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記事 4件
  • 丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』第4回「喫茶」は日常と非日常を往復する

    2018-08-30 07:00  
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  • 丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』 第3回 Reブランディングされた喫茶文化がもたらす可能性

    2018-06-27 07:00  
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  • 丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』 第2回 形式美が張った結界を破り、茶をアップデートする

    2018-03-13 07:00  
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    工芸品や茶のプロデュースを通して、日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしている丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』。今回は、丸若さんが茶師の松尾俊一さんとともに作る茶と、タイムレスという概念を象徴する日本茶の可能性について話し合いました。(構成 高橋ミレイ)
    茶には五感を刺激するパワーがある
    宇野 丸若さんは現在、茶畑からのものづくり、つまり茶のプロデュースに注力されていますが、どのようなきっかけで茶に関心を持たれたのでしょうか?
    丸若 もともと本質的なものを伝えたいということがあったんです。前回お話したように、工芸が日常を日本文化でハックする手段として、ある程度適しているのは間違いありません。僕はそれを、表層的なものに留めず、たとえ難しくても文化の本質を探求したいという気持ちで形にしてきました。実はそういう意味で茶は、僕の伝えたいものをより細かく伝え、隅々まで行き渡らせて共有するツールになりうると感じています。しかも最終的には茶を飲むツールを通して工芸の存在も肯定することにつながり、同時に工芸の魅力を最大化することで、茶の価値もそれに準じてアップグレードできるという相乗効果も生みます。
    宇野 これまでやってきた工芸のアップデートの延長線上に、茶を見つけたということですね。それも、より適した回路として。
    丸若 自動販売機やカフェだけでなく、オフィスや自宅でも飲む場面が多い茶は、世の中にタッチポイントが無数にあることが、工芸との大きな差です。茶の可能性は本当に高いと感じています。工芸はやっぱり質が良くなればなるほどタッチポイントがすごく少ないんですよ。オンラインで売っていくことも大変難しい。個体差もあるし。手触りとか重みのような触覚も情報として重要なので。
    宇野 なるほど、工芸よりも茶のほうが現代の都市生活によりたくさんの場面から深く浸透することができる、と考えたわけですね。たしかに茶はちょっと特殊な文化ですよね。食事とも全然違う、我々の働き方や余暇の形、都市文化といったものに密接に結びついている、とても身近で、そしてソーシャルなものだと思うんですよ。
    丸若 茶は再現性をきっちり担保してあげればそれ自体がすごく雄弁に語ってくれるし、一人歩きしてくれるものだと思うんです。特に日本人は味に対しては全世界の中でもうるさい民族だと思うんですよ。そこらへんのお兄ちゃんが美味しい、不味いと言っているわけじゃないですか。海外なんて行ったら、基本的に不味いわけで、そこをいちいち論じないと思うんですよ。
    だから、美味しい、不味いといった話からはじめられたらいいなと考えたんです。茶は本来は飲んでいて単純に美味しいと言いやすい。けれど、その「美味しい」「不味い」を通じて、僕の中で工芸を通じては伝えきれなかったところまで伝えられるフォーマットとして、茶というものはスゴく優れているなと感じているんです。
    多くの場合、工芸というかプロダクトの良さを共有するには前提となる知識や経験則が必要ですが、茶はそういった前提を共有していなくとも、味覚を通して受け取れるので共有しやすいんですよね。
    宇野 丸若さんは必然的に「茶」に出会ったのかもしれないですね。
    丸若 そして、茶も工芸も同じ悩みがあります。どちらも同じようにおかしい状態になっている。工芸が、雑貨になる、あるいはアートになることで本質を見失っているように、茶はペットボトルで飲まれることが主流になり過ぎた為、茶の本質的な楽しみから離れてしまいがちです。
    宇野 だからこそ、丸若さんが工芸にしたように茶もその本質を継承するためにこそアップデートされるべきだ、ということですね。
    丸若 あとは僕自身、茶を手がけることで気持ちが前向きになった面も大きいんです。工芸は売れるものを作ろうと努力するほど、廃棄物を生み出してしまうというジレンマがあります。工芸の人たちの一部は残念ながら「自然を愛している」と言う一方で、廃棄物を作っているんですよ。特に焼き物はタチが悪くて、一度焼いてしまったら、今の技術では絶対に土に還せません。1000〜2000年経てば小さくはなるけど、自然には戻らない。人間の手によって作られたキティちゃんのマグカップが1000年後も残るんですよ。
    宇野 もともと焼き物は大量生産するものではなく、壊れたものを補填しながら使っていくことによって、二次創作的な深みを与えていく文化だったはずですよね。ところが現代は物を作る技術が高度になりすぎているので、物を作っているうちは工芸が本来的に持っている精神を貫徹できないという、身も蓋もない壁にぶち当たるわけですよね。変な話だけど、壊れない、欠けないお茶碗はもうその時点で「工芸」の本質を失っている。
    そうなるともうハードをつくるのは諦めて、工芸の精神をどう活かすか、つまりソフトのほうの継承を考えるしかない。そんな中、工芸の内包していた精神をより直接的に今日の形に発展させることができるジャンルとして、茶と出会ったんですね。
    丸若 そんなことを考えていたときに同世代の茶師の松尾俊一と出会ったっていうのが自分の転機なんです。 だから工芸をやめたってわけじゃなくって。 工芸の精度を上げたかった。 焼き物が大量生産のモデルになってしまうと、産業としては僕が関われる余白は小さいんです。職人の一家や数人の工房で作り続ける分にはいいけれど、無理に僕やその周りの人たちを養える経済規模にするためには、どうしても大量に廃棄物を生み出すしかなくなります。
    でも、茶はちゃんとしたものを作れば作るほど、物質的にも経済的にも良い循環が生まれてサステイナブルになっていきます。そういうこともあって、茶に出会ったとき、めちゃくちゃ興奮したんです。
    ▲茶師・松尾俊一さん
    宇野 茶はハードでもあり、ソフトでもある。モノでもありコトでもある。そこが面白いですね。
    丸若 そうです。茶は、飲むことで自分たちのコンセプトを体内に取り入れてもらうことも魅力でした。まさにインストールって感じがしますよね。さらに、茶には中毒性もあって、それも原点回帰の要素の一つです。なぜ仏教と共に茶が輸入されてきたのかと言えば、五感のすべてを中毒にする作用があるからだと思ってます。初期の仏教は音を非常に大事にしているんですね。念仏には脳の状態を良好にする効果があると言われていますが、それと共に、味覚を刺激するものとして茶が選ばれた。それくらいパワーがあるものだと思います。僕は松尾と一緒に、一年近く茶を開発して、いろんな人に茶を飲んでもらったんですが、その時の反応から、茶が人を惹きつける力は半端じゃないなと思ったんです。
    「茶が好き」というのは、あえて人に言うほどのことでもないんですが、そういう人は実はたくさんいると思うんです。でも、会話の中で「コーヒーが好きなんだよね」 と言うとポジティブな印象になりますが、「茶が好きなんだよね」と言うと「こいつ、めんどくせっ」と取られかねないイメージが世の中にある気がします。その一因は茶の一部で起きたことにあると思うんですよ。本来なら日本文化の最高峰だったはずの茶が、一部の形骸化された所作によって、閉鎖的なものになってしまった。その一例が、茶の淹れ方がアップデートされてこなかったことだと思います。急須は400年くらい前からあって、当時は最先端で便利なものだったかもしれないけれど、いまだに当時の形から多様化してないんですよね。草鞋だってスニーカーに置き換わっているにもかかわらず。
    宇野 たしかに急須はかなりしっかり洗わないとすぐ詰まってしまうので、現代人が使うには不便なんですよね。
    丸若 よく考えてみると変なんですよね。お湯を沸かすのはポットを使う。だけれど急須だけはほぼそのまま。時々茶がアップデートされた姿を見かけますが、それらの多くは便利さを追求するためのものなんです。他にもティーバッグも手抜きなイメージが強く、良いイメージがない。だけど、僕はティーバッグってすごく可能性があると気付いています。だからうちのティーバックは茶の美味しさが一番出るようにと、めちゃくちゃ作り直していて、本来のアップデートとはそうあるべきだと思っています。これが自然の行為だと思うし、今の当たり前が本質的でないことというのは良くあることなんです。
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  • 【新連載】丸若裕俊『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』第1回 伝統のアップデートには日常生活のハックが必要だ

    2018-01-17 07:00  
    540pt

    今回から、丸若裕俊さんの連載『ボーダレス&タイムレスーー日本的なものたちの手触りについて』が始まります。丸若さんは菓子壺や弁当箱、iPhoneケースや磁器ボトルなどの様々なプロダクト、そして茶畑からのものづくりを通して日本の伝統的な文化や技術を現代にアップデートする取り組みをしています。今回は、丸若さんにとって伝統工芸はタイムレスな価値を体現するものであり、日常生活のハックこそがその本質であることについて宇野と語り合いました。(構成:高橋ミレイ)
    伝統工芸のソフトウェアを現代にアップデートする
    ▲「PUMA」と共に発表した「PUMA Around the bento box project」
    宇野 今回は連載の第1回目なので、まずは丸若さんが何をやっている人なのかという紹介から始めたいと思います。丸若さんは様々なプロダクトやお茶のプロデュース活動を通して日本の伝統工芸が現代の生活の中に溶け込むようにアップデートする取り組みをされていますが、その工芸といかにして出会ったのかというところからお伺いできればと思います。
    丸若 僕は昔から「間」をすごく気にする子どもだったんですね。そもそも間や調和感を気にするようになったきっかけを考えてみると、実家が横浜の中華街や元町のエリアだったこともあって、海外のフラットで主体性のあるノリにすごく憧れていたことにあると思います。ヨーロッパカルチャーの影響の元、ファッションに出会ってアパレルの仕事を始め、スケートボードやヒップホップのようなサブカルチャーも好きになっていった。でも、段々と見た目よりもソフトウェアの方が重要で、別に何インチのパンツを履いているとかは関係がないことに気づいた時、「なんだ、自分は今までスタイルばかり気にして、僕のは猿真似じゃないか」と思ったんです。そんな心境や業界を取り巻く環境の変化もあってアパレルの仕事を辞め、地方をうろうろしていた時期がありました。
    そんな時、たまたま知人に誘われて360年前に作られた九谷焼を美術館で見て、「なんだこれは!」と衝撃を受けたのが、日本の伝統工芸との出会いでした。ソフトウェアとハードウェアが完璧なバランス感覚で両立していると感じたんですね。それで知人に「これが欲しい」と言ったところ、連れて行かれた土産物屋で、さっき見た物とは似ても似つかぬ安っぽい器が並んでいるのを目の当たりにして、冗談かと思うくらいの落差を感じたんです。九谷焼の技術が360年の間にすっかり変貌して劣化してしまった。 もう一つ違和感を覚えたのは、美術館で九谷焼の器を見ていた人たちが、その作品の作り手の権威の話や値段の話をしていたことでした。僕にとっては、工芸品をそのような視点から評価すること自体が衝撃だったんです。
    宇野 つまりその光景は、伝統文化がハイカルチャーに取り込まれたことで、上流階級のマーケットに吸収されてしまったことの象徴だったんですね。そして、先ほどの土産物屋で見たのは、逆に伝統文化が大衆化した問題から生じたことだと思います。「とりあえずこういう柄をプリントしておけば客は満足するだろう」という近代の工業社会のロジックです。この二つが伝統工芸を殺してしまった要因だと思います。
    丸若 そうです。でも、それに誰も気がついていない。なので、この過去と現在とのギャップを伝えたいという衝動に駆られたのが、工芸を現代にアップデートする仕事を始めたきっかけです。
    宇野 丸若さんのやっていることは本来の、正しい意味での「工芸」だと思うんですよね。何百年前に作られた物を、そのままもう一回作るんじゃなくて、ちゃんとアップデートしていかないと工芸の本質を失ってしまう。それは工芸というものが、日常の、生活の中に息づいているものだからですよね。
    博物館の中に飾られてしまったり、アートとして権威化し、高額で取引されてしまっては生活の中に息づいているものとは言えない。
    そして同時に工芸はその生活の、日常の中から深遠で、遠大な世界観、宇宙観を表現しているものでなければならない。日常の内部に存在する超越したものへの裂け目として機能していないといけない。だからそれを「とりあえず昔の椀にはこんなガラが描いてあったからこれをプリントしてしまえ」と安易にデザインして工場で大量生産してしまっては、その表現力を損なってしまう。やはりきちんと、現代のライフスタイルと対峙しないといけない。
    だから丸若さんは、言ってみればもしかつての名匠たちがいま生きていたらどんなモノをつくっただろう、という視点から工芸を現代的にアップデートしているのだということはよく分かります。
    ただ、やっぱり多くの人はなかなかその本質に行きつけないと思います。伝統工芸が好きであればあるほど、うっかり当時の名工の物を再現しようとしてしまいますから。丸若さんは工芸をどのようにして自分の血肉にしていったのでしょうか?
    丸若 僕はプロデュースやアウトプットをする時に、手がけた物に宿る真実を伝えたいとは思っても、自分自身がプレイヤーになりたいと思ったことは一度もないんですよ。これが伝統工芸を手がける他の人たちとの大きな違いだと思います。九谷焼に出会って東京に帰ってから、人に会うたびにその良さを言葉で話すんですが、どうしても伝わらないんです。それは作品を体験した人にしか感知できないような微妙な差異をうまく言語化することができなくて、分かる人にしか分からないような言語でしか語れないからだと思います。だからと言って美術品である九谷焼きをその場に持っては来られない。ならばそれを体現する物を、自分の方法論で作るしかないと思ったんです。
    宇野 つまり旧来の九谷焼きそのものを再現しようとは最初から思っていなかったわけですね?
    丸若 そうですね。これは料理で言うと、エビが獲れないのにエビのスープを作ろうとしても仕方がないのと同じです。でも、エビのスープがめちゃくちゃ美味しかった時の感動は分かるのでそれと近い感動を他の食材で再現することはできるんじゃないかと考えたんです。
    宇野 この感動を現代に再現するには何を素材にしたらいいだろうかということですよね。
    丸若 そうなんです。
    工芸を通してタイムレスの概念を感じてほしい
    ▲日本の技術の可能性を追求し、前川印傳と丸若屋が作り上げた「‘otsuriki’ Collect of Japan」
    丸若 僕は小さい頃から時間に強い関心があって、「もし時間を自由に行き来できたら……」と空想していました。そこで僕の人生と仕事に共通するテーマとして「タイムレス」を掲げています。これは時間には前も後ろもなく、全てをつながっているものとして捉える概念と定義しています。そこに理論的な裏付けはありませんが、僕にとっては、まさに工芸こそがタイムレスの概念を体現しているんです。
    多くの人は時間軸の中に過去と未来があると思っていて、工芸を過去の象徴であると見なしています。これはタイムレスとは真逆の認識なんですよね。だからこそ僕は工芸を通してタイムレスという感覚を人々と共有したい。そうすれば、みんなの愛やエネルギーがそこに向かうことで、より上質な一歩が生まれると思うんです。僕のプロデュースの仕事は、それを目指して日本の伝統文化や工芸を、現代や未来の形にアップデートするというものなんです。
    宇野 具体的にどのような仕事を手がけてきたのかを簡単に教えていただけますか?
    丸若 まず最初に出会った石川県の九谷焼きの上出長右衛門窯による「髑髏 お菓子壺」をプロデュースしました。これはミュージアムピースとして、金沢21世紀美術館や森美術館に展示されています。
    もう少し複合的な仕事としては、PUMAとのコラボレーションで製作した弁当箱があります。職人さんによる「Traditional Handcraft (伝統的工芸)」と、ハイテク技術によるインダストリアルな「Ultra Modern Handcraft (現代産業工芸)」の2つのラインから構成されていて、どちらも日本の技術によって作られています。これもタイムレスの概念を具現化した作品ですね。さらに、チームラボ作品を納める特製桐箱。これは初期の作品からすべて手がけています。あとは印傳(いんでん)という染色した鹿皮に漆で模様を施した素材で作ったiPhoneカバーのシリーズ「‘otsuriki’ Collect of Japan」とか。最近だと、村上隆さんのカイカイキキと秋田県酒蔵ユニット「NEXT5」との日本酒プロジェクトの一端ですがお手伝いさせていただきました。九州の波佐見の磁器で作ったプレミアム磁器ボトル3種をプロデュースしたんです。
    ▲村上隆 × NEXT5 日本酒磁器ボトルプロデュース ©Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
    宇野 これらに共通しているのは、日本のトラディショナルな工芸のシンプルさに込められた“わびさび”の美学ですよね。これらのミニマルな美学が現代的なシンプルライフやエコライフの感性と親和性が高いことを感じている人はたくさんいると思いますが、それらを自覚的に正面から引き受けて、しっかりと取り組んでいる人は意外と少ない。京都や合羽橋のお店で「最近うちの包丁が外国人に売れるんだよね」と言う人はいても、その現象が何なのかをちゃんと考えた上でアップデートしていこうとする人を、僕は丸若さんの他にはほとんど見たことがないんです。
    丸若 僕は「陰」と「陽」が表裏一体であることをすごく意識していて、なぜならそこに本質があると思っているからです。「髑髏 お菓子壺」を森美術館で展示した時に、南條史生さんが「死と生の両方を感じる作品だ」という主旨のコメントを書いてくれたんですね。僕にとっては、死と生という感覚ではなかったんですけど、タイムレスを言い換えるとそういうことだと思いました。生まれた瞬間に死を感じる、過去を感じて未来を感じるということです。このようにマイナスとプラスを常に行き来する感じ方を共有してくれる人がなかなかいないのは確かかもしれません。
    ▲開窯130年以上の歴史を持つ九谷焼 上出長右衛門窯と作り上げた「髑髏 お菓子壷 花詰」
    宇野 タイムレス、つまり時間性がないということは、究極的にはあの世とこの世との境界線がないということですよね。それは東洋的な世界の見方で、日常の生活風景の中に、あの世への入口があるということです。お盆には死んだ人間が仏間までやってくる、妖怪のような類が台所や道端に現れるのも日本ならではの世界観です。僕らが生きているこの世の生活空間の中に穴ぼこが空いていて、そこがあの世とこの世をつないでいる。この国の持つタイムレスな想像力は、そういった死生観に担保されていたと思うんです。西洋近代の枠組みの外側に出るための手段として、東洋的なものにも目を向けようということは20世紀から言われてきました。しかし我々のトラディショナルな生活感覚や生活感覚の中にある死生観までが視野に入っていないと、表面的なオリエンタリズムの域を絶対に出られないと思うんです。
    丸若 死生観を感じる物は、それ自体がすごくエネルギーを持っていますよね。工芸も狂気じみた物になればなるほど、製作に関わった人たちがどれほどのエネルギーでその作品にコミットしたかが、自然と感じ取れてしまうものなのだと思います。だからといって、職人の超絶技巧でつくられた物の価値が高くて、大量生産のプロダクトは価値が低い、ということではありません。超絶技巧と同じくらい情熱を込めて開発された大量生産品には、まさに生き様というか熱量を感じます。
    別の対比としてはたとえば、美術館で名画を観て感銘を受けたから、帰り際に売店でポストカードを買うことはすごく良い流れだと思うんです。両方あっていいことで、どちらが良い・悪いという議論自体がナンセンスだと思うんですよ。
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