暴力的で野蛮であるとして、多くの州で禁止され、会場は借りられず、テレビ放送からは閉め出されていた創世記のUFC。その逆風の中でときに矢面に立ち、ときに舞台裏で、MMAを支えてきた中心人物のひとりがジェフ・ブラトニックであった。
ブラトニックは高校生の頃からグレコローマンレスリングの選手として頭角を現し、1980年のモスクワ五輪に出場が決まっていたが、アメリカが参加をボイコットしたため出場できなかった。1982年に悪性腫瘍の一種であるホジキンリンパ腫を患い、放射線治療を受け、脾臓(ひぞう)を摘出。しかし半年後にはトレーニングに戻り、1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した。この大復活劇で、ブラトニックは一躍、国民的英雄となり、オリンピック閉会式では国旗の旗手に選ばれた。
1994年、第4回のUFC大会にテレビ解説者として招かれたブラトニックは、ホイス・グレイシーがダン・スバー
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記事を興味深く拝見させていただきました。
私も格闘技がとても好きで、今もUFCにはとても注目していますが、このような初期の話は知りませんでした。
このようなUFC初期の功労者であるブラトニックさんのような方がいるから、いまのUFCがあるわけですから、感謝しなければいけませんね。
亡くなったのはほんとに残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
すごい功績! 知らなかった。ご冥福をお祈りします。
昔、レッドブル軍団の新日本参戦と前後して、週間ファイトがジェフ・ブラトニックのプロ転向・新日本参戦を報じて「えーーー!!!!」っと声を出して驚いたのを覚えています。
飛ばし記事かとも思ったのですが、その後「アメリカではプロレスもアマレスも混同されて、『おまえはラスリン(プロレスとアマレスの総称)なのか?ラスラーなのか?』と言われるのが屈辱」「日本のプロレスはアメリカのプロレスと違ってシリアスなものだと聞いている」みたいな見開きのインタビューが乗っていて、ホントに来るんだ!と期待値が上がりまくっていました。もともと総合みたいなものに興味があったんでしょうね。
…レッドブル軍団が参戦してプロレスに馴染んでしまった頃、別記事の中で「ジェフ・ブラトニック(プロ転向宣言撤回)」と書いてあって凹みましたw