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記事 22件
  • トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(後編)|池田明季哉

    2022-03-01 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラやティラノサウルスといった動物モチーフがどのような象徴だったかを、アニメーション制作の背景から解き明かします。(前編はこちら)
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(後編)
    コンボイが守ろうとしたもの、メガトロンが滅ぼそうとしたもの
     おおまかに整理するならば、『ビーストウォーズ』が作られた時代は、「機械」を中心にした価値観から「自然」を鑑みる価値観への過渡期であり、20世紀への反省から来たるべき21世紀への期待が込められた時代だったといえる。 『ビーストウォーズ』はシナリオの面でもこうした対立の上に作られている。  物語のあらすじは、次のようなものだ。時系列的には、トランスフォーマーG1のシリーズの遠い未来と設定されている。かつて激しい戦争を繰り広げたサイバトロンとデストロンは戦いを終え休戦している。しかしその現状をよしとしないビーストメガトロン(自称初代メガトロンの後継者)は、サイバトロンからエネルゴンにまつわる極秘情報が記されたゴールデンディスクを強奪、逃亡する。それを追うビーストコンボイ(おそらく初代コンボイの子孫にあたる)はこれを追撃、デストロンと共に惑星エネルゴアに不時着する。この惑星ではエネルゴンの影響が強く、現地の動物をスキャンし変身しなければ、長時間の活動は不可能だった。コンボイ率いるサイバトロンとメガトロン率いるデストロンの両軍は、エネルゴンが大量に貯蔵された未知の惑星で動物の姿を取って戦う「ビーストウォーズ」をはじめる。  名称が重なるキャラクターが複数いるためややこしいが、構図としては初代コンボイの子孫たるビーストコンボイと、初代メガトロンの後継者たるビーストメガトロンが対立し、未知の惑星でエネルギー争奪戦を繰り広げていると考えてもらえればよい。  これ自体は、地球におけるエネルギー争奪戦という初代のトランスフォーマーの構図をそのままなぞったものである。しかしそれゆえに、「魂を持った乗り物」と「人間」の関係に注目した作品として発展してきたトランスフォーマーにおいて、「動物」だけが存在し「人間」も「乗り物」も登場しないこの作品の特異性が強調されることになる。  それが意識的なものであることは、『メタルス』で明らかになる。実はサイバトロンとデストロンの面々は、惑星エネルゴアに不時着する時点で400万年の過去にタイムスリップしている。惑星エネルゴアとは未知の惑星ではなく、太古の地球であったのだ。  ではなぜビーストメガトロンは過去の地球に降り立ったのか? その真の目的とは、過去に干渉することで未来を改変し、デストロンが勝利した世界を作り出すことにあった。そのためにビーストメガトロンは、ふたつのものを抹殺しようとする。ひとつは人類。もうひとつは、初代コンボイである。  太古の地球に存在する原人を絶滅させてしまえば、後にサイバトロンと協力することになる人類を消滅させることができる。そして休眠状態にある初代コンボイを殺害することによって、その子孫であるサイバトロンも消去しようとする。  この計画そのものは、ビーストコンボイ率いるサイバトロンの奮闘や、味方であるはずのデストロンの裏切りによって頓挫するのだが、その後もビーストメガトロンの思想は一貫している。
     ビーストメガトロンは『メタルス』において、初代メガトロンのスパーク(魂を意味する劇中用語だと思ってもらえればよい)と融合し、その意志の影響を受けて、自らの体から有機体を排除しようとする描写が見られる。これはビーストメガトロンの思想が初代メガトロンによって歪められたと見えなくもないが、もとより初代メガトロンの後継者を名乗っていたことを考えれば、むしろ元から持っていた思想がオリジンに立ち返って先鋭化したと見るべきであろう。すなわち、ビーストメガトロンは機械生命体であるところのトランスフォーマーの原理主義者であり、人間とかかわる以前のトランスフォーマーこそが純粋であると信じていることになる。  一方で、ビーストコンボイは初代コンボイの後継者として、現在までのトランスフォーマーを守ろうとする。こちらの思想は『リターンズ』以降に際立っていくのだが、いったんは「人間と乗り物」の側に立っていると理解してもらえればよいだろう。  すなわち、この物語における対立とは、乗り物として人間とかかわってきたトランスフォーマーの歴史そのものを守ろうとするビーストコンボイと、その間違った歴史を消滅させ本来の純粋なトランスフォーマーを取り戻そうとするビーストメガトロンの対立ということになる。
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  • トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)|池田明季哉

    2022-02-28 07:00  
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラやティラノサウルスといった動物モチーフがどのような象徴だったかを、アニメーション制作の背景から解き明かします。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)
    子供はなぜ「自動車」と「動物」が好きなのか
     動物が機械である、という主張は、一見突飛なものに聞こえるだろう。一般に動物は自然の象徴であり、機械は文明の象徴である。そのふたつは、長らく対立したものとして捉えられてきた。  これがどういうことかを説明するために、まず自動車が宿した成熟のイメージがどのようなものであったかをおさらいしよう。自動車は、近代的な主体による意思決定を、工業技術によって拡張する存在だ。精神が肉体を動かし、肉体は自動車を操作し、自動車は操作を受けて、生身では考えられない強大な力でこの世界を走り出し、物理的な作用を与える。それは主体が社会に、精神が物理に作用を与えるためのシステムであり、その構造こそが近代的な主体概念が仮構する理想の身体像であった。  だとすれば、逆に「身体とは機械である」ということもできる。精神による操作を受け、それを物理的な作用に変換する系として考えるならば、肉体と機械は同一の存在としてシームレスに繋がる。有機的であるか工業的であるかという違いは、単なる製造方法の違いにすぎない。肉体もまた、細かな部品が精妙に組み合わされた結果機能していることに異論はないだろう。  人間の肉体が、自動車がそうであるような「機械」だとするならば、同様に動物も「機械」であるといえる。肉体も自動車やその他の乗り物も、ある機能を果たすためにデザインされている。動物のデザインもまた、環境に適応した進化の結果である。それは「ある作用を及ぼすために最適化された身体」という意味で、相似のものなのだ。そう考えれば、たとえばブルドーザーが土を押し出すプレートを備えることと、キリンが高い場所の葉を食べるために長い首を持つことは、機能がビジュアライズされたデザインという意味で、玩具のモチーフとしては近似のものなのだ。  では、人間とのかかわりについてはどうだろうか。「乗り物」は、そこに人間がかかわることができるからこそ「乗り物」たりうる。トランスフォーマーが異星からやってきた超ロボット生命体でありながら乗り物という人間向けインターフェースを持つことで、人間とテクノロジーの関係を描き出していたことは、本連載ですでに分析した。  この論理でいえば、動物は一見人間からは独立した存在に見える。もちろん馬などをはじめとした家畜には人間とのかかわりを持つものもいるが、「ビーストウォーズ」の世界観において、そういった動物が特別の地位を与えられているということはなく、むしろ野生であることが強調されている。では、「ビーストウォーズ」の美学は人間をどのような存在として捉えているのだろうか。  これはやはり、両陣営のリーダーのモチーフによく表れている。G1時代のコンボイ(以下「初代コンボイ」)はトラックに、G1時代のメガトロン(以下「初代メガトロン」)は銃に変形した。これがテクノロジーの持つ進歩と破壊というふたつの側面を表しており、同時にフロンティアの記憶に根ざすアメリカン・マスキュリニティを象徴していることは以前指摘したとおりだ。  では、ビーストウォーズではどうだろうか。「ビーストウォーズ」におけるコンボイ(以下「ビーストコンボイ」)はゴリラに変身し、「ビーストウォーズ」におけるメガトロン(以下「ビーストメガトロン」)はティラノサウルスに変身する。こうしたモチーフと「人間」の関係は、どのように考えればよいのだろうか。
    ▲MP-32 コンボイ(ビーストウォーズ)。ゴリラからロボットに「変身」する。写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
    ▲MP-43 メガトロン(ビーストウォーズ)。ティラノサウルスからロボットに「変身」する。コンボイと同じく写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
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  • トランスフォーマー(7)自動車の挫折と動物の台頭|池田明季哉

    2022-01-17 07:00  
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。自動車などの工業製品がヒーローロボットに変形する点が特徴だった「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラなどの動物から変形するというコンセプトの裏には、どんな精神性が読み取れるのか?
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(7)自動車の挫折と動物の台頭
     前回は合体戦士からヘッドマスターズまでの流れを分析したが、その後のトランスフォーマーの展開もまた、多様である。  ヘッドマスターと同様のミニフィギュアがエンジン(状のデバイス)に変形して本体に合体する「パワーマスター」、人間や動物を模した外装の中にロボットを収めた奇抜なコンセプトの「プリテンダー」、非変形のフィギュアが武装したりビークルに乗り込む遊びを提案した「アクションマスター」、小型のトランスフォーマーによる基地遊びを前面に押し出した「マイクロマスター」──他にもさまざまなカテゴリがあるが、ここでは多くの試みによって、遊びの幅が実に野心的に開拓されていったことを理解しておくに留めたい。  平行して、日本独自の展開としてアニメーション作品『トランスフォーマー 超神マスターフォース』(1988)『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマーV』(1989)が制作されており、これは後に『勇者エクスカイザー』(1990年)をはじめとする「勇者」シリーズに繋がっていくのだが、こちらの流れについては、「勇者」シリーズの流れと関連して後述しよう。  アメリカにおいては1990年でいったんトランスフォーマーの展開は終了しており、1985年の展開スタートからここまでを便宜上「ジェネレーション1(G1)」と呼ぶことが多い。そしてこのG1に続いて1993年から1995年にかけて展開したのが「ジェネレーション2(G2)」と呼ばれるラインだった。G2は、「フリーポーザブル」と呼ばれるロボット形態の関節稼働や、さまざまな新しいギミックが搭載された傑作シリーズとして人気を博した。

    ▲G2最後期の傑作「バトルコンボイ」。ライト点灯やミサイルの発射などさまざまなギミックを搭載しつつ、優れたプロポーションと関節可動を持つ。 『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』 (メディアボーイMOOK、2019) p85
     フリーポーザブル仕様を投入した変形ロボットであるG2のトランスフォーマーたちは、おもちゃの進歩の歴史としてはたいへん重要な存在である。自由に関節が動くということが遊びの想像力にどのような影響を与えたかも興味深いところではあるが、モチーフのレベルではむしろマシン―ロボットというトランスフォーマー初期のコンセプトに立ち返ったと考えることもできる。そのためここではその存在に触れるに留め、次の展開に論を進めていきたい。  その展開とは、1996年よりスタートした『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』だ。

    ▲「ビーストウォーズ」wave1として発売されたコンボイ(Optimus Primal)。ゴリラからロボットへ変形する。丸みを帯びたシルエットと毛並みのディティールが、それまでのトランスフォーマーとはまったく異なる。写真は2021年発売の復刻版。(出典)
    フロンティアのG1、冷戦のG2
     このシリーズは、ふたつの点で画期的である。ひとつは、これまでのようなマシンではなく、生の動物がロボットに変形すること。もうひとつは、フル3DCGで制作されたアニメーションで物語が展開されたことだ。
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  • トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体|池田明季哉

    2021-03-24 07:00  
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回に引きつづき、玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から読み取れる意志を読み解きます。アメリカと日本で横断展開された「トランスフォーマー」シリーズでは、同じ仕様の商品であっても、とりわけ「合体」の意味論をめぐって、双方の物語メディアでの解釈が大きく異なります。そこで表面化した、ロボットの「心」と「身体」をめぐる思想の違いとは?
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体
    トランスフォーマーの心はどこにあるのか
     1987年から、トランスフォーマーの展開は一気に複雑化する。『2010』のアニメーションが終了したことによって、アメリカ展開と日本展開で独立したメディア展開が行われたためだ。アメリカではアニメーション『ザ・リバース』を経て後にマーベル・コミックスが物語を担当し、日本では独自に制作されたアニメーション『ザ☆ヘッドマスターズ』が物語の中心を担うことになる。とはいえ展開している玩具そのものは同一であるため、ひとつの玩具デザインに対して、アメリカと日本でふたつの物語的な解釈が存在する、奇妙な状態になっている。  この解釈の差はたいへん興味深い。ここではそれぞれの文化がトランスフォーマーに対してどのような解釈をもって理想の身体を見出したのかを考えていきたい。  まずは共通する玩具のデザインについて確認しよう。「ヘッドマスター」と呼ばれるカテゴリの商品は、大きくふたつのパートからなる。すなわち大型ロボットの頭部に変形する小型ロボット「ヘッドマスター(カテゴリと同名)」と、大型ロボットの胴体に変形するマシン「トランステクター」だ。ふたつが合体(ヘッドオン)してひとつの大型ロボットを構成するほか、マシン形態になったトランステクターには、ヘッドマスターを搭乗させることができる。  ヘッドマスターとトランステクターの接続部は基本的に共通の規格で作られており、交換することができる(クロスヘッドオン)。トランステクターの胸部パネルを開けば「SPD(speed)」「STR(strength)」「INT(intelligence)」と表示されたメーターがあり、これはロボット(人格があるのでキャラクターだが)の性能を示している。

    ▲ヘッドマスターズの中心キャラクターのひとり、クロームドーム。小ロボットが頭部に、スポーツカーが胴体に変形、合体する。(出典:『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』(メディアボーイ)P24)
     日本版の物語においては、小型ロボットであるヘッドマスターに意志の本体があり、それがトランステクターという乗り物に合体することによって力を発揮する、という構図になっている。大型ロボットへの変形前は、ヘッドマスターという乗り手がトランステクターという乗り物に搭乗するかたちになっていた。頭部に主体を置き、胴体はそれに追従する存在としたこの日本版の設定は、頭という部位を乗り手、胴体という部位を乗り物として解釈したと理解できるだろう。
    ▲日本版アニメーションに準拠するヘッドマスターの概念図。(出典:『決定版 トランスフォーマーパーフェクト超百科 』(テレビマガジンデラックス)P40)
     一方、海外版アニメーションの設定はやや入り組んでいる。まずヘッドマスターは、頭と胴体が一体となった通常のトランスフォーマーとして登場する。しかし敵と戦う過程で、人間と同サイズの異星人「ネビュロン人」のアドバイスが必要になる。そこでヘッドマスターたちは、頭にあった記憶を胴体にコピーし、胴体のみで活動可能な状態となる。その上でスーツを着たネビュロン人が頭部に変形し、胴体に合体するのである。当然、頭部にはネビュロン人の意志があり、胴体には従来のトランスフォーマーの意志があることになる。映像作品の中では、頭部にいるネビュロン人の助言を受けながら、胴体が戦闘を行う、というような描写になっている。  一方、マーベルのコミックス版もこれと近い構造で、トランスフォーマーたちは信頼の証として自ら頭部をもぎ取り、改造を受けたネビュロン人がその位置に収まるというような描かれ方になっている。主体については基本的に頭部となったネビュロン人側にあるように思われるが、本来の頭部もボディとリンクがあるようであり、主体の位置についてはやや曖昧である。

    ▲マーベル版の描写。信頼を得るために自ら頭をもぎ取る姿はショッキングなものとして描かれており、カバーにも使われている。(出典:『トランスフォーマークラシックススペシャル:ヘッドマスターズ』(メディアボーイ)P4, P26)
     こうして比べてみると、興味深い差が明らかになる。日本版は「頭部になる小型ロボット」を、「胴体になるマシン」が「拡張」すると考えている。逆に海外版の設定は、アニメーション版もコミックス版も、トランスフォーマーの身体を「頭」と「胴体」に「分割」すると考えている。  なぜこのような差が起きるのだろうか。
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  • トランスフォーマー(5)「合体するロボットたちの主体とリーダーシップ」|池田明季哉

    2021-01-21 07:00  
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回からは改めて『トランスフォーマー』について、玩具としてのプロダクト展開を歴史的に辿っていきます。日本のタカラとアメリカのハズブロ社の2社によって作り上げられた「トランスフォーマー」シリーズは、日本とアメリカ、それぞれの美学の綱引きによって移り変わっていきました。今回はその中でも「合体戦士」に着目し、合体にまつわる日米の価値観の違いをひもときます。

    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(5)「合体するロボットたちの主体とリーダーシップ」
     こんにちは、池田明季哉です。前回からかなり間が空いてしまいました。実はこの間、1年住んでいたイギリスから日本へと帰国していました。そしてイギリスに滞在した経験を元に書いた小説が電撃大賞で賞をいただき、その出版に追われていました。『オーバーライト──ブリストルのゴースト』というタイトルで、4/10に発売され、続編である『オーバーライト2──クリスマス・ウォーズの炎』が10/10に発売されています。慌ただしい日々を送っていましたが、おもちゃ遊びを欠かしたことはなく、改めておもちゃの可能性を整理していきたいと思っています。よろしくお願いします。
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     今回からは、トランスフォーマーの展開について補足していきたい。  ここまで「G1」と呼ばれる初期トランスフォーマーのリブランディングがどのような想像力で行われたかを推察し、そしてハリウッド映画版が美学の上でどのように行き詰まったかを整理してきた。いわば原点と現在地点の双方から挟み撃ちにするかたちで、トランスフォーマーが描いてきたイマジネーションを分析してきた。  しかしこれはトランスフォーマーというブランドが歩んできた35年以上の長い歴史の、あくまで両端にすぎない。その歴史のなかで「魂を持った乗り物」の想像力もまた、大きく変遷してきた。補足をしてなおすべてを語りきることはできないが、特に重要だと思われるアイテムやシリーズの宿した想像力について、メディアでの描かれ方と突き合わせながら確認していきたい。  トランスフォーマーは、日本文化とアメリカ文化の両義性に本質があると定義した。そしてトランスフォーマーの想像力もまた、日本のタカラとアメリカのハズブロの関係に象徴されるように、日本的な美学とアメリカ的な美学の綱引きによって移り変わっていった。長い歴史を持つぶん、提出されたデザイン・語るべき文脈もまた膨大である。そのすべてを網羅的に紹介できないことは心苦しいが、重要な想像力を持つアイテムをピックアップして、その想像力について論じていきたい。
    合体戦士は強いか、弱いか
     1984年にスタートしたトランスフォーマーはそのラインアップを拡げ、1985年には1つのロボット形態に2つのマシン形態を持つ「トリプルチェンジャー」であるブリッツウィングやアストロトレイン、また複数のトランスフォーマーが合体する「合体戦士」である「ビルドロン巨人兵 デバスター」といった、印象的なキャラクターが登場した。

    ▲ビルドロン巨人兵 デバスター。6体のロボットが合体する。(出典:『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』 (メディアボーイ)P13)
     まず、この「合体戦士」の受け止められかたについては触れておきたい。「複数の主体を持ったロボット/マシンが合体すると、さらに強くなる」という文化は、1970年代の数々の日本ロボットアニメをはじめ、タカラにおける玩具発のシリーズとしては「ミクロマン」、そしてそれを引き継いだ「ダイアクロン」の時点ですでに確立されていた。デバスターの原形となった「ダイアクロン 建設車ロボ」もまた、こうした想像力を下敷きにしていると見ていいだろう。
    ▲ダイアクロン建設車ロボ。(出典:『ダイアクロンワールドガイド』(ホビージャパン)P72)
     ところがデバスターには、明確に異なった特徴がある。確かに合体によって強力な力を得るのだが、合体する6人の意志がバラバラのため、知力が下がっているという弱点が与えられているのである。
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編 ヨーロッパおもちゃ最前線ーー虹色に輝く「うんち」の美学

    2019-10-10 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は番外編として、ヨーロッパ諸国のおもちゃ事情を報告します。ジェンダー的な中立性が好まれるフランスやドイツでは、児童向けおもちゃの偏向は厳しく咎められますが、一方イギリスでは、「悪趣味」で「下品」なおもちゃが人気を集めているようです。
     こんにちは、池田明季哉です。先日イギリスから帰国し、久々に日本での生活を満喫しています。今回は番外編として、イギリスのおもちゃ事情を振り返りながら、海外、特に中心的に訪れた西ヨーロッパのおもちゃを取り巻く文化について考えてみたいと思います。
    日本、アメリカ、イギリス、そしてフランスとドイツ
     この連載では「おもちゃには理想の成熟のイメージが込められている」という前提のもとに、日本のおもちゃが発展させてきた独自のイメージについて議論を進めてきました。そのなかで、日本のおもちゃ文化はアメリカ文化がベースになっている、と幾度か言及しています。  さらに遡って、こうしたアメリカ文化における成熟の美学の源流を求めるとき、イギリス文化の存在を避けては通れないでしょう。もちろんイギリス文化は西ヨーロッパの文化の中心たるフランス文化の影響を大きく受けていますし、フランスの長年のライバルともいえるドイツ文化との関連も見逃せません。  世界史的には文化の中心地のひとつと目されているこうした地域で、果たしておもちゃにどのような成熟のイメージが込められているのでしょうか。
    ヨーロッパに「おもちゃ屋さん」はあるか
     さて、そもそもヨーロッパの子供たちは(あるいはその親たちは)、おもちゃをどこで、どのようにして買っているのでしょうか。  日本では専門のおもちゃ小売店が次々と閉店して久しく、現在に至っては街でその姿を見ることはほとんどありません。代わりに台頭してきたのが、家電量販店です。多くの家電量販店にはおもちゃのフロアが用意されていて、品揃えもかなり優れています。  いっぽう、Amazonをはじめとしたオンライン通販も非常に便利です。東京都内であれば翌日には届きますし、筆者の実家である北海道にも、翌々日には届くことがほとんどです。日本国内で普通に流通している一般的なおもちゃであれば、あえて小売店に行く必要はほぼないと言ってしまってよいでしょう。  ところがヨーロッパには、こうした文化はほとんどありません。専門の「おもちゃ屋さん」が街にあり、そこで購入することが普通です。もちろんオンラインで購入することも可能ですし、若い世代を中心に徐々に浸透してもいるようですが、日本ほど受け入れられているとはいえないように思われます。少なくとも、大きなショッピングモールがあれば、そこにかなりの確率でおもちゃ屋さんがある程度には、小売店は存在感を発揮しています。  こうした環境の違いは、社会において「おもちゃ」が置かれている文脈の違いを象徴しています。  日本において、家電量販店に置かれているのは、子供向けのおもちゃだけではありません。高価格高品質のフィギュアをはじめとして、主に大人の「オタク」向けのいわゆる「ホビー」に分類されるような商品も、同じフロア、近接した棚に並んでいることがほとんどです。原理的にすべての商品が並列に置かれるインターネット通販でも、状況は同じであるといってよいでしょう。  また基本的には子供向けに開発されているおもちゃであっても、大人が購入して遊ぶような状況も稀ではありません。たとえば「スーパー戦隊」「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ガンダム」など、長年続くIPのファンが親となり、その子供におもちゃを買い与えて一緒に遊ぶ風景は、もはや普通のものになってきています。  対してヨーロッパでは、おもちゃは基本的に「子供のもの」です。筆者が住んでいたイギリスにおけるおもちゃ小売の大手「Hamleys」や「the entertainer」などに並べられているのは、子供を対象にしたものに限定されています。特に「Hamleys」において顕著ですが、キャラクターIPを軸とした商品はむしろジャンクなものとされている雰囲気もあり、狭い意味で「子供らしい」ものが中心となっています。  もちろん、アメリカンコミックスに代表されるような「大人のホビー」としてのおもちゃも、しっかりとしたファン層があります。しかしこうしたおもちゃはアクションフィギュアのような、どちらかというとコレクターズアイテムとして、コミックショップなどで販売されています。コミックショップでは子供や親子連れの姿も頻繁に見ることができますので、「おもちゃ屋さん」と「コミックショップ」を訪れる客層が完全に別れているというわけではありませんが、やはり「子供のおもちゃ」と「大人のホビー」が分かれた場所で販売されているということの意味は大きいように思われました。  おもちゃ史としては、こうした「おもちゃは子供のもの」というヨーロッパ的な態度のほうがむしろ伝統的なものです。むしろ「子供」と「大人」が境界なく融合する傾向の強い日本文化こそが、特殊なものであることが再確認できました。
    「レゴの警察セット」は是か非か――フランス
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(3)タイム・アフター・ザ・スペース・レンジャー

    2019-07-30 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』、番外編『トイ・ストーリー4』論のラストとなる第3回です。ジェンダー論的な「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)を体現する本作で、ウッディやバズに代わってマチズモを象徴する役割を与えられたキャラクター・カブーンから「新しい男性性」の萌芽を考えます。 ※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。
    物語のレベルで「置き去り」にされるバズ
    『トイ・ストーリー4』は、現代におけるジェンダーと結びついた美学の問題を、おもちゃという必然性あるモチーフによって整理し、ボーというキャラクターを中心に力強く描き出した傑作です。しかし本連載の立場からは、ふたつの問題点を指摘したいと思います。象徴的にいうなら、それはバズの立場が希薄化しているということに集約されます。  ひとつは、『トイ・ストーリー3』まで展開されていた、アニメーション映画史におけるコンピュータ・テクノロジーという主題が後退してしまったこと。これは3DCGがあまりにも当たり前になったという時代の変化に対応していますし、『トイ・ストーリー3』でアンディの物語と共に完結した主題であったので、脚本上の要素の取捨選択としてはむしろ正当なものであるともいえなくはありません。しかしウォルト・ディズニーが確立したアニメーションの伝統を、コンピュータ・テクノロジーで大胆に換骨奪胎し更新していくダイナミズムによって駆動されていた前3作に対して、こうした文脈での批評性は限定的なものに留まってしまっている印象はあります。  先述のように、バズはテクノロジーを象徴するキャラクターでした。バズが物語上積極的な役割を果たす立場でなくなっているのは、テクノロジーという主題がほぼ放棄されていることと関係しているでしょう。これには90年代にはまだギリギリ「新しいもの」としてのイメージを持っていた宇宙飛行士やギミック満載のアクションフィギュアというモチーフが、現在では「中途半端に古いもの」という非常に扱いにくい存在になってしまったという難しさもあると思われます。しかしそれでも「トイ・ストーリー」シリーズが、ポリティカリー・コレクトな世界以上の「未来」を語ることができなくなっている現状には、一抹の寂しさを感じてしまいます。  もうひとつ、より大きな問題は「新しい男性性」の描かれ方が不十分であることです。これまでの作品において「新しい男性性」を象徴してきたのはバズでした。本作において、バズはほとんど物語の中心から外されています。「旧い」「新しい」という縦軸と、「男性性」「女性性」という横軸によって区切られる四象限を定義するとき、『トイ・ストーリー4』は「新しい女性性」による「旧い男性性」の放逐と「旧い女性性」の救済を描いているのですが、「新しい男性性」については、ほとんどなにも描いていません。  ギャビーを通じて「旧い女性性」を救済しつつボーに「新しい女性性」を象徴させ、「旧い男性性」の象徴であるウッディを葬る物語を描いた『トイ・ストーリー4』が語り残してしまったもの、それはアニメーションの未来と「新しい男性性」ーーバズの物語であった。これまで論じてきた本作の問題点は、このようにまとめることができるでしょう。
    デューク・カブーンとジョン・ウィック
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(2)シェパーデス・オン・ザ・フロンティア

    2019-07-24 07:00  
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    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』の番外編、『トイ・ストーリー4』論の第2回です。今作では、伝統的な男性性の頓挫が描かれ、フェミニズムを意識した目配せも各所にあります。その背景を、本作の製作中に起きたジョン・ラセターの不祥事による退陣を含めて読み解きます。 ※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。
    新たな「カウボーイ」としてのボー・ピープ
    『トイ・ストーリー4』で衝撃的な再登場を果たすのが、羊飼いを象った陶器製のランプであり、かつてウッディの恋人であったボー・ピープです。物語はボーとウッディの別れのシーンからはじまり、その後ボーがアンティークショップの棚の売れないアイテムという立場から逃げ出して、特定の子供との関係を求めない、自立した「ロスト・トイ」として生きてきたことが語られます。 劇中において、ボーは野で暮らしてきたワイルドで力強い女性として描かれます。身体能力が高く、折れた腕も動じずテープで直せばいいと言い切る豪快さを持ち、その知性であるときはウッディを論破しさえするし、強い意志で計画を実行するリーダーシップもあります。ある意味では「羊飼い」である以上に「カウボーイ」的といってもいい。『トイ・ストーリー4』の物語は、美学の上ではボーを中心に語られていきます。
    ▲ボー・ピープ(出典)
     ボーの相棒であり、同じく「ロスト・トイ」である小さな人形ギグルも女性で、かつ警察官というアメリカ的な男性性と強く結びついた職業をモチーフにしています。ギグルはおそらく80年代に展開されたブルーバード社(後にマテル社)のポーリー・ポケットという玩具をモデルにしていますが、ポーリー・ポケットは伝統的に女児向けのおままごと遊びという文脈のもとで開発されたおもちゃで、警察官のものはおそらく存在しないか、存在しても主流商品であったとはいえません。このモチーフの改変は、意識的になされたと見ていいでしょう。
    ▲ボーの肩に乗っているのがギグル・マクディンプルズ(出典)
     また同じ「ロスト・トイ」仲間であるコンバット・カールはハズブロ社のG.I.ジョーをモデルとしたキャラクターで、こちらも本連載で触れたとおり、軍人というアメリカ的男性性と強く結びついたおもちゃです。コンバット・カール(厳密にはそのバリエーション)は、後にある重要な役割を果たしますが、それは本稿の最後に改めて触れます。  ともあれここで注目したいのは、「ロスト・トイ」には、(羊飼い改め)カウボーイ、警察官、軍人というアメリカにおいて男性性と強く結びついたモチーフが導入されているということです。もちろん、90年代に流行した空飛ぶ妖精のおもちゃ「スカイダンサーズ」なども登場しますから、すべてがそういったイメージで占められているわけではありませんが、印象的なキャラクターにこうした要素が配置されていることは重要です。その中心であるボーは、24年の間に育まれたフェミニズムの達成が作り出した、強く美しい「新しい女性性」の象徴だといってもよいでしょう。
    ギャビー・ギャビーと母性の救済
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(1)パラダイス・ロスト・オブ・ザ・カウボーイ

    2019-07-16 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』の番外編として、現在公開中の映画『トイ・ストーリー4』を論じます。1995年の第一作目以降、本作の〈男性性の美学〉は少しずつ形を変え、多様な価値観を包括するようになりました。トイ・ストーリーシリーズの24年間の主題の変遷を改めて振り返ります。※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。
     こんにちは。デザイナーの池田明季哉です。今回は『“kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』の番外編として、『トイ・ストーリー4』について論じていこうと思います。  ご存知のとおり、『トイ・ストーリー4』は前世紀末、1995年に第一作が公開された「トイ・ストーリー」シリーズの最新作ですから、世紀末ボーイズトイから現代に繋がる想像力を引き出そうとするこの連載としては、避けて通ることはできません。これまでおもちゃにとって重要なトピックを提示し続けてきた本シリーズの批評力は、今作においても健在です。『トイ・ストーリー4』を通じて、現在のおもちゃ、特にアメリカのおもちゃ文化が置かれている状況について考えていきたいと思います。  僕は故あって、現在イギリスに住んでいます。6月21日のアメリカ公開と同時にイギリスでも本作が公開され、7月12日の日本公開に先駆けてこの作品を見る幸運に恵まれました。当然見たのは純粋な原語版ということになるので、カタカナによる代替表記については筆者独自のものであり、後に公開されるであろう日本語の吹き替え・字幕の表記とは揺れがある可能性があることをご了承ください。
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  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 第三章 ビーダマン(2)「炎の魔神」がビー玉に宿した魂

    2019-06-20 09:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。『スーパービーダマン』シリーズは、シリーズを重ねるごとにビーダマンに人格が付与され、『爆外伝』において完全なキャラクターとなりますが、同時に、物語からは人間が撤退します。そしてビーダマンは、鎧と人と機械の中間的存在から、それらの境界が完全に融解した存在へと深化します。
    『爆球連発!!スーパービーダマン』(以下『スーパービーダマン』)において、道具と人格の両義性を持つビーダマンというキャラクターは銃器のデザインと結びつき、不屈のフィジカルによって倫理を貫徹しようとするタマゴと、「軍人」あるいは「殺し屋」を彷彿とさせる20世紀的な男性の美学の体現者であるガンマというふたりのヒーローを生み出した。そしてその物語を通じて、ビー玉を発射する一種の銃器であるビーダマンがはらむ暴力を、倫理によって治める展開が描かれることになった。
    実はタマゴが得意とした「締め打ち」は、現実世界のビーダマンの玩具において大きな問題を引き起こしている。主人公であるタマゴの機体「フェニックス」シリーズは、パワーを重視しているという設定もあり、ビー玉発射の威力を増す方針で開発されていった。しかし硬く重いガラスでできたビー玉がプレイヤーの無茶な締め打ちによって撃ち出されることで威力が増し、競技中にプレイヤーが怪我をする事態が続出することになった。しかしビー玉の速度を限定することは、ただでさえ数少ないカスタマイズのパラメータを減らすことに繋がり、プレイバリューを大きく損なうことになる。そのため以降のビーダマンはパワーをどのように制御していくかを設計段階で考慮する必要に迫られ、締め打ちを構造上不可能にしたり、地面に設置しなければ発射できないような一種のセーフティを組み込むことで安全性を向上する工夫を余儀なくされていく。劇中で人間に向けてビー玉を撃つマダラがタマゴによって諌められるという物語は、相当に切実なものであったことは付記しておきたい。
    「人」の形をした「道具」
    『スーパービーダマン』において興味深いのは、ビーダマンに人格や魂を感じさせる描写がほとんどない点だ。初期にこそ、タマゴにとってビーダマンが「友達」であるという発言があるし、仮想空間内でビーダマンと一体化するというイベントも存在するのだが、ビーダマンに魂のようなものを感じる描写は基本的にはないといっていい。
    このことは『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』(以下『レッツ&ゴー』)において、豪がマグナムに魂を見出し、マグナムが豪の叫びに応えることと対照的だ。ミニ四駆とビーダマンは、自動車と銃というアメリカ的な表象を象った同時代のカスタムホビー玩具という非常に似た位置づけながら、この点において決定的に異なっている。それぞれの作品で描かれる美学も異なったものになったのはそれゆえだ。
    このことは、デザインという観点から見れば、実に奇妙に思える。というのも、ミニ四駆が自動車という乗り物をベースにそのデザインを発展させたのに対して、ビーダマンは自律的に行動するロボットであったボンバーマンのデザインを基礎としている。あくまで「乗り物である」ということにこだわり機能的には必要ないコックピットにこだわったミニ四駆がむしろ魂を宿し、目があり瞳がある人型ロボットの形をデザインに残したビーダマンの方がプレイヤーの道具に徹した、という事実は、デザインとそこに宿る想像力が逆転しているように見えるからだ。
    この興味深い逆転は、ミニ四駆とビーダマンの、玩具としての性質の違いに根ざしている。ミニ四駆はいったん手を離してしまえば、直接操作することができないところに大きな特徴がある。ミニ四駆が魂の器たりえたのは、この直接的には操作できないという性質によるものであることはすでに論じたとおりである。一方、ビーダマンはあくまでプレイヤーが直接ビーダマンを操作し、トリガーを引いてビー玉を発射する。そこにはミニ四駆にあるような間接性が入り込む余地はなく、すべての結果はプレイヤーの操作と直接結びつき、身体の延長となる。ミニ四駆が「魂を持った乗り物」としての想像力を宿し、ビーダマンが「軍人」の美学にこだわったのは、そのインターフェースデザインによる必然といっていいだろう。
    後に『スーパービーダマン』の系譜は、威力を減衰させて直接打ち合う対戦形式を採用した2002年〜2005年の「バトルビーダマン」、タワーを破壊する間接競技へと切り替えグリップとトリガーを設けてより銃器に近いデザインとなった2005年〜2007年の「クラッシュビーダマン」へと受け継がれていく。やがて2011年〜2013年の「クロスファイト ビーダマン」では、キャラクター性を全面に押し出し基本的にすべてのビーダマンが人格を持ち会話する設定を取り入れた。これはスーパービーダマンの系譜が宿した想像力からは例外的と言えるもので、おそらくは他の玩具シリーズなどからさまざまな影響を受けている点で大変興味深いが、逆に言えばスーパービーダマンは顔を持ったそのデザインにもかかわらず、魂を持つまでに実に誕生から10年以上の歳月がかかったと考えることもできるだろう。
    「爆外伝」が描いたボンバーマンしかいない世界
    ボンバーマンというキャラクターが持つ両義性のうち、機械であるという点は競技に注力したスーパービーダマンの系譜において強調されていった。一方、人格を持つ点について拡張し、フィギュアとして発展していったのが、もうひとつのビーダマンの系譜「爆外伝」シリーズだ。
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