第二次世界大戦を経験してきた世代には「日本を再び戦争する国家にはしたくない」という強い思いがあります。その思いは、社会的立場、政治的立場を超えて共有されています。
たとえば、一九三〇年生まれで、二〇一五年一二月に亡くなった野坂昭如さん。一七歳のとき、下宿先の親戚の家で窃盗を働いて少年院に送致されたあと、雑誌にエッセイを寄せたのを機に「元祖プレイボーイ」として脚光を浴び、さらには小説「エロ事師たち」で颯爽と作家デビューを果たしました。のちに野坂さんは直木賞を射止めます。作家、歌手、タレントとして多彩な活躍をした、生涯、破天荒の人でした。その彼が亡くなる二日前の一二月七日、TBSラジオが、彼の最後の手紙を伝えました。
はや、師走である。
町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑やかなことだろう。
ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこ
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今止めなければ、始まったらおしまいです。
私は対米英宣戦布告の日にやっと一歳になったばかりで物心がついたころには空から焼夷弾と爆弾が毎日天草上空を通過して我ホームタウンを猛烈に痛め付けた。今当時のことを思いだすのは防空壕の壁の粘土の臭いと爆弾の破裂が周囲にまき散らす異様な臭いだけです。
長崎の原子爆弾のさく裂の時、私は母の背中くくりつけられ、それでも頑張って背中越しに紫色の美しい雲を南方に目撃しました。そして敗戦。本当に嬉しかった。何と言っても爆弾が空から落ちなくなったからだ。
安倍氏たちがしたがっている戦争は米国のごく一部の強欲を満足させるために行うもので決して聖戦ではない。汚い戦争だ。そしてやれば必ず負ける。ただ負けるのでなく日本が根本から吹き飛ぶ戦争だ。何でそんな戦争をするんですか。普通で無い異常の精神以外に原因を探すことは不可能だと私は思っています。
「戦争をする国」ならまだ増しです。
日本が危険なのは、「戦争をさせられる国」になりそうなことです。
日本と敵対する国を攻撃するのではなく、日本人には何の恨みも持っていない国に侵攻し、街を破壊し、罪なき人々を殺害させられることです。
街を破壊され、家族や知人を殺害された人が、日本への反撃を考えるのは当然です。
よその国の利害のために、罪なき人を殺害したり、仕返しで私たちや子どももたちや孫たちも殺されることを、日本人は望んでいるのですか。
そんなことを望まないのなら、自民党に退陣してもらいましょうよ。
m.mさんへ
「戦争する国」でなく、「戦争させられる国」になることの愚かさ、日本人なら気づかなければいけないことですが、リベラルが変質してしまっており、嘆いていたのですが、強く共感しています。「日米同盟」「日米安保」を見直していく必要があるのですが、与野党が、自立、独立の精神を忘れるどころか、侵すべからざるものとして、神聖視している日本の現状は重症な状況にあると思っています。