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記事 16件
  • 落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(後編)

    2017-07-06 07:00  
    540pt

    メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回は、「直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり」の後編です。経済格差・文化格差に次ぐ第三の本質的格差とは。そして、SF映画で描かれるAIやUI環境を現実にするための具体的課題について語ります。※この内容は2017年3月25日に青山ブックセンターで行われた講演の内容を記事化したものです。(構成:菊池俊輔)
    格差の本質は「資本」ではなく「文化」にある
    落合 最近「格差についてどう思いますか?」いう質問をよくされます。もちろん、格差の問題は重要ですが、いま最も大きな格差になっているのは、実は資本格差ではありません。僕は文化資本の偏りの方が、本質的な格差だと思っています。現に富を持っている人は、得てして賢く、教養があることが多い。今はこの三つの要素が固まってしまっているのです。
    お金自体は、起業して投資を受けたり、ベーシックインカム的な仕組みによって社会に配分することができます。これは両方ともありうる形で、つまり、チャレンジする人がお金を得やすい社会にするか、チャレンジしなくてもお金を得られる社会にするか、どちらを選ぶかということでしかありません。もし、それを国全体の方針として選択できないのであれば、地方分権によって対応するという方法もあります。
    たとえば、日本を40くらいの区域に分けて、ある区画ではベンチャーキャピタルを優遇し生活保護は設けない。また、ある区画ではベーシックインカムを全面的に導入するというように制度に差を付けて、どちらに定住したいかを人々が選べるようにする。
    もちろん、このようなドラスティックな改革がすぐに実現できるとは思いませんが、シンガポールのような小さい国では、既にそういう動きが始まっています。地方自治の規模であれば日本でも恐らく成立するでしょう。
    そうなったとき、経済の持つ意味は相対的に軽くなります。なぜなら、お金は簡単に送金できますが、文化資本は簡単には伝達できないからです。世阿弥の能を理解したり、クラシック音楽を楽しめる教養を伝えるのは、一万円札を渡すことよりもはるかに難しい。この経済資本と文化資本の関係性を考えることは重要ですが、しかし、その制約すらテクノロジーが変えていくと僕は思っています。

    Demis Hassabis, CEO, DeepMind Technologies - The Theory of Everything - YouTube
    たとえば、最近のYouTubeには字幕を表示するボタンがあります。この動画はGoogle DeepMind社のCEO、デミス・ハサビスのプレゼンテーションです。イ・セドルを倒した囲碁ソフトを作った会社の社長ですね。この人は紛れもない天才ですが、彼の発言が英語字幕で表示されています。中学レベルの英語なので、辞書を引きながらであれば誰でも言っていることが分かります。
    昔は、同時代の天才の最新の思考をトレースするには、学会に参加するか、本人と友達になるか、あるいはその思考を理解した人から人づてに伝えてもらうしかなかったのですが、それがYouTubeと自動翻訳で誰でもできるようになった。これは文化資本の伝達性において、非常に重要です。

    これはデミス・ハサビスが実際に使っているスライドです。「From Pixels to Actions」とありますが、これは前編の「現在のディープラーニングの本質はピクセル的な視覚野的演算である」と同じ話です。情報は二次元にピクセル化されることで非常に計算しやすくなる。それをどうやってアクションに変えていくか。たとえば、AIのアルゴリズムを使ってゲームを解いたり、マシンラーニングを使ってロボットを動かしたり、そういった研究が重要になると彼は言っています。
    このように、次の時代に価値を生み出すであろうポイントを、誰もが共有できるようになったことは非常に大きい。彼らが投資しているのなら、そこが一番お金が儲かることは明らかで、それをYouTubeを通じて僕らが知ることができるようになったのは、大変大きな意味を持つわけです。

    Large-scale data collection with an array of robots - YouTube
    これはGoogleの研究で、画像で認識した物体をつまんで左の箱に移す動作ををロボットアームに学習させています。従来の自動車の組み立て作業などに使われていた工業用ロボットアームは、人間が挙動をプログラミングすることで動作していましたが、それを自分で覚えられるようにするための研究です。大量のロボットアームを同時に稼働させているのはなぜでしょうか? データの世界では一秒間に何万回も実行できます。たとえば、アルファ碁の強さは、自分自身と3600万回も戦うような、とんでもないことしているからです。しかし、現実世界ではそれができないので、マシンを何十台も並べて、同時並列的に学習させています。
    こういった先端的な研究や知見を、誰もがリアルタイムに享受できるようになりつつある。つまり、文化的な価値の再配分がテクノロジーによって進みつつある。
    また、再配分された文化資本をどうやって経済的に還元するかについても、たとえばGoogleは月面無人機探査レース「Google Lunar XPrize」に出資していて、このプロジェクトには3000万ドルもの賞金が設けられています。このようにテクノロジーを主体としたお金の再配分の流れは、既に生まれてきているわけです。

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  • 落合陽一「魔法使いの研究室」直方体型人類とタイムマネジメント時代の終わり(前編)

    2017-06-06 07:00  
    540pt

    メディアアーティストにして研究者の落合陽一さんが、来るべきコンピューテーショナルな社会に向けた思想を考える「魔法使いの研究室」。今回は、普遍性と画一化によって規定された〈近代〉を更新し、人類を直方体型から解放する、コンピュータの個別最適化に基づいた新しい社会のあり方を説きます。※この内容は2017年3月25日に青山ブックセンターで行われた講演の内容を記事化したものです。(構成:菊池俊輔)
    タイムマネジメントからストレスマネジメントの時代へ
    落合 こんにちは、落合です。最近『超AI時代の生存戦略』という本を出しました。仰々しいタイトルがついているんですが、この本は最初は『ワーク・アズ・ライフ』というタイトルになる予定でした。どういう意味かというと、コンピュータが発達するにしたがって、人間の生活も見直されなければならない。ワークライフバランス、つまり、仕事とそれ以外の時間をどう切り分けてバランスを取っていくか。
     
    たとえば、1日のうち7割の時間で仕事をして、残りの3割で、遊んだり寝たりする。これが近代の人間の働きかたの基本になります。この「労働」と「時間」の関係に最初に着目したのはカール・マルクスです。人間は時間あたりの労働によって価値を生み出すので、時間を労働力の単位として考えていく。13世紀にトマス・アクィナスが神性との関係の中で基礎付けて以来、「時間」は重要な価値基準のひとつとされ、その考え方は近代のマルクスの労働価値説にまで受け継がれてきました。
    しかしながら、我々の労働の多くはコンピュータによって下支えされています。そこでは人間の能力が必要な仕事・不要な仕事が混在していて、時間ベースで区切るのには無理が出てきます。そのような社会において、僕たちの労働観はどのようなものであるべきなのか。
     
    以前、堀江貴文さんと「仕事」をテーマに対談したとき、「機械に仕事を奪われた人間は遊ぶしかない」という話になりました。これは「人生のすべてを仕事にするしかない」ということで、我々は人生そのものを仕事と捉える事もできるし、同時に仕事そのものを遊びと捉えることもできる。この本はそういう「ワーク・アズ・ライフ」という考え方から生まれていて、その内容を一言で要約するなら「近代はタイムマネジメントの時代であったが、現代はストレスマネジメントの時代である」という問題提起です。
    近代のベースとなった工業社会において安定した生産を行うには、労働者は全員クロックを合わせなければなりません。朝は何時に出勤して何時から仕事を始める、といった1日のスケジュールを常に考えながら行動する。そのため、近代以降の人間は、時計やスマートフォンといった時間を確認する手段を身に付け、今日が何月何日であるかを常に気にしながら生きています。これが近代のコレクトで、それに都合のいい人間を学校教育では育ててきたわけです。
    日本の小学校では、朝礼で全員が並んで「前ならえ」をさせられます。これは工業製品の検品検査と同じようなもので、配置が終わったら、声を合わせて挨拶をすることで、クロック同期を行い、時間感覚が狂っていると「先生、あの子がずれています」とはじかれるわけです。ここで行われているのは、人間を生産性の高い工業製品に変えることです。決められたマス目の中に名前を書ける人間を育てることが学校教育の本質であり、その指示に従えない人がいると、社会システム全体が成り立たないわけです。
     
    しかし、社会システムが成り立つかどうかは、コンピュータ至上主義の現在の世界では、全く問題になりません。社会システムに関わる作業は機械がやってくれるから、人間はそれ以外の領域で価値を生み出さなければならない。それに合わせて、工業製品のような人間を生産する教育も変わらなければならないはずですが、社会の変化に対応しきれず、しどろもどろな状態になっているわけです。
    画一化の概念を持たない近代以前の社会――江戸・インド 
    近代以前において、人々はそこまで厳密にクロックを合わせてはいませんでした。
    たとえば江戸時代。当時の社会はごみが出にくかったと言われています。なぜなら、職業が極めて細分化されていて、その職業から発生した不要物の処理系統が厳密に決められていたからです。つまり、「ごみ」という概念のラベル付けがないから、ごみが生じにくかった。我々にとって使い終わったペットボトルは「ごみ」です。それを「空いたペットボトル」という概念で捉えればリサイクルが可能ですが、「ごみ」としてまとめてしまうとリサイクル不能になります。この考え方はすごく重要で、あらゆる不要物を「ごみ」という単一の概念に包括して、まとめて燃やしたり埋め立てたりする。これは近代における合理化のひとつですが、江戸の町はそういうことをしなくても社会がまわるようなっていました。その代わり、一人当たりの生産性は低く、経済発展も望めません。移動に制限があり、幼児の死亡率が高く、餓死や伝染病による大量死も隣り合わせの社会です。
    一方、インドでは日本とは違ったかたちで非近代的な社会システムが成立していました。インドの職業はカースト制度によって細分化されています。たとえば、トイレのドアを開ける職業、川で洗濯する職業、道端にいる牛糞を拾う職業までありました。それによって近代的な合理化をしなくても、細部が絡み合って全体を構成するような社会が成立していたわけです。一見、カオティックに見えますが、近代のように、既存の枠組みに当てはめるがゆえに生じる余剰はありません。

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  • 【特別配信】落合陽一 〈近代〉を更新するテクニウムたち――ジャパニーズテクニウム展ガイド

    2017-05-24 07:00  
    540pt

    落合陽一さんのメディアアート作品を展示した展覧会「ジャパニーズテクニウム展」が、東京都千代田区紀尾井町のヤフー本社内で開催されています。日本で生まれたテクノロジーの生態系は、いかにして〈近代〉という概念を更新するのか。出展作品の中から8点を取り上げ、落合さん自身が解説を行います。(構成:菊池俊輔)



    ジャパニーズテクニウム展
    開催期間:2017年4月28日(金)~5月27日(土)
    開館時間:平日16:00~21:00/土日祝13:00~21:00 (最終受付は20:30)
    開催場所:東京都千代田区紀尾井町1-3 東京ガーデンテラス紀尾井町 紀尾井タワー 18F
    ヤフー株式会社 東京ガーデンテラス紀尾井町オフィス
    https://about.yahoo.co.jp/info/event/japanese_technium/

    落合 みなさん、ジャパニーズテクニウム展へようこそ。このタイトルにある「テクニウム」とは「テクノロジーの生態系」という意味です。元WIRED創刊編集長ケヴィン・ケリーの言葉で、彼は「テクノロジーは発展の過程で、自然淘汰のように環境に最適化されたものが残っていく。そこには進化論に似た遺伝子的な文脈があるのではないか」というようなことを言っています。
    日本におけるテクノロジーの生態系――ジャパニーズテクニウムは、僕たちの周囲に満ち溢れています。たとえば、温かい状態で出て来るおしぼり、湯切りの穴の空いたカップ焼きそば、トイレに付いているウォシュレット、触れるだけで開く自動ドアのボタン。工業化社会によって一般化した技術は、日本的な美的感覚や身体性と結びつくことによって、新しい非言語的な表現として現れています。こういったテクニウムの登場によって、我々の世界認識は大きく変化してきたはずです。
    たとえば、江戸時代に確立された日本特有のアートである「浮世絵」、これは凸版方式の印刷技術によって作られています。そして、日本画の伝統的な「雨」の表現は、このテクノロジーによって際立って洗練されました。
    このように、表現に関わるテクノロジーが再発明されたときに、それがメディアなどを通じて、どのような構造を新たに生み出すのかを思考する、その行為自体が、ひとつのメディアアートとして成立するのではないか、というのが本展覧会の趣旨です。
    僕たちはもれなくジャパニーズテクニウムに属しています。それはこの展覧会の作品を見ていくことで自然と理解できるはずです。それでは、さっそく作品を紹介していきましょう。
    Optical Marionette/オプティカルマリオネット 

    ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を用いて「現実とやや異なった現実」を見せることにより、外部から人間の歩行方向を操作するシステムです。
    HMDには3Dカメラで撮影した装着者の前方の風景が表示されていますが、その映像に特殊な処理を施すと、真っ直ぐに歩いているつもりなのに、勝手に歩く方向が曲がっていきます。本人はA地点に向かって歩いたつもりが、気付いたらB地点に着いてしまう。人間の行き先をラジコンのように遠隔操作できてしまうわけです。
    人間の脳は、身体の方向感覚よりも視覚の方を優先します。だから、視覚をちょっといじるだけで、足は意図しない方向に向かってしまう。その実験を何度も繰り返し、結果に逆行列を掛けることで、人間を遠隔操作して狙った方向に向かって歩くようにできます。
    VRの分野では、プレイヤーの知覚を操作して、狭い部屋をぐるぐる回っているのに、広大な空間を歩いているように感じさせる、Redirected Walkingなどの研究が数多くありますが、それを応用して、現実空間の人間の動きをコントロールできるようにしたのが、この研究の面白いところです。
    この技術は車椅子で移動している人にも効果があるので、車を運転している人にも使えると思います。こうなると人間とロボットの区別は、ほとんどつかなくなってきますよね。
    Telewheelchair/テレウィールチェア

    この展覧会の重要なテーマに「脱近代」があります。「障害を持った人間」という概念が現れたのは近代以降で、それは工業化社会が「均質的な人間」を規定したときから始まっています。
    僕たちの社会には「障害」を顕在化させる装置がいくつもあります。たとえば、街中でよく目にする点字ブロック。視覚障害者をサポートするための設備ですが、利用していると周囲の人に「あの人は目が不自由なんだ」とすぐ分かります。こういった技術を環境ではなく人間側で備えることができれば、障害の有無というのは気にならなくなるはずです。
    これは自動運転機能を備えた車椅子です。これまでの車椅子は介護者が安全を確認しながら動かしていましたが、それを全天球カメラとAIに置き換えて自動運転で走行するようにしています。もちろん危険性もありますが、そのときはVRでの遠隔操作によって第三者がコントロールに介入できます。もっとも遠隔操作が必ずしも安全とはいえません。『マリオカート』みたいにクラッシュしたら大変なことになります。そこでVR側にも障害物感知と環境認識を組み込んで、AIで常に動きを監視するようにしています。コンピュータの監視のもとで、人間と人間が良好な関係を築けるようなモビリティとして設計しました。
    僕も開発中に何度も乗っていますが、何も操作せずに本を読んでいても、勝手にどこかへ連れて行ってくれるので非常に楽しいですね。こういった自動運転技術が当たり前になって、皆が座った状態で他の作業をしながら移動するのが普通になったら、足が不自由だとかは分からないし誰も気にしなくなる。多くの人が当たり前に眼鏡をかけている現代は、伊達メガネなのか本当に視力が悪いのかいちいち気にしませんよね。点字を利用していれば目が不自由だと分かりますが、OCR(文字認識)による自動読み上げが普通になれば最初から気にならない。このように近代が規定した「障害」という概念の更新、テクノロジーによる「脱近代」を意識しながら取り組んでいます。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第6回 デジタルネイチャーをいかに生きるか(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.651 ☆

    2016-07-26 07:00  
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    落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第6回 デジタルネイチャーをいかに生きるか(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.7.26 vol.651
    http://wakusei2nd.com



    今朝の「魔法使いの研究室」では、『魔法の世紀』の第6章「デジタルネイチャー」を取り上げます。有史以来、人間はイメージと物質の狭間を彷徨ってきました。約500年続いたパラダイムに変化が訪れ、人間・自然・コンピュータの境界線は消失しつつあると説きます。あらゆるものが記述され、計測される超自然の中で我々はいかに哲学を定義し生きていけば良いでしょうか。自身が主宰するラボの名前にも冠される「デジタルネイチャー」の世界観の全容とは――?
    【お知らせ】「魔法使いの研究室」は今回が最終回となります。来月からは、落合陽一さんによる新連載「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」が始まりますので、ご期待ください。

    ▼『魔法の世紀』第6章の紹介

    『魔法の世紀』の最終章である第6章では、来るべき「魔法の世紀」の具体的なビジョンである「デジタルネイチャー」へと至るヒントが語られます。
    人間の感覚器の限界をはるかに超えたテクノロジーの登場と、場としてのコンピューテーショナル・フィールドの構築。「エーテル」という概念の導入――。アナログとデジタルの境界は融解し、コンピュータが森羅万象を記述する、新しい世界の訪れを予見します。


    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
    (紙)/(電子)
    取り扱い書店リストはこちらから。
    ▼プロフィール
    落合陽一(おちあい・よういち)

    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。

    『魔法使いの研究室』これまでの連載はこちらのリンクから。

    前回:落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』第5回 コンピューテーショナル・フィールドがもたらす世界の変容(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』) 


    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/so28663675
    放送日:2016年4月19日

    ◎構成:長谷川リョー
    ■イメージと物質の境界を超越する
     
    『魔法の世紀』の解説は、今回が最終回となります。最終章のテーマは「デジタルネイチャー」です。

    まずは簡単に、これまでの復習をしておきましょう。前回までは、イメージと物質の話をしてきました。有史以来、我々はイメージと物質のギャップの中にいました。古代人が洞窟の壁に牛や狩猟の様子の絵を描いていた頃から、我々が目で見えている物質世界と、頭の中で処理されるイメージとの間にはギャップがありました。
    たとえば「技術のイデア」という観念について考えてみましょう。これは我々の脳内にはありますが、物質世界には目に見える形で存在していません。人々がイメージを絵画として描いたり、文字として残したりする行為は、そうしたギャップを埋める機能を果たしていたわけです。
    そうした中で、僕はメディアアートに取り組みながら、「コンテンツなき芸術は存在するだろうか?」という問いをずっと抱き続けてきました。普通は、メディアの中にコンテンツがあることによって「芸術」とされるわけですが、コンテンツがなくてもアートは成り立つのではないか。メディアを作り続けることそのものが芸術になるのではないか、という問いです。

    このメディアとコンテンツの関係性が顕著に表れるようになったのは1800年以降のことです。この頃は人類史に残るような発明が相次いているのですが、その一つが写真技術の発明でした。写真はフランスの発明家ニセフォール・ニエプスによって世界で初めて撮影されましたが、世界で最初の写真はとても見れたものではなかった(写真左)。それからわずか20年後には、銀板写真の登場によって、美しく優れた写真が撮れるようになります(写真右)。これは技術の進歩そのものが新しい表現を獲得した、よい例なのではないかと思います。

    僕が普段何をしているかといえば、宇都宮大学にあるレーザー装置でプラズマを作ったり、超音波を出したりしています。これは従来のアーティストのクリエイティブのプロセスとは全然違いますよね。
    僕の最近のテーマは「イメージと物質の境界を超えること」です。例えば昨年に発表した、プラズマを用いて空中に光の絵を描いた『Fairy Lights in Femtoseconds』もその一つですね。イメージのように現れて、物質のように振る舞うようなものを作るのは、なかなか大変なんですが、いずれにしても物質と映像の探求を突き詰めていく中で、頭の中にあるイメージをいかに物体化させるかということが非常に重要になっていきます。ちなみに、ここで僕が言っている「イメージ」はベルクソンが『物質と記憶』の中で言っている「イマージュ」と同義ですね。
    1891年にエジソンがキネトスコープを、1895年にはリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明したことで、20世紀は「映像の世紀」となりました。映像文化によって一つの巨大なイメージを大衆が共有する時代の到来です。
    映像技術とは、時間と空間を二次元平面に落とし込むことによって保存を可能するテクノロジーです。そこから我々は、いかにしてモノ自体を記録したり出力したりするか、という領域まで踏み込んできています。今、世界には「ゲノムを編集する」とか「プラズマで触れるホログラムを作る」といった発明を続けている人が大勢います。こうした潮流によって21世紀の世界は変わっていくのではないか、もっと言えば、デジタルネイチャー的になっていくのではないか、ということが『魔法の世紀』には書かれています。
    ■近代的な〈人間性〉という概念の解体

    20世紀のキーワードをもう一つ挙げておくと、「二次元イメージの共有」があります。例えば、宗教革命は活版印刷の発明にともなう二次元イメージの共有によって引き起こされていますし、世界大戦もイメージの共有がもたらした社会変化の一つだと思います。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第5回 コンピューテーショナル・フィールドがもたらす世界の変容(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.629 ☆

    2016-06-28 12:00  
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    落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第5回 コンピューテーショナル・フィールドがもたらす世界の変容(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
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    2016.6.28 vol.629
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    今朝の「魔法使いの研究室」では、『魔法の世紀』の第5章「コンピューテーショナル・フィールド 」を取り上げます。科学技術が世界を覆い社会が再魔術化したことで、モノとしてのコンピュータから〈場としてのコンピュータ〉が重要性を増しています。AIやIoTが隆盛しつつある今、「コンピューテーショナル・フィールド」を考えることは、人間の感覚や世界の捉え方の再定義、ひいては人間知性の脱構築へつながると説きます。
    ▼『魔法の世紀』第5章の紹介
    「第5章 コンピューテーショナル・フィールド」では、人類史におけるメディアの進化の過程を、独自の視点から読み解きます。洞窟壁画から土器、パピルス、カンバス――メディアの可搬性が向上する一方で、東西の文化圏では屏風や噴水、庭園といった、それぞれの文化を象徴するアートが発達します。それを〈フレームレート〉と〈エーテル速度〉という基準によって、〈動〉のメディアと〈静〉のメディアに分類。そこから、物体と情報を統合する〈場〉のアイディア、つまり「コンピューテーショナル・フィールド」の概念を導き出します。

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    落合陽一(おちあい・よういち)

    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。

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    前回:落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』第4回〈表層〉と〈深層〉の魔術的融合(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』) 
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    http://www.nicovideo.jp/watch/1458301532
    放送日:2016年3月9日
    ◎構成:長谷川リョー

    ◼︎ユビキタス、IoT、そしてコンピューテーショナル・フィールド
    今日取り上げるのは、『魔法の世紀』第5章「コンピューテーショナル・フィールド」です。
    2016年現在、世の中には〈楽観的シンギュラリティ〉の風潮があると思っています。Google傘下のボストン・ダイナミクス社が開発した二足歩行ロボット「アトラス」が雪原を闊歩したり、Googleの人工知能「アルファ碁」に人間のトップ棋士が負けたり、テクノロジーにまつわる大きなニュースがいくつもありました。
    こうした変化がある中、今後30年でどんな変化が起きていくのでしょうか。僕はやがてデジタルネイチャーが訪れ、人間が脱構築されていくと思います。

    そうした世界になる前に、コンピュータやツールの捉え方がだいぶ変わってくるのではないか、具体的にどのように変わっていくのかについて説明しているのが今章「コンピューテーショナル・フィールド」です。実は僕の博士論文のタイトルが『Graphics by Computational Acoustic Field』で、この中に出てくるのが、まさしく「コンピューテーショナル・フィールド」という考え方なのです。
    なぜ、これを主題に論文を書いたのか。「IoT(モノのインターネット)」と盛んに言われるように、今の時代におけるコンピューティングは圧倒的にユビキタスであり、同時に二次元平面上のコミュニケーションが成熟してきました。
    例えば、マーク・ワイザーが1991年に書いた論文『The Computer for the 21st Century』を参照してみましょう。高度に無線網が発達した世界では、パソコンでメモを取っている人もいれば、タブレットのようなものを使っている人もいる。一方で、紙のノートを使っている人もいる。要は、デバイスの種類に囚われずに、人々がコンピューティングを行うようになるということを、ワイザーは90年代の時点で予期していたわけです。
    この論文から25年の時を経て、視覚・聴覚のコミュニケーションは成熟化しました。我々は、その次の段階に進まないといけない。それは二次元の次は三次元というような、次元が一つ上がるだけの話ではなく、まったく別の方法で考えないといけないのではないかということです。
    ◼︎コンピュータ以前から人間はデータとの関わりを考えてきた
    ここで一度、コンピュータ以前の世界を振り返っておきます。
    例えば、モールス信号はコンピュータが生まれるはるか前からありましたが、コンピュータがないと制御できなかったり、データとして保存することはできませんでした。
    それが1960年代になると、人々は身体とデータの違いを意識し始めました。人間とデータは、いかなる関わりを持っているのだろうか。この頃に構想されていたことが、技術の発展によって、今ようやく実現できるようになってきたのです。ここが一つ面白いポイントですね。
    今年の1月から5月にかけて、ロンドンで「Electronic Superhighway (2016 – 1966)」という展示会が行われました。すごく良い展覧会でしたよ。「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」という言葉もすごく面白い。ここで展示されていたのが、ナム・ジュン・パイクの「エレクトロニック・スーパーハイウェイ」という作品です。これは1994年に公開されたのですが、この概念をナム・ジュン・パイクが提唱したのは1974年のことで、ニュー・エレクトロニック・スーパーハイウェイというものを作れば、人類全体が新しい段階へ進むための跳ね台になるのではないか、と言っていたわけですね。これはビデオアートの父であるナム・ジュン・パイクが、インターネット登場以前に構想していたインターネットに他ならないわけです。


    ▲Electronic Superhighway - Nam June Paik
    (画像出典)
    人類は「電信」という技術を手に入れたことで「運搬」を超越しました。物流を超越して、電気信号だけでやりとりが行えるようになったのはすごく大きい。やがて、相互に電信関係になることで、人間それ自体も変わっていくのではないかということをみんな考え始めたんですね。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第4回〈表層〉と〈深層〉の魔術的融合(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.599 ☆

    2016-05-24 07:00  
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    落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第4回〈表層〉と〈深層〉の魔術的融合(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.5.24 vol.599
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    今朝の「魔法使いの研究室」では、『魔法の世紀』の第4章「新しい深層と表層」を取り上げます。コンピュータが社会に普及したことで、世界は再び魔法で覆われました。その過程で「芸術」や「技術」という概念も変容していきます。表層(デザイン)と深層(エンジニアリング)の歴史を辿りながら、現在の世界で求められるキーワードとして両層に精通した「デザインエンジニアリング」が浮かび上がってきます。
    ▼『魔法の世紀』第4章の紹介
    「第4章 新しい表層/深層」では、「芸術」(アート)と「技術」(テクノロジー)の概念、その両者が再び接近しつつある状況を論じます。産業革命以降の大量生産時代の到来と、アーツ・アンド・クラフツ運動やバウハウを端緒とする「デザイン」という概念の登場。そしてコンピュータによる「デザイン」と「エンジニアリング」の接続に至るまで、時代ごとの「表層」と「深層」の関係の変遷から、今後の世界にインパクトを与えるクリエイティビティの可能性を探ります。

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    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
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    ▼プロフィール
    落合陽一(おちあい・よういち)
    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
    『魔法使いの研究室』これまでの連載はこちらのリンクから。
    前回:落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』第3回 イシュードリブン時代のプラットフォーム論(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』) 
    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1458301532
    放送日:2016年3月9日
    ◎構成:長谷川リョー

    ◼︎コンピュータによって社会は再び魔術化する
    今日取り上げるのは『魔法の世紀』の第4章「新しい深層と表層」です。
    これまではテクノロジーの歴史やメディアアート作品などの具体例を示しながら話をしてきましたが、「新しい深層と表層」の章のテーマはデザインです。「デザインが世の中でどう変わってきたのか」について見ていきたいと思います。
    「芸術」や「技術」という言葉がありますよね。これは明治時代に、西周(にし・あまね)という哲学者が外来語から新たに作り出した日本語なんです。

    ▲西周(1829-1897)(出典)
    芸術は「リベラルアーツ」、技術は「メカニカルアート」という言葉が元になっています。古代から中世にかけて、ヨーロッパの教養人たちは、哲学に代表される当時の知性の集大成であるリベラルアーツを重要視していました。一方で、建築学や測量学に代表されるメカニカルアーツは「手の技」ですね。


    現代であれば、リベラルアーツは「アート」、メカニカルアーツは「テクノロジー」と言い換えることもできます。この二つの概念が20世紀の社会においては、非常に重要なキーワードになってきました。
    コンピュータの大きな特徴の一つは、入出力の関係が自由に切り替わるところにあります。たとえばプログラマーのAさんは「LEDが光ってるときはオンにする」、プログラマーのBさんは「LEDが光ってるときはオフにする」というように設定できる。コンピュータのロジックは、コードを書いた人が考えた通りに動作するということです。
    当たり前と言えば当たり前ですが、物理世界でこんなことができる例はなかなかないですよね。入力次第で全然違う結果が出てくる。しかも中で何が起こってるのか全く分からない箱なんて、コンピュータ以外にないわけです。こういう機械が世の中に出てくると、モノとモノの関係性が変わってくるのではないか。

    1981年にモリス・バーマンという学者が『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』(The Reenchantment of The World)という本を書いています。「科学技術の進歩は呪い(まじない)を脱魔術化してきた」というのはマックス・ウェーバーの論ですが、さらに高度に専門化した科学技術が世の中に普及することによって、科学は呪いに変わりつつある。これがモリス・バーマンが著した80年代当時の社会情勢です。
    そして、これから先、コンピュータが世界中にもっと増えていけば、呪いはますます強化され、やがて「魔法」に至るのではないか。これが『魔法の世紀』全体のテーマです。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第3回 イシュードリブン時代のプラットフォーム論(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.574 ☆

    2016-04-26 07:00  
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    落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第3回 イシュードリブン時代のプラットフォーム論(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.4.26 vol.574
    http://wakusei2nd.com


    今朝の「魔法使いの研究室」では、『魔法の世紀』の第3章「イシュードリブンの時代」を取り上げます。コンテンツがプラットフォームの共有圧の下で力を失った時代、どうすればその支配から逃れらるのか。プラットフォームの外部を指向する「イシュードリブン」という考え方を取り入れた、新しいクリエイティビティのあり方を提示します。
    ▼『魔法の世紀』第3章の紹介

    「プラットフォーム」という新しい仕組みが台頭し、ウェブのみならず都市までもがコンテンツを内包する巨大なプラットフォーム構造として存在するようになった時代、その外部を射程に含めた「全体批評性」を獲得するには、いかなる方法がありえるのか。現代アートやコンピュータ科学の世界で見出された手法、「問題を発見し、問題を自ら解く」をヒントに、プラットフォームに取り込まれない作品や表現のあり方を考えます。


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    落合陽一(おちあい・よういち)
    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
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    前回:落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』第2回 エジソンはメディアアーティストである(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』) 
    ▼放送時の動画はこちらから!
    http://www.nicovideo.jp/watch/1457358318
    放送日:2016年2月29日
    ◎構成:長谷川リョー
    まずは前回のおさらいから始めます。『魔法の世紀』の第2章のテーマは「心を動かす計算機を作る」でした。その中で「心を動かす計算機」として挙げたのが「メディアアート」です。
    メディアアートについて、単に、電気やコンピュータを使ったサイバーチックなアートのことだと思っている人がいるかもしれません。油彩画を描いているような芸術家が僕の作品を見たら「低俗な!」と怒り出すかもしれない。
    しかし、問題はそこではないのです。絵画が芸術の中心だった時代、画家のやるべきことは「絵を描くこと」であり、その定義は明確でした。しかし、現在の画家は「絵を描くこと」自体を疑うことなく、素朴に絵を描くのは難しい。芸術家は「なぜ私はこういう表現をするのか?」という目的の前提を考えなければならないのです。
    人間がインターネットによって同質化される時代においては、「技法」と「表現」の両方を発明しなければ、訴求力を持てません。現在は「メディアの部分」と「アートの部分」がせめぎあっている時代で、そこでは「テクノロジー」が非常に重要なパートになる。これが前回までのお話でした。
    ■「イシュードリブンの時代」では“問題設定”そのものが重要になる
    今回取り上げる第3章のタイトルは、「イシュードリブンの時代」です。「イシュードリブン」という言葉は、安宅和人さんの著書『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』の中で使われていて、とてもいい言葉だったので第3章のタイトルに使わせてもらいました。アクションドリブン、カスタマードリブン、デザインドリブンといった「〇〇駆動」を意味する言葉がありますが、その一種としての「イシュー(問題)ドリブン」です。
    イシューとは「問題や論点」のことです。安宅さんのこの本には「問題を解くことよりも、どのような仮説を立て、どうやって問題を組み立てていくのかの方が重要である」ということが書かれています。
    『魔法の世紀』では、この考え方を援用して、プラットフォームの外部に立つ方法を論じています。それは「問題」と「解法」を同時に内包するコンテンツを作り出すこと。まだ世の中に存在していない問題をコンテンツが発見し、それに対する解法を生み出していくということです。「何をどうしたのか」の「何」の部分にあたる問題設定が、極めて重要な時代になってきている。今日はそういう話をします。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第2回 エジソンはメディアアーティストである(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.546 ☆

    2016-03-22 07:00  
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    落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』第2回 エジソンはメディアアーティストである(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.3.22 vol.546
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    先月から始まった、『魔法の世紀』を落合陽一さん自らが読み解く自著解説。今回は「第2章 心を動かす計算機」を扱います。『魔法の世紀』で触れられたメディアアートの歴史に加えて、“ツクバ系”のアーティストを紹介。さらに本の中で書かれた「原理のゲーム」について、さらに一段と深まった思索が語られます。
    ▼『魔法の世紀』第2章の紹介
    「第2章 心を動かす計算機」では、マルセル・デュシャンを始祖とするコンテンポラリーアート、さらにナム・ジュン・パイクら20世紀後半に力を持ったメディアアーティストたちの作品の足跡を辿ります。なぜいま「文脈のアート」は衰退したのか。そして、21世紀のアートを駆動する新しいルール「原理のゲーム」は、どのような表現を可能にするのか。20世紀の前衛芸術の歴史を踏まえつつ、その先にある「魔法の世紀」が刷新するアートのポテンシャルを予見します。

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    落合陽一(おちあい・よういち)

    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
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    前回:落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第1回「魔法の世紀」のためのコンピュータ史(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』)
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    http://www.nicovideo.jp/watch/1456813219
    放送日:2016年2月17日

    今回は、『魔法の世紀』第二章に当たる「心を動かす計算機」をテーマに放送します。
    なんだかよくわからないタイトルかもしれないですが、基本的にはメディアアートの話です。今回は、コンピュータや「魔法の世紀」の価値観を基軸に、現代アートからメディアアートへとつながっていく展開を整理し直していこうと思います。

    ■20世紀に台頭した「芸術を問いかける芸術」
    日本では西周という哲学者が、英語のリベラルアーツを「芸術」と訳したのですが、この芸術という言葉が何を指しているのかはなかなか難しいです。例えば、美術と芸術はやっぱり少しニュアンスが違います。美術は主にビジュアルアート、視覚芸術を指す言葉ですし、実際、社会の要請としては「美術」という言葉は最近「デザイン」としての意味合いの側面が強くなっていると思うんです。どうすれば人間が美しいと感じるかの最大公約数的な部分を探ったり、人間が美しいと思える漸近線のあたりを狙ったり、という試みをしているようなところがあります。
    一方で、「芸術」の方はといえば、より文化的活動全般を指すような言葉になりだしています。例えば、マルセル・デュシャンの作品は今、「美術」という呼び方にはそぐわないけど「芸術」ではある。そんなような感じがします。また、近頃では視覚の枠組みの中に閉じた作品も少なくなっているので、芸術という方がジャンルを回収しやすいのではないかと思います。
    とすれば、「芸術」という文化的な枠組みは一体何なのか――この禅問答のような問いかけに、どう答えていくかが重要になってきます……というところで、まずは二人のアーティストを紹介します。一人は、ジョン・ケージ(画像右)。「4分33秒」という無音の音楽を作曲した人です。
    もう一人は、先ほど名前を挙げたデュシャン(画像左)です。

    この二人は、ともに「メタ」的な発想で芸術をしていた20世紀の芸術家です。
    まずデュシャンの作品といえば、男性用小便器を横にした、俗に言う『泉』が有名です。本当に和訳すると『噴水』なのですが、これが俗に言うレディ・メイドというものです。

    レディ・メイドというのは、端的にいうと「既製品に文脈をつけることで、芸術作品として評価することが出来るんじゃないか」という試みです。逆に言えば、「このトイレが芸術作品ではないとすれば、それはなぜか?」と問いかけているということでもあります。
    これ、なんとなく「アートでしょ?」と言われたら、アートな気がしますよね。「いや、お前が作ったわけじゃないだろ」とツッコミを入れる人もいるかもしれないですが、じゃあ「アートは誰かがつくるのが本当に重要なのか」と改めて言われたら、確かに作者が重要ではない気もしてきませんか? まるで一休さんの頓智話のようです。
    ただ、こういう「何を芸術にするのかを問いかけるのが芸術である」という発想は、現代芸術における一つの潮流になったものです。ジョン・ケージの『4分33秒』も同じ考え方ですね。オーケストラでこれを演奏するときには、4分33秒間、みんな黙ったままです。一応楽譜はあるので、ページをめくる音などの音は聞こえてくるし、わざと咳をする人もいたりする。

    ▲ジョン・ケージ『4分33秒』
     (動画:https://www.youtube.com/watch?v=Oh-o3udImy8)
    これも「誰だってできるじゃないか」というものですが、20世紀のケージが活躍した時代にはとても重要なことでした。結局、これも「音楽とは何かを問いかける音楽」というところが重要で、その頃はこういう、まさに「メタ」な表現が芸術の最先端だったのでした。
     
    ■「日本画」の文脈から見る国内現代アート作家
    こういうふうな考え方から、日本の現代アート作家を見ていくことも出来ます。
    例えば、僕の大好きな作家に村上隆さんというアーティストがいます。彼は、日本の古典的なアニメーションや春画に見られたような「日本画」的な二次元表現を、どう現代風に置き換えるのかを考えてきた人です。

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  • 落合陽一自身が読み解く『魔法の世紀』 第1回「魔法の世紀」のためのコンピュータ史(毎月第4火曜配信『魔法使いの研究室』) ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.525 ☆

    2016-02-23 07:00  
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    2016.2.23 vol.525
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    今月から『魔法の世紀』を落合陽一さん自らが読み解く自著解説が始まります。今回は「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」です。クロード・シャノンやバネーバー・ブッシュといった、『魔法の世紀』では簡単にしか触れられなかった科学者たちの知られざる業績。さらに『魔法の世紀』に大きな影響を与えた、暦本純一氏や石井裕氏といった日本人研究者についても紹介します。
    ▼『魔法の世紀』第一章の紹介
    「第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー」では、第二次大戦末期に誕生したコンピュータの歴史を追いかけます。1960年代に「究極のディスプレイ」を考案したアイバン・サザランドと、その4人の弟子たち(アラン・ケイ、ジェームズ・クラーク、ジョン・ワーノック、エド・キャットムル)の活躍。さらに1990年代にマーク・ワイザーが提唱した「ユビキタスコンピューティング」の概念を経た後で、サザランドが夢見たコンピュータが物理世界をコントロールする世界、つまり「魔法の世紀」へと至る必然性について論じています。

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    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
    『魔法の世紀』という本は、技術論からプラットフォーム、マーケティングの話までを含めて、デザインとコンピュータがどうやって進歩してきたのかを抽象的にまとめた本でした。そこで、まずは簡単に「映像」の復習から始めましょう。

    『魔法の世紀』における「映像」の概念は「皆で同じものを見る道具だ」ということにあります。
    そもそも最初の“映像装置”と言われる、エジソンが作ったキネトスコープは中にサナダムシみたいなフィルムが入っていて、それを一人の人間が覗きこむだけの道具でした。ところが、リュミエール兄弟の作ったシネマトグラフは違います。光源を焚いてクルクル回して、皆で見るものでした。
     
    商売として強かったのは、シネマトグラフのほうです。キネトスコープは、いわば観光名所にある望遠鏡のようなビジネスモデルで、サロンの片隅などに置いてありました。しかし、シネマトグラフは構造上、暗い部屋に複数人が集まって、身動きがとれない状態になりながらも、同じ映像を共有して、集中して見るような装置として現れたのでした。興行と結びつくことで、シネマトグラフは大きく発展していきました。
     
    ここからわかるのは、シネマトグラフがキネトスコープに勝ったのは、単なるコストの問題でしかなかったのです。シネマトグラフは当時の資本主義市場において優位性のある発想でした。
    実際のところ、現在のデジタルファブリケーションの技術であれば、キネトスコープの発想は決して悪いものではありません。現代人はスマホで各々違った映像を見ているわけで、キネトスコープに二つレンズをくっつけてスマホで見たら、最近話題のOculus Riftそのものです。
     
    すでに現在の我々は、テレビを見ている時間よりも、スマホで各々の世界に入っている時間のほうが長かったりするわけです。つまり、キネトスコープ的なメディアの方にお金を落としているわけです。でも、当時の技術ではそれは不可能でした。
     
    ここからは、この「映像」とは違った、21世紀の「魔法」を実現するコンピュータ開発の歴史の話をしていきます。この連載では『魔法の世紀』ではあまり語ってこなかった人たちに絞り込んで紹介しようと思います。
     
     
    クロード・シャノン~コンピュータにおける“アインシュタイン”
    そもそもコンピュータは、いつ生まれたのでしょうか。
    そこで一つ重要になるのが、クロード・シャノンという人物です。

    イケメンですね。このクロード・シャノンという人が、コンピュータの研究において一番偉い学者だと思ってください。物理学の世界で言えば相対性理論のアインシュタインのようなものです。
     
    なぜかといえば、彼は電気回路のスイッチをブール代数の演算で解けると提唱したからです。ブール代数というのは、スイッチが開いている状態を0、閉じている状態を1として、未知の値で真偽の演算をするための約束事です。彼が1937年頃にこのアイディアを考案するまで、計算機はアナログな歯車の組み合わせで動いていました。
    ここで彼が行ったのは、いわば効率的に数字を記録して計算をするための方法です。例えば、言葉を数字に置き換えたとして、歯車ではさほど多くの表現はできません。しかし、電気回路を用いれば、0と1の二進法で数字を表現できます。桁数を増やしたければスイッチの数を増やせばいいし、0から1への変換も単に電圧をかけるだけで表現できてしまいます。何よりも、電気が通っているか通っていないかというシンプルな表現なので、情報にエラーが出にくいのです。
    この論文「継電器及び開閉回路の記号的解析」はシャノンの修士論文であり、この時期から、電気回路を使った計算はメジャーなトレンドになっていくのではないかと注目されるようになりました。
    この時点でシャノンはまだ23歳です。以降、彼はひたすらコンピュータの基礎を作っていきました。その後、彼がベル研究所にいたとき書いた論文が「通信の数学的理論」で、これをきっかけに「情報理論」という学問分野が確立されました。
     
    少し歴史をさかのぼって考えてみましょう。
    人間が情報を体系的に記録して集め、それをやり取りするようになったのは、アレキサンドリアの図書館の頃のことです。巻物を並べて、その上に書いてある文字列、つまりプロトコルでやり取りをしていたのですが、かさばるし、なかなかに不便です。紙が西洋に伝来してからはそこそこ使いやすくなりましたが。
     
    当時のメディアはパピルスなんですが、あれは最低で、湿気るとすぐ壊れるんですね。自分で作ってみると分かりますが、本当に適当なものです。パピルスという植物をギュッとつぶして、それを乾かしておく。すると、発酵して糊みたいにベチャっとくっつくんですね。そうすると表側だけは平らになるわけですよ。裏側はボコボコしてて何も書けないんですけどね。
    こういう感じで、片面筆記しかできないわ、草をひっつけてるだけだからビリって破けちゃうわで、実に厄介です。それでも図書館が生まれて、大量の情報が蓄積されるといいことがある、ということはわかってきたんです。
     

    結局、シャノンが出てくるまでは圧倒的に物理世界に情報量がありました。しかも、アナログで記録されているから、年々劣化していく。グレースケールだったらどんどん濃度が下がっていくし、パピルスだったら破けちゃうかもしれない。
    でも、0・1のデジタルデータとして保存されていれば、いわば穴が開いてるか開いてないかだけで判断するようなもので、文字が擦れたりすることはない。二値でしか記録しないということは、情報として強いんですよ。記録媒体が発明されるのはもっと後ですが、ここから徐々に物理世界にあった情報が計算機データに向かって流れていきます。
     
    その流れが本格的に来たのは1970年頃ですね。最初に話したリュミエール兄弟が映像を発明した頃から、ちょうど一世代くらい後です。当時20歳くらいで結婚した人の孫くらいの世代ですね。万博で映画を見ていた人の子どもが、第二次世界大戦に行って戦い、その下くらいの世代がコンピュータが当たり前の世の中を生きることになったわけですね。
     
    バネーバー・ブッシュ~後世に影響を与えたメメックス
     
    さて、次に取り上げたいのがバネーバー・ブッシュです。
    『魔法の世紀』では、彼の「メメックス」は簡単にしか取り上げませんでしたが、とても重要です。

    (引用元:http://www2s.biglobe.ne.jp/~cedar/root/edu/ala/history/MEMEX0L.jpg)
     
    1945年に「As We May Think」という論文をブッシュは書きました。彼が論じたのは、おでこにクルミくらいの大きさのカメラを付けることで、人間が作業したカードや帳簿の情報を自動的に記録していくシステムです。そこでは音声入力のタイプライター、さらには人間の脳神経に直接情報を伝達するアイディアまで出てきます。しかし、当時としてはあまりに先進的すぎる内容であり、またブッシュ自身も頭の固い人だったこともあって、「バネ―バー」の名は「技術に関する長期的な予測が外れる」という意味のスラングとして、科学者の間で使われたりもしました。
    でも、バネーバー・ブッシュに影響された人は本当に多いのです。
    この1940年代の時点で、コンピュータが登場して、情報のタグ付けやハイパーテキストが重要になり、情報を脳に直接的に出力できるようになるという発想はすでにあったんですね。ですから、現在もその概念に囚われているのは発想が貧困だと思います。僕としては、コンピュータで脳に情報を直接出力するよりも、もっと面白いことができるのが今の時代だと思います。
     
    ここで重要になるのが、バネーバーの「メメックス」です。
    そこで彼は、記憶と記憶をひも付けて、情報の出力と人間の関係性をどう作っていくかを考えました。当時から、どうも情報はほかの情報とひも付きたがるし、またひも付いてこそ初めて人間にとって使えるものになるということもうっすらとわかっていました。
     
    この考え方は、ハイパーテキストの概念に結びつきます。
    ウェブページのクリックを飛んで、サイトを次々に見ていくあの発想ですね。リンクによって情報をひも付けておくことでと、今までにないような情報操作環境を作ることができるわけです。この技術は、情報が爆発的に増えて全体を見通せる人がいなくなったとき、ひも付けた状態で置いておかないと必要な情報の発見が難しくなることから、インターネットの基礎技術として広く普及して現在に至ります。
     Googleのページランクはこの考え方にほぼ等しいものです。
    80年代までは、論文の後ろに引用やリファレンスをつくって、Googleのページランクと同じ仕組みを人力で図書館の人間たちが研究していました。トムソン・ロイターが発表する、論文の引用ランキングなんかもそうやっていて、ウェブにその考え方を応用したのがページランクです。
    実際のところ、僕は一時期、首からカメラを下げて30秒に1回くらい写真を撮る生活をしていたのですが、そうやって大量のライフログを画像で記録したときに、どう重み付けの計算をしていくのかはかなり重要です。情報同士をいかにひも付けて整理するかは、現在でも重要な問題であり続けています。 
     
    ダグラス・エンゲルバート~現在のコンピュータの原型の発明
     
    さて、次は一気に時間を飛ばして、ダグラス・エンゲルバートの話をします。
    ニコニコ生放送のようなテレコミュニケーション・システムやハイパーテキスト、あるいはマウスやキーボードをしっかりと考えたのがエンゲルバートという人です。
     

     
    例えば、1968年に彼は「NLS(oN-Line System)」というオンラインシステムを作りました。このシステムでは、まず第一にハイパーテキストが実装されています。1945年にバネ―バー・ブッシュがメメックスで考案したアイディアが、20年越しで実装されたというわけです。さらに入力機器としてマウスとキーボードという概念が存在しました。さらにGUI、グラフィカルユーザーインタフェースの走りのようなものまであり、対象をマウスのポインタで指示することができました。つまり、いま我々が使っているコンピュータの原形がここにあるわけです。
     
    ちなみに、僕の前の指導教官は暦本純一先生ですが、彼はiPhoneの入力にも使われているマルチタッチ技術を発明しています。当時のことを暦本先生に聞いたら、「あまりに自然だったので、たぶんこっちになるような気がしました」と言っていて、とても面白かったです。
    そのとき、彼は「ポインタがすごく変な感じがした」とも言っていました。というのも人間の指は10本あるのに、それを1本に集約して対象をぐりぐり動かすのがマウスなんですね。「仮想世界に指1本だけを突き立てて、マウスカーソルでモノを動かすって非効率的じゃないですか?」と暦本先生が言っていて、「おお、確かに。頭いいなあ」って思った記憶がありますね。確か僕がM1の頃の思い出です。
     
    人間は「身体性や知能をいかに効率化できるか」「身体とどう最大限にカップリングができるか」という方向でインタフェースを進化させてきました。平面ディスプレイの進化が、マウスのポインタ操作から手でつかむようなマルチタッチに変化していく背景には、そういう流れがあります。

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  • 落合陽一✕宇川直宏対談「コミュニケーションとしての映像――ハロウィンが映画産業の売上規模に達した時代に」(落合陽一『魔法使いの研究室』)【毎月第4火曜配信】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.502 ☆

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    落合陽一✕宇川直宏対談「コミュニケーションとしての映像――ハロウィンが映画産業の売上規模に達した時代に」(落合陽一『魔法使いの研究室』)【毎月第4火曜配信】
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    今朝のメルマガは、メディアアーティスト・落合陽一さんの連載「魔法使いの研究室」です。昨年11月27日にナレッジキャピタル(http://kc-i.jp/about/)主催のINTERNATIONALSTUDENTCREATIVEAWARD 2015(http://kc-i.jp/award/isca/)で行われた、宇川直宏さんと落合陽一さんの対談の模様をお届けします。映像というメディアの耐用年数が尽きようとしている今、新たな表現の可能性を、映像表現の最先端にいる2人が徹底的に語り合いました。

    【発売中!】落合陽一著『魔法の世紀』(PLANETS)
    ☆「映像の世紀」から「魔法の世紀」へ。研究者にしてメディアアーティストの落合さんが、この世界の変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から語ります。
    (紙)http://goo.gl/dPFJ2B/(電子)http://goo.gl/7Yg0kH
    取り扱い書店リストはこちらから。http://wakusei2nd.com/series/2707#list

    ▼プロフィール
    宇川直宏(うかわ なおひろ)
    1968年香川県生まれ。映像作家 / グラフィックデザイナー / VJ / 文筆家 / 京都造形芸術大学教授 / そして「現在美術家」……幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける。『文化庁メディア芸術祭』審査委員(2013~2015年)。『アルスエレクトロニカ』サウンドアート部門審査委員(2015年)。また2015年12月。高松市が主催する『高松メディアアート祭』ではゼネラルディレクター、キュレーター、審査委員長の三役を務め、その独自の審美眼に基づいた概念構築がシーンを震撼させた。DOMMUNE http://www.dommune.com
    落合陽一(おちあい・よういち)
    1987年東京生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で修了し、2015年より筑波大学に着任。コンピュータとアナログなテクノロジーを組み合わせ、新しい作品を次々と生み出し「現代の魔法使い」と称される。研究室ではデジタルとアナログ、リアルとバーチャルの区別を越えた新たな人間と計算機の関係性である「デジタルネイチャー」を目指し研究に従事している。
    音響浮揚の計算機制御によるグラフィクス形成技術「ピクシーダスト」が経済産業省「Innovative Technologies賞」受賞,その他国内外で受賞多数。
    ◎構成:稲葉ほたて
    ■コミュニケーションとしての映像
    宇川直宏(以下、宇川):落合さんがやられている研究は、映像における物語の抑圧やカタルシスからも解放された「映像の覚醒」をテーマにしている側面があると思います。
    落合陽一(以下、落合):映像を暗い部屋で見る行為は、いわば俺たちの身体性を殺して、画面に集中させる装置によって成立しているんですね。それに、もう俺たちは慣れなくなりだしている気がするんですよ。
    宇川:なるほどね。劇場に着席して、不特定多数と映像を共有する概念自体が前世紀のものだと言い切るわけだ(笑)。
    落合:ええ、極めて前世紀的だと思います。だって、今後はコミュニケーション手段としての映像や、より新しいコンピューターグラフィックスの表現がどんどん生まれてくるわけで、全員で同じものを見るスタイルそのものが古いですよね。
    宇川:探求している世界は、スペクタクルの拡張ですかね。今日、僕と落合くんは先ほどまで軽くご飯を食べながら打ち合わせをしていたんです。そのときに、映画史の始まりは、はたしてエジソンがキネトスコープを発表したところにあるのか?という話をしていました。
    つまり、ファンタスマゴリアまで遡る必要はないが、ソーマトロープやゾーエトロープは蔑ろにしてはいけないだろうと(笑)。まずエジソンは映写機を発明したのだけど、それは穴を覗き込んで映像を体験するピープショーだった。人類の最初の映画体験はそういうものだったのだけど、リュミエール兄弟が1894年にキネトスコープを改良してシネマトグラフを作り、映像をスクリーンに投影して初めて、現在の映像共有の原点が生まれたんですね。
    落合:だって、エジソンのやったことは、要はゲーセンのスペースインベーダーですもん。彼は喫茶店の端っこにキネトスコープを置いて、お金を入れると見られるようにしたんです。
    でも、シネマトグラフは違う。あそこで、みんなで共有することがお金に変わったんですよ。映画館という暗闇で全員が同じものを共有できるのが映画の価値で、ヒトラーもそれがすごい優秀だと考えたわけです。つまり、これを使えば我々は全員に単一のプロパガンダを受け取らせられる、と。
    宇川:まさにレニ・リーフェンシュタールの『意思の勝利』だよね。
    落合:ベルリン・オリンピックの映像にしても、普通にすごいじゃないですか。
    20世紀の間、映画はそういう誰かの意思を伝えるメディアとして、ずっと流行ってきたんです。だけど、現代の我々はコミュニケーションのスタイルとしては映像の発想を超えて行くんじゃないか、というのが俺の見立てです。宇川さんのドミューンなんかも、まさにそうですよね。
    宇川:ありがとう。ドミューンはスタジオと、ビューワーの視聴覚環境と、タイムラインの3つのリアルタイムな現場があって、体感軸が立体的に遍在していますからね。時を経て、テレビの時代が到来したときに、映画畑の方々は複雑な想いに駆られました。小津安二郎が「テレビを見ればバカになる」と発言したり、大島渚が「映像は夢見る時代から覚醒の時代を迎えた」と発言したりしていました。彼は暗闇から解放されて、日の光の下に晒された映像をそう表した訳です。そう考えれば、現在は「二度目の覚醒を迎えた時代」で、QuickTime発明以降、個人がYouTubeでアーカイヴ共有、ライヴストリーミングでリアルタイム共有を果たせるようになり、お茶の間から解放された映像が、更にパーソナルな領域に入り込んできている印象がありますね。そして今日はもう「三度目の覚醒」について語り合いたいと考えています。
    落合:人間とテクノロジーが混ざり合ったとき、我々のコミュニケーションは一方向性じゃなくなってきたわけですよ。押井監督は「全ての映画はアニメになる」と言っていますが、その指摘も正しいですよね。実際、キャメロンの『アバター』みたいな作品がウケてるわけですから。
    宇川:でも、『アバター』も劇場という空間に投影されていて、結局はシネマトグラフに依存していますね。しかし、オンデマンドで『アバター』を観るという行為についてどう考えるか。また、それ以前にYouTubeという動画共有のサービスが生まれたことによって、クラウド時代には映像におけるレアという価値観が崩壊しましたよね。それまでのレアという価値観は、貴重な過去の映像を個人がフィルムやホームビデオやLDやDVDで所有することで、そのこと自体が自己定義と密接な関係にあることを意味しました。大袈裟に言えばアイデンティティーの一部であった訳ですよ。しかし、共有の時代に完全にパラダイムシフトして映像を「所有している」ことの価値がそれほど重要な意味を持たなくなってしまった。例えば放送禁止となり永久欠番となった『ウルトラセブン』の第12話や、『怪奇大作戦』の第24話を所有していなくとも、誰かが勝手にYouTubeで共有してくれている、ということです(笑)。つまり宮崎勤の存在意義が現世にはもう無い(笑)。
    落合:それは、まさにコミュニケーションとしての映像ですよね。
    宇川:まさに僕らがやっていることです。そこで、落合さんは何を研究され、映像をどう進化させようとしているのかを今日は聞きたいわけですよ。
    ■「ピクセルがピクシーになる」
    落合:じゃあスライドを切り替えてくれますか?

    ワールドテクノロジーアワードという賞の、受賞スピーチで使ったプレゼンです。まず、俺は「ピクセルがピクシーになる」と言ってるんです。つまり、画面上の光の粒を超えて、マルチメディアを超えて、いかに現実にピクシーを実装していくか――俺の中では、コンピュータを使って物を浮かせたり、操ったりするのは、その発想の延長線上にあるんです。
    宇川:三次元制御で、音響浮揚させる映像は、YouTubeで見て気狂いしそうになりましたよ。

    https://www.youtube.com/watch?v=odJxJRAxdFU
    落合:結局、スマホにオーディオとビジュアルコミュニケーションが詰まってしまったわけじゃないですか。そうなると、スクリーンを見ながら、スマホやタブレットを使って、コミュニケーションをするのが当たり前になる。学術論文としては、マーク・ワイザーという人が1991年にそういう話を書いてるんですね。コミュニケーションの技術革新はこの24年で随分と成熟してしまったわけで、研究者としてはさらに先の時代、2050年くらいを見ていく必要があるんです。
    そのときに、なぜマルチメディアに問題があるのかですね。例えば、映像ってHDの映像で60Hzの時間スピードだし、オーディオは22.1Hzの時間周波数なんですよ。でも、これって人間の可聴域が22000Hz程度でしかないだとかの、いわば感覚器官に囚われた制約から来ているものです。
    宇川:なるほどね、これ以上高画質,高フレームレートの映像を鑑賞しても、もはや体感できないと。
    落合:耳にしても、やはり一定以上の高周波は聞こえないですからね。
    でも、そうやって感覚器官による制約をかけることで、俺たちは可能性を潰しているんじゃないかと思うんです。そこで俺は、100万倍高いワットオーダーで光を出したり、もっと高解像度で出力したり、2Dではなく3Dで画面合成をしたりして、どうなるかを考えているんです。
    宇川:でも、それって実験の段階では、自分の感覚器官の体感値以上のレゾリューションを確認しないといけなくならない?
    落合:そうなんですが、実はその体感値以上の表現は別にそのまま感覚器に入ってくるわけじゃないんです。例えば、強力なエネルギーのレーザーを使えば、空中に絵が描けたりするんですよ。映像なんてせいぜいミリ秒単位ですけど、こっちは30フェムトセカンド秒で描く(笑)。
    宇川:え!? マジで!?1000兆分の1秒の世界(笑)
    落合:とんでもない解像度ですよ。そのくらいの制御になると、初めて空中にプラズマ映像みたいなものが綺麗に描けてくるんです。これなんて空気がイオン化していて、触るとインタラクションがあります。物を浮かべていた波も40KHzだから人間の耳に聞こえる範囲を超えている。
    こういう高周波の波で、いかに画面の外で画面みたいなことが出来るかを本気で考えているんですね。
    宇川:なるほどね。この空間的奥行きの中にスクリーンがある発想なんですね。
    落合:もっと言ってしまうと、空間そのものに映像を代替する表現をいかに作るかですね。
    そうなったとき、我々は日常体験として映像みたいなファンタジーを作って、世界に没入できるようになるし、日常から我々の主観を切り離す必要がなくなるんじゃないかと思います。それはつまり、コミュニケーションスタイルの中に新たな総合対話性の関係を持ち込むことじゃないかと思いますね。
    85年のパラダイムはバーチャルリアリティ(VR)で、91年のパラダイムはオーグメントリアリティ(AR)だ思うんです。でも、それって映像の中では色々なものがいじれたけど、リアルをいじれなかった時代の話でしかないんですね。もしリアルをそのままいじれたら、バーチャルとリアルの二分は必要なくなると思うんです。
    宇川:なるほどね。実空間が拡張されてリアリティとして体験できれば、それはバーチャルでもなんでもないですからね。つまり、もはや「映像」なんて言われなくなるでしょうね、だから落合さんは「映像の世紀は終わった」というアンチテーゼを投げかけている。
    落合:まあ、別に写実画の全盛期が終わっても、写実画は存在したわけです。ただ、ジャンルとしてはまさに映像も登場してしまったわけじゃないですか。そういう意味で、従来通りの「文化としての映像」と、YouTubeのような「コミュニケーションツールとしての映像」がそろそろ分離し始める気がしますね。
    宇川:要は、生活環境の中へフォログラフィックな投影システムが組み込まれていくわけですかね。インターネット使い放題のマンションを間借りする感覚のように、日常時間軸の中でオーグメントリアリティ使い放題(笑)のような現実にシフトしていき、それが常態になっていく……。
    落合:そうすると、物質と映像の区別はやがてつかなくなりますよね。それが人間のコミュニケーションや生活を変えていく中で、新しい文法の表現が生まれるんじゃないかという気がします。俺はこういうことをずっとやっていて、専門的にはフォログラフィーというんですね。三次元的に光や音や色んなものを合成するジャンルになります。

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