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“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(中編)

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は、スマートフォンとSNSが引き起こす問題を「20世紀的な成熟」への欲望として読み解きながら、ダイアクロンというおもちゃに刻まれた美学を検討します。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(中編) ■21世紀におけるテクノロジーと成熟のダークサイド  前回、ミクロマン=ジミニー・クリケット=情報技術=スマートフォン(LLM)を並べて考えることで、完全な主体が「乗り物」に「乗る」ことで社会に接続されていく20世紀的な美学に対して、不完全な主体が「魂を持った乗り物」の介入を受けむしろ「乗られる」ことを21世紀的な男性性の新しい美学として立ち上げたいという提案をした。  しかし、自動車に象徴される20世紀的な男性性には、たとえばトレジャー・ワルザックに象徴されるダークサイドが存在していた。当然、スマートフォンに象徴される21世紀的な男性性にもダークサイドは存在する。それはたとえばSNS(と、その運用)に象徴されるだろう。  SNS――ソーシャル・ネットワーキング・サービスという言葉そのものは広い定義とそれなりに長い歴史を持つ。その全体像について論じることは本連載の主旨ではないため、執筆時点の状況に的を絞って記述したい。SNSについてはさまざまなサービスが存在しているが、2025年時点ではX、Facebook、LINE、YouTube、Instagramあたりが代表的なものといえるだろう。我々はおおむねスマートフォンを通じて、これらのSNSの一部あるいは全部に日常的にアクセスしながら生活している。  もちろん我々がそれを使用しているのは、生活において有用であるからだ。Xで匿名ゆえの大量の生の情報を得て、Facebookを通じて同窓生や仕事相手などとの弱く広い繋がりを保ち、LINEによって家族や友人など近しいコミュニティメンバーとの絆を維持し、YouTubeはもはやテレビを代替して多様な番組を擁しており、Instagramでフォトジェニックに彩られた生活を相互に共有している。そしてそれらは基本的にスマートフォンという一種のウェアラブルデバイスを通じて、人間とほとんどダイレクトに接続されている。  しかし20世紀において人間が自動車に接続されることによってさまざまな恩恵と問題を同時に引き起こしたように、スマートフォンを通じてSNSに接続された人類もまた、これらの恩恵と同じウェイトの問題を生成している。あえて露悪的な表現をするなら、Xは偏った正義感による炎上を繰り返し、Facebookではマウントと居酒屋的愚痴に満ち、LINEはその閉鎖性からいじめの温床になり、YouTubeはアテンションを得るための陰謀論拡散とキャバクラ的集金装置となり、Instagramは実生活と乖離した画像データによって等身大のセルフイメージを破壊している。これらはそれぞれ大きな社会問題になっており、SNSを通じた人間の過剰な接続と結託は、さまざまなかたちで死者を出してさえいる(大規模な中傷を受けての自死など)。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(中編)

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(前編)

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は、「サイボーグ性」と「成熟」のイメージからスマートフォンが社会にもたらした影響について考えます。 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(前編) ■スマートフォンとサイボーグ  スマートフォンとは、2007年に発売されたアップル社のiPhoneによって爆発的に普及した、携帯型の情報端末である。スマートフォンという言葉そのものが発生した瞬間にはおそらくもっと多様な可能性が存在していたはずだが、実際の歴史においてスマートフォンとは、静電容量型のタッチパネルディスプレイによって入力と出力を一体化させることで高度に汎用化し、無線通信によって常時ネットワークに接続されている、板状の通信端末を意味している。スマートフォンを通して提供されるさまざまなアプリケーションやサービスは巨大な市場を形成し、ユーザーの可処分時間の苛烈な奪い合いが行われている―― この連載に登場した玩具については、その一般的な知名度から厚い説明が必要だったが、スマートフォンについて2025年現在このような説明を改めてする必要はほとんどなく、こうした解説は20世紀人に対するSF的な文章にすら聞こえるだろう。  スマートフォンというデバイスが社会にもたらした影響はあまりにも大きいが、ここではサイボーグ性と成熟のイメージという観点からその意味について考えたい。  まず、スマートフォンは情報論的な意味で人間をサイボーグ化している。そのわかりやすい例は、Google Mapをはじめとした地図アプリケーションだろう。我々は現在こうした地図アプリケーションに接続されることでその能力を拡大しているが、こうした能力を支援していたのは20世紀においては地図というアナログデバイスであった。しかし人間が地図に接するとき、常に意思決定の主体は人間側にある。地図によって目的地と現在地を把握したとして、どのルートを選択すべきで、自分が現在どの地点にいるのかという認識は、人間側のオリエンテーション能力にかかっている。一方、地図アプリケーションによるナビゲーションは、こうしたプロセスを自動化している。我々が目的地を入力することで、自動的にルートは算出され、それに従うだけでゴールに辿り着くことができる。そこではナビゲーションが主体を一時的に肩代わりし、部分的に意思決定を行っている。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 “kakkoii”の誕生(前編)

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 「ミクロマン」後編

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は、「変身サイボーグ」の後継シリーズ『ミクロマン』です。ミクロマンが示した「先進的な想像力」を、20世紀的な男性文化をアップデートするヒントとして読み解きます。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝  本連載では、「魂を持った乗り物」という概念を通じて、玩具のロボットが持つ中間性を分析してきた。それではミクロマンは果たして、いかなる意味で「魂を持った乗り物」なのだろうか。  すでに述べたことであるが、本来ミクロマンは変身サイボーグのシリーズ後継作である。歴史的には、変身サイボーグ→ミクロマン→ダイアクロン→トランスフォーマー→勇者シリーズ、と流れていくのが正しい順序である。しかし本連載においては、ミクロマンをトランスフォーマーや勇者シリーズの先に存在する想像力として位置づけた。  まず、「魂を持った乗り物」とは、工業技術というテクノロジーが男性文化とどのように結びついてきたかという側面から、世紀末ボーイズトイの分析を通して得られた概念であった。その根源的な動機は、世紀末ボーイズトイの中に男性文化をアップデートするヒントを見つけることにある。それは情報化以前=20世紀に試された想像力の中から、情報化以降=21世紀の萌芽を探す営みだったとも言い換えられる。これまでも、たとえばトランスフォーマー(スパイクとバンブルビーの関係)や勇者シリーズ(星史少年とダ・ガーンの関係)の分析に、技術的な未来の萌芽を見出してきた。ここではミクロマンが、70年代にあって、すでに「乗り物」という20世紀的な美学から一歩先に踏み出したところに存在している――つまり本連載の基準においてもっとも先進的な想像力にたどり着いていた玩具であったと考えたい。では、その先進的な想像力とはなんだったのか?  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 「ミクロマン」後編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝「ミクロマン」中編

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は「変身サイボーグ」の後継シリーズ『ミクロマン』を分析します。現実とフィクションを接続する“拡張現実”的な遊びの転換点を、ミクロマンから読み解きます。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 ■現実とフィクションの反転  本連載では繰り返し、勇者シリーズが子供とおもちゃの関係を正確に記述しようとしてきたと述べた。「少年」の生きる世界と「ロボット」の生きる世界は、幾つもの意味で分離している。まず玩具において、「遊び手」と「玩具」は同じ世界に存在していない。当然のことだが「遊び手」が過ごしている日常は、「玩具」が表現する想像の世界――「ロボット」たちの日常とは重なっていない。そしてこの「遊び手」の世界が(おおむね)平和であるのに対し、「玩具」たちの世界は戦いに満ちている。だからこそ「少年」が命じることで「ロボット」がそれに応えるという構造が、「遊び手」が「玩具」という成熟のイメージの世界に参加していくために必要なのだった。ここでは「少年」は「子供」であることを保ったまま、「ロボット」が戦いを繰り広げる「大人」の世界に間接的にアクセスすることになる。  ところがこの構造は、ミクロマンにおいては反転している。ミクロマンは1/1スケールの小さな宇宙人で、現実そのものを物語の空間としているために「少年」と「ミクロマン」の生きる世界は一致する。「遊び手」と「玩具」がそもそも最初から同じ世界に配置されているのだ。「遊び手」が過ごす日常に対して、「玩具」が越境し、「ミクロマン」たちの日常は「遊び手」の生活空間――比喩的に表現するなら「机の上」へと浸潤してくることになる。「遊び手」はその日常の裏側に、「玩具」が参加する戦いの世界を感じ取ることになる。「遊び手」にとって「玩具」がもたらす成熟のイメージは、別世界で行われている戦争に司令官として参加することではなく、今ここに存在している小さな隣人を経由してもたらされるのだ。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝「ミクロマン」中編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝「ミクロマン」前編

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は「変身サイボーグ」の後継シリーズ『ミクロマン』を分析します。サイズが12インチから3.75インチへと小型化したことで、〈少年=遊び手〉と〈玩具〉の関係がどう変わったのかを考えます。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 ■勇者シリーズから次のステップへ進むために  本連載では、20世紀末においておもちゃが追求してきた理想の成熟のイメージについて考えてきた。勇者シリーズの分析においては特に『黄金勇者ゴルドラン』に注目し、所有と支配による男性的な成熟を退け、少年のまま自分の外側に存在するロボットと協調しながら「冒険」を続けていくビジョンに結実したと分析した。そしてこれは、遊び手という主体が玩具で遊び続けるという構造とも結びついていたのだった。そしてこの想像力をトランスフォーマーから勇者シリーズへの流れがもたらしたもっとも大きな可能性として評価した。ただその後の「末期勇者」の展開を考えると、いささか不安な要素もまだ残っている。  どういうことか。『黄金勇者ゴルドラン』の後に続いた『勇者指令ダグオン』は「特撮をモチーフにした勇者シリーズ」であり、『勇者王ガオガイガー』は「勇者シリーズをモチーフにしたアニメーション作品」だと本連載では整理した。それはある意味で、少年のまま特撮やアニメーションといったフィクションの世界に閉じていく方向であると考えられなくもない。所有と支配を捨て、少年のままロボットと共に想像の世界で「冒険」の旅を続けていくことは、(比喩的な意味で)「玩具と一緒にテレビのある子供部屋にこもる」想像力と結びついてしまいはしないだろうか? 玩具に導かれながら成熟していくイメージは、社会に接続されなくてはならないだろう。それは具体的にはどのようなものとして考えていけばよいのだろうか? この構造を踏まえた上で、ある玩具シリーズを改めて分析してみたい。その玩具シリーズとは「ミクロマン」だ。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝「ミクロマン」前編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(9)「勇者王ガオガイガー」後編

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は前回に引き続き『勇者王ガオガイガー』を分析します。玩具主導の勇者シリーズがロボットアニメへと転換した流れを読み解きます。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 ■サイボーグとしてのガオガイガー  さて、それではその「サイボーグ」である凱と「フュージョン」するガオガイガーは、どのような想像力を持っていたのだろうか。  ガオガイガーは先述のように、まずはサイボーグである凱と、ギャレオンという宇宙から来たライオン型ロボットが「フュージョン」し、小ロボ「ガイガー」となる。そしてそのガイガーが、地球製のサポートメカ3種と合体することで完成する。  小ロボをサポートメカによって拡張する形式そのものは勇者シリーズの1号ロボとして伝統的なものであるが、ガオガイガーはこれまでのそれとは一線を画する点がいくつかある。  まず、小ロボがサポートメカを着込むように合体する点だ。これまで見てきた勇者シリーズの小ロボは、主に自動車が変形してサポートメカと合体することによって成立してきた。例外がエクスカイザーで、これはサポートロボを着込んでいるといえなくもないが、キングエクスカイザーはほぼサポート部だけで完結しており、その内部に小ロボが入る――つまり外側に拡張するのではなく、内側に格納する形式と見たほうが正確だろう。  グレート合体においては1号ロボが2号ロボを着込む形式はむしろ一般的だが、1号ロボの時点でこの形式が採用されているのは、勇者シリーズの主役機としては唯一である。  ガオガイガーが小ロボの身体を拡張するように強化されていくのは、やはりサイボーグ性の表現であると受け止めることができる。ギャレオンは宇宙ライオンとして自律した生命体であるが、ガイガーあるいはガオガイガーとなったとき、その人格は完全に凱のものとなる。いささか単純な読みではあるが、「ガイ」→「ガイガー」→「ガオガイガー」というネーミングの組み立ては、それを象徴しているように思われる。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(9)「勇者王ガオガイガー」後編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(9)「勇者王ガオガイガー」前編

  デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。勇者シリーズの最終作『勇者王ガオガイガー』は、歴代随一の人気作でありながら異端作だとも言われます。今回は、その「異端にして集大成」という二面性を読み解きます。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 ■勇者シリーズ最終作品は「成熟」をどう描いたか  『勇者王ガオガイガー』は、これまで論じてきた勇者シリーズの最終作に位置する作品であるが、一般にその評価は二分されているといってよい。  ひとつめは『勇者王ガオガイガー』こそが勇者シリーズの代表作だという意見だ。実際、『勇者王ガオガイガー』は勇者シリーズの中では放送終了後のメディアミックス・商品化ともにもっとも恵まれた作品であることは間違いない。ダグオンと同様にOVAが発表された他、雑誌をはじめとしていくつかの媒体で派生作品が展開されていた。また現在においてもさまざまな商品がアップデートされながら発売され続けている。勇者シリーズというブランド(とここでは呼んでおくことにしたい)の中でも、その歴代商品化点数はおそらくトップクラスだろう。勇者シリーズ最大の人気作であると言ってしまっても、さほど問題はないように思われる。  もうひとつの意見は、『勇者王ガオガイガー』は勇者シリーズの異端作だという意見である。『勇者王ガオガイガー』はそれまでの勇者シリーズが持っていたどこか牧歌的なトーンを持ち合わせておらず、かなりハードな設定のSFとして描かれている。また木村貴宏によるキャラクターデザインも、男性・女性問わず総じていわゆるアニメ的なニュアンスが強いものである。そのため『勇者王ガオガイガー』は、あくまで子供に向けた玩具販促番組としての枠組みに留まってきた(あるいはときに逸脱しながらも留まろうという重力の影響下にあった)それまでの勇者シリーズに比べると格段に大人向け、あるいはアニメファン向けの作品だと受け止められている。 ▲『勇者王ガオガイガー』。これまでとは大きく趣の異なるビジュアル。 勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p211  このふたつは一見相反する意見のように思われ、ファンのあいだでもしばしばその評価について対立が起こっている。しかし本連載では、このふたつの立場は両立するもの、ひとつの現象の異なる側面として考える。つまり『勇者王ガオガイガー』は、異端作であるがゆえに代表作となったのだ。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(9)「勇者王ガオガイガー」前編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(8)「勇者指令ダグオン」後編

デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は前回に引き続き『勇者指令ダグオン』を分析します。「絶対にして完璧な存在」となる誘惑を断ち切り「青春」を優先した主人公・大堂寺 炎。成熟のイメージという観点からは、どのように読むことができるのでしょうか?   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 「融合」し拡張していく自我の裏表 本作のラスボスとなるのは、超生命体ジェノサイドである。ジェノサイドは他の存在と「融合」することによって世界を支配しようとしており、サルガッソの囚人たちもジェノサイドによって操られていたことが判明する。ジェノサイドは自らを「絶対にして完璧なる存在」と称し、地球と融合することで「新しい星」になろうとする。 これを阻止するために、炎は基地「ダグベース」と融合し、ロボットとなる。そしてダグベースにダグオンたちが融合する(かのように見える演出を挟む)ことで、ジェノサイドの作戦は失敗する。しかしジェノサイドは密かに生き延びており、地球に帰還したダグベースに格納されていたファイヤーダグオンと融合し、さらにジェノサイドは地球との融合に成功してしまう。そこでは民衆はジェノサイドの一部となってしまい、ゾンビのように意志を持たぬ存在になってしまう。炎はジェノサイドを阻止するためにパワーダグオンと融合合体し、わざとスーパーファイヤーダグオンに合体することで、意図的にジェノサイドと融合する。炎はジェノサイドと融合しそうになるが、「絶対にして完璧な存在」となる誘惑を断ち切り、「ダグオン」であることを宣言し、ジェノサイドと共に宇宙の彼方に消える――が、最終的には相思相愛となったヒロイン、戸部真理亜のもとへ帰還する。 この終盤の展開は、成熟のイメージという観点からは、どのように読むことができるだろうか? ジェノサイドは「絶対にして完璧な存在」――理想の成熟を求めてどこまでも利己的に振る舞い、地球という惑星そのもの、そこに住むすべての生命とすら「融合」してしまう、全体主義的な危険な主体だ。対して炎はダグオンを代表して、その理想の成熟への性急な重力を、自己犠牲と利他性の徹底によって振り切ろうとする。その結果、炎はジェノサイドとともに消えてしまう。 ファイヤーダグオンとパワーダグオンの合体によってジェノサイドと炎が同一化してしまう展開は、「融合」という想像力において二者が同じコインの裏表であることを意味している。ダグオンもまた、サルガッソの囚人たちから地球を守るために、自らの身体を「融合」によって強化してきた。そしてその「融合」は、ダグベースにまつわる演出に見られるように、信頼によって結ばれた関係性――「青春」へと拡大する。 「青春」という美学は、成熟のために他者を必要としている。勇者シリーズはその歴史の中で、少年とロボットの出会いからさまざまな成熟を導き出してきた。『勇者指令ダグオン』は、その少年とロボットの関係の到達点として、少年とロボットを「融合」させてしまった。『勇者指令ダグオン』では少年とロボットがイコールで結ばれているのだから、必然的に「少年=ロボット」と「少年=ロボット」が相互に出会うことによって成熟が描かれる。そして少年とロボットが融合可能なのだとしたら、論理的に「少年=ロボット」と「少年=ロボット」も融合可能である(ダグベース)。そしてそれを拡張していけば、最終的には地球そのものとすら融合することが可能になってしまう(ジェノサイド)。 本連載では、勇者シリーズの源流にあるトランスフォーマー、そしてその根底に流れるG.I.ジョー的なアメリカン・マスキュリニティの特徴を、完全な精神(という仮定)が肉体へと拡張され、社会へと短絡していく点に見出した。少年とロボットの主体がイコールで結ばれることはこうしたマスキュリニティへの回帰であり、その裏側にあるのはジェノサイド的な全体主義への回帰であることを『勇者指令ダグオン』は指摘しているように思われる。  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(8)「勇者指令ダグオン」後編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(8)「勇者指令ダグオン」前編

デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は「末期勇者」として『勇者指令ダグオン』を分析します。『黄金勇者ゴルドラン』によって一度達成されてしまった「魂を持った乗り物」という概念で名指そうとした美学。「末期勇者」はいかなる提案を勇者シリーズに行うのでしょうか。   池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 3つめの区分「末期勇者」 ここまで勇者シリーズの6作品を、大きく前半「谷田部勇者」と後半「高松勇者」にわけて論じてきた。「谷田部勇者」は理想の成熟のイメージを追求した結果、子どもとおもちゃの関係を「命じる少年」と「従うロボット」として描き出した。「高松勇者」は勇者シリーズの本質を批判的に継承していく過程で、その関係の境界に挑戦していった。そして最終的に『黄金勇者ゴルドラン』はメタフィクションとして、「子どもの遊び」を永遠に続けていくという逆説的な成熟のモデルに到達した。 ここからは『勇者指令ダグオン』と『勇者王ガオガイガー』の2作品を続けて論じていく。「谷田部勇者」「高松勇者」という呼称と同様に、この2作品を便宜上「末期勇者」と呼ぶことにしよう。「谷田部勇者」と「高松勇者」の区分が監督の切り替わりによって定義されていたのに対して、この2作品は監督も脚本家も共通していない。にもかかわらずこれらをひとつにまとめて論じるのは、共通するスタンスを共有しているためである。そのことを、それぞれを分析していく過程で明らかにしていきたい。 「変身ヒーロー」の繰り広げる「青春」 『勇者指令ダグオン』は、次のような物語になっている。宇宙監獄サルガッソに収監されていた多数の凶悪な囚人が反乱を起こし、サルガッソを掌握。ここから囚人たちによる惑星狩りがはじまり、地球もその侵略の標的となる。これを危惧した宇宙警察機構のブレイブ星人は、大堂寺炎、広瀬海、沢邑森、風祭翼、刃柴竜という5人の高校生(後に黒岩激、宇都美雷が加わる)を「勇者ダグオン」に任命する。彼らはダグオンとして、侵略宇宙人から地球を守る戦いに身を投じていくことになる。 ▲『勇者指令ダグオン』。高校生の主人公たちが並ぶ。勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p171  『勇者指令ダグオン』は、これまでの勇者シリーズと大きく異なる点がふたつある。ひとつは、明確に「変身ヒーロー」のモチーフが導入されていること。もうひとつは、主人公たちが高校生であり「青春」をテーマにしていることだ。 順番に説明しよう。大堂寺炎をはじめとした高校生たちは「ダグコマンダー」と呼ばれる変身アイテムを腕に装着しており、「トライダグオン!」の掛け声と共に、「ダグテクター」と呼ばれる強化スーツをまとう。まずこの状態で悪の宇宙人たちと戦うのだが、窮地に陥ると乗り物が変形したロボットと「融合合体」し、巨大化する。このとき自我は常に炎たちのものが保存される。つまり『勇者指令ダグオン』におけるロボットは基本的に炎たちの肉体であり、個別の自我を持たない。 これは勇者シリーズとして見れば斬新な設定だが、同時代(20世紀後半)の子ども向け作品に目を広げれば、むしろクラシックな「変身ヒーロー」に大きく近づいている。実際、各話ごとに表示される宇宙人の名称とそのシルエットは明確に円谷の「ウルトラシリーズ」のパロディである。各話完結で地球を侵略する宇宙人が搭乗する構成に加えて、ロボットと融合合体することを巨大化とみなすなら、ヒーローの性質もウルトラマンと共通点がある。5色に色分けされたヒーローがチームで戦いロボットに搭乗するのは東映の「スーパー戦隊シリーズ」に近い。「仮面ライダー」シリーズからの引用は比較的薄いように思われるが、侵略してくるのも主人公たちに力を与えるのも同じ「宇宙人」であると考えれば、ヒーローとヴィランが同じ性質の力を持つ同シリーズの要件を備えているように見えなくもない。実際販促のために、こうした特撮作品を彷彿とさせる、人間が着用するダグテクターのスーツも作られている。 ▲大堂寺炎が変身する「ファイヤーエン」。明確に変身ヒーローから引用されたデザイン。勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p173  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(8)「勇者指令ダグオン」前編

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「黄金勇者ゴルドラン」後編

デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。「黄金勇者ゴルドラン」分析の最終編です。20世紀的な男性性の美学を鋭く批判する、「所有」や「支配」ではない「遊び」による成熟のイメージとは? 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 世界の王、リカちゃん人形 こうした道のりを経て、一行は最終的にレジェンドラへと達する。そしてレジェンドラ王の正体が明かされるわけだが、その名前はレディリカ・ド・レジェンドラであり、その外見は明確に「リカちゃん」として描かれる。 レジェンドラ王という存在については、次のように説明される。レジェンドラに至れば願いが叶うという伝説は、レジェンドラ王の後継者を選定し導くためのものであった。その冒険の過程で勇者たちと心を通わせた者だけがレジェンドラへ至り、次の王となる資格を得る。王に与えられる能力とは、今の宇宙を終わらせ、次の宇宙を思うままに創造する力である。レディリカもまたかつては人間であったのだが、レジェンドラを先代から引き継ぎ、現在の世界を創造した。 そして新たな世界を創造する能力が、タクヤたちに託される。タクヤたちはワルターやシリアスも交え、合議の上でどのような宇宙を創造するか結論を出す。それは「レジェンドラ王にはならず、今のまま冒険を続ける」というものだった。そしてこれまで奪い合ってきたパワーストーンを共有し、全員で口上を唱えて勇者たちを復活させる。そして彼らと共に、また新たな冒険へと旅立とうとするのである。 これはおもちゃを巡る想像力を問う極めて高度なメタフィクションだ。ここでレジェンドラ王が「リカちゃん」の姿を持つことは決定的な意味を持つ。「リカちゃん」は1967年から展開されている着せ替え人形のシリーズで、タカラ社を象徴する大ヒット商品である。すなわちレジェンドラ王とは、勇者シリーズを展開するタカラ社とその営みを象徴している。そして「現在の宇宙の終わり」とはアニメーションという物語の終わりと受け取ることができるだろう。宇宙を終わらせ次の宇宙をはじめるという営みは「高松勇者」自身が――いやそれ以前から連綿と行われてきた、物語による販促そのものとはいえないだろうか。 90年代半ば頃のリカちゃん。https://licca.takaratomy.co.jp/55th/album.html 本連載では、タクヤたちが経験してきた、そしてワルターやシリアスを救済してきた冒険の旅路は、子供の遊びそのものであると考えてきた。ゴルドランはワルターやシリアスが「大人」を目指す試みを挫くことで、「子供」とおもちゃの関係に立ち返り、その想像力による遊びの体験=冒険の旅こそが本質であるという美学を語ってきた。ところが映像作品という物語はいつか必ず終わりを告げてしまい、次の物語がはじまる。そして次の物語はまた新しいおもちゃをもたらし、そのサイクルが連綿と繰り返されてきた。しかし、映像が終わってもおもちゃはそこにあり続ける。では、そのとき冒険は、遊びは、おもちゃと共に過ごした時間は、どこに行ってしまうのだろう? 新たな物語によって上書きされ、消滅してしまうのだろうか?  

“kakkoii”の誕生――世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「黄金勇者ゴルドラン」後編
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