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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(2)【不定期配信】

    2017-07-19 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。東洋的混沌と人工知能の存在論を結びつけた前回。今回は引き続き東洋哲学の視点を参照しながら、人工知能の構造を捉え直します。

    (3)混沌が持つ人工知能における意味
     機能的な人工知能で十分ではないか、という意見もあれば、対極として、一個の知性としての人工知能を作らねばならない、という意見もあります。しかし、「一個の知性を作り出す」という目標は西洋の夢でもあり、同時に人工知能研究の上でも重要な方向の一つです。たとえ辿り着くことが遠くても、その道程には重要な知見と技術が横たわっています。そして、それは人工知能という概念そのもの、或いは知能という概念そのものを打ち破って行くかもしれません。

    図5 多数の要素が相互作用し発展する「力学系」のイメージ
    自律型カオス力学系
     「機能を突き詰めて存在へ至ろうとする」という方法もあります。現在の人工知能の枠の中で、知能を存在として作ろうとすれば、環境と人工知能の機能的相互連関の中で混沌を獲得するという手法、「自律型カオス力学系」と呼ばれる手法が適しています(図5)。
     力学系とは「絡み合う複数の要素が時間と共に変化するシステム」のことです。特にこの力学系が「繰り返す動的な運動をボトムアップに持つ」場合には「自律型力学系」、さらに、外界からのインプットに関してセンシティブ(鋭敏)に運動を変化する場合に「自律型カオス力学系」と言います。イメージとしては、天井からつりさげられたたくさんの振り子がお互い細い糸でつながれている場を想像しましょう。いくつかの振り子を力強く動かすと、力が伝搬して全体として複雑な振り子運動が生成されます。振り子は空間の中にありますが、「自律型カオス力学系」の要素はより高次元の抽象的な空間にあります。これが一般の力学系です。
     私自身も知能を「外部環境と内部構造の相互作用による情報の混沌」の中から自律生成されるカオス」力学系として人工知能を構築するという試みに長い間かかわって来ました(これは私の博士課程の頃からのテーマでありました)。現在も続けていますし、またこれからもこの手法が最も有望であると感じています。
    人工知能のカオス存在理論
     ところが、このアプローチは人工知能の中に閉じている限り、とても数学的でトリッキーなものに見えてしまいます。このアプローチにしっかりとした基盤を与えようとするならば、まず哲学の領域でしっかりとした土台を築く必要があります。さらにより深い基盤として、東洋的な思想の上に構築することが自然です。というのも「混沌からすべてが生まれる」という思想は東洋哲学においてこそ根源的なものであるからです。これは東洋的な知見と西洋な知見をつなぎ合わせるということではありません。知能を作るという試みの中では、自然と東洋と西洋の二つの知見が自然と必要とされます。私の現在の教養ではなぜ、そのような事情になるかはわかりません。東洋だけでも、西洋だけでも、人工知能は成功して良さそうに思えますが、人工知能を作ろうとする行為は、まさにこの二つを世界の潮流を結び合わせる役目を持っているようです。それは我々の見方を逆転させることでもあります。混沌を構成する、という見方ではなく、まず知能とは混沌であり、その表現として「自律型カオス力学系」があるという見方です。ですから知能の根底である混沌を知ることこそが、知能を形成するための最大のヒントであり、それを「自律型カオス力学系」の力をかりて描き出す、ということでもあります(図6)。

    図6 人工知能と混沌、そして力学系
    ニューラルネットワークと混沌
     混沌は人工知能に存在を与えます。一つの混沌からの人工知能の作り方は、「リカレント・ニューラルネットワーク」を用いることです。ニューラルネットワークとは脳の神経回路を模した「電気回路シミュレータ」です。通常、ニューラルネットワークは多層構造を持っており(パーセプトロン型)、入力(感覚)から出力(判断)に向かって信号が進んで行きますが、リカレント・ニューラルネットワークは出力を入力にもう一度戻します。出力と入力が混じり合います。つまり感覚と判断が混じり合います。つまり客観と主観が混じり合います(図7)。
     判断と感覚が混じり合うのがリカレント・ニューラルネットワークの特徴です。リカレント・ニューラルネットワークを動かしていると、次第に、このリカレント・ニューラルネットワークを構成する要素の間に「自律型カオス力学系」が出現します。正確には、その場合、ニューラルネットワークは少し複雑な構造を持つ必要がありますが、本質的には自己ループバック構造と世界とのインタラクションの中からカオスが生まれます。

    図7 リカレント・ニューラルネットワークと自律型カオス力学系

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  • 【特別寄稿】三宅陽一郎「解題『正解するカド』」

    2017-07-12 07:00  
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    今朝のメルマガでは、今期話題のアニメ『正解するカド』について、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんによる寄稿をお届けします。『2001年宇宙の旅』や『スタートレック』といったSF作品の系譜を継ぐ、正統的な「ファーストコンタクトもの」である本作。異方存在ヤハクィザシュニナの現代性、そして、この物語が最後に辿り着いた「正解」とは?(※注意:本記事には作品に関するネタバレがあります)
    カド
     『正解するカド』は、大ヒットとなったフル3D劇場アニメーション『楽園追放』(2014年)を放った東映アニメーションが、同作品の野口光一プロデューサーの指揮のもと、ユニークな作品群で注目を集める野崎まど氏を脚本に擁し、満を持して放つフル3Dテレビアニメーションである。ゲームエンジンUnity3Dを用いた計算による表現が「カド」の時間結晶運動の表現に用いられている。
     『正解するカド』は彼方からやってくる存在「異方」との出会いの物語である。それは極めて仕組まれた出会いであり、「ファーストコンタクト」と言ってもまったく一方的な出会いである。それは降臨と言ってもいいし「押しかける」と言ってもいいし、あるいは「取り立てる」と言うべきかもしれない。何百億年と異方から長らく宇宙を見守っていた存在が、満を持して会いに来た、そんな出会いなのである。

    図 「正解するカド」設定見取り図
     出現する異次元からの立方体は「カド」と呼ばれる、多次元の存在が幾重にも折りたたまれたフラクタル立方体である。第一話で飛行機をまるごと飲み込んでしまうが、乗客の安全は保障される。飛行機は一つの比喩であり、いつでも地球全体を飲み込めることを暗示している。「カド」は人類を超えた圧倒的な存在であることを証明したのだ。「カド」は3次元の空間ではなく、この宇宙とは異なる物理法則を持つより高次元の存在(3+37次元)である。「カド」によって「異方」より来たりしは「ヤハクィザシュニナ」一人である。その高次元の存在体は、人間の警戒心を抑えるために白い装束に身を包み、真っ白い髪を持つ男性として顕現する。人間の言語を一瞬で学習し、人間とのコンタクトを始める。物語はこのカドを代表する「ヤハクィザシュニナ」と、人類を代表して外務省 国連政策課の交渉官(ネゴシエーター)である「真道幸路朗(しんどう・こうじろう)」との交渉を軸として展開される。

    ヤハクィザシュニナ(1)
     ヤハクィザシュニナの東洋的な姿、そして彼がそこから来た場所である「異方」はその根底に東洋的神話を思わせる。一つの世界に、その世界に属さない客人(まろうど)、あるいは「まれびと」として現れる存在である。世界に新しい兆しをもたらし、去って行く存在である。

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(1)【不定期配信】

    2017-06-27 05:30  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。遠く離れているように見える学問的な人工知能と私たちが想像する理想的な人工知能。今回は、その橋渡しをして相互補完をしようとする三宅さんの考えについて語ります。
    (1)機械論の果て
     サイエンスは常に機能を問い、哲学と宗教は常に存在の在り方を問います。サイエンスはあるところから存在云々の議論に拘泥するのをやめました。物が四大要素からできているとか、世界にエーテルが満ちているとか、そういう存在論をやめて、物事の性質と関係性を定量的・定性的に見出すことに専念することによって成功しました。それはちょうど十九世紀から二十世紀へ向けて起こった自然哲学から自然科学への完全な変化です。たとえば量子力学の黎明期には「物は波動か粒子か?」という議論がありました。この問いには答えがありません。ある場合には、たとえば電子がガイガー管などの実験機器に捕まえられる場合には「粒子」と捉えた方が便利ですし、トンネル効果など物質が物質を透過する現象の場合には「波」と考えます。物質とは、粒子としての性質と、波としての性質を持つ、と捉えるのです。これを「波と粒子の二重性」と言いますが、そこにあるのは解釈のモデルであって物事の本質に対する哲学的な思索ではないのです。そうやって物理学はソリッドな学問になり、まさにそれゆえに成功を続けてきました。
     「自然界を最も単純に説明できるモデルを採用する」というのが自然科学の原理です。これを「オッカムの剃刀の原理」と言います。サイエンスは現象を説明するモデルの中で最も簡単なモデルを採用する、という原理です。
     一方、エンジニアリング(工学)は本来「なんでもあり」の分野ではありますが、サイエンスの影響を受けていて、物や、物と物との関係性の中から人間に有用な機能を見つけ出す、新しい物質を見つけ出す方向に発展しました。人工知能もまた、このようなエンジニアリングの流れの中にあります。
     エンジニアリングは常に機能を追い求めます。「人工知能というエンジニアリングはいかなる知的能力を機械の上に実現できるか」を探求します。人工知能の能は「能う(あたう)」つまり能力の能であり、そこでは機能的(ファンクショナル)なものが志向されます。例えば、自動翻訳、自動運転、自動リコメンドなど、社会で実装される知能とは常に機能的なものです。ところが、そこに欠けているものは、人工知能という存在の根、或いは主体(サブジェクティブ)です。機能ではなく、存在としての人工知能とは何なのだろう?
    人工知能の存在論をもとめて
     人工知能は「知能を作る」という大それた、工学としてはいささか突飛な角度から来たために、多くの批判と蔑視を受けてきました。そこで学問としての人工知能は、「きちんとした学問」と認知されるまでには、特に日本においては30年以上の年月を費やしました。ただ、その間に、人工知能が本来的に持っていた「学問らしくない部分」、知能の存在論は削ぎ落とされ、スタイリッシュで、アルゴリズムを基本とする情報処理としての人工知能へと変貌していきました。それは人工知能が誰しもに学問として受け入れてもらうために行われてきた、長い時間に渡る研究者の無意識の作用なのかもしれません。たとえば、自然言語処理という分野は、自然言語の記号的側面から研究します。発話者の人格、立場、状態、生理と言った発話の起源に踏み込むわけではなく、発話された結果、書かれた結果のみを対象とします。背後にある知能の発露の起源である混沌は隠されてしまうのです。
     我々人間は、自分たちがこの世界に根を下ろしているように、人工知能にもまたこの世界に根を下ろしていることを期待してしまいます。しかし通常のエンジニアリングに表れる人工知能は知能の機能的側面であり、存在から見ると一番表層的な部分です。しかし、存在がなければ機能はなく、また機能のない存在というものも考えられません。機能を追い求める人工知能と、さらに存在を奥深く探求しようとする、いわば東洋的な人工知能は、人工知能という分野に横たわる時間に沿った横糸と、時間を超えようとする縦糸なのです(図1)。

    図1 人工知能の二つの軸、時間に沿った機能と時間を超えた構造

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ渾沌

    2017-05-10 07:00  
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    【配信日変更のお知らせ】
    毎月第1水曜日更新の猪子寿之さんの〈人類を前に進めたい〉は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。
    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今日の人工知能を生み出すに至った、機械論的な知能の構築を試みる西洋の思想。混沌から知性を「削り出す」東洋の発想との相互補完によって開かれる、人工知能の次の可能性について提案します。
    1. 東洋的な人工知性の在り方
     荘子の言葉に、

    斉人之井飲者相守也。(列御冠篇 二)
    (斉人の井に飲む者の相いまもるがごときなり。)
    ちょうど凡人が井戸の水を飲むのに、自分の水だからお互い飲ませないと言って、お互い守りあっているようなものだ

    という言葉がある。「井戸の水は井戸を掘ったものが自分で作ったものと思い込んでしまうが、自然から湧いているものだということを忘れている、ということである。同じように、人工知能を作ることは、作ったものが設計に基づいて実現したと思っている。しかし、東洋的な考えではそうではない。最初からそこにあったものを掘り出している、と考えるのである。オーギュスト・ロダン(1840-1971)が、石の中に眠っているものを掘り出す、と言ったごとく、電子の海から人工知能を掘り出すのである。
     しかし、東洋から人工知能は生まれなかった。急速な西洋の人工知能の発展がそれを許さなかった。そういったことが起こる前に、西洋的な人工知能が世界を席巻したのである。歴史に「もし」はないにせよ、もし東洋から人工知能が生まれる可能性があったとすれば、西洋的な構築の人工知能ではなく、プログラムと電子回路とノイズの混沌とした空間から、知能の形をしたものを抜き出す、という方法に寄ったであろう。或いは、混沌をそのままに、そこからエレガントな思考を引き出す仕組み、として人工知能を作っただろう。歴史がそうならなかったのは、そのような混沌を作り出すまでの計算パワーと手法がそれまでに生まれなかったことによる。遅きにしろ、これからそういった創造と研究が推進されることで、西洋のカウンターとしての「人工知性」が生まれるだろう。日本や中国のコンテンツには、ネットの海から人工知能が自動的に生成するというストーリーがよく見受けられる。東洋にとっては人工知能ですら、自然発生的なものでなければならない、という強い思想がある。
    2. 構築と混沌(I)思考とノイズ
     脳も身体も同じニューロン(神経細胞)からなる。身体のニューロンには殆どノイズがない。だからこそ身体は正確に動かすことができる。一方、脳のニューロンはノイズだらけである。アクティブに活動していないニューロンも、さまざまなノイズの中で活動している。脳の活動の90%は「無駄な」活動をしていると言われている。おそらくノイズによって、至るところで微弱なニューロンが発火しているのだろう。
     脳は決して、一つの問題に対してたった一つのエレガントな解答を実現する器官ではない。さまざまな可能性の思考を同時に走らせたり、或いは次に来るべき思考を準備してバックグラウンドで走らせている。複数の思考の顕在化にも、潜在化にも走っていて、主導を取ろうとしている。正確には、環境の多様な変化に最もマッチした思考が勝者となり主導権を握るのである。その柔軟性の高さの代償として、ほとんどの思考は戦いに敗れて無駄な思考として終えることになる。或いは果たせなかった役割を夢の中で実現しようとする。
     一つの勝ち残った思考が意識に上っている。それ以外の思考は無駄に見える、しかし、雷が雲から生まれるように、混沌という母体がなければ、一筋の思考は生まれない。我々は困難な場面や問題に直面し、考え続け、己を混沌そのものにし、己の中の混沌を活性化させ、そこからエレガントな思考を生み出す。それは思考のドラマである。
     しかし、現在の人工知能に与えられているのは、そういった思考ではなく、筋道のついた出来上がった後の思考をうまく再現する思考である。現代の人工知能では、問題がなければ思考はない。そして、現在の人工知能には問題を自ら作り出す力も必要もない。人間が、考えるべき要素とそれに対する操作を教えて、設定したゴールへ向かって計算させるのが、現代の人工知能の姿である。「考えるべき要素、それに対する操作、設定されたゴール」のセットはフレームと呼ばれ、これに関して人工知能は3つの制限を受ける。

    1. 人工知能は自らフレームを作り出すことはできない。
    2. 人工知能はフレームの外に出ることはできない。
    3. 人工知能は与えられたフレームだけしか解くことはできない。

     人工知能が得意なのは「閉じられた問題」である。それは未知の要素がない、という意味である。「閉じられた問題」として人工知能にフレームが与えられる時、人工知能はその問題を解くことが出来、また人間よりも圧倒的に優秀である。将棋、囲碁、自動翻訳、リコメンドシステム、データの世界の閉じた問題は遅かれ早かれ、人間より圧倒的に優秀になる。しかし、フレームを一歩出るや否や、人工知能はまるで無力になる。コンビニの店員のロボットを作ったとして、その人工知能を搭載しても、想定外の出来事に対しては何もできない。犬がコンビニに入って来た時の対処法がもしプログラムされていなければ、動きようがなく、完璧なお料理ロボットも鍋の取手がいきなり壊れたらストップするしかない。お掃除ロボットが動く前に部屋を片付けておく必要があるように、人工知能ができることは想定したフレームの中である。ディープラーニングのような学習も学習の仕方は自由度があるが、囲碁AIが囲碁以外の何かを出来るようになることはない。
     人工知能はフレームの中で動作する。そして、その問題をできるだけエレガントな思考で、できるだけコンパクトな計算とメモリで実現することが人工知能でもある。そこには無駄があってはならない。それは通常のプログラムの宿命である。プログラムというのは無駄をそぎ落とそうする力が働く。それは先に指摘したようにオートメーションの延長としての流れの中に人工知能があるからでもある。
     そうやって西洋の人工知能は、徐々に狭く閉じられた問題の中に閉じ込められていくことになる。狭いショートサーキットの中で、無駄のない、隙のない、高速なプログラムとしてやせ細って行くことになる。それを解放できるのは東洋的な人工知性の考え方である。この章では、西洋的な人工知能と東洋的な人工知性がいかなる対立をなし、お互いを解放できる力を見て行くことにする。

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第零章 人工知能を巡る夢【不定期配信】

    2017-04-18 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人工知能はいかにして誕生したのか。その背景となった西欧世界における医学・工学・哲学の発展史を踏まえつつ、人工知能と東洋的思想との接続の可能性について考えます。

    1. 知能とは何か?
     「知能とは何か?」という問いは人間の最も深淵な問いである。しかし、この問いを思索のみから探求することはできない。この問いの答えを得るためには、思索し、行動し、仮説を立て、実験し、実際に作ってみて、再び反省する、という哲学、科学(サイエンス)、工学(エンジニアリング)の絶え間ない連携した活動が必要である。それが人工知能という試みである。
     この連載の出発点として、目指すべきところをあらかじめ明確にしておきたいと思う。この連載は全十回に渡って「知能とは何か?」を探求する。その方向は3つである。一つは「知能を解明する」という純粋なサイエンスの探求、一つは「知能を作る」というエンジニアリングの探求、一つは「知能とは何か?」を探求する思弁的探求である。この3つの探求を同時に行うというのが、人文科学、自然科学、哲学を横断する「知能学」そのものの姿である、この3つを少し詳しく見ていこう。

    図 人工知能をめぐる活動
    2. 3つの探求のクロスロード
     「知能とは何か?」という問いは哲学的な思弁の深淵へ向かって軌道が伸びている一方で、実際に知能を作り出そうとするエンジニアリングの可能性の平野が広がっている。また作ることで知るのがエンジニアリングなら、知るために分解して行くのがサイエンスである。知能を知ろうというサイエンスは、多面的なサイエンスであり、一つの分野の形を取らず心理学、精神医学、生物学を横断している。また社会学、人類学、あらゆる人文科学は、「知能とは何か?」という問いの周りに展開された科学である。これが知能を巡る学問「知能学」の持つ地平である。
     人工知能を生み出す人間の欲求は、科学、工学、哲学の3つの衝動に起因している。

    科学的衝動 「人間や動物の知能を分解して理論を作りたい」
    工学的衝動 「人工知能を作り出し、実際に世の中を変革したい」
    哲学的衝動 「知能と人工知能の探求から、生きている意味を解明したい」

     人工知能に関わる人々がこのような欲求を持つのは、人工知能が人間から独立した対象として生み出す機械やソフトウェアと異なる傾向があるからである。知能とは我々自身であると同時に、探求し作り出す対象である。この単純な事実が、通常の科学と人工知能の探求の様相を大きく異なるものにする。

    図 人工知能をめぐる3つの欲求
    我々は知能を内側から生きている存在である。人間という(自然)知能が(人工)知能を作り出そうとするというトートロジーの中に「人工知能」の開発の運動はある。人工知能を作ろうとする者にとって、知能は対象であると同時に、我々自身をもう一度作り出そうとする「鏡像構造創造的な体験」である。常に自己を見つめつつ、その写し姿を電子回路の中に掘り起こして行く。そこで人工知能という分野は、知能を対象化することでサイエンスとなり、 自らを探求するという意味で哲学的となり、それを作り出そうとする意味で工学的となるのである。
    3. 知能感受性
     知能には知能を感じ取る力がある。これを私は知能感受性と呼ぶ。知能を感じ取る力、この人はこんな知能があるな、この熊はこんな知能を持っているな、このキャラクターはこれぐらいの知能を持っているな、という総合的に知能を感じ取る力である。誰もが持っている力だが、適切な言葉がないので、こう呼ぶことにする。ゲームAI開発の現場で私が作り出した言葉である。ユーザーにこのキャラクターをどんなふうに知能として感じてほしいか、という点を実現することにデジタルゲームのAI開発は終始すると言って良い。
     知能感受性は五感を基にするが、より高次の総合的な感覚である。知能は知能に対して厳格である。動物にせよ、生物にせよ、相手の知能を感じ取ることは自分の生存に切実に関わる問題だからである。初めて会った相手に、森で出会う動物に、敵に、どのような知能を感じ取るということで、動物は行動を決定するのである。
     この鋭敏過ぎる感覚は時にあらゆるものに知能を見出すことになる。風に、森に、川に、あらゆる森羅万象に知能を感じ取る。あらゆるものに知能を見出すのが森の文化であり、所謂「八百万の神」感であり、あらゆる生命を横のつながりの中で捉える感覚である。一方で、砂漠の文化とは、極めて対象化され序列化された文化である。人工知能でいえば「神―人間―機械」という縦の知能の序列を与えることである。便宜上、前者の森の文化を東洋的、後者の砂漠の文化を西洋的と本書では呼ぶことにする。
    4. 擬人化・自動化・知能化
     「擬人化」という言葉がある。世界の中でいろいろなものを人に見立てて、話かけたり聴き入ったりすることだ。人は人の似姿を求める。ファンタジーや神話ではいろいろなものが人の似姿を取る。コンピュータが出現する以前から、人は自らの知能と良く似たものを作り出したいという欲求を持っていたのである。
     一方で「自動化」という思想がある。人間の代わりに肉体労働・知能労働を「自動化する」という思想である。そういった欲求は当初は産業革命で「自動化」(オートメーション)という形で明確化され広められた。まずは身体の「自動化」がなされ、たくさんの機械たちが人間の代わりに力仕事を、ロボットは物理的な組み立ての仕事をするようになった。しかし、その本質的延長として人間の頭脳の中の活動も、同じ動力で再現できたら、というアイデアがあったことだろう。「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー、1818年)、「R.U.R.」(ロボットの語源、カレル・チャペック、1920年)、が書かれたのも、そんな産業革命以来の「自動化」の流れの中であった。

     また「知能化」という概念がある。これは現在に第三次AIブームと呼ばれている2010年来の潮流の中で「ディープラーニング」と並ぶ最も大きな特徴である。「知能化」とは、ロボットやゲームキャラクターのように、一つの新しい知能をまるごと生み出す、のではなく、既にあるものに知能を付与する、というアプローチである。ドアに知能を付け登録した顔の人にのみ開く、デジタルサイネージ(電子ポスター)にカメラを付け前に立った人物を認識して広告を変える、自動車に知能をつけて自動運転をさせる、家電に知能をつけて入れたものを判定して自動的に食料や調理をアレンジする、などがそうだ。このように「知能化」によって、現実を変革していくというのが「知能化」である。
     人工知能はこの「擬人化・自動化・知能化」の3つを内包しており、「エージェント化、オートメーション、インテリジェンス化(スマート化)」と呼ばれる。それぞれの背景には、錯綜した人間の人工知能への欲求が隠れている。



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