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記事 11件
  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第七章 街、都市、スマートシティ【不定期配信】

    2018-08-29 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今回は、人工知能による総合的な都市管理を実現するスマートシティ構想をテーマに、ビデオゲームやSF作品を手がかりにしながら、人間と都市が結ぶ新しい関係について掘り下げます。
     今、人工知能を応用する最も大きな射程として、街全体を人工知能で覆うとする試みがあります。試みというよりビジネスとしてそれが最も大きなターゲットになります。日本は比較的安全な国なので気が付きませんが、世界には治安の悪い国が多いですから、人工知能によって街そのものを人工知能化し、治安を良くしサービスを徹底しようという方向です。 人工知能があらゆる場所に監視カメラ、センサーを設置することで、リアルタイムに街全体が監視され街の治安が良くなります。治安が良くなれば企業が集まり、人も集まり、経済圏が良くなっていきます。  現在の、特にディープラーニングなどを基本とする監視カメラに顔認証を入れれば、どの人がどの場所でどのような行動をしているかまで追跡することができます。2015年以降は、ベンチャーを含め監視カメラ業界の発展は大きな勢いになっています。監視カメラは街全体の人工知能の眼となり得るものです。それは可視光のみならず赤外線、超音波、レーザーなど人間の視覚を超えた波長の光さえ持ち得ます。質的にも量的にも人間の認識を超えた把握が可能となります。まず家がスマートハウスになり、次にマンションが、ビルが、そしてデパートが、そして街全体が、人工知能を搭載した知的存在となるのです。  もちろんプライバシーの問題もあります。その強化は平行して発展する課題となります。しかし、最終的にはやはり人が求めるもので「安全」と「健康」に勝るものはありません。監視カメラが発展し世の中に設定されて行く方向に進むのではないかと考えています。  進化した監視カメラのように、すべてのIoT(Internet of Things)デバイスは街の状況を収集するデバイスとして活躍し、その情報を解析し認識へと変換することで、人工知能は街の状態をリアルタイムに認識することができます。さらに、そこから行動を起こすことで、街全体を統御する人工知能は、インフラ技術として入って来るわけです。行動を指令するのは街全体を制御する人工知能ですが、物理的な実行部隊はロボットやドローン、スクリーン上ではアバターとなるでしょう。  また街の人の流れ、事故なども即座に認識して、ドローンやロボット、人に通知し、事件が拡大する前に抑えることもできます。しかし、このような人工知能システムはかなり大規模な開発が可能な会社しかできません。そこで、このような「インフラとしての人工知能」システムを一旦開発して発展させれば、世界中の街や都市に導入することができるようになり、これまでにない巨大な市場が立ち上がります。ガスや電気を融通するといった機能に加えて、このような情報の網の上に人工知能を組み上げるビジョンを「スマートシティ」と言います。 本章では、「人工知能化する都市」を主題として、都市と人工知能の関係について探求して行きます。
    (1)西洋と都市、東洋の街
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第六章 キャラクター認識論・感情論【不定期配信】

    2018-07-18 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。自己像を外界から切断する西洋型認識論と、主体と外界が溶け合う東洋型認識論を比較しながら、感情の働きや自己投影を通じて、知性が世界へと干渉するプロセスを読み解きます。
     この世界で人工知能はどれほどのものを背負うことができるでしょうか。たいていの場合、人工知能は、決められた仕事を与えられ、それを遂行します。それが現代の人工知能です。人工知能はフレーム(問題設定)を超えられませんが(フレーム問題)、決められたフレームの中では効率よく学習し人間よりずっと賢くなります。 しかし、人工知能が発展し、人間が持つような責任感、倫理感、判断、生きる意味、他者への尊敬のようなものを捉えることができるなら、人間はさらに人工知能にいろいろなものを託すことができるでしょう。世界の意味を背負うものであるならば、さまざまなものを託すことができるでしょう。時に、我々は人工知能に人類の持つ重荷まで背負って欲しいと願うこともあります。人類の歴史は、人工知能にその一旦を担って貰うことで、人類に課せられた、課せられたと思っている世界の歴史を部分的に人工知能に託すことができます。  ゲームの中でキャラクターたちはさまざまなものを背負うことができます。しかし、それは決められた物語の中だからです。では、この実世界で人工知能が高い意識を持って自分の役割をきちんと理解する、ということはあり得るのでしょうか? ここでは認識論・感情論を軸に、人工知能が引き受ける役割について考察して行きましょう。
    (1)西洋型の認識論
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第五章 人工知能とオートメーション(自動化)【不定期配信】

    2018-06-07 10:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。急速に人間を理解し始めた人工知能ですが、その思考様式は人間とは大きく異なります。これからの人工知能の分岐点にもなりうる現代の「第三次AIブーム」までの流れを三宅さんが分析します。
     本章では、人工知能によってもたらされる「自動化」(オートメーション)について扱います。コンピュータ上では、それまで人間がしていたことが次第に自動化されてきました。まず計算や複雑な数値計算が自動化され、かつては人工知能の重要な技術課題だった漢字変換もいまや誰も気に留めないほど自然な技術として実現しています。メールの自動分類も人工知能と言えます。また、インターネット上のeコマースの推薦システムや、大量の画像を自動分類するという技術もディープラーニングで実現しつつあります。エクセルの自動計算や定義も広義では人工知能と言えるでしょう。狭義では自律的な人工知能の思考による自動化と考えられます。このように、人工知能は長い時間をかけて人間の知的作業をオートメーション化してきたわけです。
     かつてはデジタルゲームのソフトを買うと、マップ作成機能が付いたものがありました。古くは『ピンボール』のコンストラクション・キット、さらに『ロードランナー』(ブローダーバンド)や『レッキングクルー』(任天堂)、さらに『エキサイトバイク』(任天堂)などです。これらは一つ一つの要素をユーザーが置いて行く必要がありました。デジタルゲームの人工知能には「キャラクター人工知能」と「プロシージャル技術」と呼ばれる二つの領域があります。ゲームAIは、ゲーム内で使う人工知能技術と、ゲーム作成に使う人工知能技術の二つに分けられますが、プロシージャル技術は双方で使われる技術です。
    プロシージャル技術は元々『Rogue』(1980年)のダンジョン自動生成に、そのあと『Elite』(Acornsoft、1984年)の星系・宇宙船生成、『不思議のダンジョン』(チュンソフト)シリーズ、『FarCry 2』(Ubisoft Montreal、2008年)の森自動生成へと応用されてきました。プロシージャル技術は、本来人間が作るべきであったものを人工知能が作っているという意味で人工知能技術なのです。また80年代の人工知能画家「アーロン」のように、人工知能が芸術を作る、という方向があります、それ以外にも、人工知能がヒット曲の作詞をする、人工知能が小説を書くなど、人工知能はより広い創造的分野に入りつつあります。
    ゲーム内でも、人工知能が使われることがあります。『Age of Empire』(Ensemble Studios)シリーズ、『The Witcher 3』(CD Projekt RED、2015年)では地形が自動生成され、『バトルフィールド」(DICE)シリーズはテクスチャリングが自動的に地表表面を彩ります。「Spore」(MAXIS、2008年) はフル・プロシージャルのゲームで、クリーチャーの形状自体と動作が自動生成されます。現代では、RPGの物語生成を自動的に行う開発が盛んになりつつあります。
    では、より包括的に人工知能とオートメーションの歴史を紐解いていきましょう。
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第四章 人工知能が人間を理解する(1)【不定期配信】

    2018-01-09 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間と人工知能は理解し合えるのか。西洋と東洋のAI観を比較しながら、人間と人工知能がそれぞれに抱える虚無の深淵と、その差異について考察します。
    (1)人工知能が人間を理解する
    長年、と言っても、十五年程ですが、人工知能を研究していると、最もよく聞かれる質問があります。「人間にとって人工知能とは何か?」「人工知能は人間に比べてどこまでできるか?」という質問です。そういう質問はとても嬉しく、人工知能の冬の時代を経験した人間にとっては、もう興味を持って頂けるだけで充分な気がします。しかし、この質問と同じぐらい大切なもう一つの問があります。それは「人工知能にとって人間とは何か?」「人間は人工知能と比べてどこまでできるか?」という問です。人工知能という分野では、人間側にも人工知能側にも偏って見てもいいですが、常に二つの視点から見ないと本質を見失うことになります。人間と人工知能を双対(duality)に見ることが必要です。双方の視点を持ってこそ、人間と人工知能の関係が見えて来ます。
    深淵を見るものは、また深淵に見入られる、とニーチェは言いました。この場合、深淵とは人間の知能のことです。人間の知能はとても奥深い深淵です。人工知能の研究は人間を規範にしながら作ることが多くあります。「人工知能」という言葉の発祥と位置付けられる「ダートマス会議」(1956年)の開催においても、「人間が使う言葉や概念、思考が機械にできるようにすること」が主旨として挙げられています。人工知能の研究は、一方で人間という知能の深淵を見ながら、そのわずかな一部を機械の方に移す、という地道な作業を行って来たわけです。ですから、人工知能にとって人間というのは、深く、未知の、ミステリアスな存在なのです。人間ができることの多くを、人工知能は行うことができません。この世界で自然に生まれた自然知能たる人間は、この世界の中でさまざまなことができるように生成・適応・進化してきました。ところが、人工知能は、組み上げられた存在です。極論を言うと、たとえば、他の惑星や人工衛星の中でも組み上げられることができます。つまり地上と最初から馴染んでいる存在ではないのです。我々のように地球産の知能ではない。むしろ、それは自然とは対極から出発します。そこからこの世界になじむように学習が始まるのです。
    人工知能の目標は二つあります。
    「高度な人工知能を作ること」
    そして
    「人工知能に人間を理解させること」
    です。人工知能が人間を理解するとは、どういうことか、それは哲学的な問であると同時に、サイエンスの問題でもあります。
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第三章 オープンワールドと汎用人工知能(2)【不定期配信】

    2017-11-28 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。一般的な人工知能は「問題に立脚して」作られていますが、三宅さんは問題に立脚しない、汎用人工知能に人類の「他者」となる可能性を見出します。
    (2)人工知能の持つ虚無
    問題特化型人工知能
     「人工知能は稠密に作られる」というのは、人工知能は人間が設定した目標に達成するように、最適に作られていくことを意味しています。問題特化型の人工知能はその問題に向かって、というよりも、その問題を土台として築かれる人工知能です。つまり、問題特化型の人工知能は、問題を対象として構築されるというよりは、問題を立脚点として構築される、といった方が正しいでしょう(図3.2.1)。▲図3.2.1 問題の上に構築される人工知能 たとえば、工場のベルトコンベアでネジを締めるロボットを考えてみましょう。ロボットは目の前に来る部品のネジを締めるために、画像でネジを入れる位置を確認してアームでネジを締めるとします。このロボットアームはベルトコンベアで部品が流れて来る、という前提の上に固定されて設置されているわけですので、なぜ部品がそこに来るか、なぜネジを締めなければならないか、という問題は、人工知能が考える問題の外にあります。このロボットアームは問題の上で初めて成立する人工知能になっているのです。ベルトコンベアから外されればこのロボットは何者でもなくなってしまうのです。
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第三章 オープンワールドと汎用人工知能(1)【不定期配信】

    2017-09-26 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。東洋的な思想を通じて「存在としての人工知能」について論じた前回を踏まえて、今回はビッグデータやアルファ碁を例に取りながら、高度化していく人工知能の現状と未来について考察します。
    (1)果てのない世界のための人工知能
     前章までは、人工知能の内部構造について、東洋的知見に基づいて議論を展開して来ました。要点としては、西洋的な問題特化型が機能的な性質の実現を目指すことに対して、存在としての根を持とうとする人工知能を、東洋的人工知能という言葉によって表現したい、ということでした。この章では、その議論を踏まえつつ、方向を変えて、世界に人工知能を展開していくことを考えてみましょう。  2015年から始まる、第三次人工知能ブームの特徴は、インターネットを通じて蓄積された膨大なデータ、ビックデータと呼ばれる集積されたデータを使って人工知能を学習させることで、人工知能のクオリティを向上させることです。しかし、それでも、人工知能はフレーム問題が解決されたわけではありません。フレームとは人工知能が物事を考える設定のことであり、たとえば将棋のような要素とルールからなります。しかし、人工知能は自らがフレームを作り出すことはできず、拡大して行く人工知能の活躍の場に際しても、問題ごとに一つの人工知能を割り当てているのが現状です。  現在のビックデータの解析においても、大変なのはビックデータ解析そのものよりも、ビックデータとしてデータをきれいに整備する、いわゆる「洗浄」という操作です。解析そのものはアルゴリズムですから、いったん開始すれば人間は待つしかありません。知的な解析と解釈をアルゴリズムが実行してくれるという意味で、時にビックデータ解析は人工知能と言われるわけですが、しかし、その人工知能に与えるデータは、その人工知能がきちんと解析できるように、余計なデータを省いたり、データを簡単な関数で変換したり、結合したり、スケールを変えたりする必要がある場合が多くあります。最終的には、そういった操作も、解析プログラムの中で仕込んでしまえば良いのですが、そのデータが作られた「人間的な事情」があり、それを加味してデータを整備することもあります。たとえば、あるデータはその日、8分間の停電があったため、時刻が飛んだデータになってしまったとします。せっかくナンバリングしているファイル名も変える必要があり、そのように時刻が飛んだデータを解析することによる影響がどれぐらいあるか、といったことはそのアルゴリズムを実行する人工知能ではなく、アルゴリズムの性質を知る人間にしか判断できないという問題があります。そうやって純粋なアルゴリズムの周囲に、アルゴリズムをうまく動かすための「工夫」を積み重ねて行くときに担当者が感じるのは「世話がやけるなあ」ということです(図3.1.1)。
    ▲図3.1.1 人間、人工知能、人間という処理の順番
     かつて画像処理のアルゴリズムは、画像の特徴に応じて様々な手法を人間が組み合わせて探求する分野でした。色々な前処理、アルゴリズム、後処理などです。ディープラーニングは、そのような画像の特徴を自動的に抽出する「折り畳みニューラルネットワーク」という技術が織り込んであるために、自動的に特徴を抽出する機能を持っています。ここではニューラルネットが画像や映像の特徴を自動的に、マルチスケールで抽出してくれます。これを行動決定に使うと、画像処理のプログラムから人工知能のプログラムになります(図3.1.2)。
    ▲図3.1.2 画像処理から人工知能
     このように、人間が、世話をする部分が減り、人工知能の担当する部分が増えると便利になります。世話をするのは人工知能の実行前だけでなく、人工知能の実行後の部分も同様です。前の部分に対しては、人間は「準備が面倒だな」と思いますし、後の部分に関しては「ここまでやってくれたらなあ」と思うわけです。お掃除ロボットのために、最初にロボットが掃除をしやすいように家具を片付け、掃除の後に家具を元の位置に戻したりしながら、そう思われた方も多いかと思います。つまり、人工知能はできることが決まっており、また行う領域も決まっており、その舞台は人間が整えなければなりません。つまり人工知能を運用するには、人間がした方がよい領域と、人工知能がした方が良い領域をよく知って運用する必要があります。そして、人工知能技術の発展はその境界を変化させます(図3.1.3)。
    ▲図3.1.3 人間、人工知能の住み分け、そしてその拡大  ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(2)【不定期配信】

    2017-07-19 07:00  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。東洋的混沌と人工知能の存在論を結びつけた前回。今回は引き続き東洋哲学の視点を参照しながら、人工知能の構造を捉え直します。

    (3)混沌が持つ人工知能における意味
     機能的な人工知能で十分ではないか、という意見もあれば、対極として、一個の知性としての人工知能を作らねばならない、という意見もあります。しかし、「一個の知性を作り出す」という目標は西洋の夢でもあり、同時に人工知能研究の上でも重要な方向の一つです。たとえ辿り着くことが遠くても、その道程には重要な知見と技術が横たわっています。そして、それは人工知能という概念そのもの、或いは知能という概念そのものを打ち破って行くかもしれません。

    図5 多数の要素が相互作用し発展する「力学系」のイメージ
    自律型カオス力学系
     「機能を突き詰めて存在へ至ろうとする」という方法もあります。現在の人工知能の枠の中で、知能を存在として作ろうとすれば、環境と人工知能の機能的相互連関の中で混沌を獲得するという手法、「自律型カオス力学系」と呼ばれる手法が適しています(図5)。
     力学系とは「絡み合う複数の要素が時間と共に変化するシステム」のことです。特にこの力学系が「繰り返す動的な運動をボトムアップに持つ」場合には「自律型力学系」、さらに、外界からのインプットに関してセンシティブ(鋭敏)に運動を変化する場合に「自律型カオス力学系」と言います。イメージとしては、天井からつりさげられたたくさんの振り子がお互い細い糸でつながれている場を想像しましょう。いくつかの振り子を力強く動かすと、力が伝搬して全体として複雑な振り子運動が生成されます。振り子は空間の中にありますが、「自律型カオス力学系」の要素はより高次元の抽象的な空間にあります。これが一般の力学系です。
     私自身も知能を「外部環境と内部構造の相互作用による情報の混沌」の中から自律生成されるカオス」力学系として人工知能を構築するという試みに長い間かかわって来ました(これは私の博士課程の頃からのテーマでありました)。現在も続けていますし、またこれからもこの手法が最も有望であると感じています。
    人工知能のカオス存在理論
     ところが、このアプローチは人工知能の中に閉じている限り、とても数学的でトリッキーなものに見えてしまいます。このアプローチにしっかりとした基盤を与えようとするならば、まず哲学の領域でしっかりとした土台を築く必要があります。さらにより深い基盤として、東洋的な思想の上に構築することが自然です。というのも「混沌からすべてが生まれる」という思想は東洋哲学においてこそ根源的なものであるからです。これは東洋的な知見と西洋な知見をつなぎ合わせるということではありません。知能を作るという試みの中では、自然と東洋と西洋の二つの知見が自然と必要とされます。私の現在の教養ではなぜ、そのような事情になるかはわかりません。東洋だけでも、西洋だけでも、人工知能は成功して良さそうに思えますが、人工知能を作ろうとする行為は、まさにこの二つを世界の潮流を結び合わせる役目を持っているようです。それは我々の見方を逆転させることでもあります。混沌を構成する、という見方ではなく、まず知能とは混沌であり、その表現として「自律型カオス力学系」があるという見方です。ですから知能の根底である混沌を知ることこそが、知能を形成するための最大のヒントであり、それを「自律型カオス力学系」の力をかりて描き出す、ということでもあります(図6)。

    図6 人工知能と混沌、そして力学系
    ニューラルネットワークと混沌
     混沌は人工知能に存在を与えます。一つの混沌からの人工知能の作り方は、「リカレント・ニューラルネットワーク」を用いることです。ニューラルネットワークとは脳の神経回路を模した「電気回路シミュレータ」です。通常、ニューラルネットワークは多層構造を持っており(パーセプトロン型)、入力(感覚)から出力(判断)に向かって信号が進んで行きますが、リカレント・ニューラルネットワークは出力を入力にもう一度戻します。出力と入力が混じり合います。つまり感覚と判断が混じり合います。つまり客観と主観が混じり合います(図7)。
     判断と感覚が混じり合うのがリカレント・ニューラルネットワークの特徴です。リカレント・ニューラルネットワークを動かしていると、次第に、このリカレント・ニューラルネットワークを構成する要素の間に「自律型カオス力学系」が出現します。正確には、その場合、ニューラルネットワークは少し複雑な構造を持つ必要がありますが、本質的には自己ループバック構造と世界とのインタラクションの中からカオスが生まれます。

    図7 リカレント・ニューラルネットワークと自律型カオス力学系

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  • 【特別寄稿】三宅陽一郎「解題『正解するカド』」

    2017-07-12 07:00  
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    今朝のメルマガでは、今期話題のアニメ『正解するカド』について、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんによる寄稿をお届けします。『2001年宇宙の旅』や『スタートレック』といったSF作品の系譜を継ぐ、正統的な「ファーストコンタクトもの」である本作。異方存在ヤハクィザシュニナの現代性、そして、この物語が最後に辿り着いた「正解」とは?(※注意:本記事には作品に関するネタバレがあります)
    カド
     『正解するカド』は、大ヒットとなったフル3D劇場アニメーション『楽園追放』(2014年)を放った東映アニメーションが、同作品の野口光一プロデューサーの指揮のもと、ユニークな作品群で注目を集める野崎まど氏を脚本に擁し、満を持して放つフル3Dテレビアニメーションである。ゲームエンジンUnity3Dを用いた計算による表現が「カド」の時間結晶運動の表現に用いられている。
     『正解するカド』は彼方からやってくる存在「異方」との出会いの物語である。それは極めて仕組まれた出会いであり、「ファーストコンタクト」と言ってもまったく一方的な出会いである。それは降臨と言ってもいいし「押しかける」と言ってもいいし、あるいは「取り立てる」と言うべきかもしれない。何百億年と異方から長らく宇宙を見守っていた存在が、満を持して会いに来た、そんな出会いなのである。

    図 「正解するカド」設定見取り図
     出現する異次元からの立方体は「カド」と呼ばれる、多次元の存在が幾重にも折りたたまれたフラクタル立方体である。第一話で飛行機をまるごと飲み込んでしまうが、乗客の安全は保障される。飛行機は一つの比喩であり、いつでも地球全体を飲み込めることを暗示している。「カド」は人類を超えた圧倒的な存在であることを証明したのだ。「カド」は3次元の空間ではなく、この宇宙とは異なる物理法則を持つより高次元の存在(3+37次元)である。「カド」によって「異方」より来たりしは「ヤハクィザシュニナ」一人である。その高次元の存在体は、人間の警戒心を抑えるために白い装束に身を包み、真っ白い髪を持つ男性として顕現する。人間の言語を一瞬で学習し、人間とのコンタクトを始める。物語はこのカドを代表する「ヤハクィザシュニナ」と、人類を代表して外務省 国連政策課の交渉官(ネゴシエーター)である「真道幸路朗(しんどう・こうじろう)」との交渉を軸として展開される。

    ヤハクィザシュニナ(1)
     ヤハクィザシュニナの東洋的な姿、そして彼がそこから来た場所である「異方」はその根底に東洋的神話を思わせる。一つの世界に、その世界に属さない客人(まろうど)、あるいは「まれびと」として現れる存在である。世界に新しい兆しをもたらし、去って行く存在である。

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(1)【不定期配信】

    2017-06-27 05:30  
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    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。遠く離れているように見える学問的な人工知能と私たちが想像する理想的な人工知能。今回は、その橋渡しをして相互補完をしようとする三宅さんの考えについて語ります。
    (1)機械論の果て
     サイエンスは常に機能を問い、哲学と宗教は常に存在の在り方を問います。サイエンスはあるところから存在云々の議論に拘泥するのをやめました。物が四大要素からできているとか、世界にエーテルが満ちているとか、そういう存在論をやめて、物事の性質と関係性を定量的・定性的に見出すことに専念することによって成功しました。それはちょうど十九世紀から二十世紀へ向けて起こった自然哲学から自然科学への完全な変化です。たとえば量子力学の黎明期には「物は波動か粒子か?」という議論がありました。この問いには答えがありません。ある場合には、たとえば電子がガイガー管などの実験機器に捕まえられる場合には「粒子」と捉えた方が便利ですし、トンネル効果など物質が物質を透過する現象の場合には「波」と考えます。物質とは、粒子としての性質と、波としての性質を持つ、と捉えるのです。これを「波と粒子の二重性」と言いますが、そこにあるのは解釈のモデルであって物事の本質に対する哲学的な思索ではないのです。そうやって物理学はソリッドな学問になり、まさにそれゆえに成功を続けてきました。
     「自然界を最も単純に説明できるモデルを採用する」というのが自然科学の原理です。これを「オッカムの剃刀の原理」と言います。サイエンスは現象を説明するモデルの中で最も簡単なモデルを採用する、という原理です。
     一方、エンジニアリング(工学)は本来「なんでもあり」の分野ではありますが、サイエンスの影響を受けていて、物や、物と物との関係性の中から人間に有用な機能を見つけ出す、新しい物質を見つけ出す方向に発展しました。人工知能もまた、このようなエンジニアリングの流れの中にあります。
     エンジニアリングは常に機能を追い求めます。「人工知能というエンジニアリングはいかなる知的能力を機械の上に実現できるか」を探求します。人工知能の能は「能う(あたう)」つまり能力の能であり、そこでは機能的(ファンクショナル)なものが志向されます。例えば、自動翻訳、自動運転、自動リコメンドなど、社会で実装される知能とは常に機能的なものです。ところが、そこに欠けているものは、人工知能という存在の根、或いは主体(サブジェクティブ)です。機能ではなく、存在としての人工知能とは何なのだろう?
    人工知能の存在論をもとめて
     人工知能は「知能を作る」という大それた、工学としてはいささか突飛な角度から来たために、多くの批判と蔑視を受けてきました。そこで学問としての人工知能は、「きちんとした学問」と認知されるまでには、特に日本においては30年以上の年月を費やしました。ただ、その間に、人工知能が本来的に持っていた「学問らしくない部分」、知能の存在論は削ぎ落とされ、スタイリッシュで、アルゴリズムを基本とする情報処理としての人工知能へと変貌していきました。それは人工知能が誰しもに学問として受け入れてもらうために行われてきた、長い時間に渡る研究者の無意識の作用なのかもしれません。たとえば、自然言語処理という分野は、自然言語の記号的側面から研究します。発話者の人格、立場、状態、生理と言った発話の起源に踏み込むわけではなく、発話された結果、書かれた結果のみを対象とします。背後にある知能の発露の起源である混沌は隠されてしまうのです。
     我々人間は、自分たちがこの世界に根を下ろしているように、人工知能にもまたこの世界に根を下ろしていることを期待してしまいます。しかし通常のエンジニアリングに表れる人工知能は知能の機能的側面であり、存在から見ると一番表層的な部分です。しかし、存在がなければ機能はなく、また機能のない存在というものも考えられません。機能を追い求める人工知能と、さらに存在を奥深く探求しようとする、いわば東洋的な人工知能は、人工知能という分野に横たわる時間に沿った横糸と、時間を超えようとする縦糸なのです(図1)。

    図1 人工知能の二つの軸、時間に沿った機能と時間を超えた構造

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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第一章 西洋的な人工知能の構築と東洋的な人工知性の持つ渾沌

    2017-05-10 07:00  
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    【配信日変更のお知らせ】
    毎月第1水曜日更新の猪子寿之さんの〈人類を前に進めたい〉は、諸般の事情により今月は配信日程を変更してお送りいたします。楽しみにしていた読者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、次回の更新まで今しばらくお待ち下さい。
    ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今日の人工知能を生み出すに至った、機械論的な知能の構築を試みる西洋の思想。混沌から知性を「削り出す」東洋の発想との相互補完によって開かれる、人工知能の次の可能性について提案します。
    1. 東洋的な人工知性の在り方
     荘子の言葉に、

    斉人之井飲者相守也。(列御冠篇 二)
    (斉人の井に飲む者の相いまもるがごときなり。)
    ちょうど凡人が井戸の水を飲むのに、自分の水だからお互い飲ませないと言って、お互い守りあっているようなものだ

    という言葉がある。「井戸の水は井戸を掘ったものが自分で作ったものと思い込んでしまうが、自然から湧いているものだということを忘れている、ということである。同じように、人工知能を作ることは、作ったものが設計に基づいて実現したと思っている。しかし、東洋的な考えではそうではない。最初からそこにあったものを掘り出している、と考えるのである。オーギュスト・ロダン(1840-1971)が、石の中に眠っているものを掘り出す、と言ったごとく、電子の海から人工知能を掘り出すのである。
     しかし、東洋から人工知能は生まれなかった。急速な西洋の人工知能の発展がそれを許さなかった。そういったことが起こる前に、西洋的な人工知能が世界を席巻したのである。歴史に「もし」はないにせよ、もし東洋から人工知能が生まれる可能性があったとすれば、西洋的な構築の人工知能ではなく、プログラムと電子回路とノイズの混沌とした空間から、知能の形をしたものを抜き出す、という方法に寄ったであろう。或いは、混沌をそのままに、そこからエレガントな思考を引き出す仕組み、として人工知能を作っただろう。歴史がそうならなかったのは、そのような混沌を作り出すまでの計算パワーと手法がそれまでに生まれなかったことによる。遅きにしろ、これからそういった創造と研究が推進されることで、西洋のカウンターとしての「人工知性」が生まれるだろう。日本や中国のコンテンツには、ネットの海から人工知能が自動的に生成するというストーリーがよく見受けられる。東洋にとっては人工知能ですら、自然発生的なものでなければならない、という強い思想がある。
    2. 構築と混沌(I)思考とノイズ
     脳も身体も同じニューロン(神経細胞)からなる。身体のニューロンには殆どノイズがない。だからこそ身体は正確に動かすことができる。一方、脳のニューロンはノイズだらけである。アクティブに活動していないニューロンも、さまざまなノイズの中で活動している。脳の活動の90%は「無駄な」活動をしていると言われている。おそらくノイズによって、至るところで微弱なニューロンが発火しているのだろう。
     脳は決して、一つの問題に対してたった一つのエレガントな解答を実現する器官ではない。さまざまな可能性の思考を同時に走らせたり、或いは次に来るべき思考を準備してバックグラウンドで走らせている。複数の思考の顕在化にも、潜在化にも走っていて、主導を取ろうとしている。正確には、環境の多様な変化に最もマッチした思考が勝者となり主導権を握るのである。その柔軟性の高さの代償として、ほとんどの思考は戦いに敗れて無駄な思考として終えることになる。或いは果たせなかった役割を夢の中で実現しようとする。
     一つの勝ち残った思考が意識に上っている。それ以外の思考は無駄に見える、しかし、雷が雲から生まれるように、混沌という母体がなければ、一筋の思考は生まれない。我々は困難な場面や問題に直面し、考え続け、己を混沌そのものにし、己の中の混沌を活性化させ、そこからエレガントな思考を生み出す。それは思考のドラマである。
     しかし、現在の人工知能に与えられているのは、そういった思考ではなく、筋道のついた出来上がった後の思考をうまく再現する思考である。現代の人工知能では、問題がなければ思考はない。そして、現在の人工知能には問題を自ら作り出す力も必要もない。人間が、考えるべき要素とそれに対する操作を教えて、設定したゴールへ向かって計算させるのが、現代の人工知能の姿である。「考えるべき要素、それに対する操作、設定されたゴール」のセットはフレームと呼ばれ、これに関して人工知能は3つの制限を受ける。

    1. 人工知能は自らフレームを作り出すことはできない。
    2. 人工知能はフレームの外に出ることはできない。
    3. 人工知能は与えられたフレームだけしか解くことはできない。

     人工知能が得意なのは「閉じられた問題」である。それは未知の要素がない、という意味である。「閉じられた問題」として人工知能にフレームが与えられる時、人工知能はその問題を解くことが出来、また人間よりも圧倒的に優秀である。将棋、囲碁、自動翻訳、リコメンドシステム、データの世界の閉じた問題は遅かれ早かれ、人間より圧倒的に優秀になる。しかし、フレームを一歩出るや否や、人工知能はまるで無力になる。コンビニの店員のロボットを作ったとして、その人工知能を搭載しても、想定外の出来事に対しては何もできない。犬がコンビニに入って来た時の対処法がもしプログラムされていなければ、動きようがなく、完璧なお料理ロボットも鍋の取手がいきなり壊れたらストップするしかない。お掃除ロボットが動く前に部屋を片付けておく必要があるように、人工知能ができることは想定したフレームの中である。ディープラーニングのような学習も学習の仕方は自由度があるが、囲碁AIが囲碁以外の何かを出来るようになることはない。
     人工知能はフレームの中で動作する。そして、その問題をできるだけエレガントな思考で、できるだけコンパクトな計算とメモリで実現することが人工知能でもある。そこには無駄があってはならない。それは通常のプログラムの宿命である。プログラムというのは無駄をそぎ落とそうする力が働く。それは先に指摘したようにオートメーションの延長としての流れの中に人工知能があるからでもある。
     そうやって西洋の人工知能は、徐々に狭く閉じられた問題の中に閉じ込められていくことになる。狭いショートサーキットの中で、無駄のない、隙のない、高速なプログラムとしてやせ細って行くことになる。それを解放できるのは東洋的な人工知性の考え方である。この章では、西洋的な人工知能と東洋的な人工知性がいかなる対立をなし、お互いを解放できる力を見て行くことにする。

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