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週刊誌史上に汚点と前例を残した週刊朝日大型連載打ち切りと橋下市長のマシンガントーク
2012-10-20 08:30220pt2前代未聞である。週刊朝日の満を持しての大型連載、ノンフィクション作家佐野眞一氏の『ハシシタ奴の本性』が連載第一回目にして打ち切り。一体何が起きたのか。
わずかな期間だが、僕も契約編集者として朝日新聞東京本社内の「週刊朝日」編集部に在籍した身である。編集部の雰囲気も思い出しながらいったい何が起きたのかを考えてみたい。 因みに僕は朝日新聞のニュースサイト「WEB RONZA」http://webronza.asahi.com/の執筆者の一人なのだが、この問題はさすがに取り上げまい。という事で、ブロマガでこの問題について書いてみようと思う。
では、まず色々な意味で話題の連載とその騒動について第一印象から。 タイトルが『ハシシタ』とあるのにドキッとした。おいおい、大丈夫なのか、と。あるいは、なぜこのタイトルなのか、と。「ハシモト」ではなく「ハシシタ」としたのは明らかに「橋の下」を意識しているし、それは橋下市長が「そういう生まれ」の人だという意味に取れる。江戸時代のアウトロー旗本奴(はたもとやっこ)を文字ったのだと思ったが、読み方は「はしもと やつのほんしょう」らしい。喧嘩を売るのは大いに結構。それが言論の自由というものだ。それには、しかし覚悟というものが必要である。それがあったのか。 因みに僕は佐野眞一氏に対しては「東電OL事件」以来、その取材手法や文章にどちらかと言えば批判的立場を取っているが、今回の週刊朝日の対応に関しては多少同情するものの、コメントを見ると闘争心も、もはやないようだ。
おいおい、記事の内容に踏み込んでいくが、まず第一印象として、厳しい週刊朝日の校閲がよく通したな、とも思った。 その厳しい校閲に通った、あるいは通した。「あの内容」でも通したという事は、佐野眞一というノンフィクション界ではビッグネームを起用した、編集長の肝いり企画なのだという事が推測できる(後述するが、ならば記事が出た後のフォローや何が起きうるかを想像しないと、アウトだろう。実際は橋下会見の翌日に謝罪しているのみならず打ち切りという最悪の選択をした訳だが)。 また取材班には、一冊の単行本を書ける執筆力があり、取材能力では他誌にも名前が知られている今西憲之さんを登用している事からもその力の入れ方がわかる。フットワークが軽い元ミリオン出版『漫画ナックルズ』編集部員(という事は僕のかつての部下になるのだが)の村岡正浩君も取材チームに入っている。
この騒動のもっともキモの同和問題に関してだが、僕は『実話ナックルズ』編集長の頃、二度ほど同和関係で抗議を受けている。 『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅賞を受賞した上原善広氏の連載においてだ。「JDT」というタイトルをつけ、全国の同和地区を回るという連載で、僕も第一回、第二回と同行し東京の同和地区を取材した。この連載は今でも続いており、『実話ナックルズ』のいわば看板連載となった。
記憶の限りだと、同和地区の名前を出した事で京都市長からの抗議が一回。全日本同和会を名乗る支部長から一回である。 後者は連載そのものが、差別だと抗議、いや恫喝に近い形できた。「ワレ、同和をナメてんのか!」といった電話で、その怒鳴り声は凄まじかった。そして、効いたのが「コンビニに圧力かけたるぞ!」というものだ。これはコンビニ売りを中心としている『実話ナックルズ』にとって、キツイ。この連載を僕は差別を助長しているとはとても思えないのだが(現にノンフィクションとして最も高い評価を受けている大宅賞を受賞する)、僕が頭を下げれば済むならば、と謝罪した。
というように、各媒体にとって、それぞれ弱点がある。販路、広告などである。そして、今回の騒動では橋下市長は週刊朝日にとって最も、痛い所を突いてきた。
親会社、朝日新聞大阪本社である。
本来、編集権とは各媒体によって独立すべきである。が、今回の件で新聞社系週刊誌や媒体、少なくとも週刊朝日ではそれがなかった事が明らかになったと言える。 何せ、橋下市長の会見後、翌日の朝日新聞での河畠編集長の謝罪、そして連載打ち切りである。余りにも急であり、大阪本社からよほどの圧力がかかったのだと想像出来る。 そもそも、週刊朝日は朝日新聞出版という独立した会社ではあるが、その人事を見てみると、朝日新聞出版社長や週刊朝日、各媒体の編集長、副編集長クラスは朝日新聞社からの(独立する前は)出向であり、朝日新聞出版が設立されたからは社員なったといえどまた、親会社の朝日新聞社に戻る可能性もある。それがどれほど重要か。 元々、編集者としてはアウトサイダーな道を歩いてきた僕には朝日というブランド力が、イマイチ理解出来なかったのだが、中にいるとそう感じられる事があった。
(この記事は久田将義氏のブロマガ記事「週刊誌史上に汚点と前例を残した週刊朝日大型連載打ち切りと橋下市長のマシンガントーク」から一部抜粋したものです。) -
東京不良少年史・1980年中後半版 チーマーの出現
2012-10-10 17:09220pt70年代の不良少年と言えば暴走族だった。そして今もそれは変わらない。しかし、‘85~86年に初めて出現した新しい不良少年のスタイルが「チーム」だった。後にマスコミに「チーマー」と称されるようになるが当初は単に「チーム」と言われていた。チーマーはファッションからライフスタイルまで一代ブームを巻き起こした。 当時、日の丸を背負った特攻服を着た暴走族の対極にあるとされ、ファッションもアメカジでおしゃれで比較的入りやすいとされ、それは女の子にも浸透していった。
チーマーの出現は二つ説があって、85年に明治大学付属中野高校生が作った「ファンキース」が元祖だという説。もう一つはそれより以前に六本木を中心に青山学院大学生らが作った「ウィナーズ」が最初だという説。ただ世間で言う、チーマーのイメージは高校生の年代であり大学生のそれは「サークル」に近いものだとすれば「ファンキース」が最初かも知れない。
実は僕が高校二年生の頃、同級生が作ったのがファンキースだった。友人が「Fanky‘s」とロゴの入ったお揃いのウィンドブレーカーを学ランの上に羽織って登校してくる様を見て、初めは「何それ?」と思い友人に尋ねてみると「今度ファンキースっての作ったから」と言われたが、何か得体の知れない変なグループだなと思ったものだ。しかも、ファンキーのスペルが違ってるし。ただ、
このスペル間違いずっと続いていたと記憶している。
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六本木「フラワー事件」の謎と闇
2012-10-05 09:30220pt今週の火曜日に六本木ロアビルに行ってみた。火曜日という事もあって、閑散としていた。それよりもやはり、一か月前の「フラワー撲殺事件」の影響ではないかと勘繰ってしまう。木曜日のTBSラジオ『Dig』にゲスト出演し、フラワー事件の事を話したが時間の都合上としゃべり下手な為、うまく伝わらなかったのではないかと思い、一度ここでこの事件の僕の見たてを書いておこうと思う。 まず注目すべきポイントをいくつか挙げて整理してみる。
1犯人の正体
2犯人はなぜあのような行動を取ったのか(これは①につながっててくる)
3被害者藤本さんの生い立ちと交友関係
の三つである。
まず1と2を論じてみる。三百人は入る箱の中で十数人が、一人の人間をターゲットにして金属バットなどで襲いかかる。これは約二十年前から行われている「イベント荒らし」に似ている。当時の場所は渋谷が主。そして、渋谷を根城にしている不良集団と言えば関東連合になる。
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