ニュースでは連日のように残虐な事件が紹介されます。そのたびに「なんてひどいことをするのだろう」と、憤りを感じるものです。
その憤りがあるからこそ、自分が犯罪者側の心理状態ではないという安心感にもつながるのですが、ネガティブにもとらえられるこの感情は、手放しで喜ぶべき反応なのでしょうか?
罪を憎むというのも、憎しみのひとつ精神科医デヴィッド・R・ホーキンズ博士は著書『<わたし> ―真実と主観性』のなかで、憤りに関してこう書いています。
いわゆる義憤は、立ち位置や相手に対する期待といった道徳観が肥大化したものです。憎悪を伴って、怒りは外的な敵に向けられますが、それは自らの内にある憎しみの傾向を、象徴的な存在に投影しているにすぎません。
(『<わたし> ―真実と主観性』P260より引用)
さらには、罪を憎むということも憎しみに変わりないというのです。
正義に思える義憤もあれば、怒りをぶつけられた理不尽さに憤るということもあります。原因はなんであれ、怒りの感情は周囲の人びとにもすくなからず影響を及ぼす。この広がりかねない怒りや憎しみの連鎖を断ち切るには、いったいどうすればいいのでしょうか?
怒りに対する解毒剤は、謙虚さ憎しみや怒りの発達を防ぐための最も有効な方法として、博士はこう断言します。
こうした怒りに対する基本的な解毒剤は、謙虚さです。
(『<わたし> ―真実と主観性』P259より引用)
つまり、過度に期待することなく謙虚になることで執着を軽くすること。さらに、自我の要求と期待を放棄すれば、怒りはやわらぐということです。
「この感情は自分の勝手な期待から生まれたものだ」と理解し、感情に溺れないように、できる範囲で行動することを心がけるだけで、怒りの連鎖を断ち切ることができるのですね。
このことが頭の片隅にあるだけでも、これからの人生がすこし穏やかになれそうです。
photo by Thinkstock/Getty Images