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  • 日本とアメリカの女子プロレスを変えたブル中野■斎藤文彦INTERVIEWS

    2024-04-22 11:56  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは日本とアメリカの女子プロレスを変えたブル中野です!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■キラー・カーン伝説を語り継ぐ■日本の女子プロレス文化のアメリカ的解釈『Sukeban』と『Kitsune』■2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアット

    ■スーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界

    ■【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか

    ■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退
    ――今回のテーマはWWEのホール・オブ・フェイム入りをはたしたブル中野さんのアメリカ時代の功績を語ってもらいます。
    フミ 日本人女子レスラー初のWWE殿堂入りで、日本人レスラーとしては5人目です。アントニオ猪木さん、藤波辰爾さん、獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ(武藤敬司)の4人がこれまで殿堂入り。ここに並ぶだけでもすごいことですよね。
    ――納得の人選です! ジャイアント馬場さんもタイミングを見て、なんとか殿堂入りしてほしいなって思ってるんですけどね。
    フミ 馬場元子さんがご存命のときにオファーはあったようなのですが、おそらくその当時の担当者だったジョニー・エースが順番を間違えたと思うんですね。猪木さんが先で馬場さんが後だったから、元子さんが断ったというお話を聞いたことがあります。そういう物事の順番ってすごく大切ですよね。グレート・カブキさんのようにご本人が「オレはいいよ」と断っちゃったというケースもありましたが。
    ――「立ちションベンができなくなるから」と国民栄誉賞を断った福本豊みたいですね(笑)。
    フミ おそらく10年後くらいにはASUKA選手やイヨ・スカイ選手がホール・オブ・フェイムに入る可能性は充分にありますが、やっぱり日本人女子レスラーの第1号はブル中野さんなんだと思う。レッスルマニアウィーク中に殿堂入りのセレモニーが行われますが、見届けるためにボクも急遽フィラデルフィアへ行きます。
    ――おお、フミさんのレッスルマニア現地開催は久しぶりですよね。
    フミ そうなんです。コロナ禍前の2019年大会が最後だったので5年ぶりになっちゃいます。2020年からコロナ禍で、WWEのTVショーもネット上の数百人のバーチャル観客の画像が画面に敷きつめられたサンダードーム方式が導入され、レッスルマニアもそのサンダードーム方式の無観客で開催された年もありました。
    ――サンダードーム方式、懐かしいですね(笑)。
    フミ あのサンダードーム方式は時代を象徴したひとつのかたちではあったんだけれど、段階的にお客さんを入れるようになって、現在はかつての興行スタイル、中継スタイルに完全に戻りました。欠席が続くとアメリカが遠くなってしまいますから、ボクもひさしぶりに現地に行かなくちゃいけないかなと。金曜日のスマックダウンとホール・オブ・フェイム、土曜日と日曜日のレッスルマニア2DAYS。駆け足ではありますが、今回は選手、関係者が泊まるホテルも宿泊するので、いろいろ懐かしい人たちと再会できると思います。
    ――レッスルマニアウィークというと、開催地付近でプロレスイベントがあることが名物になってますね。
    フミ そうですね。同じフィラデルフィアでレッスルコン(世界最大のプロレスファンイベント)もありますし、フィラデルフィアにはバトルグラウンド・チャンピオンシップ・レスリングというインディー団体があって、ECWのリユニオンみたいな大会もやるらしいです。場所は旧ECWアリーナ。名称は変わったんですが建物は残っていて、いまでもプロレスの興行がおこなわれているんです。フィラデルフィアはもともとECWの本拠地でしたからね。スターダムの試合もフィラデルフィアであるし、街全体が1週間ずっとプロレスのお祭りをやってるような状況ですね。
    ――帰国後にお話を聞かせてください。ブル中野さんの日本での活躍は皆さんご存知ですが、アメリカ時代をメインテーマでお聞きしたいと思ってます。
    フミ みなさんのご記憶にあるかどうかわかりませんが、ブルさんの最初のアメリカ遠征は1986年、18歳のときなんです。やっぱりWWE(当時WWF)で、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン定期戦。極悪同盟のダンプ松本さんとのタッグで。ライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュギャルズも同時遠征で、日本人女子4選手がガーデンのリングに上がったということがありました。この試合は当時、全女を中継していたフジテレビのテレビ撮りの企画だったのですが、現地でめちゃくちゃウケたのはクラッシュギャルズよりもむしろダンプ松本・ブル中野組だった。それは日本におけるクラッシュギャルズ現象や、ボーイッシュな日本人女子レスラーの魅力がいまひとつアメリカのお客さんに伝わりきってなかったところがあった。逆にダンプ松本とブル中野の風貌、コスチュームとペイント、そしてファイトスタイル。ロード・ウォリアーズの女子版みたいな感じで、アメリカのオーディエンスにはそこがすごくウケたのでしょう。
    ――アメリカにロード・ウォリアーズ系の女子ヒールはいなかったんですね。
    フミ レッスルマニアはこの1年前の85年から始まっているんですが、当時のWWEの女子部門といえばウェンディ・リヒターや、当時すでに60代ですが現役で頑張り続けていたファビラス・ムーラとそのムーラのお弟子さんたち。女子の試合が1大会に1試合だけあって、男子の試合の中に1試合だけ女子の試合がサンドイッチされていた。いわばトイレタイムになりがちなポジションだったんです。そんなアメリカの女子プロレス観を変えたのはジャンピング・ボム・エンジェルスことJB・エンジェルス(立野記代&山崎五紀)のWWE長期遠征からでした。JB・エンジェルスの試合によって女子プロレスのおもしろさに目覚めたっていうアメリカのファンはすごく多いんです。
    ――それくらいJB・エンジェルスはセンセーショナルな存在だったし、アメリカの女子プロは遅れていたんですね。
    フミ 遅れていたというよりは、アメリカでは女子部門の試合がメインイベントとして成立しにくいという現実がありました。アメリカにおけるブル中野さんの活躍は、WWEに本格参戦した94年以降になります。日本の全女のリングでメドゥーサとして活躍していたアランドラ・ブレイズがWWEでチャンピオンになって、その対戦相手としてブルさんが選ばれたんです。当時のWWEはブレット・ハート、ディーゼルというリングネームだったケビン・ナッシュ、レーザー・ラモン時代のスコット・ホール、ショー・マイケルズらがトップグループで、ハルク・ホーガン以降のWWEがようやくその陣容を整えていた時代。アランドラ・ブレイズもそのニュージェネレーショングループの1人だった。メドゥーサがそこまで評価された理由は「彼女は日本ではスーパースターだったんでしょ? 日本のスタイルを身につけた最初のアメリカ人レスラーなんでしょ?」という共通の認識あった。日本からアメリカに逆輸入されたレスラーというイメージがあったわけです。
    ――日本育ちが“幻想”になったわけですね。
    フミ メドゥーサは長期滞在型レスラーとして日本に2年間住んで全女で試合をして、それからアメリカに帰ってWCWを経由してWWEと契約。アランドラ・ブレイズという新リングネームでWWEのチャンピオンになった。その対戦相手なら、やっぱり日本から呼ばなくちゃいけないということだったんです。<続きは会員ページへ>
    いま入会すれば読める4月更新記事・【燃えるマリーゴールド】ロッシー小川が悪いのか■事情通Z・令和の女子プロ! 小佐野景浩の東京女子プロレス講座・「佐山先生に言われたんです。俺の影になってくれと」…中村頼永インタビュー・平成のテロリスト・村上和成…格闘家が挑んだ命懸けのプロレス道!!・前田日明vs長井満也で藤波辰爾が最高だった話…・ジョビンチャンネルでできなかった髙田延彦の「八百長」「搾取」の話・金原正徳「ボクに勝ったら大したもんだと思う」・【RIZIN神戸総括】笹原圭一の関東大会場4連戦やってやるって!・鈴木千裕13000字インタビュー・寡黙な足関十段の過去とは? 今成正和インタビュー
    ・朝倉海vs井上直樹、もし戦わば■水垣偉弥…続々更新!https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202404
     
  • キラー・カーン伝説を語り継ぐ■斎藤文彦INTERVIEWS

    2024-01-25 18:13  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはキラー・カーン伝説を語り継ぐです!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■日本の女子プロレス文化のアメリカ的解釈『Sukeban』と『Kitsune』■2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアット

    ■スーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界

    ■【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか

    ■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退


    ――今回のテーマは先日お亡くなりになった「蒙古の怪人」ことキラー・カーンさんです。フミさん、よろしくお願いします。
    フミ よろしくお願いします。キラー・カーンさんのことは名前は知っていても、実際に試合を見たことのあるプロレスファンは少なくなっていますよね。引退試合をせずリングを降りたのは1987年のことですからもう37年前。いま40代後半、50代のプロレスファンでも当時は小学生か中学生です。遠い遠い記憶になっていると思うんです。
    ――もはや伝説のレスラーですね。
    フミ それでも多くの方がカーンさんのことを知っているのは、現役引退後ずっとつづけてきた飲食店の存在が大きい。まず新宿の中井でスナックを始めて、西新宿、綾瀬、新宿・歌舞伎町、新大久保と転々として、最後のお店となった西新宿の店舗は「カンちゃんの人情酒場」。そこで営業中に倒れて、そのまま亡くなられた。試合は見たことがなくても、お店でカーンさんに接したファンは多かった。スーパーヘビー級の体格、風貌から髪型まで何から何まで現役時代のイメージのままでした。
    ――引退後もずっとプロレスファンの目の前にい続けたわけですね。歌舞伎町での遭遇率は高かったですよ。ボクなんて麻雀を打ちに行ったときに1週間連続で見かけたことがありましたから(笑)。
    フミ チャリンコのカゴに白菜とか野菜類を積んでそのへんを走っていましたね。タレント・芸能人が経営するお店は、実際に足を運んでもその本人はまずいないというパターンが多いけれど、カーンさんの居酒屋に行くと必ず本人がそこいた。自分でメモを取りながらオーダーを聞いてくれて、食べ物をテーブルまで運んできてくれる。お相撲出身だから、ちゃんこはおいしかったし、日替わりのお魚のメニューも人情たっぷりで、かつてお店の常連だった尾崎豊さんが愛したカレーライスが名物だった。話が弾むと横に座ってくれて一緒に飲みながら昭和の新日本プロレス黄金期のお話をしてくれた。カーンさんの携帯はスマホじゃなくてガラケーだったんですが、機嫌がいいときはガラケーからカラオケのサイトにアクセスして、伴奏つきの生声で演歌を歌ってくれることもありました。2017年から2020年の4年くらいですか、ボクは大晦日の夜はキラー・カーンさんのお店で過ごしました。その日はメニューにはない年越しそばを出してくれました。
    ――居酒屋キラー・カーンを堪能していたわけですね。
    フミ 晩年はYouTubeで坂口(征二)さんや新間(寿)さんたちの悪口を言っている動画ばかりがクローズアップされがちだったけれど、ボクが知っていたカーンさんは中年のプロレスファンの方たちとおしゃべりするのが好きな居酒屋のご主人でしたね。終戦から2年後の1947年(昭和22年)生まれで享年76。新潟の高校には1年生のときまで通って、バスケットボールをやっていたそうです。
    ――身長190センチ超えですからバスケは似合いそうですよね。
    フミ 高校中退後、大相撲の春日野部屋に入門したのが1963年。お相撲をやめたのが70年の春場所後ですから、7年くらいお相撲をやっていた。最高位幕下40枚目ということは十両目前だったのでしょう。それから71年に日本プロレスに入門。当時の日本プロレスはジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さん、大木金太郎さん、坂口征二さんらがトップだった時代。カーンさんのコーチは吉村道明さん。吉村さんは猪木さん、大木さん、坂口さんらをパートナーにアジアタッグ王座を何度も保持したアジアタッグの“生き証人”みたいな存在ですね。
    ――火の玉小僧と呼ばれ、回転エビ固めが代名詞だった吉村道明ですね。
    フミ なぜ吉村さんの話をしたのかというと、ボクがカーンさんの試合を初めて会場で見たのは小学6年生のときで、そのときはまだ若手で本名の小澤正志としてリングに上っていたんですが、その日、カーンさんは前座のバトルロイヤルで正面飛びのドロップキックをやっていた。いまのドロップキックって横飛びが主流ですよね。カーンさんはあの巨体で助走つきの正面飛びのドロップキックをやっていて、それが強くに印象が残っていて、お店に行ったときにその話をしたら「よく知ってるねえ、あれは吉村さんに習ったんだよ」とすごく嬉しそうに話してくれました。
    ――あの巨体で宙を飛ぶんですから印象に残りますよね。
    フミ カーンさんは日プロの崩壊にも関わった。坂口さん主導で、日本プロレスが当時旗揚げ2年目だった新日本プロレスと合併して新団体に模様替えするというプランがあって、実際に記者会見まで開いた。ところが、大木金太郎さんの選手会が「日プロを造反したアントニオ猪木と再び交わることはない」と反対したことでこの計画は幻に終わった。それでも、坂口さんは「自分は猪木さんと約束したので新日本に行きますよ」とこれを実行して、テレビ朝日(当時NET)の放映契約の内諾とともにプランどおり新日本に移籍した。
    ――テレビ朝日は日プロを放映してましたが、凋落気味だった日プロを見限って新日本に乗り換えたわけですね。
    フミ そのとき坂口さんと共に新日本に移籍した日プロの若手3人が木村聖裔ことのちの木村健悟さん、大城大五郎、そしてカーンさんだったんです。坂口さんグループ4人が合流後、現在も続く新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』中継がスタートして、日本プロレスはそれから2ヵ月後の73年5月にあっさり崩壊した。もしあそこで新日本に移籍しなかったら、カーンさんのプロレス人生もだいぶ変わったものになっていたでしょうね。
    ――先日木戸修さんも亡くなりましたし、日本プロレス出身レスラーでご存命なのはグレート小鹿さん、北沢幹之さん、木村健悟さんの3人だけですかね。
    フミ あと新弟子だった藤波辰爾さん。新日本所属となったカーンさんはその藤波さんと第1回カール・ゴッチ杯(74年)の決勝戦を争った。カール・ゴッチ杯はのちの新日本のヤングライオン杯のモチーフとなる若手の総当たりリーグ戦。優勝した藤波さんはヨーロッパ遠征に行って、メキシコ、フロリダからノースカロライナ、ニューヨークを回ってWWFジュニアヘビー級王者として凱旋帰国する。アナログレコードに例えれば、つねにA面の活躍をしていたのが若き日の藤波辰己で、B面はキラー・カーンに変身してアメリカで大ブレイクした小澤正志ということになるのでしょう。カーンさんは77年夏にまずメキシコでテムジン・モンゴルというキラー・カーンの原型になる蒙古キャラに変身します。これはちょっと意外だけれど、メキシコでカーンさんを待っていたカール・ゴッチ先生がつけたリングネームだったんです。
    ――素晴らしいネーミングセンスですよ!
    フミ テムジンはモンゴル帝国皇帝チンギス・カンの幼名。テムジンとモンゴルを繋げたリングネームですね。メキシコではいきなり“仮面貴族”ミル・マスカラスのIWA世界王座に挑戦するくらいの番付で、若手の武者修行というよりはメインイベンターの海外ツアーのような扱いだった。メキシコ遠征後はNWAの激戦地といわれたフロリダに転戦。ヒールのトップのポジションで、当時大スターだったダスティ・ローデス、ジャック・ブリスコらと対戦するメインイベンターになった。キラー・カーンに変身したのがこのフロリダ時代だった。猪木さんと闘った“韓国の巨人”パク・ソンとのコンビでタッグ王座も獲りましたね。身体が大きいだけじゃなくて、よく動けて、アメリカでウケる怪奇派ヒール。天山広吉、グレート-O-カーンが継承したモンゴリアン・チョップの元祖はカーンさんです。日本人だけどモンゴル人キャラのカーンさんが編み出したことから「モンゴリアン・チョップ」なる名称として定着したという事実はちゃんと歴史に残すべきですね。
    ――桜庭和志さんもMMAで使っていたくらい誰もが影響を受けた技だった。
    フミ アメリカ各地で超売れっ子になったカーンさんは、小澤正志ではなくてキラー・カーンのキャラのまま81年3月に一旦帰国します。そのときにはシンディ夫人、アメリカ人の奥さんがいっしょに来て、乳母車に乗った長女のユキエさんも一緒だった。ユキエさんはカーンさんのお葬式で喪主を務めるため40数年ぶりに来日しましたね。■「新日本ワールド」試合映像拒否■全米熱狂のアンドレ・ザ・ジャイアント戦
    ■頑固おやじのボヤキ芸
    ■いまだミステリアスな引退理由を推測する■盟友ハルク・ホーガン……1万字インタビューはまだまだ続く

    この続きとRIZIN大晦日、ブラックローズ、堀口恭司、全日本プロレス…などの12月バックナンバー記事が700円(税込み)でまとめて読める「11万字・記事14本」の詰め合わせセットはコチラ 
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  • 日本の女子プロレス文化のアメリカ的解釈『Sukeban』と『Kitsune』■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-11-24 23:17  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは日本の女子プロレス文化のアメリカ的解釈『Sukeban』と『Kitsune』です!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアット

    ■スーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界

    ■【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか

    ■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退




    ――斎藤文彦さんのインタビュー連載。今回のテーマは……。フミ 日本の女子プロレス、というよりはジャパニーズ女子プロレス文化のアメリカ的な解釈といったほうがより正確かもしれない。『Sukeban』と『Kitsune』という2グループがアメリカでほぼ同時に旗揚げしました。いずれも日本人の女子レスラーの試合をフィーチャーしている。団体と定義していいのかどうかは現段階ではまだわからないけれど。
    ――まず『Sukeban』や『Kitsune』という団体名がすごいですよね。
    フミ いかにもアメリカ人が考えるところのカッコいい日本語の単語なのでしょう。
    ――アメリカで「スケバン」や「キツネ」の意味は通じているんですか?
    フミ まだ、英語化はされていない単語、というかコンセプトなのでしょう。「Sushi」や「Tempura」、「Sukiyaki」など食べ物は日本語がそのまま英語化しているし、古典的な単語では「Fujiyama」「Geisha」「Kamikaze」など最初は意味が伝わりにくかったものも、そのまま英語化されて定着していった。最近でいちばん広まった日本語の単語は「カラオケ」ですよね。アメリカ人の発音は「カラオーキ」ですが。『スケバン刑事』というTVドラマがヒットしたのは40年ほど前ですが、日本語的には死後に近いですよね。だれがそのスケバンという単語を発掘したのかはわかりませんが、「カッコいい!」と思っちゃったアメリカ人がいたということでしょう。
    ――『Sukeban』からスケバン刑事のヨーヨーまでたどり着いてほしいですね(笑)。日本ではもはや死語になってるところがまたいいというか。
    フミ ただ、ロスト・イン・トランスレーションと言って、翻訳したつもりなんだけれど、どこか微妙にニュアンスが異なるものがある程度の誤解・曲解を含んだまま外来語として定着することもあるんですね。『Sukeban』のプレスリリースには、スケバンという概念は60年代から70年代の日本におけるフェミニズムの発展に貢献した……とデタラメなことが書いてあった。
    ――トンデモすぎますよ!(笑)。
    フミ また、日本のJoshi女子プロレスは「マーシャルアーツだ」とも書いてある。
    ――たしかに全女はマーシャルアーツとはいえますけどね……。
    フミ このあたりもまたアメリカのマニア層が日本の女子プロレスをどうとらえているか、というヒントにはなりますね。日本語、日本人名がすでに英語化して定着している例では「エンズイギリ」「フジワラ・アームバー(脇固め)」「アサイ・ムーンサルト(ラ・ケブラーダ)」「サイトー・スープレックス(ひねりの利いたバックドロップ)」などがあり、WWEの実況アナウンサーもこの表現を用いています。
    ――「キツネ」はどういうニュアンスなんですか?
    フミ 「キツネ」は英語でフォックスですが、すごくかわいい女の子をフォックスと形容するスラングがある。ジミー・ヘンドリックスの代表曲のひとつに「フォクシー・レディ」というタイトルの曲がある。そのフォックスを日本語でなんというのかといったら『Kitsune』だったのでしょう。いったん整理すると『Sukeban』と『Kitsune』はアメリカが日本スタイルの女子プロレスをアメリカに輸入、導入したもの、アメリカ人がイメージするところのジャパニーズJoshiプロレスをアメリカ市場、英語圏で展開しようという試みといえます。――しかし、同時期に似たような団体がスタートするって面白いですよね。
    フミ 『Sukeban』がニューヨーク、『Kitsune』がロサンゼルスだから、東海岸と西海岸の大都会でよく似たコンセプトの日本式の女子プロレスが同時にスタートを切ったわけです。WWEではウィメンズ・ディビジョンという名称になっていますが、現在のWWE首脳部は男子部門と女子部門の選手数が半々くらいになってもいいと考えているらしいんです。90年代のWWEではアランドラ・ブレイズvsブル中野の1試合だけが男子の試合にサンドウィッチされてポツンと入っていたわけですが、あの時代と比べればウィメンズ・デビジョンの選手数は確実に増えているし、第3ブランドNXTは女子部門の選手のほうが多いようなイメージもあります。実際、フロリダ州オーランドのパフォーマンスセンターの練習生の数は男女半々ぐらいになっている。ウィメンズ・デビジョンは、そのステータスもニーズも商品価値も飛躍的に上がっていることはたしかなんです。女子プロレスだけの団体というと、いままでアメリカでは何団体か旗揚げしたことがあったけれど、いずれもそんなに長くは続かなかったんですね。――『Sukeban』と『Kitsune』はどこが運営してるんですかね?
    フミ それがいわゆるプロレス畑の人たちではないんです。『Sukeban』のほうは、日本の「Kawaii(かわいい)」カルチャー、秋葉原カルチャー、中野ブロードウェイ・カルチャー、地下アイドルのコンセプト、それからアメリカ人が大好きなジャパニーズアニメの要素を基本コンセプトにしている。オープニングや試合カード紹介のグラフィックも日本っぽいアニメだったりする。番組の進行・構成そのものは連続ドラマっぽくしてあって、画面全体がやや暗めで、ちょっと前の『ルチャアンダーグラウンド』に近い感じですね。
    ――ルチャをコンセプトにした連続ドラマ的プロレス。それの日本女子プロバージョンということですね。
    フミ 所属選手をそろえて、ツアーを組んでハウスショーをまわっていく形態の団体になるとはちょっと考えにくい。日本からまとまった数の選手たちをアメリカに呼んで、映像(番組)をタメ撮りして、シーズンいくつのエピソードいくつという具合に番組を制作して、ネット上で配信していく。これがこれからのプロレス団体の新しいかたちになるのかもしれない。『Sukeban』は9月21日にニューヨークで第1回のTVテーピングを開催して旗揚げしました。いっぽう『Kitsune』は10月22日にLAで旗揚げ。どちらもキーパーソンはウナギ・サヤカなんです。
    ――ウナギ・サヤカはどっちでも主役級の扱いですね。
    この続きと鈴木千裕、斎藤裕、北岡悟、長井満也、朝倉未来KO…などの11月バックナンバー記事が600円(税込み)でまとめて読める「12万字・記事13本」の詰め合わせセットはコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202311 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!

     
  • 2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアット■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-10-03 10:56  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは2010年代を駆け抜けたスーパースター、ブレイ・ワイアットです!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■スーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界

    ■【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか

    ■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退



    ■さらばストーンコールド、トリプルH、テイカー!! レッスルマニア38


    ■追悼“レイザー・ラモン”スコット・ホール



    ■コロナに散った『ワールドプロレスリング』海谷ディレクターを偲ぶ
    ■前田日明の「噛ませ犬」だけではないポール・オーンドーフの功績
    ■WWE☓新日本プロレス業務提携の噂、その出元
    ■NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア
    ■ビンスの黒衣、猪木の親友パット・パターソン

    ■晩年のロード・ウォリアーズ
    ■ロード・ウォリアーズの衝撃

    ■追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー

    ■全女消滅後の女子プロレス新世界

    ■木村花さんはドウェイン・ジョンソンのようなスーパースターになるはずだった

    ■女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた

    ■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論■AEWチャンピオンベルト盗難事件■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される ■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

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    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


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    ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
    ――今回は急逝したWWEスーパースター、ブレイ・ワイアットについて語っていただきます。
    フミ テリー・ファンクさんと同じ日にお亡くなりになったのですが、79歳のテリーの場合は天寿をまっとうした感がありましたが、36歳のブレイ・ワイアットにはあまりにも早すぎたんじゃないかという思いがあります。
    ――ショッキングでしたね……。
    フミ そんなに長いレスラー生活ではなかったけれど、2010年代で最もセンセーショナルな活躍をしたWWEスーパースターだった。太く短く生きたというか。
    ――デビューしたのが2009年ですね。
    フミ ブレイ・ワイアットに変身したのが2012年ですから、あのキャラクターで活躍したのは10年ちょっとだった。WWEを熱心に見ているファンならブレイ・ワイアットがいかにビッグなスーパースターであったかを理解できますが、日本のプロレス・シーンとそれほど関わりがあったわけではないので、日本のプロレスを中心に見ているファンにはそれほど馴染はないかもしれない。日本との接点ということをいえば、ブレイ・ワイアットのお父さんはマイク・ロトンドですよね。
    ――オールドファンからすると、マイク・ロトンドのほうが知っているかもしれないですね。
    フミ マイク・ロトンドはバリー・ウィンダムとのUSエクスプレスという人気タッグチームでWWEで活躍し、“ミリオンダラー・マン”テッド・デビアスとのコンビではIRSというリングネームでも活躍。WCWではマイケル・ウォールストリートというリングネームでnWoのメンバーだった。そのマイク・ロトンドがバリー・ウィンダムの妹と結婚して生まれた子がブレイ・ワイアットだった。
    ――ブレイ・ワイアットにとってバリー・ウィンダムは叔父さんにあたるんですね。
    フミ ブレイ・ワイアットは1987年生まれ。1987年といえばアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの巌流島があったり、それこそ新旧世代闘争があった年ですね。バリー・ウィンダムとマイク・ロトンドは86年に全日本プロレスに来日したんですが、ボクとかはマイク・ロトンドがバリー・ウィンダムの妹と結婚するという話をそのときに聞いてたんですよ。
    ――その翌年に生まれた子がブレイ・ワイアットだったわけですね。
    フミ 本名はウィンダム・ローレンス・ロトンド。ファーストネームのウィンダムはバリー・ウィンダムからもらったんです。ブレイ・ワイアットが亡くなったあと、WWEのTVショーが始まる冒頭でワイアットを偲ぶ“イン・メモリー・オブ”のグラフィックが映し出されましたが、そのときはブレイ・ワイアットではなく「ウィンダム・ロトンド、またの名をブレイ・ワイアット」と本名が先に紹介されていたのが印象的でした。
    ――血筋も紹介したってことなんですね。
    フミ マイク・ロトンドの長男で、バリー・ウィンダムとケンドール・ウィンダムの甥っ子。ウィンダム兄弟の父親、つまりブレイ・ワイアットの祖父は新日本、全日本、国際プロレスにも来日したブラック・ジャック・マリガン(本名ボブ・ウィンダム)。由緒正しい三世レスラーです。だから、デビューしたころはアクセル・マリガン、タンク・マリガン、タンク・ロトンド、デューク・ロトンドといった試作品のリングネームを使っていました。
    ――プロレスファミリーをアピールしていたと。
    フミ ブレイ・ワイアットはハイスクール時代はレスリングでステート(州)選手権のチャンピオンになっている優秀なアスリートだった。フットボール奨学金で大学に進み、カレッジでは4シーズン在籍した。
    ――あの巨体だからフットボールでも活躍できますね。
    フミ 体重は285ポンドですから130キロぐらいあるんですが、アメリカのフットボール選手の特徴で、どんなに巨大でも動きが速い。巨体なのに身軽といえばバンバン・ビガロみたいなタイプですよね。2016年にWWE日本公演が両国国技館であったとき、ボクがバックステージをウロウロしていたら、ローマン・レインズやセス・ロリンズ、ディーン・アンブローズ時代のジョン・モクスリーが歩いていた。みんな背が高いんですが、向こうから歩いてきたブレイ・ワイアットもまた大きかったですね。
    ――血筋も体格もプロレスラー向きだったと。
    フミ 大学はフットボールのシーズン後、卒業前にやめてしまって、2009年にWWE直営のレスリングスクールFCW(フロリダ・チャンピオンシップ・レスリング)でプロレスを学び始めます。当時はWWEのパフォーマンスセンターができる前だった。FCWでは叔父さんのバリー・ウィンダムやスティーブ・カーンといった名だたる元レスラーからコーチを受けてその年にデビューしました。
    ――卒業前にやめてまでレスリングスクールに入ったということは、もともとプロレスラー志望だったんですね。
    フミ そこはもう子供のときから運命づけられていたのではないでしょうか。あの独特のプロレス的頭脳を見れば、三代続くプロレスのDNAは明らかでした。少年時代からプロレスラーになるつもりだったわけですから、当然、筋金入りです。
    ――頭脳、血筋、体格。すべてを兼ね備えていたわけですね。
    フミ それでもすぐに売れたわけではなかった。ブレイ・ワイアットの身体つきはWWE的じゃない。ヒゲのない素顔はすごく優しい感じで、ぽっちゃりしていた。WWEでは、とくにトリプルH以降の世代はやっぱりボディビルダータイプ、逆三角形の身体を求められますよね。
    この続きと金原正徳、佐藤将光、長井満也、万智、猪木映画…などの10月バックナンバー記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事14本」の詰め合わせセットはコチラ 
     
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  • スーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-08-16 16:30  
    200pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはスーパースター・ビリー・グラハムのサイケデリックな世界です!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか

    ■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退



    ■さらばストーンコールド、トリプルH、テイカー!! レッスルマニア38


    ■追悼“レイザー・ラモン”スコット・ホール



    ■コロナに散った『ワールドプロレスリング』海谷ディレクターを偲ぶ
    ■前田日明の「噛ませ犬」だけではないポール・オーンドーフの功績
    ■WWE☓新日本プロレス業務提携の噂、その出元
    ■NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア
    ■ビンスの黒衣、猪木の親友パット・パターソン

    ■晩年のロード・ウォリアーズ
    ■ロード・ウォリアーズの衝撃

    ■追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー

    ■全女消滅後の女子プロレス新世界

    ■木村花さんはドウェイン・ジョンソンのようなスーパースターになるはずだった

    ■女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた

    ■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論■AEWチャンピオンベルト盗難事件■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される ■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇
    ■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
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    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑
    ――今回は先日お亡くなりになりましたスーパースター・ビリー・グラハムを語っていただきます。プロレスの歴史を変えたという評価もされるスーパースター・ビリー・グラハムですが、彼の存在を詳しく知らない世代へ向けて面白い話が聞けるんじゃないかと思います。
    フミ よろしくお願いします。ビリー・グラハムはあまりにも日本での評価が低いというか、その歴史的な立ち位置とステータスが正しく伝わっていないことに憤りをすごく感じるんです。
    ――フミさんが憤るほど!(笑)。
    フミ ボクは年代的にスーパースター・ビリー・グラハム直撃世代なんですけど、日本では評価が低いというよりは、あまりにも不当に評価を受けているといったほうが正しいかもしれません。グラハムがいなかったら、そもそもハルク・ホーガンは存在していません。ビリー・グラハムの影響を受け、グラハムのスタイル(ビジュアル)をコピーしたレスラーの名前を挙げたらきりがありませんが、まずアメリカで一般的な知名度がひじょうに高い元ミネソタ州知事、俳優、現在は政治評論家のジェシー・ベンチュラ、ロード・ウォリアーズのマネージャーだったポール・エラリングも現役時代はビリー・グラハムの完全コピーだった。馬場さん時代の全日本プロレスに何度か来日したオースチン・アイドル、リップ・ロジャースもグラハムのオマージュ。ほかにも何人もいますね。
    ――ビリー・グラハムのフォロワーがたくさんいるわけですね。
    フミ プロレスラーになる前のハルク・ホーガンがフロリダでラッカスというバンドのベースを弾いていた時代、70年代のまんなかあたりですね、ビリー・グラハムの熱狂的なファンだったんです。ビリー・グラハムがNWAフロリダのリングに上がっていたときです。毎週水曜日にタンパのアリーナで試合があって、ホーガンはシーズンチケットを買って毎週必ずリングサイドの3列目の同じ場所に座ってビリー・グラハムの試合を観ていた。ローカルの常連客はそのホーガンの姿を記憶している。プロレスラーになる前のジェシー・ベンチュラは、AWAのミネアポリス・オーデトリアム定期戦でビリー・グラハムと同じタイダイ(絞り染め)のTシャツを着て「俺はビリー・グラハムの弟だ」ってホラを吹いて歩きまわっていた。これも年配の常連ファンがいまに記憶にとどめているローカル伝説なのです。
    ――みんな熱狂してたんですね(笑)。
    フミ あのダスティ・ローデスも“アメリカンドリーム”のニックネームを名乗る前、ビリー・グラハムに「絞り染めのTシャツ、カッコいいからオレも着ていい?」と承諾を求めたというエピソードもあります。無断でパクるのはよくないですから。タイダイなグラハムの専売特許だったわけだし。
    ――なぜビリー・グラハムにそこまで人気があったんですか?
    フミ スーパースター・ビリー・グラハム以前にもボディビルダー上がりの筋肉マン系レスラーはいることはいたんだけど、ド派手なロングタイツ、タイダイのロングタイツ、ヒザ下までの長いリングブーツ、サイケデリックな衣装を身に着け、ブロンドの髪を長く伸ばし、リング上で筋肉ポーズのルーティンを披露して観客との対話を成立させたレスラーは存在しなかった。ビリー・グラハムの場合は60年代後半から70年代のポップカルチャー、つまりサイケデリックだったり、アシッドだったり、ロック音楽でいえばジミー・ヘンドリックスやニール・ヤング的な世界観だったり、ウッドストックのフリー・スピリット(自由な魂)だったり、そういった時代の空気をプロレスのリングに持ち込んだ初めての、文字どおりスーポースターだった。
    ――時代の合わせ鏡的な存在だったんですね。
    フミ あまりにも先端を行き過ぎたプロレスラーだったことで、そのカッコよさに感化されちゃった人がたくさんいたということですね。繰り返しますがスーパースター・ビリー・グラハムがいなかったら、ハルク・ホーガンもジェシー・ベンチュラもレスラーになってないんです。ジェシー・ベンチュラもまた日本での評価は高くありませんが、アメリカではビッグな存在。現役を引退後、WWEとWCWではカラーコメンテーターでしたし、映画俳優としてはアーノルド・シュワルツェネッガーの映画に何本も出ています。そして、ラジオのトーク番組で爆発的な人気を集め、環境派の言論人として政界進出に成功した。
    ――ジェシー・ベンチュラは『プレデター』にも出ていますね。
    フミ ラジオのデスクジョッキーで人気者になったことが大きくて、最終的にはミネソタ州知事にまでなっちゃいました。そのベンチュラもそもそもはスーパースター・ビリー・グラハムに憧れてプロレスラーを志したわけです。
    ――グラハムがいなかったら、そのオマージュの筋肉マン系レスラーたちもも華々しくデビューすることはなかったわけですね。
    フミ いまではあたりまえのヒザの下まで長いリングブーツを履いたのもビリー・グラハムが初めてです。たとえば、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンもヒザのすぐ下あたりまでのものすごい長いリングシューズを履いていたけれど、それもビリー・グラハムの流れなんです。もともとビリー・グラハムはプロレスラーになる以前からボディビルダーで、パワーリフティングでは非公式ながらベンチプレスの世界記録を持っていました。ベニスビーチの有名な『ゴールド・ジム』でアーノルド・シュワルツネッガーと一緒に撮った写真が流布されるような存在だったんです。
    ――ボディビルのほうでも名の知れた存在だったと。
    フミ フットボールでもNFLを目指していたんですが、彼の場合はCFL、カナディアン・フットボール・リーグで何シーズンかプレーした。そのオフシーズンにカルガリーのスチュー・ハートさんからプロレスを学んだんです。
    ――名伯楽のスチュー・ハートに。
    フミ じつはハート家の流れも汲んでいるんです。当時すでに50代だったスチュー・ハートさんが26歳だったビリー・グラハムを“ダンジョン”のマットの上でぎゅうぎゅう絞めたってことですね。
    ――ハート家の地下道場“ダンジョン”で。
    フミ ビリー・グラハムは1970年1月、カルガリーで本名のウェイン・コールマンでデビュー戦をすませたあと、ホームタウンのアリゾナまで帰ってきてプロレスの仕事を探すんだけど、なかなかうまくいかなかった。日本のように団体の道場で練習してデビューできるシステムはなくて、当時のアメリカではどこかで自分でコネクションを作ってプロレスビジネスの中に足を踏み入れるしかなかった。そんなとき、グラハムはアリゾナのナイトクラブでドクター・ジェリー・グラハムと出会った。ドクター・ジェリー・グラハムは60年代に一世を風靡したグラハム三兄弟の長男で、次男がエディ・グラハム、三男がクレイジー・ルーク・グラハム。グラハム三兄弟といっても、典型的なレスリング・ブラザースで血のつながりはないですけど。ビンス・マクマホンが少年時代に一番憧れたレスラーがドクター・ジェリー・グラハムだった。なぜドクターかというと、リング上で相手に催眠術をかけちゃうギミックを売りものにしていたんです。
    ――催眠術レスラー!!
    フミ そのドクター・ジェリー・グラハムは年齢もあってセミリタイア状態だったんですけど、若くてボディビルダー・タイプのビリー・グラハムの話を聞いて「だったら、俺の弟になりなよ」と誘った。メンバーチェンジを繰り返したディープ・パープルじゃないけど、第2期グラハム兄弟がここでスタートするわけです。
    ――ビジネス・ブラザーズというのは、血は繋がってないけど姉妹が売りの叶姉妹みたいなものなんですよね(笑)。

    この続きとクレベル乱闘、鈴木千裕、ドーピング、たまアリ、長井満也……などの8月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事15本」の詰め合わせセットはコチラ
     
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  • “最後のエスニック系ヒール”アイアン・シーク」■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-07-05 16:54  
    200pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは“最後のエスニック系ヒール”アイアン・シーク」です!

     

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    ――今回は先日お亡くなりになったアイアン・シークさんについて語っていただきたいと思います。

    フミ わかりました。ほとんどいまの日本のプロレスファンは、アイアン・シークのことをスーパースターという捉え方はしてないし、新しい世代にファンは名前しか知らない方も多いと思うんですね。

    ――アイアン・シークを知っているのはギリギリ30代のプロレスファンですね。

    フミ 日本では一般的にコシティと呼ばれているイラニアン・クラブというこん棒のような木製のトレーニング器具がありますよね。彼のことを知らなくても、アイアン・シークが巨大なクラブを何百回と振り回デモンストレーションの映像を見たことはあるかもしれません。

    ――アイアン・シークといえば巨大コシティのイメージがありますね。

    フミ 20代のプロレスファンだったらアイアン・シークの存在すら知らないかもしれないし、30代でも馴染みが薄いということになるのかもしれないけれど、実力的にもプロフィル的にも「超一流」というランク付けはしていいんじゃないかと思います。アイアン・シークはあのボブ・バックランドに勝ってWWE(当時WWF)世界ヘビー級チャンピオンになっています。当時のボブ・バックランドは、“ニューヨークの帝王”として足掛け7年も続く長期政権を築いていて、その時代に終止符を打ったのがアイアン・シークでした。それが83年12月のこと。翌84年1月にハルク・ホーガンにベルトを奪われて、そこからハルク・ホーガン時代がスタートします。WWEの全米ツアー体制がスタートして、翌85年には世紀の祭典レッスルマニア第1回大会が開かれ、バックランド時代とはまったく違う新しいWWEの世界がスタートするんですが、アイアン・シークはその時代と時代の接着剤というか、バトンタッチという大きな役割を果たしたんですね。

    ――時代をブリッジしたレスラーのイメージがめちゃくちゃ強いですね。

    フミ アイアン・シークがバックランドからベルトを奪ったのが83年12月で、ハルク・ホーガンに奪われたのが84年1月だから、たった1ヵ月の短期政権ではあるんです。そこだけクローズアップしちゃうと、バックランド政権からハルク・ホーガン政権へのトランジションにすぎないかもしれないけれど、バックランドからすれば「アイアン・シークだったらベルトを取られても仕方がない」と思ったわけです。

    ――あー、なるほど。そこは大事な視点ですね。

    フミ 短期政権ながらWWEのベルトを腰に巻くのにふさわしい人材だったということですね。バックランドとアイアン・シークのタイトルマッチは、じつは元NCAAチャンピオン対元AAUチャンピオンの対決だった。ふたりとももともとはレスリングの全米チャンピオンでしたから、アイアン・シークの実力を認めていたのでしょう。バックランドに勝ってチャンピオンになってもまったく不自然ではない実力派だった。その経歴を簡単に紹介すると、1942年生まれだから年齢は猪木さんよりひとつ上。享年81だからいいお歳ですね。じつは60歳過ぎまでインディー・シーンで細々と現役を続けていたのは、やっぱりビッグネームで、シークが出場することで興行が成立するからです。なぜアイアン・シークがアメリカでそこまでヒールとして売れたかというと、1979年に起きた、世界を震撼させたイランのアメリカ大使館人質事件がありましたよね。

    ――あのときは人質を救出するために架空のSF映画『アルゴ』をでっちあげて、人質がその映画スタッフになりすましたという。その模様を描いた映画『アルゴ』はアカデミー賞作品賞になりました。

    フミ あの事件が起きたことで、アメリカ国内でイランは敵国となったわけです。アイアン・シークはイラン出身でしたが、デビュー当時は本名のコシロ・バジリ(発音はカズロー・バシーリ)を名乗り、レスリング出身の地味なベビーフェイスでした。イランアメリカ大使館人質事件をきっかけにヒールになったわけじゃなくて、その事件からさかのぼること3年前の76年頃からアイアン・シークに変身していた。

    ――事件前にベビーからキャラチェンジしたんですね。

    フミ アメリカのプロレスのキャラクター設定では、中東系というかイスラム系はヒール的なポジションだったんですが、あの事件が現実の世界で起きたことでアイアン・シークは本物のヒールになってしまったわけです。

    ――つまり、作られた悪役だったわけじゃないと。

    フミ キャラクター先行というわけではなく、レスリングの実力も兼ね備えた本格派の悪役。WWEの公式プロフィールでは、レスリングのイラン代表選手としてメキシコオリンピックに出場……ということになってはいるんですが、実際はオリンピック出場経験はないんです。1970年にイランからアメリカに亡命して、アメリカでグリーンカード(永住権)を取りました。そしてAAU全米選手権のグレコローマンで優勝している。選手としてはオリンピックに出場していませんが、やっぱりレスリングの実力は本物なので、72年のミュンヘン、76年のモントリオールの2大会でアメリカ代表チームのコーチを務めた。

    ――それでいてプロレスでは反米キャラをやってるわけですから面白いですね。

    フミ プロレス入りしたのはAWAのバーン・ガニア道場で、リック・フレアーやケン・パテラらといっしょにトレーニングに汗を流しました。74年にはコシロ・バジリの本名で新日本プロレスに初来日。そのときはそれほど注目されなかったんだけど、斜めに反って落とすジャーマン・スープレックスはマニアの目に止まってました。プロレス式のジャーマンは綺麗に弧を描くブリッジでフォールを取る技ですが、アマレス式は斜めに落としていって、そのままグラウンドの体勢になってもグリップの手を離さない。こんなジャーマンがあるんだってことで密かに注目されていたんです。アイアン・シークに変身してからの必勝パターンはサイドスープレックス、アメリカでガットレンチって呼ぶんですけど、そこからのキャメルクラッチですね。

    ――キャメルクラッチは中東系ヒールの大御所ザ・シークからの流れなんですね

    この続きと極真幻想、三崎和雄、新生K-1、アダルトビデオ……などの6月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事14本」の詰め合わせセットはコチラ
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  • 【WWEとUFCの合併】ビンス・マクマホンの幕引きはいつか■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-05-01 21:40  
    180pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはUFCとの合併とビンス・マクマホンの幕引きです!

     

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    ――驚愕のニュースが発表されました。WWEがUFCの親会社エンデバーに買収され、UFCとの合併新会社が設立されることになりました。
    フミ 凄く大きなニュースであることはたしかなのですが、まだまだ謎だらけの発表でもあるんです。これはエンデバーによる完全な買収なのか、あるいは吸収合併のようなものなのか、WWEとUFCの2社の合併を意味するものなのか。形としてはUFCとWWEが合併して新法人設立という報道がされていますよね。そもそも今年に入ってからWWE身売りの噂はずっとくすぶり続けていて、NBCやFOXが候補になっているとか、それこそディズニーの名前も有力候補として挙がり、サウジアラビアの政府系マネーによる買収が確定事項かのように報じられていました。
    ――WWEはサウジアラビアの政府ファンドから招聘されてPPVのビッグマッチを組んでいましたね。
    フミ WWEの総資産は93億ドル、いまのレートで約1兆2400億円と言われていますが、日本のプロレスの市場規模から考えると想像もつかないスケールですよね。そのWWEとUFCの合併新会社の総資産価値はこれがまたとんでもなくて、210億ドル、日本円で約2兆7930億円とされている。
    ――あくまで紙の上の数字とはいえ、小国の国家予算クラスですねぇ。
    フミ 新会社は新銘柄としてニューヨーク株式市場に上場する予定で、上場企業ですから、証券会社に行けば基本的にはだれでもその会社の株を買えるわけですね。
    ――ちょっと買いたくなってきましたね(笑)。
    フミ 新しい法人の名称はWWEでもUFCでもなく「TKO」になるのではないかといわれていますが、エンデバーとWWEの関係は買収なのか、合併なのか、吸収合併なのか、新会社設立なのか、いまのところそのディテールがわかりにくい。
    ――WWEは先代のシニアの頃から個人商店としてずっとやってきたわけじゃないですか。
    フミ 現在のビンス・マクマホン、ビンセント・ケネディ・マクマホンが父親のビンセント・ジェームズ・マクマホン、つまりビンス・マクマホン・シニアから興行会社を買い取ったのが現在のWWEのルーツです。父ビンス・シニアが興行会社キャピタル・スポーツ・コーポレーションのブランドとしてWWWF(ワールドワイド・レスリング・フェデレーション)を設立したのが1963年ですから、今年でちょうど60周年なんです。ビンスがそのキャピタル・スポーツを買い取り、タイタンスポーツに社名変更したのが1983年。こちらも今年で40周年という節目です。そのビンスは1945年生まれですから、今年8月の誕生日が来れば78歳。やっぱり高齢といえば高齢ですから、復帰したとはいえ、いくらなんでも現場でバリバリ働くような年齢ではないと思うんです。
    ――でも、今回の買収の件がきっかけかはわからないですが、引退したはずのビンスが現場で指揮を振るっているという話が出ていますね。
    フミ ビンスは昨年セクハラ、パワハラのスキャンダルが明るみに出て退陣=引退することになりましたが、WWEの筆頭株主であることに変わりはなかった。今回の買収の件でエンデバーのオーナーと一緒に記者会見をしたり、最近はメディアでの露出、映像の出演シーンがまた増えていますが、久しぶりに公の場に登場してきたビンスはいままでのルックスとあまりにも変わっちゃって、それも話題になっている。
    ――WWEの買収よりビンスの風貌にビックリした人も多いですよね(笑)。
    フミ 顔面蒼白じゃないけど顔色がやや青白いし、珍しく口ひげを蓄えていて、それこそ顔中を整形でもしたんじゃないかっていうくらいの変わり方ですもんね。アメリカの場合はデトックスが一種の流行というか、ビンスもそうだとは断言はできませんが、セレブの人たちは顔が老けないように整形したりするケースがかなりあり、そのせいでむしろマネキン顔になっちゃったりすることがありますね。
    ――逆に不自然になってしまうケースですね。
    フミ そのビンスが会長職を下りて退社し、表舞台から去ったのは昨年6月のことですからあれから1年も経っていないのにビジュアル的な印象はかなり変わっています。ビンスの引退後は娘のステファニーがCEOを引き継ぎましたが、ニック・カーン現社長との共同執行体制。プロレスの現場、とくに月曜のRAWと金曜のSmackDownの番組制作はトリプルHが仕切ってきましたが、その間、企業としてのWWEの運営自体はそのニック・カーンの手に移っていきました。
    ――つまりビジネス面や現場の役割分担が明確になっていったと。
    フミ WWEは株式を公開しているとはいえ根本的には同族会社なので、ステファニーがCEOに就任しましたが、ぴったり時計で測ったように、6カ月間の冷却期間を置いてビンスが戻ってきちゃった。ビンスがWWEを売却に動いていたことは、ビンス自身の引退と直結した何かだととらえた人は多かったわけですよね。ところがエンデバーの買収が正式発表されたら、引退するものと思われていたビンスが意外にもカメラの前に出まくっている。状況の分析と整理が難しい展開になっているんです。
    ――前回の引退は不本意だったから、“真”の引退に向けて最後の顔出しなんですかねぇ。

    この続きと斎藤裕、平本蓮、引き込み問題、今成夢人、サイモン猪木…などの5月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事15本」の詰め合わせセットはコチラ
     
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  • 武藤vs内藤が問う観る側のプロレス・リテラシー■斎藤文彦INTERVIEWS

    2023-03-26 16:35  
    180pt

    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは武藤vs内藤が問う観る側のプロレス・リテラシーです!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■WWE身売り説とSNS情報の暴走

    ■WWEもAEWも協力する武藤敬司引退ロード■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

    ■IWGP女子王座の違和感の正体

    ■WWE総帥ビンス・マクマホン引退


    ■新日本プロレスが丸ごと直輸入された『FORBIDDEN DOOR』
    ■新日本プロレスvsAEW「禁断の扉」の行方

    ■さらばストーンコールド、トリプルH、テイカー!! レッスルマニア38


    ■追悼“レイザー・ラモン”スコット・ホール
    ■【お家騒動】シェイン・マクマホンがWWEをクビに?


    ■対抗戦?交流戦?新日本vsNOAHから見えてくる2022年
    ■アメリカで英語化されたPURORESUプロレス
    ■AEWはWWEのライバルになりえるのか


    ■コロナに散った『ワールドプロレスリング』海谷ディレクターを偲ぶ
    ■前田日明の「噛ませ犬」だけではないポール・オーンドーフの功績
    ■WWE☓新日本プロレス業務提携の噂、その出元
    ■ドラマが現実化するプロレス版・星野源&新垣結衣は?■NWAの最期を看取った男ジム・クロケット・ジュニア
    ■ビンスの黒衣、猪木の親友パット・パターソン

    ■晩年のロード・ウォリアーズ
    ■ロード・ウォリアーズの衝撃

    ■追悼! 佐山タイガー最大の難敵・初代ブラックタイガー

    ■全女消滅後の女子プロレス新世界

    ■木村花さんはドウェイン・ジョンソンのようなスーパースターになるはずだった

    ■女子プロレスの景色を変えた女帝・ブル中野■マッハ文朱が女子プロレスというジャンルを変えた

    ■新日本プロレスの“ケニー・オメガ入国妨害事件”という陰謀論■WWEvsAEW「水曜日テレビ戦争」の見方■WWEペイジの伝記的映画『ファイティング・ファミリー』■AEWチャンピオンベルト盗難事件■「ミスター・プロレス」ハーリー・レイスの偉大さを知ろう■ウルティモ・ドラゴンの偉大なる功績を再検証する■都市伝説的試合映像ブレット・ハートvsトム・マギー、ついに発掘される ■【追悼・爆弾小僧】すべてはダイナマイト・キッドから始まった
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」



    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
    ■WWEの最高傑作ジ・アンダーテイカー、リングを去る■『1984年のUWF』はサイテーの本!
    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


    ■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻る



    ■超獣ブルーザー・ブロディ

    ■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……
    ■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜




    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
    ■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男■追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑

     
    ――今回のテーマは武藤敬司引退試合とあの日の興行全体の総括になります。
    フミ はい、よろしくお願いします。すでに語り尽くされている感はあるのですが、観る側のパースペクティブ(視野)といったらヘンかもしれないけれど、観戦歴3年のファンだったらその3年の視界で見ていただろうし、観戦歴10年のファン、観戦歴20年のファンはそれぞれの視野、それぞれ視界、それぞれに違ったものが見えていたんだと思うんです。
    ――フミさんは何年ぐらい武藤敬司というプロレスラーを見てるんですか?
    フミ ボクはヤングライオン時代からずっと接してきました。
    ――それはぜいたくですね。
    フミ 「大量離脱事件」で新日本プロレスの所属選手がスカスカになった時代、いわゆる「冬の時代」でした。1984年に第1次UWFと長州軍団ジャパン・プロレスができて、合計すると30選手くらいが突然、新日本のリングからいなくなった。トップがアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾、木村健悟だけという陣容で、闘魂三銃士となる武藤、橋本真也、蝶野正洋、のちに誠勝と改名する船木優治、いまはAKIRAの野上彰、この5人が84年入門のヤングライオンだった。武藤さんは第1回ヤングライオン杯(85年)では優勝しなかったんだけど、同年11月、大抜てきを受けてアメリカ武者修行に旅立った。そのあとボクは『週プロ』の取材でフロリダにいる武藤さんを訪ねたんです。「武藤敬司の光と影」というタイトルで長い記事を書きました。
    ――新人のインタビューで「光と影」というタイトルは面白いですね。
    フミ デビュー当時から「光と影」はあったんです。UWFが社会現象になるちょっと前。前田日明、藤原喜明、髙田延彦らが新日本から第一次UWFに移り、そこにタイガー・ジムから佐山聡と山崎一夫が合流した。『週プロ』はこの第1次UWFをすごく応援していた。長州軍団はジャパン・プロレスという団体になって業務提携というかたちで全日本プロレスと契約した。そんな状況だから野毛道場のヤングライオン、というかフツーの新弟子の感覚だったら「ボクたちはこれからどうなるんだろう?」と不安になるはずです。でも、武藤敬司の場合は「ラッキーじゃん。俺らすぐテレビ出れるよ」と受け止めていたんですね。
    ――トップ、中堅どころがいなくなったからチャンスがすぐに回ってくる、と。
    フミ 実際に異例の大抜てきを受けてアメリカ武者修行に行ったわけです。ボクが会いに行ったときは、フロリダでケンドー・ナガサキこと桜田一男さんが運転する車に乗せてもらって、試合会場まで行って、試合後は一緒にメシを食べて、バーでお酒を飲みました。その頃の武藤さんはキャリア1年ちょっと、23歳でしたが、いまとまったく同じキャラでした。
    ――明るくてあっけらかんとして。
    フミ デビューした直後から大物感がすごかった。「冬の時代」と言われた85年の新日本プロレスの第1試合、第2試合のポジションで、黒タイツで黒シューズの武藤敬司は普通に側転エルボーをやっていましたから。
    ――新人なのにそんな大技が許されているのがすごいですよ(笑)。
    フミ 代名詞となるムーンサルトプレスをあたりまえのように使っていました。武藤さんのムーンサルトとのちの小橋建太スタイルとの違いは、小橋スタイルは大きな弧を描くイメージですが、武藤スタイルはデビュー当時は大きな弧を描いて宙を舞うフォームだったものが、キャリアを積んでいくなかで、飛距離とインパクト(衝撃度)をすごく意識するようになって、スピードをつけて低めに飛んでいってリングの真ん中あたりでズドンといくスタイルに変わっていった。
    ――ラウンディング・ボディプレスとも呼ばれてましたね。
    フミ のちの武藤さんはムーンサルトのやりすぎでヒザを悪くしてしまいましたが、当時は22、23歳ですからどこも故障はなかった。ボクも新人記者でしたが、ベテランの先輩記者たちも「これはとてつもない新人」と最初から感じていました。フロリダ遠征から日本に帰ってきて、610(武藤)スペース・ローンウルフの時代があって、それから相米慎二監督の映画『光る女』に主演したこともあった。
    ――昨年ニューマスター修復版Blu-rayが発売された伝説の作品。
    フミ 当時、週プロ編集部では『週刊プロレス』以外に月1ペースで『プロレスアルバム』というムック・シリーズを出していたんですね。そのときボクは武藤敬司特集『武藤敬司発進!』を担当しました。
    ――思い出は尽きないわけですね。武藤さんの引退試合は内藤哲也とのシングルマッチでしたが、終了後に同期の蝶野正洋との試合も行なわれるというサプライズがありました。
    フミ 蝶野正洋にとっても引退試合になった、というふうにボクはとらえています。シチュエーションとしてはあくまでもカーテンコールというかボーナストラックでしたが…。やっぱり、メインイベントの内藤選手とのシングルマッチがたいへん見応えがありました。28分58秒のシングルマッチなのに、最後の最後までロープワークが一度もなかったんです。
    ――それはすごいことですね!
    フミ 武藤さんのヒザとハムストリング(大腿部裏)の状態がよくないからロープワークが難しかったという見方も成り立つんですが、それでも30分近く、重厚な試合ができちゃうわけです。今大会は全体としてはタッグマッチが多かったんですが、誰かがヘッドロックを取ると、次の瞬間にはもうロープに向かって走っていくシーンばかりが目についた。武藤vs内藤にもサイドヘッドロックの攻防はありましたが、イージーにロープに走ることはなかった。ロープワークからはすぐに大技にいける利点もありますが、動きが段取りっぽく見えてしまう弱点、欠点があるんです。
    ――いまは攻めてるほうが急にロープに走ってカウンターを食らうシーンが多いですもんね。
    フミ せっかくヘッドロックを取っているのに、それを逃がしてロープに走られて、相手が跳ね返ってきたところでショルダーブロックを食らって倒されちゃうというシーンがありますね。ヘッドロックを取って相手をコントロールしていたことがムダな動きになってしまいますね。ところが、武藤vs内藤は30分近い試合なのにそういうロープワークが1回もなかった。
    ――ロープに飛ばなくても見せられると。
    フミ まず、初期設定からふり返ると、この興行は平日の火曜日の開催だった。ダークマッチがスタートしたのは午後4時。そうすると集客は苦しいというか、社会人はこの開始時間には会場には来られない。
    ――平日の開催って会社終わりの18時半スタートが定番ですよね。
    フミ それこそ仕事を休んで観戦に来た人はいたでしょうし、ボクも気になったから昼過ぎの12時半くらいに東京ドームに行ったんです。そうすると午後1時あたりから水道橋駅、東京ドームの周りにはすでにプロレスファンが溢れていました。
    ――有休を取ったプロレスファンの群れですかね(笑)。
    フミ 今大会は3部構成の全11試合。東京女子プロレスとDDTの提供試合がそれぞれあって、DRAGONGATEvsノア、それから全日本vsノア。宮原健斗&諏訪魔&青柳優馬vs拳王&中嶋勝彦&征矢学のタッグマッチは、この大会じゃなかったらメインになってもおかしくないようなラインナップです。NOSAWA論外の引退試合として外道&石森太二vs NOSAWA論外&MAZADA、それからノンタイトルですが高橋ヒロムvs AMAKUSAのシングルマッチオはIWGPとGHCのジュニアヘビー級王者の対戦。セミファイナルのオカダカズチカvs清宮海斗もノンタイトルではあるけれど、これもIWGPとGHCのヘビー級チャンピオンの初対決。オールスター戦といっていいカードが並びましたよね。3部構成の第3部のオープニング、試合順としては全11試合中の8試合めの外道&石森太二vsNOSAWA論外&MAZADAの試合が始まったのが18時半ちょうどだっ。大会開始が16時ですから、出場レスラーが多いわりにはイベント進行のテンポがよかったんです。
    ――試合はさくさく終わりましたね。
    フミ 今回の興行には総勢58選手が出場していた。でも、6人タッグマッチや8人タッグマッチの試合時間はだいたい6、7分だった。小川良成チームvs小峠チームの10人タッグは、小川良成が1回もタッチせず、リングインする前に小川良成のチームが勝って試合が終わった。試合ですから、たしかに10人タッグマッチだからといって10選手全員がまんべんなく出てきて、それぞれに見せ場を作る必然性はない。試合ですから、勝ち負けを争っているという意味においては、どこでどう終わってもおかしくない。ボクはこの試合は勉強になりました。どういうことかというと、ここでは、一度も試合に参加せずに入場シーンだけで帰っちゃった小川良成の存在がむしろ際立つんです。
    この続きと平本蓮、平良達郎、武藤引退、鈴木秀樹、西川大和……などの3月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事14本」の詰め合わせセット」はコチラhttps://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2145049この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事150円から購入できます!

     
  • WWE身売り説とSNS情報の暴走■「斎藤文彦INTERVIEWS」

    2023-02-19 09:45  
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    80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマはWWE身売り説とSNS情報の暴走などです!

     

    Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■WWEもAEWも協力する武藤敬司引退ロード■猪木を語ることは自己の人生を語る行為である

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    ■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期

    ■“怪物脳”に覚醒したケニー・オメガ■怪物デイブ・メルツァーと『レスリング・オブザーバー』■新日本プロレスのMSG侵攻は「WWE一強独裁」に何をもたらすのか■怪物ブロック・レスナーを通して見えてくる「プロレスの作り方」■追悼・マサ斎藤さん……献杯はカクテル「SAITO」で■皇帝戦士ビッグバン・ベイダーよ、永遠に■ジャイアント馬場夫人と親友サンマルチノ、2人の死――■ベルトに届かず…されど「世界に届いた中邑真輔」のレッスルマニアを語ろう ■ステファニー・マクマホン、幻想と現実の境界線がない生活■ロンダ旋風、中邑&ASUKAダブル優勝!! ロイヤルランブル1万字総括■アメリカンドリーム、ゴールダスト、コーディ……ローデス親子それぞれの物語■ジェリコvsケニー実現で考える「アメリカから見たプロレスの国ニッポン」■みんなが愛した美人マネージャー、エリザベス!■職業は世界チャンピオン! リック・フレアー!!■怪死、自殺、大事故……呪われた鉄の爪エリック一家の悲劇■ミスターTからメイウェザーまで! WWEをメジャー化させたセレブリティマッチ
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    ■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」


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    ■伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』 
    ■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集い
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    ――2023年のプロレス界も新年早々いろんな動きがありました。
    フミ 新日本プロレスのイッテンヨン東京ドームには元WWEのサーシャ・バンクスあらためメルセデス・モネが登場しました。ボクは12月29日のスターダム両国国技館と、このイッテンヨンとはひとつのセットとして考えたいんです。
    ――メルセデス・モネはIWGP女子王座戦KAIRIvs中野たむの試合後に現れました。
    フミ こういう言い方するとサーシャ・バンクス批判みたいになっちゃうかもしれないけれど、サーシャ・バンクスあるいはアメリカ側が捉えているところの彼女の商品価値と、日本のマーケットにおけるその知名度はあまりにも乖離しているんですね。サーシャ・バンクスはこれまでWWE日本公演にも来ていますし、スマックダウン女子王座をはじめとする女子の王座を何回も取ってはいるんですが、WWEでの実績と日本市場での立ち位置はまったく別モノですね。日本ではWWEのテレビ中継(J-スポーツ=スカパー)は2021年をもって終了している。ロウとスマックダウンのコマーシャルなしの短縮版はアメリカでの初回放送から24時間後にYouTubeにアップされているんですが、この映像は英語版のみで日本語字幕はなし。コロナ禍の影響もあって、それまで約20年にわたり毎年行われてきたWWEジャパンツアーは2020年から3年連続で中止になっていて、再開するかどうかもわからない。現在、日本ではWWEは限られた環境でしか楽しめないものになっているんです。
    ――日本でWWEの浸透度は低くなっていますね。
    フミ それでもWWEにとって日本は全世界のテリトリーのなかの一部みたいな認識がアメリカ側にはあって、アメリカで人気があるものは当然日本でも受けるものだという、わりと根拠に乏しい大前提があったりするんです。揚げ足を取るわけではないけれど、東京ドームの花道に現れたメルセデス・モネに会場内は“ドーンッ”とは沸かなかった。うんともすんともリアクションがなかったのは事実です。あのシーンは、日本の観客に向けてというよりはアメリカ市場向けの映像だったというのが現実ですよね。
    ――そこはもうある程度覚悟してるんじゃないですかね。なにしろ初登場なわけですから。
    フミ でも、アメリカ側のマーケティングから考えれば納得も理解もできない状況でしょう。KAIRIとメルセデス・モネのIWGP女子タイトルマッチはカリフォルニア州サンノゼの新日本興行の目玉カードだから、やっぱりこれはアメリカ市場における大きなストーリーということになる。スターダムマターではなくて、どちらかというとブシロードマターですね。スターダムがメルセデス・モネを招いて、スターダムのリングで試合をさせるというビジネスではない。メルセデス・モネはツイッターでは400万近くフォロワー、インスタでは200万人ぐらいフォロワーがいて、数字から判断すれば影響力はものすごくあるようにみえる。今回のイッテンヨン東京ドームのPPV配信は海外からの視聴契約数がいきなり10万件くらいアップしたといわれ、数字のうえで結果が出たことはたしかだと思うんです。ただ、それはおそらくメルセデス・モネ効果だけではなくて、ケニー・オメガvsウィル・オスプレイが英語圏で数字を稼いだと見たほうが妥当ですよね。
    ――まあメルセデス・モネは今回試合自体はしてないですし。
    フミ 今回のメルセデス・モネのデビューの仕方を見ると、ブシロードがスターダムあるいは女子プロレスというジャンルをどう捉え、どういうビジネスモデルを想定しているかというところが見えてくるわけです。イッテンヨンではIWGP初代女子王者、KAIRIの初防衛戦(挑戦者は中野たむ)がありましたが、大きな話題作りがあって新設されたばかりのタイトルなのに全9試合の中で第2試合目にラインアップされていた。しかも試合時間は正味5分だった。
    ――今回は他の試合もショートタイムでしたね。
    フミ KAIRIと中野たむのタイトルマッチがスターダムのリングで行われた場合をシミュレーションすると、どう考えても20分から25分は与えられるべき試合なんですね。最後はKAIRIのトレードマークのダイビングのエルボー、インセインエルボードロップ1発できれいに決まる。初代IWGP女子チャンピオンのKAIRIがきれいに防衛するというのは、それでいいでしょう。しかし、実際にはタイトルマッチ自体がその直後に花道に登場してるメルセデス・モネのための予告編にしかなっていなかった。第2試合ということもそうだし、タイトルマッチなのに試合タイムは5分。そこでいったい何が観客に提供されたのかというところを読み解いていくと、女子プロレスは新日本のお皿の上に乗っちゃうと、こういう形でしかディスプレーされないんだろうなということが見えてくる。というのは、メルセデス・モネの試合後のコメントからもわかるように、それがアメリカからの認識といってしまえばそれまでなのかもしれないけれど、まるでスターダムが新日本プロレスの女子ディビジョンみたいな認識になっているわけです。メルセデス・モネのコメントは「私は女子のブループリントで、女子のスタンダードで、ウィメンズディビジョンのCEO」というものだった。ウィメンズディビジョンって女子部門ということですね。WWEでいうところのメンズディビジョンとウィメンズディビジョン。つまりWWEの中には男子部門と女子部門があることはたしかなんだけれど、日本では新日本プロレスとスターダムは、親会社が同じといっても、まったく別団体で、イコールではないですよね。
    ――同じグループとはいえ違う団体ですね。
    フミ オーナーは同じだけれど並列ではない。別法人で、それぞれに契約所属選手を抱えていて、別々の年間興行スケジュールがあって、まったく別々のドラマがある。ところが、アメリカのほうのからの認識と理解では、オーナーのブシロードが上部に立っているということで、スターダムは新日本の女子プロレス部門っていうふうに捉えちゃってる感じがすごくあるわけです。
     ただ、IWGP女子王座だけに関していえば、やっぱり新日本のリングのなかにあって初めて成立するものなのだろうというふうには思います。実際に今回の展開が予告編になって、KAIRI vsメルセデス・モネは新日本プロレスのサンノゼ公演でメインイベントになったわけです。
     イッテンヨンでもパンフレットに印刷されていたKAIRIの所属先はスターダムではなく「フリー」という記載になっていた。KAIRI選手はあくまでもフリーの立場で世界じゅうをツアーするIWGP女子世界チャンピオンということですね。つまりIWGP女子王座が新日本の海外マーケット向けの重要なツールになるのだとすれば、すべてつじつまが合ってくるというか、KAIRIというスーパースターのステーテスとこれからの立ち位置を考えると、そういうレイアウトが一番すっきりするような気がします。

    この続きと佐藤大輔、猪木側近、堀江圭功、梅野源治、清宮「顔面蹴り」……などの2月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「13万字・記事14本」の詰め合わせセット」はコチラ
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  • WWEもAEWも協力する武藤敬司引退ロード■「斎藤文彦INTERVIEWS」

    2022-12-12 18:34  
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    ――きょうは「武藤敬司引退ロード」というテーマでお願いします。日本とアメリカを股に掛けて活躍した武藤敬司が2月に東京ドームで引退します。
    フミ 今回の引退ロードは武藤敬司だから実現していることがいくつもあるんです。まず先日発表されたノア1月1日の中邑真輔戦。WWE所属の中邑真輔がワンマッチ限定で参戦します。このカードは10月のノア有明アリーナ大会のなかで映像で発表されましたが、日本人対決では思いつくかぎりの夢のカードです。これまた用意周到というか、武藤敬司の引退ロードはこの武道館のあとには1月22日の横浜アリーナもあって、そこにはAEWからスティングとその子分のダービー・アレンがやって来て、グレート・ムタとトリオを組む。
    ――ムタのライバルだったスティングとの物語に終止符が打たれるわけですね。
    フミ 2月22日東京ドームはリングサイド最前列が50万円ですよね。しかも、席数限定のチケットはすでに完売。引退試合の対戦相手はまだ発表されていませんが、おそらく1・1の武道館あるいは1・22の横アリにおいてまたしても衝撃映像で発表されるでしょう。とんでもないカードが出てくるということでしょうね。
    ――中邑真輔戦を超えるカードですか!!
    フミ 武藤敬司いわく「誰とやったかみんなが覚えていないような引退試合はイヤなんだ」と。たとえばアントニオ猪木さんの引退試合は、その相手を決めるトーナメントをやりましたよね。
    ――ドン・フライ、ブライアン・ジョンストン、小川直也、イゴール・メインダートの1DAYトーナメントでドン・フライが勝ち上がって。
    フミ そのせいでかえって猪木さんの引退試合の意味合いというか味が薄まっちゃったというか。長州力の最初の引退試合も新日本正規軍5人掛け(藤田和之、吉江豊、高岩竜一、飯塚高史、獣神サンダーライガー)でした。そこには長州さんが新日本に何かを残していくというテーマがあったけれど、武藤敬司っていう人はどちらかというとチームプレーヤーというよりは“個”の人。だから、みんながあっと驚くとんでもない隠し玉が用意されている。最後の最後に東京ドームという巨大な空間ですから、ここは世界じゅうがびっくりするようなシングルのカードということになるのでしょう。
    ――なるほど、ハードルを上げますね(笑)。
    フミ ハードルは上がってきます。今回のグレート・ムタvs中邑真輔でいえば、マニア層のファンほど妙な深読みをして、プロレスリング・ノアとWWEがビジネスをするようになったの?というふうに勘繰りがちなんだけど、これはもう本当にノアとWWEが業務提携するといった話ではなくて、団体の境界線も、それこそ国や文化や言語のカベを超えた武藤敬司というスーパースター、つまりスーパースター・マターだからこそ、あのWWEが協力を惜しまずという姿勢を見せたということですね。
    ――武藤敬司の顔があるからですね。
    フミ ビンス・マクマホンからトリプルHへの政権交代があったことで、他団体との交渉に関しては、ビンス御大よりもトリプルHのほうがはるかに柔軟ということはあると思うんですね。ちなみに武藤敬司はこの12月23日の誕生日が来るとついに60歳です。あのスタイルとつねにヒザに爆弾を抱えた状態で、還暦までプロレスをつづけることができるとは思っていなかったでしょう。いまアメリカのレスリング・ビジネスで決定権を持つようになった、たとえばトリプルH世代のエグゼクティブにとってムタは大スターなんです。
    ――現在のトップレスラーや関係者のプロレスファン時代のスターってことですね。
    フミ 横浜アリーナに来るスティングにしても現在64歳ですか。いちど現役から遠ざかって、また復帰して、いまはおそらくシングルマッチができる体調ではないんだけれど、スティングはスティングであり続けるという部分で、そこはグレート・ムタと共通するところがあるのでしょう。グレート・ムタがそこにいるのであるならば、AEWは喜んでスティングを送り出しますよ、ということですね。そこはWWEもAEWも対応は同じですね。グレート・ムタ、武藤敬司の現在の所属団体はプロレスリング・ノアなんだけれど、武藤がそこにいるからこそ実現するビジネスという領域があることを証明しちゃったわけです。
    ――同時期にWWEとAEWが協力するってすごいですよね。
    フミ 団体の枠を超えた、というフレーズそのものは簡単に言えるけれど、実際にそれをやっちゃうところに武藤敬司のすごさをあらためて思い知らされるわけです。新日本にしても、先日の新日本とスターダムのコラボのイベントにしても、そこにやっぱりグレート・ムタをレイアウトしますよね。いつでも出てほしい。また出てほしい。武藤敬司っていう人は日本の現役レスラーのなかで最も単価(ファイトマネー)が高い選手ですよね。だけど、出てほしい。引退ロードが始まったことで、なおさら出てほしいわけです。アメリカのAEWのTVマッチにいきなり予告なしに登場しましたが、ムタが引退することが明らかになったらアメリカのいろんな団体から「一度出てくれませんか」というリクエストがすごかったんです。ボクのところにまで調査の連絡がありましたから。

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