私は、歴代首相の中で、小泉首相は、もっとも酷い首相と位置付けている。対米隷属にひたはしり、日本を格差社会にし、反対派を切り捨てる政治風土を作った。
その小泉首相が脱原発に向け発言を開始した。
「経済界では大方が原発ゼロは無責任だと言うが、核のゴミの処分場のあてもないのに原発を進める方がよほど無責任だ。 原発の必要論者は『将来はゼロにする方がいいが、今はダメだ』と言う。しかし、早く方針を出した方が企業も国民も原発ゼロに向かって準備もできる、努力もできる、研究もできる。
今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、この国は結束できる。
(朝日新聞デジタル「小泉元首相『原発進める方が無責任』名古屋で講演」/10/01)
これに
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小泉元首相や瀬木比呂志元裁判長(那覇地裁沖縄支部第1次嘉手納訴訟判決)はその職を辞した後に、自らの判断について反省し、自らの真意を吐露した。遅きに失したとの指摘もあるが、そうではない。これからの日本の進むべき途を指示している福音だ。
愚者は体験から学び、賢者は歴史から学ぶという。日本という国家が歴史から学べないのは、先の戦争をめぐって、いまだに近隣諸国と争いを引きずっていることからもわかる。しかし、この国は体験からさえ学べないことが、今回の原発事故によって明らかにされた。対照的に、歴史から学んだドイツという国がある。ドイツは福島原発の事故を体験したわけではない。福島原発事故を遠い異国の出来事として見たのではなく、それを一つの歴史としてとらえ、そこから学び、原発から再生エネルギーに大転換したのである。彼我の差は大きい。というより、根本的な質の差がある。
今回の原発事故は、どこか遠い他国の話ではない。まさにこの日本で、現在進行中の出来事なのである。オリンピックのプレゼンテーションで、世界に向かって「福島は東京から250Km離れていますから・・・」と平気で言えるほど鈍感な人々が代表であることは、もはや驚くにはあたらない。一事が万事なのである。
愚か者は体験から学ぶ、つまり痛い目に合わないとわからないということであるが、体験からさえ学ぶことができない日本を、なんと表現したらよいのか。朝三暮四に出てくる猿と同じか。
福島第一原発の現状を見れば、原子力発電が人間の能力を超えた、コントロール不能なものだと気がつくはずだ。今になっても「原発は安全で低コスト」と言い放つのは、人情も感性も持たず、国民の命など屁とも思わぬ守銭奴の証明だ。
小泉元首相が、あの事故や、フィンランドの処分場を見て、原発に対する考えを改めたことは、何ら恥じることのないことだ。不都合な「事実」から目を背けたり、見て見ぬふりをする人間に、政治家としての資質があるとは思えない。
小泉さんは当たり前のことを言われたのに、この激しい反応に驚きますね。週刊新潮はヘイトスピーチ並み。口汚いタイトルには目を背けたくなります。 文中の「官等ページ」は巻頭ページの誤変換。いつもながら何とかなりませんか。
自民党マニュフェストの昨年衆院選時での原子力に対する方針は
「全てのエネルギーの可能性を徹底的に掘り起こし、
社会・経済活動を維持するための電力を確実に確保するとともに、
原子力に依存しななくてもよい経済・社会構造の確率を目指します。」
今年参院選時は
「原子力発電所の安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。
その上で、国が責任を持って、安全と判断された原発の再稼働については、
地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします。」とあるだけで、
“今こそ原発をゼロにするという方針を政府・自民党が出せば
一気に雰囲気は盛り上がる。そうすると、官民共同で世界に例のない、
原発に依存しない、自然を資源にした循環型社会をつくる夢に向かって、
この国は結束できる。”
-という小泉元首相の発言は、別に自民党の方針と矛盾はしないし、
『政府・自民党の方針とは異なる』というのは不正確。
(首相や自民幹部等が個別に抱負を述べてはいるようだが、
政権復帰後の政府としての方針は未だ検討プロセスの段階だろう
-例の「有識者会議」の報告を受けてとかだけだと結論は怪しいが)
「遅くとも10年以内には将来に渡って持続可能な
「電源構成のベストミックス」を確立します。」
というのが昨年衆院選での自民党公約なのだから、原発ゼロの「ベストミックス」も有りうるのであり、
いくら読売新聞が「ああいうメディア」だからといって、自分の願望と違うからというだけで、理由にもならない理由を以ってワケの解らない批判-というか只の悪口を書き散らすようでは、今更ながらだが読売論説委員とやらの不見識には呆れさせられる。
>>4
しなもんさんへ。以前も、変換ミスについて、同じ指摘がありました。
孫崎さんは、超ご多忙の中、ボランティア精神、真の愛国の立場で、ほぼ毎日、発信してくれてます。
僕の知らないこと、情報を分析して、警鐘を鳴らし、僕たちに提示してくれています。
大目に見てあげませんか。僕も、一瞬??となりますが、文脈から、●●とすべきところ××とした変換ミスと気がつきますから。
この日本という国家?では、日本システムという掟みたいなものに従っているうちはいいが、いったいその問題点を指摘したり、反対の考えを述べたりすると、とたんに人格否定も辞さずの攻撃をしてくるようです。
で、さしずめ新潮も読売、その他の大手メディアも、システムの手足の役割を分担して、マスコミの中で一定の地位を占めていられるのでしょうね。
たとえそのシステムの考え方が時代遅れというか、完璧に誤っていても、そしてその先には崩壊の二文字しかなくても、それでも彼ら手足共はそのシステムに寄り添い続けるのです。
ちなみに日本システムにとり重要度から行くと、一番トップに来るのはTPPのようです。
TPPについては、なにがあろうともマスコミはまったくその問題点を報じようとしませんからね。
僅かに例えばテレ朝の「モーニングバード」のそもそも総研 たまペディアくらいがまともに取り上げていました。
但し孫崎さんで反TPPの論陣を張らせたときは、相当の圧力がかかったみたいですが。
そうそう岩上さんは反TPPの姿勢を変えなかったせいか、ついにMXのレギュラーも失いました。
かほどに異様な国、というか国の様な地域日本です。
国民はいくら投票しても国が変わらない事を叩きこまれています。
だからはなから政治には期待しないというのが大人の考え方であり、システムから弾かれないように必死にしがみついて生きているのです。
民主主義ではないからこそ、国民の願いが国政には反映されないのに、そんな現状を変える手段を持たない国民は、ただただ現状を受け入れて耐え忍び生きていくしかないのです。
日本報道検証機構の記事にも《注意報》―と出てたりします。
「小泉氏「原発ゼロ」発言批判の社説にミスリードあり」
“▼読売新聞が社説で小泉元首相が「原発ゼロ」路線を唱えたことを批判。その中で、放射性廃棄物の地層処分について
「技術的に決着している」と断定しているが、昨年、日本学術会議が技術的な課題を指摘している。”
詳細は
http://gohoo.org/alerts/131011/