• このエントリーをはてなブックマークに追加
中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第14回 サードパーティ参入がもたらした三つのゲーム文脈の融合
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第14回 サードパーティ参入がもたらした三つのゲーム文脈の融合

2013-11-05 20:06
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちら
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar377478

    8aa8cf8ddc1847c0927862418bc7f74bf64e5b63

    第14回  サードパーティ参入がもたらした三つのゲーム文脈の融合

    (前回までのあらすじ)
    玩具シーンにおける第二次テレビゲームブームの一角をとして、
    1983年に登場した任天堂「ファミリーコンピュータ」。
    その設計思想には、アメリカ的な「パーソナルコンピューターでも
    ホームコンピューターでもない」日本家庭への溶けこみが企図される
    一方で、当時のアーケードゲームを最も忠実に再現できる機体として
    頭角を表し、『マリオブラザーズ』を中心とする二人遊びゲームの
    ラインナップで、ファミコンはブームの覇者へと駆け上がっていく。

    ■周辺機器開発とマイコン文脈の補完をもたらしたハドソン

      以上のようにファミコン発売当初の任天堂は、翌84年2月には初の周辺機器である光線銃コントローラー「ガン」とともに、かつて横井軍平が考案して人気を博したエレメカ式射撃ゲーム『ワイルドガンマン』『ダックハント』などの「光線銃シリーズ」を同ハード専用ソフトとしてリメイクするなど、玩具メーカーとしてのクオリティ感覚に基づいて制作した自社製ソフトのみでラインナップを構成していた。これは同時代に進行していた北米ビデオゲームクラッシュの原因を、質の低い他社製ソフトの氾濫を許したアタリのサードパーティ政策の失敗にあると考えた山内溥社長の判断だった。

      ただしその方針は、他のゲーム機に対する優位が見えてきた発売1年のタイミングで大きく転換していくことになる。その契機となったのが、光線銃に続くファミコン第二の周辺ハードとして同年6月に発売された「ファミリーベーシック」の開発だった。 
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    入会して購読

    チャンネルに入会して、購読者になればこのチャンネルの全記事が読めます。

    入会者特典:当月に発行された記事はチャンネル月額会員限定です。

    ブログイメージ
    Daily PLANETS
    更新頻度: 毎週火曜朝7:00
    最終更新日:2024-04-30 07:00
    チャンネル月額: ¥880 (税込)

    チャンネルに入会して購読

    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。