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不安、焦り、を感じるときに......「たくさん迷ってもいい」と思えるアノ人の言葉
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不安、焦り、を感じるときに......「たくさん迷ってもいい」と思えるアノ人の言葉

2013-07-29 12:00
  • 17

30代女性は大きな決断を迫られる場面も少なくありません。キャリアや結婚、子育てはもちろん、親の年齢も上がってきて健康が心配になってくることも......。どれも人生を左右することばかりなので、なかなか答えが出せずに迷ってばかり。「もういい大人なのに、決められずにいていいのかしら......」なんて思います。そんなときに思い出すのが、かの有名な次の言葉です。



30代はまだ迷っていい、そう思える孔子の言葉

「子の曰わく、
吾れ十有五(ゆう)にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(みみしたが)ふ。
七十にして心の欲する所に従って、
矩(のり)を踰(こ)えず」

(口語訳)

「先生がいわれた、
「わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命をわきまえ
六十になって人のことばがすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった

(出典「論語 金谷治訳」岩波文庫 P.35)

この言葉から、四十歳を「不惑」(ふわく)=「まどわないこと」ということもあるそう。かの孔子でさえ迷わなくなったのは40歳だというのだから、「私も迷っていてもおかしくないんだ」なんて思えてきます。

30代は自立した大人とはいえ、まだまだ自分が確立できていなくて不安定な年代。自分や周りに真摯に向き合い、30代のうちにたくさん迷って、行動して、また考えて......40歳になったときに「私はたくさん考えてきたからもう大丈夫」と自信が持てればいいんだと、この言葉を知ってからそう思うようになりました。

[論語 岩波文庫/amazon]

(杉本真奈美)

RSSブログ情報:http://www.mylohas.net/2013/07/03137540_0729.html
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他7件のコメントを表示

そもそも「惑わずに生きる必要がある」という前提は必要なのだろうか?
惑って生きるのも、それはそれで楽しい人生なんだけどなあ……。
惑わない人って独善的な、頭が固い、他人の声が聞けない人が多いし。
まどいつつ、最低限「道をはずれない」くらいを目指せば良いんじゃないの?

No.9 136ヶ月前

孔子とかなつかしいなww

No.10 136ヶ月前

悩んでるということはそれが今必要な事なんだから、
変に焦らず自分のペースを乱すことなく進めばいい
ってことかしらん

No.11 136ヶ月前

今の時代が急ぎ過ぎだと思うんですがね。そして昔の人だって健康で何事も無ければ普通に70以上生きると思うけど。自然のモノ食ってるわけだし

No.12 136ヶ月前

あの孔子が四十にして…て言ってるくらいだから、凡人の自分は八十くらいまでなら迷ってもOKかなと思っている

No.13 136ヶ月前

15~29歳は周りの意見に耳を傾け学び
30~39歳は学んだことを生かし色んなことに挑戦してみて
40歳以降はあれこれと些細な事に迷わず 30歳の時に見つけた "これだ"っていうものに前進する か…
自分もこうありたいものだな

No.14 136ヶ月前

いや、60になっても素直に周りの意見は聞くみたい。
と言うか「素直に参考にする」という姿勢は一生必要だと思う。
聞く姿勢がある以上、ある程度の迷いはついて回るでしょう。
ヒトラーは30歳の時に見つけた政治信条で独裁者まで上り詰めたみたいだけど、私はそうありたいとは思わないな……今のところは。

No.15 136ヶ月前

なお、これにより誕生するのは中国国民の模様

No.17 136ヶ月前

儒教は女に対し差別的ですよ 孔子の教えでも男女七歳不同席というのがあります

No.18 136ヶ月前
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