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現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第4回:「アルテス・メカニケーへの回帰」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.194 ☆
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現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第4回:「アルテス・メカニケーへの回帰」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.194 ☆

2014-11-05 07:00

    現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』
    第4回:「アルテス・メカニケーへの回帰」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.11.5 vol.194

    現代の魔術師・落合陽一連載『魔法の世紀』 第4回:「アルテス・メカニケーへの回帰」
    今日のほぼ惑では、大好評の落合陽一さん連載第4回をお届けします。 産業革命以前の世界では未分化だったデザインとエンジニアリングとが、ふたたび融合する「魔法の世紀」で基礎となる、エクスペリエンスドリブンの時代のものづくりの思想とは? チャンネル会員限定公開部分では、さらにこの時代だからこそ必要な工学的知(アルテス・メカニケー)へと回帰するスキルについて解説します。

    ▼落合陽一による『魔法の世紀』
    前回までの連載はこちらから

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    前回、メディアアートについて言及した際に、「その中で魔法の世紀のメディアアート、サービス、テクノロジーは自らの存在価値をみずからが作り出し、プレゼンテーションするものでなくてはなりません」と述べました。
    映像の世紀においては、商品の価値が漸進的に変化していき、ひとつの大きなもの、我々の共通する文脈に根ざした広告を打つことが、購買行動につながっていきました。しかし、魔法の世紀のプロダクトは、それとは違うロジックで世に出ていくものになります。
    なぜならば、共通の文脈が消失してゆく「魔法の世紀」では、個々のコミュニティや個々の興味は島宇宙化しているので、プロダクト自体が自らの文脈と、その文脈の中で自分がいかに有用かを述べることがなければ、価値あるプロダクトだと意識されることがなくなってしまうからです。
    それはなぜなのか、そしてそこにはどのようなからくりが隠れているのか、ここからは魔法の世紀のプロダクトを何が支えているのかと、その背後にある思想について語ろうと思います。そこからは、制作物における「表層」と「深層」の変化が見えてくることでしょう。

    まず今回は、プロダクトを作る行為、デザインとエンジニアリングについて考えます。
     
     
    デザインとエンジニアは「技術」と語源が違う
     
    例えば近年、「デザインエンジニアリング」という言葉が流行したり、IDEOなどのデザインファームが一世を風靡して、「デザイン」の領域が経営判断にまで関わるものになりました。
    この変化には、実はコンピュータが関わっています。とすれば一体、この「魔法の世紀」の中で、デザインとエンジニアリングという業態は、コンピュータによってどう変わっていくのかが気になります。

    そもそも、実はデザインとエンジニアという言葉は、本来の意味での「技術」の定義には関係がありません。
    技術という言葉は、ギリシア語のテクネーという言葉に語源を持ち、本来は現代でいうところの人文科学や自然科学まで含むような、人間の英知全般を指す言葉でした。それが様々な紆余曲折を経て、ドイツ語の「テヒノロジー」という言葉に行き着くことで、日本語の「技術」という言葉に似た意味を持つようになったものです(※註1)。
    でも、デザインやエンジニアは違います。デザイン(Design)は下(De)に印(Sign)をつけるという言葉であり、テヒニーク(Technik)における対象物の設計という一分野を指す言葉でした。エンジニアという言葉の誕生については諸説ありますが、ラテン語で「天才」という意味の言葉のインジニウム(Ingenium)が転じて、エンジニア(Engineer)になったという説が有力なようです。つまり、語源学的には、全くテクノロジーから派生したものではないのです。
     
    (※註1)少し歴史の話をします。興味のある人は読んでください。
    このテクネーという言葉は、ラテン語に輸入されて、まずアルス(Ars)という言葉になりました。テクネーという言葉は、英語でいうところの、アート(Art)とクラフト(Craft)の二つの意味を持つ言葉だったのですが、アルス(Ars)はクラフトとほぼ同義でした。それがフランス語に輸入されアール(Art)になり、英語に輸入されたとき、再びアート(Art)とクラフト(Craft)に分解されたということです。
     
    ところが、この本来の意味での「技術」とは違う出自を持つ、デザインとエンジニアが脚光を浴びる時代がきました。そして、技術のイメージはこの二つの言葉が意味するものに近づいていきます。それが、産業革命でした。
     
     
    デザイナーの誕生――バウハウスの産声
     
    産業革命は、モノを消費する時代をもたらしました。大量生産の時代の始まりです。

    かつてモノ作りは、マニファクチュア(問屋制家内工業)に代表される、意匠も機能も総合的に制作するものでした。しかし、産業革命以降は、生産工程を機械が切り離して行うようになってしまいました。統合されたものづくりとしてのクラフトマンシップから、生産活動が分離されたわけです。
    その結果、残された意匠や機能について考える「専門家」が必要になってしまいました。そこで登場したのが、意匠について考えるデザイナーと、機能について考えるエンジニアです。

    一方で、粗悪な製品が世に溢れることで、かえってかつての精巧なクラフトマンシップを取り戻そうとする運動(アート・アンド・クラフツ運動)がドイツで始まりました。それが、有名なデザイン専門の教育機関であるバウハウス(bauhaus)です。当時のアート・アンド・クラフツ運動を先導したのが、主だって建築家(※註2)だったこともあり、バウハウスのデザイン教育は、建築学(古典的&統合的デザイン教育)、グラフィックデザイン(印刷時代に必要なデザイン学)、プロダクトデザイン(大量生産時代に必要なデザイン学)を中心としたものでした。特に僕たちの議論で重要なのは、グラフィックデザインとプロダクトデザインの教育です。これは非常に真新しく、重要なものでした。
     
    (※註2)バウハウス(bauhaus)とは、bau-haus(house of construction)は、建築の家、建築の学校を意味します。
     
    実はバウハウスがこのときに行ったことは、クラフトマンシップを取り戻すという話とはある意味で裏腹でした。産業革命以降の世相を踏まえて、モノと抽象的な意匠や外見を区別することを理論化して、その手法を教育したのです。このときにデザインは生産やモノ作りの工程と、ハッキリと分離されました。例えば、グラフィックデザインは印刷物というメディアと、デザインされたコンテンツを分離しています。プロダクトデザインは、プロダクトの生産工程やコストと、外見や機能を分離しています。
    バウハウスは第二次世界大戦期に解散しました。しかし、当時の教員や卒業生は世界各国に渡ることになり、デザインという概念が世界中に浸透していきます。かくして、デザイナーとは大量生産品をデザインするか、大型のプロジェクトや価格の高いものをデザインする職業となります(産業革命以前の意味でのデザインの定義とは、後者の仕事でした)。

    しかし、このデザインという概念は、1970年代に再び大きな変化を蒙ります。次に起きたのは、生産工程とデザインの「価値」の乖離――すなわち「ブランド」の登場です。

    例えばここでファッションの例をとりますが、1970年代以前の洋服市場には大量生産品かオートクチュール(haute couture、高級服:とりわけ仕立て服)しか存在しておらず、現在のような高いブランド服は存在しませんでした。いわゆるパリコレは昔からありましたが、それはまさにパリ・「オートクチュール」コレクションであり、高い技能と文化的先見性を持ったクラフトマンが先見的なデザインを発表する場でした。
    そこに登場したのが、プレタポルテ(pret-a-porter、高級既製服)という概念です。プレタポルテ(pret-a-porter)とは、フランス語で予め用意された服(prepare to wear)、すなわちレディメイド(ready made)を意味する言葉です。前回の連載では、デュシャンの『泉(レディメイド)』を語りましたが、これは20世紀における重要概念の一つです。大量生産の中で、大量生産されたモノの価値を問うということが当時のパラダイムの一つなのでした。

    その結果、1970年代に入り、パリ・プレタポルテコレクションが始まります。
    そこでの高級既製服は「映像の世紀」がもたらしたマスメディアに乗って、世界中に届けられるようになりました。プレタポルテは既製服にもかかわらず、その先進的なデザインから、市場に歓迎されました――ブランドデザインの誕生です。
    消費者は大量生産された安い既製服ではなく、自己表現や自己実現の手段として、ブランド服を購入するようになったのです。当然、実際の価値とデザインによって高められた価値が乖離するようになります。既製品にも関わらず値段が高い。その価値の差を埋めるのが、ブランドの信用です。このときから、「ブランド=高いもの」というイメージがつきました。それによって、デザイナーとは、技能と意匠の信用によって富を稼ぐ職業になったのです。

    では、エンジニアリングはどうだったのでしょうか?
     
     
    エンジニアリング――現代における二つの意味
     
    映像の世紀においてのエンジニアリング。まず重要なのは、技術そのものが富を産むようになったことです。
    特に、特許の誕生は発明者に多額の富を与え、社会に雇用を発生させました。そこで登場してきたのが、日進月歩するテクノロジーを使いこなすことが出来る職業としての、エンジニアです。技術学についての造詣が深く、技巧を持った人たちです。現在、エンジニアは高い需要のある、市場価値の高い職業になっています。それは、産業革命以後の機械ベースの社会がもたらした必然です。それはコンピュータドリブンの今になっても変わっていません。

    しかし一方で、テクノロジーのコモディティ化も起きています。高度なテクノロジー以外は、先進国ではない国へとアウトソーシングして、安く済ませることが出来るようになったのです。言わばテクノロジーが進化した結果、テクノロジーを発展させてメンテナンスするエンジニアという存在そのものを必要としなくても廻るように、進化していき始めているとも言えるでしょう。

    ここにきて、エンジニアリングは二つの意味を持ち始めました。

    一つは、ディベロッパーとしてのエンジニアリングです。ディベロッパーとは、今ある技術をどうやって展開(develop: 展開の意)して行くかがポイントの仕事なので、テクノロジーが扱う領域をどう広げていくかが重要になっていきます。それは本質的に工学であり、先行投資と問題解決がモノを言います。そのため、一事業一事業にそういった多大な投資が難しく、大学、研究所や利益をあげる事業が堅い企業(ブランドが確立した家電企業、自動車、製薬会社、検索エンジンのGoogleなど)に限られた仕事です。
    もう一つの方が、多くのエンジニアにとって身近な話でしょう。それは今ある技術を継承し、小さな改良を続けていく領域です。企業が今ある事業領域の中で技術を継承し、大きく転ぶことのないプロダクトを生産し続けていくとき、企業の中でエンジニアは、そのパイの中で漸進的にモノ作りをしていくことになります。

    ここは今まで日本企業が得意としていた領域でした。しかしながら、それも今、コモディティ化して競争が熾烈化しているように考えられます。なぜなら、この戦略が市場で成立したのは、企業内のノウハウが、富とインフラとともに先進国の中にパッケージされていたにすぎないからです。それがコモディティ化してしまい、少々安い、少々速いという程度では売れなくなってしまった。ここは日本が現在、モノつくりで窮地に立たされている理由の一つです。

    しかし、漸進的なエンジニアリングでも価値の下がってこなかったテクノロジーが存在します。例えば――その一つが、機械時計です。これを例に、ここから現代におけるエンジニアリングの、デザインやブランドとの関わりを探って行きたいと思います。
     
     
    価格の下がらないプロダクトとは
     
    今、世界ではスイス時計が復権しています。

    1970年代、いわゆる水晶発振式のクォーツ時計と電子回路技術の進化により、非常に高精度の時計が、安価に作れるようになり、スイスの時計メーカーに大打撃を与えました。セイコーのクォーツ時計によるクォーツショックです。
    ところが、今や日本の腕時計は主流から外れてしまいました。なぜでしょうか。いくつかの理由があります。まずひとつは、クォーツ時計の低価格競争で、価格を下げたフィールドで戦い続けることができなかったことです。中国やアジア各国で作られるクォーツ時計が主流になってしまいました。
    しかし、ここでの議論で重要なのは、もうひとつの理由でしょう。1980年代になると、精度こそ高くないけれども、デザインの良さや機械式の暖かみといった特徴を持つ、機械時計の良さが再評価されるようになったのです。そして、機械時計のムーブメントをエタ社がライセンスで提供するようになり、コストの高すぎない機械時計がブランドデザイン品として復興しました。

    機械式腕時計は、価格が下がらなかった製品の象徴です。そもそもアート&クラフツ運動の始まる前でも、機械時計は上のデザイン/エンジニアリングとは毛色の違う進歩をしていました。また、有名なアブラアム=ルイ・ブレゲが考案したと言われているトゥールビヨン機構を内蔵した時計は、現在でも1000万円以上の高値で売られています。中国産で20万円程度の価格のものも出て来ているのに、この価格帯を維持できているのです。

    ここから見えるのは、三つのポイントです。
     
    1.時計というニッチな市場の中で、既に漸進的エンジニアリング(クォーツ時計)のみの部分は価格破壊でやられてしまった。
    2.エンジニアリング×ブランドデザインのものは一旦打撃を受けたが、復活した。
    3.それによってアート&クラフツ的な高付加価値時計というジャンルはいまでも存在している。

    ここでキーになるのは、エクスペリエンスという言葉です。ユーザーは「狂わない時計」という「テクノロジー」が欲しかった訳でなく、つけていると心地よい「エクスペリエンス」が欲しかったのです。

    ちなみに、最近出たApple Watchは中価格帯のブランド式腕時計の広告を意識して、戦略を打っています。
    それは、現在のAppleが最もしてはいけないのは、セイコーと同じ轍を踏むことだからでしょう。現代の高付加価値型企業は、価格競争で戦っても体力が持ちません。家電製品の論理ではなく、ブランド品の論理で、戦っていかなければならないのです。
    そもそも腕につけるコンピュータという発想そのものは、腕時計がまさにそうである以上、極めて古くからあるものです。だからこそ、Appleは非常に単純な差別化の解決策をとったとも言えるでしょう。ブランド品と同様の戦略で発売して、コンピュータではなく時計のデザイナーを起用したのです。つまり、ブランド的あり方を保持したまま、そこにテクノロジーを内包することに成功したのです。
     
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    最終更新日:2024-09-03 07:00
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