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記事 2件
  • [中田薫]【シリーズ廃墟探訪】日本の鉱山を代表する最大最古の山...岐阜県飛騨市神岡町『神岡鉱山』

    2014-01-29 01:00  
    220pt
    中田薫 寄稿記事 【シリーズ廃墟探訪】 日本の鉱山を代表する最大最古の山... 岐阜県飛騨市神岡町『神岡鉱山』
     岐阜県飛騨市神岡町。昭和62年、東京大学宇宙線研究所が、この町で「大マゼラン星雲超新星爆発」によるニュートリノの観測に成功。平成14年に小柴昌俊東大名誉教授が同観測でノーベル物理学賞を受賞したことで脚光を浴びた町である。
     東大宇宙研は「観測が困難」と言われたニュートリノの質量測定地として『神岡鉱山』に着目、山の所有者であった三井金属が地下1000メートルに巨大観測装置を建設し、観測研究に成功したのであった。
     神岡鉱山の歴史は日本最古と言われるほどに長い。今から1300年以上前、奈良時代養老年間(717年頃)に採掘が始まったとされ、その時代は黄金を掘り出し、朝廷に献じていたという事実が鉱山史に残されている。
  • [中田薫]【シリーズ廃墟探訪】国策と社会情勢に翻弄されて…岡山県久米郡久米南町『竜山鉱山』

    2013-06-04 01:00  
    220pt
    中田薫 寄稿記事 【シリーズ廃墟探訪】 国策と社会情勢に翻弄されて… 岡山県久米郡久米南町『竜山鉱山』 
     岡山県の近代産業といえば繊維産業や化学工業が有名だが、実は岡山県は中国地方の中でも鉱物資源に恵まれた地域であり、鉱工業においても栄えてきた歴史がある。
     硫化鉄鉱や蝋石、石炭、亜鉛、銅、タングステン、ウラン等々、岡山の山では様々な鉱石が採掘され、戦前の最盛期には県内で300を超える鉱山が存在していた。
     だが、その多くは小規模鉱山だったため、戦中の増産強行による乱掘、また軍事的重要度の低い鉱山が次々に淘汰されたことにより、戦後には多くの鉱山が廃山となった。
     岡山県の県央部、吉備高原の深い森の中に眠る『竜山鉱山』は明治2年に創業。しかし小鉱山にして貧鉱であったことから経営者が何人も変わり、戦前・戦中までは豊田鉱業なる会社の所有となっていた。
     さらに昭和20年の敗戦後、日本は「鉄鋼・石炭・硫化鉱(肥料)」を戦後復興の重点産業としたため、銅鉱であった竜山鉱山は社会的重要度が低下。敗戦時は銅の市場在庫が余り気味であったことも経営難の一因となり、統制経済の崩壊も相まって、山は一時操業が休止したのであった。
     しかし、昭和22年に竜山鉱山のみならず全国の非鉄金属鉱業界があまりに危機的状況に陥ったため、政府は日本興業銀行復興金融部に特別融資を命令。加えて鉱材の国内在庫を国が買い取り、在庫量に応じて融資を行うなどの措置を講じたため、ようやく日本の鉱業界は回復に向かい始めた。そして銅山にとって朗報は続き、同年7月から「銅、亜鉛、アルミニウム」については生産価格が消費価格を上回った場合、その価格差を国が負担する「価格差補給金」の支給も実施。電線などの復興資材として重要視されるようになった銅は、国によって手厚く保護されることになったのである。
     こうした政策を背景に、休山中だった竜山鉱山を昭和鉱業が昭和22年に買収。再稼働後はいきなりフル生産態勢となり、この山で採れた銅は、どんどんと国内の電気事業のインフラに消費されていった。
     昭和28年の地質調査資料によると、竜山鉱山の鉱床は走向延長、傾斜延長合わせて計約1キロメートルほどとなっており、主に黄銅鉱のほか、黄鉄鉱や閃亜鉛鉱、方鉛鉱などが採掘されていたという。
     さらにその後は、昭和24年のドッジ・ラインに基づく超デフレ政策でまた低迷、昭和25年の朝鮮戦争勃発で再び活況を呈するなど、国策や社会情勢に翻弄されながら、竜山鉱山は上がったり下がったりの状態が昭和30年頃まで続いた。
     以降はそもそも小規模鉱山であったことから次第に鉱量が枯渇。昭和36年に閉山となり、昭和40年代後半になって人も完全に離れ、山は廃山となった。経営していた昭和鉱業も現在は商号が変更され、非鉄金属鉱山開発から耐火物、グラスファイバー原料などの総合工業材料事業へと業容を転換させている。
     今に見る竜山鉱山の木造選鉱場の廃墟は昭和初期の建造で、すでに80年以上の歳月を経過させている。細い柱で組まれた軽建築の工場は歳月とともに自壊が進行。窓ガラスはケイ素の劣化が進んで透明度が失われ、トタン屋根も錆びて一部が崩落。さらに高く伸びた吉備の森林にすべてが飲み込まれつつある。その様は、あたかも自らの意志でこの世から消え去ろうとしているかのようである。残されていたコンクリートの土台に染みついた緑青だけが、わずかにここが銅山であったことを知るよすがであった。
     また、この廃墟は付随して小さな鉱山集落の痕跡も同時に見ることもできる。周辺に残された竜山バスの停留所や鉱山社宅など、深い山の谷間で、それらが工場とともに静かに眠り続けているのである。
     鉱山社宅の内部は落ちていた新聞雑誌類や酒瓶などから、昭和40年代後半までここに人が暮らしていたことが推測できたが、残された一升瓶の多さは酒を飲むしか娯楽がない陸の孤島での孤独な暮らしぶりを如実に物語っていた……。
    (中田薫)  中田薫 「GON!」「実話ナックルズ」「怖い噂」など数々の雑誌に執筆。廃墟巡りのエキスパート。 その他に事件、芸能、サブカル、などが守備範囲。編集者でもある。 ※この記事は「久田将義ニコ生ナックルズマガジン」に起稿された中田薫氏の記事から画像を抜いたものです。「久田将義ニコ生ナックルズマガジン」では、写真付きでご覧いただけます。