枕草子:鋭敏な感性から生れた文体、キーン
・『枕草子』鋭敏な感性から生れた文体、これ以降、無数の日本人が随筆を書くことになるが、清少納言の声を真似出来た者はいない。
・紫式部と清少納言、二人のライバル意識は、『紫式部日記』の一部に「清少納言こそ、したり顔でいみじうはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬことおほかり」とあることからもわかる。
・枕草子には自分の情事にふれる部分がある。
「又、冬のいみじう寒きに、おもふ人とうづもれ伏して」
ドナルド・キーンは一九二二年生まれ。米国の日本文学者。・日本学者。『日本文学史 古代・中世三』を参照。
ドナルド・キーンは「日本の「随筆」とよばれるジャンルで、きらめくような才気煥発ぶりを発揮している作品といえば、誰もが清少納言の『枕草子』をあげるだろう」と高い評価を与えている。p7
そして、清少納言の個人について、「清少納言は少なくとも二回は正式に結婚し
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平安時代は、形式ばった男女間のしきたりがなく、自由奔放な性を謳歌した時代であり、この時代の結婚・失恋は形式ばった届出制でなく、何回も通う、「突然の恋文音信不通」、「足が遠のく」など直截的言動の上に成り立っていたのでしょう。
「いとをかし」などは、恋愛、失恋を「感嘆、称賛」して肯定的に捉え、次に挑戦する「明るい知性的美意識逞しさ」を感じる。
一方,「もののあわれ」は、同情しないではおれないしみじみとした情緒の流れ「自他一体的婉曲性」を言動の中に見ざるを得ない。
キーン氏が言っているように、日本人は、直截的に言動するより、他人を慮って婉曲的に表現し行動する素地は現在も日本人の血の中に脈々として流れていると認めざるを得ない。
ドナルド キーンさんのそのような受け止めを読みますと清少納言という女性は人間味が豊かで私には自立した分かり合える現代女性に見えて来ます。読み方を中断して本棚に並んでいる枕草子を今一度手に取って気合を入れなおして読みます。
特に本の名前が素敵ですね。「枕」ですからエロテイックではないでしょうか。田山花袋の「蒲団」と共鳴し、清少納言が瀬戸内寂聴と重なって来て私の文学的妄想は無限に拡がっていくのですから。