7日、上智大学で戦略論の第2回目(私の担当は5回)を実施した。
冷戦から今日に至るまで、世界で最も重要な軍事戦略は、核戦略である。
米ソ双方が相手国を何十回も何百回も完全に壊滅させる核兵器を持った。 戦略は「戦争で、相手を如何に完全に壊滅させるか」を求める術から、「如何にして戦争を避けるか」の術になった。
ここでは、「相手より優位に立つ」「相手をやっつける」という従来の戦略思想からの決別が必要だった。そして米国の戦略家は見事、それを成し遂げた。
フランス戦略家ボーフルの言がある。
「闘争を続けることの無益さ、精神的な損失の大きさなどを相手に悟らせることが出来るのなら対立は決着すると考えた」
私はボーフルの言を更に拡大解釈したい。「闘争を続けることの無益さ、精神的な損失の大きさなど」を「相手(国)に悟らせること」だけでなく、実は「自分(の国)に悟らせる」、これが極めて重要だ。
ボーフルの論を補
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ジャレド・ダイアモンドは文明の持続条件を結婚生活になぞらえて「何が大事かを絞ることでなく絞らないことが肝要である」と致命性を有した5つの要素によって文明は維持されるという卓見をインタビューで述べていたが、私は同時に随時どれが相対的に重要であり注力すべきか連続的に決定していかなければならないと思う。
この戦略の決定過程で重要なのは二兎を追わないこと、半端なコストで十全な結果を追求しないこと、達成までの過程を可能な限り複数想定することである。個人的に尊敬する人に言わせれば「戦略とは何をしないかを決定すること」であり、愚考を述べるなら「優先順位2位以下は利益ではなく必要なコスト」である。
自国の安全保障を最上に置けば無人島の領有権問題なぞ正に二の次であるとわかるはず。自国の生命の安全を置けば脱原発は当然であり、発展と安定を置けば反TPP,自主独立は自明であろう。
逆にこれらがすべて無視されるのは対米従属による既得権益の維持を最上に位置づける戦略をこの国の上層部が共有しているからである。日本国民は感覚的に(そしてそれは正しかった)鳩山政権を支持したが、明確に戦略を意識していないためにアッサリと捨てさせられた。我々はもっと抜け目なくならねばならぬ。