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  • 【最終回】「ポストギアス」と今後のロボットアニメ/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(9)【不定期配信】

    2017-07-20 07:00  
    540pt

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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。最終回となる今回は、「ポストギアス」の諸作品や、『ガンダム』『マクロス』などの最新作の動向からロボットアニメの今後を展望します。

    「ポストギアス」をめぐる試行錯誤――『ギルティクラウン』『ヴァルヴレイヴ』
     前回は『コードギアス』の達成について、主として終盤の主題展開の独自性という点から考察しました。今回は「ポストギアス」アニメをいくつか検討した上で、あらためて今世紀のロボットアニメについての総括を試みたいと思います。『ギアス』前後の谷口悟朗監督作品はすでに検討しましたが、彼は『ギアス』以降は仕事のペースを一時緩めています。『ジャングル大帝 -勇気が未来をかえる-』(2009)監督、『ファンタジスタドール』(2013)原作などですね。2015年の『純潔のマリア』をきっかけに、2016年の『アクティヴレイド -機動強襲室第八係-』、2017年の『ID-0』と立て続けに監督をつとめ、いずれも渋い佳作ですが、ややベテランアニメファン向けのきらいがあります。「コードギアス10周年プロジェクト」ではそうした円熟した作風を一部手放す必要があるかもしれません。
     むしろシリーズ構成・副構成をそれぞれつとめた大河内一楼と吉野弘幸が、『ギアス』のテイストを意識したかのような展開をいくつかのアニメで入れたさいに、反発を呼んだケースの方が目立つように思われます(もっとも、アニメファンが「苦手な展開」をもっぱらシリーズ構成に帰す慣習が実際のスタッフワークと一致しているとは限らないと思いますが)。
     以下、この二人が関わっているか否かを問わずに次の3つのアニメを簡単に検討したいと思います。『ギルティクラウン』『革命機ヴァルヴレイヴ』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』です。
     まず『ギルティクラウン』ですが、これはロボットアニメというよりは異能力もので、ギアス能力をめぐる人対人のバトル要素を、ギスギスした展開込みで取り入れしようとしたところがあります。けれども実際にはメインヒロインいのりの造形(かわいさ)に大幅に依拠しつつも、本編では空気ヒロイン気味、といった風情の作品でした。これはちょうど、最初は男女双方の視聴者獲得を目指していたと思しき『K』で男性視聴者を狙いに行った女性キャラ「ネコ」の存在感と似た事態です。『K』は「抜刀」アクションが盛大に女性受けした結果、男性狙いの方向性は後退していったがゆえに、宙に浮いた形となったわけです。『ギルティクラウン』は企画の随所に野心的なところがありつつも、それらがうまく機能したとはいえませんが、2017年にまさかのパチスロ展開をみているので、今後再評価される可能性がないとはいえません。
     さて『革命機ヴァルヴレイヴ』は今では主題歌とラストの「銅像エンド」が有名かもしれません。すでにこの連載では「性的な場面」について触れました(ティーンズの「性と死」を描けるジャンルとしてのロボットアニメ/今世紀のロボットアニメ(3))。学生だけのコミュニティがギスギスしていき崩壊の危機を迎える、というアイディアは『無限のリヴァイアス』を思わせますが、「ポストギアス」ゆえによりエクストリームな展開になっています。共感性にあまり寄り添わないキャラクターたちの恋愛感情をめぐるゴタゴタは興味深く、ロボットアニメでなければ成立不可能だったと思わせますが、ルルーシュやスザクのようにはいかなかったきらいがあります。両作はどちらも「クリフハンガー」「全方位を少しずつ苛つかせる」など、『コードギアス』メソッドを志向したところがありますが、なかなかうまくいかないようにみえます。まとめると、『ギアス』が出した解決も、「ポストギアス」の困難も、ともに作品が抱える「卑近さ」の扱いに起因するのではないでしょうか。ギアスの場合、ルルーシュの卑近さ=シスコンというシンプルなフェチに駆動されつつ、国際政治や戦闘をめぐるポリティカル・フィクションともうまくブレンドされていたわけですが、「ポストギアス」アニメの多くはそこを短絡的に流用してしまった感があります。
    ロボットアニメのポテンシャルを十全に発揮した『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』
     そんな中、スタッフ的にはあまり『ギアス』と関連するところはないのですが、個人的に「ポストギアス」アニメの快作といってよいのが『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』だと考えています。なぜなら、『コードギアス』の重要な点としては、卑近な欲望と「高貴」な主題の並置という、富野由悠季が得意としたロボットアニメならではのスタイルを『クロスアンジュ』が巧みにアレンジしていると思うからです。ハイファンタジー志向だった『聖戦士ダンバイン』の後半では結局東京が舞台になるのですが、こうした側面は、例えば宮崎駿作品と比べると、ファンタジーを作りきれていないという批判となるでしょう。大きなテーマを卑近な欲望に落とし込む手法がいわば嫌われているわけで、『ダンバイン』後半の東京はその象徴といえます。けれども『ダンバイン』終盤の魅力は、舞台が東京であるがゆえに生まれているところは無視しえません。
     『クロスアンジュ』が興味深いのは、『ガンダムSEED』で今世紀のロボットアニメとしては記録的なヒットを飛ばし、続編の『ガンダムSEED DESTINY』もヒットさせながらも、納期に間に合わなくなる事態の多発などもあってか、しばらく沈黙を余儀なくされたようにみえる福田己津央が、「総監督」として見事に復活したことでしょう。端的にいうと、「ポストギアス」アニメの多くが扱いかねていた偽悪要素を、うまくシナリオ展開と結びつけているがゆえに、卑近な要素がかえって爽快な物語になるという結果をもたらしています。主人公のアンジュは「ミスルギ皇国」の皇女として、特殊能力「マナ」を使えない「ノーマ」と呼ばれる人々を侮蔑する選民思想を抱くようになっていたのですが、ある日自分自身がノーマだったことが判明し、皇女の地位を剥奪されたあと、ほぼ牢獄といってよい「アルゼナル」へと追放されます。そして当初は「私はミスルギ皇国の皇女よ!」とあくまでも過去の栄光にすがるかのような言動をみせていたアンジュですが、しだいにアルゼナルの劣悪な環境に馴染んでいきます。実はこの初期設定が、図らずも福田己津央の巧みな自己批評になっているように思われます。なぜなら、このアンジュの状態はまさに「私はガンダムSEEDの福田己津央だぞ」と主張しているのも同然だからです。けれどもそうした過去の栄光は今やなく、一度底辺にまで落ち込んだ境遇からたくましく再起を図るしかない。そういう醒めた自己批評ができていることが、『クロスアンジュ』にある種の凄みを与えているのではないでしょうか。そして実際に福田己津央は再起を果たしたのではないかと考えています。
     『クロスアンジュ』のジャンル的な位置付けをざっくりとまとめるならば、映画『女囚さそり』シリーズ(1972-1973)の流れをくむ「女囚もの」といえるでしょう。興味深いのは、『クロスアンジュ』では「自称正義」を揶揄する要素は少なめなので、オタクコンテンツでしばしばみられる「正義をやっつける欲望の肯定」原理が嫌味にならず、むしろラスボスがコテコテの童貞臭漂うキモオタ博士であることがうまく活かされています。
     『クロスアンジュ』にはある部分では『ガンダムSEED』の性別逆転シナリオといえるところがあって、それは後にアンジュのパートナーとなる男性「タスク」と出会う第5話にあらわれています。無人島と思しき島に行くと実はそこには人が住んでいて……という流れのこうした単発回は、ファーストガンダムの異色エピソード『ククルス・ドアンの島』(15話)に由来します。本編から切り離され、別の視点で物語を展開できるメリットはありますが、『ふしぎの海のナディア』の「島編」のように、制作リソースの不足を補うための「水増し」であったり、キャラクターの「記憶喪失」並に濫発される「デバイス」となっている感も否めません。『ガンダムSEED』では24話でのアスランとカガリのエピソードがよく知られており、男女が(昨今では性別を問わないですが)島から出られないというシチュエーションからは、恋愛ないし性的な展開が期待されることも多いわけです。

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  • 精神分析的物語構造への批評としての『コードギアス』/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(8)【不定期配信】

    2017-06-15 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。前回に引き続き、ロボットアニメのお約束展開を次々に踏み越えていった『コードギアス』の画期性を分析します。

    「家族の物語」を展開した『新世紀エヴァンゲリオン』
     これまで今世紀のロボットアニメについて考察してきたわけですが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』にかなりのスペースを割いています。その理由としては、『ガンダム』や『マクロス』のような老舗シリーズを除くと、他の佳作群(『エウレカセブン』『グレンラガン』『ゼーガペイン』etc.)と比べて傑出した点を多く見いだせるということがあります。とりわけ「ロボットアニメ好き」の外に届けた点において、前回考察したようにCLAMPデザインがもたらした効果は無視できません。その上でここからは、『ガンダム』や『マクロス』も含めて、ロボットアニメの歴史の中に再び『コードギアス』を位置付けつつ、このジャンルについての簡単な展望を示してみたいと考えています。
     前回は『スター・ウォーズ』以来の神話構造論を用いたシナリオライティングとの関係で、「ラスボスが父親」というひとつの黄金律がみられること、そしてその黄金律の既視感について簡単に触れました。ここでいう「ラスボス」は、ダース・ベイダーの上に銀河皇帝がいたように、端的な敵組織のボスとして現れるとは限りません。例えば『エヴァンゲリオン』では、主人公のシンジは基本的には「使徒」を殲滅するオペレーションを遂行しており、父親が敵対組織にいるわけではないのですが、人間関係の配置においてはどうみても、シンジは使徒のことは大して気にしておらず、父親との関係性に最後まで固執し続けるような作劇がなされています。父親への苦手意識を克服できるかどうかが作劇のメインとなっており、その意味で父ゲンドウは「ラスボス」となるわけです。物語開始時点で不在の母親に関しても、結果的に「同僚」の綾波レイが母親のイメージを強く身にまとう存在であることが判明することで、非常にわかりやすく「家族関係をめぐる心理的葛藤」が描かれていたわけです。
     『エヴァンゲリオン』の魅力と欠点は、このように閉じた濃密な人間関係に由来しています。私は最初に視聴した時、しばしば精神分析との関係で語られうる「オイディプス・コンプレックス」とのダイレクトな連想、すなわち古代ギリシア悲劇の構造よりは、シンジの「行動不能性」などが目立つので、シェークスピアの『ハムレット』のような近代悲劇に近い「碇ゲンドウ王朝の物語」という印象を持ちました。ネルフは基本的にゲンドウが私物化している組織であるがゆえに、シンジのゲンドウへのこだわりが「はっきり決断しない」鬱陶しさの印象を与えるだけでなく、「こんな環境に中学生が置かれたら病むのは当然だろう」という読解を同時に誘います。つまり、『エヴァンゲリオン』についてはロボットアニメにおける「敵を倒す」構造よりも、家族の葛藤という主題が表に出ているがゆえに、1990年代を席巻していたサイコサスペンス(『羊たちの沈黙』のような)のような受容が可能になり、ふだんロボットアニメに関心を抱かない層にアピールしたのでしょう。しかし、ここには神話的なヒーロー物語の「心理主義化」という大きな代償もありました。精神世界描写の肥大化は、『エヴァ』ぐらいテンションがあればまだしも、後続作では「父に認められたかった」といった安直な説明原理をそのまま展開するものも少なからずあったように思います。

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  • 神話構造論を揺り動かすCLAMPキャラクターの物語生成力/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(7)【不定期配信】

    2017-05-26 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、『コードギアス』が今もなお男女双方から人気を集めている要因を、「CLAMP原案キャラクターがもつ機能」に着目して読み解きます。(※5/29(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年の春映画をがっつり総括します。視聴ページはこちら)

    いまだ根強い人気を誇る『コードギアス』と『カードキャプターさくら』
     2017年は日本のアニメーション100周年にあたり、歴史を振り返る企画が色々立てられています。1917年の『なまくら刀』(現存する最古作品)など貴重な作品を見ることができるアーカイブサイトの「日本アニメーション映画クラシックス」、そして初期アニメーション史についての現在の成果を知ることができる京都国際マンガミュージアムの「にっぽんアニメーションことはじめ~「動く漫画」のパイオニアたち~展」を挙げることができるでしょう。
     そしてNHKのサイト「ニッポンアニメ100」の関連企画でweb投票が行われ、5月3日に集計結果が発表されました。同一タイトルであってもシーズンごとに別集計、劇場版もそれぞれ別作品とみなすというルールのためもあってか、ベスト10に『TIGER & BUNNY』と『ラブライブ!』が3つずつ現れるという結果になってしまい、そこに歪みをみた人も少なからずいたようです。本連載の観点から注目されるのは、『コードギアス反逆のルルーシュ』(一期)が総合7位にランキング入りしていることで、男性だと10位、女性だと8位になります(『R2』は総合15位、男性31位、女性9位)。様々なバイアスが予想されるとはいえ、これはかなり高い順位であり、本連載の観点からも興味深い結果です。
     このランキングで示唆的なのは、『コードギアス』と『カードキャプターさくら』の高評価が連動しているように思われることでしょうか。『カードキャプターさくら』は総合8位、男性20位、女性7位となっており、NHKで放映された魔法少女ジャンルものということもあって、CLAMP作品では最も広範な層に受け入れられた作品です。かつては主人公さくらが「萌え」の典型として語られたこともありましたが、現在振り返ってみると最も興味深い要素は、作中に現れる「カップリング」が、性差や年齢など、考えうるあらゆる組み合わせから成り立っていて、それらがすべて「当たり前」のものとして成立しているところだと思います。CLAMP作品ではしばしば「必然」が強調されるため、「いったいなんの必然性が主張されているのか」の内容次第では「自由」の余地が狭まるように思えるかもしれません。けれども『カードキャプターさくら』が明確に示しているように、実質的には「実社会では周縁化させられてしまう関係性」もまた必然だと主張しているわけで、多様な関係性のあり方が肯定されていたわけです。
    CLAMPキャラクターが起こした化学反応
     『コードギアス』をロボットアニメとしてみたときの興味深い異質性として、アッシュフォード学園要素があることについてはすでに触れました(猫のアーサーに仮面を奪われるピンチで話を作るなど)。要するに、戦争をしながら学園生活を送るという、一見無茶な設定から生まれるエクストリームな展開が、本作に独自の魅力を与えているわけです。近作『ID-0』(2017)を含めた他の谷口悟朗監督作品が、基本的には手堅い人間ドラマを繰り広げるものであるために、『コードギアス』のキャラクターたちの「相関図」の錯綜ぶりが際立っています。その理由としては、先に『カードキャプターさくら』についてみたような、CLAMP原案であるがゆえに可能となったキャラクター配置があるのではないかと考えています。
     『コードギアス』は時期的には『xxxHOLiC』の頃のデザインで作られていますが、スザクに『カードキャプターさくら』の李小狼のような「正統派ヒーロー」を期待した人は放映前には(放映中も)けっこう多かったように思います。けれども実際にはご覧の通りで、「ダークヒーローのルルーシュと正統派のスザクが対峙する」という展開にはなりませんでした。むしろスザクのほうが「闇」が深いキャラだったため、いい意味でトリッキーな展開を生んでいたわけです。これはCLAMPがシナリオをやっていたらまずありえないことで、また他の谷口悟朗監督作品でも起きていないことです。シリーズ構成の大河内一楼やシナリオの吉野弘幸が『コードギアス』以後に担当したアニメには、一部「ポストギアス」的なエクストリームな人間ドラマもみられますが、必ずしもうまくいったとはいえません。つまりここにはある種の「ケミストリー」が生じているわけです。そこにはCLAMP的な「必然性」を主張するキャラクターたちが織りなすドラマの力が大きく作用しているのではないでしょうか。

    ▲「週刊少年マガジン」で2003年から連載開始したCLAMPの『ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE』では、小狼のCLAMP的ヒーローキャラクターとしての側面が強く出ている。(画像はAmazonより)

    ▲『コードギアス』の枢木スザク。『ツバサ』連載初期の小狼のキャラクター造形からの影響を感じさせる。(画像はアニメ公式サイトより)
     例えばスザクの乗るランスロットのメカニック担当のロイドは、この種のアニメによく出て来る、すべてをモノ扱いする一種のサイコパスじみた科学者ですが、その信念が徹底されている結果、「イレヴン」である日本人のスザクを差別することもなく、フラットに能力主義で評価する好人物となっています。他方ロイドの弟子となる同じく眼鏡キャラのニーナは、名字が「アインシュタイン」であることに始まり、ロイドと対比的に造形されており、科学的天才であるとともに明確に「イレヴン」を憎悪するレイシストでもあり(とはいえそこには日本人に暴行されかかったという明確な理由があるのですが)、大量破壊兵器「フレイヤ」を開発し、日本に投下するに至ります。このように明らかに視聴者の感情を逆なでする役割を担うキャラなのですが、他のアニメであれば無残な最期を遂げてもおかしくないにもかかわらず、終盤ではルルーシュと手を結ぶという展開が控えています。

    ▲『コードギアス』のロイド・アスプルンド。(画像はアニメ公式サイトより)

    ▲『コードギアス』のニーナ・アインシュタイン。(画像はアニメ公式サイトより)
     『コードギアス』のキャラたちには、すべてある種の「類型」が期待されており、多くの場合はその期待に沿って動いていきます。けれども重要な場面では「テンプレ」的なシナリオから逸脱していくために、正負の両面で強い印象を残すのではないでしょうか。典型的なのは扇要の扱いでしょう。初期は優柔不断ながらも抵抗運動の良心を担い、無力でやや「無能」ながらも優しい良心派キャラに落ち着くとみられていましたが、最終的にブリタニアのヴィレッタと結婚し、日本の首相になるという「一人勝ち」状態に至る過程における数々の「クズ」なふるまいもあり、おそらく作中最も嫌われたキャラです(新シリーズにおける扇の扱いがいったいどうなるのかは、興味を惹くポイントの一つです)。ニーナや扇をめぐる『コードギアス』ファンの感情の揺れは、他のアニメであれば作品人気そのものを危機に晒すおそれのあるタイプのものですが、政治的要素のシャッフルも含めて、特定タイプのキャラに対する好悪感情をも「等しく逆なで」しているのが興味深い特徴となっています。つまり、どんな人であっても作中キャラの誰かの言動に苛立ちを覚えるように人間関係が構築されているわけです。

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  • 『コードギアス』の複層的シナリオ展開はなぜ可能になったのか/『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(6)【不定期配信】

    2017-04-20 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、キャラクター劇とポリティカル・フィクションを巧みに両立させた『コードギアス』のシナリオ展開について考察します。(※4/24(月)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 2017年冬クールのアニメを徹底総括します。視聴ページはこちら)

    時間の経過とともに可能になりつつある名作ロボットアニメの評価

     前回の配信直後、2017年3月17日に『交響詩篇エウレカセブン』の劇場版三部作(『ハイエボリューション』)が発表になりました。この符合には少し驚きましたが、『エウレカセブン』と『コードギアス』の比較が、2010年代後半に再び可能になるということで、にわかに現代性を帯びてきた感があります。現状で『ハイエボリューション』の興味深いところと不安点を簡単に挙げると、テクノユニットのHardfloorから新曲「Acperience7」を提供されていることは興味深いと言えるでしょう。パワーバランスの変化ゆえに可能になったところもあるとはいえ(”Anime”の存在感など)、オリジナルにおける「サブカル的意匠」の意味合いもリブートしていく意気込みをみることができるからです。不安点としては、すでに『エウレカセブンAO』という後日談があるために、『コードギアス』と比べると三部作の出口にかなりの縛りがかかっていることでしょう。いずれにせよ、旧作のリブートとはいえ、思わぬ形で「2010年代のロボットアニメ」が活気付けられた印象があります。
     もう一つロボットアニメ関連の興味深いニュースとしては、マクロス35周年プロジェクトとして『マクロスF』のシェリル・ノームの新曲発表が挙げられます。こちらは『マクロスΔ』の直後ということもあり、『マクロスΔ』は『マクロスF』のインパクトを超えられなかったのか、という雰囲気も若干漂いますが、アイドルアニメの源流の一つでもある『マクロス』シリーズの強みが出ているように思います。
     さて、だいぶ長々と周辺事情へと迂回した感はありますが、『コードギアス』の意義を改めて考えてみましょう。日本アニメ史における『コードギアス』の位置は、冷静にみるならば「SクラスとまではいえないAクラスのヒット作」(『クリティカル・ゼロ』より)といったところでしょう。ロボットアニメの中では『機動戦士ガンダム』や『新世紀エヴァンゲリオン』と同等のインパクトを後世に残したとまでは言えないが、ジャンルの歴史では大きな存在感を持ち、ゼロ年代アニメの中ではかなり人気のあった作品、といった認識が共有されているように思われます。
     私もおおむねそうした見解には同意なのですが、今回改めて見直してみたところ、たとえSではないにせよAAないしはAAA作品とみることができるのではないか?と主張できるように思います。むしろ、『コードギアス』以後の十年間によって(『魔法少女まどか☆マギカ』が事後的にサブジャンルを生み出し、アニメ史的意義を増したように)重要性を増したとみています。これはちょうどヒット作でありながらかなり批判されていた『ガンダムSEED』が、今では古典の一つとなっているように、『コードギアス』についても時間を経た評価の変化をみてみたうえで、現代的意義について考えてみたいということです。
    トリッキーな主人公としてのルルーシュ
     『コードギアス』を雑にまとめてしまうならば、「もしも夜神月が妹を守るために「優しい世界」を求めたとしたら?」となると思います。ルルーシュの造形が『DEATH NOTE』の夜神月をヒントにしていることは明白ですが、そこに加えられたアレンジが、他の数多あるデスゲーム系作品と一線を画する結果となっているのでしょう。シナリオのメインプロットや諸勢力がどんどん移り変わっていったようにみえる『コードギアス』ですが、「妹のナナリーを守る」という軸は最初から最後まで徹底していて、しかもそのようなシスコン要素についても、終盤では一捻り加わえられているんですね。「優しい世界」は、今ではろくでもないネットミームになってしまっていますが、もともとはコードギアスのルルーシュが求めた世界を指していました。夜神月には妹がいますが、特に守るべきキャラというわけではありませんでした。いずれもピカレスクロマンとして描かれつつも、ルルーシュの行動原理が「妹ファースト」であるところは、ややもするとヌルくなりかねないわけですが、『R2』の18話から19話にかけて、「第二次東京決戦」の結果ナナリーの安否が不明になったため、せっかく成立した「超合集国」を台無しする勢いで取り乱し、部下一同をドン引きさせるという展開を混ぜることで、「妹ファースト」の危うさを、終盤の物語を加速させるモチーフとして活用していました。
     このように、『DEATH NOTE』フォロワー作品の多くと比べても、今なお設定の絶妙さが光る『コードギアス』ですが、これから初めて見る人にとっては、作画の面では必ずしも新しさが感じられないかもしれません。原案をCLAMPが担い、木村貴宏がデザインしたキャラクターは個性的で、今でもファンが多いですが、ゼロ年代アニメをヴィジュアル面で刷新した京アニやシャフトの作品と比べると、画作りの点ではやや古くみえるかもしれないと思います。『ガン×ソード』の延長上にあるといえばよいでしょうか。なので、『コードギアス』がゼロ年代アニメの諸要素を結集させているといいつつも、画面設計などの点では90年代後半からゼロ年代前半にかけてのアニメに近いところがあるかもしれません。

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  • 『コードギアス』と『エウレカセブン』の対比から見えてくるもの(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(5))【不定期配信】

    2017-03-16 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、2000年代半ばの佳作『コードギアス』と『エウレカセブン』を対比させながら、両作品がロボットアニメ史において果たした役割を考察します。(※今月末3/30(木)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」も放送予定! 話題のアニメ『けものフレンズ』を取り上げます。視聴ページはこちら)

    『コードギアス』の達成を『エウレカセブン』との比較で考える
     今回は、今世紀のロボットアニメを考える上でもっとも重要なタイトルである『コードギアス』の達成について考えてみたいと思います。
     ロボットアニメのビッグタイトルはどうしても『ガンダム』『マクロス』という老舗シリーズに集約されがちですが、それでもいくつかオリジナルタイトルの佳作が定期的に生まれています。中でも反響の大きかったタイトルを挙げると、『交響詩篇エウレカセブン』(2005-2006年)、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006-2009年)、『天元突破グレンラガン』(2007年)あたりが思い浮かびます。あとは河森正治監督作のため『マクロス』と関連付けられがちですが、放映後にネタ人気が出てシリーズ化された『創聖のアクエリオン』2005も入るでしょう。このように、なにげにゼロ年代中葉はロボットアニメが活気付いていたわけですが、ネット動画の時代となったここ十年のアニメをめぐる状況との相性が様々な点で良くないのでしょう。ここ十年のアニメ状況を象徴する京アニもシャフトも、ロボットアニメにはあまりかかわっておらず、例外ともいえる京アニの『フルメタル・パニック! The Second Raid』(2005年)がなんとなく孤立した存在となっていることも象徴的です。
     その中では『コードギアス』を考える上で最適の比較対象が『エウレカセブン』だと考えています。対比列伝はどうしても一方を下げることになりがちなので、以下、どちらかというと『エウレカセブン』の残念な部分にフォーカスを合わせる比較になりますが、予め『エウレカセブン』の良さについて述べておくと、一部間延びはあったものの一年間全50話という、長丁場の物語を描ききった上、ボーイミーツガールものとしての掴みの鮮烈な印象もあってか、続編や後続作をいくつも生み出した事実は見逃せません。続編を含めた後続作(一例を挙げると2015年の『コメットルシファー』)がことごとくうまくいっていないのも事実ですが、そこから遡ることで元祖である『エウレカセブン』の良さが時を経ることによって見えるようになったことは大きいでしょう。
    両作のOP・EDから見えてくる対比
     さて、『エウレカセブン』と『コードギアス』にはわかりやすい比較基準があって、それはどちらも最初のオープニングのアーティストがFLOWで共通しているんですね。『エウレカセブン』の「DAYS」と『コードギアス』の「COLORS」は、曲調も近いところがあり、映像込みで比較すると興味深い対照性をみせていることがわかります。一般に初期OPの映像は作品コンセプトを概観するものが多く、シナリオの「構造」が表に出ているんですね。
     「DAYS」が使われている『エウレカセブン』のOP1でわかるのは、河森正治デザインのメカがサーフィンするという『マクロス』から発展させた新規要素、そして人間関係の配置が『ファーストガンダム』を意識していること(三人組の孤児の存在に顕著です)です。さらに「アゲハ構想」という世界の謎関連のイメージがフラッシュカットで切り替わり、そこに神話学の祖フレイザーの『金枝篇』が一瞬見えたりする部分では、技法込みで『エヴァ』要素を持ち込んでいる、というように、過去のロボットアニメヒット作の要素を盛り込んだ上で、ボンズアニメのボーイミーツガールものでおなじみの「ウユニ塩湖っぽい場所で手をつなぐ男女」でまとめています。要所要所でエッジの利いたアクションもあり、模範的なロボットアニメの動きをみせているといってよいでしょう。
     他方「COLORS」が流れる『コードギアス』のOP1はどうでしょうか? 日本地図に照準が向けられるイメージにタイトル画面が重なり、続けてルルーシュの瞳がアップ、そしてギアス発動のおなじみの映像が出てきます。これはニューロンがつながるイメージとしてハリウッド映画でも多用されるものですが、ここのダイナミズムはロボットの運動ではなく「脳内イメージ」の可視化そのもので、そこに日本占領をめぐる戦争のイメージが静止画で重ねられていきます。ロボットアニメに定評のあるサンライズ作品とはいえ、深夜枠なので作画リソースはそれほどでもなく、止め絵が中心なのですが、家族状況を背景に仮面の男として立ち上がるルルーシュの反逆を示す構成は、まさにシナリオの初期設定を効果的にみせています。続けて現れる、占領された日本でゲリラ活動を行うメンバーをカレンを中心にまとめる一方で、ブリタニア帝国軍の絢爛豪華なメンバーをみせるところは、統治被統治の関係を貧富の差と重ねるよくある対立構造といえるでしょう。

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  • 90年代的な「燃え」を巧みに更新した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(4))【不定期配信】

    2017-02-16 07:00  
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回は、ゼロ年代前半〜半ばに人気を博し、今世紀のロボットアニメ的イマジネーションの基調を作り出した『ガンダムSEED』『スクライド』『ガン×ソード』を考察します。
    (※来週2/23(木)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」が放送予定! 続編制作も発表され話題の『コードギアス』を取り上げます。視聴ページはこちら)

    『無限のリヴァイアス』と『伝説巨神イデオン』のミッシング・リンク
     今世紀のロボットアニメの位置付けを理解する上では、90年代末のポストエヴァ作品群の要素がどのようにして21世紀に流れ込んでいったかを整理することが重要です。そこで今回は『機動戦士ガンダムSEED』のキャラクターデザイナーで知られる平井久司が関わったアニメの系譜と、谷口悟朗監督作品との関係を検討していきたいと思います。
     『無限のリヴァイアス』については前回も触れましたが、そのとき考察したのは、ティーンズの人間関係では当然生じる「性と暴力」をめぐるテーマ系についてでした。『ガンダムSEED』や『蒼穹のファフナー』にもこのテーマ系は受け継がれており、平井久司絵のアニメについて、「ドロドロした人間関係が繰り広げられる」という漠然とした印象を持つ人もそれなりにいるのではないでしょうか。
     ただ、そこに入る前に前回語り残したこととして、『リヴァイアス』の別の側面、すなわちロボットアニメとして興味深い点についてまず考えてみたいと思います。先日『リヴァイアス』を見返してみたところ、思いのほか『伝説巨神イデオン』テレビシリーズ(1980-1981年)の後半と近い、という感触を持ちました。一般に『リヴァイアス』は『イデオン』と関連付けられることはあまりありませんが、たとえば本船リヴァイアスとロボットのヴァイタル・ガーダー、そのどちらにクルーが乗り込むのかによって、分かれたクルーのそれぞれが疑心暗鬼に駆られ、権謀術数がうごめくという作劇は、『イデオン』のギスギス感と似た性質があります。『イデオン』では地球人とバッフ・クランのいずれもが、閉鎖された環境でなかなか結束できず相互不信に陥っていく描写がしばしばみられました。
     また、『リヴァイアス』も『イデオン』もともに、ロボのパワーが実質的に無敵に近そうでありつつも、だからといって相手の攻撃をひたすら無双状態で倒すというわけにはいかず、弱点を的確に突かれることで苦戦を強いられる展開が目立ちます。その結果バトルにつねに悲壮感が漂う点でも、『リヴァイアス』と『イデオン』は共通しています。『イデオン』の場合は登場人物が全滅する結末がよく語られますが、『リヴァイアス』の最終話付近のバトルを見ていると、「外側に大人社会があるがゆえにかろうじて全滅を免れた」という印象を拭えないのですね。
     もちろん、大人社会から隔絶されたティーンズ集団内での抗争と協力のドラマには、ゴールディング『蝿の王』というダーク版『十五少年漂流記』の傑作や、楳図かずお『漂流教室』といった先行作品があります。ロボットアニメにおいても、当初の『機動戦士ガンダム』のプランをよりジュブナイルものとして展開した『銀河漂流バイファム』(1983-1984年)という佳作がありますが、無茶を承知で『リヴァイアス』を過去のロボットアニメと関係付けるならば、「ダーク版バイファム」に「マイルド版イデオン」の味付けをほどこしたもの、という見立てが成り立つと考えています。
     こうした要素が、『リヴァイアス』をポストエヴァ期ロボットアニメの中でも興味深いものにしているのではないかと思います。私見では、『リヴァイアス』では敵サイドの戯画化が過剰なところが惜しまれるのですが、敵が送り込んでくるユニット群には、若干『エヴァ』の使徒のような「様々な可能性を一つずつ試し、潰していく」感覚があります。
     以上の見立てを踏まえた上で、『リヴァイアス』における谷口悟朗監督の達成を次のようにまとめることができると思います。高橋良輔監督『ガサラキ』の副監督を努めた後、初監督作となった『リヴァイアス』において、まさにエヴァンゲリオン風の演出や作劇がロボットアニメを席巻していた時期に、『エヴァ』の原点の一つである『イデオン』の構成要素にまで遡り、かつ「少年少女が戦うことの意味」を、戦闘行為のみならず「サヴァイヴァル」すなわち「生き抜くこと」として捉え直し、そこで生じる諸問題を繰り広げたたのではないか? ということです。『リヴァイアス』および『ガサラキ』に含まれる様々なモチーフが、後の『コードギアス』で展開されていることを考えると、非常に興味深いのではないかと思っています。
    『ガンダムSEED』と平井久司のキャラクターデザイン
     すでに指摘してきたように、今世紀のロボットアニメの基調を生み出した二人の重要人物として、キャラクターデザイナーの平井久司と、演出・監督の谷口悟朗を挙げることができるでしょう。この二人は『無限のリヴァイアス』、『スクライド』(2001年)で共に仕事をしており、まさに世紀転換期のこの二作こそが、その後二人が活躍する基礎になったのではないかと考えています。そこで、厳密にはロボットアニメとは言えない『スクライド』も併せて考察することにしましょう。
     谷口悟朗の監督作品は『リヴァイアス』、『スクライド』、『プラネテス』(2003-2004年)、『ガン×ソード』(2005年)という順番で続き、この流れで得た経験値がすべて『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006-2007年)に投入され、今世紀のオリジナルロボットアニメ最大のヒットとなりました。

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  • ティーンズの「性と死」を描けるジャンルとしてのロボットアニメ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(3))【不定期配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.773 ☆

    2017-01-19 07:00  
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    ティーンズの「性と死」を描けるジャンルとしてのロボットアニメ『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章今世紀のロボットアニメ(3)【不定期配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2017.1.19 vol.773
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    「日本最強の自宅警備員」の二つ名を持つ批評家・石岡良治さんによる連載『現代アニメ史講義』。今回はロボットアニメの「性と死」にまつわる表現の歴史に触れつつ、「多彩なドラマ展開が可能なブースター」としての側面を論じます。
    (※あす1/20(金)20:00より、石岡さんの月1ニコ生「最強☆自宅警備塾」が放送予定! 2016年秋クールのアニメを徹底総括、今期の期待作についても語ります。視聴ページはこちら)
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。

    前回:前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(2))

    ■ガンプラは体系性への欲望を喚起する
     前回は、ガンプラの1/144スケールについて、手頃な大きさゆえにたいていのメカが模型化されていたことによって、ある種の「コンプリート欲」を喚起するものとなっていた話に触れました。ガンプラのそうした側面をよく示すキットが通称「武器セット」と呼ばれたモデルです。ガンプラ熱が最高潮のときには、ガンダムやザク・グフなどの人気モデルが手に入らず、この武器セットだけ先に買う人もいたほどで、私もその一人だったりします。

    ▲1/144 モビルスーツ用武器セット (機動戦士ガンダム)
     ファッション好きにみられる購買活動として、仮に靴が気に入った場合、「靴合わせ」で服装一式を新調する人が出るなど、付属物とされやすいアクセサリーの側が「本体」を規定するケースはまま見られるわけですが、ガンプラにおける「武器セット」も、まさにそうした役割を演じていたわけですね。『オルフェンズ』でもこの「武器セット」の伝統は健在で、武器ユニットだけの「オプションセット」が複数発売されています。

    ▲HG 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ MSオプションセット7 1/144スケール 色分け済みプラモデル
     現在ではさすがに「本体よりも先に武器を買う」ような購買活動はまれだと思いますが、ここには「コレクション」を駆動する重要な要素があると思います。マイナーなオプション武器が揃うことから生まれる「体系性」への欲望こそが、ガンプラが一つのワールドを形成した重要な理由のように考えられるからです。ちょうどレゴブロックが「なんでも作れるのではないか」と思わせるように、ガンプラには「今ここ」にある模型だけでは完結せず「その次」へと駆り立てる要素に満ちています。単体で興味を惹くロボやメカは他の作品でも生み出されていますが、メカ群のトータルな集合体そのものの魅力を、ガンダム以外のロボットアニメが作り出すことはできなかったように思います。
     現在このような「コンプリート」への欲望を担っているのは、トレーディングカードであったり、収集系のRPGであったりするわけで、ロボットがそうした役割を演じるために超えなければならないハードルはかなり高いと言わざるを得ません。ガンダムにおいてなぜ執拗に「宇宙世紀もの」が制作されるのか、また『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の「ブグ」のような、人によっては蛇足と感じられるモビルスーツがなぜ増殖していくのか、というその増殖原理は、体系性への欲望にあるんですね。個別のエピソードが少しぐらい崩れようとも、モビルスーツの体系の方に魅力を感じる人がいるわけです(例えば個人的に『機動戦士ガンダムUC』のネオ・ジオングはあまり好きではないのですが、あの造形も『逆襲のシャア』における「アルパ・アジール」の系統を意識しており、「体系を埋める」造形ではあるわけです)。
    ■ガンプラ視点で捉える『∀ガンダム』の達成
     このように、ガンダムのモビルスーツが、プラモを介して体系性を喚起させるものであることについては、『∀ガンダム』(1999-2000年)のコンセプトが批評性を備えた画期的なものとなっているので少し触れてみたいと思います。『∀ガンダム』は、今では日常語となった感のある単語「黒歴史」を生み出したことで知られています。「黒歴史」は有史以来の戦争の歴史として位置付けられており、そこに代々のガンダムシリーズが並列的に含まれるわけですが、作品世界ではその歴史は「忘却されている」という設定です。しかし他方で、数々の過去のモビルスーツが遺跡として埋まっていて、それを発掘して使っているという秀逸な設定があります。とりわけ、ガンダムを知っている者からはどうみても「ザク」にしか見えないモビルスーツを掘り出した地球人が、勝手に「ボルジャーノン」と名付けるところが批評的に興味深いと言えるでしょう。言葉の記憶が失われてしまっても、モビルスーツというガジェットさえ健在であれば、そこに勝手な命名を施して好き勝手に使うことができるという、「記憶を掘り返すこと」の魅力を示しているように思うからです。他方月に住むムーンレィスは「正しい記録」を保持しているので「ザク」と呼んでおり、同じモビルスーツを前にした言葉の齟齬が、文化摩擦としてうまく描かれているわけです。

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  • 前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(2))【不定期配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.754 ☆

    2016-12-15 07:00  
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    前世紀ロボットアニメを支えた「ホビー」としてのプレイアビリティ(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章今世紀のロボットアニメ(1))【不定期配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.15 vol.754
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    今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回は、アニメ史におけるロボットアニメのプレゼンス確立に貢献した2つの要素、「プラモデル」「ゲーム」に着目して解説します。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
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    前回:20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(1))

    ■『エヴァ』『コードギアス』で視聴者が注目するのは「ロボット」ではない
     前回は簡単に前世紀のロボットアニメ史の流れを一瞥してみました。予告でも触れた論点ですが、今世紀のアニメファンにとってロボットアニメの存在感はかなり低下しています。それでは、かつてアニメを代表するジャンルとされ、今でも精力的に作られ続けているロボットアニメの魅力とはなんだったのでしょうか? 「カッコイイ」「全能感を満たせる」等、個別の説明はそれぞれ重要ですが、興味深い事実として、今なおロボットアニメについては、大張正己をはじめとした職人アニメーターの匠の技を賞賛する文化が生きていることが挙げられます。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(2015、2016年)でも、メカ作画が重要になる要所要所で、1980年代から活躍している大張正己が参加していることは有名です。彼は『スパロボ』でもしばしばメカ作画を担当していますが、前回『スパロボ』プレイヤーの固定化・高齢化傾向に触れたように、クリエイターも消費者も、今なお80年代からの流れを受け継いでいるところは否めません。
     さて、前回、80年代前半のロボットアニメの多くがポストガンダムとしての性格をもち、90年代後半〜00年代前半はポストエヴァとしてまとめられると指摘しました。ではそれ以降現在に至るロボットアニメはどうでしょうか?「ポストガンダム」「ポストエヴァ」というまとめが、個々のタイトルに愛着を持つ人の強い反発を起こすことは承知の上で(例えば私自身は『イデオン』を「ポストガンダム」と呼ぶことについては、違和感もありますが、便宜的な大枠ではそう呼んでも良いという感覚を持っています)、00年代後半〜10年代のロボットアニメをあえてまとめるならば、「ポストギアス」と呼べるのではないかと考えています。
     2017年から『コードギアス』の続篇企画が動くことが発表されていますが、このことは、逆説的にここ十年の新規オリジナルタイトルの中では最も存在感があった事実を示しています。「今世紀のロボットアニメ」を考えると、ガンダムやマクロスなど定番タイトルを除けば、今世紀初頭は「ポストエヴァ系のタイトル」そして2006-2008年の『コードギアス 反逆のルルーシュ』、そして「ポストギアスの模索」とまとめられるように思います。大半の「ポストギアス」狙いタイトルが挫折するなか、当のギアスの新シリーズが動き出したというイメージです。もちろんいくつかランダムに上げるだけでも『交響詩篇エウレカセブン』(2005年)、『ゼーガペイン』(2006年)、『天元突破グレンラガン』(2007年)、『銀河機攻隊マジェスティックプリンス』(2013年)等々、一定のファンを得たタイトルがありますが、ロボットアニメファンプロパーを超えた影響力という点ではやはり、『コードギアス』の存在感が際立っています。
     ただ、同時に触れなければならないのが、『エヴァ』の時点ですでに、多くの視聴者の関心がロボットにはなかったという事実です。1990年代に典型的なサイコドラマとしての側面が、爆発的ヒットとなった理由としては重要でしょう。『コードギアス』に関しても、ロボットである「ナイトメアフレーム」の存在感としては、メインキャラクターの一人枢木スザクが操る「ランスロット」の発進ポーズが最も有名で、他の印象はそこまで大きくないのではないでしょうか。個人的には紅月カレンが乗り込む「紅蓮弐式」なども興味深いのですが、もっぱら『DEATH NOTE』の夜神月を彷彿とさせる主人公ルルーシュをはじめとするキャラ、そしてルルーシュが床を崩したりギアスで他人に命じる描写の印象が顕著です。しかしもちろん、『コードギアス』は突然変異的に出てきたわけではなく、ロボットアニメとしての系譜も見逃すわけにはいきません。実際のところ、『コードギアス』には、野心的ながらも一般にはアピールしなかった高橋良輔監督の『ガサラキ』(1998-1999年)のリベンジとしての性質をみることができます。『ガサラキ』は途中で反米クーデターのモチーフが肥大化してしまった感があるのですが、同作では副監督を努めた谷口悟朗が、『コードギアス』では諸勢力の政治的利害関係をひたすらシャッフルした結果、例えば日本にとっての敵国をアメリカではなく架空の「ブリタニア帝国」とすることで、政治的読解という点では右派も左派も「等しく逆撫でする」ことに成功しました。
     けれども一般的にみるならば、ロボットアニメの人気作をロボットの魅力のみから語ることが困難であるという、一見逆説的な状況が当たり前となって久しいといえるでしょう。しかし前回予告したように、ここで一旦、『ガンダム』がもたらしたロボットへの関心がどのような展開を辿ったのかについて、様々な「男児向けホビー」の観点から見ていきたいと思います。
     なお、ホビーを性差で規定することについては議論の余地がありますが、以前キッズアニメの章で「女児向けアニメ」の射程について述べたときと同様の便宜的な区分と考えていただけると幸いです。私自身は男女に明確に向けられたコンテンツを出来る限り「両方」触れるようにしていますが、過去に遡れば遡るほど、アニメにおける性差の規定が大きなものであったことを思い知らされます(かつてはアニソンの歌詞に「男の子だから」「女の子だから」がしばしばみられたものでした)。
     以下、前回「ロボットアニメ」に関して前世紀から今世紀に至る流れを簡単に見てきたのと同じ時代を、主としてプラモデルとゲームに即して辿っていきたいと思います。
    ■ガンプラ市場の大きさが「宇宙世紀ガンダム」の続編企画を支えた
     ガンダムシリーズ最新作『鉄血のオルフェンズ』の反響についてひとつ興味深いことがあります。視聴率やソフト売上という点では必ずしもブランド力に見合っていないという見解もあるのですが、主役機「ガンダム・バルバトス」をはじめとして、「ガンプラ」の売上という点ではかなり好調であるという事実です。
     そもそも80年代のロボットアニメブームはほぼ『ガンダム』の存在や、再放送中に爆発的に売れた「ガンプラブーム」の余波という側面があるのですが、プラモデルというホビーの世界が、アニメから半分自律した世界を形成していたことが、興味深い展開を生みました。
     現在に至る『ガンプラ』のクオリティの奇形的ともいえる発展についてはよく知られていますが、前回「リアルロボットアニメ」の典型として挙げた『太陽の牙ダグラム』は、もっぱらプラモデルの売上の力によって放送延長となり、75話という長期アニメとなりました。現在では後続の『装甲騎兵ボトムズ』の方がアニメ作品としての存在感は大きいのですが、80年代のガンプラブームの直撃世代である私の印象としては、『ダグラム』のプラモデルは、デザイナー大河原邦男の無骨なデザインがいい感じに出ていて、ガンダムをよりリアル寄りにしたメカが魅力的でした。

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  • 20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章 今世紀のロボットアニメ(1))【毎月第3木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.735 ☆

    2016-11-17 07:00  
    540pt

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    20世紀のロボットアニメを概観する(『石岡良治の現代アニメ史講義』第5章今世紀のロボットアニメ(1))【毎月第3木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.17 vol.735
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    今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。ここからのテーマは「今世紀のロボットアニメ」。今回はプロローグとして、ロボットアニメを把握する上で重要な「ガジェット性」について、前世紀の様々な事例を挙げて論じます。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。

    前回:アニメが描く「青春」の現在――『心が叫びたがってるんだ。』と『君の名は。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』10年代、深夜アニメ表現の広がり(6))

    ■戦後アニメ史と並走してきたロボットアニメ
     「アニメーション」一般から区別される意味での日本の「アニメ」が、1963年1月1日放映開始の『鉄腕アトム』にはじまるという見方は比較的共有されていると思います(もっとも当時は「アニメ」とは呼ばれていなかったわけですが)。興味深いのは同年秋に『鉄人28号』もアニメ化されていることで、数多いアニメジャンルの中でもロボットアニメは、日本のアニメ史とほぼ重なる歴史的広がりを持っています。とはいえ現在ロボットアニメとみられる作風の原点は『マジンガーZ』(1972-4)でしょう。このあたりの事情は、本メルマガで連載されている宇野さんの『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録』で詳しく解説されています。
    (参考)
    京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第7回 〈鉄人28号〉から〈マジンガーZ〉へーー戦後ロボットアニメは何を描いてきたか
     多くの場合自律型ロボットであることは稀で、主人公が操縦する乗り物としての性質をもつ超兵器であることも重要な特徴です。このジャンルの代表作『機動戦士ガンダム』が「モビルスーツ」という呼称を用い、厄介なロボット定義論から距離を置いているにもかかわらず、総称としてはざっくりと「ロボットアニメ」としてまとめられてしまうのも興味深いところです。それはおそらく、『ガンダム』のヒットを受けて1980年代に数多く作られた後続作が、それぞれの世界観に合わせて「アーマードトルーパー」(『装甲騎兵ボトムズ』)や「オーラマシン」(『聖戦士ダンバイン』)といった名称を増殖させすぎたことも一因でしょう。「ようするにこれらは全部ロボット」なのだという直観の方が正確な定義に勝ったわけです。
     私がロボットアニメにおいて重要だと考えているのは、ミリタリーの想像力をかすめつつも、そこから逸れていく展開がしばしばみられるところです。本章の話題の一部は『視覚文化「超」講義』の4-3「ロボットアニメの諸相とガジェットの想像力」で語ったことと重なるので、詳しくはそちらを参照してほしいのですが、一点だけ要点をまとめると、しばしば男性オタクの欲望と重ねられてきた「メカと美少女」というキーワードとの関係を追うことで、ロボットアニメの現状を考えることができるのではないかという見通しを持っています。ロボットアニメは現在でも数多く制作され続けていますが、特に若いアニメファンのニーズと合致することが少ないジャンルとなっている上、アニメファン=男性オタクという等式を作れるという幻想がそもそも成り立たなくなっています。そうした現状をふまえつつ、この章では「今世紀のロボットアニメ」について分析してみたいと考えています。
    ■前世紀ロボットアニメの「基準作」として機能した『ガンダム』と『エヴァ』
     「今世紀のロボットアニメ」という本章のテーマを考える上で、やはり前世紀の1990年代までの展開を簡単に整理しておく必要があると思います。とりわけ私が注目したいのは、20世紀ロボットアニメの「ガジェット性」です。
     とりわけ1960、70年代のロボットアニメは、少年(後に少女も)を軍隊とは別の手段で活躍させるために最適な枠組として選ばれていたように思います。少年探偵ものが、警察に属することなく捜査を行うのと似ていて、軍隊組織に属さない一種の「特殊部隊もの」としての性格を帯びた作品が多いんですね。少年少女が大人以上に大活躍しなければならないというジャンル的な要請は、昔も今も「不自然だ」として嫌われることが多く、しばしばミリタリーマニアが「おっさんが活躍するアニメ」を求める声を上げているのをネットなどでは目にしますが、実際のところ、日本ではダイレクトな軍隊ものにはせずにそこを「やや迂回する」方が好まれているわけです。このことは萌えミリタリージャンル最大のヒット作『ガールズ&パンツァー』が徹頭徹尾「部活物」として描かれていることをみれば明らかでしょう。というのも、ここをリアリズム寄りで突き詰めていくと、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』における少年兵のようなタイプの悲惨さが前面に出ることになってしまうからです。

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  • アニメが描く「青春」の現在――『心が叫びたがってるんだ。』と『君の名は。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』10年代、深夜アニメ表現の広がり(6))【毎月第3木曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.715 ☆

    2016-10-20 07:00  
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    アニメが描く「青春」の現在――『心が叫びたがってるんだ。』と『君の名は。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』 10年代、深夜アニメ表現の広がり(6))【毎月第3木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.10.20 vol.715
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    今朝のメルマガは『石岡良治の現代アニメ史講義』をお届けします。今回は、ノイタミナ枠をはじめとした「深夜アニメ的想像力」の試行錯誤が、どのようにして『心が叫びたがってるんだ。』『君の名は。』といった2010年代の劇場版アニメに結実していったのかを辿ります。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    『石岡良治の現代アニメ史講義』これまでの連載はこちらのリンクから。

    前回:複数の世代感覚を媒介することに成功した『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(『石岡良治の現代アニメ史講義』10年代、深夜アニメ表現の広がり(5))

    ■深夜アニメ的想像力の転換期を象徴づける『心が叫びたがってるんだ。』『君の名は。』『聲の形』
     現在、深夜アニメのマーケットが曲がり角に来ているとよく言われます。セルソフトすなわち「円盤」の売上に頼ってきた産業構造が限界を迎えているからです。このあたりはある程度、音楽産業と似た展開を辿っていて、アイドルアニメが興隆しているのも、ライブイベントとの連動が重要になっていることを物語っています。また、少し前はセルソフトの限定版にフィギュアなどのグッズが付くことが多く、今でもそうしたパッケージは多いですが、それ以上に「Blu-rayにイベント参加券がついてくる」という収益モデルが一般化しています。動画配信市場が本格的に広がってきたことも見逃せないところです。
     収益モデルが多様化している中、深夜アニメがある種の飽和を迎えているという印象も否めません。その一方で、長きにわたるスタジオジブリの活躍を経て、日本の映画産業におけるアニメ映画の存在感が非常に大きくなっていることも周知のことと思います。今世紀でいうならば、細田守が切り開き、新海誠の『君の名は。』が記録的ヒットを上げることで明らかになった、一般向けアニメ映画枠ですね。
     ただ、深夜アニメ発の想像力は、どうしても一般向けとはズレたところで展開されることが多いのも事実でしょう。アニメを多数見ている人は『魔法少女まどか☆マギカ』や『ラブライブ!』、あるいは『ガールズ&パンツァー』などの劇場版のヒットにそう違和感を覚えないでしょうし、何度も語ってきたようにライトオタクが増加していることも間違いありません。それでもやはり、「いかにもアニメ」という記号性に抵抗を覚える人も少なからずいるわけです。ノイタミナのチャレンジは、そうした状況を架橋することにありました。去年〜今年にかけて『心が叫びたがってるんだ。』『君の名は。』『聲の形』といった映画作品が注目されていることも、まさにそうした流れに位置付けることができると考えています。
     『君の名は。』のヒットについては、「ユリイカ」2016年9月号(特集=新海誠)に所収の「新海誠の結節点/転回点としての『君の名は。』」や、「サイゾー」での宇野さんとの対談(2016年11月号に掲載)でも語っていますのでそちらを参照してほしいのですが、改めて注目したいことがあります。公式が「ポスト細田守」という名称を使っており、論者によっては「ポスト宮﨑駿」とすら語る人もいますが、そちらの方向ではなく、すでに前回語っているように、新海誠が『とらドラ!』以降の超平和バスターズ組(岡田麿里・長井龍雪・田中将賀)の作風を研究した結果、キャラクターデザインに田中将賀を採用したり、いかにも深夜アニメ的なオープニングムービーが持ち込まれたりしたのではないかということです。
    ■『true tears』のアップデートを試みた『ここさけ』
     では改めて、深夜アニメの想像力に発しながら、『あの花』に続き一般層にも訴求した超平和バスターズ組によるアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』(以下『ここさけ』)について考えてみたいと思います。ネタバレ込みで語っていきますが、見た人はおわかりのように、『ここさけ』はテーマ的には事実上『true tears』の変奏になっています。ただ、多くの要素が付け加わっているので、単なるアレンジにはとどまっていません。

    ▲『心が叫びたがってるんだ。』水瀬いのり (出演), 内山昂輝 (出演), 長井龍雪 (監督) (画像出典)
     例えば、『桐島、部活やめるってよ』が巧みに描いたスクールカースト描写を取り入れているところが挙げられます。ただし見立てそのものはシンプルで、野球部=アメリカの青春ドラマにおけるアメフト部員というアナロジーを押し通しています。野球部員とチアリーダーのカップルがスクールカーストの頂点とされるという構図ですね。ドラマとしては野球部の田崎くんというキャラクターが鍵で、怪我によってスクールカーストの頂点から転落してしまいます。一般に(深夜)アニメの視聴者には、体育会系が普通にスクールカースト勝者として描写されると嫌悪感を感じる人がそれなりにいるわけですが、田崎くんの「転落」は、そうした抵抗感を一定程度和らげる結果につながっています。最後の展開には評価が分かれるかもしれませんが、アニメファンに人気の細谷佳正が田崎くんを演じているのも絶妙です。

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