Aゾルゲ事件の本質は何か。東條が近衛追い落としに利用したのです。
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ゾルゲ事件の担当検事は1951年米国議会委員会で、「近衛内閣は、尾崎逮捕で苦境においやられ、どどのつまり総辞職いたしました」と証言しています。『米国公文書 ゾルゲ事件資料集』(社会評論社2007年)は、1951年8月吉河光貞検事が米国下院非米活動委員会で行っている証言を掲載しています。 吉河光貞は「東京地方裁判所時代には思想検事としてゾルゲ事件の捜査に参加、ゾルゲを取り調べました。戦後は1948年に設置された法務庁特別審査局(後の公安調査庁)の初代局長、1964年公安調査庁長官に就任した人物です。
「私は尾崎を目黒警察署で取調べ、彼は即日自供した。当時我々は外国人を逮捕すべしとの結論に到達した。 近衛内閣は、苦境においやられ、どどのつまり総辞職いたしました」
森正蔵氏(戦争前後の新聞記者)は1946年、「尾崎逮捕、
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このような問題を考える時、いつも感じることであるが、政党、政党を支持する人たち以外の、ごく一般の国民が、政党に左右されることなく、一人の独立自立した人間として、問題の本質をくみ取り、自立した行動がとれるかどうかに、かかっていると思っています。
西欧は、一人一人の独尊意識が強いが、我々日本人は、一人ひとりより、全体としての集団意識が強く、個人的意見が排除される。この傾向は組織としては、左右に大きな違いはない。いくら正論でも、日本という国体の存続がテーマになると、排除されていくということである。この傾向は、現在の社会でも同じであり、理屈では賛成しながら、行動では反対に動くという事例は、枚挙にいとまがない。戦前も戦後も、この重要な自立という点では、後進国といえる。現在の教育が、「イジメ」を放置し、物言わぬ体制隷属性を強いている面があり、退歩の道を歩んでいるかもしれない。
前にも書きましたが、私は韓国のテレビドラマを鑑賞するのが日課の一つです。特に好きなジャンルは検察庁が丸ごと政治家や財閥により買収され腐敗するのを果敢な若手の検事或いは弁護士が大活躍して摘発し牢獄に送り込むものです。韓国ドラマにはこういうテーマ追求型のドラマが実に多い。そういうドラマを好む韓国人は検察庁、検事を絶対視しないに違いない。彼らを自分らと同じ邪悪なそして卑しくて俗な存在だと見ているに違いない。この視点が国民にあることこそが民主主義を育み維持するに根本において重要な要素だと私は考えています。
日本のテレビドラマはその意味で「失格、ナンセンス」だと私は厳しくならざるを得ない。韓国に出来て日本で何故出来ない。日本では検察が実態に於いて腐っていても検察官や裁判所は絶対視されている。これってやはり日本は民主主義国家と違うということを物語っていますよね。日本人の権力や権威に対する意識は北朝鮮のそれに限りなく近いと思う今日この頃です。
>>1
「日本という国体」についてのあなたの定義をお聞きしたい。それが肝のように感ずるのです。せっかくいい文章ですから定義を与えて下さい。
>>2
日本のテレビドラマには米国や韓国のテレビドラマには
登場する「悪徳警官」もほとんど登場しません。
せいぜい出世第一主義の上司が主人公の邪魔をするくらい
です。
>>4
そうそうなしさんのおっしゃる通りです。警察もそうです。
私は「国民の意識レベルに問題」と言う視点には違和感を感じます。日本の国家と言うものが「一つのシステム」と見たときに、その仕掛け、仕組みに依存せざるを得ない、国民一人ひとりの存在があります。その存在の仕方、またその環境での”生活していく意思決定=意識の在り方、と言うものが、国民の意識レベルを大きく規定、制限しているものと思います。今、権力は、実態は米軍が握っています。その配下で、政府、官僚、メデイア、言論人、学者、ジャーナリストが組織されて、洗脳と強制を行っています。建前は資本主義として、個々人は”金を稼ぎ自由に生きていく”前提だが、私的に自由にできることは非常に小さく、国家システムに制約されることが圧倒的である。今、一番大事なことは、国家システムを握り、国民一人ひとりをコントロールする権力に対して、それに抗う知恵を集約する『国民的シンクタンク』の確立である。
話しが飛んだけど、「閉ざされた情報空間」に継続的に穴をあけ、持続的に覚醒する国民を増やしていける、『シンクタンク』が必須である。繋がりの核となる、『知恵の塊』が今必須である。
matusiroさんのコメント、正論だと思います。私は、個々人の「自立性」を重視していますが、お話のように、「自立性」を養成する様々な「言論組織体」が不可欠です。しかし、現実的には難しい問題を多く含んでいます。
言論組織体は、小さな組織は「家庭」であり、「学校」であり、「企業」など社会的活動体、「市町村」「県」など大きな組織体になり、「国家」から国際的「同盟」関係につながっています。
良い悪いは別にして、同盟関係は、米国とロシア、中国に大別され、米国、中国、ロシアの国家意思が同盟関係にある国々に広がっていき、国家の意思決定に大きな力を持ってくる。
このようなシステムの中で、米国、ロシア、中国国家体制と異なった方向を選択しようとする体制反対勢力のあり方を、「シンクタンク」で体制転換しようとする考え方であると見ました。
現実的には、ロシアでは、、反プーチン大統領デモをすれば、多くの人々が逮捕されてしまう。中国でも、香港の行政支配は住民の意思を全く無視する中国支配であり、米国でも一国主義が強まり、日本も近隣諸国の武力誇示でかなり刺激を受け始めている。
正論ではあるが、言論組織体が、国際的に機能しなくなりはじめており、日本だけ例外というわけにはいかないでしょう。
お話はよく分かりますが、国際環境が、言論の自由を統制している、し始めているといえるのではないか。
>>6
あなたのおっしゃる「閉ざされた情報空間に継続的に穴をあけ持続的に覚醒する国民を増やしていける<シンクタンク>が必須である」は実に明解で私も賛成です。
そして更に思考をめぐらせば、孫崎先生もそのシンクタンクの一つの現実例ではないでしょうか。私たちはインタネット上で検索を展開すれば、あちらこちらに実に真面目に夜空に浮かぶきら星の如く実に真面目に活動されている方々を発見できます。既に小規模のシンクタンクが日本にあるのです。勿論、そういうものは小さいですから、ロックフェラー財団が支援する膨大な予算を持ったシンクタンクとはくらぶべくもない。あなたのおっしゃるシンクタンクの詳細デザインを知らないでとやかく言うのは口幅ったいですが、あなたのおっしゃるシンクタンクはファイナンスをどこからどのような金額を得られるのでしょうか。
続く
>>8
いきなりお金の問題を持ち出して恐縮です。孫崎先生は財的に恵まれた方でしょうが、多くの他の持続的に穴をあける作業に従事している方々はサイトの維持費に困っているのが現実です。常に彼らは視聴者に托鉢しておられます。
今我々が包み込まれている情報空間は実に危うい。そしてそれに警告を発するものたちへの冷遇はさらに強化されて行く。そういう現実に抗してシンクタンクを立ち上げるのは困難を極めるわけですが、それは悲観に過ぎるとおっしゃるならご教示いただきたいのです。