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記事 31件
  • 【12万字・詰め合わせセット】折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収…

    2017-09-30 23:59  
    550pt
    非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part44は大好評インタビュー12本、コラム10本、12万字オーバーで540円!!(税込み) 
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    part44
    ◎濃厚18000字!! トンパチ折原昌夫が明かす全日本プロレス、SWSの信じられない話!!
    ◎あのサイバーエージェントがDDTを買収!! 事情通Zの「プロレス 点と線」◎谷津嘉章インタビュー③「田中八郎が俺に言ったんだよ。SWSを潰してくださいってね」◎暴走親方、諏・訪・魔!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
    ◎職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■斎藤文彦INTERVIEWS
    ◎元祖・女子総合格闘家 高橋洋子がジョシカク黎明期を語る「いまは普通に試合があるから幸せですよね」◎浜崎朱加×ジェシカ・アンドラージ「格闘技を続けない理由なんか、どこにもない!」◎那須川天心vs武尊完全消滅は誰のせい?■橋本宗洋
    ◎マクレガーvsメイウェザーを語る! 金原弘光/大沢ケンジ◎【スーパー銭湯戦国時代】DJ.taiki、炭酸泉を大いに語る♨
    ◎川尻達也バンタム級GP出撃インタビュー「終わりは突然やってくる……だから後悔したくない」オマスキファイトのMMA Unleashed
    ・充実のWWE選手発掘育成システム:スカウトはこうして逸材を見抜く!
    ・MMAファンは、世界で最も熱狂的で、失礼でネガティブな存在だ:絶対王者デミトリアス・ジョンソンのリアリズム
    ・ダニエル・コーミエ「何が悲しいって、ジョーンズには本当に薬物などやる必要があったとは思えないということなんだ」
    ・UFCにはなぜ、ゲイの男子ファイターがいないのか(仮説)
    ◎PRIDEを救ったドン・フライ戦――今度は我々が高山善廣選手を救う番だ、他コラム多数

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    レスリングオリンピック代表からプロレスに転向、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWS、SPWF、PRIDE出場……流浪のプロレス人生を送ってきた谷津嘉章がすべてを語るインタビュー連載の第3回! 今回はSWS崩壊の裏側を振り返ります!<谷津嘉章インタビューシリーズ>デビュー編「ガチだったら楽だけど、そうじゃないから」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar111922780年代編「昭和・新日本のプロレスは早漏なんですよ」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1140634――今回はSWS解散についてお伺いします。一般的にはSWSの崩壊の引き金を引いたのは谷津さんということになってますよね。
    谷津 これはねぇ、いままでに何人もの方に聞かれてるんだけど、真実は一つだから同じことしか言えない。田中八郎と俺の密室の会談だからね、解散の流れができたのは。だから信じる、信じないの話になっちゃう。
    ――田中社長と谷津さんしか知り得ない話なんですね。
    谷津 SWSには道場激、パライストラ、レボリューションの3つの部屋があったでしょ。この部屋別制度というアイデア自体はよかったんですよね。でも、結局は内部分裂の要因になっちゃったんですよね。なぜかといったら新日本のイデオロギー、全日本のイデオロギーがひとつの団体にあるわけですから、まとまるわけがないんですよ。
    ――道場激、パライストラが新日本、レボリューションが全日本という。
    谷津 道場激はハイブリッドですよね、どっちつかず。その部屋別制度がリング以外のバトルに繋がっていったんですよ。アングル的にはいいんだけど、マッチメイクの問題が出てくる。だってプロレスはガチじゃないから。誰が取ってね、誰が取られるのかを決めなきゃならない。
    ――部屋制度が派閥化したことで、マッチメイクをこじれにこじれちゃったという。
    谷津 俺は部屋制度という既存のシステムができあがったあとにSWSに入ったんですよ。最初から入っていれば、こんなことになってないかもしれないんだけど。
    ――まさか部屋制度が崩壊のきっかけになるとは思わなかったでしょうね。
    谷津 それでね、田中八郎というオーナーはプロレスに関しては素人だったんですよ。
    ――じつはプロレスの仕組みがわかってなかったそうですね。
    谷津 そう。プロレスがやってることがすべてガチだと思ってたんですよ。それを若松さん、桜田さんは「先になんで言わなかったの?」って思うんですよ。
    ――間近で見ていて気づかないもんなんですね。
    谷津 最初から「プロレスはこういうものですよ」って説明しておけば「な〜んだ!」みたいなことにはなんなかった。金持ちがファンの延長でやったようなもんですよね。あの頃はバブルだったから、株で相当なあぶく銭ができてね。100億円近く儲けたって聞いたかな。税金を払うんだったらってことでプロレスに使ってしまえと。税金対策としてはよかったんですよ。それに息子もプロレスファンだったから。
    ――息子さんのためにSWSを作ったという話もありますね。
    谷津 これはあとで聞いたんだけど、あの頃はF-1が流行ってたんですね。Fー1のベネトンにお金を出すという話もあったのかな。
    ――息子さんはF-1が好きだったんですよね。プロレスにF-1、どっちも息子さんの趣味だった(笑)。
    谷津 金が湯水のようにあるんだから。銀行にキャピタルゲインのお金は置けないじゃないですか。 
    ――ああ、だから常にバッグに札束を持ってたんですか。
    谷津 そういうことなんです。10万なんてポンポン出てくるもんね。
    ――札束を誰彼かまわず配るのって経理的に危ないですよね、よく考えたら。
    谷津 話を戻すと、俺はアントニオ猪木にスカウトされて新日本に入ったでしょ。その次は長州力と同じアマレス出身だからってことで維新軍に入るというアングルになった。そのあとはジャパンプロレスで全日本に行った。俺はオールマイティなんですよ。新日本も全日本もどっちも行ってる。
    ――新日本にも全日本にも通じている。
    谷津 年齢からしても選手会長をやらされるんじゃないかって思っていたら案の定で。SWSのときは新日本と全日本の選手は話もしなくてね。仲介役は俺なんですよ。「ジョージ、そんなことを言うなよ。もうちょっと仲良くやろう」「天龍さん、ジョージのことを中に入れてあげてよ」って。そんなことばっかやってるの、俺。
    ――そんな谷津さんが突然SWS退団、引退を表明したことでSWSの派閥争いが表面化。崩壊の道を突っ走ることになりますよね。
    谷津 なんで俺がそんな行動に出たのか。田中八郎が「なんでプロレスにこんなにお金を払わないといけないんですか!?」ってなっちゃったんですよ。
    ――それはプロレスの仕組みを知ったこともあるんですか?
    谷津 これは言いますよ。荒川真が言っちゃったんですよ!
    ――あ、やっぱり荒川さんが!!(笑)。 

     
  • 【近日更新予定】和術慧舟會創始・西良典インタビュー/折原昌夫、衝撃の後編

    2017-09-29 12:17  
    「さまよえる格闘家」の時代を知る男、和術慧舟會創始の西良典が登場! 総合格闘技が影も形もなかった時代を語り尽くします! 大反響だった折原昌夫の後編もいろいろと衝撃! しばしお待ちくださ〜い!【8月の好評記事ランキング】
    1位 「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー<シューティング黎明編>
    2位 運命のバリジャパ、安生道場破り、幻の長州戦真相――中村頼永インタビュー<ヒクソン来襲編>
    3位 怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■斎藤文彦INTERVIEWS 4位 「頑張った先にRIZINがあるとは、いまのところ思えない」…RIZINのモヤモヤは何なのか?■大沢ケンジ

    5位 「UFC日本大会に選手を貸してもいいくらいです!」/笹原圭一の「理想と現実の間のRIZINトーク」6位 【衝撃の破壊王伝説】至近距離から見た橋本真也――橋本かずみ☓田山
  • 【濃厚18000字】トンパチ折原昌夫が明かす全日本プロレス、SWSの信じられない話!!

    2017-09-26 09:12  
    110pt
    トンパチ折原昌夫が語る全日本プロレス、SWSの信じられない話!! 付き人して全盛期の天龍源一郎の側にいたからこそ明かせる驚愕のエピソードを18000字のインタビューで語ってくれた。SWSってやっぱり凄い!――折原さんといえば「トンパチ」というイメージが凄く強いんですね。
    折原 前田(日明)さんからも「おまえトンパチなんだって?」って聞かれましたね(笑)。でも、実際にボクに会ってみると「イメージが違う」ってよく言われるんですよ。ボクはいま週1で新宿2丁目のほうでゲイバーをやってて。
    ――そうみたいですね。
    折原 ボクはゲイじゃないんですけどね。その店にはプロレスファンも来るんですけど、リング上と違ってあまりにも普通だからそのギャップに驚かれるんですよね。ボクの見た目はどうですか?
    ――まあ、怖いですね(笑)。折原さんは波乱万丈のレスラー人生ですから、尋常じゃないイメージが強いんでしょうね。
    折原 たしかに波乱万丈ですよ、いまもそうですけど(笑)。でも、当時は波乱万丈だなんてわからないですよね。皆さんの人生だって1年の終わりに「ああ、今年も大変だったな……」って振り返りますけど、そのときって意外と大変さがわからないもんですよね。ボクもそういう時代が長かったから、気がついたら「大変だった」という。
    ――いつプロレス界から消えていてもおかしくなかったわけですよね。
    折原 実際にいなくなったことも何回もありましたし。自分のギリギリのラインを超えちゃったところが何回もあったので。たとえば誰かの付き人についていると、その人の生活の中で自分も生きなきゃいけないので。「誰か」というのは、ボクの場合は天龍さんなんですけどね。
    ――天龍さんの生活と一体化するわけですね。
    折原 天龍さんは相当な日常なんですよ。その生活の中で生きていくのが付き人。それ以外に自分のこともしなきゃいけない。だからかなり負担があったんです。いまは付き人制度ってほぼないと思うんですけど、新日本も全日本も。
    ――荷物持ち程度ですよね。
    折原 全日本プロレスの道場って世田谷にあったんですけど。そこからタクシーでワンメーターで東京農業大学があって、その近くに天龍さんのマンションがあったんです。ボクは朝4時頃に起きて、そのマンションに行って、玄関や車の掃除をするんですよ。奥さんに「お腹空いているなら何か食べていく?」って聞かれて。
    ――私生活からサポートするわけですね。
    折原 昔の付き人ってこういうもんですよ。小橋(建太)さんだってシリーズが終わっても、馬場さんのマンションに行って背中を流したりとかやったり。いまの付き人は何をやるかと言えば、カバンを持ったり、電話の受け答えぐらいで。
    ――折原さんの場合、天龍さんの付き人以外の仕事も多かったんですよね。
    折原 当時の全日本の合宿所の寮長が小川(良成)さんで、住んでいたのが北原(光騎)さん、小橋さん、菊地(毅)さん。先輩たちからすれば、ボクが付き人の仕事をやっていようが関係ないんです。「折原!」って呼ばれたときにその場にいないと、も〜う大変なんです。「天龍さんの仕事をしてました」って説明するんですけど、そんなことは関係ない。
    ――理不尽ですよね(笑)。
    折原 だって全日本の雑用をこなすのは、ボクひとりしかいなかったんですから。
    ――折原さんのことは雑用係として雇ったところもあったそうですね。
    折原 ボクはテストにはちゃんと合格してるんですけど、渕(正信)さんが「ウチでデビューはさせないよ。命にかかわる問題だから」って。当時のボクは60キロあるか、ないかくらいだったんで。
    ――プロレスラーとしては線が細かったんですね。
    折原 メシ炊き、会社の従業員でいいならしばらく面倒を見るよという感じで。天龍さんの付き人をやりながら地方を回ってるときに誰か外国人がケガしたんですね。そうしたら馬場さんが「バトルロイヤルがひとり足りないから、おまえが出ろ」と。
    ――急なデビューだったんですね。
    折原 タイツやシューズを持ってなかったんで、リチャード・スリンガーから借りて。そのバトルロイヤルは公式結果として残ってないんですね。デビュー戦として記録されたのは平成2年2月22日、静岡県浜松市体育館の菊地毅戦です。それまでに2回くらいバトルロイヤルに出ていたんですけど。
    ――折原さんって全日本に入門する前に、新日本に道場破りをしたという噂もあるじゃないですか。
    折原 そういう話が雑誌にも書かれてますよね。実際に新日本の道場には行ってるんですけど、ちょっと大げさになってる部分もあって(苦笑)。
    ――高校生のときに新日本の道場で「どこからでもかかってきなさい」と四つん這いになったグラン浜田さんの頭に、トップロープからニードロップ叩き込んだという。
    折原 大げさですね(笑)。
    ――あ、盛られてますか(笑)。
    折原 あれは高校生を卒業して三洋電機でサラリーマンをしながらレスリングをやってるときですね。相手はグラン浜田さんなのか、新人さんなのかおぼえてないですけど、「何かできる?」って聞かれたんですよ。それでミサイルキックをやった記憶はありますけど、それも不意打ちというわけではなくて。相手の身体が小さかったから、それイコール浜田さんという話になったんですかね。
    ――「道場に行った」以外は違う話になってますね(笑)。
    折原 そのあと新生UWFのテストも受けてるんですよ。田村(潔司)くんが受かった第1回のテスト。成績はボクが一番だったんですけど、なぜか落とされて。「どうしてですか?」って聞いたら「一番はこれ以上の成績は見込めないから2番を取った」と。
    ――その2番が田村さん。
    折原 何か大人の事情があったのか、よくわからない理由だったからイヤになっちゃったところもあったんですけど。ボクが働いていた三洋電機に島田宏さんという方がいて。
    ――90年代インディのキーパーソンのひとりですね。
    折原 「そんなにプロレスをやりたいなら」ってことでTPG(たけしプロレス軍団)の記事を見せられて。どこかのプロレスショップの地下に……。
    ――ウォーリー山口さんが五反田でやってた『マニアックス』ですね。
    折原 そう、そこに行ったんですよ。そうしたら邪道と外道がいて。ボクはアマレスの強化選手だったんで、テストは問題なくできたんですよ。それで「明日から来てくれないか」って言われたんですけど、「ここはマジメに選手を育成してるみたいだけど、ちょっと見に来ただけで、こんなところに入るつもりはない」って偉そうに断って。UWFのテストに落ちた腹いせですよね(笑)。
    ――凄いケンカの売り方(笑)。
    折原 向こうは「今度会ったらおぼえてろ!!」とか怒ってたんだけど。今度会うときはWARのときで、冬木(弘道)さんが彼らを連れてきたんですよ。今度は俺が先輩で立場が逆転してて(笑)。
    ――ハハハハハハ! 全日本前にいろいろとあったんですね。
    折原 全日本のテストもちゃんとこなしたんですけど、「あとで連絡する」って言われたまま1ヵ月経って。身体が小さいから最初から取る気はなかったんでしょうね。島田さんから「連絡が来ないんだったら行ってみれば」って言われて、チケットを買って後楽園ホールを見に行ったんですよ。そうしたらグッズ売り場で馬場さんが葉巻を吸っていて、その脇には小橋さんがついていて。
    ――全日本の古き良き光景ですねぇ。
    折原 馬場さんに直接「いつになったら入れてくれるんですか?」って聞いたです。馬場さんは葉巻を吸いながら「小橋、こいつは誰だ?」って。馬場さんは知るわけないですよね。小橋さんは「ああ、こないだ渕さんに身体が小さいから帰された……」。そうしたら馬場さんは「小橋、上着を脱げ」と言い出して、小橋さんのジャージをボクに渡して「これを着て今日からだ」って。
    ――それで入門決まりですか(笑)。
    折原 馬場さんはずっと笑ってましたね。小橋さんは「よかったな!」って喜んでくれて。そのまま合宿所についていったら、ほかの先輩方から「誰だ、おまえ?」って話になって、とくに小川さんは「コノヤロウ〜」という凄い顔をしてて。そこから敵ですね(苦笑)。
    ――小川さんのかわいがりは相当凄かったみたいですね(笑)。
    折原 基本的にボクのことをデビューさせるつもりはなかったですから毎日が地獄の練習で。スクワット1000回から始まって最終的には5000回やることになりましたから。
    ――5000回!
    折原 でも、5000回ってすぐなんですよね。
    ――ええと、すぐじゃないと思います(笑)。
    折原 1000回は100回の10回じゃないですか。100回はすぐだから、それを10回で1000回、それが5回で5000回。
    ――いや、5000回は5000回です(笑)。
    折原 先のことを考えちゃダメですよね。ウチの高校のレスリング部は日体大や自衛隊と練習してて、それもかなりつらかったんですけど。そういうときは奥歯で内側の肉をおもいきり噛むんです。
    ――えっ……。
    折原 噛むと痛いでしょ。「もう無理だ……」ってときは、そうやって痛みを感じることで「まだできる」って奮い立たせてましたね。
    ――意識はまだあるという確認作業。一般人は使う機会はなさそうですけど(笑)。天龍さんの付き人はどういう経緯だったんですか?
    折原 合同練習が終わったあと、13時頃から天龍さんや三沢さんとか、上の人たちが練習に来るんですよ。ボクはキッチンでちゃんこを作ってるんですけど、練習場に行くときは必ずキッチンの横を通るんです。通りかかった天龍さんいわく、ボクがいつも泣いていたみたいで。
    ――どういうことですか?
    折原 うーん、よくおぼえてないんですけど(笑)、何か悔しくて泣いてたんじゃないですかね。そんな状態だから天龍さんはすぐにやめるんだろうと思ってみたいで。こっちは天龍さんのことをクルクルパーマのクソジジイにしか思ってなくて、興味なかったですけどね。あくまでタイガーマスクになりたかっただけなんで。
    ――折原さんはタイガーマスク以外はよく知らなかったそうですね。
    折原 馬場さんは「ジャイアント馬場」という名前だと思ってましたから。「馬場さんの本名を知ってるか?」って聞かれて「はい、ジャイアント馬場です!」って答えて怒られて。
    ――さすがに怒られますよ(笑)。
    折原 で、あるとき天龍さんから「おまえ、明日もいるのか」って聞かれて「はい」と答えたら「じゃあ明日から俺の付き人になれ」って言われたんです。でも、最初は断りました。
    ――えっ、なんてことを!(笑)。
    折原 だって寮の仕事もあるから困るじゃないですか。天龍さんは「おまえ、断ったな?いいから付き人になれ」と。当時は携帯電話がないので道場のピンク電話から会社の馬場さんに連絡をして「決まったから」って。ホントにイヤだったんですけど……。
    ――それまで天龍さんに付き人はいなかったんですよね。
    折原 いなかったですね。一応小川さんがカバンを持っていたりしてましたけど。なんで付き人にしたかというと、ボクがデビューして数年経ったあとに当時の『週刊ゴング』編集長が天龍さんに「どうして折原だったんですか?」って聞いたんです。天龍さんは会社から「折原はデビューさせない」って話を聞いていたらしくて。デビューできないのに死ぬほど練習してる。でも、このままだとクビになるかもしれない。
    ――救いの手を差し伸べたという。
    折原 付き人にすればクビにはできないですからね。でも、寮の仕事もあるから凄く大変でしたよ。先輩方は20人近くいますから、休む暇もなかったです。ちゃんこのあとは、みんな花札とかやってるんですよ。ボクはずっと立っていて「お茶!」「コンビニ行って来い」とか用事をこなすんですよね。面倒くさいのは「餃子が食べたくなった」と。
    ――花札やりながら餃子ってご機嫌ですねぇ(笑)。
    折原 作るより『餃子の王将』で買ってきたほうが早いですから。それでも30分くらいかかって面倒くさいので、タクシーを使ったら「今日は早くないか?」って聞かれて。「タクシー使いました」って本当のことを言ったら「バカヤロウ!!」って怒鳴られて。
    ――下っ端の楽は許さない(笑)。
    折原 あと練習はしないけど、ちゃんこを食べに来る選手もいるんですよね。だから何十人分のちゃんこも作らなきゃいけなくて。
    ――ちゃんこだけ食べに来る!(笑)。
    折原 時には昼飯が終わったあとに「ちゃんこ余ってる?」って聞いてくる先輩もいて。そうしたら温め直して出すんです。先輩の命令は絶対ですから。
    ――口答えは許さないという。
    折原 全日本のちゃんこ銭は月50万円出ていたんですよ。でも、それは基本的に寮に住んでる若手5人分。会社はちゃんこだけを食べに来てることを知らないんですよ。だからいつも80万円くらいかかるんですけど、足りなくなると六本木の事務所に取りに行くんです。経理の方に「なんで足りなくなるの?」って言われて、正直に「いろんな人が食べに来るんです」って(笑)。領収書をノートに貼り付けて提出するんですけどね。
    ――凄く大変ですけど、デビュー前の新人には給料は出るんですか?
    折原 出ないですね。
    ――無給!
    折原 食べるものはありますし、着るものは先輩からもらったり。だいたい外に遊びに行く時間なんてないですから。給料はデビューしたシリーズが終わったときに初めてもらいました。けっこう試合数があったんで、それなりにもらえるんじゃないかなって。 
    ――1試合いくらって聞かされてなかったんですか?
    折原 何にも聞いてなかったですよ。試合をさせてもらえるだけでありがたいっていうか、聞ける状況じゃないですし。給料日に六本木の会社に取りに行ったら、選手が並んでるんですよ。経理からお金をもらったら馬場さんのところに行って何か言われる。ボクが一番最後でしたね。
    ――いくらだったんですか?
    折原 「いくらかな」って想像したんですけど、天龍さんの着てる服は高いですし、金無垢のロレックスを腕にはめて、ベンツに乗っていて。ぶつけたら、すぐに新しいベンツに替えますから。
    ――かなり稼いでいるわけですね。
    折原 天龍さんほどじゃないけど、「そこそこもらえるんじゃないかな……」と思ってたんですよ。いくらだと思います?
    ――何試合やったんですか?
    折原 ほぼ1ヵ月やってますから20試合以上はやってますよ。
    ――うーん、10万円くらいですかね?
    折原 ボクも15〜20万円はいくかなって思ってたんですけど……5万円でした。
    ――5万円! 20試合以上やって!!
    折原 5000円引かれて手取り45000円です(笑)。
    ――ひえ〜(笑)。
    折原 待ちきれないのでエレベーターの中で封筒の中身を確認するじゃないですか。あまりにも額が少ないので、またエレベーターで事務所に戻りましたから。経理に「これ、中身を間違えたんじゃないですか」って(笑)。
    ――ハハハハハハハ! 
    折原 「すいません! これ、ボクの給料とは違いますよね?」って聞きましたもん。「折原くんのよ。多かったの?」「いや、少ないんです」「えっ、ちゃんと45000円入ってるでしょ」って。ああ、そういうもんなんだって。
    ――渋々納得したんですね。
    折原 その夜に天龍さんから電話があって。「おまえ初めての給料だろ。いくらもらった?」「45000円です」「なんだと?いまからおまえのおごりでメシに行くぞ!」って(笑)。
    ――天龍さんからしても、その額はもらいすぎなんですかね(笑)。
    折原 そうなんでしょうね。天龍さんはお相撲さんからプロレスに来てますけど、新人の頃は給料ゼロ円の生活をしてたみたいなんで。天龍さんは「そんなにか!」で、ボクは「これだけか!」っていう(笑)。
    ――その晩は折原さんのおごりなんですか?
    折原 飲んで潰れたので途中までしか記憶がないです(笑)。天龍さんと飲みに行くと、必ず潰れちゃいますから。いまボクはご飯を食べるときはお酒は飲まないのは、そのときのトラウマなんですよ。
    ――強制的に飲み食いさせられたから。
    折原 そうです。けっこうお酒をは飲めるんですけど、飲みたくて飲んだことがなかったので。仕事として飲んでいましたから。
    ――やっぱり天龍さんの飲みはハンパないんですか?
    折原 あるときタニマチの打ち上げに出たんですけど、20人くらいいたんですね。天龍さんに「おい、ビール100本頼め!」って言われたから、中居さんに頼んだんです。そうしたら天龍さんが「おい、ひとり100本だぞ!」って(笑)。
    ――ファッ!? ひとりビール100本!!
    折原 慌てて頼みに行ったら「そんなにビールは置いてないです」って言われて。
    ――あたりまえですよ(笑)。
    折原 とりあえず置いてあるだけのび~るを持ってこさせたんですけど、タニマチは100本じゃなくても、そんなに飲めるわけないんですよね。結局ボクらが飲むんです。川田さん、冬木さん、小川さんもいますから。
    ――天龍さんからすれば、プロレスラーの凄さを見せつける余興なんでしょうね。
    折原 汚い話ですけど、トイレで吐いて、また飲んで、また吐いて……潰れた姿を天龍さんが「すいません、こんなバカな奴で。次の店に行きましょう。ガハハハハハ!」と笑って(笑)。ボクはいったんホテルに戻って、ゲロまみれの身体をシャワーを洗って、次の店に駆けつけるんですよ。
    ――まだまだ続く!!(笑)。
    折原 すでに天龍さんはできあがっていて、アイスペール飲みが始まるんですよね。アイスペールにウイスキー、日本酒とかガンガン入れて「全部飲むなよ。ほかの奴にも回せ」って言うんですけど、川田さんたちは「……オマエが全部飲めよ!」っていう顔をしてて(笑)。
    ――そういったタニマチ対応は天龍さんが担当なんですよね。
    折原 チケットが売ってくれたタニマチに付き合うのはレボリューションですね。全日本からは誰も来ないですね。だから巡業に行くと、試合よりも試合後の飲みをみんな気にしてましたね。川田さんが「おい、今日はどこに行くと言ってた?」って憂鬱な顔をしてて。
    ――鶴田さんがタニマチ対応したなんて話は聞かないですもんね。
    折原 鶴田さんはそういう打ち上げには一切参加しないです。それに鶴田さんは巡業のあいだはずっとラーメンを食べるような人で。菊池さんが付き人でしたけど、食べるものといえばラーメン。その点、馬場さんはいいものを食べてるから、付き人の小橋さんはいつもいいものを食べていて。
    ――馬場さんの付き人はいいものが食べられて、天龍さんの付き人は酒をガンガン飲まされ、鶴田さんの付き人はラーメン三昧(笑)。
    折原 馬場さんが一番いいんですよ。やることもさほどなかったですから。一番大変だったのは天龍さんだと思います(笑)。
    ――巡業中は毎晩飲み歩いてるわけですもんね。
    折原 だからホテルで寝た覚えがないんですよ。気がつくとエレベーターの中で上がったり下がったりしてて。
    ――部屋までたどり着けない(笑)。
    折原 「おい、折原。みんなバスで待ってるぞ」と起こされて。レボリューションは正規軍とは別のバスなんですけど、ボクと天龍さん以外は全員揃ってて。天龍さんはボクが起こすまで部屋で寝てますから。
    ――正規軍とは別のバスですけど、正規軍の仕事もこなしてたんですよね。
    折原 そうなんですよ。ホテルも別々だから、洗濯のために行ったり来たりして。飲みのあいだにホテルに戻って乾燥させたりしてましたからね。
    ――洗濯が終わったら、天龍さんのところに戻って酔い潰れると(笑)。
    折原 記憶がないから失敗も多いんですね。天龍さん、トイレに入るときに金無垢のロレックスを外してボクに渡すんです。でも、ボクもかなり酔ってるので、天龍さんに返すのを忘れて、そのまま飲み屋で何回かなくしてますね。
    ――何回か!(笑)。
    折原 翌朝、天龍さんが「おい、折原! いま何時だ?」って何も付けてない腕を見るんです。「あれ、天龍さん、時計は……」「バカヤロウ!時計を返してもらってねえぞ!」って(笑)。
    ――豪快な忘れ物ですね(笑)。
    折原 天龍さんの付き人でよかったのは、お小遣いをもらえることですかね。天龍さんって毎朝ダイエットコークを飲むんですけど、小銭を持ってても必ず1万円札を渡すんですよ。天龍さんはお釣りをもらわない主義なんで、お使いのたびにお金がどんどん貯まっていく(笑)。
    ――コーラを買うたびに1万円近くもらえる(笑)。
    折原 “天龍コーラ貯金”ですよね(笑)。給料45000円なんて目じゃないんですよ。菊池さんは鶴田さんからお小遣いをもらったことがないのでビックリしてましたね。ボクが持ってても仕方ないので、そのお金は先輩たちと使っちゃいましたけど。
    ――そこで必ず1万円を渡すのは、さすが男の見栄ですねぇ。
    折原 あと天龍さんって、おごってもらうことが大嫌いなんですよ。タニマチにも貸しを作りたくないから自分で払うんです。ボクが天龍さんのバックを持ってるんですけど、トイレに行くたびに「あとこれだけです」って財布の中身を見せるんです。天龍さんが飲むと、あっという間にお金はなくなっていきますから。そうしたら「おい、まき代(天龍夫人)に電話しろ。今日の飲み代はツケにする」って。朝イチでまき代さんが銀行からお金をおろして、飲み代を払いに行くんです。
    ――はあ〜。それくらい飲むってことはかなり持ち歩いてるわけですけど、それでもお金が足りない。
    折原 いつも200万円くらいは財布に入ってますけど、帰りには1銭も残らないんですよ。
    ――ファッ!?・まだまだこぼれ出す天龍源一郎、漢エピソード!!・この世の話とは思えないSWS金満話が明かされる!・SWS道場に肉泥棒? ズンドコもたっぷり!この続きと、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■斎藤文彦INTERVIEWS

    2017-09-26 08:55  
    72pt
    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは「職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!」です!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付き!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー
    ■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1315138■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1305252■馬場、猪木から中邑真輔まで!「WWEと日本人プロレスラー」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1289887■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1272423■『1984年のUWF』はサイテーの本!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1185954■ドナルド・トランプを“怪物”にしたのはビンス・マクマホンなのかhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1218726――今月のお題はリック・フレアーです。子供の頃ってNWA世界ヘビー級王者の凄さがあまりわからなかったんですが、チャンピオンとして各テリトリーを周り続けることができるタフさ、精神力は尋常じゃないですね。
    フミ リック・フレアーは世界チャンピオンであることを生業としていたレスラーとも言えますね。ボクらの少年時代のプロレス雑誌には「NWA世界王者は人事である」なんて書いてあったんですね。NWA自体はもともとは各地のプロモーターの寄り合いで結成した非営利団体。世界王者はNWAに加盟しているテリトリーを回ることになります。その職務を全うできる人じゃないとNWAの世界王者にはなれないんです。
    ――レスリングの実力以外にも、いろいろと問われるんですね。
    フミ まず観客動員力が求められます。アメリカでは1950年代から70年代はNWAに加盟していた団体が全米に30以上もありましたが、NWA王者が来ることで、千人単位だった観客動員が1万人規模になるんですよ。
    ――それは責任重大ですねぇ。
    フミ そしてフレアーの時代は極端なことをいえば、1年365日サーキットに出っぱなしなんです。いまのWWEのスケジュールもキツイですけど、土・日がハウスショー、月・火がテレビ収録、水・木は家に帰れますから。
    ――フレアーの時代はめったに自宅へ帰れなかったんですね。
    フミ ニック・ボックウィンクルさんが「プロレスラーはスーツケースひとつでどこにでも行ける仕事だ」って言いましたけど、1年中ツアーをしながらホテルと会場のあいだを移動して、食事はすべて外食。ホテル暮らしのライフスタイルをよしとできないと無理ですね。
    ――生活面からこなすのが難しいと。
    フミ あたりまえですがリング上も重要。ハーリー・レイスやリック・フレアーの時代は、いつ何時でも60分フルタイムの試合ができるかどうか。
    ――大変だ(笑)。
    フミ 60分フルタイムの試合が多いから、あの当時のリック・フレアーのプロレスはスローに見えたのかもしれませんが、それは芸風だったんですね。
    ――NWA世界王者の候補はどうやって選出されるんですか?
    フミ ノースカロライナやジョージア、フロリダといった南部のNWA主要地区から選ばれやすかったですね。このベルトを取れば次期候補というものがあって、ミズーリ地区にあったミズーリヘビー級選手権、フロリダのフロリダヘビー級選手権、ジョージアのジョージアヘビー級選手権、ノースカロライナのUSヘビー級選手権とか。大関的位置のベルトが各地区にあったんですね。
    ――その争いをフレアーは勝ち上がっていったんですね。
    フミ 生い立ちからさかのぼると、リック・フレアーのプロフィールはしっかりとドキュメントされてるんです。1949年2月25日テネシー州メンフェス生まれ。幼い頃にミネソタ州ミネアポリスのフレイアー家というお医者さんの家にアダプトに出されていたんです。中学・高校はウィスコンシンのプライベートスクール、私立の寄宿舎で勉学に励んでいて。1966年と1968年には私立の学校だけのレスリング大会で州チャンピオンになってるんですね。ミネソタ大学にはフットボールの奨学金で進んでいます。
    ――スポーツ万能だったんですね。
    フミ 大学は卒業していないんですけど、21〜22歳のときに身体が大きいからバーのバウンサー、用心棒をやってたんですよ。そのときにケン・パテラと出会うんです。
    ――ミュンヘンオリンピックの重量挙げアメリカ代表ですね。のちにマサ斎藤さんの警官乱闘騒ぎのきっかけを作った。
    フミ そのケン・パテラから「プロレスラーになるためにAWAのキャンプに行くけど、おまえもどうだ?」って誘われたんです。そしてフレアーもAWAキャンプに参加します。そのときのコーチがビル・ロビンソン。キャンプに参加したのはアイアン・シーク、ジム・ブランゼル、グレッグ・ガニア。その翌年のAWAキャンプにはリッキー・スティムボート、サージェント・スローターなどが参加していますね
    ――有名どころのレスラーを輩出してるんですね。
    フミ デビューしたのは72年12月10日。AWAでジョージ・ガタスキーというミネアポリスのローカルレスラーが相手。フレアーは翌73年には初来日していて、キャリア6ヵ月で国際プロレスのリングに上がってます。
    ――AWAと国際プロレスが提携していた関係からですね。
    フミ そのときフレアーはラッシャー木村さんを相手に、生まれて初めて金網デスマッチをやってるんです。1973年6月25日大館、ラッシャー木村vsリック・フレアーの金網デスマッチ。
    ――国際はシリーズ中、毎日のように金網をやってたから、フレアーにもお声がかかったんでしょうかね(笑)。
    フミ 国際に来たからには一度は金網を……ということなんでしょう。そのときのフレアーはまだおデブちゃんなんです。太った巨漢で髪の色も金髪ではない。リック・フレアーは何回か変身することで、ビッグになっていったレスラーなんですね。
    ――最初から「ネイチャー・ボーイ」だったわけではないんですね。
    フミ フレアーはデビューしたAWAには1年しかいなかったんです。そこで一緒だったインディアンレスラーの大御所ワフー・マクダニエルに誘われて、ノースカロライナのNWAクロケットプロに移ります。ノースカロライナのシャーロットに住みついて、そこがフレアーのホームタウンになってるんですね。ちなみにAWAにはついぞ戻ることはなかったですね。
    ――主要マーケットのNWAクロケットプロに移ることでNWA世界王者の道を歩むことになるんですね。
    フミ リック・フレアーというレスラーの大きな転機は、デビューから3年後の1975年10月4日に訪れます。フレアーと3人のレスラーが乗ったセスナ機がノースカロライナのウィルミントン郊外に墜落してしまうんですね。
    ――セスナ機でテリトリーを回っていた最中の出来事ですね。
    フミ 自家用のセスナ機はフレアーのものではなかったんですけど。同乗していたジョニー・バレンタインはその事故のケガにより引退。ボビー・ブラッカーズという選手も引退。ミスター・レスリングことティム・ウッズも乗っていてケガをしたんですが、ベビーフェイスとヒールが一緒に行動しているところを他人に見られちゃいけなかった時代なんです。「ヒールのレスラーと一緒に乗っていてケガをしたとは発表できない」ということで、ミスター・レスリングはわずか3週間後に復帰してしまうんです。
    ――プロレスの裏側の事情が絡み合ってたんですね。
    フミ その事故で当時26歳だったフレアーも背骨を3ヵ所骨折する重傷。一時は再起不能説が流れたんですが、4ヵ月後に無事に復帰します。結果的にこのときのリハビリが減量に繋がるんですね。中アンコだったフレアーの身体は見事な逆三角形となった。死と直面した悪夢の飛行事故が人生の転機になり、シェイプアップしたフレアーはそれまでブラウンだった髪の色を金髪に染めるんです。

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  • あのサイバーエージェントがDDTを買収!!■事情通Zの「プロレス 点と線」

    2017-09-23 10:35  
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    プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは「あのサイバーエージェントがDDTを買収!!」です!(聞き手/ジャン斉藤)――た、た、た、大変ですよ、Zさん! AbemaTVの運営でおなじみのサイバーエージェント(以下CA)がIGFを買収しました!
    事情通Z IGFじゃないよ!! CAが子会社化したのは高木三四郎大社長率いるDDT。アルファベット3文字だけ合ってるだけで全然違うだろ。
    ――ああ、IGFとCAの藤田晋社長の仲がいいという話を聞いていたので勘違いしました。
    Z IGFと仲がいいのは藤田は藤田でも藤田和之のほうだろ。交渉役のカシンは大仁田厚との話し合いで手一杯だよ!この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • ミミ萩原からROPPONGI VICEまで……Apple Musicで聞くプロレステーマ曲■二階堂綾乃

    2017-09-23 09:49  
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    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回は「Apple Musicで聞くプロレステーマ曲」です!最近、定額制音楽配信サービスApple Musicを契約しました。月額980円でライブラリーにある曲を広告なしで聞き放題、しかも3ヵ月無料で体験できるというお得なサービスです。なぜ私がこのサービスに契約したかというと、海外国内問わずいろいろとプロレス関連の曲を聞いてみたかったからです。ところがいざ契約してみるとわりと大きめの誤算が……なんとApple Musicは邦楽がそんなに充実していなかったのです。
    WWEのアルバムはやたらあるどころか海外のアーティストがスーパースターの入場テーマをカバーしたアルバムも多数あるのですが、日本のプロレス団体の曲がほとんどない。
    今回はそんなApple Musicをいろいろ検索して発掘した日本のプロレスミュージックの一部をご紹介します。Apple Musicを契約する際はぜひ参考にしてみてください。ただアルバムに関しては、ものによってアルバムの曲全てあるわけでなく何曲か抜けているものもあります。。この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 那須川天心vs武尊完全消滅は誰のせい?■橋本宗洋

    2017-09-22 11:07  
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    格闘技ライターの橋本宗洋氏をゲストに配信されたDropkickニコ生配信。その一部を再構成してお送りいたします!テーマは「那須川天心vs武尊」「高山善廣」です。――高田延彦の舌禍事件もあって、最近の格闘技界は「那須川天心vs武尊」を口に出しちゃいけない雰囲気になってますね。
    橋本 俺らは言っていいでしょ?(笑)。
    ――「那須川天心vs武尊、見たい!」と口にしたら誰かに怒られるんじゃないかってくらいビクビクしてますよ(笑)。ボクは「キックぼんやり層」だから、詳しく調べたわけじゃないんですけど。あらゆる媒体のK−1ファイターの記事に「那須川天心」という単語は出てきてないですよね?
    橋本 全部を見たわけじゃないけど、煽るような記事はないし、K-1と那須川を絡めて書くこともないと思う、いまは。
    ――けっこうな緊張関係。
    橋本 前に那須川天心がチケットを買って新生K−1の会場にやって来て、試合後花道を引き上げる武尊に「やろう」と声をかけてね。そのあと那須川天心はツイッターで「試合を約束しました」って一方的に書いたんですよ。
    ――那須川天心から感じるUインター魂(笑)。
    橋本 で、K−1側は一夜明け会見で「こういうことは団体やジムを通して進めるもの」みたいに苦言を呈してね。公式にはそこまでじゃない? まあ実際オレもね、那須川天心ほどの逸材にですよ、ファンに混じって無理矢理タッチして「やろうと約束しました」ってさあ、誰がこんな情けないことをやらせたんだって思ったよ。堂々としててくれよって。
    ――あの当時の那須川天心のバリューからすれば、ゲリラ的手法に出るしかなかったんでしょうね。下の人間が体制をシュートする。猪木さんが馬場さんに、その猪木さんが前田日明に、その前田日明が……という昔からの定番で。
    橋本 まあ、K−1側との交渉が不首尾に終わったんだろうけど、だからってそんなゲリラなことをやらせるなよって。
    ――そして今回の高田劇場ですね。「キック界の二人のスーパースター武尊VS天心は今しかない! 格闘技に携わる人間としてこんなスーパーファイトをイタズラに時間を費やし鮮度を劣化し、戦う側のモチを壊し、大人の事情で見る側に絶望感を抱かせる大罪はあってはならぬと思う、なんのためにこの仕事をしてるのか原点に帰りましょう!奇跡」とツイートしたんですね。ボクはこのツイートを読んでまず思ったのは「高田さん、アナタは田村潔司がヴァンダレイ・シウバに挑戦するときになんておっしゃいましたか?」と。
    橋本 あ、怒ってたよね。なんて言ってたっけ?
    ――「桜庭が預けたヴァンダレイ・シウバ銀行の預金を、カードを拾って引き出そうとしている」ですよ! これぞ戦う側のモチベーション破壊だ(笑)。
    橋本 凄い表現だね(笑)。
    ――高田本部長の「那須川vs武尊やろうぜ」ツイートは大反響で。ところが数日後に「RIZIN統括本部長である私が、先日他団体であるK-1所属選手のマッチメークに関して軽率な発言を行ってしまいました。これによりK-1関係者の皆様と武尊選手にご迷惑をお掛けしたこと、またファンの皆さまに要らぬ期待感を煽ってしまったことを深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
    橋本 そのときって、本部長は那須川天心と福岡にRIZINのプロモーションに行ってなかった? 本部長は一仕事終わって、ガソリンを入れちゃっちゃたんじゃないかなと。だから高田本部長が悪いんじゃなくて中洲が悪いんだなって。
    ――六本木で酔っ払った本部長が極真の緑健児に絡んで、のされたという噂に匹敵する失態ですよ!(笑)。この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • UFCにはなぜ、ゲイの男子ファイターがいないのか(仮説)■MMA Unleashed

    2017-09-22 10:41  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは……UFCにはなぜ、ゲイの男子ファイターがいないのか(仮説)

    アメリカ人の3~8%がゲイ(同性愛者)であるという調査結果があるという。
    UFCの契約配下には現在、632人のファイターがいる(9月20日現在、UFCFightersInfoより)。UFCファイターはアメリカ人ばかりではないが、仮に上記の比率を当てはめるとすれば、統計的にはおよそ18人~50人のゲイのUFCファイターがいてもおかしくはない、ということになる。
    うち男子選手は554人、女子選手は78人であるので、男子のおよそ16人~44人、女子のおよそ2人~6人が同性愛者である可能性がある。
    ところで、女子ファイターの中には、ゲイであることを自らにオープンにしている選手が少なくない。バンタム級チャンピオンのアマンダ・ヌネスがそうだし、その恋人ニーナ・アンザロフもUFCストロー級のファイターだ。ラケル・ペニントンとその恋人のテーシャ・トレス、リズ・カムーシェ、ジェシカ・アンドラージ、トンヤ・エビンジャー、ジェシカ・アギラーもとっくにカミングアウトしている。ちょっと調べただけでも8人いるわけだから、すでに平均を軽く超えている。
    しかし、男子ファイターで、ゲイであることを明らかにしている者は存在しない。現役選手だけでなく、UFCの24年の歴史上、1人もいないのだ。このことはごく素朴に、不思議なことだとは思われないだろうか。
    ●UFCゲイ発言史
    UFCファイター自身はゲイについてどのように考えているのだろうか。良くも悪くも話題になった、主要選手の過去の発言を振り返ってみよう。
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  • 幻の闘魂三銃士興行の顛末■ズンドコ・トラブル興行研究会<漁師JJ編>

    2017-09-21 17:46  
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    ズンドコ・トラブル興行研究会!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「闘魂三銃士興行」!
    【関連企画】小島聡まさかの「四冠王者誕生」ズンドコ模様アルティメットクラッシュ…新日本プロレスと総合格闘技
    ファン不在から得た教訓……棚橋弘至、伝説のノーピープルマッチ何がやりたかったんだ「ジャイアント魔神&ニュー・ストロング魔神」
    アントニオ猪木が「整理」したスポーツ平和党ズンドコ。プロレス界でそう呼ばれる興行開催までの道のりは幾多もある。しかしそんな燃焼材もすべては華やかな本番のため。
    しかし中には盛り上がるだけ盛り上げたのち、最終的に開催されないという大オチをつけた大会もある。それが2004年の闘魂三銃士興行だ。
    闘魂三銃士とは1984年に新日本プロレスに同期入門した武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、3人の呼び名で、全日本プロレスの四天王と対をなす言わずと知れたプロレス界の看板スター。当時の三銃士模様といえば、蝶野のみ新日本所属。武藤は全日本。橋本はZERO-ONEと蝶野以外は自分の城を持ってる立ち位置だった。
    きっかけは5月9日、TFMホールで行われたトークイベント「三銃士サミット」。闘魂三銃士デビュー20周年記念イベントとして行われたこのイベントは新日本プロレスのプロモーターの一つである新日本プロモーションが主催。
    勘違いされやすいが、新日本プロモーションは新日本プロレスと資本的なつながりはなく、かつて元新日本取締役、アントニオ猪木のマネージャーだった坂口泰司代表が指揮棒を振る新日本プロレスの地方大会プロモートを業務とする企業だ。こちらの坂口さん、名前は似ているが元プロレスラーにして世界の荒鷲、新日本相談役・坂口征二と血縁関係にはなく、例えるならマサ斎藤とヒロ斎藤の関係だ(なんか間違ってる気もするが、だいたい合ってる気もする)。
    出演者は午後12時半集合のイベントに、武藤敬司のみ定時到着。蝶野は1時間遅れ。破壊王は2時間遅れで到着とイベント前かららしさ爆発。この続きと、折原昌夫、諏訪魔、谷津嘉章、天心vs武尊消滅、DDT買収、マクレガーvsメイウェザー…などの記事がまとめて読める「12万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 暴走親方、諏・訪・魔!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2017-09-18 14:21  
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「諏訪魔」です!

    <これまでの連載記事! クリックすると試し読みできます!>嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った…完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田超獣ブルーザー・ブロディ【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生“四天王プロレス”の光と影――三沢光晴
    癌に勝った絶対王者・小橋建太“プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか?呪われたIWGPが最高権威になるまで悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生 燃える男、アニマル浜口――!!“天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレスジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち 我らが英雄ザ・ファンクスの凄み! 
    猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代
    レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち!
    「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラスプロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った!80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!!“リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!!史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー

    輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!!全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム”高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで
    「プロレス取材の難しさ」
    一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿――高山善廣選手の事故が大きなニュースになっていますが、今年に入ってからリング上の事故が多発したこともあり、「何かしら規制すべきではないか」という声も挙がっています。
    小佐野 うーん、規制といっても難しいのは、たとえば高山の件は自分から仕掛けた技でしょう。酷い投げ方をされたというものでもないから「何を規制するの?」となるよね。プロレスって使い手がちゃんとその技を調節ができるかどうかというとこともあるんですよ。相手のレベルに合わせて変えられるかどうか。
    ――ジャンボ鶴田は相手に合わせてバックドロップの角度を変えてましたね。
    小佐野 ジャンボは相手の受け身の技術に応じた投げ方をしていた。だから「この技をNG」という話でもないと思うんですよ。
    ――現実に即したかたちで何か施行するのは大変なんですね。
    小佐野 格闘技はルールによって守ってるわけでしょ。脊髄攻撃はダメとか、ヒールホールドが禁止されたことがあったり。
    ――90年代のパンクラスが一時期そうでしたね。
    小佐野 人間同士がやってることだから、最終的にはマナーや良心に依られるとは思うんだけど。仮に危険だから規制したら、ほとんどのプロレス技が禁止になっちゃうよ。まず垂直落下のブレーンバスターは首にダメージを与えるからダメ。バックドロップも頭から落とすものは禁止。
    ――頭から落下系は全面禁止になりますね。
    小佐野 雪崩式ブレーンバスターも背中から落とすのはいいけど、垂直落下はダメとかね。トペは避けたら危険だから必ず受けましょうとか相手の動きも制限しかねない話になってくる。
    ――飛び技は大ケガのイメージが強いですねぇ。
    小佐野 飛び技でケガをするケースもかなり減ったよね。いまはそこまでムチャはしないから。ルチャもみんな凄い飛び方をしてるけど、ちゃんとリカバリーしてるし、イチかバチかで飛んでないんですよ。余裕を持って失敗しても事故が起こりづらいように飛んでいる。
    ――じつは見た目の問題ではなかったりするんですね。
    小佐野 以前、世志琥が安川惡斗をボコボコにしたときにスターダムでは顔面パンチが禁止になったけど、じゃあエルボーはいいの?と。エルボーのほうが危険だという話があるし、ハイキックはどうなるんだ?って。
    ――ハイキックのほうがダメージはありますね。
    小佐野 だから一概に技を規制すればいいという話はないとは思いますね。
    ――最近の事故はダメージの蓄積によって……というケースですね。
    小佐野 やっぱりダメージの蓄積になるんですよ。レスラーの身体が正常かどうか、WWEはメディカルチェックが厳しいですよね。スカウトしても検査結果によっては契約しないこともあるから。
    ――新日本もメディカルチェックはしっかりやってますね。それでも事故が起きてしまうんですが……。
    小佐野 新日本にはトレーナーがついていて、誰がどんな治療を受けているかも記録しているからね。
    ――リングドクターも帯同して、シリーズのたびにチェックするとなると、必要になってくるのはお金ですね。
    小佐野 お金だよね。何かあったときのために保険にも入らなきゃいけないし。それこそ健介オフィスは試合前に血圧の検査をやってたからね。血圧が高いと試合をさせてくれないんだから。
    ――そこまで徹底してる団体は聞いたことがないですね。
    小佐野 そこは北斗晶の方針だった。彼女は全女時代に首をケガしてるから、そのへんはしっかりしてるんだよ。健介オフィスはフリー選手を集めて興行をやってたんだけど、全選手に保険をかけてたんです。だからお金がかかりすぎて、何回も試合ができなかったんですよね。
    ――経済面から保険をかけられない団体もあるでしょうね……。
    小佐野 坂口(征二)さんが社長時代の新日本も、スーパーJカップで他団体から選手を集めたときは、みんな派手に飛ぶから全員に保険をかけていたしね。
    ――その団体がどうやって取り組むかですね。
    小佐野 技に関して言えば、団体内次第になっちゃうんだよね。何か規制した場合、そのことを発表するか、しないのか。発表したら見てる方だって興醒めしちゃうから。事故が起きたら団体内で何かしら話し合いを絶対にしているはずなんですよ。「こういうことはマズイね」とか「こういう技はやめようね」とか。それはあくまで暗黙の了解であって、何かをルールを作って規制することは「はたしてそれはプロレスなのか?」ってことになっちゃうと思うんだよね。難しい問題だと思います。
    ――大きな事故がないように取り組んでもらいたいですね。

    ――今月のテーマは全日本プロレスの諏訪魔選手なんですが、先日の小島聡戦にかぎらず、外部の選手と絡むとどうにもおかしなことになるという。
    小佐野 そういう試合が多いですよね(笑)。あの試合は解説を私がやったんですが、悲しい試合でしたねぇ……。
    ――小佐野さんは諏訪魔選手のことをデビュー当時から見てますよね。
    小佐野 「就職します!」と言った入団会見から見ていますね。あのコメントは言わされたんです。諏訪魔本人はどんな意味があるのか知らなくて。
    ――あ、そうなんですか。ジャンボ鶴田オマージュを本人は知らなかった。
    小佐野 全日本としてはジャンボ鶴田のイメージで売りたかった。諏訪魔も中央大学レスリング部出身だし、出場ではできなかったけどオリンピックを目指していたわけだから。あとから本人は「そういうことだったのね」と(笑)。
    ――ということは、プロレス自体は詳しくなかったんですか?
    小佐野 いや、そんなこともないんだけど。子供の頃からプロレスは大好きで。とくに全日本が好きだった。スタン・ハンセンや天龍さんがいた頃の全日本。
    ――諏訪魔選手の年齢的に天龍同盟の頃ですかね。
    小佐野 プロレスラーになるためにまずは受け身だろうということで、中学のときに柔道を始めたんです。ところが柔道に熱中していくと段々とテレビでプロレスが見られなくなってくる。四天王プロレスの初めの頃までしか見れてなかったのかな。
    ――四天王プロレスの洗礼を受けてないんですね。
    小佐野 そうして大学からレスリングを始めて。
    ――そこも鶴田さんと同じ!
    小佐野 中央大レスリング部OBに旧UWFの社長だった浦田(昇)さんがいるから「プロレスに行けますかね?」って相談したら「オリンピックに出るとか、箔をつけてからのほうがいいんじゃないの?」と。ますますレスリングに邁進することになって。
    ――プロレスのためにレスリングだったんですね。
    小佐野 馳浩からプロレスの勧誘を受けていたみたいなんだけど、目の前にはオリンピックという目標があったんでしょうね。アテネオリンピックを断念した段階で全日本プロレスにお世話になりますということで。本人は訳も分からず「ネクストジャンボ」として売り出されてね。
    ――そこまでジャンボな条件が揃っていたら仕方ないですね(笑)。
    小佐野 諏訪魔がハミ出したレスラーという捉え方をするならば、彼はデビュー以降前座で試合せずにセミファイナル、メインで試合をしてたんですよ。
    ――それだけ期待されてたんですね。
    小佐野 凄かったのはデビューしたばかりで、あのベイダーの巨体をもの凄い角度のジャーマンで軽々と投げちゃうし。あのジャーマンで首をケガしたレスラーもいたんですよ。それでジャーマンを使わないようになる。
    ――封印しちゃったんですね、危なすぎて!
    小佐野 基本的に強いんですよ。でも、デビューしたばかりの新人だから、プロの厳しさを教えるためにどこかで叩かなきゃならない。そのときに彼を痛めつけたレスラーが3人いたんですよ。佐々木健介、川田利明、鈴木みのる(笑)。
    ――ひえっ、名前を聞いただけで吐きそう(笑)。
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