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記事 11件
  • ニューヨークのイノベーションシーンについて(中編)|橘宏樹

    2023-04-07 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回は、世界最高峰の研究機関で、日本の「理研」とも共同研究を行っているブルックヘブン国立研究所について紹介します。最先端の物理学研究が持つ実利的な側面と、それを国際競争に応用する日米それぞれの戦略とはどんなものなのでしょうか。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第9回 ニューヨークのイノベーションシーンについて(中編)
     おはようございます。橘宏樹です。4月のNYはさすがに暖かくなってまいりました。うっかりダウンなんて羽織って通勤してしまえば、オフィスに着くまでには汗ばんでしまいます。
    ▲国連本部近くの静かな公園。ようやく春がやってきました。
    ▲トランプ前大統領の刑事起訴の発表直後のトランプタワー前。大勢のメディアの前で反トランプ派の人物がアピール。
  • ニューヨークのイノベーションシーンについて(前編)|橘宏樹

    2023-02-21 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回はジョンソン・エンド・ジョンソンの社内体制から、アメリカ企業のイノベーション・エコシステムについて分析します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第8回 ニューヨークのイノベーションシーンについて(前編)
    ▲トルコの国連代表部・在米トルコ人協会の前。被災した母国に物資を送る作業が昼夜問わず行われています。
     おはようございます。橘宏樹です。2023年も2月に入りました。昨年末は寒波に襲われたかと思えば、1月は雪ひとつふらない暖冬でした。そのくせ今月に入ると、体感マイナス20度級の極寒日が続きました。なんとも寒暖差が激しく、体調を崩しやすい日々です。
     年末年始は育休を取得しており、更新が少し滞りました。子育て経験がおありの方はよくご存知のとおり、毎日毎日、ミルク、おむつ替え、寝かしつけの無限ループが続き、夜中も2時間置きに対応せねばならず、慢性的な寝不足で毎日朦朧としていました。  妻の「手伝い」ではなく、父親として、当然子育てをしているという主体的な意識を持ちつつも、やはりこの局面では、父は母の指揮命令下に入った方が合理的ですし、夫としては、妻の基準で妻のやりたいようにできること、また彼女の負担を最大限減らすことが重要だと考えまして、なるべくサポート業務に従事するようにしました。例えば、赤ちゃんの風呂上がりにバスタオルを敷いて周りにパウダーやクリームやら蓋を開けておいて待ち構えるとか、次の次のミルクの下ごしらえをするとか。おむつ替えや授乳や寝かしつけといった「基幹業務」も妻の2/3くらいはできたかと思います。特に、心がけていたのは、判断を都度都度仰ぐのは鬱陶しかろうと思って(この涎掛けでよいか、とか、靴下は必要かとか。)、妻の望みを毎瞬先読みしつつ、自分の裁量で動くようにしていました。自分の生活リズムを完全に崩され、常に気忙しく、クタクタでした。日中も本当に朦朧としていて、役に立たない時間や、至らないことも多かったと思います。
     現在日本に一時帰国している妻からは、僕がおらず大変だ、育休期間は助かっていたんだなと今はよくわかる、という言葉をもらいまして、ちょっとは癒されている今日この頃です。ともかく、赤ちゃんは可愛いどころの騒ぎではない存在ですね。親になるとはどういうことか、こういうことだと言葉で言い表すのは難しいですが、なにかしら実感が胸の奥でふつふつと醸成されてきているのは感じます。
     さて、本題ですが、今号から3回に渡って、ニューヨークのイノベーションシーンについて取り上げたいと思います。
    1 ジョンソン・エンド・ジョンソン(JLABS@NYC)からの学び
     皆さんはジョンソン・エンド・ジョンソン(以下J&J)という会社をきっとご存知だと思います。バンドエイドやベビーパウダー、コンタクトレンズ、そしてコロナワクチンで有名ですよね。1886年創業の同社は、初期はもっぱらガーゼや包帯をつくっていましたが、約150年経った今、ご存知の通り、コロナワクチンをも製造する最先端の医薬品メーカーになっています。この成長力の秘密はどこにあるのでしょうか。それは、戦争のたびに売上を増やし、資本力をテコに買収を繰り返したからだ、と片づけてしまう方もおられるかもしれません。それはそれで否定されないと思いますが、先日、J&Jのインキュベーション施設「JLABS@NYC」を見学する機会を得まして、どのように買収の目利き力を養っているか、買収先との関係を築いているか、に関するあたり、もうちょっと高い解像度で、J&Jの発展の秘訣を見つけられたような気がしましたので、簡単に共有したいと思います。
    ▲JLABS @ NYCの紹介動画
    ▲JLABS玄関。白い箱は動画通話専用ルーム。
    ▲JLABSのコモンルーム。ヴェルヴェット生地のソファーが放つ光沢がゴージャスさを醸し出しつつも、華美過ぎず、リラックスできる雰囲気。入居しているベンチャー企業が打ち合わせやイベントに活用。
    ▲内部には研究設備が整う(JLABSウェブサイトより。僕が撮影した写真では机や棚の上などに置きっぱなしにされている入居各社の機密を含んでしまうので不使用)。
    ▲コワーキングスペース。入居した各社が事務作業するスペース(JLABSウェブサイトより。僕が撮影した写真では机や棚の上などに置きっぱなしにされている入居各社の機密を含んでしまうので不使用)。
     JLABSは、J&Jのライフサイエンス関係のインキュベーション組織です。米国を中心に欧州やアジアなど世界13カ所に拠点があり、JLABS@NYCはそのひとつです。残念ながら日本にはありません。これまでに、全世界で約800社以上のベンチャー企業がJLABSに所属・卒業し、そのうち約50社はIPOを実施、約40社をJ&Jが買収しました。また、日本を含む数えきれないほどの世界中の研究機関や医薬系関連会社や公的機関との連携ネットワークを有し、イノベーション・エコシステムを形成しています。
    対日投資成功事例サクセスストーリー Johnson & Johnson Innovation(JETRO 2021年8月)
    阪大と米J&J、健康・医療で連携事業展開(日刊工業新聞 2017年9月22日)
    京大とJ&J、医療機器・創薬で連携(日経新聞 2018年7月2日)
     JLABS@NYCはマンハッタンの南部の、ファッションやアート、フードなど、何かにつけイケてるエリアとして有名なSOHO(ソーホー)エリアのど真ん中にあります。新薬開発、MedTech等の分野で起業した約60社が所属しています。  上の写真のとおり、実験設備がひととおり用意されていて、事務作業するデスクもあるので、極端な話、入居しているベンチャー企業では鞄ひとつでこのオフィスに来て、研究や仕事をして帰ることができます。  もちろん研究や会社経営について助言をくれるJ&Jのスタッフが張り付いており、研修やマッチングイベントも提供されています。
     J&JのR&D(研究開発)への投資額は2021年で約150億ドルに達しており、医薬品業界ではトップ3に入っています。2010年には約70億ドルだったので10年で2倍以上になっています。また同社の2021年の総売上は約940億ドルなので売上の約1/6は投資に回っているということですね。(僕は収入の1/6を自己投資に使ってるかなあw)
    ▲ニューヨーク科学アカデミーの年次総会パーティー(Academy of Science in NY 2022 GALA)の模様。顕著な実績を上げた若手を表彰。
    ▲Academy of Science in NY 2022 GALAの宴席。11番の札の向こうに見える紳士はノーベル経済賞受賞者のスティグリッツ教授
    ・帝国としてのイノベーション・エコシステム
     さて、施設がある。たくさんの会社や研究所等とネットワークがある。ベンチャー企業には育成担当も張り付けている。エコシステムを形成している――。そういう話は日本でもたくさん聞きます。なんちゃらプラットフォーム事業といった国の政策もよく聞きます。それらの成否の評価についてはさておきつつ、今回JLABS@NYCを訪問し関係者のお話を聞いていて、圧倒的に悟った、非常にシンプルで当たり前な、普遍的な真実についてお話ししたいと思います。
     
  • 「分断」から「瓦解」へ――変質する民主主義の危機 ~中間選挙を読み解く3つの視座~|橘宏樹

    2022-12-02 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回は11月におこなわれたアメリカ中間選挙のポイントを解説するとともに、ニューヨーク市民と日本国民の選挙に対する姿勢の違いについて分析します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第7回 「分断」から「瓦解」へ――変質する民主主義の危機 ~中間選挙を読み解く3つの視座~
     おはようございます。橘宏樹です。ニューヨークでは、11月24日にサンクス・ギビング・デイ(感謝祭)を迎えました。去年に続き今年もアメリカ人の友人宅にお招きいただき、大きな骨付きハムを分け合って楽しい時間を過ごしました。感謝祭の料理と言えば七面鳥がおなじみですが、ハムの流派も多いのだとか。
    ▲手製のサンクス・ギビング・ハム。グランベリーなど甘めのソースをかけて食べるのがセオリー。
    ▲アラビア文字の書かれたお皿がハムと餃子と団らんを待つ多文化な食卓。
    ▲手製のチョコチップ入りピーカンナッツ・パイ。使われたメープルシロップは庭で採れたものだそう。めちゃくちゃ美味しかった...…
    ▲大きな家と薪の暖炉。これぞアメリカの冬って感じ。
     翌25日のブラック・フライデーのセールには人々が殺到し、ロックフェラーセンター前の有名な巨大クリスマスツリーはいそいそと装飾を始めています。クリスマス休暇の始まりまでは少し間があるものの、なんかもう、ニューヨーク市内からビジネスのやる気は感じられず、仕事納めに向かっている雰囲気です。

     さて、11月8日は中間選挙の投票日でした。連邦上院、下院、州知事、州議会等の選挙が一気に行われました。インフレへの不満が強いことやトランプ派の候補者が勢いづいていると見られていたことから、民主党は大敗するだろう、共和党のシンボルカラーが上下両院を席捲する「赤い波(Red Wave)」がやってくるだろう、との声がもっぱらの前評判でした。  しかし、蓋を開けてみると、民主党が上院の過半数をギリギリながらもキープし、下院も共和党220に対し民主党213(過半数は218。2議席未決着。執筆時点(11月27日)。)と踏みとどまりました。大統領の党が負けやすい選挙にしては、バイデン民主党はかなり善戦したと言ってよいでしょう。
     日本でも、共和党が大勝しなかった原因分析(米最高裁の中絶権認める判例破棄への反発と2020年大統領選挙結果を否定するトランプ派の行き過ぎた台頭に対する嫌悪感等)、上下両院内での両党の激しい拮抗、民主党内の世代交代(ペロシ下院議長退任)やプログレッシブ派の伸長、トランプ前大統領の2024年大統領選出馬表明や脱税疑惑への訴追、バイデン政権への支持率の低さ、バイデン大統領の次回大統領選不出馬との憶測、共和党内でのフロリダ州デサンティス知事の台頭とトランプ前大統領との闘争、などなど、主要論点については既に様々な論考が出回っております。
     時事的・政治的な分析はそれらに譲るとして、今号では、この度の中間選挙で、日本社会と比較して、僕が個人的に面白いな、重要だなと思ったポイントを3つ挙げたいと思います。それは、①選挙管理の危機、②分断を助長する予備選挙、③司法の政治化です。選挙における競争が苛烈過ぎるあまり、アメリカ民主主義の土台までをも破壊しかねない様相を呈しているように見えます。アメリカ民主主義の危機は「分断」からもう一歩深まって制度それ自体の「瓦解」の域にまで踏み込みつつあるかもしれません。ある意味、危機の変質が見られると言ってもよいのかもしれません。一方で、アメリカ民主主義の希望というか、さすがのバランス感覚というか、行き過ぎを踏み止まらせる良心の底力のようなものも感じ取れます。何が起きているのか。なぜそうなっていくのか。僕なりの中間選挙の観察記録を書いてみたいと思います。
    ▲ニューヨーク・マラソンを走る参加者
    ① 選挙管理の危機
    ・「選挙管理」という論点の存在
     連載第2回でも触れましたが、今のアメリカでは「選挙の5W1H(①誰が(who)②なぜ(why)③いつ(when)④どこで(where)⑤何に(what)⑥どうやって(how)投票するのか)」のうち、「③いつ(when)」以外の全てのステージで政治闘争が繰り広げられています(逆に日本では、総理の解散権③いつ(when)が最も争点になるところと対照的ですね。)。特に「⑥どうやって(how)投票するのか」について、郵便投票の是非をめぐる議論が過熱しています。アメリカの選挙は、支持者獲得競争の域を超え、選挙のインフラ部分にまで闘争の領域が広がっているのです。
     
  • あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(後編)|橘宏樹

    2022-10-04 10:19  
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    【訂正とお詫び】 本記事において編集部のミスにより画像の一部訂正があるため、再配信を行いました。読者の皆様にはご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げますと共に、再発防止に編集部一同努めて参ります。このたびは大変申し訳ございませんでした。
    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。安倍元首相の外交姿勢と、これまで論じてきたユダヤ系アメリカ人の経済的影響力から、これからの日本の国際社会での立ち位置について考察します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第6回 あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(後編)
     おはようございます。橘宏樹です。今年のニューヨークの夏は去年に比べてもかなり暑かったです。35度を超える日も少なくありませんでした。日差しが強く目を射られるので、通勤時はサングラスをかけて電動キックボードに乗っていました。
     さて、四十九日も過ぎましたが、7月初旬の安倍元総理の暗殺は大変な衝撃でした............。あらためて振り返っても信じられない事件ですし、個人的には、なんというか、今でも実感が湧いてきません......。演説や国会答弁の動画をついつい見てしまいます。もちろんニューヨークでも多くのメディアが報じました。深い悲しみと日本人への同情とともに、日米関係を一層盤石にした功績を讃える内容がほとんどです。特に、真逆のキャラクターであったオバマとトランプの両方とうまく付き合うことができた稀な指導者としての評価が高いです。私の仕事上のカウンターパートからも一斉に弔文が送られてきました。事件直後には99歳のヘンリー・キッシンジャー元国務長官までもが自ら足を運んでNY総領事館に記帳に訪れていました。現在、国葬が妥当かどうかについて国内で議論があることも報道されています。
    安倍元首相死去 米の日本大使館などに元閣僚や外交官らが弔問(2022年7月12日 NHK)
    ニューヨーク・タイムズ紙の安倍元総理関連記事一覧
     また、7月末には岸田総理がニューヨークの国連本部でのNPT(核兵器不拡散条約)運用検討会議に出席して演説を行いました。日本の総理として初めてのことです。5項目からなる「ヒロシマ・アクション・プラン」を発表し、核の傘の下に居ながらも核不拡散を希求する、という難しい立ち位置については、国際社会から批判も理解もある中、広島選出の岸田総理の「核兵器のない世界」への強い思いが、出来る限り国際社会に示されたかたちです。グティエレス国連事務総長もこれに呼応して8月6日に広島を訪問してくれましたし、2023年に被爆地・広島でG7サミットを開催することにもなりました。
    ▲ニュージャージー州側から見るウォール街。中央の最も高い建物がワン・ワールド・トレード・センター。
     さて、ニューヨークの力強さの源としてのユダヤ人コミュニティについて、2回にわたって考えてきました。文面からは伝わりにくかったかもしれませんが、どう描出するか非常に苦しみました。「ユダヤ人は~」というトピックは、そう書き出しただけで、人種差別として誤解されるリスクすら生じてしまうほど、国際社会において非常にセンシティブな話題ですし、そもそも、ルーツも所得も宗派慣習も非常に多様な彼等を一括りにして議論することも困難です。そこで前編では、まずその多様さや分布についてデータで確認し、中編では、勝ち組ユダヤ人の「勝利の方程式」について、彼らの歴史を振り返りながら、これからの日本が学べそうなポイントにしぼって、なんとか洞察を試みてみました。
     三部作最終編となる本稿では、ユダヤ人と日本人の間の「縁」についてお話ししたいと思います。両者の間には共闘や助け合いの歴史があるだけでなく、特にニューヨークで、イノベーションを興すパートナーとして、とても相性が良い面があると思います。これからの日本の生存戦略の提案も含めて論じてみたいと思います。
    対露戦争での共闘
     日本・ユダヤ関係史で最初の重要なエピソードは、やはりなんといっても、日露戦争時のユダヤ系銀行家ジェイコブ・シフと日本政府の「共闘」だと思います。
     1904年、日露戦争開戦を決意した日本政府は、巨額の軍事費用(当時の日本の国家予算の約9年分に比敵)を公債の発行によってまかなおうと考え、高橋是清日銀副総裁(当時)らをロンドンに派遣し、引受先を探す交渉に当たっていました。しかし、当時、いかに評価急上昇中の日本(ちょうど「坂の上の雲」の時代)とはいえ、円の信用力への疑問、最後は超大国ロシアが勝つだろうという観測、英露王室同士は姻戚関係にあることなどから、当初、ロンドンでの日本国債発行は極めて絶望的な状況でした。
     しかし、とある晩餐会の席上、高橋是清の隣に、当時の米国ユダヤ系経済界のリーダー的存在であった銀行家のジェイコブ・シフが座り、意見交換を行いました。その翌日、シフが巨額の日本国債の引き受けとアメリカでの転売を決めたことから、形勢が一気に好転します。
     シフは、もともと新興国への投資に熱心なタイプであった上に、仲間が持ち掛けてきた、日本の外国債をロンドンからニューヨークに転売して、金融市場としてのニューヨークの地位を高める起爆剤として利用しようという計画にも関心を寄せていました。  同時に、シフは、熱心な政治活動家でもありました。中編でも触れましたが、当時、帝政ロシアは大規模なユダヤ人迫害(「ポグロム」)」を行っており、シフはこれに強い反感を抱いていて、セオドア・ルーズベルト大統領にも働きかけるなど、同胞の救済に尽力していました(シフは、世界的に大きな影響力を有する「米国ユダヤ人委員会(AJC:ユダヤ人の市民権向上のための国際的なアドボカシー団体)」の創設メンバーのひとりでもあります)。こうして、シフは、銀行家としての経済的動機とユダヤ人としての政治的動機から、莫大な額の日本国債を引き受け、日本政府に資金を提供し対露戦争を支援したわけなのです[1]。  この軍資金調達の成功がなければ、日本はおそらく日露戦争に負けていたでしょう。明治天皇も、シフのハイリスクな決断と支援に感謝し、皇居で会う初めての外国民間人として単独で謁見し、旭日大綬章の叙勲を行っています。  シフの思い切った新興国への投資や、日本債のニューヨークでの転売構想、米欧をまたぐ豊富な人脈には、中編で触れた「チャレンジへの執着」「あなたが持っていないものを、欲しがっていない人に売る」「ユダヤ人ネットワーク」の破壊力の真骨頂が見出せますね。
    ▲グッゲンハイム美術館の外観。ユダヤ人富豪の「鉱山王」ソロモン・R・グッゲンハイムのコレクションを収蔵。
    ▲グッゲンハイム美術館内観。らせん状階段に沿って絵画が展示されている。この日はカンディンスキーの特別展が開催されていました。
    ホロコーストと「命のビザ」
     そして、日露戦争から約40年後、今度は日本人がユダヤ人を助けることになります。第二次大戦中、ナチスによる大迫害(「ホロコースト」)から逃れようと海外脱出を試みるユダヤ難民に対して、杉原千畝(ちうね)リトアニア領事代理、根井三郎在ウラジオストク総領事代理、建川美次駐ソビエト連邦大使らは、人道上の使命感から、時に外務本省の訓令に背きつつ、ビザを発給して出国を助けます。特に、6000人ものユダヤ人を救出した「東洋のシンドラー」杉原千畝氏の美談は映画化され、欧米でも”Persona Non Grata(「好ましからざる者」の意)”の英名で上映されています。
    杉原氏以外にも「命のビザ」(週刊NY生活 2021年2月24日)
    映画 Persona Non Grata(「杉原千畝」) (2015)
     また、杉原千畝が発給したビザで命を救われたユダヤ難民の一部は、リトアニアからウラジオストクを経て、福井県・敦賀港に上陸しました。命からがら逃れてきた彼らに、敦賀市の人々は、着物や食べ物、寝床などを提供して生活をサポートしました。温かい庇護を受けたユダヤ難民の感謝の思いは深く、敦賀の街が「天国(ヘブン)に見えた」と語る声も伝えられています。敦賀市にはその際のエピソードや史料を展示する施設「敦賀ムゼウム(ポーランド語で資料館の意)」があり、ホロコースト・サバイバーの子孫を始め、多くのユダヤ人の来訪を受けています。敦賀市からニューヨークに渡ったユダヤ難民も多く、とあるユダヤ系ニューヨーク市議会議員は敦賀ムゼウム来訪の折、祖父の名前が入った史料を見つけたとのことです。
    ユダヤ系住民、敦賀市に感謝状=杉原氏「命のビザ」避難民迎え入れ-NY
    ユダヤ難民の遺族が日本側に謝意 NY総領事と面会(Daily Sun New York 2020年7月23日)
    ▲人道の港敦賀ムゼウムで展示されている大迫辰雄氏のアルバム。外交官のみならず、ウラジオストクから敦賀市への移送を担当したJTB大迫辰雄氏なども、心を込めて彼らを遇したことが伝えられています。(人道の港敦賀ムゼウム ウェブサイトより)
    JTB職員 大迫辰雄の回想録 ユダヤ人輸送の思い出
     ユダヤ人社会には、両親や祖父母の命を救ってくれた多くの日本人に対する感謝の念が、今も根強く残っています。我々の先祖に深い恩義を感じてくれているということ、その想いが子孫にまで受け継がれているという事実は、多くの日本人も知っておいてよいことだと思います。
    ▲杉原千畝氏(wikipediaより)
    ▲建川美次氏(wikipediaより)
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  • あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(中編)|橘宏樹

    2022-07-04 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。マーク・ザッカーバーグが象徴するように、アメリカ社会・グローバル市場において大きな影響力を持つユダヤ系の人々。彼らの力の源泉は何なのか、橘さんならではの分析をおこない、日本の経済状況との比較からみえてくることについて解説します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第5回 あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(中編)
    在米ユダヤ人はいかにしてのし上がったか ~成功率を高めた4つの執着~
    ▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩する家族。
    ▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩するカップル。
     さて、前編では、ユダヤ人コミュニティの力強さの現状、具体的にはエリート層に占める「率」の高さについて述べました。「率」が高い、ということは、コミュニティ内にある種の勝ちパターンが共有されていて、その成功の果実が数世代にわたって積み上がっている可能性を示唆します。中編では、在米(特にニューヨークの)ユダヤ人がいかにして成功を積み上げてきたか、歴史を振り返るとともに、その勝ちパターンの中身について洞察を試みます。僕は、彼らの非常に特殊な歴史的・文化的事情に起因する「4つの執着」がうまく連動して相乗効果を発揮してきたことが、在米ユダヤ人の社会的地位を大きく押し上げたのだと考えています。
     現在の在米ユダヤ人の圧倒的大多数のルーツは、1880 年代から 1920 年代までの30年間に、ロシアで起きた「ポグロム(破壊)」と呼ばれる大規模なユダヤ人迫害と極貧生活から逃れてきたロシア系ユダヤ人です。この時期に250万人以上のユダヤ人が米国入りしたと言われています(2020年のユダヤ人人口は全米で約750万人)。ちなみに、残りの少数派はドイツ系ユダヤ人移民なのですが、彼らはもっと前から米国入りして全国に散らばっており、白人社会にほぼ溶け込んでしまっていました。もちろんナチスの迫害から逃れてきたポーランド系・オーストリア系・ドイツ系ユダヤ人もいますが、さらに後発の少数派です。
     ロシア系ユダヤ人移民の多くは、衣服をつくる職人でした。人間なら誰もが使う普遍商品を生産できる「手に職」を持った人々です。20 世紀初頭のニューヨーク市の衣服産業は、米国全土の既製服のシェアの約半分、婦人服では75% を占めており、さらに衣服労働者の約8割までもがユダヤ人だったと言われています。体力勝負の肉体労働では黒人やインド人などにはかないませんし、肉体労働よりは労働付加価値の高い産業で遮二無二働いたのが彼らの出発点でした。
    ▲正統派ユダヤ人が多く住んでいる「ウィリアムズバーグ」と、最近開発が進むイケてる地域「ダンボ」は隣り合わせ。雰囲気のギャップが激しい。

    ▲賑わうダンボ地区。マンハッタン橋を覗くこのスポットはInstagramでも大人気。
    ▲ダンボ地区の芝生。ブルックリン橋越しにマンハッタンの摩天楼を眺めてくつろぐ休日のニューヨーカー。
    ①土地への執着
     そんな彼らが極貧からのし上ることができた理由には、まず「土地への執着」があると思います。ロシア系ユダヤ移民第一世代は、過酷な環境の下、低賃金で長時間働く一方で、狭い家に多くの下宿人をおいて家賃収入をコツコツ貯めていきました。アメリカでは、急に帝国に襲われて、土地を追い出され着の身着のまま追い出されることはありません。安住の新大陸で初めて土地の所有に目覚めたわけです。そして、じわじわと不動産業界に進出していきます。  在米ユダヤ人は不動産業で大当たりしました。勝因は、白人富裕層による支配があまり行き届いておらず参入障壁が低かったこと、特殊な生活文化を共有するユダヤ人同士の紹介ネットワーク内で借り手・貸し手を探しがちだったので、ユダヤ人以外に富が搾取されることが少なかったこと、宗教上の理由で人口をどんどん増やしていたので、閉じた社会内でも需要が拡大し、ユダヤ経済圏が発展していったこと(第二次大戦後は、ホロコーストで失われたユダヤ人口を取り戻すべく、さらに拍車をかけて「産めよ増やせよ」にいそしんでいます)、衣服産業も不動産業も、戦後のアメリカの超好景気に上手く乗れたこと、などなどの事情から、資本蓄積が順調に進みました。そして、マンハッタンにも多くの物件を所有するようになると、入居してくる他民族の若者、野心的な若い芸術家や音楽家などとの交流も増え、時代の先を読んで出資するセンスもまた磨かれていくことになります。
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  • あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(前編)|橘宏樹

    2022-05-06 07:00  
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回は、ニューヨークひいてはアメリカ社会で大きな存在感をもつユダヤ系の人々について。市内人口の9%を占め、金融・経済・政治・メディアの重要局面で絶大な影響力を発揮するユダヤ人社会が、現在どのような状況にあるのかをタイプ別に解説します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第4回 あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない(前編)
    まずは近況:物価上昇・円安のダブルパンチ
     おはようございます。ニューヨークの橘宏樹です。日本の皆様はいかがお過ごしでしょうか。4月中旬現在、ウクライナ侵攻については、長期化するだろうとの見方、5月9日のロシアの対独戦争戦勝記念日までに、めぼしい戦果をあげるべく、ロシアが大規模総攻撃を仕掛けるだろうとの見方が飛び交っている状況です。SNS上のプロパガンダ合戦も激しい状況で、何が正しい情報なのか、この情報は誰のどういう意図で世に出されたものなのか、いちいち判断するのが困難な状況です。 ニューヨークの日常生活は、というと、兎にも角にも物価上昇が激しいです。生活を直撃しています。家賃も電気代も値上がりし、スーパーの野菜や肉までもが1~2週間で1割くらい値上がりしています。原因は、順調な経済成長をベースに、ウクライナ侵攻に起因する原油と小麦の不足、コロナ禍によるサプライチェーン混乱からの品不足が主要因です。飲食店の人手不足は特に深刻で、高騰する賃金がダイレクトに価格に反映され、例えば、つい先週まで13ドルで食べられたラーメンが今日は16ドルになったりしています。(一蘭のような高級ラーメン店ならば、下記のニュースのように、最低でも20ドルします。)
    ラーメン1杯2500円のNY 物価高騰(2022年4月16日 デイリー新潮)
     さらに、円安が厳しい状況です。原因は、短期長期色々とありますが、日本の貿易赤字に加えて、上記のような物価上昇、すなわち市場の貨幣流通量を減らすため、アメリカは金利を上げました。日本は金利を簡単に上げられないところ(上げたら国債の利払いが増える)、市場は当然、より高い利回りの債券に買い替える(日本国債を売って米国債を買う)動きが進みます。僕たちのように日本円で給料をもらっている人々は、物価高と円安のダブルパンチで、本当にへとへとです。今月の給料明細を見たときは、減給処分でも食らったのかとのけぞりました…
    円安が一段と進行、ドル130円に届くか:識者はこうみる(2022年4月12日 ロイター)
     そして、治安が悪化しています。4月11日ブルックリンの地下鉄駅で起きた発砲事件にはニューヨーク中が震撼しました。幸い死者はでなかったものの、16人が負傷しました。犯人が逃走中の間は、電車は止められ駅は封鎖され、まだ捕まらないのか、今どのあたりを逃げているのか、と、オフィス内でみんな逐一ニュースを見守っていました。特に事件が起きた地下鉄駅は「ジャパン・ビレッジ」という非常に大きなスーパーやレストランの入った日系の複合施設の最寄り駅だったので、日本人コミュニティにとっても特別に肝を冷やす事件でした。
    地下鉄駅で発砲事件(2022年4月13日 週刊NY生活)
     というわけで、コロナの蔓延状況はかなり改善してはいるものの(ほとんどの場所でマスク義務も解除。しかし足下では新規感染者数が微増傾向で、これもまた実は気持ち悪い)、庶民のニューヨークライフは非常に厳しい状況です。
    ▲セントラルパークでも桜が満開。
    ユダヤ人は強いのか
     さて、本連載の大テーマは「ニューヨークの力強さの秘密を探る」ですが、今回はユダヤ系の人々の力強さの秘密について少し考えてみたいと思います。投資家のジョージ・ソロス、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、映画監督のスティーブン・スピルバーグ、facebookあらためMetaのマーク・ザッカーバーグ、メディア王のマイケル・ブルームバーグなど、ユダヤ系の著名な成功者は多いです。
     とりわけニューヨークではユダヤ系の人々の金融・経済・政治・メディアにおける影響力は絶大です。実際、僕の肌感覚としても、こちらでビジネスをしていると、どんな分野であっても、話が進んで重大局面で出てくる、家主や地主、親会社の幹部、大株主などの判断権を持つ人物はユダヤ系であることは確かに多いです。
     そこで今号では、前後半2回にわたって、アメリカのユダヤ人がどのような人々なのかざっくりご説明するとともに、日本とユダヤ人の関係、そして日本がユダヤ人から学べるポイントについて考えてみたいと思います。
     
  • あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(後編)|橘宏樹

    2022-04-01 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。先端的なニューヨーカーたちが日常的に使う電動キックボードを、さっそく自らの通勤の足に採り入れた橘さん。そこで得られた気付きから、日本の研究支援やビジネスの現場に持ち帰れるものが何かについて、思考を進めていきます。 (前編はこちら)
    ◯お知らせ 今年度より、コンテンツ再編にともないDaily PLANETSの配信日を毎週月曜日・火曜日・金曜日と変更させていただきます。毎週木曜日更新の無料ウェブマガジン「遅いインターネット」とあわせ、引きつづきPLANETSをよろしくお願いいたします。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第3回 あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(後編)
    日本の科学技術力を底上げする方法について
     日本のテクノロジーと言えば、先日、仕事で、ニューヨークで活躍する日本人の超一流の理系研究者らとお話しする機会がありました。みなさん海外での活躍がだいぶ長い方々でしたが、日本への愛国心は大変強く、母国のテクノロジーやイノベーション力が衰退していることを、とても憂いておられて、どうしたらよいか、興味深い意見をいろいろと聞かせてくれました。
     まず、一同口を揃えて言うには、彼らのような海外一線の研究者らと日本国内の研究者コミュニティーの間は、かなり断絶しているとのことでした。別に喧嘩別れしたわけではなくとも、日本人研究者が所属組織と提携関係のない海外の研究機関等に移籍する際には、「片道切符」になってしまい、結果的には、所属組織と縁を切らされるかたちになってしまうことが多いそうです。すると、日本国内の研究者コミュニティ内での居場所もまた失われてしまうので、彼らの研究成果や最新情報、人脈が国内に還元されていくチャンネルが途絶えてしまうわけです。確かに、これでは、後進に海外で活躍する先輩からの情報が入ってこないわけです。それどころか、組織としても、新しいコネクションを開拓できるチャンスを、みすみす潰してしまうことになっているわけですね。なんと、もったいないことでしょうか……。
     ちなみに、役所では、いろいろと特務や諸事情がある人材については「総務課『付き』」など、無役だけれどなんとなく「籍」(多くの場合物理的な「席」も)を置いておく人事上の技術があって、いろいろと便利に使われています。まわりも、ああいろいろあるんだろうな、と察します。民間でもこういうテクニックはあると思います。なので、研究所でも、形だけ、例えば所長特任補佐、などといった席(籍)を残しておいて、zoomなどで、定期的に近況報告してもらうだけでも、だいぶ違うと思います。
     また、日本人研究者は、欧米の研究者に比べると、概して、ビジネス上のニーズに関するアンテナやセンスが低いことも憂いていました。例えば、特許を取得しても、自ら企業等に売り込みを行わず、世間知らずの自分でも知っているような知名度の高い大企業から声がかかるまで受け身で待つばかりで、良い筋の新興ベンチャーキャピタル等から声をかけられても信用せず、頑なに商談に応じない傾向があるとのことです。一方、米国では博士課程のプログラムの中に、知的財産の扱い方や諸手続き、マーケティングやコンサルタントの役割等について概説する授業があるため、研究者も知財ビジネスのリテラシーを養う機会が確保されているそうです。なるほどなあと思いました。日本の大学でもこうした授業を導入するのは難しいことではないはずですから、すぐにでも広く取り入れられるとよいなと思います。
    黄金期到来 東工大ら率いる「大学発スタートアップ・エコシステム」始動(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース
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  • あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(前編)|橘宏樹

    2022-03-28 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。ロシアのウクライナ侵攻に対するリアクションが街のそこかしこに現れ、有事の空気感が漂う中で、先端的なニューヨーカーたちが日常の足として使う電動キックボードが象徴する、イノベーションに対するメンタリティについて考察します。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第3回 あなたに電動キックボードの声が聞こえるか(前編)
     おはようございます。ニューヨークの橘宏樹です。世界の報道はウクライナ戦争一色ですね。どうしても、この話から始めざるを得ません。戦況や停戦交渉の行方は目まぐるしく変わり、毎日様々な情報が伝えられます。両軍の死者は増え、一般市民も大勢巻き込まれ、焼け出された難民がどんどん増えています。3月7日のニューヨーク・タイムズの一面には、迫撃から逃げ遅れた親子の遺骸の写真が大きく載りました。  3月11日、米国上院はウクライナへの緊急軍事・人道援助に136億ドルを充てる予算案を可決しました。野党共和党もすんなり支持しました。  ロシアがなぜウクライナ侵攻を行ったか。最も大きな刺激となったのは昨年11月10日の米国−ウクライナ憲章の改訂において、米国がウクライナの領土的・経済的安全を保障することを再度確認したということ、ウクライナのNATO加盟の支持を強めたことなどが理由とされています。ロシア側の視点については、学生時代からの友人であるテレビ東京豊島晋作キャスターのこちらの動画がよく伝えてくれていると思います。
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  • 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(後編)|橘宏樹

    2022-02-18 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。選挙制度改革について論じる第2回の後編です。近年、採用が進められている「順位選択式投票」。深刻化する社会の「分断」を解決する手段となり得るのか、そして日本人の政治不信解消にはどのような議論が必要なのか考察しました。(前編はこちら)
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第2回 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(後編)
    民主主義の本質は手続きに宿る:選挙の「5W1H」を見直す
     さて、第1回の後半では、NY市が市政選挙の投票権を外国人移民にも与えたニュースを取り上げつつ、権力闘争のルールそれ自体が、権力闘争の対象となる、アメリカの民主主義というゲームのダイナミックさ、ある種の不安定さについて、議論しました。今回も、もう少しその続きをお話ししたいと思います。
     民主主義とは、選挙による多数決を基本原則として集団の意思を決定する制度です。そして、選挙には5W1Hがあります。①誰が(who)②なぜ(why)③いつ(when)④どこで(where)⑤何に(what)⑥どうやって(how)投票するのか。「神は細部に宿る」と言うように、これら5W1Hを具体的にどうするかが、どのような民主主義を実現したいのかを決定づけます。前回のNY市外国人参政権拡大は、まさしく①誰が(who)が変革された話でした。
     日本の選挙においては、もっぱら、②なぜ(why)と③いつ(when)と⑤何に(what)が議論されますよね。争点はなにか。解散はいつか。どの政党・誰に投票するか。2016年に18歳へ選挙権年齢を引き下げた際には、珍しく①誰が(who)が議論されましたが、⑥どうやって(how)はほとんど議論されたことはありません。
     一方、アメリカでは、大統領等に議会の解散権はなく③いつ(when)は固定されているのであまり議論になりません。その代わり、現在、全米規模で、⑥どうやって(how)が大変革されています。2つの大きなhowの変革をご紹介します。
    一度に5人に投票:「順位選択式投票」とは
     2000年の大統領選挙でブッシュとゴアが歴史的大接戦を演じて以来、全米各地で投票制度の見直しの議論が始まりました。あまりにも真っ二つに分かれている状況で、真に選ばれるべき勝者は誰であるべきなのか。実は、みんなが2番手に選んでいる人の方がふさわしいのではないか。「分断」をなんとかできる、より妥当な方法は何だろうか。と模索が進んできました。
     そこで、採用が進んでいるのが、「順位選択式投票(Ranked-Choice voting:RCV)」です。RCVとは、有権者が上位5名の候補者を選び、1位から5位までの選好順位とともに投票し、全員の1位票を集計するものです。1位票を50%以上得票した候補者が勝利します。1位票を50%以上獲得した候補者がいない場合は、1位票の得票が最も低かった候補者の票を、その候補者に投じられていた2位票の数に応じて、他の候補者に再分配します。このプロセスを、50%以上の票を獲得する候補者が現れるまで繰り返します。
     RCVは、アイルランド大統領選挙、ロンドン市長選挙、オーストラリア下院議員選挙でも採用されており、米国内でも、サンフランシスコ市やオークランド市を先駆にNY市など50か所が導入しています。2021年には、NY市を含む20か所でRCVによる選挙が実施されました。現在も約20州で導入キャンペーンが行われています。
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  • 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(前編)|橘宏樹

    2022-02-17 07:00  
    550pt

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。今回は、コロナ禍での政府の意思決定のあり方について。未曾有のパンデミックを前にどの国でも臨時的な対応が迫られるなか、米国ではそれがある程度許容されているようですが、そこには意思決定プロセスの「透明性」に鍵があるようです。
    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記第2回 分断に対抗する選挙制度改革:勝者がルールを決めるのか。ルールが勝者を決めるのか(前編)
     おはようございます。橘です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。2月上旬のNYの気温は、ちょっと暖かくなったり、吹雪の日もあったりと、寒暖差がちょっと激しいです。
    ▲殉職警官を悼むNYPDの追悼パレード。最近のNYは、銃撃事件が相次ぎ治安の悪化が深刻です。
    銃弾に倒れ殉職の22歳NY警察。「あの日喧嘩をしたまま…」新妻のスピーチに全米が涙(安部かすみ氏 2022年1月30日)
     日本では、新型コロナウイルスの新規感染者数は増加中で、まん延防止等重点措置の適用拡大がなされるなど、厳しい状況と聞いておりますが、NY州では、新規感染者数や陽性率の増加傾向という点では、ピークを過ぎて下り坂です。2月16日時点で、入院者数は、NY州がコロナ行政において最も重要な指標のひとつとしてきたICUの空きベッド率は目安の30%を割り込んで22%となっています。NY州の発表によれば、2月6日までのサンプルにおいて、ワクチンを完全に接種した人のうち、ブレークスルー感染して陽性反応が出た割合は8.6%、入院した人の割合は0.29%とかなり少ないですから、つまり、入院者・死亡者のほとんどが、ワクチン未接種者であると推定されます。
    ▲ニューヨーク州の直近3か月の新規感染者数推移の状況。すっかり山は越えました。(2月15日時点。ニューヨーク・タイムズより)
    (ちなみに、これらの数値はNY州のウェブサイトで公開され日々更新されています。英語が苦手な方も、昨今のブラウザの自動翻訳機能は優秀ですので、ご活用いただきながら、参考までにちょろっとご覧になってみてはいかがでしょう。)
    NY州の新規感染者数・死者数・ワクチン接種者数(NYタイムズ)ブレイクスルー感染者数のデータ(NY州政府)NY州の病床数のデータ
     なので、州・市政府のコロナ政策は、マスク着用義務、ワクチン接種拡大に完全にしぼりこんでいます。NY市のアダムズ新市長も、NY州のホークル知事も、年始に足並みを揃えて、オミクロン対策は、「経済と公衆衛生のバランス」に配慮して行っていく、と述べており、かつてのようなロックダウンは考えていないようです。
     一方、「公衆衛生と自由のバランス」については、揺り戻しが起きています。昨秋から、国全体や州で、公衆衛生を重視しワクチン接種やマスク着用義務を課していく行政命令が出ていましたが、最近は、ワクチンを打たない自由、マスクをしない自由を尊重するべきという司法判断が続いています。例えば、昨年11月にバイデン政権が定めた従業員100人以上の企業に対して従業員に対するワクチン接種義務を課す規則が、1月13日、連邦最高裁が違憲と判断して差し止め命令を出しました。米最高裁、バイデン政権の企業向けワクチン義務化規則を差し止め(2022年01月14日 JETRO)
     NY州でも、州知事が昨年末に出した屋内公共スペースでのマスク着用義務命令について、州最高裁が、知事の命令だけではダメで、州議会の承認が必要であり、違法だと判断しました。米NY州のマスク着用義務化に違法判決、州最高裁が判断(2022年1月24日 ロイター)
     このように、行政・立法・司法の三権がひっきりなしに係わり合って、短期間に判断を二転三転させながら試行錯誤を重ねていく模様は、以前『現役官僚の滞英日記』でも触れた、無戦略を可能にする5つの「戦術」の4つ目「トライ・アンド・エラー」を彷彿とさせます。米英共通のアングロサクソン流ということなのでしょう。「無戦略」を可能にする5つの「戦術」~イギリスの強さの正体~(ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.381 橘宏樹『現役官僚の滞英日記』第11回)


    ▲2021年11月に2年ぶりに開催された、全米最大規模のコミケイベント「アニメNYC」の様子。コスプレは『鬼滅の刃』と『イカゲーム』が圧倒的な人気。
    社会の許容度を支える2つの「透明性」
     判断が右に左に振れ続ければ、日本では、そのこと自体について、朝令暮改だとか、一貫性がないとか、批判しがちです。そして釈然とせずブツブツ文句を言いながら、指示には一応従いつつ、そのうちに「喉元過ぎれば熱さを忘れ」ていくことを繰り返していく、というパターンが多く見られる気がします。一方で、アメリカ社会は、判断が右に左に振れ続ける不安定さに対して、かなり許容度が高い気がします。ことコロナだからしょうがないという諦めも大きいとは思いますが、僕は、少なくとも2つの意味での透明性が社会の許容度を支えているように思います。
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