夏になると近所の和菓子屋で販売がはじまる水菓子「きんぎょ」。
訪問先で手渡すと、わあっとあがる感嘆の声。スプーンですくって口へ運べば、清涼とした風が体の中を通り抜けていくよう。つるっとした喉越しも、蒸し蒸しとした暑さを忘れさせてくれるので、ときどきは自分のおやつ用にも求めていました。
数日前、いつものように手土産を買いにでかけたときのこと。
「きんぎょ、4つください」。
「はーい、今年は今日で終わりです」。
思いがけない言葉でした。その翌日、我が家へ立ち寄るお客さま用にも、また買いに出かけようと思っていたので。たしかに数日前から、朝晩の風にせっかちな秋の気配がじんわりにじむようになり、次の月まであと幾日と指折り数えたばかり。なんだか「夏はもうすぐおしまいです」と、金魚の景色が足早に駆けていってしまったようで、少しばかり淋しい気持ちに。
その夕方です。静岡から、贈りものが届いたのは。送り主は実家の母。荷物を受け取り「ああ、そうか。やっぱりもう秋なのか」と思ったのは、箱の「なし」という文字を見て。生まれた家を離れて20年。毎年かかさず夏と秋の境目に、母から届く地元の梨。それは、私にとって、秋への扉のようなもの。「さあ、あなたの生まれた秋は、もうすぐそこまできていますよ」と、知らせる季節の便りです。
母が毎年、かかさず送ってくれる梨は、静岡県富士市「ときた梨園」の梨。みずみずしくて、しゃきしゃきの歯ごたえ。
そんなわけで今年はちょうど同じ日に、過ぎゆく夏と秋の気配を感じることに。昨日までは冷たく冷やして飲んでいたのに、ふと温かいコーヒーを選ぶ朝。蚊取り線香の香りが消えかけた部屋。麦わら帽子を置いて外出する日。この頃は、夏から秋へと季節はか変わりつつあるのだと気がつく瞬間が、1日のうちでたびたびあります。
ふとんにもぐりこみ、すやすや眠る我が家の猫。
ふとんから、手足としっぽが。夏には見られない風景。
そういえば、暑い間は冷たい床に吸い付くように眠る猫が、ふとんにもぐりこんできたときも。季節の変わり目を、しみじみと感じるとき。