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<山のさみしき頂より思いで深き筑紫平野を眺めてこの世の「怨恨と呪詛」を捨て静かに永遠平和なる眠りに就くべく候>
年に一度はひもとも「菜根譚」も最後になっているが、このブログを見て、通じるところを感じた。
「菜根譚」は、中国明末洪応明の著であるが、彼は儒教の徒でありながら「老荘」、「禅」の思想に向かった。この著は中国ではほとんど取り上げられていないが、日本ではよく読まれている。
「人生は一分を減省せば、便ち一分を超脱する」=世俗の悩みから抜け出るためには、友人との付き合いも減らし、発言することを減らし、思案することも減らし、賢さも減らし、余分なものを減らしていけば、人間本来の生活心を取り戻すことができる。余分なものを持っていれば、自分の人生を手かせ足かせで束縛しているようなものだ。
この方は、満28歳で死去されているが、「死」に直面し自覚しておられる。ところが、70歳を超えても自覚しない人間がいる。世の中は面白いというより、滑稽であり、不可思議である。
高良山の眼下は広大な筑紫平野。その更に西に有明海。更にその対岸にあるのが多良岳。まさにワタツミのまします地ですね。
ワタツミは更なる妄想を私に呼び起こし、九州出身の井上陽水の詩「海を越えたら上海、海の向こうは上海、海を越えたら上海」に浴し、同じ九州出身の五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」に思いを寄せてます。
戦後、九州独立論が叫ばれましたが、大陸、半島と仲良くなることに当事の九州人は意義を見出していたんでしょう。
「父亡き後の家や妻子を支える才はなく、家族と衝突...郷里を離れて...放浪する生活...持病の肺結核が悪化して心身共に衰弱...福岡市の病院で死去」(Wiki)
この不幸は、自信作、「わだつみのいろこの宮」が不評に終わったのが始まりだったのか。今や重要文化財と知ったが、才能を認められてデビューを果たすも、その後は鳴かず飛ばずが続いたそうだ。だが、「家族と衝突」しても妥協しないところが天才たる所以でないか。打算で動く人間でない。あくまで自らの理想を追求するのみ。その先の悲劇が見えていたか否か知らないが、処世術を取る選択はあり得なかったに違いない。