• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 1件
  • [餅田もんじゃ] 新進気鋭の謎の女性ライター『ラーメンの日』

    2014-04-09 01:00  
    餅田もんじゃ 寄稿記事 『ラーメンの日』


    ラーメンがすごく好きというわけではないが、たまに今日はラーメンでなくてはいけない、という日が来る。月に1,2回ぐらいの頻度で来る。

     先日外回りで郊外の町に出かけた時が、ちょうどその時だった。次の予定まではまだ時間があり、駅から少し歩いた国道周りにはわりと名の知れたラーメン屋がいくつかある。腹は決まった。

    数ある店の中から私が選んだのは、ネットで調べてそこそこ評判の良かった、豚骨醤油縮れ麺のお店だった。実際前まで行ってみると、暖簾が赤くしっかりしていて雰囲気も良い感じである。中を覗くとほとんど満席で、大丈夫そうだなと扉を押した。

    違和感を覚えたのは、入ってすぐのことだ。客が静かである。昼のラーメン屋なんてわりと静かなものだが、テーブル席に座っている4人組のサラリーマンすら所在なさげに水を飲んでいる。というか、客のほとんどがラーメンを食べていない。カウンターの中の厨房には20歳くらいの汗まみれの坊主の若者(以下、「小僧」を愛称とする)がただ一人何やらせわしなくしており、扉のすぐ横から「いらっしゃいっ!」の声が飛んだ。声の方を見ると、店主らしき男性が、券売機を開いてガチャガチャやっている。どうやら壊れたらしい。

    券売機がそんな様子なのでとりあえず空いている席に座ってみるが、どうにも落ち着かない。券売機の中をあれこれやっている主人にも、カウンターの中で踊るようにセットの高菜ご飯を盛りつけている小僧にも、注文など通せる雰囲気ではなかった。

    一瞬帰ろうかとも思ったが、いや、今日の私はラーメンなのだと思いとどまった。そしてそのラーメンはもはや豚骨醤油縮れ麺でなくてはならない。絶対に出てやるものかと腹を括る。周りも大方そんな様子で、黙々とストイックに待たされている。

    「すいませんね!少々お待ちくださいね!」との掛け声と共に、店主が厨房に戻ってきた。券売機のランプは赤いままで、どうやら無理だと見切りをつけたらしい。やっと注文かなと顔を上げるとカウンターの中の小僧と目が合った。私が口を開こうとした瞬間、「おいっ!テメエはチャーシュー並べたのかっ!」と罵声が飛んだ。あまりの威勢の良さに反射的に謝りそうになったが、小僧の「サーセンッ!」の声で我に返った。怒られているのは小僧だった。そしてその後も、テンポよく怒号が続く。

    「大体なんで先にご飯やってんだよ!」

    「先にこっちをやった方が良いかと思いまして!」

    「言い訳はいいんだよ!状況見ろよ!」

    「サーセンッ!」

    「つーか、7番さんにご飯お出ししたのかよ!」

    「まだです!」

    「やれよっ!」

    「サーセンッ!…高菜ご飯お待たせしやしたーッ!」

     気まずい。すごく気まずい。
    店員間での怒号と、客への声掛けがまったく同じボリュームなのだ。「サーセンッ!」と同じテンションで高菜ご飯を出されても、ちょっと食べづらい。店内が異様な緊張感に包まれていた理由がわかった気がする。

     その後なんとか注文が終わり、ラーメンが出て来るまでも息つく暇はない。なにせ店主の「〇〇やったのかっ!」と小僧の「サーセンッ!」の押収がBGMだ。そして実際のBGMは長渕剛だったので、あの汗臭い声がそれに輪をかけて体感時間を狂わせる。待ちわびたラーメンもそそくさと食べ尽くした。

     さて、食べ終わった後にまだ難所が残っている。会計だ。食券を買っていないので直接払わなければいけないが、カウンター内に釣りはないだろう。それに加えて心配なのが小僧の様子だ。会計に向けて慌てるあまり、食べ始めたばかりの客に「お会計おねーしゃすっ!」と金を要求したりなど、怒号の中で徐々に理性を手放しつつある。

    「おいっ!券売機の中から小銭とってこい!」

    「はいっ!サーセンッ!」

     もはやサーセンを語尾化させた小僧が、券売機に駆け出して行く。私の他に同じタイミングで会計をする人が何組かいて、釣りが足りないらしかった。

     小僧は機械の中にあるタンクから小銭を掻き出し始めたが、その勢いがすごい。手に持っている大きなボウルへ取り憑かれたように金を移し替えている。長渕剛『ひまわり』の熱唱に合わせてジャーン!ジャーン!と小銭の音が響き渡り、いよいよ世も末というような雰囲気の中、客の視線が一心に小僧の背中に注がれている。

    「テメエ!全部掻き出さなくてもいいんだよ!必要な分だけでいいんだよっ!」

     店主の声が、初めて至極まっとうな響きで私たちに届いた。そうだ。必要な分だけで良いのだ。その通りだ。

    小僧は「サーセンッ!」と言いながら、小銭をあさり続けている。もはや彼の「サーセン」は同意・相槌の機能すら果たさなくなっていた。理性は、完全に彼の手元を離れていた。

     その奇妙な共同空間の中、私はわからなくなっていた。自分は一体何をするために、ここに来たのか。食べたかったはずのラーメンと、目の前のこの光景はあまりにも結びつかない。

     意味不明の熱心さで以って金をジャンジャン言わせる小僧。そして彼を包む店主の怒号と、客の視線。

     その空間にいた誰もが、わからなくなっていた。なにもかもわからない中で、小銭と小僧の背中だけが躍動していた。

    (文:餅田もんじゃ)