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記事 3件
  • [オープン前夜特別座談会] 「遅いインターネット」は、世界の「語り口」を変えていくために(後編)

    2020-01-30 07:00  
    550pt

    いよいよのオープンに向けて、鋭意準備中のPLANETSの新しいウェブマガジン「遅いインターネット」。脊髄反射的な発信の応酬ではなく、未知の他者を受け止める接続回路としてのインターネット本来の可能性を再起動させるため、個々のコンテンツ制作者たちには何ができるのか。「遅いインターネット」創刊準備座談会として、前編に引きつづき荻上チキさん、ドミニク・チェンさん、春名風花さんの3者をむかえ、「遅いインターネット」が採るべき戦略を検討します。 ※本記事の前編はこちら
    メタレベルのメッセージをいかに回復するか
    宇野 そう、インターネットそのものは否定しない。しかしその速度に人間が流されている状態には抵抗する。この距離感が大事なのだと思う。このふたつの立場は完全に両立すると思う。たとえば、ヘイトスピーチの発信者や歴史修正主義者に対してはベタに対抗することが大事で、「あなたの言っていることは、こういう資料で完全に否定されています」と、ファクトとして間違いだという声をベタに上げないといけない。もっとも、そういった声が届くのは、イデオロギー的な思考停止や発信の快楽の危険性に自覚的なメタ的な思考ができる層で、もう一方でこの層をしっかり育てるためのアプローチがが必要になると思うんだよね。
    荻上 メタレベルの思考は一定の訓練をした人でないと難しいですね。たとえば、差別の文脈でも、人種差別や女性差別の歴史を知った上で、今起きている現象をどう位置付けるか考えている人と、差別を自明のものとして身体化している人とでは、そもそも会話が成り立たないところがある。僕は、ある種の人々の生き方や振る舞いを、ネットを通じてそう容易く変えられるとは思っていない。 だけど、「シノドス」や「成城トランスカレッジ」を通じて、少なくともサイバーカスケードの発生の仕方を部分的に変えることには参画してきた。ネット上でデマが広がる構造自体は変えられないけど、間違ったデマが広がることで議論のリソースを奪われる状況を変えたくて、例えば、情報の流通を変えることでデマを流れにくくしたり、ウェブ上で進行しているフローに対しては、フェイクであることを指摘したり、より確かな資料を集めて公開したり。それは個人的に好きでやってきたことなんだけど、その中である種のデジタル・アクティビズムに対しては、基本的には肯定する立場なんですね。 先ほどドミニクさんはアカデミズムに戻った話をされていましたが、僕が10年ほどやっていた「シノドス」というサイトでは、アカデミックジャーナリズムを打ち出していて、スローニュースを前提とした情報発信においては、一定の蓄積があると自負しています。例えば、チリの民主化運動の報道を見れば、水道などの公共料金の値上げが100万人規模のデモに繋がったということは分かる。でも、なぜそうなったのか。このデモの意味について考えるためには、少なくとも新自由主義がもたらした影響や、その前の軍事政権時代にまで遡った語りが必要です。しかし、ニュースサイトの記事ではそういったロングタームでの語りは手に入らない。そこで、その問題を考えるための長尺の議論を、アカデミズムの知見のある人に執筆してもらい、再文脈化するわけです。 確かに脱文脈化が進んだことで、見出ししか見ない人、都合のいい読解しかしない人たちが増えたかもしれないけど、それでも意思決定権を持つような一部の人たちのために再構築された文脈を提供する、いわば「議論のテーブル」の作り直しをしたかった。その思いは今でも変わらなくて、ラジオをはじめとするいろいろな試みも、議論に参加する上で最低限、抑えておくべき文脈を再構築するものでありたいと考えている。「薬物報道ガイドライン」もそれが前提でつくられています。

    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売!

    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
    宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円

     
  • [オープン前夜特別座談会]「遅いインターネット」は、世界の「語り口」を変えていくために(前編)

    2020-01-29 17:00  
    550pt

    『PLANETS vol.10』での構想発表から1年余、いよいよのオープンに向けてPLANETSが鋭意準備中のウェブマガジン「遅いインターネット」。いまの“速すぎる”インターネットに対して、新たなメディアはいかに抗っていくべきか。「遅いインターネット」創刊準備座談会として、様々な角度から視点・立場でネットメディアでの言論発信や実装に取り組んできた荻上チキさん、ドミニク・チェンさん、春名風花さんをむかえ、この20年間のインターネット史の“失敗”を検証します。本記事の画像を一部、変更して再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【1月29日17時00分追記】
    「遅いインターネット」は何を目指すのか
    宇野 まず最初に、改めてこの「遅いインターネット」計画の趣旨の説明から始めたいと思います。今、僕たちは新しくウェブマガジンを始めようとしています。そのコンセプトは「遅いインターネット」。それは一言でいうと、速すぎる今のインターネットへの対抗運動です。 現在のインターネットは、タイムラインの情報の消費速度に合わせた、脊髄反射的なコミュニケーションがトラフィックの中心にあるけど、インターネットの可能性はそれだけじゃなかったはずだと僕は思うんです。もちろん速さもインターネットの武器のひとつだけど、進入角度とか、距離の取り方も含めて、インターネットの本当の可能性は、ユーザー側が情報に対する主導権を持つことができるところにあったのではないか。 僕らは二つのことを考えています。一つは、極めてベタにウェブマガジンをやる。そこではネットの旬の話題からは戦略的に背を向ける。もちろん、速報性の高いジャーナリズムに意味がないとは思わない。むしろ必要なことだと思うけど、それとは違う方向から攻めて、5年10年と読み継がれるような記事を更新してGoogle検索の引っかかりやすいところにおいておく。このウェブマガジンは、PV数に比例して得られる収益に依存したサイト運営を行わない。今のところオンラインサロンの収益とクラウドファディングで運営するモデルを考えています。そうじゃないと、どうしてもSNSの潮目を呼んだ「旬の話題」に扇状的な見出しをつけることになってしまう。 念頭にあるのは、欧米のスロージャーナリズムの流れです。月額数千円のサブスクリプションモデルで、都市部の知識人層向けに良質な調査報道のウェブ記事を配信するメディアが力をつけている。そういったメディアの共通点としては、非常に強力なコミュニティを持っていて、月額会員の支持者たちに向けた情報発信やワークショップを継続的にやっている。そのモデルをある程度、踏襲するつもりです。 ただ、僕はそこでスロージャーナリズムのように調査報道をやろうとは思わない。それは僕自身が文化批評の出身で、関心の中心が報道にないというのもあるけど、何より、良質な調査報道があっても、それを受け取る側のリテラシーが低いと、見出しだけを見てリツイートするので、結局フェイクニュースを鵜呑みにするようなことが起きてくる。なので、いわゆる調査報道とは違ったアプローチをしてみたい。時間をかけて新しい事実を掘り起こすのではなく、情報の洪水に晒されたときにそれを慎重に受け止められる知性のリテラシー、抽象的な言い方をすると、情報に対する距離の取り方とか進入角度とか、そちらに僕は関心がある。なので報道ではなくて批評という立場を、ここではあえてとりたい。

    【新刊】宇野常寛の新著『遅いインターネット』2月20日発売!

    インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた一方、その弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例といえます。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。
    宇野常寛 遅いインターネット(NewsPicks Book) 幻冬舎 1760円

     
  • 駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.239 ☆

    2015-01-13 07:00  
    220pt


    駒崎弘樹×荻上チキ「政治への想像力をいかに取り戻すか――2014年衆院選挙戦から考える」

    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.1.13 vol.239
    http://wakusei2nd.com


    本日のほぼ惑は昨年12月13日の「PLANETS Festival」にて行なわれた、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さん、そして評論家でTBSラジオ「Session-22」パーソナリティも務める荻上チキさんとの対談をお届けします。このトークの翌日、12/14(日)に衆議院総選挙が投開票され、自公が326議席を獲得し圧勝しました。しかし、直近の選挙結果だけでは決して可視化されることのない、この国の政治文化の本当の課題があるはず。その課題を解決するために一体、どんな「ポジ出し」が必要なのか――? 荻上さん、駒崎さんに加えて、途中から宇野常寛も参加して白熱した議論の全容を、一部加筆・修正なども加えた「完全版」でお届けします。
    ▼当日の動画はこちらから。(PLANETSチャンネル会員限定)

    ▼プロフィール

    駒崎弘樹(こまざき・ひろき)
    1979年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、「地域の力によって病児保育問題を解決し、子育てと仕事を両立できる社会をつくりたい」と考え、2004年にNPO法人フローレンスを設立。日本初の「共済型・訪問型」の病児保育サービスを首都圏で開始、共働きやひとり親の子育て家庭をサポートする。2010年からは待機児童問題の解決のため、空き住戸を使った「おうち保育園」を展開し、政府の待機児童対策政策に採用される。2012年、一般財団法人日本病児保育協会、NPO法人全国小規模保育協議会を設立、理事長に就任。2010年より内閣府政策調査員、内閣府「新しい公共」専門調査会推進委員、内閣官房「社会保障改革に関する集中検討会議」委員などを歴任。現在、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員会座長、内閣府「子ども・子育て会議」委員、東京都「子供・子育て会議」委員、横須賀市こども政策アドバイザーを務める。著書に『「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方』(英治出版)、『働き方革命』(ちくま新書)、『社会を変えるお金の使い方』(英治出版)等。一男一女の父であり、子どもの誕生時にはそれぞれ2か月の育児休暇を取得。

    荻上チキ(おぎうえ・ちき)
    1981年生まれ。シノドス編集長。評論家・編集者。著書に『ネットいじめ』(PHP新書)、『社会的な身体』(講談社現代新書)、『いじめの直し方』(共著、朝日新聞出版)、『ダメ情報の見分け方』(共著、生活人新書)、『セックスメディア30年史』(ちくま新書)、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書)、『彼女たちの売春』(扶桑社)、『夜の経済学』(扶桑社 飯田泰之との共著)、『未来をつくる権利』(NHK出版)、編著に『日本を変える「知」』『経済成長って何で必要なんだろう?』『日本思想という病』(以上、光文社SYNODOS READINGS)、『日本経済復活 一番かんたんな方法』(光文社新書)など。
    ◎構成:鈴木靖子
    「どこに投票すればいいのかわからない」ときに僕たちはどうすればいいのか?
    宇野 今日はですね、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんと評論家の荻上チキさんをお招きして、「政治への想像力をいかに取り戻すか」をテーマに議論していきます。荻上さんはジャーナリズムで、一方の駒崎さんは病児保育という分野で社会起業をし、世の中を変えていくための活動を続けています。くしくも、明日は衆議院議員選挙投開票日。まずは、ぶっちゃけ、「今回の選挙戦どうよ?」という話からしていきたいと思っています。
    駒崎 僕は今回、全力を尽くしましたね。
    宇野 尽くしましたね。戦って燃えましたね(笑)。
    駒崎 僕は選挙が公示された12月2日にまず、『候補者イケメンランキング』(『これで貴女も、争点の無い選挙でも楽しめる☆衆院選イケメン候補者リスト』)をアップして、1週間後に、『落としちゃ、だめよ、だめだめ』っていうリスト(『【総選挙2014】落としちゃ「ダメよ?、ダメダメ」な衆院選候補者リスト』)を出したんです。
     「みんな、投票に行こう」というメッセージに加えて、もう一歩踏み込んだかたちで、党に関係なく「この人はいいよ」という考え方があるという言説を展開したんですが、その反応はいろいろでしたね。例えば『イケメンランキング』のほうは、「政治は顔じゃないだろ」「政策で選ばなければいけない」みたいなマジレスもいただきました。
    荻上 「女性をなめてるのか!」っていう反応もあったよ。
    駒崎 「子育て支援とかしてるくせに、フェミニストの敵だ」とも言われ、まあ、燃えました。
    荻上 すごいぶっこんだなと思いました。ジェンダーコードとか完全に無視するんだなって。
    駒崎 そうですね(笑)。でも、そこはある種、意図的だったりもします。「落としてはいけない人がいる」「党とは関係なくいい人がいる」という話をしたかったから、そこに対してはしっかり踏み込めたかなあというふうには思いました。
     でも、選挙結果はというと、投票日前日にもかかわらず自民圧勝が明らかですよね。そういう状況に対して僕らはどういう姿勢をとればいいのか、ということをチキさんと考えていけたらいいなと。
    荻上 「投票結果が出て、そこで政治参加が終わり」というのはとてももったいないですからね。でも、投票に行かないのはもっともったいない。なにせ、選挙に行く人と行かない人の間の「一票の格差」たるや大きいですよ。そういう事実を呼びかけていくことは物書きとして続けなきゃいけないといつも思っています。
     今回に限らずですが、選挙って常に難しい。自分にとってベストマッチな政党なんて存在しないわけですから。例えば、自民党は経済政策で評価するけど政治思想は評価しないっていう立場の人もいるだろうし、一方で自民党の経済政策は「NO!」と思う人がいたとしても、野党の政策に自らの「NO!」を託せるのかというと、やや物足りないと感じる人もいるでしょう。
     今回の選挙戦を見ていても、誰が何によって投票するのかという意志行動は、さらにバラけていくように思います。
    駒崎 僕自身、経済政策的にはアベノミクスを中心とした金融政策とかはまあまあ賛成という立場ですが、安倍首相の封建的な家族観や、育児休暇を3年に延長する「抱っこし放題3年」とかは止めてほしいと考えています。
     そんな僕は自民党に入れればいいのか、あるいは自民党じゃないところに入れればいいのか?というところがよくわからない。でも投票しないのはちょっとイヤだし「どうすりゃいいの?」というある種のジレンマがある。これはたぶん、みんな思い当たるところがあると思うんですね。
     僕らは「選挙」というものに対して、どのような姿勢をとっていくのか? さらに言えば、僕らにとって民主主義ってなんだっけ?ということを改めて考えていかないといけない。
    荻上 今回のように大きな流れが確定している選挙のときって、僕は常に第三極、あるいは「スパイス」を探すという投票行動をとっています。「自民党だから」「非自民だから」とか、「どの党に与党になって欲しいか」というだけではない観点もありますよね。
     例えば、所属政党と無関係に、あるジャンルにとても強く、国会質問を通して情報発信をしている議員がいます。国会議員は法律をつくるのがひとつの仕事だけれど、政府に対して質問をするのも仕事なわけです。「質問」は実は、ジャーナリズムと同じ役割を果たしている部分がある。国民の知る権利を満たすために「資料を出せ、考えを示せ」ということを問い続ける役割を政治家は担っている。だから、質問力がある人や特定の領域に共感できる人を見ていくと国会は面白くなるんです。
    駒崎 そうなんですよね。僕にも、自民党、公明党、民主党など、党とは関係なく知り合いがいます。僕は子育て支援の事業をする中で、政治家に「この法案のここの部分が問題であり、修正して欲しい」といったロビイングをしていますが、さっきチキさんもおっしゃったように、国会で質問をしてもらうことで政府の見解を引き出すのもひとつのテクニックなんですね。
     国会で答えたことは、絶対にやらなくてはならない。あるいは、国会で答えた解釈は曲げてはいけない、というルールがあります。だから例えば、子育て支援で、ある件について、「とても使い勝手が悪い運用をしてますけれど、これは、法律に書いてあるんですか?」ということを質問してもらい、答弁を書く厚生労働省の担当者、発言する政治家から、「そのつもりはありません」「改めていきたい」という一言を取れるということはとても重要です。
    荻上 言質(げんち)を引き出すわけですよね。
    駒崎 こうした草の根ロビイングから国会で質問をしてくれる議員って与野党関係なくいます。選挙となれば、多くの人が「与党選び」だと考えていると思いますし、確かにそうなんです。でも、いい野党を選ぶという考え方も重要ですよね。
    荻上 東京大学先端科学技術研究センターの菅原琢さんの研究室のサイトには『国会議員白書』が公開されています。こうしたデータを見ると、国会議員になったのにまったく質問をしていない人もいれば、そもそも国会に来てもいない議員もいる。これは職務放棄であり、明らかに無駄。選挙に関しては、そういう視点から考えるのもひとつのアプローチになると思いますね。

    マスメディアでの報道量が激減していた今回の選挙戦
    荻上 今回の選挙で、僕自身がメディアの中にいて、結構、これまでと違うなと思ったのは、やっぱりメディアの側の緊張感が大きかったところですね。
    駒崎 それはどんな風に?
    荻上 テレビの報道時間などのメタデータをログし続けている「エム・データ」という企業があって、そこのデータが話題になりましたね。前回の衆議院選挙、あるいはその前と比較しても、今回の選挙って、公示から1週間の選挙報道の総時間が激減していると。以前の選挙と比べると、だいたい3分の1だったかな。
    駒崎 めちゃくちゃ少ないですね。
    荻上 理由はいくつかあるだろうけど、政府が「公平中立にやってくれ」と言ったとき、特にワイドショー番組とかって「2歩くらい下がって安全をとる」という行動を取りがち。ワイドショーの多くは制作会社が作っていて、外注である制作会社にとっては、ただでさえ数字がとれない選挙報道でポカしてテレビ局から切られるのは避けたい。そういった自粛が働いた可能性がひとつあります。ただワイドショーって政策ではなくて候補者のキャラクターが立った場合に取り上げやすいですから、数が減ったイコール選挙報道から手を引いたと単純には言えないんだけど。
    駒崎 それにしても減りすぎじゃないですか。
    荻上 テレビから情報を得て、投票をする人もいるので、「情報のレパートリー」が少なくなっていることは問題だと言える気はしますね。
    駒崎 ちなみに、公正中立報道の要請という点では、今回チキさん自身が当事者になりましたよね。
    荻上 『朝生』の一件ですね。自民党が出した要望書が直接の理由かどうかはさておき、これまで『朝生』がやっていた「ゲストを招いて議員に質問をぶつける」という方式を、今回は「偏らないように」ということで配慮して、直前になってゲストの出演がなくなった。
     これは別に、荻上チキだからNGというわけではないし、たぶん僕はこれからも『朝生』には呼んでいただけるとは思います。だけど、そういうふうに「選挙期間中にゲストを呼ばずに議員だけを呼ぶのが公平」というかたちにしてしまうと、討論番組の枠が狭まってしまいますよね。知る権利とか議論の幅を拡張していくべき時代にある中で、今までできていたことを手放してしまうのはすごくもったいないな、と。
    駒崎 どんどん枠が小さく狭くなっているんですよね。なんというか、政治のことを語るのにそういうふうな手続きが必要になっていくと、逆に民主主義を根腐れさせるような状況になってしまわないか、ちょっと心配です。
    荻上 そもそも「特定の政党を集中して批判するな」ということは、どの法律にも書かれていません。こうした議論のときに必ず放送法が引用されますが、放送法をよく読むと、そこで謳われているのはまず「政治権力からの中立」。つまり政権が不当にメディアに対して介入しちゃいけないということが書かれている。
     一方で、メディアに対しては「公共の電波を使っている自覚をもて」ということが書いてある。「メディアは不偏不党で公平に努めろ」「そんなメディアに対して権力は不当に介入しちゃいけない」というのが、放送法に書かれていることなんです。
    駒崎 なるほど。
    荻上 だけど、なんとなく「政治権力を怒らせるような報道をしてはいけない」というのが「中立」の意味だという捉える人がいる。基本的な社会認識がズレているということは、要所要所で感じましたね。
     さらに一方で、放送法第4条に謳われているような、「メディアは公平性を担保しろ」という文章を削除すべきだという議論もある。例えば、アメリカなどでは放送メディアも、それぞれ支持する政治傾向がはっきりしてたりしますね。
    駒崎 FOXニュースとか見ていると、オバマ大統領に対してすごく批判的でビックリしますよね。
    荻上 FOXニュースでは、イラクの大量破壊兵器があったと信じる割合が高いとかね。そんなアメリカでは、約30年前に、フェアネスドクトリン、つまりメディアの公平原則に関する規則を削除しているんですね。そこまでやるかどうかは別にして「メディアの中立性」を考える上では、たとえば放送法を改正するとか、現行の「国が放送メディアに対して免許を与える」という形式を改めたほうがいいのではないかという議論もあります。
     例えば今回引き合いに出された「椿事件」って、1993年当時にテレビ朝日のトップだった椿貞良氏が民放連の会合で、政権打倒のために放送をしたというようなことを言ったと報じられ問題となり、証人喚問されたという一件です。一連の出来事が、ちょうど放送免許の更新時期に起こって、テレビ朝日の放送免許が発行されない可能性が出たわけですね。ただしその後、言われていたような放送が行われたかという点については調査報告が出ている。
     そもそも、政治権力が免許を与えて、「お前は報道していい、お前は報道しちゃいけない」と判断する制度そのものが、放送局が権力側の顔色を伺うということを温存する構造になっている。NHKの経営委員会を選ぶプロセスもそうですね。だとすれば、中立的な審議会のようなものを立ち上げて、そこが放送局に対して免許を与えるように、制度そのものを変えてメディアの中立性を議論し直そうという議論も、以前からあるんですよ。
    駒崎 それは絶対やったほうがいいですよね。
    荻上 一方で、今の「公平性」というのは、なぜか「中立性」つまり「色を出すな」という方向に行っています。中立性と公平性は厳密には違うんだけど、そんなことをしていて、どんな議論ができるんだよ、となる。極端な話、「経済政策のここがダメ」だと指摘したら与党批判になり、「フェア」ではなくなってしまう。そのコンセンサスが、メディア側にも弱かったですね。

    SNS上の言論空間は何がダメなのか?
    駒崎 テレビはそういうふうに制限されるかもしれないから仕方がない。ならばということで、「じゃあネットメディアで頑張ろう」「ネットで自由闊達な議論をしていこうよ」という議論も一方でありますよね。
     そして数年前くらいまで、「ネットの普及で自由な言説が互いにぶつかりあう議論の場ができる」みたいな話だったはずなのに、今のSNSはデマとディスり合いが繰り広げられる惨憺たる有様です。テレビもネットもどちらも、メディア空間としては問題を抱えてしまっているように思えます。