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00年代の怪しい目撃者“Show”大谷泰顕■松澤チョロの「脱線プロレス」
元『紙のプロレス』編集者・松澤チョロの脱線プロレスシリーズ第13弾。今回は“Show”大谷泰顕さんがゲストです!(聞き手/ジャン斉藤)
【1記事から¥150から購入できる松澤チョロの脱線プロレスシリーズ】
・最強の格闘家ジョビンを現役復帰させる会
――松澤チョロさんの「脱線プロレス」コーナー、今回のゲストは“Show”大谷泰顕さんです!チョロ 大谷さんとの付き合いはかれこそ20年以上になりますけど、実際に会うのは3年ぶりくらいですね。Show みんなひさしぶり。というか、これはどういう企画なの?
――危なっかしい人をゲストに呼んで危なっかしい話をするコーナーです。
Show じゃあ、まったく俺向きじゃないや。
チョロ ヒャッ!? いやいや、めちゃめちゃ危なっかしいですよ。大谷さんはPRIDEやK-1、猪木さん周辺にも深く食い込んでいたから面白い話はいくらでも持ってるはずなんで。
――PRIDE・K-1の冷戦時代、どっちの団体にも食い込んでいたのは大谷さんだけなんですよね。
Show ちょっと待って。あのさ、その「危なっかしい」という言葉に引っかかるなあ。そこの誤解を説いておきたい。いや、誤解されてもいいんだけどさ……。
――開始早々、面倒くさい!(笑)。
Show あのさ、俺は思うのは、この業界は『東スポ』や『週プロ』とかさ、そういう人たちが作ってきてるわけじゃないですか。もちろん団体があって、そのニュースを伝える側がいて、いまはSNSが発達しちゃったからメディアの役割も全然変わってきちゃってるんだけど。それでも俺は『東スポ』や『週プロ』とかさ、そういう人たちが昔からやってきたから、この業界はなんとか残ってると思うわけ。チョロ よ~くわかりました!! それで大谷さん、プロレス格闘技業界に携わって何年くらいですか?
Show いや、まだ話の途中。ごめんね。
チョロ あ、まだ続きますか。
Show だから俺は『東スポ』や『週プロ』の領域みたいなものはなるべく侵したくないわけ。その人たちがやらないことをなるべくやるように努力してる。ちょっと前だと、全日本プロレスの福田剛紀社長のインタビューだよね。これは絶対に『東スポ』や『週プロ』はやらないだろうなって。
――あれは「やらない」じゃなくて「やりたくない」んですよ!(笑)。Show (聞かずに)だからまずは『東スポ』や『週プロ』の人たちに取材してもらって、俺はなるべくそれ以外から次に繋げる企画をいつも考えるようにしてるつもり。そうやって気を遣っていることがそういう人たちからどう思われているかはわかんないけど、「危険物処理班」みたいな仕事をなるべくやるように心がけてる。それを「危なっかしい」扱いするのはかまわないんだけど、俺はそういう心構えでやってるってこと。
チョロ 危なっかしいといえば、大谷さんってわりと炎上しがちで、大谷さんが担当していた猪木さんのYouTubeチャンネルも叩かれることが多かったですよね。
Show うーん、そこはどうなんだろ? それはそれでしょうがないよね。猪木さんって多面体の極知みたいな人だから、俺が「面白い」と思っても「そうじゃない」っていう人もいるし、いろんな見方をされる人でしょ。ただ、俺は猪木さんの亡くなる10日前にたまさか取材をやらせていただくことになっちゃったじゃないですか。
チョロ 「アントニオ猪木を最後に取材した男」ですよね。
Show 結果的に猪木さんの最後の言葉を届けてしまった責任はあるし、結局、最後の最後に猪木さんの骨を拾わせていただくなかの1人にもなった。まさか猪木さんの骨を拾うことになるなんて考えてもいなかったですよ。だから誰がどう思うかはともかく、俺の中では全うしていかなきゃいけないなっていう思いはあります。ごめんね、まだ前置きは続くんだけど……。
チョロ ヒャッ!? まだまだ続きますか(笑)。
Show ここから『紙のプロレス』の話にも繋がるんだけど、これは以前、斉藤氏には言ったかもしれない。俺はこの業界に30年くらい携わっていて、「この人はすごい」と思った人間が4人いる。
――そんな話、全然覚えてないです。
チョロ 当てていいですか? 石井館長、榊原(信行)さん、谷川貞治さん、ターザン山本さんの4人!
Show あー、惜しいかな。
チョロ じゃあ猪木さんが入ってるかな。
Show 猪木さんはすごい人だけど、ちょっと次元が違うよね(笑)。もちろん石井館長と山本さんもすごいけど、俺がどうこう言える人とは違うかなと。バラさんと谷川さんは入っている。残りの2人は山口(日昇)さんと、柳沢(忠之)さん。
チョロ 小さい判型の頃の『紙プロ』をやっていた2人。
Show 俺はこの4人はすごい世話になったし、兄貴だと思っているのね。だからチョロ氏と斉藤氏からこうやって話を聞かれるのは、2人が山口さんのところにいたから、という理由が俺にはあるんだよ。まあ2人は俺の兄貴の子供ってことだよね。
――大谷さんの親戚にはなりたくなかったですよ(笑)。
Show 俺はあの2人に猪木さんの見方を教わったというか……あっ、猪木さんといえばさ、これも余談なんだけど。
チョロ はい(笑)。
Show この業界にいる役割、役目ってなんだと思います?
チョロ まったくわかりません!
Show ひとつは選手を作る、ふたつ目は現象を作る。最後のひとつが歴史を繋ぐ。この3つだと俺は勝手に思ってんの。猪木さん関連でいえばサイモン・ケリー(WWE日本アドバイザー)、猪木元気工場の宇田川取締役はすごいなぁと思ってて。サイモン氏でいえばSareeeやら中嶋勝彦を含め、「闘魂」をどうこれから残すかを考えているし、宇田川氏でいえば『猪木展』をやったりして、選手や現象を作ったり、アントニオ猪木の何かを繋ごうとしているんだよ。そのやり方が合ってるかどうか知らんよ。でも、彼らが見ているのは後ろ(過去)じゃないのよ。先(未来)なんだよ。先を見て猪木さんをどう残すかみたいなのを考えた結果、奮闘してるんだなって。
――……話を聞いて思ったのは、Show大谷さんは身近で頑張っている人をしっかり評価してあげたいんだなって。でも、その褒め方が「仲がいいんだろうな」ってことがまず来ちゃうんですよね。たとえばSareee選手と闘魂がまったく結びつかないですし。
Show 仲が良いからじゃなくて、サイモン氏と宇田川氏の話をちゃんとすると……。
――しなくていいです!伝わりました!(笑)。今回は00年代プロレス格闘技事情にうるさいジャン斉藤の発言が多めでした!
チョロ 似たような話でいえば、最近の大谷さんは女子プロレスを猛プッシュしてるじゃないですか。
Show している。けど女子プロレスっていうよりも、それこそアントニオ猪木繋がりでSareeeと中島安里紗、SEAdLINNNGのたいよう南月代表という「絶滅危惧種」に遭遇したから、この人たちの凄さはどうにか伝えたいし、残してあげたい気持ちが強い。
チョロ でも、なんであんなに推しているんだろうって。大谷さんは本音が伝わりにくいんですよね。「この人、本当に何が好きなんだろう?」って。べつに好きなものをプッシュする必要もないし、ビジネスライクにやってもいいとは思うんですけど。たとえば昔の大谷さんだったらパンクラス好きのイメージがすごくあって。
Show たしかに昔は取材していたね。
――あの当時のパンクラスを推すのはよくわかるんですよ。でも、サイモンさんと宇田川さんを推す理由があまり見えてこないんですよね。
Show なるほど、伝わってないんだね。でも、パンクラスのときはわかるんだ。
チョロ あの当時のパンクラスは語りがいがあったはずだし、それこそ一般メディアに向けてプレゼンしやすいし、ビジネスにも直結したんだなと思いますよね。
――当時のパンクラス番といえば、ヤスカク(安田拡了)さんか大谷さんだし、パンクラス道場の永久会員でしたよね?
Show あ、入ってた! けど、パンクラスの話をしなきゃいけないのは、めんどくさいなあ。
――サイモンさんや宇田川さん以上に重要ですよ! 『紙プロ』は前田日明のジェレミー・ホーン引き抜き事件の裁判資料になったこともあって、パンクラスの取材をできなくなるんですけど。その前に『紙プロ』は『パンクラス公式本」の『矛』と『盾』を作ったじゃないですか。あれはShow大谷さんの持ち込み企画だったんですよね。
Show その話をするんだったら、俺と『紙プロ』がどうやって繋がったかという話からしなきゃいけないよね。
チョロ やっと本題に!(笑)。そこも具体的にはわからないですよね。気づいたら大谷さんが紙プロ編集部に出入りしていたから。
Show まず俺が東京に来たのは……。
チョロ そこから! やっぱり前置きが長い!(笑)。
Show ごめんね。上京したのがたぶん91年の5~7月ぐらいなんですよ。そこからいろんなツテをたどりながらやってくんだけど、93年の4月にK-1ができて、9月にパンクラスができた。その後、11月にUFCが生まれた。で、猪木政界スキャンダルも93年なんですよね。だから1993年ってすごい年なんですよ。
――中学校で休んで、新間寿さんの「アントニオ猪木のPKO」発言が飛び出した記者会見生中継を見ましたよ。
Show で、その猪木政界スキャンダルをきっかけに山口さんと柳沢さんは『猪木とは何か?』という本を作るじゃん。その本がバカ売れしたこともあって、翌年に『猪木とは何か?』の続編『キラー編』を出すでしょ。そこで俺は原稿を書かせてもらってるんだよね。そこが『紙プロ』との初めての繋がりっちゃ繋がりなんだ。
チョロ えっ、大谷さんって『キラー編』で書いてましたっけ。どういう理由で書くことになったんですか?
Show 東京に来てから、とある出版社でアルバイトを始めたんですけど。その出版社が出していた雑誌が休刊になって。これからどうするかってときに『JUNGLE』っていうプロレス雑誌をやることになって。
チョロ 『JUNGLE』!! ありましたねぇ。
Show そこで初めて猪木さんを取材した。場所は参議院会館だったけど、俺はもともとバリバリの新日本プロレス大好き人間だったわけ。80年代に「これはプロレスブームじゃない! 新日本ブームだ!」って新間寿さんが言ってたけど、ホントそこにズバリとハマって新日本オンリーだった。「新日本に非ずものはプロレスに非ず」というか。ただ、猪木さんじゃないんだよね。
――最初は「猪木さんの何が面白いかわかんない」というスタンスだったんですよね。
Show わかんない、わかんない。でも、俺は新日本プロレスファンだったから、猪木さんのインタビューなんかを読み尽くしてるわけ。だけど実際に猪木さんのインタビューをしたら、「あ、やっぱりこういうことを言うんだ」っていう確認作業になっちゃうのよ。「猪木さんはやっぱり『プロレスは闘いである』って言うんだな」とか。で、その取材をしたときに、猪木さんが「この業界を面白くできる奴はいねえのか?」ということを言ったの。それをコピーにして『JUNGLE』の表紙にしたら、山口さんと柳沢さんが反応して「面白い奴が猪木さんの周りに出てきたな」ってことで、俺に原稿依頼があったんだよね。そこで猪木vsブロディの初対決の記事を書いた。チョロ 猪木さんインタビューをやるってことは、『JUNGLE』ではメインどころを任せられたりしてたんですか?
Show というか、一番初めは編集者が俺しかいなかったから。3ヵ月に1回くらいのペースだったし、当時はそういうプロレスムックがいっぱいあったよね。
チョロ そこから当時・池袋にあった紙プロ編集部に出入りするようになったんですね。
Show 山口さん、柳沢さんが……まあ、遊んでくれたんだよね。当時の俺は新日本プロレスしかわかんないけど、この人たちは新日本どころか猪木博士なんだなと。猪木さんに対して博士級の研究をしているというか。俺なんかは大学生のノリだから、もう世界が全然違うわけよ。・「猪木祭り」誕生までの裏側・吉田豪の書評・ターザン山本のブレーン・PRIDEとK-1をプロデュースしていた男たち・百瀬博教さんとの付き合い・プロ格マガジン『SRS・DX』……2万字インタビューはまだまだ続くいま入会すれば読める5月更新記事
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続々更新予定!!
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/202405 -
7月は「超サイバーファイトフェス」か■事情通Zの「プロレス 点と線」
プロレス格闘技業界のあらゆる情報に精通する事情通Zのコーナー。今回のテーマは7月は「超サイバーファイトフェス」かです!
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――Zさん! 『マリーゴールド』がマスコミに賄賂を渡したってホントですか?事情通Z いきなり誤解することを言うな!旗揚げ戦が超満員だったからマスコミに大入り袋が配られただけだよ!
――いくら入ってたんですか?やましいことじゃないなら正直に言いなさい!
Z もらってないからって僻むんじゃないよ!
――ボクは某団体がお車代をマスコミに配りだしたときに「1000円2000円程度で気を遣うことになるのは面倒!」ってことで逃げ出した男ですよ! ただし10万円だったら即、魂を売ります。各団体の皆さん、今後はその金額でよろしくお願いします!
Z 大入り袋を配るのもロッシー小川さんが掲げる昭和っぽさはあるし、大入り袋をSNSにアップするマスコミの皆さんも昭和気質が抜けないよね(笑)。『マリーゴールド』は面白かったですよ。ロッシーさんらしさ全開というか、こういうことがやりたかったんだなって伝わってきた。これはいまのスターダムを否定するわけじゃないけど、年月を重ねて関わってくる選手やスタッフが増えて、ましてや親会社がバックに付いていると、やりたいことが諸事情でできないときもある。『マリーゴールド』は自由にやった。それぞれの試合に見どころがあって、ロッシー小川パッケージになっていたかなと。――ロッシーさんの試合後の総括コメントで驚いたのは、旗揚げ戦の余韻に浸ることなく「激しい試合ばっかり続いてるのはどうなのか」って注文をつけていたことなんですよね。・アクトレス組の高評価・ノアとマリーゴールドの同日興行・新体制人事から見えるもの・超目玉、竹下幸之介の新日参戦は・乃蒼ヒカリの退団……続きは会員ページへいま入会すれば読める5月更新記事
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続々更新予定!!
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【プレイバック】最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん■小佐野景浩
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。「最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん」を再掲載します!
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ALL TOGETHERに見えたリアルな関係
☆この記事は2018年5月に掲載されたものです。
――小佐野さんは馬場元子さんの訃報をどのタイミングで知ったんですか?小佐野 私は全然知らなかった。『Gスピリッツ』編集部からの電話で『東スポ』のウェブに元子さんの記事が載っていることを初めて知ったんですよ。
――小佐野さんが知らないとなると、近親者以外は誰も……。
小佐野 おそらく渕(正信)さんや和田京平さんさえも知らなかったと思う。告別式とかすべて終わった段階で『東スポ』に連絡したんじゃないかな。そこには全日本プロレスがチャンピオンカーニバル中だったという配慮もあったんだろうね。
――馬場さんが立ち上げた全日本プロレスを最後まで気にかけていたということではありますねぇ。
小佐野 あくまで私の推測ですけどね。どこにも知らせないわけにはいかないから、時期を見て『東スポ』さんに報道してもらいなさい……という流れだったんじゃないかと。
――元子さんと最後にお会いになったのはいつだったんですか?
小佐野 それは去年の1月23日、元子さんの喜寿のお祝いです。
喜寿の会での元子さん。ハワイ好きの元子さんのためにハワイアンな雰囲気に。小佐野 元子さんの体調はあまりよくなかったということで、元子さんを元気づけようという趣旨もあってね。入院されていたこともあって、電話でしゃべれる機会はここ1年はなかった。私も元子さんもハワイ好きなので、ウチの家内が作ったフラワーレイを時々送ったりはしていて、そのお礼のメールが元子さんの姪御さんを通じて送られてきたり、昨年末には元子さんからハガキをもらったりはしてたけど。――訃報を聞いたときはどう思われました?
小佐野 やっぱりショックだった。元子さんには取材抜きにして、ずっとお世話になっていたから。元子さんはもうプロレス界の方ではないし、ここ最近は個人的な付き合いをさせてもらっていたので、知り合いの方がお亡くなりになったという寂しさですよね……。
――小佐野さんと元子さんのお付き合いは相当長いですが、初めてお会いしたのはいつなんですか?
小佐野 1980年、私が大学1年のときに『月刊ゴング』でアルバイトを始めたんだけど、そのときに竹内(宏介、当時『月刊ゴング』編集長)さんに全日本の会場で「馬場さんの奥さん」として紹介されて。もう驚きましたよ。その当時、馬場さんが結婚していたなんてことは公にはされてなかったから。
――噂にもなってなかったんですか?
小佐野 何も知らなかった。プロレス界の中で隠してるわけでもなかったけど、わざわざ記事にする人もいなかった。プロレス業界の人はみんな知っていて、みんな馬場さんの奥さんとして接してるんだけど、世間には知らされてないだけ。公表されたのは82年の夏のことだから。
――小佐野さんが『月刊ゴング』でバイトを始めた2年もあとですね。
小佐野 馬場さんと元子さんはもともと1971年にハワイで結婚式を挙げてるんですよ。それからは一緒に住んでいるし、元子さんは巡業もついて回っていた。これは聞いた話だけど、ハワイで結婚式を挙げたときにある週刊誌にスクープされそうになった。でも入籍はしてない。そこは元子さん側の親の反対とかいろいろな理由があったみたいで。
――だから結婚式だけで籍は入れなかったんですね。
小佐野 だからその週刊誌には「記事にはしないでくれ。入籍したら記事にしていい」という話をして。そこの編集長は了解してくれて、その週刊誌の編集長が馬場さんとの約束を代々受け継いで、82年に入籍したときに「じゃあ書きますよ」と。そうなったら馬場さんもダメだとは言えない。――それで元子さんの存在を公表することになったんですね。
小佐野 82年の七夕の日に、馬場さん1人で記者会見をやって結婚してることを明かしたんですよ。
――七夕に!(笑)。それまで世間的には馬場さんは独身として通ってたわけですよね。
小佐野 私だって馬場さんは独身だと思ってたくらいだからね。当時の私は18歳、元子さんは40歳、馬場さんは42歳ですよ。それから『ゴング』が週刊化されて、私は全日本プロレスの担当記者になったんだけど。広報の担当はいるんだけど、重要な取材のゴーサインを出すのは元子さんだった。――その若さで馬場夫妻と向き合うのは大変だったんじゃないですか?
小佐野 巷でも言われてることだけども、元子さんは厳しい方だったからね。こっちも血気盛んなだから当然ぶつかるし。元子さん「これはなぜダメなんですか?」って聞いたら「私がイヤだからよ!」って言われてね(笑)。
――ハハハハハハハ! 「私がイヤだから」と言われたら困りますよ(笑)。
小佐野 「それじゃあ話にならないですよ!」なんて食い下がってね。そんな会話の繰り返しですよ。マスコミの中には元子さんが苦手だっていう人が多かった。私も何度かケンカしながらこうして最後まで付き合えたのは、何かあっても後に残らなかったからだと思う。元子さんもガーッと言うけども忘れちゃうし、私もあまり気にしない。何か言われたからといって元子さんのことが嫌いにはならなかった。・小佐野さんが「敵」認定されたとき・馬場元子と三沢光晴、決裂の理由・「それは馬場さんが悪い」と擁護しれくれた・馬場さんのターザン山本に対するボヤキ……12000字インタビューは会員ページへ続くいま入会すれば読める5月更新記事
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