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『失恋ショコラティエ』から『続・最後から二番目の恋』まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による冬ドラマ総括と春ドラマ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.065 ☆
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『失恋ショコラティエ』から『続・最後から二番目の恋』まで ―― 岡室美奈子×成馬零一×古崎康成×宇野常寛による冬ドラマ総括と春ドラマ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.065 ☆

2014-05-07 07:00

    『失恋ショコラティエ』から
    『続・最後から二番目の恋』まで
    岡室美奈子×成馬零一
    ×古崎康成×宇野常寛による
    冬ドラマ総括と春ドラマ
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.5.7 vol.65

    今朝の「ほぼ惑」に登場するのは、名だたるドラマフリークの四人、岡室美奈子、成馬零一、古崎康成、そして宇野常寛。『ごちそうさん』『失恋ショコラティエ』などの話題作や今クールの期待作を語っていきます。

    テレビドラマファンの皆様、今回もお待たせしました――。
    3ヵ月に1度、名だたるドラマフリークたちが前クールのドラマと次クールの注目作を語り尽くすニコ生番組「テレビドラマ定点観測室」。2回めの今回は、冬ドラマと春ドラマを全国屈指のドラマフリークたちが語り合いました。これを読めば、より楽しいドラマライフが送れるはず!
     
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    ▼ 生放送の内容はこちらから試聴できます。
    前編
    後編
     
    ◎構成:橋本 倫史
     
     
    宇野 皆さんこんにちは、評論家の宇野常寛です。「テレビドラマ定点観測室 2014 spring」のお時間がやってまいりました。この番組は、3カ月に1回、前クールのドラマの総括と今クールのドラマの期待株についてみんなで話し合う趣旨の番組です。前回に引き続き、ドラマを語るならこの人という御三方に来ていただきました。早稲田大学教授で演劇博物館館長の岡室美奈子先生、ドラマ評論家の成馬零一さん、そしてテレビドラマ研究家の古崎康成さんです。
     皆さんには「これが面白かった」という冬ドラマを3本、春ドラマの注目株を3本、事前に挙げてもらっています。まずは冬ドラマから振り返っていきましょうか。僕は『なぞの転校生』、『明日、ママがいない』、『ごちそうさん』の3本です。

    岡室 私は初志貫徹で、前回この番組で期待株として挙げたのと同じ3本です。『なぞの転校生』、『失恋ショコラティエ』、『明日、ママがいない』。

    成馬 僕は『天誅〜闇の仕置人〜』、『僕のいた時間』、『失恋ショコラティエ』です。

    宇野 おお、そうきましたか。古崎さんは?

    古崎 『なぞの転校生』、『失恋ショコラティエ』、『ごちそうさん』の3本ですね。
     
     
    『失恋ショコラティエ』は恋愛劇を更新できたのか?
     
    宇野 じゃあ、僕以外の3人が挙げている『失恋ショコラティエ』から行きましょうかね。このドラマは話題を呼んだドラマでもありますが、古崎さんはいかがでしたか?
     
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    古崎 前回、第1回目を見た段階で期待株として挙げたのですが、全体を見終わってもほぼ予想通りの面白さでした。本作を見終わって気づかされたのは、2000年代以降、長らく恋愛ドラマ不振の時代が続いているとよく言われているのですが、それは違うのではないかということです。これまで多くのテレビドラマは美男美女の絵空事のような恋愛劇があまりに多すぎた。そのため視聴者が共感を得るような生の恋愛感覚からあまりにかけ離れていた面があるんじゃないかと思えてきました。確かに『電車男』とか『マンハッタンラブストーリー』や『モテキ』など、2000年代以降でも割と節目節目では恋愛ドラマの金字塔のような作品が出ているわけで、それにそのほかの多くの恋愛ドラマがキャッチアップ出来ていなかったのだと思うのです。『失恋ショコラティエ』も美男美女の恋愛劇ではあるのですが、その美男の松潤が泥まみれの恋愛をやっているんですよ。かっこいい松潤が赤裸々に恋愛にのめり込んでいく話になっていて、その生々しさがそれまでの壁を打破したんじゃないかな、と。ちょっと最終回はせっかくそれまで拡大した物語を急にまとめにかかったような慌ただしさでまったくもって予定調和的な収束が今一つに感じられたのですが、実は連続ドラマにとって最終回というものの比重は思ったほど大きくないものでして、最終回が記憶から薄れていくにつれ、のちに残る作品となっていくんじゃないかなと思って選ばせていただいております。

    成馬 冬ドラマの中では上位に入るドラマだとは思うんですけど、実は不満のほうが多くて、「もっと出来たはずなのに」という気持ちがあります。というのも、最初は安達奈緒子さんが一人で脚本を担当するはずだったのが、第4話から越川美埜子という方も脚本を書いているんですよね。安達さんが書けなくなったのか、アイデアが没になったのかはわからないですが、その結果、今までの安達作品に較べると踏み込みが浅いドラマとなっている。
     前回この番組を放送したときには途中までしか原作を読んでなかったんですけど、ドラマが終わったあとで最新刊(7巻)まで読んだんです。そうしたら途中まではほぼ原作通りの展開で、オリジナルなのは越川さんが担当した最後の2話、サエコ(石原さとみ)が妊娠したという話くらいなんですよね。そこから明確に物語が失速している。圧倒的に面白い原作に対してドラマがどう立ち向かったのかを考えると、出来なかったことのほうが多いんじゃないか。

    宇野 なるほどね。僕がこのドラマを挙げてない理由もそこなんです。今期の中では面白かったドラマだし、演出も意欲的だったとは思うんですよ。誰もがあこがれる美男美女を描くのではなく、そこにちょっとした残念さを付け加えることで親近感を獲得するという原作のコンセプトを、きちんと実写に置き換えている。特に松潤に“残念なイケメン”をやらせるというのは非常にうまくいっていたと思う。ただ、それ以上に何かあったかというと、「ただ過不足がない」だけという印象を受けたんですよね。

    成馬 原作のある恋愛ドラマでいうと、『東京ラブストーリー』はあきらかに原作を越えようとして作ってるじゃないですか。『GTO』もそうですよね。漫画をドラマ化する以上は、原作をなぞるんじゃなくて、ドラマならではのものを見たかったというのがあるんですよね。

    宇野 ただ、『失恋ショコラティエ』は、フジテレビにおけるキャラクタードラマの集大成ではあるなと思ったんです。2008年に月9の『のだめカンタービレ』を観たとき、僕は結構ショックだったんですよね。「フジテレビがこんなキャラクターものをやっちゃうんだ」と。本来はフジ以外の3局がそれぞれの文脈で得意としてきたキャラクタードラマで月9が久しぶりに当たった。これはフジの勝利に見えて実は敗北なんじゃないかって当時は思った。でもあれから何年も経って、フジなりのキャラクタードラマの文法が確立されたな、とは思うんですよ。妄想シーンの扱いに顕著だけれど。

    岡室 私はちょっと捉え方が違っていて、最終回が良かったんです(笑)。『失恋ショコラティエ』は、恋愛ドラマというよりも松潤の自立の物語になっていましたよね。このドラマには石原さとみと水川あさみと水原希子が出てきます。その誰かと松潤が最終的にくっつくのが恋愛ドラマだと思うんですけど、最終的には誰ともくっつかなかったでしょう。松潤は石原さとみから、水原と水川は松潤から、それぞれ自立していく。恋愛ドラマが成立しづらくなっている状況がそこにあらわれている気もして、あの終わり方は好きでした。

    成馬 あの最終回は、あらすじとしては納得するんですけど、骨組みだけ投げて終わった印象があるんです。
     このドラマがすごいのって、やっぱりサエコっていうキャラクターだと思うんですよね。えれな(水原希子)というセフレもOKみたいな先鋭的な女の子がいて、一方に薫子(水川あさみ)という恋愛に対して保守的な女性がいて、そこまではよくある対比ですよね。『東京ラブストーリー』のリカとさとみみたいな、でも、本作ではそこにもう一人サエコがいるという構図なんですけど、サエコだけよくわからないんですよね。たぶん作り手もわからなかったんじゃないかと思うし、原作者もまだ答えが出せてない気がする。でも、サエコがどういう存在かということに答えを出さないと『失恋ショコラティエ』って終われないと思うんですよね。このチームならそれができると思って期待していたのですが、その勝負を逃げたという印象がどうしても残る。

    岡室 でも、サエコさんがわからないのは確信犯じゃないですかね? 松潤も言うじゃないですか、「一生わからないだろう」って。

    宇野 原作者の水城せとなさんは少女漫画界をリードしている作家さんですけど、彼女は新しい恋愛ドラマを作ろうとしているんだと思うんです。今やもう、インターネットを通じて恋愛のあるあるネタがカジュアルに共有されるようになって、あんまりモテモテの人生を送っていなくても『失恋ショコラティエ』に出てくる恋愛あるあるネタで盛り上がれると思うんです。実際そういった消費のされ方をしているし、水城せとなさんもそこを意図して作ってると思うんですね。そこに今回のドラマが批評的に踏み込めたかというと、あんまり踏み込めなかったんじゃないかというのが僕の判断ですね。
     
     
    詩情豊かな『なぞの転校生』の“懐かしさ”
     
    宇野 次に名前が挙がったのが『なぞの転校生』ですね。岡室さん、どうですか?

    岡室 このドラマは爆発的に面白かったというわけではないんですけど、詩情豊かだったということですね。詩情が豊かなドラマって、今なかなかないんですよ。それは岩井俊二さんのテイストなのかどうかわからないけれど、好きなドラマでした。あと、本郷奏多君がすごく良かった。彼は今期の『弱くても勝てます〜青志先生とへっぽこ高校球児の野望〜』にも出てますけど、逸材ですよね。

    宇野 いや、奏多君は逸材ですよね。もう、彼の浮き上がった存在感だけでこの作品は成立している。ちなみに彼は相当なガンダムオタクで、ガンプラビルダーとしても一目置かれている存在です。「なぞの転校生」って、まず役者がいいんですよ。奏多君は大前提として、ヒロインのみどりを演じた桜井美南、彼女はナベプロが久々に力を入れて売り出している女優で、微妙にイモっぽいところがちゃんと魅力になっている希有な存在だった。他の女優陣も、正統派の美少女とはちょっと言い難いんだけれども、演出で活きるタイプの子を揃えていて非常によかったです。不良グループの樋井明日香の行き場のない感じも良かったし、アスカ役の杉咲花の芯の強い感じもよかった。

    古崎 実は前回のとき、私一人だけ『なぞの転校生』をベスト3から外してたんですよね。というのも、関西では1週間遅れて放送されていたので、第1話しか観てなかった。そのため転校生がまだ登場していなかった段階でして、第1話を観た限りは「何とまぁ辛気くさいドラマなんだろう」と感じていました。まるで『ゴーイング マイ ホーム』の二の舞ではないかと。岩井俊二さんはもともとテレビドラマの人だけれど、長らく映画をやっているうち、映画系の人がドラマを撮るとき、余計な描き込みの罠に陥りがちで、そこを懸念してしまったのですが、第2回での転校生の登場から急に物語が輝きはじめました。むしろゆったりとドラマが展開することが心地良さを生んでいた。その心地よさを視聴者と共感させてくれましたよね。そしてそれが計算でもあったわけで、後半、その心地よさがゆっくり破壊されていく。ついにはアスカ(杉咲花)の命がもう長くない、というような話が出てくる。何の落ち度もない、むしろ可愛らしいほどの存在の彼女の命があとわずかだと分かったとき、それまでのゆったりとしていた心地よい時間がかけがえのない存在に見えてくる。視聴者が劇中の登場人物の心情と共感するような演出になっていましたね。SFタッチのドラマでここまで完成度の高いものは最近あまりなかったんじゃないかという気がしましたね。

    宇野 なるほど。唯一挙げてないのは成馬さんですけど、前回の「テレビドラマ定点観測室」では注目作として名前を挙げてましたよね?

    成馬 今期は演出が良いドラマが多かったと思うんですよね。演出が良いドラマって序盤はすごく良いんだけど、中盤からだれてくるんです。『なぞの転校生』も途中からストーリーが成立しなくなって、岩田広一(中村蒼)ってこのドラマでほとんど何もやってないでしょう。広一やその幼なじみの香川みどり(桜井美南)は山沢典夫(本郷奏多)とほとんど絡まないで、勝手に平行世界から異世界の住人がやってきて、勝手に滅んで勝手に終わるって話じゃないですか。ある意味ではすごい脚本とも言えるんだけど、あんまりドラマとして褒めたくないという感じですね。

    宇野 成馬さんの言っていることは非常に正しくて、脚本はあきらかに崩壊してるんですよ。原作は平凡な男の子とその幼なじみの女の子の前に“なぞの転校生”が現われて、つまりSF的な仕掛けを使って思春期の揺らぎを描く作品だったはずなのに、今回のドラマ版では後半は完全に、転校生と彼が使える異世界のお姫様(アスカ)の物語になってしまっているわけですよね。そうやってつまんないパートは全部置き去りにして、まあ、はっきり言ってしまえば原発問題が象徴する震災以降、というテーマに取り組みたかったわけでしょう?
     でも主人公とヒロインの甘酸っぱくもほろ苦い青春の自意識のドラマを繊細に描けば描くほど、転校生とお姫様が抱えている戦争や文明といった大きなテーマと乖離していってしまう。この日常と大状況の二つがうまく結びつかないという問題は製作陣の問題というより、震災以前からこの国の想像力がずっとぶち当たっている病気の症例なんです。その症例をそのまま映し出したというのは、ある意味では誠実なんですよ。あのドラマで語られていることは、一言で言うと「震災や原発が象徴する圧倒的な現実を前にしたときに、僕たちは立ちすくむことしかできない」「思春期特有の自意識のゆらぎに、大きな問題を重ね合わせるところからはじめるしかない」ということですよね。「でも、立ちすくむところからしかものを考えるしかない」と。それは岩井さんらしい回答だし、岩井俊二からは世界がこう見えているんだということがわかるという点では面白かったけれど、もうそんな時代でもないんですよね。 自意識の問題に重ね合わせるところから出発して、具体的にどのようなかたちで大きな問題に再接続するか、というイメージももうだいぶ出てきて、そのかたちの違いを問うレベルで戦っているのが現代の想像力でしょう? 

    成馬 岩井俊二は脱原発の運動にも関わっていたから、そういったテーマがドラマの中にどう入っていくのかというところに期待してたんですよね。原作においては冷戦構造下の水爆のメタファーとして扱われていたものを、あきらかに原発のメタファーとして登場させたらどうなるんだろう、と。でも、それには答えられていませんよね。

    宇野  「圧倒的な現実を前にしたとき、僕らは立ちすくむしかない、自意識の問題に還元するしかない」という絶望を描くことは、今さらフィクションで描かなきゃいけないことではないんだよね。前提すぎる上に、とっくに乗り越えられてしまった。90年代のサブカルチャーというのは、何もかも自意識の問題に還元することで現代性を表現しようとしていたわけですよね。それが『エヴァンゲリオン』や岩井俊二の『スワロウテイル』だったわけだけど、今回の『なぞの転校生』は当時の感覚からあんまりアップデートされていなくて、しかしそれはそれでまあ少し懐かしい気持ちで観てました。

    岡室 でも、私はストーリーで持って行かないところがあのドラマのいいところだという気がしたんですよね。メッセージ的な志というのも感じなくて。

    古崎 テレビドラマは映画以上に職能的に業務が分化していて、脚本家は脚本家としてキッチリした脚本を作るという職責を果たそうとしていて、一方で監督は監督としてしっかりとした演出と映像を見せようとしていて、脚本家と監督がそれぞれ別個に仕事をこなすところがあります。それはある面では中身のある作品を作り出す源泉になっているのだけど一方の弊害として、脚本は脚本だけで独立して意味のあるものを作りがちになってしまっている。脚本だけ読むと不十分であってもそこに映像が加わることで、言語感覚を越えた奇蹟のような場面が生まれる瞬間がある。その微妙な良さをこの仕組みではカバーできていない面があるのです。結果的に監督が見せ場を作る余白のようなものが生まれづらい面があるのです。そこを『なぞの転校生』は見事に乗り越えた。あれだけゆったりした展開は恐らく脚本だけ読んでいると辛気くさいものでしかない部分があるのですが映像が加わることで1+1が100ぐらいの魅力的なものになりえています。こういうものって脚本と監督が同じなら実現しやすいのですが、今回は脚本が岩井俊二さんで監督が長澤雅彦さんで別人が担当されている。でも企画プロデュースも岩井さんなんですよね。おそらく岩井さんと長澤さんはちゃんと話し合って、余白のある脚本をもとにすることで、結果としてこういう詩的な雰囲気のあるドラマが出来上がったんじゃないかと思うんです。その結果として、テレビドラマがなかなか越えられない壁を越えた仕事になったんじゃないか、と思えます。

    成馬 皆さん、ラストはどう観ましたか? 最後のところで“アイデンティカ”――パラレルワールドを生きる岩田広一が助けにくるわけですよね。その岩田広一というのは、原作の小説に登場する岩田広一だとも言えるし、過去に少年ドラマシリーズでドラマ化されたときの岩田広一だとも言えるし、映画版に登場する岩田広一だとも言える。そういう意味では一種のメディアミックス論になっていて、これまでに映像化された『なぞの転校生』の一つ一つがこの現実の平行世界だったということを描いているわけだよね。

    宇野 でも、それはもうやり尽くされちゃってる気がするんだよね。ノベルゲームなんかがやっていたことを、10年遅れで輸入してる感じがするな。10年くらい前にナイーブな男の子の自意識を救済するために特化した可能世界論が流行ったけど、ああいった社会に溢れかえっているマッチョ願望を弱めの肉食系がどう回復するか、なんてくだらない問題意識は震災後の世界では、というか大状況を前にしては無力であるということが証明されたというのが僕の感想ですね。。

    岡室 私は本当に、震災に応答しているドラマというふうには全然観てなかったんですよね。岩井さんって基本的にリリカルな人じゃないですか。リリカルな作品を作るのはなかなか恥ずかしいんだけど、それをキッチリやっているところが私は好きだったんです。
     
     
    『明日、ママがいない』に見る野島伸司の美学
     
    宇野 他にかぶっているのは『明日、ママがいない』ですかね。岡室さん、いかがですか?

    岡室 あのドラマはまず、芦田愛菜ちゃんをメタ的に使っているところが面白かったですよね。ここ数年のドラマの傾向として、血縁関係や法的な結びつきとは関係のない家族のあり方を描く作品が増えていますよね。このドラマもその一環という気はしていたんですけど、決まりかけていた瞳(安達祐実)とポスト(芦田愛菜)の養子縁組を断って、「虚構の家族は駄目だ」という話になる。でも、その一方で、グループホームの施設長である佐々木(三上博史)が「おまえは俺の娘だ」と言って終わっていくのは謎ですよね。佐々木とポストの関係だって虚構の家族なのに、そっちはオーケーなのか、と。

    宇野 野島さんって、本当はずっとああいう事を描きたかったんだと思うんですよね。『人間失格』なんかでも、いじめで家族が壊れてしまって、悪いことをしていた先生が死んだあとに、残された人々がトラウマを抱えながら生きていくところを描いてもよかったと思うんです。でも、それを具体的なコミュニティとして描くと嘘くさくなる――それが当時の野島伸司さんの美学だったわけですよね。ところが、それがここ数年で変わってきて、香取慎吾君が主演の『薔薇のない花屋』になると、壊れてしまった人たちが支え合って生きていく共同体に着地している。今回の『明日、ママがいない』では、かつて自分が描いてきた世界に対する批評を取り込んで、そうした共同体をストレートに描いているなという気はしたんですよね。

    成馬 放送開始直後にクレームがついて、騒動になりましたよね。そうしたハプニングをどうドラマの中にフィードバックして盛り上げていくのかと楽しみにしてたんですよね。第6話で魔王(三上博史)が大演説をするんだけど、あれは明らかに抗議に対する反論だったでしょう。「大人の中には、価値観が固定され、自分が受け入れられないものをすべて否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくる者もいる」と。でも、騒動になったわりに視聴率は伸びなかったですよね。

    宇野 結局、騒いでいたのはドラマに興味のない人たちですからね。

    古崎 ただ、赤ちゃんポストという実在する団体を特定できてしまうものを深く考えず扱ったのは良くなかったですね。赤ちゃんポストをやっている病院をモチーフにしたドラマでは昨年、芸術祭優秀賞を受賞した、『こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜』という作品がありますが、その中でも施設側が真摯に問題に取り組もうとしている一方でマスコミによる興味本位の報道ぶりも少し描かれています。児童養護施設による児童虐待が現実に多く存在しているのは事実ですが『こうのとりのゆりかご』の団体が児童虐待をやっている事実はないわけでそこは配慮不足だったと言わざるを得ないでしょう。事前に企画書を見せて取材するとかそういうこともやっていない。これらを考え合わせると『明日、ママがいない』の序盤は話題性を得ようとするがあまりセンセーショナリズムに走りすぎの印象を受けました。騒ぎになったあと、時間もない中でできる限り改善を検討して実行した作り手の取り組みは誉められていいと思います。よく健闘していました。多少寓話的すぎる展開とはいえ、見応えのある部分もありました。ただ、だからこそ冒頭の暴走が残念でなりませんね。トータルとしてのまとまりも当然不十分なままでした。テレビマンはもっとテレビの持つ影響力の大きさを考えていく必要があるとは思いますね。もちろん過度に慎重になる必要はないのでしょうが、弱い立場で地道に頑張っている人を後ろから邪魔するようなことをしてはいけないのではないでしょうか。
     
     
    『ごちそうさん』の戦後編は何を描いたのか
     
    宇野 僕と古崎さんが挙げているのが、『ごちそうさん』ですね。古崎さん、いかがですか?

    古崎 1月期はそんなに面白いドラマが多かったわけではないので、3本選ぶとすれば『ごちそうさん』も入ってくるのかなということで名前を挙げたんです。

    宇野 実は僕もそうなんです。

    古崎 『ごちそうさん』はですね、伏線の張り方も見事だし、話の展開にも意外性があって最後まで楽しませてくれたし、朝ドラのフォーマットに乗りながら、そのフォーマットをアップデートしたという点で高い評価をしたいところなんですけど、『あまちゃん』のように朝ドラマの世界をググッと押し広げてくれるような面白さはちょっとなかったかなという気がするんですよね。

    宇野 そうですね。『あまちゃん』が作品とその外側にある現実を繋げて物語を作っていたドラマだったのに比べると、『ごちそうさん』は良い意味でスタジオの中で閉じていて、しっかりと見せるドラマになっていました。役者も良かったと思うんです。キムラ緑子の代表作と言える作品になったと思うし、杏も良かったし、源ちゃんを演じた和田正人は特撮ファンにはおなじみの役者ですけど、彼もだいぶ株を上げましたよね。ただ、あえて難点を挙げるとすると、最後の1週がほんとに伏線を回収して終わってしまって、あのスタッフと役者陣ならもうちょっと頑張れたんじゃないかという感じはする。
     『ごちそうさん』の後半のポイントの一つは、め以子(杏)の娘・ふ久(松浦雅)ですよね。彼女は親から科学する精神みたいなものを受け継いでいたんだけれども、戦争で一度折れてしまっていたわけですよね。その情熱が戦後になって復活して、自然エネルギーの開発をやりたいと言い出すんだけど、ここでスタッフのメッセージが明確に浮かび上がったと思うんです。『ごちそうさん』というドラマを作るときに、昔ながらの朝ドラとして女の一代記をオーソドックスに作り上げることもできたんだけど、それをちゃんと現代に繋いだというのは非常に良心的だし、優秀な作品だったと言える。

    岡室 『ごちそうさん』が面白かったのは、登場人物を俯瞰的に見ているところなんです。夫の浮気だったり嫁イビリだったり、ドラマのネタになりそうなことはたくさん起こるわけですよね。でも、ドロドロとした方向には行かずに、距離感を持ってそれを眺めている感じがする。そうしてめ以子の人生を淡々と眺めているようなドラマの中に、いろんな広がりの要素が入ってくるんです。
     『雲のじゅうたん』以来、朝ドラには職業路線がずっとあって、職業か主婦かという二つのあいだで揺れてきました。でも、め以子になると、そういうことはもうどうでもいいんですよ。家にいてごはんを作っているだけなんだけど、それが仕事にもなったりするわけです。それにめ以子は資質としては科学者なんです。おにぎり一つ握るのでも、いろんな塩を使い比べて、比較検討し、吟味していく。宇野さんがさきほどおっしゃったように、そうした科学的精神が娘のふ久に受け継がれていくという話が淡々としたストーリーの中に組み込まれて、現代のエネルギー問題にも繋がっていく。め以子はいろいろな人やものを料理で繋ぐハブなんです。すごく上手い脚本だなと感じましたね。

    成馬 基本的に完成度の高いドラマだということはわかるんだけど、最後がひっかかるんですよ。まず、戦後編が長いですよね。1週間で終わっていいところを、だらだら1ヵ月も続けてしまっていて、しかもなぜかめ以子が反米を叫んでいる。物語の流れとして、次男の活男(西畑大吾)が死んでしまったことが原因というのは理解できるけど、そこが引っ掛かるんですよね。『ごちそうさん』において、め以子は正義の暴力性を常に背負っている存在で、今までは常に傷ついている誰かを無自覚に追い込んで行く存在として描かれていたわけですよ。それを突き詰めていくと、戦争を後押しした大衆というものを描けたんじゃないか。これまでの朝ドラは戦後民主主義の象徴として善良な女の子を描いていたのに対して、『ごちそうさん』は朝ドラヒロインの善良性を、加害者のものとして描けたはずなのに、活男を送り出す場面でのめ以子の立ち位置を曖昧にした結果として戦後編が中途半端になったのかなという感じがします。婦人会のニュートラルな描き方が、すごくいい線いってただけに惜しいです。序盤の和枝との対比として、子どもを戦地に送り出すことで活男を殺してしまっため以子のドラマが、もっと深く描けたはずなのに。

    岡室 活男は、「料理が作りたい」と言って戦争に行くわけですよね。海軍に行けば料理修行ができる、と。め以子は最初反対してたんだけど、結局行かせちゃうじゃないですか。だから活男は死ななきゃいけなかったんだと思う。め以子は活男を死なせてしまったという罪悪感を背負わされるんだけど、それを反米を叫ぶことに転嫁していたわけです。ところがある日、アメリカの将校さんがやってきて、「自分の息子も料理が好きだったけど、戦争に行かせたせいでパール・ハーバーで死んだんだ」という話を聞いて、そこでめ以子もようやく覚醒する、と。

    宇野 本当は活男を死なせない選択肢もあったはずなんだけど、死なせるほうが誠実だとスタッフは考えたんだと思います。結果的に戦争というテーマをうまく扱えたとは言い難いんだけど、そのテーマに踏み込まないよりはよかったんじゃないかな。

    岡室 活男を死なせたのは、死んだ人に「ごちそうさん」と言わせたかったからでもあったと思うんです。「死んだ人は美味しいものを食べに帰ってくる」という中国の話も出てきますけど、死者まで含めて料理でもてなすというか、そういう世界を描きたかったんじゃないかという気はしますけどね。

    成馬 これは『ごちそうさん』に限らないですけど、関東大震災から戦争にいたる流れを描くことで現代が描けちゃうんですよね。NHKでやっていた『足尾から来た女』も、足尾銅を原発と重ねて描いてたけど、ああいうことをやっても齟齬がないということは、今はちょっとめんどくさい時代なんだなと思いましたけど。

    岡室 「ごちそうさん」は、すごく意識的に現代にリンクを張っている感じがしました。ただ、どこがゴールみたいな話ではないから、最終週で盛り上げるということにはならなかったですよね。悠太郎の帰還を淡々と描いたのはよかったけれど、たどり着いたところが「蔵座敷でお金持ちに料理を出す」というのでよかったのかどうか…。そこはよくわかりません。

    宇野 め以子というヒロインは、あんまりパブリックなものに向いてないと思うんですよ。実際、彼女が守ってきたものは家族や仲間たちのコミュニティで、『ごちそうさん』はそれを肯定したいという気持ちが強かったわけですよね。そういう意味では、お店を出すと言っても蔵座敷でやるというのは良くも悪くもめ以子らしいという気がするし、もっと言ってしまうと戦後日本っぽいんです。パブリックなものは育たないで、ローカルな寄り合いだけが力を持っていくわけですからね。
     
     
    『僕のいた時間』に登場する、バックボーンの見えない不気味なキャラクター
     
    宇野 次は成馬さんの挙げた『僕のいた時間』に行きましょう。

    成馬 これを挙げたのは、『明日、ママがいない』を挙げなかったことへの答えでもあるんですよね。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を題材にしたドラマなんですが、ちゃんと取材して、日本ALS協会の協力も受けて作ったすごく誠実なアプローチのドラマです。僕は本来、こういう難病モノは好きじゃなくて、「僕シリーズ」もはっきり言って好きじゃないんですけど、それでもこの作品は最後まで楽しめて、それはチーフ演出の葉山裕記さんがニュートラルな少し引いた距離感でドラマを見せていたからだと思います。面白いのは二部構成になっていて、三浦春馬演じる主人公が「僕はALSです」と告白して、そこでガラッと世界観が変わるんです。それまでは小さな悪意がブツブツ出てきて、いつか爆発するんじゃないかという不穏な空気が漂っていたんですけど、病気を告白することでガラッと変わるんですよね。

    宇野 後半、主人公が病気をカミングアウトすると登場人物がほぼ全員急にいい人になるんだよね。僕は多部ちゃんが好きだからそれだけで最後まで観るわけなんだけど――いいんだよ、いいんだけど、「ここから先は踏み込まない」という線を最初に引いていて、そこから本当に一歩も出なかった気がするんだよね。これと比べるのはどうかと思うけど、24時間テレビの2時間ドラマで放送された『車イスで僕は空を飛ぶ』と並べたときに、『車イスで僕は空を飛ぶ』のほうが制約が多かったはずなのに踏み込んだ作品になっていましたよね。『僕のいた時間』は意図的に踏み込まずにきれいに作ってはあるんだけど、そこに物足りなさを感じたかな。

    岡室 私もまったく同じ感想です。脚本を書いているのは橋部敦子さんで、橋部さんらしい細やかさに溢れていました。病気のことをとても細やかに描いているのは良かったと思うんですけど、宇野さんがおっしゃったように、皆があまりにもコロッと良い人になっちゃうんですよね。主人公の拓人(三浦春馬)はたくさん痛みを抱えていたはずなのに、病気になった途端に病気以外の痛みがどんどん消えていっちゃう。それはどうなんだろうと思いました。

    宇野  『車イスで僕は空を飛ぶ』だったら守(風間俊介)は自殺してますよね。

    成馬 印象に残っているのが、拓人の弟・陸人(野村周平)。あれは明言されてないけど、軽度のアスペルガー症候群だと思うんですよね。人の気持ちがわからなくて、無神経なことをつい言ってしまう、と。陸人みたいな人間を近年のフジテレビのドラマは積極的に描こうとしていて、葉山裕記さんがサブで演出に入っている『大切なことはすべて君が教えてくれた』の三浦春馬が演じた柏木修二もそうだし、『それでも、生きてゆく』で、風間俊介が演じた三崎文哉もそうですよね。その行き着いた先が陸人君だったのかなという気はします。彼みたいな存在を破滅させないで、「ぼくは人の気持ちがわからないところもありますが、よろしくお願いします」と言わせて、職場に適応させる最終話も含めて、すごく面白かった。

    宇野 ただ、陸人や守のようなキャラクターを描くんだったら、オタクというものをちゃんと調べたほうが良い気はするんだよね。橋部さんって、思春期にある普遍的な気持ちの動き方を拾って、描写の一つ一つから共感を生み出すというのが得意な人だと思うんですよ。その描写にリアリティはないんです。陸人と恵(多部未華子)がくっつくスピードだって遅過ぎるし、そこにリアリティはないんだけど、細かい台詞回しや感情の流れを作るのがうまいから共感できるというのが橋部さんの脚本の良いところで。

    古崎 おっしゃる通り、橋部さんはリアリティを越えたところにある普遍的な感情を捉えるのが非常に巧みな作り手で、それゆえ会話劇を楽しく観せる力を相当持っておられる。ただ、そういう力があるがゆえにそれに頼りすぎている面があって時にもったいないと思うことがあるんですよね。言葉ではなくもっと映像の力を信用したらどうかと思ってしまうことが多々ありますね。本作でも終盤、主人公の拓人は病気になったおかげで両親とも理解し合うことができたし、周りの人とも積極的に関わることができるようになって、むしろ病気になることによって得たものが多かったという印象を見た者が持つように作られている。それはこの作品の描きたい主題に関わる部分だと思えるのですが、それを最終回で三浦春馬君が講演会という場でそれをそのまま口にしてしまうのですよね。それは直接語ると味気ないことこの上ないでしょう。語らずともドラマを観ている我々が感じ取っていくべき部分のはずなのに、視聴者や映像の力をあまり信用していないのか、すべて脚本に放り込んでしまう。だからイマジネーションによる広がりというものは少なかった。それが非常にもったいないという気がしますね。本作に限らず前々から感じられる傾向なんですが。

    成馬 でも、それは演出レベルで結構やってましたよ。三浦春馬の表情だけの演技もいっぱいあったじゃないですか。

    宇野 ちょっとね、作り手が春馬君演じる主人公のことを好き過ぎるんだよね。最後に主人公が物語全体を総括するような演説をするって、普通に考えたら最悪じゃない? ああいうのは冷めるんだよなあ。
     
     
    『天誅〜闇の仕事人〜』のカルトな仕上がり
     
    宇野 まだ話していないのは、成馬さんが挙げた『天誅〜闇の仕事人〜』ですね。

    成馬 皆さん、これはたぶん観てないですよね?

    宇野 ちょっと観てないですね。

    成馬 金曜日の8時からやっていたドラマなんですけど、泉ピン子が主人公というのはドラマとしてはリスキーで、誰が観ても『渡る世間は鬼ばかり』を連想してしまうわけですよね。でも、このドラマはそういうピン子の「渡鬼」的なイメージを逆手にとってそこに、デートDV、援助交際、オレオレ詐欺といった現代のブラックな状況をぶち込んでるんです。しかも、戦国時代からタイムスリップしてきた女忍者がいて、そこに京本政樹や柳沢慎吾、三ツ矢雄二といった個性の強い役者が集まってきて、秘密結社のようなグループを組織して現代の悪と戦って行くんですよ。これを普通にやったら明らかに破綻するんだけど、チーフ演出の西浦正記さんが力技でまとめあげている。西浦さんは凄く力のある演出家で『大切なことはすべて君が教えてくれた』や『リッチマン、プアウーマン』のチーフ演出だった人なんですけど、そういう意味では今期のドラマは、安達奈緒子さん、葉山浩記さんと、『大切な~』組が大きく活躍したクールだったとも言えます。視聴率や話題性では裏番組の『三匹のおっさん』に負けているんだけど、向こうが「ファミリーで観られるものを」という要請に応えてうまくまとめたドラマだったのに対して、こっちはやりたいことがめちゃくちゃだったせいでカルトな作品になっていたんです。

    古崎 私はちょこちょこ観ていたんですけど、たしかに伝説になりそうなドラマでした(笑)。

    成馬 すごいカルトですよね。「必殺シリーズ」とかが好きな人は楽しめると思います。

    古崎 昔、7時台とかに30分もののドラマをやってましたよね。『スケバン刑事』とか。そういうものに近い試みではないかと思いますね。もっとやって欲しいという意味では良いドラマだったと思います。
     
     
    成り上がり物語としての『花子とアン』
     
    宇野 ここまで冬ドラマの総括をしてきましたが、引き続き春ドラマの期待株について話していきたいと思います。僕の3本は『続・最後から二番目の恋』、『ロング・グッドバイ』、『極悪がんぼ』ですね。
     
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