って、無防備に起立している先生たちを順番に殴ったり蹴ったりして倒していくんです。
    ――それは何をやってるんですか?
    中村 いや、わからないです(笑)。
    ――ハハハハハハハハ! 気合いを入れてるんですかね。
    中村 たぶんそうだと思いますね(笑)。ボクの通ってた道場の先生は強面なんですけど、上に行けば行くほどさらに強面になっていくんです。それでも水谷先生の前に立ったら直立不動ですよ。言葉使いや立ち居振る舞い礼儀礼節、上下関係がとにかく厳しくて。ボクはのちに上京して極真に入るんですけど、寛水流ほど厳しくないので「ヌルッ」って思いましたから(笑)。
    ――極真がヌルく感じるほど!(笑)。
    中村 ただ、当時のボクは近所だから入っただけで、寛水流のことは詳しく知らなくて。猪木vsウィリー・ウィリアムス戦があったときは、極真大好きだったからウィリーを応援してたんですよ。
    ――空手少年だったらそうなりますね。
    中村 あの試合で猪木先生が入場するときは寛水流の先生方がボディガードをやってたんですね。「猪木先生の身に何かあったら……」という。
    ――ウィリーのセコンドには極真空手家がついていましたけど、どちらのセコンドもリングで何が行われるかを聞いてなかったから、ヒートアップして大乱闘になったわけですね。
    中村 試合がどうなるかは一部の人たちしか知らないわけですよ。ボクはそんな背景すら知らないですから。道場で「あれはウィリーの勝ちですよね」って力説したんですよ。そうしたら先輩に「バカヤロー!猪木先生を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」って怒られて。「寛水流の意味を知ってるのか? 寛水流の寛は、猪木先生の寛だぞ!」って言われて初めて知ったんです(笑)。
    ――そこで初めて猪木さん側だとわかった(笑)。 
    中村 猪木先生や佐山先生に初めてお会いしたのは寛水流の本部道場の落成式だったんですよ。ボクが入った頃は名古屋に本部道場を建てるということで、日曜日になると道場予定地に穴を掘りに行くんですよね。本部道場は道場生が建てたんです。水谷先生も一緒に土砂を運んでましたから。
    ――とんでもない経験をされてますね(笑)。
    寛水流に通っていた高校生時代の中村師父! 寛水流のTシャツは新日本プロレスと同じデザインで胸のマークが寛水流。なにそれ凄く欲しいです!中村 高校卒業して東京のアニメーターの学校に行く直前に落成式があって、ボクも出席したんですけど。出席されたのは猪木先生、坂口征二さん、藤波辰爾さん、タイガーマスク時代の佐山先生、新間先生、ファイティング原田さん、強烈だったのは安藤昇先生(笑)。
    ――ホンモノじゃないですか!(笑)。
    中村 安藤先生は水谷先生をモデルにした『東海の殺人拳』を書いてるときだったんですね。あの場でも異彩を放ってましたねぇ。真樹日佐夫先生張りのサングラスを掛けて、決して目を見せないんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    中村 あの落成式でタイガーマスクが試合をしてくれるということで、リングが組み立てられたんです。タイガーマスクはアニメもプロレスの試合も見てて大ファンだったんですよ。ボクたち兄弟はどうしてもタイガーマスクのサインが欲しくて2人で佐山先生のことを探したんですよね。そうしたら裏の部屋の奥のほうで試合に備えてタイガーマスクのコスチュームでいるところを発見して、ボクたちはその入口でサイン欲しいアピールをしたら、側にいた坂口さんが「ダメダメ!」って……でも佐山先生はそれを遮って「いいよ」ってニッコリ応えてくれて。マスクから覗く目が凄く優しい目でした。それが佐山先生の第一印象だったんですね。
    ――そこから上京して佐山さんが立ち上げたシューティングに関わるんですね。
    中村 上京してアニメーターの学校に通いながら、最初はキックボクシングや空手をやってたんです。本当はジークンドーをやりたかったんですけど、日本に道場はなかったですから。その学校を卒業する直前の1984年2月に佐山先生が二子玉川にタイガージムをオープンするんですよ。佐山先生が提唱されていたキック、パンチ、投げ、関節技の「新格闘技」……いわゆるなんでもありの戦いに憧れていたので、初日に入門しました。
    ――初日とはさすがですね(笑)。
    中村 当然初日です。会員番号1番を狙ってたのに、もうすでにたくさんの人が並んでいて108番だったんですけど(笑)。タイガージム時代の会員証中村 でも、そのジムでは格闘技を教えてくれなかったんですよ。二子玉川のタイガージムのあったカルフォルニアシェイプというところは格闘技をやっちゃいけない話になっていて。土地柄ハイソなフィットネスのジムだったんですね。
    ――コンセプトにそぐわなかったんですね。本格的な格闘技ジムは三軒茶屋のスーパータイガージムになってからで。
    中村 タイガージム時代はタックルや基礎体力しかできない。でも、佐山先生から教わることは貴重なので、ひとつひとつしっかりやってましたよね。ストレッチ腕立て、ヒンズースクワット……佐山先生がいままで培ってきたものですから。練習するときはみんなタイガージムの練習着を着るんですけど、ボクは上だけで、下は拳法着と拳法靴、髪型もブルース・リーカットで。だから佐山先生から「ブルース・リーくん」と呼ばれてたんですけど(笑)。
    ――絶対にそのあだ名で呼ばれる出で立ちだったんですね(笑)。
    タイガージム時代の佐山サトルと中村氏中村 その頃はブルース・リーファンクラブのスタッフをやっていて、その会報で佐山先生にインタビューもやってるんですよ。「佐山サトル、ブルース・リーを語る」という企画で。質問事項を当時マネージャーだったショージ・コンチャに見せたら「これはダメよ、これもダメ」とかハネられて。
    ――出た、ショウジ・コンチャ!(笑)。
    中村 胡散臭い人物ですよ。あきらかに悪者だって顔に書いてあって「なんで佐山先生はこんな人間とくっついてるんだろう?」と思ってましたから(笑)。佐山先生は純粋な方なんだろうなって。
    ――佐山先生はそのショウジ・コンチャと離れて、UWFに参戦しますよね。いわゆる「1984年のUWF」の始まりです。
    中村 UWFの試合を初めて見たのが1984年12月の藤原喜明戦かな、後楽園ホールの。それまでは雑誌の写真でしか見たことなくて。
    ――その試合は打撃と関節のみで戦い抜いた、伝説のノーフォールマッチですね。
    中村 佐山先生が藤原さんのことを蹴りまくってね。お客さんはみんな恐怖の戦慄で大興奮してるんですけど、ボクは「本気でやってない……」ってわかっちゃったんです。
    ――よくわかりましたね。
    中村 だって佐山先生ですよ? 佐山先生が本気であんなに蹴りまくったら相手は死にますって。
    ――中村さんはいつからプロレスが真剣勝負じゃないと気付いてたんですか?
    中村 小学校の頃は、猪木先生のほう(新日本プロレス)は真剣勝負だと思ってたんです。でも、空手とかやりだしたらわかりますよね。モーションが大きいとか、実際に急所部位に当ててないとか。それからは真剣勝負としては楽しんでないけど、エンターテインメントとして楽しんでますし、いまでもプロレスは大好きですから。
    ――UWFが真剣勝負じゃなかったことにはどう思われたんですか?
    中村 ちょっとショックが大きかったんですよ。UWFは真剣勝負だという煽りだったし、ボクはタイガージムに通いながら、真剣勝負のUWFのリングに上がりたいと思ってたんです。ところが実際に試合を見てみたら違う。ボクはアニメーターを目指してたんですけど、身体が小さい人でも戦えるならUWFをやりたかったんですよ。でも、プロレスであることがわかった。そこでボクがどんな行動を取ったかと言えば、佐山先生に手紙を書いたんですよ。「UWFは真剣勝負じゃないですよね?」と心の丈をバーっと。
    ――えっ、凄い行動に出られましたね……。
    中村 書いちゃったんですよ。これは佐山先生が『ケーフェイ』を出す前ですね。その手紙をスーパータイガージムの受付に置いたのかな。そのときは佐山先生から直接何かリアクションはなかったんですけど、佐山先生はのちのちはUWFをプロレスから真剣勝負にするつもりだったことは歴史が証明してますよね。
    ――シューティングの過程だったわけですね。
    中村 でも、ボクはそのときは佐山先生が何を考えているかなんて想像もできませんでしたから。ボクはそのあとアニメーターになったこともあって、スーパータイガージムから足が遠のいて。そうこうしてるうちに1985年9月に大阪臨海であの前田日明戦があって、そのあと藤原喜明選手との試合もおかしなことになって。
    ――UWFをシューティングにしたい佐山先生と、それを望まないと前田さんたちの溝が明らかになっていくわけですね。
    中村 ドロドロしてるところは報道でしか知らなかったので「孤立してるのかな〜〜」くらいしか思わなかったんですけど。その直後に佐山先生から電話がかかってきたんですよ。先生は手紙を温めていたんですね。「中村くん、あの手紙を読んだよ。よくわかったね」と言われて「ちょっと会えない」と。京王プラザホテルだったかな。そこで佐山先生と一対一のシチュエーションで、面と向かって「中村くん、俺の影になってくれ」って言われたんです。
    ――えっ、俺の影ですか?
    中村 要はスーパータイガージムで働いてくれないかってことなんですけどね。
    ――ちょっと芝居がかったセリフですね(笑)。
    中村 佐山先生ってビシっとスーツを決めてアタッシュケースを持っていたり、早くからパソコンを使ってましたよね。007とかスパイ系が好きなのかなって思ってたんです(笑)。――今回の依頼も極秘作戦的な(笑)。中村 実際に影としての隠密活動をしてたんですよ。どういうことかというと「UWFとは袂を分かった。いまスーパータイガージムにはインストラクターがいるけど、彼らもUWFに行くことが裏では決まってる。みんな俺がそれを知らないと思ってるんだ」と。要するにそれはスーパータイガージム潰しなんです。インストラクターがいなくなってしまうとジムで教える人がいなくなってしまいますから。「UWF側が何か仕掛けてくるかもしれないから、中村くんは俺の影になってくれ」と。
    ――だから「俺の影」なんですね。 
    中村 あと佐山先生は「俺の頭脳にもなってくれ」と言うんですね。それはシューティングを作っていきたいから相談に乗ってくれと。そこでポイントになるのは、以前佐山先生に出した手紙なんですね。「俺のところに来たインストラクターたちはみんな最初からプロレスラーになりたかったんだよ。でも、中村くんはシューティング、真剣勝負をやりたくてジムに来てくれた。中村くんがシューティング第1号の弟子なんだよ」と。
    ――あの手紙を出したことで佐山先生の目に止まったわけですね。
    中村  ボクはプロレスは好きだけど、プロレスラーになるつもりはまったくなかったですから。あの手紙で格闘技を見る目や姿勢があると理解されたんでしょうね。
    ――あくまで影ですからジムでインストラクター活動するわけにはいかないですよね?
    中村 ジムには一般会員として普通に通うんですけど。「中村くんのことは影でトレーニングをつけるから、表に出ないでくれ」と。
    ――佐山聡のプライベートレッスンですか!
    中村 しかもちゃんと給料もいただけるということで。佐山先生からの言葉はすべて神の声で、ボクはこのまま佐山先生にすべてを捧げようということで、アニメーターの会社もやめて、佐山先生が住んでいた用賀のライオンズマンションに転がり込んだんです。
    ――居候してたんですね。凄いことになってきました(笑)。
    中村 次の日から稽古が始まるんですけど、場所は屋外なんです。佐山先生のマンションの前の公園でタックルや首投げのトレーニングをしたり、ミットを持って打撃の基本を長い時間教えてくださって。そうかといえば、場所を変えて別の空き地で稽古をやったり。佐山先生にはファンが多いですから道行く人から「頑張ってください!」なんて声をかけられて。でも、外だと地面だからグラウンドのトレーニングはできないんですよね。ボクは“影”ですからスーパータイガージムでは佐山先生と稽古できないですから。
    ――表に出ちゃダメな存在ですもんね。
    中村 そこで佐山先生の知り合いの家のスペースを借りて稽古をすることになったんですけど。その当日、スーパータイガージムの専務でマネージャーの中出さんが運転するバンで佐山先生とボクが一緒に現地へ向かっていたんです。そしたらその途中でバンが停まって乗り込んできたのが北原なんですよ。で、佐山先生が「今日からコイツも一緒にやるから」って。
    影として極秘に育成されていた当時の北原光騎と中村氏――北原さんも“影”なんですか?
    中村 そうです。佐山先生はボクと北原のことを極秘育成しようとしたわけですけど、ボクらはまだ佐山先生の本当の姿を見てなかったんですね。道端や公園で教えていたんで「殺すぞぉぉぉぉっ!?」は出ていなかったんです(笑)。
    ――あ、地獄のシューティング合宿映像でおなじみの(笑)。シューティング合宿 佐山聡https://www.youtube.com/watch?v=EV1OXpsgFKA
    中村 一般的にもそんな姿は表に出なかったですよ。知っていたのは、かつてジムのインストラクターだった宮戸(優光)選手や山崎(一夫)選手とかの一部で。だからインストラクターはUWFに移っちゃたんじゃないかってくらいですよね(笑)。
    ――あの映像はまだ優しいほうだってみんな言いますよね。
    中村 全然優しいです!
    ――あれで!! 優しい!
    中村 初日にそれがわかるんですけど……。先生は「これからおまえたちを影として育てる。朝7時から12時まで毎日5時間、週7日、3ヵ月間やる」って言われたんです。
    ――うわあ……地獄なスケジュールですねぇ。
    中村 新しく稽古する場所は、佐山先生の知り合いの家ということだったんですけど、家の地下室なんですよ。
    ――なんだか怖いですね(笑)。
    中村 地下だから窓が当然ないですし、地面はコンクリートの上にカーペットが敷いてるだけで。そこでトレーニングをやると。まずフットワークから始まるんですが、先生の稽古の特徴として「何分やれ」とか言わないんですよ。
    ――「いい」というまでやるんですね。
    中村 地面はマットじゃないですからフットワークを1時間くらいやってると、足の裏が擦り剥けてくるんですよ。足は血だらけになって。そのあとストレッチをちょっとやって、キックの基本を教えてもらう。それが終わったら佐山先生とスパーリング。先生とやるのはそのとき初めてですよ。最初は立ち技のスパーリングなんですけど、当時のボクは社会性もないし、ちょっと天狗になっていたというか、「なんでもできる」という不遜な態度でスパーリングをやったんですよ。佐山先生からすれば、一度天狗の鼻をへし折っておかないとダメだなって思ったはずなんですよ。いま考えても凄く態度が悪かったので(笑)。
    ――す、凄く嫌な予感が……。
    中村 あの佐山先生の前でよくあんな態度を取ってたな……っていまだに鮮明に覚えてますから。しゃべりかたはキチッとしてたんですけど、態度が横柄。で、立ち技のスパーが終わったあとに「いまからグラウンドやるぞ。どこからでも攻めてこい」と言われて。ボクは柔道しか知らないですから、佐山先生の後ろから胴締めして首を羽交い締めにしたんです。
    ――は、はい(ゴクリ)。
    中村 佐山先生は当時「押忍!」という言葉が嫌いだったんですよ。いまは使ってますけど、コワモテの押忍の世界が嫌いで。「こんにちは〜」と柔らかく挨拶しますから。でも、ボクはそんな性格を知らなくて気合いの入ってるところを見てほしくて、首を締めながら寛水流空手時代のように「うりゃあーっ!」ってドスを効かせて吠えたんですよ。そうしたら、佐山先生は「……おぉ? うりゃあだとぉ???」って低く呟かれて。
    ――………。
    中村 あの声はいまだにおぼえてますよぉ。いきなり足を取られてポーンとひっくり返されて馬乗り。そのままヒジをボクの顔に何度も叩きつけて「殺すぞぉーーーーーーっ!!!!!!!!!」って始まったんですよ!
    ――ええええええ!? ちょ、ちょっと待ってください。ヒジを顔面に何度もって……。
    中村 ヒジというか前腕に近いですね。直接ヒジだと顔が切れちゃいますから。
    ――いわゆるエルボースマッシュというか……。いや、それでも痛いですよ!
    中村 本当に痛いですよ。先生のヒジも痛いんですけど、地面が痛いんですよ。コンクリートに何度も叩きつけられるから、ヒジと地面の間で何度も何度も頭部がバウンドして、それで脳震盪を起こしちゃって。北原はボクがやられる姿をずっと見てたんですけど、あとになって言うには「とても止められなかった。もう福岡に帰ってダンプの運ちゃんをやろうと思った」くらい佐山先生は手がつけられなかったと。
    ――田舎に帰りたくなるほどの惨劇(笑)。
    中村 中出さんもその場にいたんですけど「いつものことだ」という感じで見てるんですよ。
    ――いつものこと!
    中村 でも、ボクはそんな先生の姿を見たことないですし、寛水流道場の落成式で「いいよぉ」ってサインしてくれた優しいイメージしかないですから。――「いいよぉ」が「殺すぞ」に!中村 ボコボコに殴られたあとに、逆片エビで背骨を折られそうになって、その後もいろんな関節技をコンビネーションで極められてラッパをかけられるんですよ。で、クロック・ヘッドシザースを極めながら「首の骨、折るぞぉーーーーーーっ!!!」って叫んでて……。
    ――う、うわあ……。
    中村 こっちは失神寸前ですし、ただただやられるだけですよ。佐山先生はずっと「殺すぞーーーっ!!! 首の骨折るぞーーーっ!!!」と叫んでて、ボクはずっと「……うう」と呻き声を出してるだけ。――そして北原さんは呆然と立ち尽くしてるだけ、専務は「いつものことだ」と(笑)。中村 で、死力を振り絞って自分に対しての負けず根性、喝のつもりで「ち、ち、畜生ーーーっ!」って声にならない気合いを発すると、「畜生」って言われたと思った先生をまた怒らせちゃって「畜生だとぉ??? 殺すぞーーーーーっ!!!!!」って……。
    ――だたでさえ炎上してるところにガソリンをぶちまけましたか!(笑)。
    中村 ボッコンボッコンにやられながら「ああ、これがプロか……」と。――プロというか、なんというか(笑)。
    この続きと、中村頼永・後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 「何度もやめようと思ったけど、DEEPジュエルスを続けて本当によかった……」佐伯繁DEEP代表

    2017-08-28 11:29  
    54pt
    わからないことがあったら佐伯さんに話を聞こう! というわけで骨折した足が完治したDEEP佐伯繁代表に「なぜ◯◯はRIZINに出られないか」問題等をうかがいました〜!!佐伯 なんで取材に来たのかわかるよ。(パンクラスとの)対抗戦の話じゃないでしょ。
    ――そんなことないですよ!
    佐伯 そう? どのみち面倒くさい話を聞きに来たんでしょ?(笑)。
    ――ハハハハハハハ!
    佐伯 なんかね、面倒くさい話を振られがちなんですよ。それくらい信頼されてるっていうふうに解釈してるけど(笑)。
    ――佐伯さんは身体も信頼もブ厚い! ボクが知りかぎり、日本の格闘技プロモーターで一番“盛らない”のは佐伯さんだと思ってます。いや、ほかの人たちが嘘をついているというわけじゃないんですけど(笑)。
    佐伯 ウチは観客数の発表も盛らないしね!
    ――うむむ……ノーコメントでお願いします(笑)。
    佐伯 だって消防署が調査に来たら大変なことになるよ。ヨソの数字を聞いて「キャパを超えている数字だけど、消防法は大丈夫なのかな?」ってビックリするときがある。
    ――ちなみにプロレス興行はとうの昔に実数発表になってるんですよね。観客動員でいえば、最近の後楽園ホールの格闘技興行って北側を潰すことが多いですが、後楽園クラスでも厳しくなってきてるんですか。
    佐伯 いや、後楽園って北側を潰しても1100席ぐらいあるんですよ。ディファ有明とあまり変わりません。
    ――あ、けっこう入るもんですね。
    佐伯 でも、後楽園ホールは半日しか借りられないから、試合をたくさん組めないでしょ。選手の手売りがそんなにできないんだけど、興行をやるほうからすると“後楽園マジック”っていうのがあってね。やっぱり後楽園の盛り上がりにはどこの会場も敵わないから。
    ――盛り上がりやすい会場、それが後楽園ホール。
    佐伯 そうなんだよ。興行をやっていく以上は後楽園に拘っていきたいですよね。
    ――ところで修斗、パンクラス、DEEPの中では、DEEPだけabemaTV等のライブ配信をしていないですよね。露出してないことで焦りみたいなものはないんですか?
    佐伯 まったくないよね。やっぱりさ、物事にはいいところと悪いところがあるから。ライブ配信するから会場に来ないファンもいるだろうし、ライブ配信がきっかけで会場に来る人もいるかもしれない。その効果はいろいろあるでしょ。
    ――「多くの人にライブ配信で見てもらえる」という選手のモチベショーンに関わらないですか?
    佐伯 無料で見られると選手もチケットを売りづらい部分もあるんじゃないですか。
    ――あ、そうか。
    佐伯 それにやっぱり会場観戦の素晴らしさもあるし、ウチはサムライTVやDEEP FIGHT GLOBALでも試合を流してるから。この業界で17年やってきたけど、どのやり方も一長一短あるし、どれが正解だなんてないと思うんだよね。なによりもチケットを買って会場に来ていただいてるお客さんがいる中で、無料でライブ映像が見れるのはどうなんですかね? いろんな理由で会場に来れない方には後日配信の方がバランスがいい気がします。
    ――RIZINが2016年の年末に始まって、地上波に格闘技が戻ってきて2年近く経つわけですけど、DEEPに何か変化は表れていますか?
    佐伯 これはUFCの悪口じゃないけど、RIZINとUFCではまったく反響が違うんですよ。冗談抜きでゴールデンタイムで試合が流れることって凄く大きいです。
    ――テレビの影響力は強いんですね。視聴率が悪いと言われていますけど。
    佐伯 その反響をダイレクトに感じているのは女子だよね。RIZINは女子が主役な一面もあるけど、DEEPジュエルスにもその波が来てるというかね。「出てみたい」という売り込みも多いし、なにより「見てみたい」という声が凄いよ。総合に限らず、ボクシングやキックだって選手がチケットを手売りしてる成り立ってるわけじゃないですか。
    ――格闘技興行は基本的に手売りが支えている。
    佐伯 昔はPRIDEやK-1がチケット発売したらプレイガイドで売り切れたという時代があったんだけどさ。それでも最近のRIZINは伸びてきてるんじゃないですか。去年のRENAvs山本美憂の大会から雰囲気が変わった気がします。
    ――あのへんからRIZINのPRIDEの“使い古し感”が薄れていきましたね。
    佐伯 DEEPジュエルスの会場キャパは、新宿FACEだから立ち見も含めて600人くらい。もちろん選手の手売りもありますが、一般のプレイガイドや事務局で売れる比率が男子に比べてかなり高いんです。これはいまの格闘技興行の中では異常なことだと思う。事務所にチケットの問い合わせの電話がしょっちゅうかかってくるし。しかもたった6試合だよ。そのうちアマチュア2試合ですよ(笑)。
    ――その試合数で売り切っちゃうのは凄いですね!
    佐伯 この前の大会のときに浅倉カンナちゃんとKINGレイナのサイン会をやったんだけど、グッズ購入者限定なのに並びまくって終わらない。17年間この業界にいるけど、うちではこんな光景は見たことないよ。
    ――金の雨が振ってきた!
    佐伯 いや、それが金になってるかと言えば別の話だけど(笑)。ウチには売り上げは入りませんから。
    ――肌にポツリと感じて始めた程度ですかね(笑)。
    佐伯 でも、いまは凄く手応えはあるよ。尾園さんからジュエルスを引き継いでからの2年間ぐらいは何度もやめようかと思ってたんだけど。お客さんの数も厳しいし、選手も少ない。
    ――ヒャッ!?(笑)。
    佐伯 マジメにやってると、いいことがあるもんだねぇ……(しみじみと)。まあ選手のおかげですよ。
    ――いまは新宿FACEですけど、さらに大きな会場にステップアップするつもりはないんですか? たとえばディファ有明。
    佐伯 ディファなら10試合くらい組めればなんとか……いまの調子でも、あと1年はかかるかなあ。無理に広いところでやっても熱気が薄まるだけだもんね。超満員のほうが雰囲気はよかったりするじゃん。でも、目標は後楽園ホールでやりたいですね!
    ――なんとかなるんじゃないかという熱は感じますね。
    佐伯 マスコミの取材申請も凄いんだよ。これもいまの格闘技では異常なことだと思う。それなのに、ジュエルスの中継はどこもやってないんだよねぇ。
    ――おかしいですよ!(笑)。
    佐伯 DEEP FIGHT GLOBALではあとで見れるんだけど。
    ――なんとか生中継してください! 金の雨ですよ、金の雨!(笑)。
    佐伯 ぜひお話があれば!って感じですけど。それで今日取材に来た理由のひとつは、その女子格闘技の件でしょ。浜崎朱加やV.V Mei、ハム・ソヒなんかがRIZINになぜ出られないのか?ってやつ。
    ――“女子格の支配人”佐伯さんの意見を聞きたいなと。
    佐伯 意見というか自分が思うことを説明するよ。この件はマスコミ、関係者、選手たちからいろいろと批判されてるよね。
    ――「なんでこの選手を出さないんだ!?」と。
    佐伯 凄く簡単な話。――簡単ですか。この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 「プールに浮かぶようじゃ、まだ甘い。さあ、沈め!」…トレーニーが放つパワーワード!■二階堂綾乃

    2017-08-28 11:06  
    40pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「トレーニーが放つパワーワード!」です!私は日常的に身体を鍛える者たち、通称トレーニーに囲まれて生活しているのですが、基本的にいい身体をしている人たちは変です。ものの考え方が鍛えていない人たちとは違っており、思考回路はショート寸前どころか完全にショートしています。トレーニングの専門誌や格闘家のSNS等を眺めていると、時々衝撃的な言葉に遭遇します。今回は私が身体を鍛え始めてから出会った、トレーニーが放つパワーワードをご紹介します。
    ■ビッグスリー
    最初はとりあえずこの3つをやっておけば大丈夫!と言われている「ベンチプレス」「スクワット」「デッドリフト」の3つのトレーニングのこと。
    トレーニーにとってキホンのキであるこのワードですが、最初に聞いた時は大御所感に溢れ、かっこよすぎるこの言い方に衝撃を受けました。この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • メイウェザー対マクレガー情報総まとめ④ 〜 「KOされるくらいなら反則負けの方がマシだろう」

    2017-08-25 12:38  
    54pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……メイウェザー対マクレガー情報総まとめ④ 〜 「KOされるくらいなら反則負けの方がマシだろう」
    <マクレガーvsメイウェザー関連記事> ・勝敗の意味が薄れていく時代のキャラクター対決・みなさんご唱和ください 「ファック・メイウェザー!」・ワールドツアー後半戦、飛び交う差別発言、舌戦軍配は僅差でマクレガーに『ザ・マネーファイト:フロイド・メイウェザー vs. コナー・マクレガー』がいよいよ日本時間8月27日(日)に迫った。そこで今回は再度、この試合に関する最新情報をまとめてお届けする。情報をしっかり仕入れて、試合を120%楽しもう!
    ●発言集:フロイド・メイウェザー
    「マクレガーはラッシュをかけてくるだろう。そしてやたらにスイッチをするだろう。彼が何をやってくるのか、私にはお見通しだ。最初はサウスポー、それからスイッチする。そしてスイッチをしながらスタミナを消耗する。スイッチをするとスタミナはすぐになくなるからね。
     これほどの規模になってくると、これはもう、ただの試合ではないんだ。私とマクレガーは、試合を見てくれるファンの皆さんに、エキサイトメントを前借りしていると思っている。8月26日の試合が終わった時、皆さんをきっと満足させる」
    「もし試合が判定にもつれ込んだら、その時点で彼の勝ちだ。でも私はそんなことにはならないと考えている。私は攻める。攻め込んで彼を捕らえる。
     理論上は、マクレガーの方が身長もリーチもあって、全体的に身体が大きい。若さもある。私の方は何年か休んでいたし、もう40歳代だ。だから理論的には、マクレガーが有利だと言うことになる。
     私は2年前とは別人になっている。5年前とも別人だ。かつてのフットワークを取り戻せないでいる。本来の私は、アンドレ・ベルト(メイウェザーの前回の試合)のような選手と判定にもつれ込むような選手ではないので、下り坂にあることは確かだ。
     だからといって、もう戦えない、といっているのではない。ただ、かつての自分とは別人であると言っているだけなんだ。IQは私が勝っている。経験も知識も私が勝っている。私は自分が負けると思うような試合をすることはないんだ。理論上のことと、私が本当に信じていることとは違うんだよ」
    「(マクレガーと元プロボクサー、現解説者ポール・マリナッジのスパーリングビデオを見て)反則のパンチが多いなあ。グラップリングも、レスリングも多すぎる。あれをノックダウンという人もいるのだろうが、言わない人もいる。所詮はジムでの出来事だ。肝心なことは結局、スポットライトの下で何をするかなんだよ」
    「リスクはこちらの方が大きいと思っている。私の戦績は49勝0敗だ。20年間負けていない。自分のレガシー、自分のレコード、すべてを賭けているのはこちらなんだよ。もちろん、私はこれまでもリスクを取ってきたからこそ、この地位にいる。だから49勝0敗のレコードを掛けたってかまわない。この試合にはそれだけの値打ちはあると思っている」
    「今のペースで行くと、マクレガー戦はパッキャオ戦よりうんと大きな成果をあげることになりそうだ。私は、パッキャオ戦の試合内容が大満足とならなかったことで、ファンに借りがあると思っている。だから、今回はすばらしい試合をお見せしなければならないんだ」・マクレガーが勝てばギャンブル会社の経営を圧迫?・マクレガーはUFCに戻ってくるのか?・マクレガー反則暴走の可能性
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  • 格闘技は世間とどう向きあえばいいのか■中井祐樹

    2017-08-24 19:03  
    40pt
    中井祐樹先生の新連載企画!! そのときどきの事件やニュースを中井先生の格闘技観を通して解説していきます! 今回のテーマは格闘家犯罪報道を受けて「格闘技は世間にどう向きあえばいいのか」です。
    【これまでの記事】幻のキング・ハク戦と『1984年のUWF』消えた腕自慢、道場破り……突破者よ、出てこい中井祐樹、柔道女子日本代表に寝技を指導する
    ――パラエストラ千葉所属の格闘家が傷害事件で逮捕されたことを受けて、中井先生はパラエストラ・グループ総代表として謝罪記者会見を行ないました。
    中井 会見を開いたほうがいいという判断をさせていただきましたが、その後、被害者の方はお亡くなりになってしました。心よりご冥福をお祈りいたします……。
    ――ジムや指導者がどこまで格闘家の行動を管理できるのかという話になっています。この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【RIZINバンタム級GP】石渡伸太郎「堀口選手がいなければ、出る価値はなかったかもしれない」

    2017-08-24 18:19  
    RIZINバンタム級GP参戦が発表された現バンタム級キング・オブ・パンクラシスト石渡伸太郎インタビュー。パンクラスのベルトを5度防衛中、かつて堀口恭司と激闘を繰り広げた本格派の参戦である。【関連記事】榊原信行「ワイルドカードとヘビー級は驚く選手をキャスティングしたい」堀口恭司「UFCに残留していたら、まだ1試合もしてなかったかもしれない……」天才が敗北!? 那須川天心「車の免許を取ったんですが、仮免で2回も落ちてしまって……」「頑張った先にRIZINがあるとは、いまのところ思えない」…RIZINのモヤモヤは何なのか?■大沢ケンジ「UFC日本大会に選手を貸してもいいくらいです!」/笹原圭一の「理想と現実の間のRIZINトーク」――RIZIN7月大会ではリング上から挨拶されて、今回はカード発表記者会見に出られました。まだ試合はされていませんが、RIZINという場にどんな感想を持たれましたか?
  • オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-08-20 12:48  
    75pt

    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「グレート小鹿」です!
     イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!――今回のテーマは大日本プロレスのグレート小鹿会長です!
    小佐野 わかりました。いまのファンからしてみれば、メジャーリーガーといえばWWEの中邑真輔になると思うんだけど。私の時代のメジャーリーガーは、このグレート小鹿さんなんですよ(笑)。
    ――おおっと! 「中邑真輔=グレート小鹿」説(笑)。
    小佐野 これは私がプロレスファン時代に初めて買った『ゴング』なんです。昭和45年6月号。巻頭グラビアがロザンゼルスで試合をする小鹿さんで、しかも金網デスマッチ。
    小佐野 「こんな日本人レスラーがアメリカで大暴れてしているんだ!」ってかなりのインパクトがあったんですよ。それから雑誌を定期的に買うようになって詳しくなると、小鹿さんは当時まだ見ぬ強豪だったミル・マスカラスを破ってアメリカス・ヘビー級チャンピオンになっていたこともわかって。
    ――ロスではマスカラスのライバルだったんですよね。
    小佐野 それ以外にもTVチャンピオン、アメリカス・タッグチャンピオンと、3つのベルトを獲ってるんです。プロレスの本場アメリカで活躍するグレート小鹿は、かなり凄いプロレスラーだとインプットされたんですね。
    ――帰国したときのことはおぼえてますか?
    小佐野 70年秋に開催された日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦に、吉村(道明)さんとタッグを組んで参加したんですけど。帰国第1戦はフランキー・レイン相手にリングアウト勝ち。それが姑息な勝ち方だったので「あ、やっぱり向こうの悪党はこういう戦い方なんだ」って。でも、コスチュームは田吾作じゃなくて、黄色のラインが入った紫のショートタイツに紫のリングシューズ。かなり垢抜けていたんですね。そういう意味ではかなり毛色が変わった日本人レスラーだったんです。
    ――ビジュアルインパクトがあったんですね。さすが昭和の中邑真輔(笑)。
    小佐野 日本プロレスが潰れたあとは全日本プロレスに合流するんですけど、アマリロ武者修行を終えたジャンボ鶴田と入れ替わるようにアマリロに送られるんです。そのときは中国人キャラのカン・フー・リーになるんですけど、ちょうどブルース・リーのブームが起きてる頃で、それをヒントにしたんでしょうね。それまでのアマリロは大熊元司、マシオ駒、ジャンボ鶴田と日本人レスラーが連続してたから、そのまま日本人としてやってもウケないと考えたんだろうね。
    ――ちゃんと計算してるんですね。
    小佐野 そのキャラでテリー・ファンクと抗争してトップになるんだから先見の明がありますよ。そのアマリロから1年で帰ってきたのかな。そのときの凱旋帰国もインパクトがあってね。小鹿さんは放送席でゲスト解説をやっていて、私服のままブッチャーと乱闘して大流血。そこからブッチャーとの抗争が始まるんですよ。
    ――話を聞くかぎり、当時からアイデアマンですね。
    小佐野 そのときはカン・フー・リーの格好じゃなくて、ジャンパースタイルのガウンにサイケ調のタイツ。髪の毛はパーマじゃないけどウェーブがかかって、当時のアメリカ帰りの雰囲気を醸し出していたんです。「カッコイイ!」と思っちゃったもん(笑)。
    ――ハイセンスだった。顔だけ見ると昭和の頑固親父ですけど(笑)。
    小佐野 流行りに敏感なんだよね。ブログもかなり早い時期からやってるし、スマホもかなり駆使していたよ。天龍さん、カブキさんと鼎談をやったときも「写真を撮ってブログにアップしていいよね」って(笑)。
    ――日プロ出身でスマホを使いこなす(笑)。試合ぶりはどうだったんですか?この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 小島聡まさかの「四冠王者誕生」ズンドコ模様■ズンドコ・トラブル興行研究会<漁師JJ・編>

    2017-08-20 12:24  
    50pt

    「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「小島聡まさかの四冠王者誕生ズンドコ模様」!
    【関連企画】アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技
    ファン不在から得た教訓……棚橋弘至、伝説のノーピープルマッチ何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」
    アントニオ猪木が「整理」したスポーツ平和党2017年のG1クライマックス。白星は8月5日、大阪大会で上げたひとつだけの1勝9敗で終わったのは小島聡。相棒・天山広吉の思いを背負い闘ったが惜しくも頂点には届かなかった。
    しかし必殺のライトアーム・ラリアット、男女ちびっこともに愛されるピープルズチャンピオン・小島聡は10年前には新日本プロレスどころか全日本プロレスもあわせた頂点に立っていた。これが世に言う2005年の「2・20四冠王者誕生事件」。別名「脱水事変」ともいわれるIWGPヘビー級王者と三冠ヘビー級王者によるダブルタイトルマッチ。
    試合は60分1本勝負。59分45秒、あと15秒たっていられればドロー、両者王座防衛で引き分けのところを猛牛・天山の脱水症状KO負け。4本の王座は当時全日本プロレスに所属する小島のもとへ。この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1322625
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