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記事 42件
  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第13回 教室に「転生戦士」たちがいた頃――「オカルト」ブームとオタク的想像力(PLANETSアーカイブス)

    2017-11-13 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」。80年代のオカルトブームを取り上げます。70年代に始まったオカルトの流行は、『ぼくの地球を守って』など、「前世」や「転生」をモチーフにした一連の作品を生み出しますが、その影響を受けて、現実でも「前世の仲間」を探そうとする若者が大量に現れます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2016年12月2日に配信した記事の再配信です)。
    つのだじろうとサブカルチャーとしての「心霊」
     「オカルト」というかつて存在したジャンルと、その隣接領域としてのマンガ・アニメについてもう少し考えてみましょう。  つのだじろうの『恐怖新聞』という作品があります。このつのださんは、ミュージシャンのつのだ☆ひろさんのお兄さんですね。彼は藤子不二雄コンビや石森章太郎と同じトキワ荘グループのマンガ家で、初期はギャグマンガやスポーツマンガで知られていました。この時期の代表作『空手バカ一代』はアニメにもなったヒット作です。
     しかし70年代半ばからはオカルトブームを背景に、すっかり「心霊マンガ家」になってしまいます。この時期つのださんは『うしろの百太郎』『恐怖新聞』で大ヒットを飛ばすわけですがブームに乗っかったのではなくて、プライベートでも心霊研究をかなり本格的にやっていたので、いわゆる「ガチ勢」ですね。
     では『恐怖新聞』を少し読んでみましょう。  平凡な中学生の鬼形礼(きがた れい)という主人公はある日、霊に取り憑かれ呪われてしまい、「恐怖新聞」という、読むと必ず寿命が100日縮まる新聞が毎晩配達されるようになります。この恐怖新聞には「明日誰々が死ぬ」という不吉なことが書かれている。未来を知ることができるから、鬼形礼は不幸なことが起こるのを阻止すべく奮闘して、失敗したり成功したりするんですね。で、読むたびに寿命は縮まっていくので、最後には死んでしまいます。  『恐怖新聞』は心霊マンガなんですが、だんだんストーリーが進むにつれて今読みかえすとおかしな方向にも向かっていきます。たとえば「円盤に乗った少女」という回がありますが、なぜかUFOネタが入ってくるんですよ(笑)。心霊とUFOは全然関係ないですよね。  あるいはこの鬼形くん。物語の後半でなぜか埋蔵金を探しています。埋蔵金っていうのは豊臣秀吉や徳川家康が子孫のためにどこどこの山中に大量の金銀を埋めておいた云々という、例のアレですね。もはやここまで来ると心霊マンガでもなんでもないんですが、当時としてはそれほど不思議なことでもないんです。  当時の、いや、今もいくつか残っているオカルト雑誌を読むとよく分かるんですが、「超能力」も「心霊」も「UFO」も「埋蔵金」もジャンルとしては同じ「オカルト」なんです。当時の「オカルト」は陰謀論や疑似科学によって当時日本社会を覆っていた終わりなき消費社会の日常から逃避させてくる装置だったわけで、その逃避機能を保証する非科学性というところでジャンルの統一性を保っていたんですね。
    80年代オカルトブーム絶頂期と『ぼくの地球を守って』
     さて、「オカルト」ブームとマンガ・アニメの関係を語る上で外せない作品があります。  1986年から1994年まで少女マンガ誌「花とゆめ」に連載された日渡早紀『ぼくの地球を守って』です。のちにビデオアニメにもなっています。
    (『ぼくの地球を守って』映像再生開始)
     超古代に、高度な文明で栄えた異星人たちが月に基地を作って、そこで科学者たち男女7人が働いているんですが、恋愛関係のもつれと基地内での伝染病の蔓延によって全員死んでしまいます。その7人が何千年か後に現代日本人に転生してもういちど恋愛をする。当時流行っていた『男女7人夏物語』のようなトレンディドラマに、転生要素を加えたストーリーですね。  これはマンガでもヒットしましたが、オカルト界では大ヒットしました。前世ではヒロインと相手役の男は同じぐらいの年齢なんですが、前世で死亡したタイミングがずれたせいで転生後の再開時にはお姉さんと少年になるわけです。いやあ、いろんな欲望を同時に満たしすぎですよね(笑)。前世ではオラオラ系のイケメン、現世ではインテリ系の美少年をゲット、的な。  彼らは前世で超能力を持っていたのですが、現代日本に転生した主人公たちはだんだん前世の記憶とその能力を取り戻していき、現代日本で起きる事件に立ち向かっていきます。
    ▲日渡早紀『ぼくの地球を守って(1)』白泉社文庫
     実はこの時期、この国では「前世は超古代文明(ムー大陸とかアトランティスとか)の人間で、超能力を持っている」という自称転生戦士たちが現実世界に溢れかえったんです(笑)。この現象についてはインターネット上のサイトにまとまっていますので、それを見ていきましょう。
    (参考)『ムー』読者ページの“前世少女”年表 - ちゆ12歳
     80年代当時はインターネットがなかったので、オカルト雑誌の「ムー」の投稿欄で「ペンパル」といって要は文通相手を募集したんです。そこに自称転生戦士が「こういう記憶を持っている人、お友達になりませんか?」という募集を出すわけです。というよりも、『ぼく僕の地球を守って』はそのオカルト雑誌の読者投稿欄に着想を得て作られているんです。  実際『ぼく僕の地球を守って』の序盤は「前世にこういう記憶を持っている人いませんか?」とペンフレンド募集をして生まれ変わった仲間が再会するというストーリーです。『幻魔大戦』が代表する転生戦士というサブカルチャーのトレンド、物語フォーマットが流行してオカルトブームにも影響を与え、「ムー」の投稿欄も先鋭化して、さらにそこから『ぼく僕の地球を守って』が生まれ大ヒットしたことで、自称転生戦士がまた増えるというサイクルだったんですね。  この当時、転生戦士はたくさんいました。さきほどのサイトを見てみましょう。
    「戦士、巫女、天使、妖精、金星人、竜族の民の方、ぜひお手紙ください」 「前生アトランティスの戦士だった方、石の塔の戦いを覚えている方、最終戦士の方、エリア・ジェイ・マイナ・ライジャ・カルラの名を知っている方などと」
     こういった手紙がたくさん「ムー」には掲載されていたわけです。すごいですね。
    1979年     『ムー』創刊。創刊号から「自分が地球以外の宇宙人だと思う人と文通がしたいので~す」という14歳の女の子はいますが、まだ前世少女からの投稿はありません。 1980年      まだ前世少女はいません。 「あたし‥‥実は異星人なんだ‥‥」「異星人の仲間どこかにいない‥‥?」(3月号)という15歳の女の子はいますが、本気度は不明。
     イラストがいいですね。当時のアニメブームのテイストの絵になっています。
    1981年 この時期、「超人ロックが好きで、ロックのようなESPERになりたいとがんばっています」(5月号)という14歳の女の子など、エスパー志望者がやや目立ちます。 1982年      「転生、超能力、SFに興味がある女子」との文通を希望する18歳(4月号)や、「転生について異常なほど興味があり、明るすぎるほどのぼくにお手紙ください」という16歳(10月号)など、転生に関する投稿は少し増えました。 1983年      この頃、「人類救済を目的とするサークル」のメンバー募集(5月号)など、終末を意識した投稿が増加します(たぶん、3月公開の『幻魔大戦』劇場版の影響が大きかったと思われます)。
     『幻魔大戦』の映画版がこの年に公開されています。
    9月号では、「自分が宇宙とかかわる“光の戦士”か“救世主”だと思う方、連絡してください」という中3の女の子が登場。 10月号には、「前世の記憶がもどり、超常現象の体験がありま~す」という中3の女の子。
     ここから、こういう手紙がだんだん増えてきますね。
    1984年     「不思議な夢をよく見ます。私には何かの使命があるような…」という高2の少女(3月号)。 「この風景に見覚えのある方おまちしてます」と、イラストを投稿する18歳の女の子(7月号)。
     ……見覚えがあったら衝撃的ですね。
    「古代ギリシアの地中海にいたころの過去世の記憶がある方で、自分の魂、もしくは守護神がギリシア神話に出てくる神々である方と。私の守護神はアポロンですが、同じ系列の仲間を捜しています」という23歳の男性(12月号)。
     これもなかなかいい感じですね。当時23歳だと、現在は還暦に近いですよね。1985年だから、これは僕が小学校1年生の頃です。
    1985年     「前世の記憶が“平家一門”だったのではと思われる方…そして“葵”という名の源氏方の若い武将にお心当たりの方」からの連絡を待つ17歳の女性(3月号)。 「あたしは幽体離脱、幽体分裂、時間をもどしたり、遅くすすめたり、タイムリープができます。100年に1度の天使のハネを持つ妖霊です」という18歳の女の子が、「マヤ出身の人(白い魂の子)」との文通を希望(3月号)。 ※「弥生時代か飛鳥時代に生きた記憶のある方、ご連絡ください」という高校3年生や、「毛利元就の2男・吉川氏の家系の前生をもたれる方、おききしたい事があります」という17歳(5月号)など、この頃までは、前世が異星や異次元なのは少数派でした。 7月号では、「自分がミヤリア一族だと思われる方、または、ソディラ、セカ、スィール、ミヤ、セヤ、ジィン、マラ、リヤ、トルファン、オルキムの名に心あたりがあるか、自分の魂の名がこのいずれかの方」を探す15歳の女の子が登場。これ以降、カッコイイ名前の尋ね人が増えます。
     魂の名とはいったいなんでしょう。当時の文通覧は、住所も公開しているんですよね。これ、なかには実際に「俺が前世の恋人だ」とか言って押しかけてくるケースもあったと思うんですよね。そこでイケメンが来ればいいけれど、そうじゃなかったらどうしたんでしょうね……。
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第12回 「世界の終わり」はいかに消費されたか――〈宇宙戦艦ヤマト〉とオカルト・ブーム(PLANETSアーカイブス)

    2017-10-23 07:00  
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    今回のPLANETSアーカイブスは「京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録」をお届けします。ここからの講義録は「戦後アニメーションと終末思想」がテーマ。今回は70年代半ばに第一次アニメブームを起こした『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』におけるSF作品の内実の変化と、『幻魔大戦』に代表される「オカルト」というモチーフの浮上を扱います。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年6月10日の講義を再構成したものです/2016年11月25日に配信した記事の再配信です。)
    冷戦下のリアリティと『宇宙戦艦ヤマト』が描いたもの
     今回からは、マンガ・アニメを代表とするオタク系サブカルチャーの想像力とその変質について、戦後消費社会の展開を追いながら話していきたいと思います。
     みなさんは「世界の終わり」という言葉を聞いてどんなことを想像するでしょうか? 
     ……そうですね、痛い感じのビジネス中二病のバンド(SEKAI NO OWARI)のことしか思い浮かばないですよね。  でも僕が子どもの頃は、「世界の終わり」ってマンガ・アニメの定番モチーフだったんです。「人類最後の大戦争が起こって人間は滅びるんじゃないか」「大戦争によって本当に世界の終わりがやってくるんじゃないか」というイメージがすごく強かった。  これはなぜかというと、当時は米ソ冷戦の真っ最中だったからですね。どちらも核兵器を大陸間弾道ミサイル(ICBM)に載せていつでも発射できるようにしていて、もしアメリカとソ連が全面戦争になったら報復攻撃の連鎖で世界中が核ミサイルで破壊されてしまうのではないか。そういうイメージに非常にリアリティがあったんです。
     それに加えて、特に1970年代から90年代にかけて「ノストラダムスの大予言」というものが大流行しました。「1999年7の月、空から恐怖の大王が下りてくる」というやつですね。それが日本のオカルト好きの間で広く共有されていて、「恐怖の大王って核兵器のことじゃないのか」と言われていたんです。なんとなく、「20世紀の末に世界は核の炎に包まれて人類は滅亡する」という「世界の終わり」のイメージが若者たちのあいだで共有されていたわけです。今回はそういった終末思想が、サブカルチャーの想像力によってどう描かれてきたのかを扱っていこうと思います。  また逆に、「なぜ現代ではそういうモチーフが消滅してしまったのか?」という問題も考えてみたいと思います。いまや「世界の終わり」といえば単にビジネス中二病バンドの名前でしかなくなっているわけですが、このモチーフがなぜそこまで陳腐化してしまったかということですね。
     まずはこの作品からみていきましょう。
    (『宇宙戦艦ヤマト』映像再生開始)
     みなさんはこの作品を知っていますか? あ、さすがにほとんどの人が知っているようですね。でも存在を知っているだけで、中身までは知らないでしょう?  この『宇宙戦艦ヤマト』は、一番最初のアニメブームの起爆剤となった作品です。1974年にテレビシリーズの放映が開始され、そのときはそこまでヒットしなかったんですが、再放送でじわじわと人気に火が付いていきました。  ここまでの講義でもお話ししてきたとおり、1970年代までアニメって多くが子ども向け番組だったわけですが、『宇宙戦艦ヤマト』はティーンエイジャーから20代の学生、若い社会人に支持を受け、社会現象とも言える大ヒットになった作品でした。そしてこれをきっかけに、70年代半ばから後半にかけて続々とティーンエイジャーから大人をターゲットにしたアニメが制作されるようになっていきます。

    ▲宇宙戦艦ヤマト 劇場版 [Blu-ray] 納谷悟朗 (出演), 富山敬 (出演), 舛田利雄 (監督)
     『宇宙戦艦ヤマト』は――のちに『機動戦士ガンダム』でも繰り返されることですが――全国にファンクラブができて広がっていき映画化もされたんです。
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第11回 碇シンジとヒイロ・ユイの1995年(PLANETSアーカイブス)

    2017-10-02 07:00  
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    毎週月曜日は「PLANETSアーカイブス」と題して、過去の人気記事の再配信を行います。傑作バックナンバーをもう一度読むチャンス! 今回の再配信は「京都精華大学〈サブカルチャー〉論」をお届けします。『新世紀エヴァンゲリオン』が人気を集めるその裏側で、ボーイズラブ的に受容された『新機動戦記ガンダムW』が切り開いたロボットアニメの可能性。戦後日本の〈成熟〉にまつわる問題意識を乗り越える、新たな想像力の萌芽について論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです /2016年11月4日に配信した記事の再配信です )。 「宇野常寛の対話と講義録」配信記事一覧はこちらのリンクから。
    ロボットアニメを書き換えた1995年の『新機動戦記ガンダムW』
     初代『ガンダム』から『エヴァンゲリオン』に至るまで、ロボットアニメの主人公の少年たちは等身大の悩みを抱えた「内面のある」キャラクターでした。自意識過剰で、「お父さんに認められたい」「女の子をゲットしたい」「大人の男になりたい」とか、そういった思春期の悩みに溢れていましたよね。ところが、そういった悩みを一切抱えていない少年を描いたロボットアニメが登場します。それが、『エヴァンゲリオン』と同じ1995年に放映された、『新機動戦記ガンダムW(ウイング)』です。まずは映像を観てみましょう。
    ▲新機動戦記ガンダムW Blu-ray Box
     これ、オープニングですけど、なんというかすごいですよね。この冒頭から差し込まれる美少年ナルシシズム。ファーストカットがいきなり、謎のポーズを決めている美少年です。いやあ、人間はどういう自意識で生きていたらこんなポーズが取れるんでしょうね。自分は既に完成されていて圧倒的にカッコいいという確信がないと、まず、ムリです(笑)。  そして、このあとに彼が乗るウイングガンダムが出てくる。この時点でもう、この作品ではモビルスーツと主人公の少年の力関係が逆転していることが示されてしまっているわけですね。  で、続いて同じように全能感に溢れた美少年が4人現れます。やっぱりドヤ顔で謎のポーズを取っています。そしてモビルスーツは決めポーズを取る少年の背景に過ぎない。  この『ガンダムW』は、主人公のヒイロ・ユイをはじめ5人の美少年がガンダムに乗って戦うという話です。彼らは最初から全能感に溢れていて、世の中に出て行くための不満とか、巨大な鋼鉄の身体を得て大人社会に認められたいとか、そういった気持ちはまったく持っていないですね。  そして『ガンダムW』は、実は男性ではなく女性ファンから圧倒的な支持を集めました。当時まだボーイズラブ(BL)という言葉は一般的ではありませんでしたが、『ガンダムW』は山のようにBL同人誌が作られて、コミックマーケットでも一大ジャンルになったんですね。一方で、昔ながらの男性ガンダムファンからは「ガンダムが女子に媚びた」「堕落した」と散々批判されていました。実は放送当時はろくに観もしないで、僕もそう思っていました。  実際に同年に放送されていた『エヴァンゲリオン』が社会現象化していく中で、言ってみればまあ宮崎駿や富野由悠季、押井守といった戦後アニメーションの巨匠たちの問題意識を受け継いだ、言ってみれば現代文学的なアニメとして時代の象徴になっていったのに対して、この『ガンダムW』は女子中高生のやり場のない性欲のはけ口程度にしか思われていなかった。  でも、どうなんでしょう。少なくとも僕は今考えると圧倒的にこの『ガンダムW』のほうが『エヴァンゲリオン』より新しかったと思うんですね。  こうして振り返ると『エヴァンゲリオン』は正しく日本的なロボットアニメの文脈を引き継いでいるわけです。主人公のシンジ少年の、屈折した成長願望として巨大ロボットが設定されていて、そしてだからこそ成熟の仮構装置としてのロボットアニメがもはや成立しないことを告発して、しっかり破綻してみせることで時代の精神を代表する作品になっていったわけです。
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第10回 戦後ロボットアニメの「終わり」のはじまり(PLANETSアーカイブス)

    2017-09-11 07:00  
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    今回の再配信は「京都精華大学〈サブカルチャー〉論」をお届けします。 富野由悠季『逆襲のシャア』で明らかにされた、ロボットアニメにおける〈成熟の不可能性〉というテーマは、80年代末の『機動警察パトレイバー』によるポリティカル・フィクション的なアプローチを経た後、1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』によって再浮上します(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです/2016年10月28日の記事の再配信です)。
    ロボットの意味が脱臭された『機動警察パトレイバー』
     たとえばバブル絶頂期の80年代末に人気となった『機動警察パトレイバー』というマンガ・アニメ作品があります。ブルドーザーやクレーンといった重機の役割を果たすロボット「レイバー」が普及している近未来の東京では、レイバーを悪用した犯罪が多発している。そこで警視庁がレイバーを導入して犯罪を取り締まっていくという物語です。  この『パトレイバー』のメインは若い警官たちの青春ドラマです。おそらく日本で初めて、警察という官僚組織を細かく描いてコメディドラマにした作品で、要は『踊る大捜査線』の元ネタですね。  『パトレイバー』においてロボットは「あったほうが絵的にかっこいい」ぐらいの扱いになっています。むしろロボットというSF的なアイテムを導入することによって、戦争もなければ民族対立も少ない現代日本において政治的なフィクションを成立させているところに意義がある作品ですね。たとえば劇場版第2作の『機動警察パトレイバー2 the Movie』はクーデターものです。ロボットアニメという器を使って、東京という大都市と、近未来社会のクーデターシミュレーションを描いているんです。
     少し『パトレイバー2』を観てみましょう。これは敵のクーデター部隊が、主人公たちの所属するパトレイバー中隊を襲撃するシーンですね。戦闘ヘリの攻撃に、パトレイバーたちは起動する間もなく格納庫に置かれたまま一方的に破壊されていきます。  これとても象徴的なシーンです。レイバーはあくまでも重機の延長線上であって、戦闘ヘリの前では太刀打ちできないということが強調されています。企画段階から関わってアニメ監督を担当したのは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の押井守です。押井守にとって『パトレイバー』のロボットはあくまで企画を通すための方便でしかなく、実質的には東京の大規模テロのシミュレーションがしたかったんです。だからこそ、ロボットの意味を徹底的に否定しているわけです。近未来の日本に人型の重機が普及したとしても、その軍事的な価値はゼロだと、かなり露悪的にシミュレーションして見せているわけですね。  こうして、80年代のロボットアニメのノウハウを受け継ぎながらも内側から更新していくようなかたちでロボットアニメは進化していくことになります。  ただし、ロボットや怪獣などのファンタジー的なアイテムを用いることによって「日本の官僚組織や企業社会がどう動くか?」というシミュレーションをやる『パトレイバー』のメソッドは、むしろ『躍る大捜査線』や『平成ガメラシリーズ』といった実写作品のほうに受け継がれていくことになります。こうした潮流については別の回で詳しく扱おうと思います。

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  • 【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第9回 宇宙世紀と大人になれないニュータイプたち

    2017-08-28 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』、今回のテーマは1980年代の富野由悠季です。『Zガンダム』『逆襲のシャア』を通して明らかになった「成長物語としてのロボットアニメの限界」について論じます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです/2016年10月7日に配信した記事の再配信です )。
    「キレる若者」カミーユが迎えた衝撃の結末――『機動戦士Zガンダム』

    (画像出典)
     『ガンダム』に端を発した第二次アニメブームは1980年前半で沈静化し、ブームを盛り上げたアニメ雑誌の文化も衰退してしまいます。理由は色々ありますが、まずひとつはヒット作があまり続かなかったこと。そしてもうひとつ大きかったのは、少年たちの支持がジャンプを中心とした大手マンガ雑誌の人気作品のアニメ版へと移っていったことが挙げられます。そうなるとアニメ雑誌も人気作を中心にした特集が組みにくくなり、1985、6年頃にはどんどん潰れてしまったわけです。 そういった状況だったので、アニメファンの間では再びブームの中核になる作品の登場が待ち望まれていました。要するに「『ガンダム』の続編を作ってくれ」という声がアニメ業界やファンのあいだで大きくなっていたんです。そうした声を受けて制作されたのが、初代『ガンダム』の直接の続編である『機動戦士Zガンダム』(1985年放送開始)でした。 『Zガンダム』の舞台は、『ガンダム』の一年戦争から7年後の世界です。初代『ガンダム』放映後に流れた現実世界の年月とだいたい同じ年数が経っているという設定です。前作の主人公であるアムロやそのライバルのシャアも登場し、みな年をとっています。これは当時としてはすごく斬新でした。前の戦争で「ニュータイプ」というある種の超能力者として覚醒し、地球連邦軍のエースパイロットに成長したアムロは、その能力を政府から危険視されて閑職に回され、屈折した人間になってしまっているんです。前作で成長したはずの主人公がいじけた大人になってしまっているというのはなかなか衝撃的ですよね。富野由悠季は「実際に宇宙世紀に生きていたら登場人物はこうなっているはずだ」というシミュレーションをここでも徹底しています。 『Zガンダム』では新しく設定された主人公、カミーユ・ビダンという高校生の少年が、前作のアムロと同様に戦争に巻き込まれ、成り行きでガンダムに搭乗して戦っていきます。どういうストーリーなのか、第1話の映像を観ていきましょう。

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  • 【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第8回 富野由悠季とリアルロボットアニメの時代(前編)

    2017-08-14 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』、今回は富野由悠季(当時は富野喜幸名義)の初期作品が登場します。衝撃的な結末を迎えた『無敵超人ザンボット3』、そして、リアリズムを持ち込むことでロボットアニメに革命を起こした『機動戦士ガンダム』について語ります。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです /2016年9月2日に配信した記事の再配信です)。
    ロボットアニメにリアリズムを持ち込んだ『無敵超人ザンボット3』
     『マジンガーZ』で男子児童文化の主役に踊り出たロボットアニメは、様々なかたちで発展を遂げていきます。たとえば1974年放映開始の『ゲッターロボ』では合体ロボが登場します。合体ロボットの初出はおそらくは『ウルトラセブン』(1967年放映開始)に登場したキングジョーという宇宙人の合体ロボットだと思うのですが、『ゲッターロボ』は同じ永井豪を原作とする(作画を担当した石川賢のカラーが強い作品ですが)『マジンガーZ』の「乗り物としてのロボット」というコンセプトにこの「合体」という要素を取り入れたわけです。3機のマシンが合体し、空戦用には「ゲッター1」、陸戦用には「ゲッター2」、海戦用には「ゲッター3」というかたちで3種類の形態に変形するんですね。『ゲッターロボ』は、この変形がカッコいいということで人気を博したんですが、同時に「おもちゃできちんと再現できない」という壁にもぶつかりました。
     ここを突破したのが1976年放映開始の『超電磁ロボ コン・バトラーV』で、劇中のイメージに近い変形合体が再現できるおもちゃを作ることに成功して、これが大ヒットします。ちょっとオープニングの映像を見てみましょうね。はい、『コン・バトラーV』は5体の戦闘メカ、戦闘機や戦車が合体してひとつのロボットになります。『マジンガーZ』と同じ水木一郎さんが主題歌を謳っています。そしてやっぱり、内蔵している武器の名前をずっと叫んでいます(笑)。
     70年代半ばから後半にかけてのロボットアニメブームはおもちゃの進化とともに拡大して、ジャンルとして完全に定着します。基本的には30分の玩具コマーシャル的なロボットプロレスが反復されるのですが、ジャンルの拡大の中でその制約を逆手にとってアニメの表現の可能性を広げよう、という動きも出てきます。
     『コン・バトラーV』の翌年、1977年に『無敵超人ザンボット3』というアニメが登場します。この少し前に、手塚治虫の設立したアニメ制作会社「虫プロダクション(通称:虫プロ)」が倒産してしまい、その残党たちが設立したのが「サンライズ(当時は日本サンライズ)」という制作会社です。そのサンライズが初めての自社企画として制作したのがこの『ザンボット3』でした。さっそくオープニングを見てみましょう。

    ▲『無敵超人ザンボット3』
     『ザンボット3』はいとこ同士3人が合体ロボットに乗って戦うアニメです。ザンボットに乗る神勝平(じんかっぺい)・神江宇宙太(かみえうちゅうた)・神北恵子(かみきたけいこ)の3人とその家族を「神ファミリー」と呼ぶんですが、彼らは江戸時代に地球に逃げてきた宇宙人「ビアル星人」の子孫であるという設定です。なぜ逃げてきたかというと、ガイゾックという別の宇宙人に自分の星が攻め滅ぼされてしまったからです。逃げてきたはいいけど、そのうち地球もガイゾックに襲われる可能性が高いから、ビアル星人たちは300年のあいだに戦闘用ロボットを開発しながら戦いに備えていた。そんななかで、ついにガイゾックが地球侵略を開始します。そこで神ファミリーの3人は地球を守るために、ロボット「ザンボット3」に乗って戦います。
     ここまではいいでしょう。これまで見てきた作品に比べて多少複雑な設定かな、と思う程度だと思います。
     しかしここからが面白い。なんと、地球人たちは自分たちのために戦ってくれている神ファミリーを「お前たちが地球に逃げ込んできたせいで俺達が襲われるんだ」と言ってとことん迫害するんですね。
     神ファミリーからすると「地球を守るために戦っているのに、なんでいじめられなきゃいけないんだ」と思いますよね。もともと友達だった奴らからもいじめられて、石投げられるどころか家代わりの移動要塞に爆弾を仕掛けられたりするんです。ザンボット3が地球を守るために敵のロボットと戦っていると、お巡りさんがやってきて道路交通法違反で取り締まられたりもします。全23話の話ですが、15話くらいまでずっとそういう話で、非常に陰湿な印象を受けると思います。
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 最終回 三次元化する想像力――情報化のなかで再起動するフューチャリズム【金曜日配信】

    2017-08-04 07:00  
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    本誌編集長・宇野常寛の連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』は今回が最終回です。これまでの講義のまとめとして、情報化がもたらした〈体験〉優位の時代に〈サブカルチャー=虚構〉に何ができるのかを考えます。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月22日の講義を再構成したものです)
    コンピュータによって「世界を変える」ことが再び可能になった
     こういった変化をもたらしているのはもちろん情報化です。そして皮肉なことに、情報化によって人々は、〈情報〉ではなく生の〈体験〉のほうに価値を置くようになっていった。この現状を象徴するのが、これまでの講義でもたびたび触れてきた「アニメからアイドルへ」というサブカルチャーの中心の移動です。
     今は映像や音声といった情報は溢れかえっている。だからこそ、直接会いに行って話しかけるとか、自分の一票でアイドルの人生が変わるとか、そういうことのほうに関心が移ってしまっているわけです。〈二次元〉から〈三次元〉への移行は、同時に〈情報〉から〈体験〉へということでもある。もうモニターのなかで何が起こっても人間は驚かないし、リアルな体験にしか人は価値を感じなくなっているんですね。モニターの中の他人の物語に感情移入するのではなく、自分が主役の自分の物語を味わうほうに人々の関心は移行している。技術の進化が、人間の欲望を変えてしまったわけです。
     そうなると、もうサブカルチャーに価値なんて無くなるんじゃないか、と思えてきます。それは残念ながら、半分は正解です。
     逆に言うと、この数十年が例外的にサブカルチャーの時代だったんです。60年代に革命を掲げたマルクス主義や学生運動が敗北していくと、「世の中を変えるのではなく自分の意識を変えよう」という考え方が世界的にも主流になっていく。「どうせ世界が変わらないのであれば、世界の見え方を変えればいい」――そのための手段としてサブカルチャーが浮上していったわけです。
     アメリカ西海岸であれば60年代後半以降にヒッピーやドラッグなどのカウンターカルチャーが流行し、その中の一ジャンルとして注目されたコンピューターカルチャーが伸びていった。これらの文化はやはり「世界を変えるのではなく、自分の意識を変える」という思想を持っています。日本であれば、この講義でお話ししたオカルト文化もそのひとつですね。
     しかし、この「自分の意識を変える」という思想が西海岸でカウンターカルチャーからコンピューターカルチャーへと受け継がれていくなかで、「サイバースペース」という新たなフロンティアが発見されます。ヒッピーの流れを汲む西海岸のギークたちは、サイバースペースを通じて資本主義をハックする力を得てしまった。それがGoogleやAppleといったシリコンバレーのグローバル企業なわけです。
     サイバースペースによって、「自分の意識を変える」ことをしなくても、世界そのものを変えることができるようになった。そうなったとき、サブカルチャーはその役割を終えつつある、ということだと思います。
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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第26回 ノスタルジー化する音楽・映像産業――〈情報〉よりも〈体験〉が優位になった時代に【金曜日配信】

    2017-07-28 07:00  
    540pt

    本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回はこれまでの講義のまとめとして、音楽・映像産業の現在を取り上げます。情報環境の変化は、人々のコンテンツ消費にどのような変化をもたらしたのでしょうか。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月22日の講義を再構成したものです)
    〈情報〉から〈体験〉〈コミュニケーション〉へ
     この講義ではこれまで、マンガやアニメ、アイドルを中心に取り上げてきましたが、ここからは最後のまとめとして「二次元から三次元へ」という話をしてみたいと思います。ひとつの鍵になるのは、これまで中心的には取り上げてこなかった「音楽」というジャンルの現在の姿です。
     今の音楽市場では、CDの売上がどんどん下がっています。これは音楽だけでなく、DVDや本もそうなのですが、人間はもう情報をパッケージしたソフトというものと手を切ろうとしています。テキストや音声や映像はすべてネットワーク上でクラウド化されて、スマホなどの端末からいつでもアクセスできる状態になっている。そうなると人間が物理的なパッケージに記録した情報を所有することに意味がなくなっていくわけで、当然レコードも売れなくなっていく。
     この変化は当然のことですが、これからの音楽産業を考える上では、「人々が音楽に求めるものが変わってきている」という認識を持つことも大事です。90年代後半をピークにCDの売上は右肩下がりなのですが、逆にゼロ年代以降に増えているものがあります。それは、音楽フェスの動員数です。
     人間って希少なものに価値を感じるんですね。僕が中学生〜高校生だった90年代までは、好きな音楽をいつでも好きなときに聴けるとか、好きな映画をいつでも観れるっていうのはすごく贅沢なことだったんです。CDはアルバムだと3000円以上するし、ビデオソフトは当時VHSという規格で高いものだと1万円以上しました。CDもビデオも高くて買えないからレンタルソフト屋がこれだけ普及したんですね。パッケージを買っていつでも好きなときに観れるようにするなんて、すごく贅沢なことだった。
     でも、今やテキストも音声も映像も、どこでも無料で鑑賞できる一番手軽なものになっていますよね。「蛇口をひねれば水が出てくる」というのとほとんど似たような価値しかない。砂漠のど真ん中のミネラルウォーターって無限の価値があるけれど、東京のど真ん中ではミネラルウォーターって100円ぐらいじゃないですか。音声や映像って昔は本当に「砂漠の中のミネラルウォーター」で、数千円払うのが当たり前だった。でも、今は蛇口をひねれば出てくるものでしかない。
     今はそれよりも生の〈体験〉のほうに希少価値を感じるようになっている。「あの日、彼氏と一緒にフジロック行ったな」「友達と一緒にアイドルの握手会に行って、◯◯ちゃんといい話ができたな」とか、そういう自分だけの〈体験〉を求めるようになっていて、それにしかお金の価値につかなくなっているわけです。
     〈体験〉のなかでも一番強いのは「人とのコミュニケーション」です。その点、アイドルって自分の憧れの存在と直接コミュニケーションできるし、「推す」ことによってその人の人生に貢献できる。アイドルってコミュニケーションとやりがいが結びついたものを売っているわけですが、「推す」という体験を盛り上げるために、ある種の蝶番として音楽が使われている。この形式は非常に強力で、だからアイドルがレコード市場の大部分を占めるようになったんです。
     その次に〈コミュニケーション〉の力が強いジャンルが、アニソンやボーカロイドです。こちらも単に音声データそのもの売るのではなく、キャラクターをコミュニケーションの対象にしてCDを売っているわけです。

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  • 【特別再配信】京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第7回 〈鉄人28号〉から〈マジンガーZ〉へ――戦後ロボットアニメは何を描いてきたか

    2017-07-24 07:00  
    540pt


    本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。 今回からはロボットアニメがテーマです。日本独特の「乗り物としてのロボット」が生まれた経緯を『鉄人28号』『マジンガーZ』という草創期のヒット作から紐解きます(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年5月13日の講義を再構成したものです/2016年8月5日に配信した記事の再配信です)。

    戦後日本で奇形的な進化を遂げた「乗り物としてのロボット」
     今日はロボットアニメについて講義をしていきたいと思います。
     日本の戦後アニメーションにおいて、ロボットは中心的なモチーフでした。ロボットアニメの歴史を追うことによって、戦後アニメーションが何を描こうとしてきたのかが見えてくると言っても過言ではありません。ところが、日本の戦後アニメーションが描いてきたこの「ロボット」はちょっと変わっている。今日はそこから話していきたいと思います。

     ここに日本のアニメーションを代表する「ロボット」たちが並んでいます。
     鉄腕アトム、鉄人28号、マジンガーZ、ガンダム、そしてエヴァンゲリオン――みなさん、どうですか? 実はこの中に厳密には「ロボット」とはいえないものが混じっています。どれかわかりますか?
     正解は、鉄腕アトム以外全部「ロボット」ではありません。ほかは全部、「ロボット」ではなく人型の道具で、マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオンは「乗り物」です。実は戦後アニメーションは厳密な意味では「ロボット」をほとんど描いてこなかったんです。
     そもそも「ロボット」とは何でしょうか。実はロボットの定義とは、「人工知能をもち、自律的に動くもの」です。だから鉄腕アトムはロボットだけれど、リモコンで動く機械である鉄人28号はロボットではないし、ガンダムに至っては「人型の乗り物」にすぎません。逆に、現代では人型をしていなくても人工知能で制御されていればロボットだと分類されていますね。
     特にこの「乗り物としてのロボット」は日本アニメーションの発明です。要するに、戦後アニメーションは間違ったロボット観を普及させてしまって、その結果日本人のほとんどが「ロボット」とは何か、そもそも分からない状態になってしまっていると言っていいでしょう。ただこの「乗り物としてのロボット」が20世紀の映像文化やその周辺のサブカルチャーに与えた影響は絶大で、たとえば2013年に公開され話題になった『パシフィック・リム』というハリウッド映画では「乗り物としてのロボット」が出てきますが、これは監督のギレルモ・デル・トロが日本のアニメや特撮に強く影響を受けているからですね。
     本来は人工知能の夢の結晶だったロボットに対して、「乗り物としてのロボット」というまったく別の文脈を与え、奇形的な進化を遂げたのが日本のロボットアニメなんです。今日はその歴史を考えていきたいと思います。
     みなさんは「ロボット工学三原則」を知っていますか? アイザック・アシモフという20世紀のSF作家の『われはロボット』(早川書房、2004年)という有名な小説に出てくる、科学者がロボットを作る上で守るべき三つの原則で、こういう内容です。

    第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
    第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
    第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

     この原則は、人工知能が暴走して人類や社会に害をなしたり事故を起こすことのないように考え出されたものです。科学技術が飛躍的に進歩し、人類がコンピュータを生み出した1950、60年代には「科学の力で疑似生命を生み出すことができるんじゃないか?」という期待が膨れ上がっていました。そういう状況のなかで、SF小説でロボットがテーマとして扱われるようになります。そうなると必然的に「擬似生命を生み出せるというのは、人間が神になるってことじゃないか?」「ロボットが自由意志を持ったとき、本当に社会に有用なものになるのか?」「本当に人間にとって友好的な存在になるのか?」という問いも生まれていくんですね。人工知能の正の可能性、負の可能性の両方を検討するなかでSF小説が発展していったんです。
     ところが、ロボット工学三原則が代表する20世紀的な人工知能の夢というテーマは、少なくとも戦後のロボットアニメというムーブメントの中では主流になることはありませんでした。初の国産アニメーションである『鉄腕アトム』は、人工知能の夢を正面から扱った作品です。そこには、人間が人工知能を生むことによって生命を創りだすことができるのか、つまり「人間は神になることができるのか?」という問いや、ロボットの人権や政治参加といったテーマ、あるいは人工知能が独自の意志で人類に反乱を起こすといったエピソードが頻出します。少なくともその誕生時において、日本のアニメーションは正しく「ロボット」と向き合っていた。しかし、そんな時代はすぐに終わってしまいます。

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  • 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第25回 〈近さ〉から〈遠さ〉へ――48Gの停滞と坂道シリーズの台頭【金曜日配信】

    2017-07-21 07:00  
    540pt


    本誌編集長・宇野常寛による連載『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』。今回は、10年代半ば以降の48Gの停滞、坂道シリーズの台頭で見えてきた、今後のアイドルカルチャーの課題を語ります。(この原稿は、京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 2016年7月8日の講義を再構成したものです)

    ブレイク後のAKBに立ちはだかる「戦後日本の芸能界」という壁
     AKB48が停滞してしまった理由のもうひとつは、やはり「慣れ」でしょう。昔は多くの人が「人気投票でアイドルを選抜し、それにファンが盛り上がるなんて常軌を逸している」と思っていた。ところが、もうみんな慣れてしまったし、後発のアイドルたちもみな似たようなことをやるようになって、珍しさが薄れてしまった。アイドルの選抜総選挙という特異なシステムによってAKB48は注目を集めることができたけれど、今はそうではなくなっているわけです。
     それと、実は地方展開もあまりうまくいっていません。もちろんSKEもNMBもHKTも、他のアイドルよりははるかに売れているし動員力もある。でも結局のところ、指原莉乃が象徴するように、芸能界で生き残っていくには東京のメディアに出て、〈テレビタレント〉になるしかないわけです。昔ながらの戦後日本の芸能界の構造を、48グループは結局は崩すことができていない。地方グループの人気メンバーになるより、東京のAKBの不人気メンバーでいるほうが有利なんです。SKEなんかは、いつ崩壊してもおかしくない状態です。
     それと、規模の問題も大きくなっています。僕が好きになった頃は推しメンに100票入れるだけでも順位が変動するような状況だったんです。ところが今では総得票数が何百万票になっていて、1位の指原なんて24万票ですから、1人の人間が投じられる票数で状況を変えることが難しくなっている。そのことも停滞の原因になっています。まあ、これはゲーム設計の問題だから仕組みで対応できると思うのですが。
     総じて言えるのは、テレビの問題が大きいということです。たとえば最近の総選挙では中継の演出ひとつとっても仕掛けがすべてテレビバラエティ的になってきています。「にゃんにゃん仮面」とかね(笑)。
     〈ライブアイドル〉というジャンルを作ったのはAKBなんだけれど、ある程度の規模を維持しようと思ったら指原=〈テレビタレント〉にならざるをえず、結局は昔のテレビカルチャーに回帰していくしかない――だとしたら、これまでAKBがやってきたことは何だったのか、ということになります。
     さらに、秋元康も自信を失っていると思いますね。AKBはもともと高校野球とかと同じで、若い子たちが過酷なゲームを戦わされて、喜んだり傷ついする姿を僕らが見て楽しむというリアルドキュメントだった。でも、今のAKBは自然発生するドラマだけではもう人々の関心を引きつけることはできないのではないか、という認識がある。だからテレビバラエティ的な「仕掛け」が多くなっているのだと思います。

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