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“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(8)「勇者指令ダグオン」後編
デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は前回に引き続き『勇者指令ダグオン』を分析します。「絶対にして完璧な存在」となる誘惑を断ち切り「青春」を優先した主人公・大堂寺 炎。成熟のイメージという観点からは、どのように読むことができるのでしょうか?
池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝
「融合」し拡張していく自我の裏表
本作のラスボスとなるのは、超生命体ジェノサイドである。ジェノサイドは他の存在と「融合」することによって世界を支配しようとしており、サルガッソの囚人たちもジェノサイドによって操られていたことが判明する。ジェノサイドは自らを「絶対にして完璧なる存在」と称し、地球と融合することで「新しい星」になろうとする。
これを阻止するために、炎は基地「ダグベース」と融合し、ロボットとなる。そしてダグベースにダグオンたちが融合する(かのように見える演出を挟む)ことで、ジェノサイドの作戦は失敗する。しかしジェノサイドは密かに生き延びており、地球に帰還したダグベースに格納されていたファイヤーダグオンと融合し、さらにジェノサイドは地球との融合に成功してしまう。そこでは民衆はジェノサイドの一部となってしまい、ゾンビのように意志を持たぬ存在になってしまう。炎はジェノサイドを阻止するためにパワーダグオンと融合合体し、わざとスーパーファイヤーダグオンに合体することで、意図的にジェノサイドと融合する。炎はジェノサイドと融合しそうになるが、「絶対にして完璧な存在」となる誘惑を断ち切り、「ダグオン」であることを宣言し、ジェノサイドと共に宇宙の彼方に消える――が、最終的には相思相愛となったヒロイン、戸部真理亜のもとへ帰還する。
この終盤の展開は、成熟のイメージという観点からは、どのように読むことができるだろうか? ジェノサイドは「絶対にして完璧な存在」――理想の成熟を求めてどこまでも利己的に振る舞い、地球という惑星そのもの、そこに住むすべての生命とすら「融合」してしまう、全体主義的な危険な主体だ。対して炎はダグオンを代表して、その理想の成熟への性急な重力を、自己犠牲と利他性の徹底によって振り切ろうとする。その結果、炎はジェノサイドとともに消えてしまう。
ファイヤーダグオンとパワーダグオンの合体によってジェノサイドと炎が同一化してしまう展開は、「融合」という想像力において二者が同じコインの裏表であることを意味している。ダグオンもまた、サルガッソの囚人たちから地球を守るために、自らの身体を「融合」によって強化してきた。そしてその「融合」は、ダグベースにまつわる演出に見られるように、信頼によって結ばれた関係性――「青春」へと拡大する。
「青春」という美学は、成熟のために他者を必要としている。勇者シリーズはその歴史の中で、少年とロボットの出会いからさまざまな成熟を導き出してきた。『勇者指令ダグオン』は、その少年とロボットの関係の到達点として、少年とロボットを「融合」させてしまった。『勇者指令ダグオン』では少年とロボットがイコールで結ばれているのだから、必然的に「少年=ロボット」と「少年=ロボット」が相互に出会うことによって成熟が描かれる。そして少年とロボットが融合可能なのだとしたら、論理的に「少年=ロボット」と「少年=ロボット」も融合可能である(ダグベース)。そしてそれを拡張していけば、最終的には地球そのものとすら融合することが可能になってしまう(ジェノサイド)。
本連載では、勇者シリーズの源流にあるトランスフォーマー、そしてその根底に流れるG.I.ジョー的なアメリカン・マスキュリニティの特徴を、完全な精神(という仮定)が肉体へと拡張され、社会へと短絡していく点に見出した。少年とロボットの主体がイコールで結ばれることはこうしたマスキュリニティへの回帰であり、その裏側にあるのはジェノサイド的な全体主義への回帰であることを『勇者指令ダグオン』は指摘しているように思われる。
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リハビリテーション・ジャーナル──リハビリ編:プールで毎日2時間歩いて飽きないためのスパイス|濱野智史
批評家の濱野智史さんによる連載「リハビリテーション・ジャーナル」です。指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」にかかり、人工股関節を入れる手術を受けるため、約1ヶ月間の入院生活を送ることとなった濱野さん。人生初の経験となる長期にわたる入院生活、そしてその後のリハビリ生活の中で見えてきたノウハウやメソッドを紹介しながら、「健康」と「身体」を見つめ直していきます。第4回では、前回の記事で濱野さんが熱く魅力を語ったプールを「飽きない」ためのデバイスやメソッドについて紹介します。
リハビリテーション・ジャーナル──リハビリ編:プールで毎日2時間歩いて飽きないためのスパイス|濱野智史
スポーツにおける最大の課題にして敵、それは「飽きる」問題
私はここまで、「プール・ウォーキングは毎日2時間、無理なく続けられるのでダイエット効果も高い」と連呼してきたが、「そもそも2時間もスマホも触らずにただ歩くなんて退屈なはずだし、飽きてしまって続かないのではないか」という疑問を抱く方もいるだろう。
実はかくいう私も、この「飽きる」問題はスポーツや運動を日常的に継続していく上で非常に重要なポイントだと考えている。実際、私のこれまでのスポーツ半生は「飽き」との闘いだったといっても過言ではない。
たとえばかつてジムに通っていた30代前半の頃は、最初こそ目新しくて飽きることはないのだが、すぐに筋トレマシンやエアロバイクの無味乾燥感に耐えられず、数回も行くころには飽きて行かなくなってしまった。えんえんと景色が変わらない単調さのなかで運動し続けることが、自分の場合どうしてもできないのである。
同時期にジョギングも半年ほどやっていた。これも最初こそ楽しいのだが、5km・10km・15kmと距離を伸ばし、自宅の周りのルートをあらかた走り尽くしてしまうと、その光景の変わらなさにやはり飽きが来てしまう。移動手段を変えても結局は同じで、サイクリングも同じ結果になってしまった。私の場合、荒川沿いをロードバイクで10回程度は走ったことがあるが、これも最初の数回はきわめて楽しいのだが、結局は毎度変わらぬ光景にうんざりしていつしか乗らなくなってしまったのである。
そこで私は最終的に「登山」に行き着くことになる。自分がまだ登ったことのない山というのは日本中に無数とあるし、山道というのはその光景・路面といい常刻々と変化を絶やすことがない。その意味で登山は自分にとって最高の「飽きない」アクティビティである。しかし、残念ながら登山は(都市部に住んでいる限り)毎日のようにやるわけにはいかないスポーツだ。よって私は、何か自宅のそばで毎日飽きずに続けられるスポーツやアクティビティがないか、常に探し求めてきた。
結論から言うと、プール・ウォーキングはおそらく私にとって、現時点で最もこの「飽き」問題を高いレベルでクリアしているアクティビティである。実際、この半年で私なりにいろいろな対策(飽きないためのデジタル・アイテムの導入やオリジナル・メソッドの開発)を試して習慣として定着させることにも成功している。ここでは、ぜひそのノウハウを余すことなく紹介したい。
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「分断」を乗り越える個人のチカラ(ニューヨークのイノベーションシーンについて後編#3)
現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。
今回はニューヨークで活躍する日本人のイノベーターとして、包丁や食器の輸入販売を行う「Korin」社長・創業者の川野作織さんを紹介します。「ニューヨークレストラン業界のゴッドマザー」として、現地のシェフたちに支持される川野さんが始めた活動「GOHAN Society」。その日本文化の伝承方法としての革新性とは?
橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記
第14回「分断」を乗り越える個人のチカラ(ニューヨークのイノベーションシーンについて後編#3)こんにちは。橘宏樹です。大変ご無沙汰しております。本年もどうぞよろしくお願いします。東京は寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、アメリカ大統領には、トランプ氏が返り咲き、1月20日には、就任式が行われ
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