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記事 19件
  • みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-10-19 08:57  
    70pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「みんなが愛した謎の美人マネージャー、エリザベス」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」

    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る

    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……

    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜





    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■「現場監督」長州力と取材拒否■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか――今回のテーマは“マッチョマン”ランディ・サベージの女性マネージャーとして人気の高かったエリザベスです。
    フミ エリザベスはWWEにおける女性キャラクラーの草分けではあるんですが、プロレスラーではありませんでした。のちのディーバと呼ばれる女性キャラクターの先駆けとは言えますが、WWEのリング上でバンプを取ったことはないんです。しかも驚くことにWWEでは、ほとんどしゃべったことがないんですね。
    ――あ! そういえば、エリザベスの声を聞いた記憶がない……。
    フミ 1980年代はハルク・ホーガンやロディ・パイパーらが活躍し始めて、WWEのプロレスが大河ドラマ化していった時代だったんですが、その流れの中でもセリフは一切なし。エリザベスはパントマイムですべてを表現していたんです。
    ――凄い表現力!
    フミ セリフをしゃべらずあのWWEでトップポジションにいたという凄い人なんです。マッチョマンに「さあ、行け!」「そこにいろ!」とまくしたてられると、手を口元に当てながら困ったような顔をしたり、うつむき加減に恥じらった顔をする。ハウスショーでは最上階のお客さんにさえ、セリフがなくても伝わる動きをしていたんですね。
    ――大会場でもしっかりと存在感があったんですね。
    フミ 困ったような足取りでリングの周りを行ったり来たりしたり、場外乱闘に巻き込まれそうになると鉄柱の裏に身体を潜めたり……どんなに遠くから見てもエリザベスが何をやっているのかがわかる。髪型は80年代に流行った外巻きなので、動くたびにゆらゆらと揺れて、エリザベスのか弱さが見えるんです。
    ――じつは凄いことをやってたんですねぇ。
    フミ エリザベスはマネージャーといえば、たしかにマネージャーなんですけど。ルー・アルバーノやミスター・フジといった従来の悪党マネージャーとは違ったキャラクター。それまでのマネージャーといえば、おしゃべりがあまりうまくないレスラーのサポートをするのが仕事のひとつなんですね。
    ――レスラーに代わって煽るわけですね。
    フミ エリザベスはおしゃべりをしたことは一度もない。いつもサベージのひとりしゃべりなんです。
    ――サベージにサポートはいらないんですよね(笑)。
    フミ そんなエリザベスは一度だけしゃべったことがあるんですが……そのシーンはエリザベスとサベージの恋愛ストーリーのクライマックスになるので、のちほど説明しますね。この2人がWWEのリングで結婚式を挙げたのは1991年なんですが、マッチョマンのWWEデビューは1985年。その2年前にサベージとエリザベスは夫婦になっているんです。この続きと、西良典、折原昌夫、PRIDE終焉、RIZIN福岡裏話、パンクラス計量炎上…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1357664
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  • 職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-09-26 08:55  
    70pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1315138■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1305252■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今月のお題はリック・フレアーです。子供の頃ってNWA世界ヘビー級王者の凄さがあまりわからなかったんですが、チャンピオンとして各テリトリーを周り続けることができるタフさ、精神力は尋常じゃないですね。
    フミ リック・フレアーは世界チャンピオンであることを生業としていたレスラーとも言えますね。ボクらの少年時代のプロレス雑誌には「NWA世界王者は人事である」なんて書いてあったんですね。NWA自体はもともとは各地のプロモーターの寄り合いで結成した非営利団体。世界王者はNWAに加盟しているテリトリーを回ることになります。その職務を全うできる人じゃないとNWAの世界王者にはなれないんです。
    ――レスリングの実力以外にも、いろいろと問われるんですね。
    フミ まず観客動員力が求められます。アメリカでは1950年代から70年代はNWAに加盟していた団体が全米に30以上もありましたが、NWA王者が来ることで、千人単位だった観客動員が1万人規模になるんですよ。
    ――それは責任重大ですねぇ。
    フミ そしてフレアーの時代は極端なことをいえば、1年365日サーキットに出っぱなしなんです。いまのWWEのスケジュールもキツイですけど、土・日がハウスショー、月・火がテレビ収録、水・木は家に帰れますから。
    ――フレアーの時代はめったに自宅へ帰れなかったんですね。
    フミ ニック・ボックウィンクルさんが「プロレスラーはスーツケースひとつでどこにでも行ける仕事だ」って言いましたけど、1年中ツアーをしながらホテルと会場のあいだを移動して、食事はすべて外食。ホテル暮らしのライフスタイルをよしとできないと無理ですね。
    ――生活面からこなすのが難しいと。
    フミ あたりまえですがリング上も重要。ハーリー・レイスやリック・フレアーの時代は、いつ何時でも60分フルタイムの試合ができるかどうか。
    ――大変だ(笑)。
    フミ 60分フルタイムの試合が多いから、あの当時のリック・フレアーのプロレスはスローに見えたのかもしれませんが、それは芸風だったんですね。
    ――NWA世界王者の候補はどうやって選出されるんですか?
    フミ ノースカロライナやジョージア、フロリダといった南部のNWA主要地区から選ばれやすかったですね。このベルトを取れば次期候補というものがあって、ミズーリ地区にあったミズーリヘビー級選手権、フロリダのフロリダヘビー級選手権、ジョージアのジョージアヘビー級選手権、ノースカロライナのUSヘビー級選手権とか。大関的位置のベルトが各地区にあったんですね。
    ――その争いをフレアーは勝ち上がっていったんですね。
    フミ 生い立ちからさかのぼると、リック・フレアーのプロフィールはしっかりとドキュメントされてるんです。1949年2月25日テネシー州メンフェス生まれ。幼い頃にミネソタ州ミネアポリスのフレイアー家というお医者さんの家にアダプトに出されていたんです。中学・高校はウィスコンシンのプライベートスクール、私立の寄宿舎で勉学に励んでいて。1966年と1968年には私立の学校だけのレスリング大会で州チャンピオンになってるんですね。ミネソタ大学にはフットボールの奨学金で進んでいます。
    ――スポーツ万能だったんですね。
    フミ 大学は卒業していないんですけど、21〜22歳のときに身体が大きいからバーのバウンサー、用心棒をやってたんですよ。そのときにケン・パテラと出会うんです。
    ――ミュンヘンオリンピックの重量挙げアメリカ代表ですね。のちにマサ斎藤さんの警官乱闘騒ぎのきっかけを作った。
    フミ そのケン・パテラから「プロレスラーになるためにAWAのキャンプに行くけど、おまえもどうだ?」って誘われたんです。そしてフレアーもAWAキャンプに参加します。そのときのコーチがビル・ロビンソン。キャンプに参加したのはアイアン・シーク、ジム・ブランゼル、グレッグ・ガニア。その翌年のAWAキャンプにはリッキー・スティムボート、サージェント・スローターなどが参加していますね
    ――有名どころのレスラーを輩出してるんですね。
    フミ デビューしたのは72年12月10日。AWAでジョージ・ガタスキーというミネアポリスのローカルレスラーが相手。フレアーは翌73年には初来日していて、キャリア6ヵ月で国際プロレスのリングに上がってます。
    ――AWAと国際プロレスが提携していた関係からですね。
    フミ そのときフレアーはラッシャー木村さんを相手に、生まれて初めて金網デスマッチをやってるんです。1973年6月25日大館、ラッシャー木村vsリック・フレアーの金網デスマッチ。
    ――国際はシリーズ中、毎日のように金網をやってたから、フレアーにもお声がかかったんでしょうかね(笑)。
    フミ 国際に来たからには一度は金網を……ということなんでしょう。そのときのフレアーはまだおデブちゃんなんです。太った巨漢で髪の色も金髪ではない。リック・フレアーは何回か変身することで、ビッグになっていったレスラーなんですね。
    ――最初から「ネイチャー・ボーイ」だったわけではないんですね。
    フミ フレアーはデビューしたAWAには1年しかいなかったんです。そこで一緒だったインディアンレスラーの大御所ワフー・マクダニエルに誘われて、ノースカロライナのNWAクロケットプロに移ります。ノースカロライナのシャーロットに住みついて、そこがフレアーのホームタウンになってるんですね。ちなみにAWAにはついぞ戻ることはなかったですね。
    ――主要マーケットのNWAクロケットプロに移ることでNWA世界王者の道を歩むことになるんですね。
    フミ リック・フレアーというレスラーの大きな転機は、デビューから3年後の1975年10月4日に訪れます。フレアーと3人のレスラーが乗ったセスナ機がノースカロライナのウィルミントン郊外に墜落してしまうんですね。
    ――セスナ機でテリトリーを回っていた最中の出来事ですね。
    フミ 自家用のセスナ機はフレアーのものではなかったんですけど。同乗していたジョニー・バレンタインはその事故のケガにより引退。ボビー・ブラッカーズという選手も引退。ミスター・レスリングことティム・ウッズも乗っていてケガをしたんですが、ベビーフェイスとヒールが一緒に行動しているところを他人に見られちゃいけなかった時代なんです。「ヒールのレスラーと一緒に乗っていてケガをしたとは発表できない」ということで、ミスター・レスリングはわずか3週間後に復帰してしまうんです。
    ――プロレスの裏側の事情が絡み合ってたんですね。
    フミ その事故で当時26歳だったフレアーも背骨を3ヵ所骨折する重傷。一時は再起不能説が流れたんですが、4ヵ月後に無事に復帰します。結果的にこのときのリハビリが減量に繋がるんですね。中アンコだったフレアーの身体は見事な逆三角形となった。死と直面した悪夢の飛行事故が人生の転機になり、シェイプアップしたフレアーはそれまでブラウンだった髪の色を金髪に染めるんです。

    この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1341729
     
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  • 怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-08-16 15:07  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「怪死、自殺、大事故! 呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1305252■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今回のテーマは「鉄の爪エリック一家」についてお聞きします。鉄の爪5兄弟が長男(実際は次男)を除いて怪死しているというエピソードは、プロレスファンの心の引っかかってるんですね。
    フミ 鉄の爪一家を語るなら、まずその父親であるフリッツ・フォン・エリックの説明から始めないといけないですね。フリッツは第2次世界大戦後、1950年代のアメリカマットに登場したんですが、最初は“ナチスの亡霊”キャラクターだったんです。
    ――現代の倫理観からすれば、とてもできないギミックというか……。
    フミ 現在はナチスのことを肯定的に取り上げることはもちろんのこと、ナチスのシンボルマークだった鉤十字いわゆるハーケンクロイツはアメリカやヨーロッパではその使用が違法になっていますから。当時、グレート東郷ら日系人レスラーが敵国ジャパンの“悪い日本人”を演じていたのと同じように、観客はその“ナチの亡霊”にブーイングを送ってたんです。
    ――娯楽として成立してたんですね。
    フミ 戦争は1945年に終わって、50年代から70年代くらいまで“ナチの亡霊”がリング上を闊歩してたんですが、そのキャラはフリッツのオリジナルではないんです。オリジナルがカール・フォン・ヘスという人物で、“地獄の料理人”ハンス・シュミットを筆頭に、もうたくさんいたんです。カールとクルトのスタイガー兄弟、ストロハイム兄弟、バロン・フォン・ラシク、新日本プロレス創成期に猪木さんのライバルだったキラー・カール・クラップもそう。
    ――昔のプロレスでは定番キャラだった。
    フミ 正体はアメリカ人やカナダ人なんですが、ドイツ人をそれらしく演じていて、フリッツも本当はテキサス生まれのアメリカ人。本名はジャック・アドキッセン。194センチ125キロの巨体で、単なるナチキャラではなく、鉄の爪アイアンクローという必殺技で一世を風靡した超大型ヒールだったんです。
    ――実力派だったんですね。
    フミ フリッツはカナダのフットボールリーグでプレイしていたんですが、引退後はのちに自分のライバルとなる荒法師ジン・キニスキーと共にスチュ・ハートさんにプロレスを教わったんです。
    ――師匠はハート一家の名伯楽。カナダの地でプロレスに巡り合ったと。
    フミ デビューしたフリッツはドイツ人という設定で活躍し始めます。鉤十字のマークが付いたマントを羽織って、頭は軍人カット、ナチス親衛隊のようなアヒル歩きをする。お客さんからすれば「本当にドイツからやってきたんじゃないの……?」と思わせる迫力があったんです。
    ――あのアイアンクローという必殺技もフリッツのキャラにぴったりでしたね。
    フミ フリッツは手を広げると、親指と小指のあいだが30センチもあったと言われています。それくらい手が大きかったから、相手の顔を掴むと画的に強烈だったんんでしょうね。有名なパブリシティの写真では、エリックが相手の顔を掴んだ指と指のあいだから血が吹き出しているものがあって。
    ――ああ、鉄の爪の象徴的なシーン!
    フミ 1950年代当時はまだテレビはモノクロだったんですが、テレビの力によって第一次プロレスブームが起きるんです。そこでフリッツはギミックというよりは実力でスターになっていきます。バーン・ガニアを倒してAWA世界王者にもなってます。
    ――フリッツは日本プロレス時代に来日していますね。
    フミ 初来日は1967年。どういう年かというと、初来日したビートルズが日本武道館でコンサートをやったんです。外国人のミュージシャンとして初めてビートルズが武道館を使用しましたが、プロレスの武道館初進出はジャイアント馬場vsエリックなんです。
    ――鉄の爪はビートルズだった(笑)。
    フミ プロレスはそれまでも蔵前国技館などで興行はやってましたけど、当時の武道館進出は90年代でいえば東京ドームで初めて興行をやるくらいの大ニュース。大興行に見合う超大物を連れてこよう。それが鉄の爪エリックだったんです。その強敵を当時インターナショナル絶対王者、ジャイアント馬場が迎え撃つ。
    ――超大一番だったわけですね。
    フミ 当時は事前に映像でどんな選手かを確認する術はなかったですから、東スポやプロレス誌に載ったモノクロ写真数点だけでイマジネーションを膨らませていたんですね。フリッツの主な技はアイアンクローにストマッククロー(胃袋掴み)、そして馬のような足での蹴り。
    ――フリッツのビッグフットは強烈だったそうで。
    フミ 馬場さんとの試合でもやってみせたんですが、場外にいた馬場さんの顔をアイアンクローで掴んでトップロープをまたがせてリング中央まで引きずり込んだ、と。
    ――凄い!!(笑)。
    フミ トップレスラーに昇りつめたフリッツは、60年代前半には生まれ故郷テキサスに帰って、エド・マクレモアというNWA系のプロモーターから興行地盤を引き継ぎます。フリッツ自身がダラスのプロモーターになるんです。団体名はNWAビッグタイム・レスリング。
    ――フリッツはナチキャラのヒールでしたけど、地元ではどういう扱いだったんですか?
    フミ テキサスではアメリカ人であることをカミングアウトしてるんです。というのは、ジャック・アドキッセンはカレッジフットボールで地元ダラスでは有名な選手でしたから。ダラスに腰を落ち着かせたフリッツはプロモーターとしても成功して、1975年にはサム・マソニックのあとを受けてNWAの会長にも就任してるです。馬場さんとも仲が良くて、全日本プロレスのレスラーがダラスで試合をしてましたね。
    ――ここまでは順風満帆な人生ですが……。
    フミ 鉄の爪一家の悲劇のプロローグは1959年、昭和39年に起こります。フリッツがニューヨーク遠征中に長男ジャッキーくん6歳が、雨の日に家のそばで遊んでいたところ、高圧電流に触れて感電死してしまうんです。プロレス史では「鉄の爪5兄弟」と言われていますが、じつは6兄弟だったんですね。この続きと、中村頼永・前後編、呪われた鉄の爪、グレート小鹿、RIZIN現実と理想トーク、堀口恭司、那須川天心…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1322625
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  • ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ■斎藤文彦INTERVIEWS⑯

    2017-07-27 18:28  
    76pt
    DAZNでWWE生配信番組解説中!(毎週火曜はRAW、水曜はSmackDown)。隣はアナウンサーの市川勝也氏。
    00年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今回はWWEのリングに登場した他ジャンルのアスリート、芸能人・有名人……セレブたちについて伺います。
    フミ WWEのセレブ路線は、ビンス・マクマホンの“1984体制”から始まったんですね。
    ――ビンスがWWEを仕切るようになってからなんですね。
    フミ ビンスの前にWWEのプロモーターだったのは、父親のビンス・マクマホン・シニアですが、彼はプロレスラー以外の人間をリングに上げることを嫌ってました。シニア時代のWWE王者だったブルーノ・サンマルチノや、ほかのレスラーたちも同じ考えですね。
    ――リング上はいま以上に聖域だったわけですよね。
    フミ ただ、モハメッド・アリvsサンマルチノがじつは計画されていたんです。その前に猪木さんが実現させてしまったんですけど、猪木vsアリのアメリカ側のプロモーターはビンス・マクマホン・シニアなんですよね。
    ――ニューヨークでも猪木vsアリのクローズドサーキットがあったんですね。
    フミ 当時はまだPPVはなかったので、テクノロジーとしてはクローズドサーキットだったんです。場所はニューヨークのシェイ・スタジアムで、ニュヨークメッツの本拠地で3万人収容できる球場。セカンドベース上から3方向に映画のスクリーンを置いたんです。いまだったら巨大ビジョンなんでしょうけど。
    ――そんなに大きなスタジアムでクローズドサーキットをやるほど、猪木vsアリは注目を集めてたんですね。
    フミ いや、集客面はシニアも心配だったようで、そこで保険をかけたのがサンマルチノvsスタン・ハンセンの完全決着戦なんです。その頃のハンセンは例の「サンマルチノ首折り事件」で有名になっていたんですね。あの事件はハンセンがボディスラムを投げ損なったことで、サンマルチノは首を負傷したんですけど、ストーリーライン上はハンセンのラリアットで首を折った、と。
    ――キラー・カンのアンドレ足折り事件と同じくアクシデントをビジネスに活かしたんですね。
    フミ その事故から5ヵ月後、サンマルチノに復帰の目処は立ってなかったんですけど、シニアからの強い要請でハンセンと再戦したんです。ニューヨークのファンは、アリvs猪木よりも、この遺恨決着戦を見にシェイ・スタジアムに来たと言われてますね。
    ――猪木vsアリの試合内容からすれば、サンマルチノvsハンセンをやっておいてよかったかもしれない(笑)。
    フミ アンドレ・ザ・ジャイアントvsチャック・ウェプナーの異種格闘技戦もあって、こちらは決着が付いてますからね(アンドレのリングアウト勝ち)。日本で思われている以上にウェプナーのステータースは高いんです。なにしろ映画『ロッキー』のモデルになったボクサーですからね。白人ボクサーはヘビー級では活躍できないという風潮がある中で、ウェプナーは成功した部類に入りますし。
    ――ボクサーはアスリートですけど、俳優なんかをリングに上げちゃうのは1984年以降なんですね。
    フミ 1983年にビンスは父親のシニアからWWEを買い取ったんですが、1985年の第1回レッスルマニアの前に重要なことが起きてるんです。それはMTVとWWEのコラボです。MTVはミュージックビデオをひとつのジャンルとして築き上げたパイオニアですが、1981年に開局されたんです。
    ――ミュージックシーンの革命にWWEが乗っかったんですね。
    フミ 機を見るに敏じゃないですけど、ビンスはMTVとコラボすることがプロレスブームに繋がると判断したんですね。
    ――凄いセンスですよねぇ。マイケル・ジャクソンの『スリラー』のあの有名PVがMTVで流れたのはその頃ですよね?
    フミ ちょうど前の年、1983年のことですね。第1回MTVミュージック・ビデオ・アワードで最優秀女性歌手賞を受賞したシンディ・ローパーも、WWEと絡んでいきます。シンディ・ローパーの『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』のミュージックビデオには、ルー・アルバーノがお父さん役で出演してるんです。
    ――ルー・アルバーノはWWEの悪党マネージャーですね。
    フミ ルー・アルバーノは日本で思われてるよりはニューヨークでは超有名で、シンディ・ローパーとは飛行機で隣の席だったことがきっかけで意気投合したんです。ミュージシャンからすれば、マディソン・スクウェア・ガーデンでライブをやることは大きなステータスなんですが、シンディ・ローパーはWWEが毎月マディソン・スクウェア・ガーデンで定期興行を行ない、常に2万人近くも動員してることを知らなかった。「そんなジャンルがあるの?」って驚いて興味を持ったんでしょうね。
    ――そこからシンディ・ローパーがWWEのリングに姿を見せるようになって。
    フミ MTVでWWEの特番が組まれたときのメインはハルク・ホーガンvsロディ・パイパーだったんですが、ホーガンのセコンドにシンディ・ローパーがついたんです。そのシンディ・ローパーにロディ・パイパーが襲いかかると、俳優のミスターTが助けに乱入してくる。
    ――ロディ・パイパーとミスターTの決着戦が第1回レッスルマニアだったんですね。
    フフミ いきなりミスターTがWWEに現われたんじゃなくて、MTVの特番の盛り上がりがレッスルマニアに繋がったんです。当時のミスターTといえば『特攻野郎Aチーム』のコング役で大人気の俳優。ホーガンも出演した『ロッキー3』にも出てましたから、当然のように大きな話題になったんです。
    ――でも、業界内からの反発も大きかったんじゃないですか。素人をリングに上げるのか?と。
    フミ 当然反発はありました。ミスターTと対戦するロディ・パイパーも「素人がリングに上がったら、いっちゃうよ?」というタイプだったんです。ロディ・パイパーは昔気質のレスラーですし、試合前に実際に公言してたんですよ。それは試合を盛り上げるための発言ではなく、ミスターTをただでハリウッドに戻らせるわけにはいかなかったんです。
    ――素人ができるものだと思われちゃいますよね。
    フミ だから「やっちゃうよ?」ということなんですね。当時はNWAやAWAもありましたし、バーン・ガニアやフリッツ・フォン・エリックにしても、プロモーターにはレスラー上がりが多い。「レスラーであらずんば人にあらず」という考えは強かったんです。ビンスはプロレスラー出身じゃないから、こんなくだらないことをやってしまうんだと思われてたんですね。
    ――プロレスを汚す行為に見えたでしょうね。
    フミ でも、ビンスからすれば「いまのプロレスは3大ネットワークやメジャーな新聞から取れあげられることはない」ということなんですね。戦後の1950年代から80年代までプロレスに人気がなかったことはないんですよ。人気のあるジャンルなのに一般マスコミは見向きもしなかったんですね。ビンスはニューヨークや東海岸のテリトリーだったWWEをケーブルテレビに乗せて、ホーガンをエースとして全米ツアーを始めた。そこからWWEの一般人気が高まっていったんです。
    ――そのひとつの象徴がシンディ・ローパーやミスターT。
    フミ 彼らがWWEと関わることで一般マスコミの取材が殺到しましたし、世間からすればホーガンも「『ロッキー3』に出ていたあの人」ですから。テレビに映ってるホーガンの姿は『ロッキー3』でホーガンが演じたサンダー・リップスそのまま。ホーガンはそういう舞台に立たせると映えるんですね。
    ――ホーガンにはパイパーみたいな昔気質なところはなかったんですか?
    この続きと、桜庭和志殿堂入り、朱里UFC、破壊王伝説、大矢剛功、メイウェザーvsマクレガー特集、入江秀忠騒動…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■斎藤文彦INTERVIEWS⑮

    2017-06-27 22:00  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726
    ――現在多くの日本人プロレスラーがWWEに上がっていますが、今回はWWEと日本人プロレスラーの歴史についてお伺いいたします。
    フミ WWEは歴史の長い団体です。契約形態もその時代によって異なっています。WWWF時代はニューヨークを中心とした東海岸地域の団体だったのが、 1983年にいまのビンス・マクマホンが引き継いでからは全米に展開するようになり、いまや世界一のプロレス団体ですから。
    ――80年代に入るまではスポット参戦がけっこうありましたね。
    フミ 男子だけではなく、女子レスラーでもクラッシュギャルズ、ダンプ松本がマディソン・スクウェア・ガーデン(以下MSG)の定期戦には上がったことがありましたね。あとJBエンゼルス(立野記代&山崎五紀)が6ヵ月契約で上がっています。90年代になるとブル中野さんも参戦します。アランドラ・ブレイズことメドューサとの試合は定番カードとなって、1ヵ月で28回戦ったこともあります。
    ――毎日ブル中野vsメドゥーサ!
    フミ ありとあらゆる街でそのカードで戦ったんです。その街のお客さんとしては初めて生で見るわけですから、見せるべき動きはすべて出さないといけない。でも、アスリートとしては同じことを繰り返すのはプライドが許さないところがあるので、煮詰まらないようにちょっとずつ内容を変えていく。技の順番を変えたり、新しい技にトライするわけですね。
    ――そうでもしないとモチベーションが保てないでしょうね。
    フミ WWEというプロレス団体の歴史をさかのぼると、あのリングで初めて活躍した日本人はジャイアント馬場さんなんです。当時はWWE発足前でビンス・マクマホンのお父さんがプロモーターをやっていた時代でした。
    ――ビンス・マクマホン・シニアですね。
    フミ 馬場さんは1961年、つまり昭和36年の秋に初めてアメリカ遠征に出るんですけど、単身ではなくて芳の里、鈴木幸雄(マンモス鈴木)の3人でツアーを行なったんです。そのときに馬場さんはMSGデビューしたんです。記録によれば、61年9月から62年12月まで16大会連続でMSG定期戦に出場してますね。ちなみにWWEが誕生したのは翌63年3月です。
    ――WWE誕生以前のニューヨークを馬場さんは知っているんですね。
    フミ 馬場さんは1963年のワールドリーグ戦に出るために帰国して、その秋から再びアメリカ長期遠征に出たんですが、力道山が突然死んでしまうんです。馬場さんは遠征中なので力道山の死に目に会えていないけれど、帰国もしていない。馬場さんはNWA世界チャンピオン候補だったこともあり、マネジャーのグレート東郷が「アメリカに残っていたほうがいい」とアドバイスしたんです。そして力道山死去の3ヵ月後の1964年2月17日、MSG定期戦でブルーノ・サンマルチノvsジャイアント馬場のWWWF世界戦(WWEのルーツ)という大メインイベントが行なわれます
    ――日本に緊急帰国していたら実現していない。
    フミ その後、馬場さんはグレート東郷の誘いを断って帰国するんですが、力道山が死んだことで日本ではもうプロレスというビジネスがなくなってしまうではないかという憶測も流れていたんです。馬場さんは海の向こうから日本の状況を眺めていたんでしょうね。
    ――あのままアメリカに残っていたらプロレスの歴史は変わっていたんでしょうね。
    フミ NWAのチャンピオンになって全米をサーキットしても1〜2年、長期政権でも3〜4年ですから、馬場さんはいずれせよ日本に帰ってくることになっていたと思いますね。
    ――昭和のプロレス界だとNWA幻想が凄かったですが、WWEはどういうものだったんですか?
    フミ 70年代終わりから80年代前半だと「MSGシリーズ」といえば、新日本プロレス春の本場所のイメージが強いですよね。でも、日本プロレスでもMSGシリーズ(1967年2月)をやっていて、全日本プロレスでも一度だけ開催されたんです(1974年5月)。
    ――MSG自体がブランドだったんですね。
    フミ いまのWWEはメジャーだとわかっていても、日本のファンからすればちょっと遠いような感じがしますよね。70年代80年代のプロレスファンからすれば、日本で「MSGシリーズ」が開催されて、ニューヨークのスターがアメリカからやってきていたので、いまとは違った意味で近い存在ではあったんですね。
    ――新日本プロレスはWWEと業務提携もしていましたね。
    フミ 猪木さんの新日本とWWEが業務提携を発表したのが1974年5月。当時ボクは少年ファンだったからMSGに出ているレスラーが続々と来日するんだという期待感が大きく膨らみました。新日本とWWEの業務提携に全日本の馬場さんはどういう反応を示したかといえば、1974年6月にひとりでニューヨークに出かけて、10年ぶりにMSG定期戦に出場したんです。馬場さんは新日本とWWEの提携が本当かどうか探りに行ったわけですね。
    ――馬場さんにとって、それほど寝耳の水な発表だったんですね。
    フミ 当時の新日本は外国人レスラーが弱点だったんです。トップがタイガー・ジェット・シンで、第1回ワールドリーグ戦決勝戦の猪木さんの相手はキラー・カール・クラップでした。
    ――NWAのトップレスラーが来日していた全日本と比べると華やかさに欠けますねぇ。
    フミ ワールドリーグ戦も猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎と日本人レスラー主体の争い。日本人対決は見ごたえはあったのですが、その後のWWEとの提携によって新日本の外国人レスラーがガラッと変わることになるんですね。
    ――馬場さんも焦るわけですね。
    フミ 馬場さんと親友だったWWE世界王者のサンマルチノだけは新日本のリングには上がらなかったんです。そこは馬場さんとの友情を選んだサンマルチノに対して、シニアも無理強いはしなかったということでしょう。サンマルチノは全日本でWWEのタイトルマッチをやったり(75年5月)、10周年記念シリーズでは馬場さんとタッグを組んで、ジェットシン&上田馬之助組と対戦しています(81年10月)。
    ――業務提携したことで新日本のレスラーがWWEのリングに上がることにもなるんですよね。
    フミ 猪木さんが初めてWWEのリングに上がるのは、業務提携を結んだ翌年の75年12月。MSG定期戦でフランク・モンティーというレスラー相手にニューヨークデビューするんです。テレビ朝日のカメラクルーも連れて行ったので『ワールドプロレスリング』で中継されました。
    ――ゴールデンタイムで中継されたら、WWEとの距離はますます縮まりますね。
    フミ 1978年1月には藤波辰爾がMSGでWWEジュニアヘビー級チャンピオンのタイトルを奪取してスターになります。そのときのメインイベントは王者スーパースター・ビリー・グラハムに、ミル・マスラカスが挑戦するタイトルマッチ。翌月(78年2月)にチャンピオンになるボブ・バックランドも前座に登場してるんです。バックランドは8人タッグイリミネーションマッチに出たんですが、ベビーフェイスの3人が早々に負けてしまいバックランド一人残りになるんです。そこからバックランドがヒール4人を全員やっつけちゃったんですね。
    ――スター誕生前夜のMSGだったんですね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る/「斎藤文彦INTERVIEWS⑭」

    2017-05-24 18:46  
    76pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはジ・アンダーテイカーです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660――今月のテーマはジ・アンダーテイカー!……なんですが、アンダーテイカーは先日のレッスルマニアで引退したということでよろしいんですよね?
    フミ はい。レッスルマニアのローマン・レインズ戦で引退したとボクは思っています。レッスルマニアって今年で33回目の開催なんですが、テイカーさんはそのうち25回も出場してるんです。途中でケガで出られなかったのが2回(94年、00年)あったんですけど。
    ――レッスルマニアの出場回数もさることながら、あのWWEにこれだけ長期在籍していることも恐ろしいことですよね。
    フミ 本当のロングセラーですよね。たいていのレスラーは消耗して姿を消すか、レッスルマニアにだって何回か出る程度ですよ。ホーガンやジョン・シーナ、マッチョマンだってここまで長くは在籍していないですし。27年もWWEに上がり続けたテイカーさんは、WWEがプロデュースした最高傑作ということになりますよね。
    ――テイカーさんはデビュー当時から有望な選手だったんですか?
    フミ もちろんです。テイカーさんが「パニッシャー・ダイス・モーガン」というリングネームで新日本プロレスに初来日したときに、ボクは『週刊プロレス』でインタビューしているんですが、アンダーテイカーに変身する前だから詳しいプロフィールを教えてくれたんです。そのときはまだキャリア3年だと言ってました。
    ――新日本のリングに上がったのは1990年3月のことですね。アンダーテイカーに変身するのは90年11月ですから直前。
    フミ テイカーさんは高校まではホームタウンのテキサスに住んでいて、バスケットボールの奨学金でテキサス工科大学に進んだんです。大学ではスポーツ経営学を専攻。プロフットボールやプロバスケットボールのマネジメントに興味があって、クリニック分野も勉強していたそうです。
    ――それがどうしてプロレスラーになったんですか?
    フミ プロレスに方向転換したわけではなく「最初から大学を出たらプロレスラーになろうと決めていた」と。当時のアメリカでプロレスラーになる人ってフットボールやバスケで大学に進んだけど、途中でやめて……というパターンが多いんですけど、テイカーさんは大学をちゃんと卒業しています。計画的に行動する人ではあると思うんですね。それで知人の紹介でダラスのバズ・ソイヤーの道場に通ったということです。
    ――若き職人肌レスラーのバズ・ソイヤーですね。
    フミ 旧ソ連のアマチュアレスラーたちが新日本に参戦したときに、バズ・ソイヤーはアメリカのレスリング代表として出ましたよね。ナショナルチーム出身ではないんですけど、ジョージア州のチャンピオンだったんです。
    ――レスリングの心得もあるし、プロレスに初挑戦する旧ソ連勢の相手としては好都合だったんですね。
    フミ ちなみにケン・シャムロックもバズ・ソイヤーからプロレスを習ってるんです。テイカーさんはダッチ・マンテル、ドン・ジャーディンからもプロレスを教わりました。
    ――いま一部で話題沸騰のダッチ・マンテルですね(笑)。
    フミ その3人の中で最も影響を受けたのがドン・ジャーディンなんです。ドン・ジャーディンは覆面レスラーのザ・スポイラー、スーパーデストロイヤーの正体として有名ですが、長身のレスラーとして初めてロープ歩きをやった人なんです。
    ――ロープ歩きはテイカーさんの得意技ですけど、つまり……。
    フミ ドン・ジャーディンが「君は背が高いからこの技を使いなさい」と伝授したんですね。テイカーさんのことをそれくらい気に入ってくれて手取り足取り指導しました。面白いことにテイカーさんのデビュー戦もマスクマンだったんです。
    ――そこもドン・ジャーディンと被ってるんですね。
    フミ 理由を考えると、テイカーさんは赤毛の白人レスラーだったからじゃないかと。アメリカだと赤毛で肌が白い男性は、どうしてもかわいすぎちゃうんですね。だから赤毛の白人レスラーがデビューするときは、周囲は「彼はマスクマンだね」「髪の毛を違う色にしたほうがいいね」ってアドバイスされがちなんです。
    ――そういえば、アンダーテイカーも厳密には素顔キャラではないですね。
    フミ アンダーテイカーはマスクマンに近い概念ですからね。テイカーさんが覆面レスラーとしてデビューしたのはいまから30年前の1987年3月、ダラスのスポータトリアム。相手はあのブルーザー・ブロディ。あまり使いたくない言葉ですけど、テレビマッチのジョバー(負け役)だったんです。ブロディが1分足らずで勝っちゃうような試合。
    ――それでもデビュー戦がブロディだったんですね。
    フミ テレビ収録用の試合だから誰が相手でもかまわないはずなんですけど、ブロディが「キミがいい」ってテイカーさんを指名したんです。テイカーさんはデビュー前の新人ですから、大部屋のロッカールームをウロウロしてたんでしょう。そんな無名時代のテイカーをブロディが指名した。翌年にブロディはプエルトリコで亡くなってしまいますから、ブロディと接触するワンアンドオンリーの機会だったんですね。
    ――ギリギリでブロディという大物に触れることができた。
    フミ デビュー戦のときはテキサス・レッドというリングネームだったんですが、面白いことにブロディも新人の頃はテキサス・レッドというマスクマンを短期間ながらやっていたときがあったんです。
    ――テキサスでは馴染みのある名前なんですね。
    フミ ビッグ・レッドというシナモン味のガムもありますから、ありふれた名前ではあるんですね。テイカーさんはそこからダラスで2ヵ月くらい活動して、その次は南アフリカ共和国へのツアーに参加したんです。そのあとはアメリカ各地のインディペンデントを渡り歩きました。たいしたギャラがもらえなくても、大きな団体にスカウトされるまで、ガソリン代がポケットに残ってるうちはいろんなリングに上がり続けたんです。
    ――下積み期間だったんですね。
    フミ そうして88年のはじめに先輩のダッチ・マンテルに誘われて、テネシーのCWAに上がることになったんです。そのときのリングネームはマスター・オブ・ペイン。そのCWAとダラスのワールドクラスが合併してUSWAという団体が生まれると、そこではパニッシャーというマスクマンに変身したんです。そして新日本参戦前の90年にはWCWに上がるんですよ。セッド・ビシャスとダニー・スパイビーがスカイスクレイパーズというタッグチームを組んでいたんだけど、セッド・ビシャスがケガをしてその代役としてテイカーさんが選ばれたんですね。WCWのときはミーン・マークやマーク・キャラスを名乗っていて。
    ――コロコロと名前が変わりますね(笑)。新日本時代はパニッシャー・ダイス・モーガン。
    フミ 新日本もテイカーさんの素材の面白さを評価して、また日本に呼ぼうとしてたんです。スコット・ホールとのコンビでIWGPタッグ王座にも挑戦していますから、新日本としては今後も使っていきたいレスラーだったんでしょうね。新日本にスカウトしたのはカルガリー在住のジョー大剛(鉄之助)さん。大剛さんが見つけてきた新日本外国人選手はコンガ・ザ・バーバリアン、ハクソー・ヒギンズ、グレート・コキーナ(ヨコヅナ)、ザ・ソウルテイカー(ザ・ゴッドファーザー)。みんな大型レスラーですよね。外国人選手はヘビー級に限るという考えがあったんでしょう。
    ――テイカーさんのことも期待していたんですよね。
    フミ テイカーさんが日本を離れる前に、彼のインタビューが載った『週プロ』を手渡しに行ったんです。そうしたら「オフィスからまた来てくれと言われたよ」って言うから再来日するんだと思っていたんです。そうしたらそのままWWEと契約してしまって。
    ――あの新日本参戦は素のテイカーさんの姿が見れたんですね。
    フミ ずいぶんと貴重ですよ、そのままテイカーさんはスーパースターになるわけですから。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」

    2017-04-30 18:56  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は話題のノンフィクション本、柳澤健氏の「1984年のUWF」(文藝春秋・刊)について16000字の激語りです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/ジャン斉藤)Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回『1984年のUWF』をテーマにすると聞いてちょっと驚いたんです。この本にはケーフェイについても書かれているので、プロレスマスコミの立場によっては触りづらいと思っていたので。
    フミ そうなんですか? 
    ――たとえばミッキー・ローク主演映画『レスラー』が公開されたときも、プロレスの裏側も描いているので「見た」と公言できないというマスコミや団体関係者が多かったですし。
    フミ いや、ボクは『週刊プロレス』のBoysコラムで『レスラー』のことは書きましたよ。それはきっと映画の内容についてコメントを求められるのがイヤなんでしょう。この業界でずっと長く仕事をしたいと考えた場合の保身の発想であり、己かわいさなのかもしれない。ボクは大丈夫です。それに、プロレスはそんなにヤワにできていないですし、『1984年のUWF』は本当に酷い本ですので、これはちゃんと批判しないといけません。とにかく本当に最悪な内容なんですよ。
    ――えっ、そんなに酷い本なんですか。読み応えはありましたが……。
    フミ そういえば、ある編集者に「Dropkickで『1984年のUWF』について話す」と言ったら「ジャン斉藤さんは柳澤さんを絶賛してましたよ」と言ってましたね。
    ――それは『1976年のアントニオ猪木』のことですかね(笑)。今回の『1984年のUWF』でも更科四郎さんのことを紹介したり、ボクが過去に取材したフクタレコードの福田典彦さんを始めとする関係者の発言が引用されていたんですが。この本の感想を言えば、「新生UWF」の章までは面白かったんですけど……。
    フミ 「新生UWF」は何章ですか?
    ――9章ですね。それ以降はところどころ「えっ?」って感じで引っかかる記述が多かったんですね。UWFの歴史を追うというよりは物語を描かれてるという感じで……。
    フミ いや、それは9章以降に限った話じゃないんですよ。あの本はノンフィクションではなく柳澤健さんのフィクションです。それを歴史の書だとか事実の記録だと誤解している人たちは目が曇っていますよ。
    ――この本の批判でよく聞くものは、前田日明を下げて、佐山サトルを上げてるんじゃないか、ということですよね。
    フミ いや、もうそういうレベルの酷さではないんですね。この本はプロレスの捉え方が根本的に間違ってるんです。この本を読むとわかるのは、柳澤さんという方は、プロレスというジャンルについて何かを書くための基本的なベースが一切ないことなんです。単純な事実の誤認を含めて間違いの上に間違いが重なり合い、何重にも何重にも誤りがあって収拾がつかなくなって、間違いの雪だるまみたいな本になっています。
    ――そ、そこまで言いますか。
    フミ プロレスファンがこの本を読んでも、学べることは何一つないんですよ。まず、ビギナーからマニアまでに共通した弱点として「ノンフィクション作家」を名乗る人や、プロレスマスコミではないところの媒体を、自分たちより上みたいな感じに崇めてしまいがちなんですね。この本に書いてあることがいかにデタラメであっても、自分より偉い誰かが書いていて、きっと真実なんだと誤解してしまう。あらためて言いますが、この本はノンフィクションですらないんです。まず当事者であるレスラーの取材・分析を一切省略してますよね。前田日明、佐山サトル、藤原喜明、高田延彦……その他UWFの選手たちを誰ひとりとして取材しないで書かれてるんですね。
    ――あえて取材していないんでしょうね。
    フミ 当事者の証言をすべてすっ飛ばしておいて、周辺の関係者やマスコミは取材して、柳澤さんの仮説にマッチする関係者の発言だけを極めて恣意的に抽出してるだけなんです。
    ――たしかにこの関係者の真偽不明な発言は採用するんだっていう疑問はありましたね。骨法の堀辺正史師範を筆頭に……。
    フミ 堀辺師範でも誰でも、関係者の発言をカギカッコ付にして書くことで、腹話術のように自分の仮説を主張しています。そのうえで関係者の心情を柳澤さんが勝手に語ってるんですよね。だからこの本はノンフィクションではなくて、柳澤さんの書いたフィクションなんです。
    「U.W.F.スネークピットジャパン」ジャンバーという正装で取材に臨んだフミ斎藤氏…――たとえば、どこが間違いなんですか?
    フミ とにかく間違いだらけで、どこから取り上げていればいいかわからないですが……まず27ページの13行目を読んでください。
    ――「プロレスはリアルファイトではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであり、勝者と敗者があらかじめ決められていることは事実」。
    フミ ……と書かれてますが、この文章の前後にはその定義付けのようなものを論証するエビデンス、論拠がまったく示されていないんです。「あらかじめ決められていることは事実」を示すものがない。そのあとには「リング上で行われている試合の勝敗を決めるのはプロモーターであり、残念ながらレスラーではない」と書いてますが、プロモーターというのは誰のことを指しているつもりなのかもわからない。柳澤さんはノンフィクションライターを名乗ってるのに、ノンフィクションたりえる証言や証拠を積み上げる作業をせず、個人的な偏見から「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」と。「プロレスは――」から始まっていますから、ここはひじょうに大切なセンテンスなんです。ところが、もの凄く唐突に断言してしまってるんですね。次は29ページの11行目です。
    ――「アメリカに渡ってからはカール・ゴッチと名乗り、アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」。
    フミ 読んでみてどう思います? プロレスの歴史を少しでも知る人間なら間違いにすぐに気づきますよね?
    ――……まあ、おかしいですね。
    フミ ゴッチさんは「アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」? 「伝説の強者」? 誰のことですか? プロレスファンならすぐわかることなのに、なぜこんなデタラメを書くのか。ゴッチさんがサブミッションレスリングを学んだのはアメリカに渡る前、イギリスのビリー・ライレー・ジムです。次は同じ29ページの14行目を読んでください。
    ――「1960年の時点で、すでにプロフェッショナル・レスリングは純然たるエンターテイメントであった」。
    フミ これもエビデンスを示していない。では、1950年代、1940年代、1930年代、1920年代のプロレスはリアルファイトだったのか。フランク・ゴッチの時代は? マルドゥーンの時代は? 最初から最後までこんな感じで重要なことを極めてアバウトに書いてるんですよ。同じ29ページの16行目を読んでください。
    ――「観客が求めるのは興奮だ。レスリングのリアルファイトなど地味でつまらない。観客が求めているのは地味なリアルファイトではなく。興奮できるショーなのだ」。
    フミ まあ、ここが柳澤さんの一番の弱点なんです。続けてください。
    ――「だからこそ、ふたりのレスラーは一致協力して興奮できる試合を作り上げなくてはならない。手に汗握る熱戦の末に、最後には観客が応援するレスラーが必ず勝つ。観客は愛するレスラーの勝利を自らの勝利と同一視して興奮する。アクション映画のように、あらかじめ興奮が約束されているからこそ、観客は次の興行にも足を運んでくれるのだ」。
    フミ そもそも「リアルファイトが地味」とういうのも偏見ですが、プロレスファンが求めてるのは「興奮」だけなのか。百歩譲って興奮があったとしても、それはプロレスファンがプロレスに求めているたくさんのもののうちの1つでしかないですよ。興奮かもしれないし、熱狂かもしれないし、感動かもしれないし、共感かもしれない。ストレス解消かもしれない。どうして「興奮」と決めつけるかといえば、この人には少年時代にプロレスファンだった経験が一度もないからなんです。こんな短い段落の中に「興奮」という単語を立て続けに5回も使っている。きっと本気でそう思っているのでしょう。単純に言ってしまえば、柳澤さんは「プロレス八百長論」の方なんです。八百長か、真剣勝負かという一点だけしかプロレスを論じる視点を持ち合わせていないんですね。
    ――プロレスを二元論で捉えていると。
    フミ なぜそうなのかといえば、柳澤さんはプロレスファンなら必ず通過している体験をしていないからです。皆さんには経験があると思いますが、第三者に「プロレスファン」を名乗った時点で、それが学校の先生でも、親戚のオバサンでも、八百屋のオジサンでも、誰でいいけれど「プロレスはね、ショーなの、八百長なの。そんなこともわからないの?」と指摘されるんです。柳澤さんは、無垢なプロレス少年ファンに対して「プロレスは八百長なんだよ」と囁く隣のオジサンの立ち位置なんですね。そこにしか立ったことがないからプロレスの魅力は何か、プロレスとはなんなのか? を考えるのではなく、ステレオタイプな八百長論しか頭の中にない。プロレスファンじゃなかったからこそ外側から事実を書けると言いたいのかもしれませんが、それさえも不可能なんだということはこれからの説明でわかってきます。まず32ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」。
    フミ ボクはカール・ゴッチさんのことが大好きで、何回もフロリダの自宅を訪ねたことがありますが、「世界最強のレスラー」なコピーのようなものはいったい誰が定義したのか。その根拠も出典も記されていないし、最初から「であろう」という推測、偏見しかない。何度も言いますけど、この人は固定観念、先入観、ステレオタイプ、ありとあらゆるプロレスへの偏見から書いてるんです。何の論拠もなく「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」……ゴッチさんの試合なんか見たこともないんでしょう。何もかもリサーチ不足。詳しく調べてないんですよ。なんでこんなデタラメが書けるのか。
    ――そういえば『1984年のUWF』では、ダッチ・マンテルが前田日明にシュートスタイルで酷い目にあったとマンテル本人の自伝から引用して書いてて、そのボヤキっぷりが最高に面白かったんですが、YouTubeにアップされている前田日明vsダッチ・マンテル戦を見るかぎり、そんな物騒な試合ではなかったですね。
    フミ 当事者に取材していないにも関わらず、そういった自分に都合のいい証言はよく精査せずに引用してるんですよ。ゴッチさんについては、もっと酷いことを書いています。許せないです。
    ――「ゴッチのプロレスには、観客を興奮させるだけのスリルとサスペンスが決定的に不足していたのである」(P32)
    フミ 続けて「観客を興奮させることのできないレスラーがメインイベンターになれるはずもない」なんてことが書かれています。「スリルとサスペンスが決定的に不足していたと言われている」ならまだしも、そうやって断言できるだけのエビデンスを持ち合わせていない。これはボクの実体験なんですけど、ボクは小学4年生のときにテレビでゴッチvsビル・ロビンソン、ゴッチvsモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を見て、小学5年生のときに蔵前国技館でゴッチvsアントニオ猪木の“幻の世界戦”、小学6年生のときには蔵前で猪木&坂口vsゴッチ&ルー・テーズのタッグマッチを生で見ました。50年以上もプロレスにハマり続けているのは、ゴッチさんのプロレスを見たからなんですよ。この本には、あれほどプロレスラーとしても魅力的だったゴッチさんの姿があぶりだされていないんですよ。単なる八百長論を展開するためにゴッチさんが使われている。
    ――「ゴッチを理解したのは、日本人だけだった」とも書いてますね。
    フミ それも柳澤さんの固定観念なんです。日本でしか受け入れられないならWWWF(現WWE)のリングに上がれていないですし、アメリカでレスラーとして生活できていない。そこは定説に乗っかってるだけですよね。疑いの目や批判の目をもってそういう定説を切り崩していくのがノンフィクションの本来の姿勢であるはずでしょ。この本ではゴッチさんがWWWFでタッグのベルトを獲ったことがまるで意外なことのように書いてありますけど、ゴッチさんはオハイオのアル・ハフトというプロモーターがやっていた大きなローカル団体のベルトも獲ってます。ボクはオハイオAWAと呼んでるんですけど、ゴッチさんはオハイオAWAの世界チャンピオンになってるんです。そういう事実を記述することなく、最初からゴッチさんは不遇だったという定説、結論ありきで書かれているんですね。それは38ページの2行目からもわかります。
    ――「ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーナーだけになった」。
    フミ これは新日本に対して悪意が篭っているし、ゴッチさんのこともバカにしている。ゴッチさんは大したことを教えていないと書きたいんでしょう。ゴッチさんは日本プロレス時代にも1年以上日本に住んでレスラーの指導をしていますし、新日本時代も日本に滞在しながら、弟子とは呼ばれていない荒川真、小林邦昭、栗栖正伸、グラン浜田らにも教えてるんですよ。それにゴッチさんが指導したのはプロレスの基礎ではなくレスリングの基本です。次は139ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「自分たちはプロだ。厳しい練習に耐えているのは、リング上で華やかなライトを浴び、テレビの電波に乗って日本中の人気者となり、大金を稼ぐためなのだ」。
    フミ 「大金を稼ぐ」? 柳澤さんはプロレスラーってそれしか目的がないと本当に思い込んでるんでしょうね。プロレスを知らないからこそ「テレビもつかないマイナー団体に行くのは愚の骨頂だ」とも書いてしまう。そして149ページの11行目も酷いんです。
    ――「アントニオ猪木は柔道家や空手家、ボクサー、キックボクサーなどを自分のリングに上げて異種格闘技戦を戦い、カネで勝利を買っておいて……」
    フミ 競技スポーツという前提で論じるなら、お金で結末を買う行為が八百長であることはわかりますよ。でも、柳澤さんは最初からプロレスを競技スポーツとして見ていないのに、どうやって勝利をカネで買うというんでしょうか。ならば、勝利をカネで売った方のロジックは? プロレスのそもそもの論じ方が間違ってるからこんなことを書いてしまう。
    ――柳澤さんのプロレスの定義はショーというものですね。
    フミ この一文にからでも単純な八百長論者であることがよくわかりますね。柳澤さんはプロレスは勝ち負けがあらかじめ決まってるからスポーツではないと言うんですよ。でも、じつはスポーツの定義すら間違ってるんです。柳澤さんが言ってることは、競技スポーツという意味だと思うんですね。これは社会学の話なんですけど、スポーツの原型ができたのは18世紀から19世紀にかけての近代化の時代。イギリスの一地方で特殊なゲーム形式を伴う身体運動文化というものが起きて、それをルールで統一したものがスポーツの原型になります。スポーツの定義としては「競技的性格を持つゲームや運動及び、そのような娯楽の総称」なんです。勝ち負けを争うかどうかはスポーツの定義の中のひとつでしかない。実際、勝ち負けを争わないスポーツは多いんです。アウトドアスポーツは勝ち負けを争わないですよね。ジョギングやダンスは勝敗を競わないスポーツですよね。フィギュアスケートや水泳、スキーなどもずいぶんあとから点数を付けて勝ち負けを争うようなシステムになったわけですよね。
    つまり、競技か競技じゃないか、勝ち負けを争うかどうかは、いくつかあるスポーツの定義の中のひとつでしかないんです。プロレスはもちろんスポーツです。このスポーツ文化論の概念をわかっていれば、プロレスへの理解も深まると思うんですけど、その土台が間違えたまま柳澤さんは競技スポーツだけを論じてしまってるからおかしことになっていくんです
     勝敗を争っていなかったとしても、ゆえにスポーツではないという論理は成立し得ない。プロレスの場合、仮に百歩譲って結末が決まっていても、それは公開されてないからお芝居や映画とは違う性質のものなんです。ドラマや映画は脚本が読むことができるけど、プロレスは先にそれを読むことはできない。しかし、隠してるイコール騙している、見てる方が騙されてるという単純な図式にも当てはまりません。だいたいそんな単純な視点でプロレスを見てるファンはいませんよ。
     繰り返しますがスポーツでなくショーであるならば、カネで勝利を買えるということに矛盾が生じるし、そうやって書いてしまうことからプロレスというものへの理解が足りないことがわかります。柳澤さんはプロレスを論じるスタート地点にすら立っていないんです。プロレスはエンターテイメントと言いながら、エンターテイメントであるべきプロレスはないがしろにしている。結局、プロレスを「競技スポーツ」のふりをした「お芝居」だとしか思ってない。プロレスラーは脚本どおりに演じているにすぎないと思い込んでいるんです。次は149ページの7行目を読んでください。
    ――「マサ斎藤や坂口征二、藤波や長州力、タイガーマスクらが次々に登場し、メインイベントは必ずアントニオ猪木が締めくくる」
    フミ その次が凄く大事です。柳澤さんがプロレスへの知識がないことや、自分の都合で書いてることがよく表れています。
    ――「このように、藤原はテレビに映らない前座レスラーにすぎない」。
    フミ わかりますよね?
    ――そうですねぇ……。
    フミ 新日本からのリースのようなかたちでUWFのリングに上がった藤原さんは、UWF旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館のメインイベントで前田日明と一騎打ちを行ないます。「テレビに映らない前座レスラー」であるはずの藤原さんがいったいどうやって国技館のメインイベントに出ることができたのか。柳澤さんは、プロレスを知る者なら誰もが頭に思い浮かべる1984年2月3日「雪の札幌テロリスト事件」に触れていないんです。あのときの生中継で長州力を襲い「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原喜明だったからこそ、UWFでもメインイベンターとして成立しているんです。この本の論調でいうと、昨日まで無名だった前座レスラーがUWFでいきなりスターになったというストーリーにしたいんだろうけど、まったくの誤りです。この続きと、金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1255162
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  • 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」

    2017-04-14 02:22  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は話題のノンフィクション本、柳澤健氏の「1984年のUWF」(文藝春秋・刊)について16000字の激語りです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/ジャン斉藤)Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回『1984年のUWF』をテーマにすると聞いてちょっと驚いたんです。この本にはケーフェイについても書かれているので、プロレスマスコミの立場によっては触りづらいと思っていたので。
    フミ そうなんですか? 
    ――たとえばミッキー・ローク主演映画『レスラー』が公開されたときも、プロレスの裏側も描いているので「見た」と公言できないというマスコミや団体関係者が多かったですし。
    フミ いや、ボクは『週刊プロレス』のBoysコラムで『レスラー』のことは書きましたよ。それはきっと映画の内容についてコメントを求められるのがイヤなんでしょう。この業界でずっと長く仕事をしたいと考えた場合の保身の発想であり、己かわいさなのかもしれない。ボクは大丈夫です。それに、プロレスはそんなにヤワにできていないですし、『1984年のUWF』は本当に酷い本ですので、これはちゃんと批判しないといけません。とにかく本当に最悪な内容なんですよ。
    ――えっ、そんなに酷い本なんですか。読み応えはありましたが……。
    フミ そういえば、ある編集者に「Dropkickで『1984年のUWF』について話す」と言ったら「ジャン斉藤さんは柳澤さんを絶賛してましたよ」と言ってましたね。
    ――それは『1976年のアントニオ猪木』のことですかね(笑)。今回の『1984年のUWF』でも更科四郎さんのことを紹介したり、ボクが過去に取材したフクタレコードの福田典彦さんを始めとする関係者の発言が引用されていたんですが。この本の感想を言えば、「新生UWF」の章までは面白かったんですけど……。
    フミ 「新生UWF」は何章ですか?
    ――9章ですね。それ以降はところどころ「えっ?」って感じで引っかかる記述が多かったんですね。UWFの歴史を追うというよりは物語を描かれてるという感じで……。
    フミ いや、それは9章以降に限った話じゃないんですよ。あの本はノンフィクションではなく柳澤健さんのフィクションです。それを歴史の書だとか事実の記録だと誤解している人たちは目が曇っていますよ。
    ――この本の批判でよく聞くものは、前田日明を下げて、佐山サトルを上げてるんじゃないか、ということですよね。
    フミ いや、もうそういうレベルの酷さではないんですね。この本はプロレスの捉え方が根本的に間違ってるんです。この本を読むとわかるのは、柳澤さんという方は、プロレスというジャンルについて何かを書くための基本的なベースが一切ないことなんです。単純な事実の誤認を含めて間違いの上に間違いが重なり合い、何重にも何重にも誤りがあって収拾がつかなくなって、間違いの雪だるまみたいな本になっています。
    ――そ、そこまで言いますか。
    フミ プロレスファンがこの本を読んでも、学べることは何一つないんですよ。まず、ビギナーからマニアまでに共通した弱点として「ノンフィクション作家」を名乗る人や、プロレスマスコミではないところの媒体を、自分たちより上みたいな感じに崇めてしまいがちなんですね。この本に書いてあることがいかにデタラメであっても、自分より偉い誰かが書いていて、きっと真実なんだと誤解してしまう。あらためて言いますが、この本はノンフィクションですらないんです。まず当事者であるレスラーの取材・分析を一切省略してますよね。前田日明、佐山サトル、藤原喜明、高田延彦……その他UWFの選手たちを誰ひとりとして取材しないで書かれてるんですね。
    ――あえて取材していないんでしょうね。
    フミ 当事者の証言をすべてすっ飛ばしておいて、周辺の関係者やマスコミは取材して、柳澤さんの仮説にマッチする関係者の発言だけを極めて恣意的に抽出してるだけなんです。
    ――たしかにこの関係者の真偽不明な発言は採用するんだっていう疑問はありましたね。骨法の堀辺正史師範を筆頭に……。
    フミ 堀辺師範でも誰でも、関係者の発言をカギカッコ付にして書くことで、腹話術のように自分の仮説を主張しています。そのうえで関係者の心情を柳澤さんが勝手に語ってるんですよね。だからこの本はノンフィクションではなくて、柳澤さんの書いたフィクションなんです。
    「U.W.F.スネークピットジャパン」ジャンバーという正装で取材に臨んだフミ斎藤氏…――たとえば、どこが間違いなんですか?
    フミ とにかく間違いだらけで、どこから取り上げていればいいかわからないですが……まず27ページの13行目を読んでください。
    ――「プロレスはリアルファイトではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであり、勝者と敗者があらかじめ決められていることは事実」。
    フミ ……と書かれてますが、この文章の前後にはその定義付けのようなものを論証するエビデンス、論拠がまったく示されていないんです。「あらかじめ決められていることは事実」を示すものがない。そのあとには「リング上で行われている試合の勝敗を決めるのはプロモーターであり、残念ながらレスラーではない」と書いてますが、プロモーターというのは誰のことを指しているつもりなのかもわからない。柳澤さんはノンフィクションライターを名乗ってるのに、ノンフィクションたりえる証言や証拠を積み上げる作業をせず、個人的な偏見から「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」と。「プロレスは――」から始まっていますから、ここはひじょうに大切なセンテンスなんです。ところが、もの凄く唐突に断言してしまってるんですね。次は29ページの11行目です。
    ――「アメリカに渡ってからはカール・ゴッチと名乗り、アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」。
    フミ 読んでみてどう思います? プロレスの歴史を少しでも知る人間なら間違いにすぐに気づきますよね?
    ――……まあ、おかしいですね。
    フミ ゴッチさんは「アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」? 「伝説の強者」? 誰のことですか? プロレスファンならすぐわかることなのに、なぜこんなデタラメを書くのか。ゴッチさんがサブミッションレスリングを学んだのはアメリカに渡る前、イギリスのビリー・ライレー・ジムです。次は同じ29ページの14行目を読んでください。
    ――「1960年の時点で、すでにプロフェッショナル・レスリングは純然たるエンターテイメントであった」。
    フミ これもエビデンスを示していない。では、1950年代、1940年代、1930年代、1920年代のプロレスはリアルファイトだったのか。フランク・ゴッチの時代は? マルドゥーンの時代は? 最初から最後までこんな感じで重要なことを極めてアバウトに書いてるんですよ。同じ29ページの16行目を読んでください。
    ――「観客が求めるのは興奮だ。レスリングのリアルファイトなど地味でつまらない。観客が求めているのは地味なリアルファイトではなく。興奮できるショーなのだ」。
    フミ まあ、ここが柳澤さんの一番の弱点なんです。続けてください。
    ――「だからこそ、ふたりのレスラーは一致協力して興奮できる試合を作り上げなくてはならない。手に汗握る熱戦の末に、最後には観客が応援するレスラーが必ず勝つ。観客は愛するレスラーの勝利を自らの勝利と同一視して興奮する。アクション映画のように、あらかじめ興奮が約束されているからこそ、観客は次の興行にも足を運んでくれるのだ」。
    フミ そもそも「リアルファイトが地味」とういうのも偏見ですが、プロレスファンが求めてるのは「興奮」だけなのか。百歩譲って興奮があったとしても、それはプロレスファンがプロレスに求めているたくさんのもののうちの1つでしかないですよ。興奮かもしれないし、熱狂かもしれないし、感動かもしれないし、共感かもしれない。ストレス解消かもしれない。どうして「興奮」と決めつけるかといえば、この人には少年時代にプロレスファンだった経験が一度もないからなんです。こんな短い段落の中に「興奮」という単語を立て続けに5回も使っている。きっと本気でそう思っているのでしょう。単純に言ってしまえば、柳澤さんは「プロレス八百長論」の方なんです。八百長か、真剣勝負かという一点だけしかプロレスを論じる視点を持ち合わせていないんですね。
    ――プロレスを二元論で捉えていると。
    フミ なぜそうなのかといえば、柳澤さんはプロレスファンなら必ず通過している体験をしていないからです。皆さんには経験があると思いますが、第三者に「プロレスファン」を名乗った時点で、それが学校の先生でも、親戚のオバサンでも、八百屋のオジサンでも、誰でいいけれど「プロレスはね、ショーなの、八百長なの。そんなこともわからないの?」と指摘されるんです。柳澤さんは、無垢なプロレス少年ファンに対して「プロレスは八百長なんだよ」と囁く隣のオジサンの立ち位置なんですね。そこにしか立ったことがないからプロレスの魅力は何か、プロレスとはなんなのか? を考えるのではなく、ステレオタイプな八百長論しか頭の中にない。プロレスファンじゃなかったからこそ外側から事実を書けると言いたいのかもしれませんが、それさえも不可能なんだということはこれからの説明でわかってきます。まず32ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」。
    フミ ボクはカール・ゴッチさんのことが大好きで、何回もフロリダの自宅を訪ねたことがありますが、「世界最強のレスラー」なコピーのようなものはいったい誰が定義したのか。その根拠も出典も記されていないし、最初から「であろう」という推測、偏見しかない。何度も言いますけど、この人は固定観念、先入観、ステレオタイプ、ありとあらゆるプロレスへの偏見から書いてるんです。何の論拠もなく「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」……ゴッチさんの試合なんか見たこともないんでしょう。何もかもリサーチ不足。詳しく調べてないんですよ。なんでこんなデタラメが書けるのか。
    ――そういえば『1984年のUWF』では、ダッチ・マンテルが前田日明にシュートスタイルで酷い目にあったとマンテル本人の自伝から引用して書いてて、そのボヤキっぷりが最高に面白かったんですが、YouTubeにアップされている前田日明vsダッチ・マンテル戦を見るかぎり、そんな物騒な試合ではなかったですね。
    フミ 当事者に取材していないにも関わらず、そういった自分に都合のいい証言はよく精査せずに引用してるんですよ。ゴッチさんについては、もっと酷いことを書いています。許せないです。
    ――「ゴッチのプロレスには、観客を興奮させるだけのスリルとサスペンスが決定的に不足していたのである」(P32)
    フミ 続けて「観客を興奮させることのできないレスラーがメインイベンターになれるはずもない」なんてことが書かれています。「スリルとサスペンスが決定的に不足していたと言われている」ならまだしも、そうやって断言できるだけのエビデンスを持ち合わせていない。これはボクの実体験なんですけど、ボクは小学4年生のときにテレビでゴッチvsビル・ロビンソン、ゴッチvsモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を見て、小学5年生のときに蔵前国技館でゴッチvsアントニオ猪木の“幻の世界戦”、小学6年生のときには蔵前で猪木&坂口vsゴッチ&ルー・テーズのタッグマッチを生で見ました。50年以上もプロレスにハマり続けているのは、ゴッチさんのプロレスを見たからなんですよ。この本には、あれほどプロレスラーとしても魅力的だったゴッチさんの姿があぶりだされていないんですよ。単なる八百長論を展開するためにゴッチさんが使われている。
    ――「ゴッチを理解したのは、日本人だけだった」とも書いてますね。
    フミ それも柳澤さんの固定観念なんです。日本でしか受け入れられないならWWWF(現WWE)のリングに上がれていないですし、アメリカでレスラーとして生活できていない。そこは定説に乗っかってるだけですよね。疑いの目や批判の目をもってそういう定説を切り崩していくのがノンフィクションの本来の姿勢であるはずでしょ。この本ではゴッチさんがWWWFでタッグのベルトを獲ったことがまるで意外なことのように書いてありますけど、ゴッチさんはオハイオのアル・ハフトというプロモーターがやっていた大きなローカル団体のベルトも獲ってます。ボクはオハイオAWAと呼んでるんですけど、ゴッチさんはオハイオAWAの世界チャンピオンになってるんです。そういう事実を記述することなく、最初からゴッチさんは不遇だったという定説、結論ありきで書かれているんですね。それは38ページの2行目からもわかります。
    ――「ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーナーだけになった」。
    フミ これは新日本に対して悪意が篭っているし、ゴッチさんのこともバカにしている。ゴッチさんは大したことを教えていないと書きたいんでしょう。ゴッチさんは日本プロレス時代にも1年以上日本に住んでレスラーの指導をしていますし、新日本時代も日本に滞在しながら、弟子とは呼ばれていない荒川真、小林邦昭、栗栖正伸、グラン浜田らにも教えてるんですよ。それにゴッチさんが指導したのはプロレスの基礎ではなくレスリングの基本です。次は139ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「自分たちはプロだ。厳しい練習に耐えているのは、リング上で華やかなライトを浴び、テレビの電波に乗って日本中の人気者となり、大金を稼ぐためなのだ」。
    フミ 「大金を稼ぐ」? 柳澤さんはプロレスラーってそれしか目的がないと本当に思い込んでるんでしょうね。プロレスを知らないからこそ「テレビもつかないマイナー団体に行くのは愚の骨頂だ」とも書いてしまう。そして149ページの11行目も酷いんです。
    ――「アントニオ猪木は柔道家や空手家、ボクサー、キックボクサーなどを自分のリングに上げて異種格闘技戦を戦い、カネで勝利を買っておいて……」
    フミ 競技スポーツという前提で論じるなら、お金で結末を買う行為が八百長であることはわかりますよ。でも、柳澤さんは最初からプロレスを競技スポーツとして見ていないのに、どうやって勝利をカネで買うというんでしょうか。ならば、勝利をカネで売った方のロジックは? プロレスのそもそもの論じ方が間違ってるからこんなことを書いてしまう。
    ――柳澤さんのプロレスの定義はショーというものですね。
    フミ この一文にからでも単純な八百長論者であることがよくわかりますね。柳澤さんはプロレスは勝ち負けがあらかじめ決まってるからスポーツではないと言うんですよ。でも、じつはスポーツの定義すら間違ってるんです。柳澤さんが言ってることは、競技スポーツという意味だと思うんですね。これは社会学の話なんですけど、スポーツの原型ができたのは18世紀から19世紀にかけての近代化の時代。イギリスの一地方で特殊なゲーム形式を伴う身体運動文化というものが起きて、それをルールで統一したものがスポーツの原型になります。スポーツの定義としては「競技的性格を持つゲームや運動及び、そのような娯楽の総称」なんです。勝ち負けを争うかどうかはスポーツの定義の中のひとつでしかない。実際、勝ち負けを争わないスポーツは多いんです。アウトドアスポーツは勝ち負けを争わないですよね。ジョギングやダンスは勝敗を競わないスポーツですよね。フィギュアスケートや水泳、スキーなどもずいぶんあとから点数を付けて勝ち負けを争うようなシステムになったわけですよね。
    つまり、競技か競技じゃないか、勝ち負けを争うかどうかは、いくつかあるスポーツの定義の中のひとつでしかないんです。プロレスはもちろんスポーツです。このスポーツ文化論の概念をわかっていれば、プロレスへの理解も深まると思うんですけど、その土台が間違えたまま柳澤さんは競技スポーツだけを論じてしまってるからおかしことになっていくんです
     勝敗を争っていなかったとしても、ゆえにスポーツではないという論理は成立し得ない。プロレスの場合、仮に百歩譲って結末が決まっていても、それは公開されてないからお芝居や映画とは違う性質のものなんです。ドラマや映画は脚本が読むことができるけど、プロレスは先にそれを読むことはできない。しかし、隠してるイコール騙している、見てる方が騙されてるという単純な図式にも当てはまりません。だいたいそんな単純な視点でプロレスを見てるファンはいませんよ。
     繰り返しますがスポーツでなくショーであるならば、カネで勝利を買えるということに矛盾が生じるし、そうやって書いてしまうことからプロレスというものへの理解が足りないことがわかります。柳澤さんはプロレスを論じるスタート地点にすら立っていないんです。プロレスはエンターテイメントと言いながら、エンターテイメントであるべきプロレスはないがしろにしている。結局、プロレスを「競技スポーツ」のふりをした「お芝居」だとしか思ってない。プロレスラーは脚本どおりに演じているにすぎないと思い込んでいるんです。次は149ページの7行目を読んでください。
    ――「マサ斎藤や坂口征二、藤波や長州力、タイガーマスクらが次々に登場し、メインイベントは必ずアントニオ猪木が締めくくる」
    フミ その次が凄く大事です。柳澤さんがプロレスへの知識がないことや、自分の都合で書いてることがよく表れています。
    ――「このように、藤原はテレビに映らない前座レスラーにすぎない」。
    フミ わかりますよね?
    ――そうですねぇ……。
    フミ 新日本からのリースのようなかたちでUWFのリングに上がった藤原さんは、UWF旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館のメインイベントで前田日明と一騎打ちを行ないます。「テレビに映らない前座レスラー」であるはずの藤原さんがいったいどうやって国技館のメインイベントに出ることができたのか。柳澤さんは、プロレスを知る者なら誰もが頭に思い浮かべる1984年2月3日「雪の札幌テロリスト事件」に触れていないんです。あのときの生中継で長州力を襲い「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原喜明だったからこそ、UWFでもメインイベンターとして成立しているんです。この本の論調でいうと、昨日まで無名だった前座レスラーがUWFでいきなりスターになったというストーリーにしたいんだろうけど、まったくの誤りです。この続きと、金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか■「斎藤文彦INTERVIEWS⑫」

    2017-03-15 09:00  
    76pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ドナルド・トランプとビンス・マクマホン」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回のテーマは「アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプとWWE」になります。
    フミ ドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙で当選してから、いくつかのテレビ番組からコメントを求められました。「トランプがプロレスの手法をマネたというのは本当ですか?」と。でも、テレビ局のほうでは最初から“答え”は用意されていて。もちろん「プロレスの手法をマネていた」なんですけど。
    ――そのほうが面白いですからね(笑)。
    フミ  つまりドナルド・トランプはプロレスでいうところのヒールを演じていたということなんですね。いまは時代的にポリティカル・コレクトネスがあって、倫理的・人道的に正しくないことは口にはしていけない。でも、トランプはひょっとしたら、みんなが内心思ってるかもしれないことだけども、言っちゃいけないことをおおっぴらに言ってしまう。それは人種差別や男女差別、排外主義的な発言に当たります。トランプは思想信条的にはかなり過激で、これまでの共和党の保守派の人ですら、眉をひそめるというものなんです。実際、元大統領のブッシュ親子でさえ、かなり早い段階でトランプ不支持を正式に表明していた。
    ――アメリカやヨーロッパって差別にうるさいわりには差別がはびこってますね。
    フミ アメリカは移民の国ですし、いろんな人種、いろんな宗教の人が集まってますから、そういう属性で他人を差別をしてはいけないということになってる。それは身の回りから始まる人種差別があるからなんですね。子供の頃から「肌の色で差別をしてはいけません」と習うわけですが、アメリカの教室には白い人も黒い人も黄色い人もネイティブ・アメリカンもみんな一緒に席に座ってます。
    ――だからこそ差別が生まれやすいんですね。
    フミ アメリカ建国以降、一度だけ南北戦争(1881〜1865年)という内戦が起こりましたが、その戦争は黒人奴隷を解放するか、しないかが発端でした。北軍が勝利して奴隷解放に至りますが、差別が根絶されたわけではありません。そのためそれから100年後の1960年代にはマーティン・ルーサー・キングの公民権運動が起きたりしています。
    ――それでも差別はなくならない。
    フミ いまのアメリカには白人の低所得層からすると不公平感があるというか、そこをトランプが突いて「移民が白人の仕事を奪ってる」と確信犯的に言ってるところはあるんです。そんなトランプがなぜウケたかという話ですけども。もともとは“トンデモ候補”だったわけです。メディアの予測ではあのトランプがよもや最後まで残ると思われなかった。
    ――民主党候補のヒラリー・クリントンとの戦いになりましたね。
    フミ その前にはオバマが8年間その職務を務めていました。オバマは黒人初の大統領として完全なるベビーフェイスだったわけです。今度はアメリカ初の女性大統領ヒラリー・クリントンが誕生……という可能性が高かったんですけど、ヒラリーもトランプも2人とも非常に評判の悪い大統領候補だった。「どっちが嫌いか?」という争いになってしまったんですね。
    ――そうなると、どっちのヒールに共感を抱きやすいかという話にもなってきますね。
    フミ だから「口にはしてはいけない」ことを言いまくるトランプが支持を得て、あれよあれよという間に当選してしまったところはあるかもしれません。4年に一度の大統領選は“史上最大のショー”と言われていて、アメリカ国民全員が参加する4年に一度の大きなお祭りなんです。今回はトランプ旋風でいつも以上に盛り上がったことはたしかで、いままで投票に行かなかった人も今回はこっそり投票に行ったりしてますね。
    ――そのトランプの手法がプロレスから持ち込まれたと言われてますね。
    フミ 選挙戦のニュースでもWWEのリングに登場するトランプの映像が使われてたりして、そこがプロレスとリンクした場面と言われていますが、実際にビンス・マクマホンとの共通点は多いんです。ドナルド・トランプは1946年生まれで今年で71歳。ビンス・マクマホンは一つ上の今年72歳で1945年生まれ。戦後の第一次ベビーブーマー世代、日本でいうところの団塊の世代なんですね。
    ――2人は同世代なんですね。
    フミ 面白いのはドナルド・トランプもビンス・マクマホンも、お父さんの事業を引き継いで億万長者になっていることなんです。ドナルド・トランプという人はニューヨークのクイーンズ生まれの都会っ子。ペンシルべニア大学を卒業していますが、少年時代はミリタリースクール、つまり軍隊式の寄宿舎のある学校で生活を送っています。そこも2人の共通項で、ビンスも少年時代はミリタリースクールみたいな寄宿舎に通ってるんですね。
    ――似たような人生を歩んでるんですね。
    フミ ドナルド・トランプのお父さんはフレッド・トランプと言って有名な実業家でした。トランプは1969年に大学を卒業したんですけど、お父さんの事業のひとつであった不動産業を継いだのは3年後の1972年。25歳のときです。そこからトランプは不動産王として駆け上がっていきます。
    ――ビンスも父シニアからWWE(当時WWF)を買い取って全米侵攻を開始させますね。
    フミ いまのビンスは厳密に言うと三代目なんです。ビンス・マクマホン・シニアのお父さんはジェス・マクマホンという人で、プロレスとボクシングのプロモーターでした。いまのビンスには、かなり長いあいだ日本のマスコミは「ジュニア」をつけていたじゃないですか。
    ――「ビンス・マクマホン・ジュニア」表記。そういえば突然消えましたねぇ。
    フミ アメリカではすぐに「ジュニア」表記は消えていたんですけど、日本のマスコミは90年代の終わり頃までジュニアをつけてました。それはシニアが偉大なプロモーターだったということもあるので、区別する意味もあったんでしょうね。そのシニアからいまのビンスがビジネスを引き継いだのは1982年。それは37歳のときですが、ビンスは若い頃から実力があり、そもそも1976年のアントニオ猪木vsモハメド・アリのアメリカ側のプロモーターだったんですね。プロデューサーとしてイベントに名を連ねていたのはシニアじゃなくていまのビンスなんです。
    ――猪木vsアリの衛星中継が行われたニューヨークのシェイ・スタジアムではアンドレ・ザ・ジャイアントvsチャック・ウェプナーの異種格闘技戦などが行われましたね。
    フミ お父さんの事業を受け継いで世界規模にしたという共通項が2人にはあるんですが、彼らは日本の2代目と比べて桁違いにお金持ちなんですよね。いまのドナルド・トランプの個人資産は4.5ビリオン。ミリオンじゃないんですよ、ビリオンです。個人資産で約5150億円。
    ――想像もつきません(笑)。
    フミ そのドナルド・トランプとビンス・マクマホンが運命的な出会いをはたすのが、1988年のレッスルマニア4です。このレッスルマニアはどんなカードだったかと言うと、前年のレッスルマニア3でハルク・ホーガンvsアンドレ・ザ・ジャイアントの頂上対決があって、ホーガンがアンドレをボディスラムで投げてフォール勝ちしました。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
    シャーク土屋、世志琥、KINGレイナ、渕正信、ドナルド・トランプとWWE、DEEPvsパンクラス……など20本以上の記事がまとめて読める「記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■「斎藤文彦INTERVIEWS⑩」

    2017-01-02 19:28  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは、80年代WWEナンバーワン怪奇派レスラーの「ジェイク・“ザ・スネーク”・ロバーツ」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386
    フミ 今回のテーマはどうしていきなりジェイク“ザ・スネーク”ロバーツなの?

    ――ボクが大好きなだけなんですけど(笑)。80年代のWWF(現在WWE)でスーパースターだった時代から、メインストリームからフェードアウト後もメディアを通してその存在が強烈に浮かび上がってくるんですね。必殺技だったDDTもジェイク・ロバーツほどあんなに素晴らしいタイミングで使う選手はいなかったですし。

    フミ DDTを完全無欠のフィニッシュホールドたらしめたのがジェイク・ロバーツですから。

    ――ジェイク・ロバーツが元祖DDTでいいんですよね?

    フミ これには諸説があります。ルチャの中にもああいった技はあったと言われていて、古くはブラック・ゴードマンというレスラーがまったく同じ技を使っていたという説もあります。アントニオ猪木さんの卍固め以前の必殺技だったアントニオ・ドライバー(フロント・ネックチャンスリー)もそれに近い技でした。首を抱えた状態で頭から落とすか、上に投げるかの違いですね。でも、ジェイク・ロバーツ本人の証言によれば、嘘から出た真じゃないけども、「失敗から凄い技が生まれてしまった」と。フロントヘッドロックを取ったとき後ろに足を滑らせてしまったら、相手がそのまま頭をマットに打ちつけられた。それまで似たようなフォームの技はあったのかもしれないですけど、ロバーツからすればオリジナル技なんでしょうね。

    ――そこから派生技がたくさん出てきましたし、プロレス界になくてはならない技になりましたね。

    作/アカツキフミ ジェイク・ロバーツはWWEに入る何年も前からDDTを使ってたんです。NWAジョージアという、のちにWCWの母体となる地区のテレビマッチの中で見せていたんですけど。そのNWAジョージア時点からニックネームは「ザ・スネーク」でした。
    ――すると当時からヘビを携えてリングに上がってたんですか?

    フミ いや、当時のジェイク・ロバーツはヘビを使っていたから「ザ・スネーク」と呼ばれてんじゃなくて、ジェイク・ロバーツの動きそのものがヘビのようだったからなんです。スルスルとキャンバスを這いずり回ったり、アンオーソドックスな動きが代名詞の怪奇派レスラーでしたから。

    ――ニックネームが先なんですね。たしかにヘビのイメージは頷けます!

    フミ ジ・アンダーテイカーが出現する以前のWWEでは怪奇派第一人者がジェイク・ロバーツだったんです。さらに言うならば、ジェイク・ロバーツはライフスタイルそのものが非常にミステリアスな人で、WWEでは怪奇派としてプロデュースされたけど、素の部分がすでにホントに怪奇な人。生い立ちから振り返れば、お父さんがグリズリー・スミスという有名なレスラーで、異母弟のサム・ヒューストンや異母妹のロッキン・ロビンもプロレスラーなんです。ロッキン・ロビンはWWEの女子王者にもなってます。

    ――レスリング一家の生まれなんですね。

    フミ ジェイク・ロバーツは1955年生まれ。ということは今年61歳なんですけど、1975年の20歳のときにプロレスデビューしてるんです。1986年にWWEに入ってるから、それまでに11年間の下積み期間がありますが、79年には国際プロレスに初来日してるんですね。そのときのタッグパートナーはマイク・ボイエッテというレスラーで、彼が顔にKISSみたいなペイントをしていたので、まだ若手だったジェイク・ロバーツも同じようなペイントしていたんです。ロードウォリアーズ登場前のペイントですから珍しいことをやってたんですね。

    ――その頃はまだ“ザ・スネーク”じゃなかったんですね。

    フミ “ザ・スネーク”と呼ばれだしたのは80年代前半、NWAジョージアの名物アナウンサーだったゴードン・ソーリーが「彼はスネークだ!」と言ったことがきっかけだとされてますね。ジェイク・ロバーツは凄い長身でしょう。196センチくらいあるんだけど、身体は細身。ユラ〜と動いてるかと思えば、パッと相手に組み付いて、必殺のDDTでマットに沈める。

    ――まさしくヘビですね。

    フミ 独特の動きに加えて、無言のままコーナーに座り込み、ニヤッと意味ありげに笑う。個性的と言えば個性的なんですが、この人のことを調べていくと、単なるサイコ系キャラじゃないことがわかってくるんです。ジェイク・ロバーツは幼い頃から複雑な家庭環境で育っていて、少年時代にはお父さんから虐待を受け、お父さんの再婚相手、つまり義理の母と性的関係があったと言われている。そして妹が誘拐されていまだ行方不明なんです。犯人とされる人物は捕まったんですけど、妹の遺体をどこに埋めたのかは喋らなかったんですね。

    ――“アメリカの闇”が凝縮されたかのような人生ですね……。この続きと、中井りん、那須川天心、ケニー・オメガ、RIZINの裏側、角田信朗騒動などの記事がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1181523