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随想72 禅語「漁夫生涯竹一竿」と千宗室
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随想72 禅語「漁夫生涯竹一竿」と千宗室

2021-11-29 07:21
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私の傾向は親鸞や蓮如なんです。禅は川上哲治さんや千宗室さんみたいなエスタブリッシュメントのものだと感じるんです。

No.1 36ヶ月前

私は、中国の有名な禅師の言葉であるが,「知ってことさらに犯す」のが人間であり知的防物と考えている。

重要な視点は、「自他一如」であり、他人に対して、自分と同じように他人も「喜び、悲しみ、怒る」ことがあるのを理解して、「普遍的絶対的」な存在するものを、「喜怒哀楽」しながら生きていく。

普通の生活と同じではないかと錯覚する。物事の結末を知っているからこそ、「執着しない、こだわらない、偏らない」ところが違うのです。言葉は簡単であるが、独断的でなく、教義とか法律とか規範にこだわる人は「唯物」的であり、「唯心」的理解との融合が課題でしょうか。

No.2 36ヶ月前

>>2 再訂正
1.「知的防物」は「知的動物」の誤りです
2.「独断的でなく」は「独断的であり」の誤りです。

No.4 36ヶ月前

> 私の頭の中にはいつも小さな庵が浮かんでくる。自分ひとりがすっぽり入る、目には見えない庵である。

旅行では紙一枚でも減らすようにしているため、出会う人から「荷物は?えっ、それだけ?!」とよく感心されるが、日常生活ではどうも上手くいかない。先達ては天木直人氏メルマガにも、「いわゆる断捨離」中であり、「死んでいくときはすべてが要らなくなると思うからだ。」との件があり、身につまされている。いつかスイス/ベルンのアインシュタインが住んでいたアパート(現・記念館)を見学した時も、非常に簡素な佇まいだった印象がある。恐らく、当時も必要最小限のモノだけで暮らしていたに違いない。だが、これは「凡人はゴミ屋敷でいい」ということでない。かつて、旅先で手助けしてくれた東欧出身の若者は、聞けば世界中 彼方此方 訪れている風だったが、何処に住んでいるのか訊くと、「これが私の家さ(笑」と言って、それほど大きくもないスーツケースを指した。スーツケース一つで広がる人生もあるのでないか。

No.5 36ヶ月前

漁夫の生涯は、竹竿,銛、漁網など数多の漁具があり、あまたの漁法がある。次から次に連想される。言語を超えた豊かな世界が開ける。

では、我々年金生活者の生き方は如何と問われると戸惑ってしまう。言語に余る豊かな世界をどう表現するか。

「日々これ好日」と答えた禅師がいる。「今日は雨が降っているから答えられない」と答えた禅師もいる。

No.6 36ヶ月前
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