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  • 東京不良少年史Ⅰ・1970年代版 人はなぜ不良少年になるのか~不良漫画論と併せて

    2012-09-24 08:30  
    220pt
    ここ数年、不良少年、アウトロー、ヤンキー物の漫画や映画がちょっとしたブームになっている。「クローズ」や「ルーキーズ」を始め「ドロップ」「莫逆家族」「ワースト」「なにわ友あれ」「新宿スワン」「爆音列島」……。遡るとそのブームの先駆けは「BE-BOP-HIGHSCHOOL」に行きつくと言っていいだろう。  そしてリアルな世界でもここ数年は「関東連合」「怒羅権」など六本木・西麻布の話題で持ちきりだ。「六本木フラワー撲殺事件」は現在のところ(9月23日現在)、未解決だがこの事件は別に論じるとして、ここでは1970年代から現代の不良少年論とそれらに併行して不良少年漫画も論じてみたいと思う。  現在でこそ、暴走族は地方でわずかしかいなくなったが、当時は何百人単位で都内近郊のあちこちで喧嘩をし、今やオシャレな青山通りが封鎖されたり、原宿の前で大乱闘が繰り広げられたり大げさに言えば内戦のごとき様相を呈していた。今では考えられない光景である。 なぜ当時の少年たちはあんなに熱くなっていたのか。 なぜ人はアウトロー漫画に夢中になるのか。 「実話ナックルズ」という雑誌で僕は、現在は50半ばの暴走族最盛期の人から30代後半~40代前半までのチーマー、ギャングが盛んな頃から暴走族中期。そして「現在の」関東連合や怒羅権を取材した経験からここで一区切り、まとめておくのも良いかと思う。という訳で今回はまずは、70年代から。 ※ただ、ヤクザと違い、名簿があるわけでもなく、あくまで本人たちの記憶に頼らざるを得ないのが暴走族、チーマー、ギャングなどの不良少年などで、例えば初代総長が誰か、とかは多少曖昧にならざるを得ないのが実情である事をお断りさせて頂く。  日本の不良少年のファッションは世界で類を見ない不思議なものだ。パンチパーマ、アイパ―、ニグロ、特攻服、長ラン、中ラン、短ラン、ボンタン……。 こういったファッションは日本の不良少年独自のものであり、どこから来ているのか諸説あるが、リーゼントからパーマまではアメリカ音楽、ディスコの影響だろうと見られている。またアメリカのバイカー「ヘルズ・エンジェルス」の影響も受けている人もいただろう。  暴走族最盛期以前、横浜、本牧を中心で昭和40年代に発生した「ナポレオン党」という不良グループがあった。  彼らはディスコで遊び、車でナンパし、喧嘩もする。現在は60歳くらいの人たちだ。ここからディスコブームが東京に広がったという説。因みにナポレオン党のリーダーは今でも健在で、またナポレオン党がたまる店も関内にあり当時の話が聞ける。  ブラックミュージック(ファンキー)の影響からか、髪型もアフロとリーゼントを合わせた日本の初期の暴走族独特のヘアスタイルが確立されていったようだ。ブラックミュージックは今でこそオシャレというか一般化されたが、ラップなどは'80年代半ばの僕が高校の頃までは一部の人しか聞かない不良御用達の音楽だった。  それと当然、矢沢栄吉が暴走族から支持されるようにロックンロールに傾倒していく人たちもいた。リーゼントは彼の影響ともいえる。 今話題の「関東連合」が誕生したのは1970年代の暴走族最盛期であり、元々は暴走族の連合体であった。迫水久常元国会議員の秘書渡辺正次郎氏が号令をかけて駒沢公園に暴走族が集められた。記憶の限りのみで申し訳ないが、それらの暴走族はブラックエンペラー、ジャパンマッドスペシャル、小次郎、鬼面党、メデューサ、ファニーダック、鼠小僧などである。  一説によると渡辺氏が当時盛んだった左翼運動に対抗する為に暴走族を集めたというのもあるが、そこまで考えていたかどうか。ただマッドスペシャルの初代総長は後に国防青年隊という右翼を結成した事からそういった考え方はなきにしも非ずかも知れないが、暴走族の凶暴化を防ぐためという名目だった。 ※この記事は久田将義氏のブロマガから一部抜粋したものです。

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