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中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第2回 国産アーケードゲームを生んだ土俗祭礼の遺伝子とアメリカの幻影
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中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第2回 国産アーケードゲームを生んだ土俗祭礼の遺伝子とアメリカの幻影

2013-07-02 21:14
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちら
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar269909

    第2回 国産アーケードゲームを生んだ土俗祭礼の遺伝子とアメリカの幻影

    (前回までのあらすじ)
    1978年の『スペースインベーダー』のブームで、初めてアメリカを〝逆侵攻〟した日本のゲームカルチャー。
    その登場に至る史的脈絡は、コンピューター以前の在来遊戯文化にまで遡る。
    国産アーケードゲームの主要なプレイヤーたちは、いかなるダイナミクスの中から生まれてきたのだろうか。

    ■門前町の「屋上遊園地」から始まった業務用ゲーム文化

     日本のアミューズメント産業の創始者とされているのは、箱根の温泉街に納入する自動木馬の製作を皮切りに、1928年(昭和3年)に日本娯楽機製作所(現:ニチゴ)を創業した遠藤嘉一である。彼は1931年(昭和6年)、東京の百貨店である松屋浅草店が開業するにあたり、世界初の屋上遊園地「スポーツランド」の敷設事業を請け負っている。
     このスポーツランドこそ、のちのゲームセンターに連なる日本のアミューズメント施設の原点とも言っても過言ではない。

     もともと東京最古の寺院である浅草寺の門前町に築かれた松屋浅草は、整然とした西欧的な都市開発の進んでいた日本橋や銀座では上流階級向けの商業施設だった百貨店という近代空間を、下町庶民が気軽に行けるレジャーの場として大衆化しようという狙いで構想された店舗だった。スポーツランドは、そのコンセプトを最も直接的に担う事業として考案されたのである。
     
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