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記事 2件
  • 「ルポライター日名子暁さん・愛甲猛が高校野球を斬る!・ニコ生ナックルズ リバイバル!vol.05」ニコ生ナックルズマガジンvol.31

    2013-09-01 01:00  
    398pt
    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━                                                      2013/09/01     久田将義責任編集 ニコ生ナックルズマガジン                                vol.31   □日本で一番危険なWEBマガジン。ニッポンの闇をさらけ出せ!□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━日本で一番危ないWEBマガジンが創刊!『実話ナックルズ』『ダークサイドJAPAN』元編集長の久田将義が、インターネットを通して新たな「アウトローメ ディア」を始めました。その名も「久田将義責任編集 ニコ生ナックルズマガジン」。久田氏をはじめ、様々なアウトロー著者陣営がどの既存メディアでも露出できない記事をお届けします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
    《新刊のお知らせ》
    『関東連合 六本木アウトローの正体』(ちくま新書)がアマゾンで予約開始致しました。http://goo.gl/qm5Svx  (予約はこちらから!)《番組告知》9月8日(日)深夜2:30からは<a href=ニコ生ナックルズ公式Twitterができました!@nicoKnuckles
    《目次》
    01.ルポライター・日名子暁さん02.[愛甲猛]「球界の野良犬」愛甲猛が高校野球を斬る!「監督の指導も問題、誤審多すぎ。選手が可哀そうだろ!」03.『東京不良少年史1990年代初頭~「関東連合」の復活と台頭』ニコ生ナックルズ リバイバル!vol.0504.編集イシムラの独り言

    ルポライター・日名子暁さん
    2010年12月7日に「ニコ生ナックルズ」が初めて放送された。タイトルは「ヤクザとは何か」(http://live.nicovideo.jp/watch/lv31744058)。ゲストが元ヤクザで現在はライターの川村勝氏と日名子暁氏だった。
     途中、放送内容が心配になったのか西村ひろゆき氏もゲストに加わり、視聴者も五万人以上だったと記憶しているが曖昧だ。
     日名子さんは当時、68歳くらいだったと思うが、名門・大分舞鶴高校のラグビー部だっただけあってその年代の人にしては体格も良く、また独特の口調で視聴者から多くのコメントを獲得していた。動画に上がっているので確認して頂ければと思うが、最後に日名子さんは「私はこれから戦後、戦中に生まれた人やヤクザを取材していきたいね。同年代の人たちの話は面白いよ」と取材意欲たっぷりの言葉を発していたと思う。
     僕の師と仰ぎ、元祖ルポライター竹中労さんに後継者と言われた故朝倉喬司さんも60歳半ばで「久田ぁ、俺はこれから売れるからよ」と名声は既にあるのに、いたずらっぽく笑っていたのを思い出す。
     その方々の意欲を思うと、たまにいるのだが30~40代のライターや編集者で「もう、我々も歳だから」的な事を吐く人たちは、この二人の言葉をかみしめるいいだろう。そして、そういった言辞を発した時点で僕はこういった人たちとは心のどこかで距離を取っている。
    何が歳だよ。この先達のルポライターから見た小僧だろ。みっともない。それともカッコつけてんのかどっちだよ。
     日名子さんが亡くなったという一報を、僕は総合格闘技のジムでミット打ちを終えて座りこんでいた時に見た。アイフォンをチェックすると、メールが届いていた。知り合いのバーのママからだった。
    「今朝、日名子暁さんがお亡くなりになりました」
     僕は座ったまま、しばらく立ち上がる事ができなかった。動けなかった。あるのか、そんな事が。日名子さんが亡くなるなんて事が。
    そろそろ、日刊ナックルズに原稿を依頼しようと本気で思っていた時だったし。最後に会ったのは半年くらい前だっただろうか。
     無頼派であったはずだが、日名子さんはその事をおくびにも出さなかった。そのような事を言われる事を嫌っているようでもあった。
    美学を持っていた人だった。「語らない」という美学。
    そして、人一倍、人間に対して愛情を持っていた方だった。フィリピン取材、ヤクザ取材、賭博取材には定評のある方だがストリップ劇場の取材も得意だった。「踊り子さん」と呼んでいた。「ストリッパー」ではないのだ。「踊り子さん」のパフォーマンスに敬意を払っての呼称だったと僕は想像する。器の大きな人だった。外連味のない人だった。
    僕にとって朝倉さん、日名子さんがいらっしゃらないという事は心に大きな傷を負った気分だ。朝倉さんは生前、僕と飲みに行く時「日名子はいないかなあ」と探していた。それほど、魅力のある人だった。
    福島第一原発事故について。福知山花火事故について。西成マザーテレサ事件について。
    彼らの言葉を聞きたかった。真摯に聞き入りたかった。一晩中でも聞きたかった。
    彼らは独特のセンスと嗅覚でもって誰にも真似できない文章を書いていた。週刊現代元編集長の元木昌彦さんがそっと僕の側によってきて「朝やん(朝倉さん)の跡を継ぐのはお前だぞ」と囁いた事がある。とてもじゃないけど無理です。朝倉さんも日名子さんもどんなに攻撃的な文章でもどこか愛情がこもっている不思議で魅力的な記事だった。
     亡くなったという一報を受けた後、比嘉健二V1パブリッシング社長(元ミリオン出版社長・僕の上司)に電話した。亡くなる一週間前に病院で日名子さんに面会した話をしてくれた。最後、やせた腕で比嘉さんに握手を求めたそうだ。
    路上にも関わらず、その話を聞いたとたん、我慢できず僕は思わず泣いてしまった。比嘉さんもドライさには僕に負けず劣らずの編集者だが、彼も泣いたという。
    今日、お通夜だった。生前の日名子さんの人柄を露わすように様々な人たちが集まっていた。夏。
    夏に朝倉さんも亡くなっている。僕は夏生まれだが、夏は嫌だ。嫌になった。
    日名子暁さん、ルポライター、ずっと、嗚呼。合掌。
    (文:久田将義)
     
  • ルポライター・日名子暁さん

    2013-08-27 02:00  
    ルポライター・日名子暁さん

    2010年12月7日に「ニコ生ナックルズ」が初めて放送された。タイトルは「ヤクザとは何か」。ゲストが元ヤクザで現在はライターの川村勝氏と日名子暁氏だった。
     途中、放送内容が心配になったのか西村ひろゆき氏もゲストに加わり、視聴者も五万人以上だったと記憶しているが曖昧だ。

     日名子さんは当時、68歳くらいだったと思うが、名門・大分舞鶴高校のラグビー部だっただけあってその年代の人にしては体格も良く、また独特の口調で視聴者から多くのコメントを獲得していた。動画に上がっているので確認して頂ければと思うが、最後に日名子さんは「私はこれから戦後、戦中に生まれた人やヤクザを取材していきたいね。同年代の人たちの話は面白いよ」と取材意欲たっぷりの言葉を発していたと思う。

     僕の師と仰ぎ、元祖ルポライター竹中労さんに後継者と言われた故朝倉喬司さんも60歳半ばで「久田ぁ、俺はこれから売れるからよ」と名声は既にあるのに、いたずらっぽく笑っていたのを思い出す。

     その方々の意欲を思うと、たまにいるのだが30~40代のライターや編集者で「もう、我々も歳だから」的な事を吐く人たちは、この二人の言葉をかみしめるいいだろう。そして、そういった言辞を発した時点で僕はこういった人たちとは心のどこかで距離を取っている。

    何が歳だよ。この先達のルポライターから見た小僧だろ。みっともない。それともカッコつけてんのかどっちだよ。

     日名子さんが亡くなったという一報を、僕は総合格闘技のジムでミット打ちを終えて座りこんでいた時に見た。アイフォンをチェックすると、メールが届いていた。知り合いのバーのママからだった。

    「今朝、日名子暁さんがお亡くなりになりました」

     僕は座ったまま、しばらく立ち上がる事ができなかった。動けなかった。あるのか、そんな事が。日名子さんが亡くなるなんて事が。
    そろそろ、日刊ナックルズに原稿を依頼しようと本気で思っていた時だったし。最後に会ったのは半年くらい前だっただろうか。

     無頼派であったはずだが、日名子さんはその事をおくびにも出さなかった。そのような事を言われる事を嫌っているようでもあった。

    美学を持っていた人だった。「語らない」という美学。

    そして、人一倍、人間に対して愛情を持っていた方だった。フィリピン取材、ヤクザ取材、賭博取材には定評のある方だがストリップ劇場の取材も得意だった。「踊り子さん」と呼んでいた。「ストリッパー」ではないのだ。「踊り子さん」のパフォーマンスに敬意を払っての呼称だったと僕は想像する。器の大きな人だった。外連味のない人だった。

    僕にとって朝倉さん、日名子さんがいらっしゃらないという事は心に大きな傷を負った気分だ。朝倉さんは生前、僕と飲みに行く時「日名子はいないかなあ」と探していた。それほど、魅力のある人だった。

    福島第一原発事故について。福知山花火事故について。西成マザーテレサ事件について。
    彼らの言葉を聞きたかった。真摯に聞き入りたかった。一晩中でも聞きたかった。

    彼らは独特のセンスと嗅覚でもって誰にも真似できない文章を書いていた。週刊現代元編集長の元木昌彦さんがそっと僕の側によってきて「朝やん(朝倉さん)の跡を継ぐのはお前だぞ」と囁いた事がある。とてもじゃないけど無理です。朝倉さんも日名子さんもどんなに攻撃的な文章でもどこか愛情がこもっている不思議で魅力的な記事だった。

     亡くなったという一報を受けた後、比嘉健二V1パブリッシング社長(元ミリオン出版社長・僕の上司)に電話した。亡くなる一週間前に病院で日名子さんに面会した話をしてくれた。最後、やせた腕で比嘉さんに握手を求めたそうだ。
    路上にも関わらず、その話を聞いたとたん、我慢できず僕は思わず泣いてしまった。比嘉さんもドライさには僕に負けず劣らずの編集者だが、彼も泣いたという。

    今日、お通夜だった。生前の日名子さんの人柄を露わすように様々な人たちが集まっていた。夏。
    夏に朝倉さんも亡くなっている。僕は夏生まれだが、夏は嫌だ。嫌になった。

    日名子暁さん、ルポライター、ずっと、嗚呼。合掌。

    (文:久田将義)