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  • [久田将義]作家百田尚樹さんの「言論の自由」を考えてみた

    2015-07-23 14:00  
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    作家百田尚樹さんの「言論の自由」を考えてみた

     ちょっと腹の調子が悪いので、病院で薬を貰ってきました。 待合室に「週刊新潮」が置いてあり、パラパラとページをめくってみると作家百田尚樹さんが見開き二ページにわたってかつてのご自分の発言「沖縄の二紙はつぶしてしまえ」に関して、「マスコミから袋叩きにされている」「自分には表現の自由、言論の自由はないのか」という主旨で「反論」をされていました。

     言論の自由、表現の自由は憲法21条を見るまでもなく、しっかりと保障されています。 ツイッターで百田さんがご自分でずっとつぶやいているように。 では、百田さんには言論の自由はないのでしょうか。いや、あります。 その証拠に「週刊新潮」という国内有数のメジャー週刊誌で見開き二ページに渡って反論「出来て」います。一般人はそのような形での反論は出来ません。

     憲法で言う、「言論の自由」「表現の自由」とは決して甘いものではありません。優しいものではありません。僕が解釈しているのは、極論をあえて言えば「言論の自由とは何を言っても、どんな事を言っても構わない。その代わり、どんな批判をされても致し方がない」というものです。

     これに従って、百田さんの主張を省みてみましょう。 百田さんは週刊新潮では元々、発言のあった「文化芸術懇談会」は非公開のもの。記者が壁に耳をつけてそこでの発言を記事にするとはしからん、とも言っているのですが、居酒屋等ではなく自民党内のしかも自民党青年局長が主催した「勉強会」です。公的なものに極めて近いと言えます。 つまり、講演会等で度々政治家が失言したというニュースを見ますが、これも記者が「潜入」していたものが多い。 政治家は公人ゆえ、講演会という一見、身内で固めた会と言えど問題があった場合は報道されるのはしょうがないでしょう。

     百田さんは確かに、政治家ではなくその意味では純粋な「公人」ではないと思われます。公人の「公」は公共性、公益性の「公」です。我々の血税で仕事をする政治家は公人中の公人です。公務員も然りです。百田さんは作家ですから、公人ではありませんが、いわゆる「準公人」や「みなし公人」と言われる人たちに入ると思われます。

     彼が執筆した作品は多くの人に読まれ、映画にもなりました。商業出版物は書店に置かれた時点で我々の「財産」になり、いわば公益性が生まれます。百田さんは、テレビでも発言しており極めて公人に近い、準公人と言えるでしょう。隣の家のおじさんやおばさんが、居酒屋で飲みながら言いたい放題の事を記事にしている訳ではないのです。

     肝心の、「沖縄の二紙(琉球新報、沖縄タイムス)はつぶしてしまえ」発言は話の流れの中で「どうですか?」と振られ、冗談めかして「つぶれてもいいんやないですか」的なニュアンスだったと言います。この点が本当ならば、百田さんの身になれば「冗談で言った事に関して、カンベンしてくれ」という気持ちになるのも分からないでもありません。軽率である事は確かですが。

     それよりも、マスメディアは「経団連に働きかけて気に入らないマスコミの広告を減らしてしまえ」と発言した自民党代議士たちの批判に重きを置き始めました。当然の事で、彼らこそ自分たちが発言した暴言を言論の自由に守られたものである事を理解していないのでしょう。非常に恥ずべき発言です。居酒屋という指摘な場所でなく自民党内の、そして「公人」の言葉ですから公の記事になって当然です。

     百田さん発言をもう一度、振り返ってみます。