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記事 17件
  • 怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-08-16 15:07  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「怪死、自殺、大事故! 呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1305252■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今回のテーマは「鉄の爪エリック一家」についてお聞きします。鉄の爪5兄弟が長男(実際は次男)を除いて怪死しているというエピソードは、プロレスファンの心の引っかかってるんですね。
    フミ 鉄の爪一家を語るなら、まずその父親であるフリッツ・フォン・エリックの説明から始めないといけないですね。フリッツは第2次世界大戦後、1950年代のアメリカマットに登場したんですが、最初は“ナチスの亡霊”キャラクターだったんです。
    ――現代の倫理観からすれば、とてもできないギミックというか……。
    フミ 現在はナチスのことを肯定的に取り上げることはもちろんのこと、ナチスのシンボルマークだった鉤十字いわゆるハーケンクロイツはアメリカやヨーロッパではその使用が違法になっていますから。当時、グレート東郷ら日系人レスラーが敵国ジャパンの“悪い日本人”を演じていたのと同じように、観客はその“ナチの亡霊”にブーイングを送ってたんです。
    ――娯楽として成立してたんですね。
    フミ 戦争は1945年に終わって、50年代から70年代くらいまで“ナチの亡霊”がリング上を闊歩してたんですが、そのキャラはフリッツのオリジナルではないんです。オリジナルがカール・フォン・ヘスという人物で、“地獄の料理人”ハンス・シュミットを筆頭に、もうたくさんいたんです。カールとクルトのスタイガー兄弟、ストロハイム兄弟、バロン・フォン・ラシク、新日本プロレス創成期に猪木さんのライバルだったキラー・カール・クラップもそう。
    ――昔のプロレスでは定番キャラだった。
    フミ 正体はアメリカ人やカナダ人なんですが、ドイツ人をそれらしく演じていて、フリッツも本当はテキサス生まれのアメリカ人。本名はジャック・アドキッセン。194センチ125キロの巨体で、単なるナチキャラではなく、鉄の爪アイアンクローという必殺技で一世を風靡した超大型ヒールだったんです。
    ――実力派だったんですね。
    フミ フリッツはカナダのフットボールリーグでプレイしていたんですが、引退後はのちに自分のライバルとなる荒法師ジン・キニスキーと共にスチュ・ハートさんにプロレスを教わったんです。
    ――師匠はハート一家の名伯楽。カナダの地でプロレスに巡り合ったと。
    フミ デビューしたフリッツはドイツ人という設定で活躍し始めます。鉤十字のマークが付いたマントを羽織って、頭は軍人カット、ナチス親衛隊のようなアヒル歩きをする。お客さんからすれば「本当にドイツからやってきたんじゃないの……?」と思わせる迫力があったんです。
    ――あのアイアンクローという必殺技もフリッツのキャラにぴったりでしたね。
    フミ フリッツは手を広げると、親指と小指のあいだが30センチもあったと言われています。それくらい手が大きかったから、相手の顔を掴むと画的に強烈だったんんでしょうね。有名なパブリシティの写真では、エリックが相手の顔を掴んだ指と指のあいだから血が吹き出しているものがあって。
    ――ああ、鉄の爪の象徴的なシーン!
    フミ 1950年代当時はまだテレビはモノクロだったんですが、テレビの力によって第一次プロレスブームが起きるんです。そこでフリッツはギミックというよりは実力でスターになっていきます。バーン・ガニアを倒してAWA世界王者にもなってます。
    ――フリッツは日本プロレス時代に来日していますね。
    フミ 初来日は1967年。どういう年かというと、初来日したビートルズが日本武道館でコンサートをやったんです。外国人のミュージシャンとして初めてビートルズが武道館を使用しましたが、プロレスの武道館初進出はジャイアント馬場vsエリックなんです。
    ――鉄の爪はビートルズだった(笑)。
    フミ プロレスはそれまでも蔵前国技館などで興行はやってましたけど、当時の武道館進出は90年代でいえば東京ドームで初めて興行をやるくらいの大ニュース。大興行に見合う超大物を連れてこよう。それが鉄の爪エリックだったんです。その強敵を当時インターナショナル絶対王者、ジャイアント馬場が迎え撃つ。
    ――超大一番だったわけですね。
    フミ 当時は事前に映像でどんな選手かを確認する術はなかったですから、東スポやプロレス誌に載ったモノクロ写真数点だけでイマジネーションを膨らませていたんですね。フリッツの主な技はアイアンクローにストマッククロー(胃袋掴み)、そして馬のような足での蹴り。
    ――フリッツのビッグフットは強烈だったそうで。
    フミ 馬場さんとの試合でもやってみせたんですが、場外にいた馬場さんの顔をアイアンクローで掴んでトップロープをまたがせてリング中央まで引きずり込んだ、と。
    ――凄い!!(笑)。
    フミ トップレスラーに昇りつめたフリッツは、60年代前半には生まれ故郷テキサスに帰って、エド・マクレモアというNWA系のプロモーターから興行地盤を引き継ぎます。フリッツ自身がダラスのプロモーターになるんです。団体名はNWAビッグタイム・レスリング。
    ――フリッツはナチキャラのヒールでしたけど、地元ではどういう扱いだったんですか?
    フミ テキサスではアメリカ人であることをカミングアウトしてるんです。というのは、ジャック・アドキッセンはカレッジフットボールで地元ダラスでは有名な選手でしたから。ダラスに腰を落ち着かせたフリッツはプロモーターとしても成功して、1975年にはサム・マソニックのあとを受けてNWAの会長にも就任してるです。馬場さんとも仲が良くて、全日本プロレスのレスラーがダラスで試合をしてましたね。
    ――ここまでは順風満帆な人生ですが……。
    フミ 鉄の爪一家の悲劇のプロローグは1959年、昭和39年に起こります。フリッツがニューヨーク遠征中に長男ジャッキーくん6歳が、雨の日に家のそばで遊んでいたところ、高圧電流に触れて感電死してしまうんです。プロレス史では「鉄の爪5兄弟」と言われていますが、じつは6兄弟だったんですね。

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    「佐山サトルの影」中村頼永ロングインタビュー/笹原圭一のRIZIN理想と現実トーク/アイスリボン事件/メイウェザー対マクレガー情報総まとめ/那須川天心インタビュー/大沢ケンジのモヤモヤRIZIN……
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201708

     
  • ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ■斎藤文彦INTERVIEWS⑯

    2017-07-27 18:28  
    76pt
    DAZNでWWE生配信番組解説中!(毎週火曜はRAW、水曜はSmackDown)。隣はアナウンサーの市川勝也氏。
    00年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今回はWWEのリングに登場した他ジャンルのアスリート、芸能人・有名人……セレブたちについて伺います。
    フミ WWEのセレブ路線は、ビンス・マクマホンの“1984体制”から始まったんですね。
    ――ビンスがWWEを仕切るようになってからなんですね。
    フミ ビンスの前にWWEのプロモーターだったのは、父親のビンス・マクマホン・シニアですが、彼はプロレスラー以外の人間をリングに上げることを嫌ってました。シニア時代のWWE王者だったブルーノ・サンマルチノや、ほかのレスラーたちも同じ考えですね。
    ――リング上はいま以上に聖域だったわけですよね。
    フミ ただ、モハメッド・アリvsサンマルチノがじつは計画されていたんです。その前に猪木さんが実現させてしまったんですけど、猪木vsアリのアメリカ側のプロモーターはビンス・マクマホン・シニアなんですよね。
    ――ニューヨークでも猪木vsアリのクローズドサーキットがあったんですね。
    フミ 当時はまだPPVはなかったので、テクノロジーとしてはクローズドサーキットだったんです。場所はニューヨークのシェイ・スタジアムで、ニュヨークメッツの本拠地で3万人収容できる球場。セカンドベース上から3方向に映画のスクリーンを置いたんです。いまだったら巨大ビジョンなんでしょうけど。
    ――そんなに大きなスタジアムでクローズドサーキットをやるほど、猪木vsアリは注目を集めてたんですね。
    フミ いや、集客面はシニアも心配だったようで、そこで保険をかけたのがサンマルチノvsスタン・ハンセンの完全決着戦なんです。その頃のハンセンは例の「サンマルチノ首折り事件」で有名になっていたんですね。あの事件はハンセンがボディスラムを投げ損なったことで、サンマルチノは首を負傷したんですけど、ストーリーライン上はハンセンのラリアットで首を折った、と。
    ――キラー・カンのアンドレ足折り事件と同じくアクシデントをビジネスに活かしたんですね。
    フミ その事故から5ヵ月後、サンマルチノに復帰の目処は立ってなかったんですけど、シニアからの強い要請でハンセンと再戦したんです。ニューヨークのファンは、アリvs猪木よりも、この遺恨決着戦を見にシェイ・スタジアムに来たと言われてますね。
    ――猪木vsアリの試合内容からすれば、サンマルチノvsハンセンをやっておいてよかったかもしれない(笑)。
    フミ アンドレ・ザ・ジャイアントvsチャック・ウェプナーの異種格闘技戦もあって、こちらは決着が付いてますからね(アンドレのリングアウト勝ち)。日本で思われている以上にウェプナーのステータースは高いんです。なにしろ映画『ロッキー』のモデルになったボクサーですからね。白人ボクサーはヘビー級では活躍できないという風潮がある中で、ウェプナーは成功した部類に入りますし。
    ――ボクサーはアスリートですけど、俳優なんかをリングに上げちゃうのは1984年以降なんですね。
    フミ 1983年にビンスは父親のシニアからWWEを買い取ったんですが、1985年の第1回レッスルマニアの前に重要なことが起きてるんです。それはMTVとWWEのコラボです。MTVはミュージックビデオをひとつのジャンルとして築き上げたパイオニアですが、1981年に開局されたんです。
    ――ミュージックシーンの革命にWWEが乗っかったんですね。
    フミ 機を見るに敏じゃないですけど、ビンスはMTVとコラボすることがプロレスブームに繋がると判断したんですね。
    ――凄いセンスですよねぇ。マイケル・ジャクソンの『スリラー』のあの有名PVがMTVで流れたのはその頃ですよね?
    フミ ちょうど前の年、1983年のことですね。第1回MTVミュージック・ビデオ・アワードで最優秀女性歌手賞を受賞したシンディ・ローパーも、WWEと絡んでいきます。シンディ・ローパーの『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』のミュージックビデオには、ルー・アルバーノがお父さん役で出演してるんです。
    ――ルー・アルバーノはWWEの悪党マネージャーですね。
    フミ ルー・アルバーノは日本で思われてるよりはニューヨークでは超有名で、シンディ・ローパーとは飛行機で隣の席だったことがきっかけで意気投合したんです。ミュージシャンからすれば、マディソン・スクウェア・ガーデンでライブをやることは大きなステータスなんですが、シンディ・ローパーはWWEが毎月マディソン・スクウェア・ガーデンで定期興行を行ない、常に2万人近くも動員してることを知らなかった。「そんなジャンルがあるの?」って驚いて興味を持ったんでしょうね。
    ――そこからシンディ・ローパーがWWEのリングに姿を見せるようになって。
    フミ MTVでWWEの特番が組まれたときのメインはハルク・ホーガンvsロディ・パイパーだったんですが、ホーガンのセコンドにシンディ・ローパーがついたんです。そのシンディ・ローパーにロディ・パイパーが襲いかかると、俳優のミスターTが助けに乱入してくる。
    ――ロディ・パイパーとミスターTの決着戦が第1回レッスルマニアだったんですね。
    フフミ いきなりミスターTがWWEに現われたんじゃなくて、MTVの特番の盛り上がりがレッスルマニアに繋がったんです。当時のミスターTといえば『特攻野郎Aチーム』のコング役で大人気の俳優。ホーガンも出演した『ロッキー3』にも出てましたから、当然のように大きな話題になったんです。
    ――でも、業界内からの反発も大きかったんじゃないですか。素人をリングに上げるのか?と。
    フミ 当然反発はありました。ミスターTと対戦するロディ・パイパーも「素人がリングに上がったら、いっちゃうよ?」というタイプだったんです。ロディ・パイパーは昔気質のレスラーですし、試合前に実際に公言してたんですよ。それは試合を盛り上げるための発言ではなく、ミスターTをただでハリウッドに戻らせるわけにはいかなかったんです。
    ――素人ができるものだと思われちゃいますよね。
    フミ だから「やっちゃうよ?」ということなんですね。当時はNWAやAWAもありましたし、バーン・ガニアやフリッツ・フォン・エリックにしても、プロモーターにはレスラー上がりが多い。「レスラーであらずんば人にあらず」という考えは強かったんです。ビンスはプロレスラー出身じゃないから、こんなくだらないことをやってしまうんだと思われてたんですね。
    ――プロレスを汚す行為に見えたでしょうね。
    フミ でも、ビンスからすれば「いまのプロレスは3大ネットワークやメジャーな新聞から取れあげられることはない」ということなんですね。戦後の1950年代から80年代までプロレスに人気がなかったことはないんですよ。人気のあるジャンルなのに一般マスコミは見向きもしなかったんですね。ビンスはニューヨークや東海岸のテリトリーだったWWEをケーブルテレビに乗せて、ホーガンをエースとして全米ツアーを始めた。そこからWWEの一般人気が高まっていったんです。
    ――そのひとつの象徴がシンディ・ローパーやミスターT。
    フミ 彼らがWWEと関わることで一般マスコミの取材が殺到しましたし、世間からすればホーガンも「『ロッキー3』に出ていたあの人」ですから。テレビに映ってるホーガンの姿は『ロッキー3』でホーガンが演じたサンダー・リップスそのまま。ホーガンはそういう舞台に立たせると映えるんですね。
    ――ホーガンにはパイパーみたいな昔気質なところはなかったんですか?
    この続きと、桜庭和志殿堂入り、朱里UFC、破壊王伝説、大矢剛功、メイウェザーvsマクレガー特集、入江秀忠騒動…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1307210
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  • 馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」■斎藤文彦INTERVIEWS⑮

    2017-06-27 22:00  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」です!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726
    ――現在多くの日本人プロレスラーがWWEに上がっていますが、今回はWWEと日本人プロレスラーの歴史についてお伺いいたします。
    フミ WWEは歴史の長い団体です。契約形態もその時代によって異なっています。WWWF時代はニューヨークを中心とした東海岸地域の団体だったのが、 1983年にいまのビンス・マクマホンが引き継いでからは全米に展開するようになり、いまや世界一のプロレス団体ですから。
    ――80年代に入るまではスポット参戦がけっこうありましたね。
    フミ 男子だけではなく、女子レスラーでもクラッシュギャルズ、ダンプ松本がマディソン・スクウェア・ガーデン(以下MSG)の定期戦には上がったことがありましたね。あとJBエンゼルス(立野記代&山崎五紀)が6ヵ月契約で上がっています。90年代になるとブル中野さんも参戦します。アランドラ・ブレイズことメドューサとの試合は定番カードとなって、1ヵ月で28回戦ったこともあります。
    ――毎日ブル中野vsメドゥーサ!
    フミ ありとあらゆる街でそのカードで戦ったんです。その街のお客さんとしては初めて生で見るわけですから、見せるべき動きはすべて出さないといけない。でも、アスリートとしては同じことを繰り返すのはプライドが許さないところがあるので、煮詰まらないようにちょっとずつ内容を変えていく。技の順番を変えたり、新しい技にトライするわけですね。
    ――そうでもしないとモチベーションが保てないでしょうね。
    フミ WWEというプロレス団体の歴史をさかのぼると、あのリングで初めて活躍した日本人はジャイアント馬場さんなんです。当時はWWE発足前でビンス・マクマホンのお父さんがプロモーターをやっていた時代でした。
    ――ビンス・マクマホン・シニアですね。
    フミ 馬場さんは1961年、つまり昭和36年の秋に初めてアメリカ遠征に出るんですけど、単身ではなくて芳の里、鈴木幸雄(マンモス鈴木)の3人でツアーを行なったんです。そのときに馬場さんはMSGデビューしたんです。記録によれば、61年9月から62年12月まで16大会連続でMSG定期戦に出場してますね。ちなみにWWEが誕生したのは翌63年3月です。
    ――WWE誕生以前のニューヨークを馬場さんは知っているんですね。
    フミ 馬場さんは1963年のワールドリーグ戦に出るために帰国して、その秋から再びアメリカ長期遠征に出たんですが、力道山が突然死んでしまうんです。馬場さんは遠征中なので力道山の死に目に会えていないけれど、帰国もしていない。馬場さんはNWA世界チャンピオン候補だったこともあり、マネジャーのグレート東郷が「アメリカに残っていたほうがいい」とアドバイスしたんです。そして力道山死去の3ヵ月後の1964年2月17日、MSG定期戦でブルーノ・サンマルチノvsジャイアント馬場のWWWF世界戦(WWEのルーツ)という大メインイベントが行なわれます
    ――日本に緊急帰国していたら実現していない。
    フミ その後、馬場さんはグレート東郷の誘いを断って帰国するんですが、力道山が死んだことで日本ではもうプロレスというビジネスがなくなってしまうではないかという憶測も流れていたんです。馬場さんは海の向こうから日本の状況を眺めていたんでしょうね。
    ――あのままアメリカに残っていたらプロレスの歴史は変わっていたんでしょうね。
    フミ NWAのチャンピオンになって全米をサーキットしても1〜2年、長期政権でも3〜4年ですから、馬場さんはいずれせよ日本に帰ってくることになっていたと思いますね。
    ――昭和のプロレス界だとNWA幻想が凄かったですが、WWEはどういうものだったんですか?
    フミ 70年代終わりから80年代前半だと「MSGシリーズ」といえば、新日本プロレス春の本場所のイメージが強いですよね。でも、日本プロレスでもMSGシリーズ(1967年2月)をやっていて、全日本プロレスでも一度だけ開催されたんです(1974年5月)。
    ――MSG自体がブランドだったんですね。
    フミ いまのWWEはメジャーだとわかっていても、日本のファンからすればちょっと遠いような感じがしますよね。70年代80年代のプロレスファンからすれば、日本で「MSGシリーズ」が開催されて、ニューヨークのスターがアメリカからやってきていたので、いまとは違った意味で近い存在ではあったんですね。
    ――新日本プロレスはWWEと業務提携もしていましたね。
    フミ 猪木さんの新日本とWWEが業務提携を発表したのが1974年5月。当時ボクは少年ファンだったからMSGに出ているレスラーが続々と来日するんだという期待感が大きく膨らみました。新日本とWWEの業務提携に全日本の馬場さんはどういう反応を示したかといえば、1974年6月にひとりでニューヨークに出かけて、10年ぶりにMSG定期戦に出場したんです。馬場さんは新日本とWWEの提携が本当かどうか探りに行ったわけですね。
    ――馬場さんにとって、それほど寝耳の水な発表だったんですね。
    フミ 当時の新日本は外国人レスラーが弱点だったんです。トップがタイガー・ジェット・シンで、第1回ワールドリーグ戦決勝戦の猪木さんの相手はキラー・カール・クラップでした。
    ――NWAのトップレスラーが来日していた全日本と比べると華やかさに欠けますねぇ。
    フミ ワールドリーグ戦も猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎と日本人レスラー主体の争い。日本人対決は見ごたえはあったのですが、その後のWWEとの提携によって新日本の外国人レスラーがガラッと変わることになるんですね。
    ――馬場さんも焦るわけですね。
    フミ 馬場さんと親友だったWWE世界王者のサンマルチノだけは新日本のリングには上がらなかったんです。そこは馬場さんとの友情を選んだサンマルチノに対して、シニアも無理強いはしなかったということでしょう。サンマルチノは全日本でWWEのタイトルマッチをやったり(75年5月)、10周年記念シリーズでは馬場さんとタッグを組んで、ジェットシン&上田馬之助組と対戦しています(81年10月)。
    ――業務提携したことで新日本のレスラーがWWEのリングに上がることにもなるんですよね。
    フミ 猪木さんが初めてWWEのリングに上がるのは、業務提携を結んだ翌年の75年12月。MSG定期戦でフランク・モンティーというレスラー相手にニューヨークデビューするんです。テレビ朝日のカメラクルーも連れて行ったので『ワールドプロレスリング』で中継されました。
    ――ゴールデンタイムで中継されたら、WWEとの距離はますます縮まりますね。
    フミ 1978年1月には藤波辰爾がMSGでWWEジュニアヘビー級チャンピオンのタイトルを奪取してスターになります。そのときのメインイベントは王者スーパースター・ビリー・グラハムに、ミル・マスラカスが挑戦するタイトルマッチ。翌月(78年2月)にチャンピオンになるボブ・バックランドも前座に登場してるんです。バックランドは8人タッグイリミネーションマッチに出たんですが、ベビーフェイスの3人が早々に負けてしまいバックランド一人残りになるんです。そこからバックランドがヒール4人を全員やっつけちゃったんですね。
    ――スター誕生前夜のMSGだったんですね。この続きと、ヤマケン激白、大槻ケンヂ、ミノワマン、北岡悟、所英男、船木誠勝の真実…などの記事がまとめて読める「1 2万字・記事詰め合わせセット」はコチラ  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1291553この記事だけをお読みになりたい方は下をクリック!
     
  • WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る/「斎藤文彦INTERVIEWS⑭」

    2017-05-24 18:46  
    76pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはジ・アンダーテイカーです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660――今月のテーマはジ・アンダーテイカー!……なんですが、アンダーテイカーは先日のレッスルマニアで引退したということでよろしいんですよね?
    フミ はい。レッスルマニアのローマン・レインズ戦で引退したとボクは思っています。レッスルマニアって今年で33回目の開催なんですが、テイカーさんはそのうち25回も出場してるんです。途中でケガで出られなかったのが2回(94年、00年)あったんですけど。
    ――レッスルマニアの出場回数もさることながら、あのWWEにこれだけ長期在籍していることも恐ろしいことですよね。
    フミ 本当のロングセラーですよね。たいていのレスラーは消耗して姿を消すか、レッスルマニアにだって何回か出る程度ですよ。ホーガンやジョン・シーナ、マッチョマンだってここまで長くは在籍していないですし。27年もWWEに上がり続けたテイカーさんは、WWEがプロデュースした最高傑作ということになりますよね。
    ――テイカーさんはデビュー当時から有望な選手だったんですか?
    フミ もちろんです。テイカーさんが「パニッシャー・ダイス・モーガン」というリングネームで新日本プロレスに初来日したときに、ボクは『週刊プロレス』でインタビューしているんですが、アンダーテイカーに変身する前だから詳しいプロフィールを教えてくれたんです。そのときはまだキャリア3年だと言ってました。
    ――新日本のリングに上がったのは1990年3月のことですね。アンダーテイカーに変身するのは90年11月ですから直前。
    フミ テイカーさんは高校まではホームタウンのテキサスに住んでいて、バスケットボールの奨学金でテキサス工科大学に進んだんです。大学ではスポーツ経営学を専攻。プロフットボールやプロバスケットボールのマネジメントに興味があって、クリニック分野も勉強していたそうです。
    ――それがどうしてプロレスラーになったんですか?
    フミ プロレスに方向転換したわけではなく「最初から大学を出たらプロレスラーになろうと決めていた」と。当時のアメリカでプロレスラーになる人ってフットボールやバスケで大学に進んだけど、途中でやめて……というパターンが多いんですけど、テイカーさんは大学をちゃんと卒業しています。計画的に行動する人ではあると思うんですね。それで知人の紹介でダラスのバズ・ソイヤーの道場に通ったということです。
    ――若き職人肌レスラーのバズ・ソイヤーですね。
    フミ 旧ソ連のアマチュアレスラーたちが新日本に参戦したときに、バズ・ソイヤーはアメリカのレスリング代表として出ましたよね。ナショナルチーム出身ではないんですけど、ジョージア州のチャンピオンだったんです。
    ――レスリングの心得もあるし、プロレスに初挑戦する旧ソ連勢の相手としては好都合だったんですね。
    フミ ちなみにケン・シャムロックもバズ・ソイヤーからプロレスを習ってるんです。テイカーさんはダッチ・マンテル、ドン・ジャーディンからもプロレスを教わりました。
    ――いま一部で話題沸騰のダッチ・マンテルですね(笑)。
    フミ その3人の中で最も影響を受けたのがドン・ジャーディンなんです。ドン・ジャーディンは覆面レスラーのザ・スポイラー、スーパーデストロイヤーの正体として有名ですが、長身のレスラーとして初めてロープ歩きをやった人なんです。
    ――ロープ歩きはテイカーさんの得意技ですけど、つまり……。
    フミ ドン・ジャーディンが「君は背が高いからこの技を使いなさい」と伝授したんですね。テイカーさんのことをそれくらい気に入ってくれて手取り足取り指導しました。面白いことにテイカーさんのデビュー戦もマスクマンだったんです。
    ――そこもドン・ジャーディンと被ってるんですね。
    フミ 理由を考えると、テイカーさんは赤毛の白人レスラーだったからじゃないかと。アメリカだと赤毛で肌が白い男性は、どうしてもかわいすぎちゃうんですね。だから赤毛の白人レスラーがデビューするときは、周囲は「彼はマスクマンだね」「髪の毛を違う色にしたほうがいいね」ってアドバイスされがちなんです。
    ――そういえば、アンダーテイカーも厳密には素顔キャラではないですね。
    フミ アンダーテイカーはマスクマンに近い概念ですからね。テイカーさんが覆面レスラーとしてデビューしたのはいまから30年前の1987年3月、ダラスのスポータトリアム。相手はあのブルーザー・ブロディ。あまり使いたくない言葉ですけど、テレビマッチのジョバー(負け役)だったんです。ブロディが1分足らずで勝っちゃうような試合。
    ――それでもデビュー戦がブロディだったんですね。
    フミ テレビ収録用の試合だから誰が相手でもかまわないはずなんですけど、ブロディが「キミがいい」ってテイカーさんを指名したんです。テイカーさんはデビュー前の新人ですから、大部屋のロッカールームをウロウロしてたんでしょう。そんな無名時代のテイカーをブロディが指名した。翌年にブロディはプエルトリコで亡くなってしまいますから、ブロディと接触するワンアンドオンリーの機会だったんですね。
    ――ギリギリでブロディという大物に触れることができた。
    フミ デビュー戦のときはテキサス・レッドというリングネームだったんですが、面白いことにブロディも新人の頃はテキサス・レッドというマスクマンを短期間ながらやっていたときがあったんです。
    ――テキサスでは馴染みのある名前なんですね。
    フミ ビッグ・レッドというシナモン味のガムもありますから、ありふれた名前ではあるんですね。テイカーさんはそこからダラスで2ヵ月くらい活動して、その次は南アフリカ共和国へのツアーに参加したんです。そのあとはアメリカ各地のインディペンデントを渡り歩きました。たいしたギャラがもらえなくても、大きな団体にスカウトされるまで、ガソリン代がポケットに残ってるうちはいろんなリングに上がり続けたんです。
    ――下積み期間だったんですね。
    フミ そうして88年のはじめに先輩のダッチ・マンテルに誘われて、テネシーのCWAに上がることになったんです。そのときのリングネームはマスター・オブ・ペイン。そのCWAとダラスのワールドクラスが合併してUSWAという団体が生まれると、そこではパニッシャーというマスクマンに変身したんです。そして新日本参戦前の90年にはWCWに上がるんですよ。セッド・ビシャスとダニー・スパイビーがスカイスクレイパーズというタッグチームを組んでいたんだけど、セッド・ビシャスがケガをしてその代役としてテイカーさんが選ばれたんですね。WCWのときはミーン・マークやマーク・キャラスを名乗っていて。
    ――コロコロと名前が変わりますね(笑)。新日本時代はパニッシャー・ダイス・モーガン。
    フミ 新日本もテイカーさんの素材の面白さを評価して、また日本に呼ぼうとしてたんです。スコット・ホールとのコンビでIWGPタッグ王座にも挑戦していますから、新日本としては今後も使っていきたいレスラーだったんでしょうね。新日本にスカウトしたのはカルガリー在住のジョー大剛(鉄之助)さん。大剛さんが見つけてきた新日本外国人選手はコンガ・ザ・バーバリアン、ハクソー・ヒギンズ、グレート・コキーナ(ヨコヅナ)、ザ・ソウルテイカー(ザ・ゴッドファーザー)。みんな大型レスラーですよね。外国人選手はヘビー級に限るという考えがあったんでしょう。
    ――テイカーさんのことも期待していたんですよね。
    フミ テイカーさんが日本を離れる前に、彼のインタビューが載った『週プロ』を手渡しに行ったんです。そうしたら「オフィスからまた来てくれと言われたよ」って言うから再来日するんだと思っていたんです。そうしたらそのままWWEと契約してしまって。
    ――あの新日本参戦は素のテイカーさんの姿が見れたんですね。
    フミ ずいぶんと貴重ですよ、そのままテイカーさんはスーパースターになるわけですから。この続きと、船木誠勝とUWF、骨法、RIZIN反省会、原理主義者対談、亀田1000万円…など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」

    2017-04-30 18:56  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は話題のノンフィクション本、柳澤健氏の「1984年のUWF」(文藝春秋・刊)について16000字の激語りです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/ジャン斉藤)Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回『1984年のUWF』をテーマにすると聞いてちょっと驚いたんです。この本にはケーフェイについても書かれているので、プロレスマスコミの立場によっては触りづらいと思っていたので。
    フミ そうなんですか? 
    ――たとえばミッキー・ローク主演映画『レスラー』が公開されたときも、プロレスの裏側も描いているので「見た」と公言できないというマスコミや団体関係者が多かったですし。
    フミ いや、ボクは『週刊プロレス』のBoysコラムで『レスラー』のことは書きましたよ。それはきっと映画の内容についてコメントを求められるのがイヤなんでしょう。この業界でずっと長く仕事をしたいと考えた場合の保身の発想であり、己かわいさなのかもしれない。ボクは大丈夫です。それに、プロレスはそんなにヤワにできていないですし、『1984年のUWF』は本当に酷い本ですので、これはちゃんと批判しないといけません。とにかく本当に最悪な内容なんですよ。
    ――えっ、そんなに酷い本なんですか。読み応えはありましたが……。
    フミ そういえば、ある編集者に「Dropkickで『1984年のUWF』について話す」と言ったら「ジャン斉藤さんは柳澤さんを絶賛してましたよ」と言ってましたね。
    ――それは『1976年のアントニオ猪木』のことですかね(笑)。今回の『1984年のUWF』でも更科四郎さんのことを紹介したり、ボクが過去に取材したフクタレコードの福田典彦さんを始めとする関係者の発言が引用されていたんですが。この本の感想を言えば、「新生UWF」の章までは面白かったんですけど……。
    フミ 「新生UWF」は何章ですか?
    ――9章ですね。それ以降はところどころ「えっ?」って感じで引っかかる記述が多かったんですね。UWFの歴史を追うというよりは物語を描かれてるという感じで……。
    フミ いや、それは9章以降に限った話じゃないんですよ。あの本はノンフィクションではなく柳澤健さんのフィクションです。それを歴史の書だとか事実の記録だと誤解している人たちは目が曇っていますよ。
    ――この本の批判でよく聞くものは、前田日明を下げて、佐山サトルを上げてるんじゃないか、ということですよね。
    フミ いや、もうそういうレベルの酷さではないんですね。この本はプロレスの捉え方が根本的に間違ってるんです。この本を読むとわかるのは、柳澤さんという方は、プロレスというジャンルについて何かを書くための基本的なベースが一切ないことなんです。単純な事実の誤認を含めて間違いの上に間違いが重なり合い、何重にも何重にも誤りがあって収拾がつかなくなって、間違いの雪だるまみたいな本になっています。
    ――そ、そこまで言いますか。
    フミ プロレスファンがこの本を読んでも、学べることは何一つないんですよ。まず、ビギナーからマニアまでに共通した弱点として「ノンフィクション作家」を名乗る人や、プロレスマスコミではないところの媒体を、自分たちより上みたいな感じに崇めてしまいがちなんですね。この本に書いてあることがいかにデタラメであっても、自分より偉い誰かが書いていて、きっと真実なんだと誤解してしまう。あらためて言いますが、この本はノンフィクションですらないんです。まず当事者であるレスラーの取材・分析を一切省略してますよね。前田日明、佐山サトル、藤原喜明、高田延彦……その他UWFの選手たちを誰ひとりとして取材しないで書かれてるんですね。
    ――あえて取材していないんでしょうね。
    フミ 当事者の証言をすべてすっ飛ばしておいて、周辺の関係者やマスコミは取材して、柳澤さんの仮説にマッチする関係者の発言だけを極めて恣意的に抽出してるだけなんです。
    ――たしかにこの関係者の真偽不明な発言は採用するんだっていう疑問はありましたね。骨法の堀辺正史師範を筆頭に……。
    フミ 堀辺師範でも誰でも、関係者の発言をカギカッコ付にして書くことで、腹話術のように自分の仮説を主張しています。そのうえで関係者の心情を柳澤さんが勝手に語ってるんですよね。だからこの本はノンフィクションではなくて、柳澤さんの書いたフィクションなんです。
    「U.W.F.スネークピットジャパン」ジャンバーという正装で取材に臨んだフミ斎藤氏…――たとえば、どこが間違いなんですか?
    フミ とにかく間違いだらけで、どこから取り上げていればいいかわからないですが……まず27ページの13行目を読んでください。
    ――「プロレスはリアルファイトではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであり、勝者と敗者があらかじめ決められていることは事実」。
    フミ ……と書かれてますが、この文章の前後にはその定義付けのようなものを論証するエビデンス、論拠がまったく示されていないんです。「あらかじめ決められていることは事実」を示すものがない。そのあとには「リング上で行われている試合の勝敗を決めるのはプロモーターであり、残念ながらレスラーではない」と書いてますが、プロモーターというのは誰のことを指しているつもりなのかもわからない。柳澤さんはノンフィクションライターを名乗ってるのに、ノンフィクションたりえる証言や証拠を積み上げる作業をせず、個人的な偏見から「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」と。「プロレスは――」から始まっていますから、ここはひじょうに大切なセンテンスなんです。ところが、もの凄く唐突に断言してしまってるんですね。次は29ページの11行目です。
    ――「アメリカに渡ってからはカール・ゴッチと名乗り、アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」。
    フミ 読んでみてどう思います? プロレスの歴史を少しでも知る人間なら間違いにすぐに気づきますよね?
    ――……まあ、おかしいですね。
    フミ ゴッチさんは「アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」? 「伝説の強者」? 誰のことですか? プロレスファンならすぐわかることなのに、なぜこんなデタラメを書くのか。ゴッチさんがサブミッションレスリングを学んだのはアメリカに渡る前、イギリスのビリー・ライレー・ジムです。次は同じ29ページの14行目を読んでください。
    ――「1960年の時点で、すでにプロフェッショナル・レスリングは純然たるエンターテイメントであった」。
    フミ これもエビデンスを示していない。では、1950年代、1940年代、1930年代、1920年代のプロレスはリアルファイトだったのか。フランク・ゴッチの時代は? マルドゥーンの時代は? 最初から最後までこんな感じで重要なことを極めてアバウトに書いてるんですよ。同じ29ページの16行目を読んでください。
    ――「観客が求めるのは興奮だ。レスリングのリアルファイトなど地味でつまらない。観客が求めているのは地味なリアルファイトではなく。興奮できるショーなのだ」。
    フミ まあ、ここが柳澤さんの一番の弱点なんです。続けてください。
    ――「だからこそ、ふたりのレスラーは一致協力して興奮できる試合を作り上げなくてはならない。手に汗握る熱戦の末に、最後には観客が応援するレスラーが必ず勝つ。観客は愛するレスラーの勝利を自らの勝利と同一視して興奮する。アクション映画のように、あらかじめ興奮が約束されているからこそ、観客は次の興行にも足を運んでくれるのだ」。
    フミ そもそも「リアルファイトが地味」とういうのも偏見ですが、プロレスファンが求めてるのは「興奮」だけなのか。百歩譲って興奮があったとしても、それはプロレスファンがプロレスに求めているたくさんのもののうちの1つでしかないですよ。興奮かもしれないし、熱狂かもしれないし、感動かもしれないし、共感かもしれない。ストレス解消かもしれない。どうして「興奮」と決めつけるかといえば、この人には少年時代にプロレスファンだった経験が一度もないからなんです。こんな短い段落の中に「興奮」という単語を立て続けに5回も使っている。きっと本気でそう思っているのでしょう。単純に言ってしまえば、柳澤さんは「プロレス八百長論」の方なんです。八百長か、真剣勝負かという一点だけしかプロレスを論じる視点を持ち合わせていないんですね。
    ――プロレスを二元論で捉えていると。
    フミ なぜそうなのかといえば、柳澤さんはプロレスファンなら必ず通過している体験をしていないからです。皆さんには経験があると思いますが、第三者に「プロレスファン」を名乗った時点で、それが学校の先生でも、親戚のオバサンでも、八百屋のオジサンでも、誰でいいけれど「プロレスはね、ショーなの、八百長なの。そんなこともわからないの?」と指摘されるんです。柳澤さんは、無垢なプロレス少年ファンに対して「プロレスは八百長なんだよ」と囁く隣のオジサンの立ち位置なんですね。そこにしか立ったことがないからプロレスの魅力は何か、プロレスとはなんなのか? を考えるのではなく、ステレオタイプな八百長論しか頭の中にない。プロレスファンじゃなかったからこそ外側から事実を書けると言いたいのかもしれませんが、それさえも不可能なんだということはこれからの説明でわかってきます。まず32ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」。
    フミ ボクはカール・ゴッチさんのことが大好きで、何回もフロリダの自宅を訪ねたことがありますが、「世界最強のレスラー」なコピーのようなものはいったい誰が定義したのか。その根拠も出典も記されていないし、最初から「であろう」という推測、偏見しかない。何度も言いますけど、この人は固定観念、先入観、ステレオタイプ、ありとあらゆるプロレスへの偏見から書いてるんです。何の論拠もなく「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」……ゴッチさんの試合なんか見たこともないんでしょう。何もかもリサーチ不足。詳しく調べてないんですよ。なんでこんなデタラメが書けるのか。
    ――そういえば『1984年のUWF』では、ダッチ・マンテルが前田日明にシュートスタイルで酷い目にあったとマンテル本人の自伝から引用して書いてて、そのボヤキっぷりが最高に面白かったんですが、YouTubeにアップされている前田日明vsダッチ・マンテル戦を見るかぎり、そんな物騒な試合ではなかったですね。
    フミ 当事者に取材していないにも関わらず、そういった自分に都合のいい証言はよく精査せずに引用してるんですよ。ゴッチさんについては、もっと酷いことを書いています。許せないです。
    ――「ゴッチのプロレスには、観客を興奮させるだけのスリルとサスペンスが決定的に不足していたのである」(P32)
    フミ 続けて「観客を興奮させることのできないレスラーがメインイベンターになれるはずもない」なんてことが書かれています。「スリルとサスペンスが決定的に不足していたと言われている」ならまだしも、そうやって断言できるだけのエビデンスを持ち合わせていない。これはボクの実体験なんですけど、ボクは小学4年生のときにテレビでゴッチvsビル・ロビンソン、ゴッチvsモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を見て、小学5年生のときに蔵前国技館でゴッチvsアントニオ猪木の“幻の世界戦”、小学6年生のときには蔵前で猪木&坂口vsゴッチ&ルー・テーズのタッグマッチを生で見ました。50年以上もプロレスにハマり続けているのは、ゴッチさんのプロレスを見たからなんですよ。この本には、あれほどプロレスラーとしても魅力的だったゴッチさんの姿があぶりだされていないんですよ。単なる八百長論を展開するためにゴッチさんが使われている。
    ――「ゴッチを理解したのは、日本人だけだった」とも書いてますね。
    フミ それも柳澤さんの固定観念なんです。日本でしか受け入れられないならWWWF(現WWE)のリングに上がれていないですし、アメリカでレスラーとして生活できていない。そこは定説に乗っかってるだけですよね。疑いの目や批判の目をもってそういう定説を切り崩していくのがノンフィクションの本来の姿勢であるはずでしょ。この本ではゴッチさんがWWWFでタッグのベルトを獲ったことがまるで意外なことのように書いてありますけど、ゴッチさんはオハイオのアル・ハフトというプロモーターがやっていた大きなローカル団体のベルトも獲ってます。ボクはオハイオAWAと呼んでるんですけど、ゴッチさんはオハイオAWAの世界チャンピオンになってるんです。そういう事実を記述することなく、最初からゴッチさんは不遇だったという定説、結論ありきで書かれているんですね。それは38ページの2行目からもわかります。
    ――「ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーナーだけになった」。
    フミ これは新日本に対して悪意が篭っているし、ゴッチさんのこともバカにしている。ゴッチさんは大したことを教えていないと書きたいんでしょう。ゴッチさんは日本プロレス時代にも1年以上日本に住んでレスラーの指導をしていますし、新日本時代も日本に滞在しながら、弟子とは呼ばれていない荒川真、小林邦昭、栗栖正伸、グラン浜田らにも教えてるんですよ。それにゴッチさんが指導したのはプロレスの基礎ではなくレスリングの基本です。次は139ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「自分たちはプロだ。厳しい練習に耐えているのは、リング上で華やかなライトを浴び、テレビの電波に乗って日本中の人気者となり、大金を稼ぐためなのだ」。
    フミ 「大金を稼ぐ」? 柳澤さんはプロレスラーってそれしか目的がないと本当に思い込んでるんでしょうね。プロレスを知らないからこそ「テレビもつかないマイナー団体に行くのは愚の骨頂だ」とも書いてしまう。そして149ページの11行目も酷いんです。
    ――「アントニオ猪木は柔道家や空手家、ボクサー、キックボクサーなどを自分のリングに上げて異種格闘技戦を戦い、カネで勝利を買っておいて……」
    フミ 競技スポーツという前提で論じるなら、お金で結末を買う行為が八百長であることはわかりますよ。でも、柳澤さんは最初からプロレスを競技スポーツとして見ていないのに、どうやって勝利をカネで買うというんでしょうか。ならば、勝利をカネで売った方のロジックは? プロレスのそもそもの論じ方が間違ってるからこんなことを書いてしまう。
    ――柳澤さんのプロレスの定義はショーというものですね。
    フミ この一文にからでも単純な八百長論者であることがよくわかりますね。柳澤さんはプロレスは勝ち負けがあらかじめ決まってるからスポーツではないと言うんですよ。でも、じつはスポーツの定義すら間違ってるんです。柳澤さんが言ってることは、競技スポーツという意味だと思うんですね。これは社会学の話なんですけど、スポーツの原型ができたのは18世紀から19世紀にかけての近代化の時代。イギリスの一地方で特殊なゲーム形式を伴う身体運動文化というものが起きて、それをルールで統一したものがスポーツの原型になります。スポーツの定義としては「競技的性格を持つゲームや運動及び、そのような娯楽の総称」なんです。勝ち負けを争うかどうかはスポーツの定義の中のひとつでしかない。実際、勝ち負けを争わないスポーツは多いんです。アウトドアスポーツは勝ち負けを争わないですよね。ジョギングやダンスは勝敗を競わないスポーツですよね。フィギュアスケートや水泳、スキーなどもずいぶんあとから点数を付けて勝ち負けを争うようなシステムになったわけですよね。
    つまり、競技か競技じゃないか、勝ち負けを争うかどうかは、いくつかあるスポーツの定義の中のひとつでしかないんです。プロレスはもちろんスポーツです。このスポーツ文化論の概念をわかっていれば、プロレスへの理解も深まると思うんですけど、その土台が間違えたまま柳澤さんは競技スポーツだけを論じてしまってるからおかしことになっていくんです
     勝敗を争っていなかったとしても、ゆえにスポーツではないという論理は成立し得ない。プロレスの場合、仮に百歩譲って結末が決まっていても、それは公開されてないからお芝居や映画とは違う性質のものなんです。ドラマや映画は脚本が読むことができるけど、プロレスは先にそれを読むことはできない。しかし、隠してるイコール騙している、見てる方が騙されてるという単純な図式にも当てはまりません。だいたいそんな単純な視点でプロレスを見てるファンはいませんよ。
     繰り返しますがスポーツでなくショーであるならば、カネで勝利を買えるということに矛盾が生じるし、そうやって書いてしまうことからプロレスというものへの理解が足りないことがわかります。柳澤さんはプロレスを論じるスタート地点にすら立っていないんです。プロレスはエンターテイメントと言いながら、エンターテイメントであるべきプロレスはないがしろにしている。結局、プロレスを「競技スポーツ」のふりをした「お芝居」だとしか思ってない。プロレスラーは脚本どおりに演じているにすぎないと思い込んでいるんです。次は149ページの7行目を読んでください。
    ――「マサ斎藤や坂口征二、藤波や長州力、タイガーマスクらが次々に登場し、メインイベントは必ずアントニオ猪木が締めくくる」
    フミ その次が凄く大事です。柳澤さんがプロレスへの知識がないことや、自分の都合で書いてることがよく表れています。
    ――「このように、藤原はテレビに映らない前座レスラーにすぎない」。
    フミ わかりますよね?
    ――そうですねぇ……。
    フミ 新日本からのリースのようなかたちでUWFのリングに上がった藤原さんは、UWF旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館のメインイベントで前田日明と一騎打ちを行ないます。「テレビに映らない前座レスラー」であるはずの藤原さんがいったいどうやって国技館のメインイベントに出ることができたのか。柳澤さんは、プロレスを知る者なら誰もが頭に思い浮かべる1984年2月3日「雪の札幌テロリスト事件」に触れていないんです。あのときの生中継で長州力を襲い「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原喜明だったからこそ、UWFでもメインイベンターとして成立しているんです。この本の論調でいうと、昨日まで無名だった前座レスラーがUWFでいきなりスターになったというストーリーにしたいんだろうけど、まったくの誤りです。この続きと、金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • 『1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」

    2017-04-14 02:22  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は話題のノンフィクション本、柳澤健氏の「1984年のUWF」(文藝春秋・刊)について16000字の激語りです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/ジャン斉藤)Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回『1984年のUWF』をテーマにすると聞いてちょっと驚いたんです。この本にはケーフェイについても書かれているので、プロレスマスコミの立場によっては触りづらいと思っていたので。
    フミ そうなんですか? 
    ――たとえばミッキー・ローク主演映画『レスラー』が公開されたときも、プロレスの裏側も描いているので「見た」と公言できないというマスコミや団体関係者が多かったですし。
    フミ いや、ボクは『週刊プロレス』のBoysコラムで『レスラー』のことは書きましたよ。それはきっと映画の内容についてコメントを求められるのがイヤなんでしょう。この業界でずっと長く仕事をしたいと考えた場合の保身の発想であり、己かわいさなのかもしれない。ボクは大丈夫です。それに、プロレスはそんなにヤワにできていないですし、『1984年のUWF』は本当に酷い本ですので、これはちゃんと批判しないといけません。とにかく本当に最悪な内容なんですよ。
    ――えっ、そんなに酷い本なんですか。読み応えはありましたが……。
    フミ そういえば、ある編集者に「Dropkickで『1984年のUWF』について話す」と言ったら「ジャン斉藤さんは柳澤さんを絶賛してましたよ」と言ってましたね。
    ――それは『1976年のアントニオ猪木』のことですかね(笑)。今回の『1984年のUWF』でも更科四郎さんのことを紹介したり、ボクが過去に取材したフクタレコードの福田典彦さんを始めとする関係者の発言が引用されていたんですが。この本の感想を言えば、「新生UWF」の章までは面白かったんですけど……。
    フミ 「新生UWF」は何章ですか?
    ――9章ですね。それ以降はところどころ「えっ?」って感じで引っかかる記述が多かったんですね。UWFの歴史を追うというよりは物語を描かれてるという感じで……。
    フミ いや、それは9章以降に限った話じゃないんですよ。あの本はノンフィクションではなく柳澤健さんのフィクションです。それを歴史の書だとか事実の記録だと誤解している人たちは目が曇っていますよ。
    ――この本の批判でよく聞くものは、前田日明を下げて、佐山サトルを上げてるんじゃないか、ということですよね。
    フミ いや、もうそういうレベルの酷さではないんですね。この本はプロレスの捉え方が根本的に間違ってるんです。この本を読むとわかるのは、柳澤さんという方は、プロレスというジャンルについて何かを書くための基本的なベースが一切ないことなんです。単純な事実の誤認を含めて間違いの上に間違いが重なり合い、何重にも何重にも誤りがあって収拾がつかなくなって、間違いの雪だるまみたいな本になっています。
    ――そ、そこまで言いますか。
    フミ プロレスファンがこの本を読んでも、学べることは何一つないんですよ。まず、ビギナーからマニアまでに共通した弱点として「ノンフィクション作家」を名乗る人や、プロレスマスコミではないところの媒体を、自分たちより上みたいな感じに崇めてしまいがちなんですね。この本に書いてあることがいかにデタラメであっても、自分より偉い誰かが書いていて、きっと真実なんだと誤解してしまう。あらためて言いますが、この本はノンフィクションですらないんです。まず当事者であるレスラーの取材・分析を一切省略してますよね。前田日明、佐山サトル、藤原喜明、高田延彦……その他UWFの選手たちを誰ひとりとして取材しないで書かれてるんですね。
    ――あえて取材していないんでしょうね。
    フミ 当事者の証言をすべてすっ飛ばしておいて、周辺の関係者やマスコミは取材して、柳澤さんの仮説にマッチする関係者の発言だけを極めて恣意的に抽出してるだけなんです。
    ――たしかにこの関係者の真偽不明な発言は採用するんだっていう疑問はありましたね。骨法の堀辺正史師範を筆頭に……。
    フミ 堀辺師範でも誰でも、関係者の発言をカギカッコ付にして書くことで、腹話術のように自分の仮説を主張しています。そのうえで関係者の心情を柳澤さんが勝手に語ってるんですよね。だからこの本はノンフィクションではなくて、柳澤さんの書いたフィクションなんです。
    「U.W.F.スネークピットジャパン」ジャンバーという正装で取材に臨んだフミ斎藤氏…――たとえば、どこが間違いなんですか?
    フミ とにかく間違いだらけで、どこから取り上げていればいいかわからないですが……まず27ページの13行目を読んでください。
    ――「プロレスはリアルファイトではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであり、勝者と敗者があらかじめ決められていることは事実」。
    フミ ……と書かれてますが、この文章の前後にはその定義付けのようなものを論証するエビデンス、論拠がまったく示されていないんです。「あらかじめ決められていることは事実」を示すものがない。そのあとには「リング上で行われている試合の勝敗を決めるのはプロモーターであり、残念ながらレスラーではない」と書いてますが、プロモーターというのは誰のことを指しているつもりなのかもわからない。柳澤さんはノンフィクションライターを名乗ってるのに、ノンフィクションたりえる証言や証拠を積み上げる作業をせず、個人的な偏見から「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」と。「プロレスは――」から始まっていますから、ここはひじょうに大切なセンテンスなんです。ところが、もの凄く唐突に断言してしまってるんですね。次は29ページの11行目です。
    ――「アメリカに渡ってからはカール・ゴッチと名乗り、アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」。
    フミ 読んでみてどう思います? プロレスの歴史を少しでも知る人間なら間違いにすぐに気づきますよね?
    ――……まあ、おかしいですね。
    フミ ゴッチさんは「アメリカ各地に生き残る伝説の強者からサブミッションレスリングを学んだ」? 「伝説の強者」? 誰のことですか? プロレスファンならすぐわかることなのに、なぜこんなデタラメを書くのか。ゴッチさんがサブミッションレスリングを学んだのはアメリカに渡る前、イギリスのビリー・ライレー・ジムです。次は同じ29ページの14行目を読んでください。
    ――「1960年の時点で、すでにプロフェッショナル・レスリングは純然たるエンターテイメントであった」。
    フミ これもエビデンスを示していない。では、1950年代、1940年代、1930年代、1920年代のプロレスはリアルファイトだったのか。フランク・ゴッチの時代は? マルドゥーンの時代は? 最初から最後までこんな感じで重要なことを極めてアバウトに書いてるんですよ。同じ29ページの16行目を読んでください。
    ――「観客が求めるのは興奮だ。レスリングのリアルファイトなど地味でつまらない。観客が求めているのは地味なリアルファイトではなく。興奮できるショーなのだ」。
    フミ まあ、ここが柳澤さんの一番の弱点なんです。続けてください。
    ――「だからこそ、ふたりのレスラーは一致協力して興奮できる試合を作り上げなくてはならない。手に汗握る熱戦の末に、最後には観客が応援するレスラーが必ず勝つ。観客は愛するレスラーの勝利を自らの勝利と同一視して興奮する。アクション映画のように、あらかじめ興奮が約束されているからこそ、観客は次の興行にも足を運んでくれるのだ」。
    フミ そもそも「リアルファイトが地味」とういうのも偏見ですが、プロレスファンが求めてるのは「興奮」だけなのか。百歩譲って興奮があったとしても、それはプロレスファンがプロレスに求めているたくさんのもののうちの1つでしかないですよ。興奮かもしれないし、熱狂かもしれないし、感動かもしれないし、共感かもしれない。ストレス解消かもしれない。どうして「興奮」と決めつけるかといえば、この人には少年時代にプロレスファンだった経験が一度もないからなんです。こんな短い段落の中に「興奮」という単語を立て続けに5回も使っている。きっと本気でそう思っているのでしょう。単純に言ってしまえば、柳澤さんは「プロレス八百長論」の方なんです。八百長か、真剣勝負かという一点だけしかプロレスを論じる視点を持ち合わせていないんですね。
    ――プロレスを二元論で捉えていると。
    フミ なぜそうなのかといえば、柳澤さんはプロレスファンなら必ず通過している体験をしていないからです。皆さんには経験があると思いますが、第三者に「プロレスファン」を名乗った時点で、それが学校の先生でも、親戚のオバサンでも、八百屋のオジサンでも、誰でいいけれど「プロレスはね、ショーなの、八百長なの。そんなこともわからないの?」と指摘されるんです。柳澤さんは、無垢なプロレス少年ファンに対して「プロレスは八百長なんだよ」と囁く隣のオジサンの立ち位置なんですね。そこにしか立ったことがないからプロレスの魅力は何か、プロレスとはなんなのか? を考えるのではなく、ステレオタイプな八百長論しか頭の中にない。プロレスファンじゃなかったからこそ外側から事実を書けると言いたいのかもしれませんが、それさえも不可能なんだということはこれからの説明でわかってきます。まず32ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」。
    フミ ボクはカール・ゴッチさんのことが大好きで、何回もフロリダの自宅を訪ねたことがありますが、「世界最強のレスラー」なコピーのようなものはいったい誰が定義したのか。その根拠も出典も記されていないし、最初から「であろう」という推測、偏見しかない。何度も言いますけど、この人は固定観念、先入観、ステレオタイプ、ありとあらゆるプロレスへの偏見から書いてるんです。何の論拠もなく「世界最強のレスラーであるカール・ゴッチの試合には、悪役レスラーの反則によって危機一髪の状況に追い込まれることも、流血戦もなかった」……ゴッチさんの試合なんか見たこともないんでしょう。何もかもリサーチ不足。詳しく調べてないんですよ。なんでこんなデタラメが書けるのか。
    ――そういえば『1984年のUWF』では、ダッチ・マンテルが前田日明にシュートスタイルで酷い目にあったとマンテル本人の自伝から引用して書いてて、そのボヤキっぷりが最高に面白かったんですが、YouTubeにアップされている前田日明vsダッチ・マンテル戦を見るかぎり、そんな物騒な試合ではなかったですね。
    フミ 当事者に取材していないにも関わらず、そういった自分に都合のいい証言はよく精査せずに引用してるんですよ。ゴッチさんについては、もっと酷いことを書いています。許せないです。
    ――「ゴッチのプロレスには、観客を興奮させるだけのスリルとサスペンスが決定的に不足していたのである」(P32)
    フミ 続けて「観客を興奮させることのできないレスラーがメインイベンターになれるはずもない」なんてことが書かれています。「スリルとサスペンスが決定的に不足していたと言われている」ならまだしも、そうやって断言できるだけのエビデンスを持ち合わせていない。これはボクの実体験なんですけど、ボクは小学4年生のときにテレビでゴッチvsビル・ロビンソン、ゴッチvsモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)を見て、小学5年生のときに蔵前国技館でゴッチvsアントニオ猪木の“幻の世界戦”、小学6年生のときには蔵前で猪木&坂口vsゴッチ&ルー・テーズのタッグマッチを生で見ました。50年以上もプロレスにハマり続けているのは、ゴッチさんのプロレスを見たからなんですよ。この本には、あれほどプロレスラーとしても魅力的だったゴッチさんの姿があぶりだされていないんですよ。単なる八百長論を展開するためにゴッチさんが使われている。
    ――「ゴッチを理解したのは、日本人だけだった」とも書いてますね。
    フミ それも柳澤さんの固定観念なんです。日本でしか受け入れられないならWWWF(現WWE)のリングに上がれていないですし、アメリカでレスラーとして生活できていない。そこは定説に乗っかってるだけですよね。疑いの目や批判の目をもってそういう定説を切り崩していくのがノンフィクションの本来の姿勢であるはずでしょ。この本ではゴッチさんがWWWFでタッグのベルトを獲ったことがまるで意外なことのように書いてありますけど、ゴッチさんはオハイオのアル・ハフトというプロモーターがやっていた大きなローカル団体のベルトも獲ってます。ボクはオハイオAWAと呼んでるんですけど、ゴッチさんはオハイオAWAの世界チャンピオンになってるんです。そういう事実を記述することなく、最初からゴッチさんは不遇だったという定説、結論ありきで書かれているんですね。それは38ページの2行目からもわかります。
    ――「ゴッチに残された役割は、前座レスラー数名のブッキングと、日本の若手レスラーにわずかな期間だけプロレスの基礎を教える臨時トレーナーだけになった」。
    フミ これは新日本に対して悪意が篭っているし、ゴッチさんのこともバカにしている。ゴッチさんは大したことを教えていないと書きたいんでしょう。ゴッチさんは日本プロレス時代にも1年以上日本に住んでレスラーの指導をしていますし、新日本時代も日本に滞在しながら、弟子とは呼ばれていない荒川真、小林邦昭、栗栖正伸、グラン浜田らにも教えてるんですよ。それにゴッチさんが指導したのはプロレスの基礎ではなくレスリングの基本です。次は139ページの後ろから2行目を読んでください。
    ――「自分たちはプロだ。厳しい練習に耐えているのは、リング上で華やかなライトを浴び、テレビの電波に乗って日本中の人気者となり、大金を稼ぐためなのだ」。
    フミ 「大金を稼ぐ」? 柳澤さんはプロレスラーってそれしか目的がないと本当に思い込んでるんでしょうね。プロレスを知らないからこそ「テレビもつかないマイナー団体に行くのは愚の骨頂だ」とも書いてしまう。そして149ページの11行目も酷いんです。
    ――「アントニオ猪木は柔道家や空手家、ボクサー、キックボクサーなどを自分のリングに上げて異種格闘技戦を戦い、カネで勝利を買っておいて……」
    フミ 競技スポーツという前提で論じるなら、お金で結末を買う行為が八百長であることはわかりますよ。でも、柳澤さんは最初からプロレスを競技スポーツとして見ていないのに、どうやって勝利をカネで買うというんでしょうか。ならば、勝利をカネで売った方のロジックは? プロレスのそもそもの論じ方が間違ってるからこんなことを書いてしまう。
    ――柳澤さんのプロレスの定義はショーというものですね。
    フミ この一文にからでも単純な八百長論者であることがよくわかりますね。柳澤さんはプロレスは勝ち負けがあらかじめ決まってるからスポーツではないと言うんですよ。でも、じつはスポーツの定義すら間違ってるんです。柳澤さんが言ってることは、競技スポーツという意味だと思うんですね。これは社会学の話なんですけど、スポーツの原型ができたのは18世紀から19世紀にかけての近代化の時代。イギリスの一地方で特殊なゲーム形式を伴う身体運動文化というものが起きて、それをルールで統一したものがスポーツの原型になります。スポーツの定義としては「競技的性格を持つゲームや運動及び、そのような娯楽の総称」なんです。勝ち負けを争うかどうかはスポーツの定義の中のひとつでしかない。実際、勝ち負けを争わないスポーツは多いんです。アウトドアスポーツは勝ち負けを争わないですよね。ジョギングやダンスは勝敗を競わないスポーツですよね。フィギュアスケートや水泳、スキーなどもずいぶんあとから点数を付けて勝ち負けを争うようなシステムになったわけですよね。
    つまり、競技か競技じゃないか、勝ち負けを争うかどうかは、いくつかあるスポーツの定義の中のひとつでしかないんです。プロレスはもちろんスポーツです。このスポーツ文化論の概念をわかっていれば、プロレスへの理解も深まると思うんですけど、その土台が間違えたまま柳澤さんは競技スポーツだけを論じてしまってるからおかしことになっていくんです
     勝敗を争っていなかったとしても、ゆえにスポーツではないという論理は成立し得ない。プロレスの場合、仮に百歩譲って結末が決まっていても、それは公開されてないからお芝居や映画とは違う性質のものなんです。ドラマや映画は脚本が読むことができるけど、プロレスは先にそれを読むことはできない。しかし、隠してるイコール騙している、見てる方が騙されてるという単純な図式にも当てはまりません。だいたいそんな単純な視点でプロレスを見てるファンはいませんよ。
     繰り返しますがスポーツでなくショーであるならば、カネで勝利を買えるということに矛盾が生じるし、そうやって書いてしまうことからプロレスというものへの理解が足りないことがわかります。柳澤さんはプロレスを論じるスタート地点にすら立っていないんです。プロレスはエンターテイメントと言いながら、エンターテイメントであるべきプロレスはないがしろにしている。結局、プロレスを「競技スポーツ」のふりをした「お芝居」だとしか思ってない。プロレスラーは脚本どおりに演じているにすぎないと思い込んでいるんです。次は149ページの7行目を読んでください。
    ――「マサ斎藤や坂口征二、藤波や長州力、タイガーマスクらが次々に登場し、メインイベントは必ずアントニオ猪木が締めくくる」
    フミ その次が凄く大事です。柳澤さんがプロレスへの知識がないことや、自分の都合で書いてることがよく表れています。
    ――「このように、藤原はテレビに映らない前座レスラーにすぎない」。
    フミ わかりますよね?
    ――そうですねぇ……。
    フミ 新日本からのリースのようなかたちでUWFのリングに上がった藤原さんは、UWF旗揚げシリーズ最終戦の蔵前国技館のメインイベントで前田日明と一騎打ちを行ないます。「テレビに映らない前座レスラー」であるはずの藤原さんがいったいどうやって国技館のメインイベントに出ることができたのか。柳澤さんは、プロレスを知る者なら誰もが頭に思い浮かべる1984年2月3日「雪の札幌テロリスト事件」に触れていないんです。あのときの生中継で長州力を襲い「テロリスト」と呼ばれるようになった藤原喜明だったからこそ、UWFでもメインイベンターとして成立しているんです。この本の論調でいうと、昨日まで無名だった前座レスラーがUWFでいきなりスターになったというストーリーにしたいんだろうけど、まったくの誤りです。この続きと、金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
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  • ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのか■「斎藤文彦INTERVIEWS⑫」

    2017-03-15 09:00  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「ドナルド・トランプとビンス・マクマホン」です! イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954斎藤文彦の最新著作昭和プロレス正史 下巻
    ジャイアント馬場・アントニオ猪木の日本プロレス独立から、NWA幻想の高まりと猪木対アリ“格闘技世界一決定戦"を経て、週刊プロレス創刊・UWF誕生、そしてブロディの死で終焉した時代とは何だったのか。活字プロレス誕生から60余年――、いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史「第二弾」。――今回のテーマは「アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプとWWE」になります。
    フミ ドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙で当選してから、いくつかのテレビ番組からコメントを求められました。「トランプがプロレスの手法をマネたというのは本当ですか?」と。でも、テレビ局のほうでは最初から“答え”は用意されていて。もちろん「プロレスの手法をマネていた」なんですけど。
    ――そのほうが面白いですからね(笑)。
    フミ  つまりドナルド・トランプはプロレスでいうところのヒールを演じていたということなんですね。いまは時代的にポリティカル・コレクトネスがあって、倫理的・人道的に正しくないことは口にはしていけない。でも、トランプはひょっとしたら、みんなが内心思ってるかもしれないことだけども、言っちゃいけないことをおおっぴらに言ってしまう。それは人種差別や男女差別、排外主義的な発言に当たります。トランプは思想信条的にはかなり過激で、これまでの共和党の保守派の人ですら、眉をひそめるというものなんです。実際、元大統領のブッシュ親子でさえ、かなり早い段階でトランプ不支持を正式に表明していた。
    ――アメリカやヨーロッパって差別にうるさいわりには差別がはびこってますね。
    フミ アメリカは移民の国ですし、いろんな人種、いろんな宗教の人が集まってますから、そういう属性で他人を差別をしてはいけないということになってる。それは身の回りから始まる人種差別があるからなんですね。子供の頃から「肌の色で差別をしてはいけません」と習うわけですが、アメリカの教室には白い人も黒い人も黄色い人もネイティブ・アメリカンもみんな一緒に席に座ってます。
    ――だからこそ差別が生まれやすいんですね。
    フミ アメリカ建国以降、一度だけ南北戦争(1881〜1865年)という内戦が起こりましたが、その戦争は黒人奴隷を解放するか、しないかが発端でした。北軍が勝利して奴隷解放に至りますが、差別が根絶されたわけではありません。そのためそれから100年後の1960年代にはマーティン・ルーサー・キングの公民権運動が起きたりしています。
    ――それでも差別はなくならない。
    フミ いまのアメリカには白人の低所得層からすると不公平感があるというか、そこをトランプが突いて「移民が白人の仕事を奪ってる」と確信犯的に言ってるところはあるんです。そんなトランプがなぜウケたかという話ですけども。もともとは“トンデモ候補”だったわけです。メディアの予測ではあのトランプがよもや最後まで残ると思われなかった。
    ――民主党候補のヒラリー・クリントンとの戦いになりましたね。
    フミ その前にはオバマが8年間その職務を務めていました。オバマは黒人初の大統領として完全なるベビーフェイスだったわけです。今度はアメリカ初の女性大統領ヒラリー・クリントンが誕生……という可能性が高かったんですけど、ヒラリーもトランプも2人とも非常に評判の悪い大統領候補だった。「どっちが嫌いか?」という争いになってしまったんですね。
    ――そうなると、どっちのヒールに共感を抱きやすいかという話にもなってきますね。
    フミ だから「口にはしてはいけない」ことを言いまくるトランプが支持を得て、あれよあれよという間に当選してしまったところはあるかもしれません。4年に一度の大統領選は“史上最大のショー”と言われていて、アメリカ国民全員が参加する4年に一度の大きなお祭りなんです。今回はトランプ旋風でいつも以上に盛り上がったことはたしかで、いままで投票に行かなかった人も今回はこっそり投票に行ったりしてますね。
    ――そのトランプの手法がプロレスから持ち込まれたと言われてますね。
    フミ 選挙戦のニュースでもWWEのリングに登場するトランプの映像が使われてたりして、そこがプロレスとリンクした場面と言われていますが、実際にビンス・マクマホンとの共通点は多いんです。ドナルド・トランプは1946年生まれで今年で71歳。ビンス・マクマホンは一つ上の今年72歳で1945年生まれ。戦後の第一次ベビーブーマー世代、日本でいうところの団塊の世代なんですね。
    ――2人は同世代なんですね。
    フミ 面白いのはドナルド・トランプもビンス・マクマホンも、お父さんの事業を引き継いで億万長者になっていることなんです。ドナルド・トランプという人はニューヨークのクイーンズ生まれの都会っ子。ペンシルべニア大学を卒業していますが、少年時代はミリタリースクール、つまり軍隊式の寄宿舎のある学校で生活を送っています。そこも2人の共通項で、ビンスも少年時代はミリタリースクールみたいな寄宿舎に通ってるんですね。
    ――似たような人生を歩んでるんですね。
    フミ ドナルド・トランプのお父さんはフレッド・トランプと言って有名な実業家でした。トランプは1969年に大学を卒業したんですけど、お父さんの事業のひとつであった不動産業を継いだのは3年後の1972年。25歳のときです。そこからトランプは不動産王として駆け上がっていきます。
    ――ビンスも父シニアからWWE(当時WWF)を買い取って全米侵攻を開始させますね。
    フミ いまのビンスは厳密に言うと三代目なんです。ビンス・マクマホン・シニアのお父さんはジェス・マクマホンという人で、プロレスとボクシングのプロモーターでした。いまのビンスには、かなり長いあいだ日本のマスコミは「ジュニア」をつけていたじゃないですか。
    ――「ビンス・マクマホン・ジュニア」表記。そういえば突然消えましたねぇ。
    フミ アメリカではすぐに「ジュニア」表記は消えていたんですけど、日本のマスコミは90年代の終わり頃までジュニアをつけてました。それはシニアが偉大なプロモーターだったということもあるので、区別する意味もあったんでしょうね。そのシニアからいまのビンスがビジネスを引き継いだのは1982年。それは37歳のときですが、ビンスは若い頃から実力があり、そもそも1976年のアントニオ猪木vsモハメド・アリのアメリカ側のプロモーターだったんですね。プロデューサーとしてイベントに名を連ねていたのはシニアじゃなくていまのビンスなんです。
    ――猪木vsアリの衛星中継が行われたニューヨークのシェイ・スタジアムではアンドレ・ザ・ジャイアントvsチャック・ウェプナーの異種格闘技戦などが行われましたね。
    フミ お父さんの事業を受け継いで世界規模にしたという共通項が2人にはあるんですが、彼らは日本の2代目と比べて桁違いにお金持ちなんですよね。いまのドナルド・トランプの個人資産は4.5ビリオン。ミリオンじゃないんですよ、ビリオンです。個人資産で約5150億円。
    ――想像もつきません(笑)。
    フミ そのドナルド・トランプとビンス・マクマホンが運命的な出会いをはたすのが、1988年のレッスルマニア4です。このレッスルマニアはどんなカードだったかと言うと、前年のレッスルマニア3でハルク・ホーガンvsアンドレ・ザ・ジャイアントの頂上対決があって、ホーガンがアンドレをボディスラムで投げてフォール勝ちしました。この続きも読める「14万字・詰め合わせセット」がお得です!
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  • ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■「斎藤文彦INTERVIEWS⑩」

    2017-01-02 19:28  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは、80年代WWEナンバーワン怪奇派レスラーの「ジェイク・“ザ・スネーク”・ロバーツ」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386
    フミ 今回のテーマはどうしていきなりジェイク“ザ・スネーク”ロバーツなの?

    ――ボクが大好きなだけなんですけど(笑)。80年代のWWF(現在WWE)でスーパースターだった時代から、メインストリームからフェードアウト後もメディアを通してその存在が強烈に浮かび上がってくるんですね。必殺技だったDDTもジェイク・ロバーツほどあんなに素晴らしいタイミングで使う選手はいなかったですし。

    フミ DDTを完全無欠のフィニッシュホールドたらしめたのがジェイク・ロバーツですから。

    ――ジェイク・ロバーツが元祖DDTでいいんですよね?

    フミ これには諸説があります。ルチャの中にもああいった技はあったと言われていて、古くはブラック・ゴードマンというレスラーがまったく同じ技を使っていたという説もあります。アントニオ猪木さんの卍固め以前の必殺技だったアントニオ・ドライバー(フロント・ネックチャンスリー)もそれに近い技でした。首を抱えた状態で頭から落とすか、上に投げるかの違いですね。でも、ジェイク・ロバーツ本人の証言によれば、嘘から出た真じゃないけども、「失敗から凄い技が生まれてしまった」と。フロントヘッドロックを取ったとき後ろに足を滑らせてしまったら、相手がそのまま頭をマットに打ちつけられた。それまで似たようなフォームの技はあったのかもしれないですけど、ロバーツからすればオリジナル技なんでしょうね。

    ――そこから派生技がたくさん出てきましたし、プロレス界になくてはならない技になりましたね。

    作/アカツキフミ ジェイク・ロバーツはWWEに入る何年も前からDDTを使ってたんです。NWAジョージアという、のちにWCWの母体となる地区のテレビマッチの中で見せていたんですけど。そのNWAジョージア時点からニックネームは「ザ・スネーク」でした。
    ――すると当時からヘビを携えてリングに上がってたんですか?

    フミ いや、当時のジェイク・ロバーツはヘビを使っていたから「ザ・スネーク」と呼ばれてんじゃなくて、ジェイク・ロバーツの動きそのものがヘビのようだったからなんです。スルスルとキャンバスを這いずり回ったり、アンオーソドックスな動きが代名詞の怪奇派レスラーでしたから。

    ――ニックネームが先なんですね。たしかにヘビのイメージは頷けます!

    フミ ジ・アンダーテイカーが出現する以前のWWEでは怪奇派第一人者がジェイク・ロバーツだったんです。さらに言うならば、ジェイク・ロバーツはライフスタイルそのものが非常にミステリアスな人で、WWEでは怪奇派としてプロデュースされたけど、素の部分がすでにホントに怪奇な人。生い立ちから振り返れば、お父さんがグリズリー・スミスという有名なレスラーで、異母弟のサム・ヒューストンや異母妹のロッキン・ロビンもプロレスラーなんです。ロッキン・ロビンはWWEの女子王者にもなってます。

    ――レスリング一家の生まれなんですね。

    フミ ジェイク・ロバーツは1955年生まれ。ということは今年61歳なんですけど、1975年の20歳のときにプロレスデビューしてるんです。1986年にWWEに入ってるから、それまでに11年間の下積み期間がありますが、79年には国際プロレスに初来日してるんですね。そのときのタッグパートナーはマイク・ボイエッテというレスラーで、彼が顔にKISSみたいなペイントをしていたので、まだ若手だったジェイク・ロバーツも同じようなペイントしていたんです。ロードウォリアーズ登場前のペイントですから珍しいことをやってたんですね。

    ――その頃はまだ“ザ・スネーク”じゃなかったんですね。

    フミ “ザ・スネーク”と呼ばれだしたのは80年代前半、NWAジョージアの名物アナウンサーだったゴードン・ソーリーが「彼はスネークだ!」と言ったことがきっかけだとされてますね。ジェイク・ロバーツは凄い長身でしょう。196センチくらいあるんだけど、身体は細身。ユラ〜と動いてるかと思えば、パッと相手に組み付いて、必殺のDDTでマットに沈める。

    ――まさしくヘビですね。

    フミ 独特の動きに加えて、無言のままコーナーに座り込み、ニヤッと意味ありげに笑う。個性的と言えば個性的なんですが、この人のことを調べていくと、単なるサイコ系キャラじゃないことがわかってくるんです。ジェイク・ロバーツは幼い頃から複雑な家庭環境で育っていて、少年時代にはお父さんから虐待を受け、お父さんの再婚相手、つまり義理の母と性的関係があったと言われている。そして妹が誘拐されていまだ行方不明なんです。犯人とされる人物は捕まったんですけど、妹の遺体をどこに埋めたのかは喋らなかったんですね。

    ――“アメリカの闇”が凝縮されたかのような人生ですね……。この続きと、中井りん、那須川天心、ケニー・オメガ、RIZINの裏側、角田信朗騒動などの記事がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1181523 
  • 「現場監督」長州力と取材拒否■「斎藤文彦INTERVIEWS⑨」

    2016-12-12 21:06  
    75pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは、ここ数回続いた「80年代・90年代の週刊プロレス」シリーズの最終編「現場監督・長州力」です!
    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001――1980年代のプロレスジャーナリズムから始まって、『ギブUPまで待てない!!』放送秘話やSWSと『週プロ』の関係などを語っていただきましたが、今回は取材拒否問題にまで発展した『週プロ』と長州力についてお願いします。
    フミ そのテーマだと、まず「現場監督・長州力」の話からしなくちゃいけないですね。90年代の長州力は、プレイヤーというよりプロデューサーとしての印象が強いと思うんですけど。長州さんは「現場監督」という新しいプロレス用語で呼ばれるようになったんです。
    ――これ、誰がネーミングしたんですかね(笑)。
    フミ 誰でしょうね。ボクは東スポじゃないかって思うんですけど。新日本が正式に発表したわけではないんですね。
    ――現場工事の監督が由来なのかなって思い込んでたんですけど。
    フミ ああ、建設工事とかの?
    ――イメージにはピッタリですよね。長州さんも頭にタオルを巻いて。
    フミ まあ、アメリカのプロレス用語で言えば「ブッカー」を指すんですね。つまりマッチメイクをする人なんですけど、日本語に該当するものはなくて、単なる「監督」だと映画やお芝居のイメージが強い。プロ野球やスポーツにも監督という役職はありますけど、これらは団体競技の監督なんですね。長州さんが現場監督と呼ばれるようになって「えっ、プロレスに監督ってあるの?」って疑問に思ったファンは多かったと思うんです。
    ――「じゃあ、いままでは現場監督はいなかった?」という話になりますね。
    フミ プロレスにブッカーという役職があることは知れ渡っていましたから、プロデューサーな役割を想像したと思うんです。ということは、以前もプロデュースする人間はいたんだな、と。現場監督という言葉が浮き上がってきたのは、アントニオ猪木さんが新日本からいなくなったからなんですね。
    ――猪木さんは政界に進出して新日本プロレスの現場から遠ざることになりましたね。
    フミ それまでの新日本プロレスは、アントニオ猪木さんが製作総指揮・監督・主演。その猪木さんがいなくなってからは、製作は坂口征二さん、主演は闘魂三銃士(橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋)プラス馳浩&佐々木健介、そして監督が長州さんになったんです。
    ――分業制になっていくわけですね。
    フミ たとえば坂口さんなり新日本関係者の誰かの「現場は長州が……」というコメントから現場監督という呼び方が広まったかもしれません。業務内容については一切触れていないんですが、かつて猪木さんが立っていたポジションに長州さんがいることはたしかなんです。新日本のレスラーのいちばん上に立っているのが長州力。
    ――そこで猪木さんが藤波さんではなく長州さんを指名したのは興味深いですね。
    フミ 猪木さんはシングルマッチで長州さんにピンフォール負けを許してるんですが、藤波さんには一度も負けてないんです。タッグマッチで一度だけフォール負けしてますが、88年8月8日横浜文化体育館で藤波さんのIWGP王座に挑戦した試合では60分フルタイムのドロー。
    ――藤波さんはついに“猪木超え”を果たせなかったんですね。
    フミ 最終的に猪木さんは長州さんに現場を任せますが、長州さんは体育会系だし、問答無用で命令するタイプ。アメとムチをうまく使いつつ選手を完全にコントロールしてマッチメイクしていきましたよね。
    ――猪木さんはその性格を見抜いて任せたのかもしれませんね。
    フミ ここが重要なポイントなんですが、現場監督になった長州さんは自分のことは主演には据えなかったんです。そこが現場監督として優秀でした。
    ――長州さんは最初から一歩引いてましたね。
    フミ 主演は三銃士と馳健の5人。長州力のレスラーとしての感覚からすれば、この5人で新日本は回していけると計算できたんでしょう。それにレスラーにとっての究極の仕事というのは、リングの上でメインイベンターとしてチャンピオンになるということも、もちろん重要なんですけど、最高のポジションはブッカー。現場監督なんですよ。アメリカでもドレッシングルームを仕切るのはブッカーですから。つまりはこれは天下を取ったということなんです。
    ――リング上の物語も仕切っていくわけですもんね。
    フミ そこはプロレスを考えていく上でとっても大切なことなんです。真剣勝負だ八百長だという二元論であったり、ショーだお芝居だという定義付けでしかプロレスを捉えられない人にとっては、リング上の勝ち負けは単なる演出と思いがちなんですけど、百歩譲って勝ち負けを決めて試合をするとしても、むしろ、だからこそ勝敗は大切なんです。
    ――たしかにそうですよね。
    フミ ブッカーにとってはガチでやってくれたほうがよっぽど簡単なんですよ。針の穴を通すような発想でマッチメイクに取り組まないといけないのがプロレス。レスラーたちを納得させてリングに上げないといけないんですから。プロレスラーって勝ちたい人たちばっかりなんです。「はい、今日はボクが負けておきます!」なんて人はいない。
    ――「俺が俺が!」という上昇志向じゃないとやっていけない職業なんですね。
    フミ プロレスラーは勝てば嬉しいし、負ければヘコむんです。G1クライマックス第1回大会の両国国技館で長州力にフォール勝ちしたときのバンバン・ビガロのあの喜び方。もの凄くわかりやすいですよね。
    ――ビガロって大一番では便利役っぽい扱いでしたから、喜びもひとしおなんでしょうね。
    フミ ビガロはサルマン・ハシミコフや北尾光司のデビュー戦の相手を務めましたよね。北尾戦のときは「東京ドームで相撲のグランドチャンピオンのデビュー戦の相手をやる」って喜んでいましたけど、あくまで仕事としてやったわけです。WWEのレッスルマニアで元フットボーラーのローレンス・テーラーが1試合だけやったときも、ビンス・マクマホンが考えたことは日本と同じ。ビガロにやってもらおう、と。
    ――そこまでの信頼感がビガロにあったんですね。
    フミ 要するにどんな相手でもビガロなら試合にしちゃうってことですね。プロレスの中でのキャッチフレーズにある「ホウキが相手でも試合ができる」のがビガロ。
    ――プロレスの達人だったという。
    フミ だけども、忘れちゃいけないのはプロレスラーって勝ちたい人たちの集まりなんです。ビガロと同じ時期に活躍したベイダーも、負けると凄く落ち込みますよね。あの図体の大きさとは裏腹に繊細な人だったんだけど。
    ――扱いが難しいレスラーたちを長州さんがまとめていたんですね。
    フミ 長州さんにとって都合がよかったのは、三銃士たちとは10歳以上、歳が離れていたことですよね。一世代下のレスラーだったから、長州さんはうまく采配ができたところもあったと思います。
    ――プロ野球でも監督と選手の年齢が近いと、采配しづらいっていいますね。
    フミ 三銃士人気が爆発的に上がっていくきっかけは、第1回G-1クライマックスなんですが、前年の夏に後楽園ホールで7日間連続興行をやりましたね。日本人選手だけの興行で7日間すべて三銃士が主役でした。
    ――この企画がステップアップしてG-1クライマックスになったんですね、。
    フミ G1のリーグ戦という形式は長州さんからすればマッチメイクしやすかったと思うんですよ。そこで大きなポイントは、このG1には長州さんも参加しましたけど、公式戦全敗なんですね。
    ――よく考えると凄いですよねぇ。
    フミ 誤解を生む言い方かもしれないけれど、長州さんは記念すべき第1回G1クライマックスで全敗したことで、現場監督としての指導力は高まったはずなんです。
    ――自分本意な現場監督ではないと。
    フミ 新日本プロレスをチームとして考えた場合、G1クライマックスで三銃士をスターに育てた手腕により、現場監督としての力を不動のものとしたと思いますね。
    ――“大穴”の蝶野が第1回G1を優勝することで一気にスターダムに駆け上がって。
    フミ 蝶野さんが「G1男」になることで、武藤さんや橋本さんに追いつきましたね。まさかの大番狂わせにお客さんが投げまくった座布団が宙を舞うシーンはいまだに語り草ですね。
    ――あの試合以降、プロレス興行の座布団貸し出しは禁止になって(笑)。
    フミ いまになってみれば、長州さんの考えはよくわかるんですよ。蝶野さんはあの時点では三銃士の中では一番アピール度が弱かったです。武藤さんは天才的なレスラーだったし、橋本さんは日本人好みのケンカファイター。その2人と比べてややセールスポイントに欠ける蝶野さんは結果を出さないといけなかった。身体能力や技の美しさがあった武藤敬司、打撃や感情で見せていた橋本真也に対して、蝶野さんは緻密なレスリングを見せてG1を優勝したことで、観客の見る目は変わっていきましたね。
    ――“死んだふり”と呼ばれたノラリクラリの試合戦術も脚光を浴びて。
    フミ 武藤さんはともかく橋本さんに“死んだふり”はできないです。蝶野さんは頭脳的なレスリングができるから“死んだふり”がよく似合うし、ひとつの物語のような試合がうまかった。たとえば試合の中盤戦から、いろんな小技で相手の足を攻める。それは最後にSTFを決めるための布石。そういったストーリーテリングな試合ができるから、アメリカ人レスラーはみんな蝶野さんのことを褒めるんですね。一方で橋本さんのことは「ただ暴れてるだけ」と認めない選手が多くて。武藤さんは身体能力が凄くて別格なんですけど、なぜ橋本さんが日本で人気があるのかわからない、と。
    ――ああ、たしかに理解できないかもしれないですね。
    フミ お世辞にもカッコイイ体つきではないですし、橋本さんの人気の理由がなかなか理解できない。アメリカ人レスラーのあいだでは「ファット・エルビス」って呼ばれてた。
    ――太ったエルビス!(笑)。この続きと、永源遥、NOAH新体制の謎、那須川天心、グレイシー柔術、ディファ有明閉鎖、アジャ・コングなどの記事がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1164999 
  • SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い■「斎藤文彦INTERVIEWS⑧」

    2016-11-01 10:44  
    108pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回は「1990年の2つのドーム大会とSWS、『オリガミ』の集い」を語ります!斎藤文彦・最新著作『プロレス入門』神がみと伝説の男たちのヒストリーhttps://www.amazon.co.jp/dp/4828419071/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_.ROZxbW0XSD1C〘神がみと伝説の男たちのヒストリー〙
    鉄人テーズ、神様ゴッチ、人間風車ロビンソン、魔王デストロイヤー、
    呪術師ブッチャー、ファンク兄弟、ハンセン、ホーガン・・・・・・
    日米プロレスの起源から現代まで
    150年以上にわたり幾多のレスラーが紡いだ叙事詩を
    レジェンドたちの生の声とともに克明に綴る
    「プロレス史」決定版
    キャリア35年のプロレスライター・フミ・サイトーが、
    幾多の取材、膨大な資料、レスラーへの貴重なインタビューをもとに記した
    「プロレス入門―歴史編」『昭和プロレス正史 上巻』http://u0u0.net/ygEd

    活字プロレス誕生から60余年――
    いま初めて綴られる、プロレスのほんとうの歴史。
    日本のプロレス史は力道山、馬場、猪木という3人の偉大なスーパースターによってつくられた。そして彼らの歴史的な試合や事件の多くは主に田鶴浜弘、鈴木庄一、櫻井康雄という3人のプロレス・マスコミのパイオニアによって綴られてきたが、ひとつの史実でも語り部によってそのディテールが異なっている。たとえば力道山のプロレス入りのきっかけとなったとされるハロルド坂田との出会いや、力道山から馬場、そして現在の三冠王座へと継承されたインター王座の出自についても、それぞれストーリーが違ってくる。本書は過去60余年に活字化された複数のナラティブを並べ、ベテランのプロレスライターでありスポーツ社会学者でもある著者がこれを丁寧に検証し、昭和プロレス史の真相に迫った大作である。
    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776――前回の続きをお聞きいたします。天龍さんが全日本プロレスを離脱して、SWSに移籍するのは1990年4月のことですが、その時期は日本のプロレス界を揺るがす事件が相次ぎました。
    フミ その4月の13日の金曜日には、日米レスリングサミットが東京ドームで開催されましたね。
    ――WWE(当時WWF)、全日本プロレス、新日本の合同興行というあり得ない組み合わせで。
    フミ WWEが日本進出する際、ビンス・マクマホンは任侠の世界じゃないですけど、日本の団体に仁義を切ったわけです。その相手はジャイアント馬場さんでした。
    ――新日本ではなく全日本。
    フミ WWEは80年代には新日本と業務提携を結んでいましたが、レッスルマニアをスタートさせた翌年の86年を境に、ハルク・ホーガンたちの来日にストップをかけるんです。
    ――WWEは全米侵攻に力を入れたということですね。日本に主力レスラーを送り込んでる場合ではない。と。
    フミ 当時のWWEは全米だけではなくヨーロッパや南半球でのツアーも始めてましたから、日本よりもWWEのスケジュールが優先されたわけです。こうして新日本のリングからWWEスーパースターズがすっと消えて、業務提携も空中分解。新日本のリングでタイトルマッチが行なわれていたWWFインターナショナル・ヘビー級王座やWWFインターナショナル・タッグ王座のベルトも消えていきました。
    ――それから4年後、全米をほぼ手中に収めたWWEが日本に再接近する、と。
    フミ 90年1月になんの前触れもなくビンスが来日するんです。ビンスは全日本のジャイアント馬場さんと会談を持つんですが、WWEとしては単独で公演するよりも日本の既存団体との友好関係を模索したんです。
    ――WWEと馬場さんは当時どういう関係だったんですか?
    フミ 全日本とWWEはまんざら無関係だったわけではないんです。全日本の旗揚げ2年目にはMSGシリーズという名称のシリーズ興行をやっていて、ペドロ・モラレスやゴリラ・モンスーンが参加しています。それは新日本が同名のMSGシリーズをやるより前のことです。その後、新日本とWWEの急接近が明るみになると、馬場さんは単身ニューヨークで渡ってマクマホン・シニアと会談してますね。
    ――付き合いは馬場さんのほうが古いんですね。
    フミ さかのぼれば1964年に馬場さんはMSGでWWWF王者だったブルーノ・サンマルチノに挑戦しています。当時のマスコミはあきらかにしていませんが、その現場には婚約者だった馬場元子さんも帯同していたんですね。馬場さんと元子さんはWWEのバックステージで、蝶ネクタイをつけた若きの日のビンス・マクマホン・ジュニアがトコトコ歩いた姿を見たそうなんです。
    ――そのビンスがアメリカで天下を取り、馬場さんに会いに来たんですね。
    フミ 21世紀はWWEのグローバリゼーションの時代ですが、あの時点ではWWEも日本の団体に門戸を開けてもらわないと日本市場進出はむずかしいと考えた。
    ――日本の団体に受け皿になってもらいたかったという。
    フミ そこで馬場さんがWWEに提示した案は、全日本は協力するけど、新日本にも協力してもらいますよと。
    ――両団体がWWEの日本公演に協力する。なかなか斬新なアイデアですね。
    フミ これは凄く政治的なアイデアなんです。全日本がWWEへの協力を断わったら、WWEは新日本と再び手を結ぶか、もしくはまったく別の方法で日本公演をやったかもしれない。
    ――ああ、なるほど。そしてここで新日本を巻き込んでおけば、新日本とWWEの再提携もやりづらくなりますし。馬場さん、さすが策士ですねぇ。
    フミ あの当時は「どうして合同興行なんだろう?」というクエスチョンがみんなの頭の中にあったと思うんですけど。この形を取ればWWEと新日本のどちらにもノルマが生じる。
    ――馬場さんに誤算があったとすれば、WWEと手を結べるような巨大な団体が日本に生まれてしまったことくらいですね。
    フミ WWEは2年後にSWSと手を結びますから、日本に進出できるなら受け皿はどこでもいいという考えがあったということもたしかですね。
    ――でも、あの当時そんな“第3団体”ができるなんて露ほどにも思わないですもんね。
    フミ それに馬場さんはWWEにお願いされて手を結んだんです。WWEにお金は積んでいない。SWSの場合はWWEと業務提携するときに、団体を経営していた人がプロレスのビジネスとその慣習について素人だから言われるがままに大金を支払ってしまった。そこには大きな違いがありますね。
    ――その日米レスリングサミットの前に、新日本プロレスが2月10日に東京ドーム大会が行ないましたが、そこでも新日本と全日本は手を組んでいましたね。
    フミ NWA世界王者リック・フレアーが初めて新日本に参戦するはずだったのに、来日中止になって新日本の目玉カード(vsグレートムタ)がなくなりました。困った坂口さんが馬場さんに頼み込んで全日本の主力勢のゲスト出場が実現したんです。これは余談になってしまいますが、あの当時のプロレスマスコミはまだまだ勉強不足なところがあって、WCWとNWAの違いがよくわかってなかったんです。
    ――プロレスマスコミでも把握できていなかったんですか?
    フミ はい。団体名はWCWに変わってましたが、チャンピオンシップの名称だけはNWA世界ヘビー級王者となっていたことで、あの時点でもうNWAという組織は存在してなかったことがわからなかったんですね。80年代後半に日本のマスコミがNWAとして認識していたのは、ジム・クロケット・ジュニアがノースカロライナ州を中心に運営していたNWAクロケットプロ。その時点で全米各地のNWA加盟団体は、ことごとく倒産してるんですけどね。
    ――残ったNWA系団体がNWAクロケットだけだった、ということですね。
    フミ そういうことです。なのでNWAクロケットプロだって、NWAという組織そのものというわけではないんです。そのクロケットプロが1988年に“テレビ王”テッド・ターナーのTBSに身売りをしました。
    ――そして新しく仕切り直された団体がWCW。
    フミ TBSで放送されていたクロケットプロのプロレス番組が「ワールド・チャンピオンシップ・レスリング」。WCWという新団体名はテレビ番組名からそのままつけられたんですけど、チャンピオンはNWA世界王者のままだったから、日本でもその事情を把握してる人は多くなかったんです。
    ――それは面白いですねぇ。
    フミ 日本側からすれば、オーナーが変わっていても、中身はNWAクロケットプロのままなんだろうと思い込んでいた。WCWは興行団体じゃなくてTBSのプロレス事業部だったんですが、それまでのノウハウがあるから興行は続けていたことも実態が把握できなかった理由のひとつですね。
    ――日本からは「NWAはまだ生きている」と見えたわけですね。じつは違う団体になっているのに。
    フミ そのへんの事情について本当に詳しい人間は日本にあまりいなかったんです。というのも、『週刊プロレス』や『週刊ゴング』は毎週140ページある中で、アメプロの記事は4ページ程度しか割けないですから。
    ――それにあくまで試合レポートが中心ですね。
    フミ その頃はアメリカンプロレスの政治事情を記事にしても、読者の反響はたいして大きくないですから、編集長だった山本さんにしても「やるな」とは言わないけど「やれ」とも言わなかったんですね。
    ――まさに“海の向こう”の出来事だったんですねぇ。
    フミ リック・フレアーの衣裳の一部としてNWAのベルトが残っていたことも誤解される要因のひとつですよね。『東スポ』なんかにしても、「WCWヘビー級王座」という表記にしたのはずいぶんあとですから。
    ――91年の新日本東京ドーム大会のリック・フレアーvs藤波辰爾のNWA世界戦の裁定トラブルを境に、WCWとNWAのベルトは分離していきますね。
    フミ 92年の第2回G-1クライマックスでは、空位とされているNWA世界ヘビー級王座を懸けたトーナメントが開催されて、蝶野正洋がリック・ルードを破ってフレアーベルトを腰に巻くんですけども。あそこでも日本のファンは「これは本物のNWAのベルトなの……?」と不審がったと思うんです。
    ――あのへんから日本でもNWAの扱いが雑になってきましたね(笑)。
    フミ 話を戻すと、90年春には新日本と全日本が手を組んで、2つの東京ドーム大会を成功させました。それまでいがみ合っていた両団体の過去の歴史からは考えられない取り組みですけど、猪木さんのいない新日本、つまり坂口征二体制の新日本なら馬場さんは話ができるということなんです。新日本のバンバン・ビガロが全日本に出たり、全日本のスタン・ハンセンが新日本に出て、円満トレードというかたちでスティーブ・ウィリアムスが全日本に移籍しました。
    ――当時は信じられない出来事でしたね。
    フミ アントニオ猪木さんがいなくなったことで情勢は凄く変わったんです。翌年、猪木さんの鶴の一声により、馬場・全日本との関係を再びシャットアウトされるんですけどね。
    ――2月のドームでは新日本vs全日本の対抗戦が行われましたが、4月の日米レスリングサミットでは新日本は提供試合としての参加でしたね。WWEと全日本に関わらなかった。
    フミ 新日本同士の試合でしたね。橋本真也&マサ斎藤vs長州力&蝶野正洋のタッグマッチ、ライガーvs野上彰のシングルマッチ。
    ――ちょっと拍子抜けした記憶があります(笑)。
    フミ 当時の新日本の内部体制は、坂口さんが社長となり、アメリカの永住権を持っていたマサ斎藤さんが帰国して渉外担当についた。坂口さん、マサさんの明大コンビに現場監督は長州力という体制になったんですけど。日米レスリングサミットには協力はするけれど、あくまで提供試合という決断を下したのはマサ斎藤さんだと思います。1回しか関わらないのに、交わる必要がないと。
    ――点を線につなげていくのがプロレスですから、線にならないなら賢明な判断ですよね。
    フミ あの大会で実現した天龍源一郎とランディ・サベージのシングルマッチは、いまなお語り継がれる試合になりましたけど、名勝負となったのは偶然に近い。たとえば馬場さんとアンドレが初めてコンビを組んで、アメリカではバカ強かったデモリッションに簡単に勝ってしまった。
    ――デモリッションから強さを感じなかったのはガッカリしましたねぇ……。
    フミ デモリッションはWWEでは最強タッグなのに、馬場さんとアンドレの大巨人タッグを前にしたらああいう結果になってしまう。他団体と交わると、そういうことが起こり得るんです。だから新日本は提供試合という判断をしたんだと思いますね。
    ――たしかに、あの当時売り出し中だった蝶野正洋や橋本真也がWWEスーパースター相手に存在感を示せるかというと……。
    フミ WWE側からすれば「顔じゃない」という話になるかもしれない。こうして新日本はWWEと絡むことを避けましたが、馬場さんはいずれホーガンを全日本のリングに上げる含みもあったはずなんです。
    ――メインイベントは当初ホーガンvsテリー・ゴーディの予定でしたね。
    フミ はい。そのカードが発表されていましたね。
    ――でも、直前でホーガンvsハンセンに変更されて。
    フミ それはゴーディが「NO!」だったんです。この続きと、NOAH新体制、アジャ・コング、谷津嘉章、シュレック関根、藪下めぐみ、斎藤文彦の記事が読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラです!